« 忘れ得ぬ音楽家:7)ズデニェク・コシュラー | トップページ | 「芸能化」する日本のクラシック音楽享受 »

2008年3月31日 (月)

人さまざま(付:Recordare[Mozart])

人さまざま人さまざま


販売元:楽天ブックス

楽天市場で詳細を確認する


このタイトルで翻訳されたギリシアの古典は、人の習癖を面白おかしく、皮肉たっぷりに書いた本です。

たとえば。

「お愛想とは、定義をすれば、しんから相手のためを思う心もないのに、つい巧みに相手をよろこばせてしまうような、つき合いかたである。すなわち、遠くから相手に呼びかけ、ご高名は存じておりますが、などと言って、たっぷりと敬意をあらわし、両手でもって相手を去らせず、しばらくは案内役をつとめ、このつぎはいつ貴方さまにお目にかかれましょうか、などと尋ね、なおも褒めそやしてから立ち去るのだ。・・・」

「恥知らずとは、これを定義すれば、いやしい利得のために、人の思惑をものともせぬことである。・・・」

「頓馬とは、たまたまかかわりを持った人たちに、相手を苛立たせるような話をしかけることである。すなわち・・・、また、自分の恋人が病気で熱を出しているときに、彼女の前でセレナ−デをうたう。・・・」

「もとよりお節介とは、言葉と行いとを問わず、気がよすぎて引き受けすぎることであると思われる。そこで、お節介な人とは、およそつぎのようなものであると思われる。 すなわち、自分の手にあまる事柄を、求められてもいないのに、立ち上がって、かってでる。 また、その事はそれでよろしい、と一同が同意すると、そのどこかに反対をとなえては、やりこめられる。・・・」

「ほら吹きとは、言うまでもなく、じっさいには身につけていない優越さを、身につけているかのように見せかけることである。・・・」

「臆病とは、もとより、恐怖のために心のくじけることである。そこで、臆病な人とは、およそつぎのようなものである。すなわち、航海に出ると、突出した岬を、あれは海賊だ、と言い張る。小波でも立つと、この船の人たちの中にひょっとして秘儀の洗礼を受けていない人がいるんではありませんかね、などと尋ねる。・・・」
(以上、岩波文庫、森進一訳。歌手の森進一さんではありません!)

妻も元気で、子供も小さく、自分も若い肉体の持ち主であった私は、著者テオプラストスの描いた人間像を、思い当たる人に引き寄せては頭の中で戯画化し、ホクソ笑みながら読みました。自分にこと寄せた方がいいこともいっぱいあるのですが、それはそれ、他人になすりつけて面白がる方が、よっぽど楽しいですからね。

ですが、今の私には、もう、笑えません。

年年歳歳、テオプラストスの皮肉は、それに該当する人の身の上に、そこからもたらされるであろう結果を予言するようになっていきます。
予言はやがて現実となって、ふりかかる。その数は、人生が長ければ、より多く目にしなければならない。
予言の辛さは、生きている限り、自分も同様に味わうだけでなく、周囲の、まだ無被害の人も、九割九分は味わうのです。

喜劇の中の皮肉られ役が自分自身になる日は、誰にとっても、ほぼ確実にやってくる。

そうなってしまったら、私たちは、いつ、心から笑える日を取り戻せるのでしょう?

このところ周囲の人に起こり続けている悲しい「喜劇」のことは・・・まあ、私のものは綴っても誰にも害にならないでしょうが・・・よしましょう。

それとは全く質の違うことを、ひとつ、綴らせて頂きます。

新幹線で出張してくるたび、家内を亡くした私に、
「おう、生きとるか!」
陽気に、冗談交じりに励まして下さる方がいらっしゃいました。
仮に、その人をSさんと呼びます。
Sさんにからかってもらうたび、からかってもらえることが重なるほどに、私は、「うつ」の部分はやむを得ないにしても、他は最近ようやく万事、徐々に冷静さを取り戻しました。
今ではいろんな人と明る会話できるようになるまで、心を立ち直らせることが出来るようになりました。

そのSさんの奥様が
「昨日亡くなった」
との知らせを、今朝真っ先に、上司の上司である部長さんが教えて下さいました。奥様は数年前からガンでしたが、この1年は厳しい闘病生活だったそうです。Sさんも、それを支えながらの1年間だったわけです。
ですが、つい1ヶ月も経たない前にも、Sさんはご自身の苦悩については一言も仰らず、ひたすら私や周りの人たちを笑わせ続けて帰って行ったのでした。

世の中、自分や家族に何の問題も抱えていない人なんて、誰もいない。ですが、先日綴りましたように、普通の発想なら「他人のことはいつまで経っても他人のこと」で、テオプラストスの皮肉のようなお節介は、「賢明にも」避けて通る。発想の始点は、常に「自分」にある。
Sさんは、そ知らぬ顔で、「お節介もいいではないか」と、<他人事という始点>から出発することを自らに戒めていらしたのです。


 chorus musicus köln das neue orchester christoph spering (2001) naive OP30307
 (右クリックで別ウィンドウでお聴き頂けます。)

奥様のご冥福とSさんご一家の平安を心からお祈りいたしますとともに、Sさんへは、あらためて深い敬意を払わせていただきたいと存じます。・・・とは言っても、Sさんがこれをお読みになることはないのですが。



Recordare Jesu pie,        思い出したまえ、慈悲深きイエスよ
Quod sum causa tuae vioe:     あなたの降臨は私のためであったことを
Ne me perdas illa die.       審判の日に私を滅ぼすことがないように

...

Preces meae non sunt dignoe:    私の願いは身の程知らず
Sed tu bonus fac benigne,      けれど良き方であるあなたは好意を寄せて下さる
Ne perenni cremer igne.       私が永遠の業火に焼かれることがないように

...

|

« 忘れ得ぬ音楽家:7)ズデニェク・コシュラー | トップページ | 「芸能化」する日本のクラシック音楽享受 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/95716/12020355

この記事へのトラックバック一覧です: 人さまざま(付:Recordare[Mozart]):

« 忘れ得ぬ音楽家:7)ズデニェク・コシュラー | トップページ | 「芸能化」する日本のクラシック音楽享受 »