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2008年3月 3日 (月)

モーツァルト:「技量」を読み取る確かな目(K.255,K.256,K.261)

    永遠がついに「その人自身」に彼を変えるような
    詩人は、抜き身の剣をかざして呼び起こすのだ
    あの奇妙な声の中では死が勝利していたことを
    知らなかったことに驚いている彼の世紀を!

    ----マラルメ、渋沢孝輔 訳----


ここまで読んできたモーツァルト作品の個々へのリンクを作成し直しました。ご利用下さい。
人が人を見定める、というのは、実に複雑で困難なことです。 感情をもって相手を見つめれば、「あばたもえくぼ」か「花よりダンゴ」で、当面の欲や好悪に目がごまかされる。・・・で、そのままその好悪の情にのめり込むのは、どんなに素晴らしい人物でも例外ではないようで、古くは名君になるはずだったローマ帝国の皇帝ネロも、ポッペイアの妖艶さに目がくらみ、芸能に酔い、治世の何たるかを見失い、悲喜劇的な最期を遂げてしまった(タキトゥス「年代記」に詳しいです)。

モーツァルトも、少なくともマンハイムに行ってアロイジアに首っ丈になってしまったときは、ネロ同然だった。そしてついに、母の死とアロイジアへの失恋をときをほぼ同じくして味わい、こんな他人の綴っている言葉では決して言い尽くせない、深い傷を負うのです。

・・・でも、比較対照として的確ではなかったかも知れませんが、ネロとモーツァルトの決定的な違いは、
「モーツァルトは客観的に人の音楽的な<技量>を捉える確かな目を持っていた」
ところではないかと思います。

前2回が「セレナード(セレナーデ)」に着目してきましたので、本来ならばディヴェルティメントへ進むべきなのでしょうが、上記がどのようなかたちで現れているかの例を見るためにも、やはり名人芸的な要素を豊富に含んでいた「ハフナー・セレナード」からのつながりで行くと、ここで一旦、別の作品群に注目しなければならないかな、と思います。

それは、1776年に単発で作られたヴァイオリン協奏曲のための単独楽章と、2つのアリアです。
・・・さほど突っ込んだことまでは綴りませんが。



ヴァイオリン協奏曲のための単独楽章、Adagioホ長調K.261(年末頃作曲?)は、「トルコ風」のニックネームを持つ第5番の緩徐楽章の代替品であることは有名です。しかも、オリジナル楽章に比べ小規模で、旋律に音の跳躍が少なく、演奏が容易になるよう配慮されています。
これは、この年ザルツブルク宮廷オーケストラの新コンサートマスターとなったブルネッティに配慮してのものだ、とされています。・・・とすると、技術的に演奏が容易だ、ということは、ブルネッティはヴァイオリンの腕前が若干劣っていた、ということなのでしょうか?
これは判断が難しい話であるような気がします。腕前が劣っていたら、そもそも、より高度な技術を要する第1楽章、第3楽章は、ブルネッティには演奏できなかったとしか考えられないのです。
奏法上のテクニカルな面にだけ着目して、この代替楽章を評価してよいのかどうか。
別の面から見ますと、オリジナルの緩徐楽章は「オペラアリア的」であるのに対し、代替楽章であるこの作品は、より「歌謡的」である、と言えはしないかな、と思っております。
であれば、モーツァルトは、ブルネッティのヴァイオリンの音色に、技巧派的なものよりも、
「豊かで、しかもより庶民的な歌を持った演奏者だな」
という判断を下した可能性も無くはないのではないか。
・・・なんとも言えませんが、少なくとも前後の楽章は書き換え無しでブルネッティにより演奏された、という事実があったのなら、ブルネッティのそうした側面を強調してやろう、という思いやりから中間楽章だけを新たに用意した・・・そんな思いやりをモーツァルトが示した、と考えてみるのも、面白い気がします。
事実、父レオポルトが、息子がこの楽章を作曲するにあたって、こんな言葉を残しているそうです(アインシュタイン 訳書382頁による)。
「(第5協奏曲の中間楽章は)彼にとって気取ったものでありすぎたので。」


9月に作曲された2つのアリアも、それぞれにかなり特徴的です。
とくに、声楽分野では、モーツァルトはオペラのアリアを歌手の技量や要求に合わせて作ることには、13歳の時にはすでに習熟していたことが、過去の経緯から明らかです。(「見てくれの馬鹿娘」K.51「ミトリダーテ」K.87の作曲経緯を振り返ってみて下さい。)

「幸いの蔭よ--私はおまえを引き止めない」K.255は、現在では「アルトのための」ということになっていますが、本来はカストラート歌手(初演者はミュンヘンの宮廷から来訪していたカストラート歌手、フランチェスコ・フォルティーニ。ピエトロ・ローザと言う人に率いられた旅一座の一員に加わっていた由)のためのもので、最低音のインパクトの強さが、この本来の目的を明確に示しています。かつ、作りは意外にシンプルで、技巧的な動きは少ないながら、アリア部分はテンポが何度も入れ替わることで歌手の音楽性・表現力を最大限に引き出すよう配慮されていて、これも、モーツァルトがこの作品を歌うか主の特質を良く見極めていたことを物語っている特長ではないかと言う気がします。
なお、1783年にはモーツァルト自身がこの作品を「アルトのための」と言ういい方で書簡中で触れており、カストラート歌手が9年後のウィーンでは既に殆どいなかったのではないか、という歴史の断面も伺え、興味深く思われます。

アリア、というよりはシェーナ、と呼ぶ方がふさわしいそうである「愛しのクラリーチェを私の妻に」K.256は、ロッシーニ「セヴィリアの理髪師」の中の「私は町の何でも屋」を先取りするような、三連符の連続する滑稽な歌で、短いながら、歌ったテナー歌手が大喝采を浴びた様子が目に見えるようです。初演歌手はこの頃ザルツブルクに滞在した旅一座の中の歌手、アントニオ・パルミーニ。(実は私は、アリアとシェーナの違いは分かっていません。どなたか教えて下さいね。)
・・・アインシュタインは、この作品を、同じ「セビリアの理髪師」でもバジリオの「中傷のアリア」というのに例えています。・・・ツウは、違うんだなあ。。。これは、「レコード芸術」誌2006年6月号の解説にある通り、新全集(NMA)第10分冊にスケッチも記載されていて、作曲家庭が分かる貴重な作品でもあります。また、こう言うスケッチの存在があることからも、モーツァルトが「ひらめいたままに音楽を作った」のではなかったことも明らかになるわけです。

簡単でしたが。
作品実例は、全集ものでないと手軽に触れられないのは残念ですけれど、今回採り上げた3曲は、あくまでモーツァルトの職人芸の「サンプル」ですので、ご興味を強く引かれたら聴く、ということでよろしいのではないでしょうか?

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