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2008年3月 2日 (日)

家内が置いて行った宿題

    やさしくね、やさしくね
    やさしいことは、つらいのよ

    ----宮城まり子----



モーツァルト記事を綴るつもりで準備していましたが、例によって先延べです。いつもすみません。


先週いっぱいは、風邪でボーッとして過ごしてしまった私でした。
それでも月、火と出勤しましたが、火曜はボケがひどかったのでしょう、
「あれもやりのこしたかな、これもかな? あとは・・・」
と、妙に頭が混乱しているうちに、8時半を回ってしまいました。完璧、遅刻です。そうでなくても朝は30分は遅めに出勤するのを許してもらっているのですけれど・・・焦りまくりました。

で、着替えながら、テレビで時刻を確かめていたら(記憶に間違いなければこの日だったと思うのですが)、宮城まり子さんがインタヴューを受けているところでした。

「まり子さんは、(ねむの木学園の)みんなのお母さんですよね」
「いいえ、校長ですよ。」

彼女の、この答え方が、とてもずしんと、でも、さわやかに、心に響き、どうせ遅刻ついでだから、と、5分くらい、画面に釘付け状態でいました。

たったひとことでした。
「いいえ、校長ですよ。」

あとで思うに、このテレビを見なかったら、私も風邪を一週間引きずることは無かったかな、と、ちょっぴり後悔しています。



今日は、受験に上手くいったら行こうね、と、娘が自分から言い出し、約束して楽しみにしていた、焼肉屋さんに行きました。家内の生前は、特に冬になると、よく行っていたお店でした。
大好きなタン塩、カルビ、レバー、ホルモンや石焼ビビンパ、オレンジの(中を括った丸ごとのかたちのままの皮に詰め込んである)シャーベットを山盛りに目の前にして、子供たちはごキゲンでした。
でも、息子に対しては、私は途中で、そのいいごキゲンに水を刺しました。
「柔道さあ、受け身はあっという間に覚えたのに、その先の進歩がないよなあ」
「うん?」
「お前より小さい子にもころころ投げられるの見てるとさあ、お父さん、悔しくなるんだよ」
「頑張ってるんだけど・・・」
「ただ頑張ればいいのか? 研究が足りないんじゃないの? 技かけてやれ、って気持ちも」
息子は、当然のことながら、不愉快になりました。それからは脇を向いて、しばらく黙りこくっていました。

こういうとき、家内ならどうフォローしただろうか、というのは、とくに娘の高校合格後の今・・・これはいっときの空白期間のようなものだと感じていますが・・・、毎日一度は考えることです。
ただし、そのとき、家内がもし生きていたら、とは考えないようにしています。

日常、私が厳し目のことを言えば、家内は子供たちを「よしよし」とかばいました。
でも、実は逆の方が多くて、大体私が勤めから帰ってくる時間には、ドアを開けると中から響いてくるのは家内が子供たちを大声で叱っている声でした。
「なんべん言ってもきちんと出来ないんなら、お母さん、出て行っちゃうから」とか「死んじゃうから」とかって、それは恐ろしい文句が、稲妻になってギラギラ飛び交っていました。
「まあまあ・・・」
と、家内と子供たちを落ち着かせるのが、私の役目でした。
「死んじゃうから」
には、特に戸惑ったものですが、まだ右も左も「関係ねー」と、勝手気まま、やりたい放題の幼児期の子供たちというのは、家内には扱いにくい代物だったのだろうと思います。しかも、専業主婦ならともかく、フルタイムの、時間外覚悟の日も多い勤めを持っていて、職場への気遣いも随分あったのではないかと思います。で、ダンナはそれよりさらに帰りが遅くて、帰って来ても家事の出来ない、使えないヤツでした。

娘が中学に上がってから、そんな家内が、急に自信を増したようで、変わりました。
職業柄、思春期の子を扱うのはお手の物で、あんなに「出て行く」だの「死んじゃう」だのとわめいていたのがウソのように、子供を上手にかばう様子を見ることが増えました。
「ああ、これからは、大丈夫かな」
・・・そう思った矢先に、家内は、自分でも「死んだ」なんて、おそらくは気が付かないまま、私が見つけた時には「気絶」をしていて、それから2時間後には「臨終」を確認されたのでした。

そのあと、わけがわからぬまま、無我夢中で、まず娘がコンクールで入賞出来ること、志望通りの針路に進めること、息子は母親がいなくても強い気持ちを持てるようにすること、だけを思いつつ、途中、何遍も私自身がふらつくのを、なんとか周りの方に助けて頂きながら、あっというまに1年が過ぎてしまいました。

「私は、父親でもあり、母親の役目も兼ねなくてはならないんだ」

「そうは言っても、母親の役なんて出来っこない・・・誰か、家内を引き継いで助けてくれる人はいないのか」

「なによりも、私自身が、生きて行く希望がない。だのに子供たちには<強く生きろ>なんて、そもそもいう資格があるのか」

・・・だいたい、そんな思いの波が、寄せては返し、の繰り返しだったでしょうか。



そうして時間が過ぎ、この一年はひととおり、なんとか思った通りの方向に、すべて事が進みました。
残りは、自分の心構えの問題だけです。

そこへ、先ほどの、宮城さんのインタヴュー場面を目にしてしまった。

ずしんと、さわやかに、などと表現しましたが、淡々と
「(お母さんじゃなくて)校長よ」
と表情も変えずに言い切った、まり子さんの、あまりのさりげなさに、ぐいと引きつけられてしまいました。
「だって、お母さんの代わりは、出来ないもの。」

そのあと出た熱は、いままでに経験したことの無いものでした。

私は、私の子供たちにとって「母親」ではない。
・・・母親の代わりは出来ない。

どう考え、どう覚悟したら、まり子さんのように、そう言いきることができるのでしょうか?

情けない話が、今日も昼まで眠り惚けてしまい、洗濯物を干したあと、また横になりました。
夕方、子供たちが
「そろそろ焼肉屋さんに行こうよ!」
と声をかけてくれるまで、またずっと眠りっぱなしでした。

「風邪の熱」は治まりましたが、迷いの熱は、まだ下がっていないのでしょうね。

この熱が下がった時に初めて、家内がこの世において行ってしまった宿題・・・それは家内が私に、というのではなくて、神様が家内の手から敢て取り上げてしまったものなのだと思っています・・・、この宿題が何なのかを、私はきちんと知ることができるのかなあ、と、焼肉に舌鼓を打つ子供たちの横顔を眺めながら、そんなことばかり考えてしまっていて。とくに、息子は私の言葉に不満だったのに食べるものだけはしっかり食べるので、半分呆れ、半分ホッとしながら眺めて。

いまもまだ、同じことを考えています。

今日は、これで一日終わってしまいました。

こんなものお読み頂いてしまってすみません。どうしても、他には綴れませんでしたので、ご容赦下さい。

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コメント

kenさんが、kenさんでありながら、kenさん以外の人間でもあり得ること、
ましてや素晴らしかった奥様でもあり得ることなんて、考えたら、絶対に
無理ではありませんか?(冷たい言い方になったらごめんなさいね)。

kenさんはkenさんのままでいいし、というか、それ以上を私たちは
望んではいけないのでは???

投稿: イワン | 2008年3月 3日 (月) 21時44分

イワンさん、冷たい言い方だなんて、とんでもないです。
仰る通りなんだと思います。

・・・頭で分かって、心がついて行かない状態になっているのですね。

だから余計に、「だって、お母さんの代わりは出来ないもの」は、キリストがパウロに呼びかけた言葉のように(大袈裟でしょうか)衝撃的だったのかも知れません。

・・・まだ、打たれたままの状態なのかもしれない。
・・・でも今日になって、少しずつ、「もしかしたら」が自分の中に芽生えて来ているようにも感じています。

本当にそうだったら、いいんだけどな。

投稿: ken | 2008年3月 3日 (月) 22時35分

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