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2008年4月 5日 (土)

曲解音楽史:32)マルコの帰路に沿って-3(インドシナ島嶼部〜インドネシア)

前の回:1)音という手段 2)リズムの成立 3)音程から音階へ
    4)言葉と音楽  5)トランス 6)古代メソポタミア
    7)古代エジプト 8)古代インド  9)古代中国 10)古代ギリシア
    11)古代ローマ 12)初期キリスト教の聖歌について
    13)ササン朝ペルシャ  14)西暦5,6世紀ユーラシア音楽横断
    15)中世前半の西ユーラシア  16)唐朝と朝鮮・日本 17)「声明」の伝来
    18)モンゴルと中央アジア北方 19)「十字軍時代」の西ユーラシア
    20)日本固有(?)の古歌 21)グレゴリオ聖歌
    22)平曲と能楽:付)発声法について 23)アンブロジアン聖歌・ローマ聖歌
    24)西ヨーロッパ中世 25)ジョングルール 26)十字軍時代前後のイスラーム
    27)ペルシア伝統音楽〜中世からの遺伝子 28)インド中世 29)宋・元時代の「中国」
    30)日本の「オラショ」 31)ヴェトナム伝統音楽



前回、「大陸部ではマラッカ以外に寄港していない」としたのは誤りでした。
本文を読み直したら、チャンパのどこかの港(現在のヴェトナム南部)には上陸したらしく思われます。
すみません。

次に寄港したのがジャヴァ島(ジャワ、ですね)のようですが、そのあと幾つかの島を経てスマトラにたどり着いたと思われます(159〜170)。・・・が、そこに記載されている島々の位置関係は、本文上では錯綜もあるようです。マルコの記憶によるのか、当時の航路の事情が絡んでいるのか、の、いずれかでしょう。複雑ですが、ジャワ島に寄ったあとでマラッカに至り、その後にスマトラに向かったものと思われます。

かつ、実際にはスマトラより小さいジャワの方を大ジャヴァ島、大きいスマトラの方を小ジャヴァ島と呼んでいますが、これはマルコ当時のインドネシア地方の経済力が、スマトラよりジャワの方が大きかったことを反映しているのかどうか、は、私には分かりません。ただ、ジャワについて記述した部分には、すぐ後にヨーロッパで珍重されることになる香辛料の名前がいくつも現れるのに対し、スマトラに付いては、記事数は多いものの、島内が小さな王国に分離している状況が伺われる程度の記述しかなされていません。
スマトラの諸地域については、北部に偏って、おおむね正確な順番で記されています。すなわち、フェルレク(ペルラク)、パスマン(パサイ)、サマトラ(サムードラ)、これは私に配置が分かりませんがダグロイアン、ランブリ(ラームーリ)という具合です。()内は、『パサイ王国物語』(東洋文庫690に邦訳あり、野村亨氏)と呼ばれている、14世紀中葉に原型が成立したと考えられているインドネシア(その大半がスマトラ北部を舞台としています)に現れる地名です。現代の地名でいうと、外れているかもしれませんが、ペルラク(ラングシャーより西北の町)、ロクスコン、ロクスマウェ、?、バンダ・アチェ、あたりでしょうか?(英語の地図上の発音を仮名にしたので、日本製の地図と読みが違っていたらゴメンナサイ)
このあとは、もうインドの領域であるニコバル島に向かいます。

中国と民族も地理的位置も近いために古くからの歴史を記述して残していたヴェトナムとは異なり、インドネシア方面には『パサイ王国物語』よりも古い歴史関係書は無い模様でして、かつ、この『パサイ王国物語』も、内容は日本の『古事記』に相当するような、半ば神話的な世界像を描いているだけです。しかも、この物語の成立の背景には、マルコの時代にはまだぼちぼち、だったと思われるイスラム商人の力が増してきたため、それまではおそらく全体がヒンズー国家だったインドネシア地域でも最も西よりにあるスマトラが、自らイスラム教を受け入れるにあたり、自分たちが正当なイスラムの継承者である、とアピールして貿易を有利に進めたい、という政治力学が働いていたのではないか、と想像されます。このあたりの詳しい事情は、弘末雅士『東南アジアの建国神話』(山川出版社 世界史リブレット72)をご一読頂けると分かりやすいかと思います。

『パサイ王国物語』には、音楽面での記述が5ヶ所ありますが、1ヶ所を除き、すべて「大太鼓」だけが楽器名として明示されています。戦いの場面にはラッパも登場し、インドとの類似を見せています。他に明示されているひとつの楽器名は「フスパ・ラガムという名の非常に美しい音色の楽器」とされており、邦訳の註では「おそらくガムラン系の楽器であろう」としているものの、同時にこの名称がサンスクリット起源で「音楽の花」という意味になる、とも記しており、果たして現行のジャワ島やバリ島のガムランの楽器と関連性があるものかどうかを確かめたく思いました。ですが、残念ながら、スマトラ島の音楽のCDは、(注文画面にはあったのに!)現在メーカーでも品切れで、この試みは断念せざるを得ませんでした。

したがって、インドネシアの音楽の観察にあたっては、ジャワ島とバリ島の「ガムラン」を大まかに比較する試みをします。
この地域は影絵劇を初めとする多彩な個性的芸能が今でも息づいていて、あれこれ浮気してみたいのはやまやまなのですが、まずは、前回見たインドシナ大陸部との繋がりがどのようなところに見られ、どのようなところでは見られないか、を確認するに留めることが、「中世」の時空領域を超えずに済ませるには妥当ではないかと判断しました。

ガムランというと、私たち異邦人は、金属製の、ピッチ(音程)を持った楽器だけを連想してしまいます。が、実際のインドネシアのガムランには、擦弦楽器も声楽も取り入れられていますし、竹笛(ラオスのものが有名ですが、ガムランでも用いられますし、ガムランの金属鍵盤楽器とでもいうものの共鳴筒は竹製です。東南アジアからニューギニアにかけて、竹は音楽の上で重要な役割を果たしています)も、さらにバリ島では口琴も用いられます。バリのケチャ的な唱法(もともとは祈祷で叫ばれるサンギャンの規則的な発声)も、声による器楽ガムランだ、とみなされていたりします。(つまり、あの「チャッ、チャッ、チャバチャバ」は、歌ではないわけです。)

金属打楽器を中心としたガムラン音楽は、なにもインドネシアの専売特許ではなく、北はミャンマー(ビルマ)から南はフィリピンにまで分布している由、柘植・植村『アジア音楽史』に記載がありますが、やはりガムランを主体とした音楽世界を築き上げているのは、インドネシア特有のこと、と見なして良さそうです。

ガムランの諸楽器、バリの場合の音楽については、『神々の島 バリ』(春秋社)に詳細な説明がありますので、ここで半端な詳説を私ごとき素人が行なうのは避けておきましょう。

ただ、ジャワとバリのガムランには、おおむね次のような違いがあります。

*ジャワでは、擦弦楽器、歌が普通に取り入れられる。笛はあまり用いられないようであり、口琴を用いた例は、少なくとも私は耳にしていない。リズムは、比較的ゆったりしている。

*バリでは擦弦楽器、歌を採り入れることが少ない。笛は多用される。バリには口琴に世界でも類を見ないほど多くの種類があり、そのためガムランの中に口琴が採り入れられている事例もある。

さほどはなれた距離にあるわけではない二つの島で、これだけの相違があるというのは、二つの島の文化全般のあり方とも関係がありそうです。
すなわち、ジャワ島は人口の大半がイスラム化している一方で、バリ島のイスラム教徒は島の西、すなわちマルコの時代以降、イスラム貿易の入り口だったと推定される地域に少数存在するだけであり、他は(バリ化された)ヒンズー教を信仰しています。
これは、バリ島の方が、古い時代の東南アジア島嶼部の流通経路であったらしいインド貿易時代の文化を色濃く残している可能性を示唆しています。

南インドにはガムラン系の音楽がないことを考慮しますと、ジャワにせよバリにせよ、金属打楽器はヴェトナム地方から南下してきたドンソン文化を受け継いだもので、これがまず第1波だったでしょう。それ以前に竹笛と口琴は、インドネシア地域には元々根付いていたかもしれませんので、これは端から土着だった、というふうに考えておいてもいいかと思います。

第2波がどんなものだったかの推測は、少し難しいですね。擦弦楽器は仏教国タイでも盛んに演奏されていますから、イスラムの影響、と断言することは出来ません。しかし、擦弦楽器にも歌にも重要な位置を与えているジャワのガムランは、イスラム貿易へと流通が変化した時期に成立した、と見なすのが、バリとの差異を考慮した時には妥当であるように思えてなりません。

それぞれの特徴をよく表している演奏例をお聴き頂きましょう。なるべく極端なものを選びました。

・ジャワのもの:
  「ジャワの宮廷ガムラン2」NONESUCH WPCS-10711

・バリのもの:
  「バリのガムラン1」NONESUCH WPCS-10706

同じ「ガムラン」と呼ばれながら、これだけ印象が違います。
音楽って本当に面白いですね!・・・って、言ってしまっていいのかな?



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