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2008年3月25日 (火)

「夢」は、あとから。

正しい記憶ではないかもしれないけれど・・・
「この世は夢だァ」
というのは、歌舞伎『熊谷陣屋』の幕切れで、出家し旅立つ熊谷直実が涙声で叫ぶ台詞です*。

この歌舞伎、私が東京勤務になったとき、勘九郎(現:勘三郎)ファンだった妹が私を連れて行ってみせてくれたものでした。
ストーリーは、「討取った」はずの敦盛を実はかくまっていた直実が、あるじ義経が首実検に来るというので、やむをえず身代わりに自分の息子の首を切り、敦盛はその元家臣に委ねて逃がしてやる・・・直実の本心を知った義経は、敢て知らぬふりをしてその心意気を賞賛するが、直実自身は世をはかなんで出家する、という、歌舞伎得意のパターンです。

初めてこれを舞台で見たとき、なぜ最後のこの台詞が「涙声」でなければならないのか、違和感を覚えました。

家内を亡くして1年と3ヶ月経ちました。
倒れた家内を見つけてから、昨日の息子の卒業式まで、山積みの課題が降って沸きました。
家内のきちんとした埋葬までに、その死から1年もかかってしまいましたが、おかげで「誰もが満足する・・・死者も生者も・・・埋葬」とはどんなものか、を、当事者としてはたぶん誰よりも数多くのことを調べ、知り、良い結果に繋げることもできたと思っております。
同時進行で、娘の受験と進学、肥満児だった息子の体質改善対策、自分自身の保険のかかりかたの問題、家内が残してくれたものの整理、と、思いつくだけでそれだけのことが頭の中を占領していました。途中で、最も信頼していた年長の友人、Hさんがやはり急死なさったことも、大きな痛手ではありました。
そんなこんなで、目先のことにばかり精神を占領される愚は百も承知でしたから、ブログを何とか続ける、オーケストラも何とか続ける、と、意地も張り続けました。

目先のことがひとつ片付くたびに、今度は緊張感が抜けていき、疲労感を覚えるだけになっていく自分に気づきました。ひとつのことが片付くたびに、その翌日は体のチカラが抜けました。
とどめが、最後に残っていた、昨日の息子の卒業式でした。
これまでと同じように、今朝また、起き上がれなくなり、午後出社しようとしたものの、電話口の向こうで私の声を聞いた上司が
「休め!」
と言ってくれました。
仕事を、休みました。

昼過ぎまで眠ってしまい、目が覚めてからちょっとした家事をやり、夕方になってから、ひとりでコーヒーショップでちょっとだけ読書し、あとは暮れ始めた道をぶらぶらと歩きました。

歩きながら、直実の、冒頭の台詞を思い出していました。

この世は、夢なのか?

1年3ヶ月は、過ぎてしまい、用が済んでしまってみれば、確かに悪夢を見ていたとしか感じられませんでした。いまでは家庭も、ただ「家内が帰って来ない」だけで、私の生活も、子供たちの生活も、家事の分担を決め合ってやるようになった以外、何の変化もありません。・・・これは、夢から醒めたからなのでしょうか?

卒業文集に、子供たちはよく、「将来の夢」というお題の作文を書いています。
比喩的ではない、生理的に見る「夢」にも、「予知夢(正夢)」というのがあります。
でも、「夢」とは、将来を見るものではなく、過去を呼び起こすのが本来のすがたなのではないか?

子供は、自分の将来を、自分の力や周囲の援助で現実的な戦略を立てながら築き上げていきます。成否は別として、これは「夢」などではなく、生きていくための、ある意味でしたたかな計算を身につけていくために、たとえばウチの息子のように
「チャップリンのようになりたい」
という<目標>を持つのです。

「夢」とは、今日眠る、その瞬間よりも以前のことを見させてくれるものなのではないか?

Tanjoまだ半分までしか読めていないのですが、杉山欣也さんが「『三島由紀夫』の誕生」(翰林書房)で遡ってみせている「三島由紀夫」は、「三島由紀夫」が、自らの「幼い」目標をどのような戦略(それが自覚的なものではなかったにせよ)を経て「三島由紀夫」になり得たのか、を、文学研究者としてはおそらく初めて、正しい方法論でフォローした研究ではないか、と、私は今、杉山さんの文章に、上に述べてきたような自分の感慨を重ね合わせて読んでいます(リンクしたAMAZONの頁に、つたないレビューを綴ってみました)。
ただし、実は私は文学青年ではなかったために、読んだ小説は限られていまして、三島作品はつい昨年、ご教示で『春の雪』を読んだことがあるきりです。
ですから、「三島由紀夫」を語る言葉は、私自身は持っていません。
なので、杉山さんの本の半ばまで読んだところで・・・これを私は「歴史の本」として読んでいたことに気が付きましたので・・・恥ずかしながら、ようやく
「あ、杉山さんがターゲットにしている『花ざかりの森』そのものも読まなくっちゃ」
と、今日の散歩のおり、初めて手にした次第です。

杉山さんの本文は読了後あらためてご紹介しようと思っております。

まだ読み始めたばかり(一気に読もうと思えば読める長さなのですが、敢てそうしませんでした)の『花ざかりの森』本文の「序の巻」に、「三島由紀夫」は次のような一節を記しています。

追憶は「現在」のもっとも清純な証なのだ。愛だとかそれから献身だとか、そんな現実におくためにはあまりに清純すぎるような感情は、追憶なしにはそれを占ったり、それに正しい意味を索めたりすることはできはしないのだ。それは落ち葉をかきわけてさがした泉が、はじめて青空をうつすようなものである。(新潮文庫、10頁)

この文単発では作者の意味したいものは完全には現れていません。節を分けて、作者はまたこう述べています。

馬はなんどもつまずき、そうして何度も立ち上がりながらまっすぐに走っていった。もう無垢ではない。ぬかるみが肌をきたなく染め上げてしまっていた。ほんとうに稀なことではあるが、今もなお、人はけがれない白馬の幻をみることがないではない。祖先はそんな人を索めている。徐々に、祖先はその人のなかに住まうようになるだろう。ここにいみじくも高貴な、共同生活がいとぐちを有つのである。(同上、12頁)

引用した最初の文には「潮騒」的な、あとの文には「春の雪」的な、作者のものの見方を感じるかも知れませんが、それは後年そうした作を「三島由紀夫」が作り上げたことから遡り得るからこその印象であって、後年の作品を連想しながら『花ざかりの森』を読むのは誤りだ、ということは肝に銘じておかなければなりません。
・・・そしてそれは、どんな人の、どんな作品(小説ではなく、詩であっても、また音楽であっても)に<私>を委ねる時にも、同様に心がけなければならないものだと思います。

1年3ヶ月の「夢」のただなかにいてしまったが故に、なのかもしれませんが、このことは、私にとっては今、たしかに何もかもが「追憶」であり、たしかに「無垢ではなくなった」がゆえに「祖先に索めてもらえる」自分を(過去、そんなことが一度でもあったかどうかを知らぬまま)取り戻したいという切実な問いを投げかけてくる、ひとつの厳粛な想念です。

「追憶」こそが、「夢」という語と等価におかれるべきものではないのか?

私が眼前にかかえ、それゆえにこれからも少しは私を生への執着へと結びつけるものは、他にはないのではなかろうか、と、夕暮れの道を歩きながら、そんなことを思いつつ、今日一日を終えた次第です。

・子供たちには、「目標」へ向かって確実な戦略を応援してやり
・私自身は、「夢」をたどりなおして、人間のなかのひとりとしての精神を見定めなおす

私のするべきことは、そんなようなことなのでしょうか・・・

またもわけの分からぬことを綴り、失礼しました。

杉山さんの本は、いわゆる<三島事件>の記憶を強烈に先入観として持つかたには視点を変えて頂くために、先入観のないかたには本来私たちが持っていなければならなかったはずでありながら見失われてしまった精神史を少しでも埋め合わせて下さるために、是非読んで頂きたい「逸品」です。

綴り残していることがあるのですが、またの機会とします。



*調べましたら、正しくは、「十六年はひと昔。ああ夢だ、夢だ」でした。

Book「三島由紀夫」の誕生


著者:杉山 欣也

販売元:翰林書房
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