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2008年3月31日 (月)

人さまざま(付:Recordare[Mozart])

人さまざま人さまざま


販売元:楽天ブックス

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このタイトルで翻訳されたギリシアの古典は、人の習癖を面白おかしく、皮肉たっぷりに書いた本です。

たとえば。

「お愛想とは、定義をすれば、しんから相手のためを思う心もないのに、つい巧みに相手をよろこばせてしまうような、つき合いかたである。すなわち、遠くから相手に呼びかけ、ご高名は存じておりますが、などと言って、たっぷりと敬意をあらわし、両手でもって相手を去らせず、しばらくは案内役をつとめ、このつぎはいつ貴方さまにお目にかかれましょうか、などと尋ね、なおも褒めそやしてから立ち去るのだ。・・・」

「恥知らずとは、これを定義すれば、いやしい利得のために、人の思惑をものともせぬことである。・・・」

「頓馬とは、たまたまかかわりを持った人たちに、相手を苛立たせるような話をしかけることである。すなわち・・・、また、自分の恋人が病気で熱を出しているときに、彼女の前でセレナ−デをうたう。・・・」

「もとよりお節介とは、言葉と行いとを問わず、気がよすぎて引き受けすぎることであると思われる。そこで、お節介な人とは、およそつぎのようなものであると思われる。 すなわち、自分の手にあまる事柄を、求められてもいないのに、立ち上がって、かってでる。 また、その事はそれでよろしい、と一同が同意すると、そのどこかに反対をとなえては、やりこめられる。・・・」

「ほら吹きとは、言うまでもなく、じっさいには身につけていない優越さを、身につけているかのように見せかけることである。・・・」

「臆病とは、もとより、恐怖のために心のくじけることである。そこで、臆病な人とは、およそつぎのようなものである。すなわち、航海に出ると、突出した岬を、あれは海賊だ、と言い張る。小波でも立つと、この船の人たちの中にひょっとして秘儀の洗礼を受けていない人がいるんではありませんかね、などと尋ねる。・・・」
(以上、岩波文庫、森進一訳。歌手の森進一さんではありません!)

妻も元気で、子供も小さく、自分も若い肉体の持ち主であった私は、著者テオプラストスの描いた人間像を、思い当たる人に引き寄せては頭の中で戯画化し、ホクソ笑みながら読みました。自分にこと寄せた方がいいこともいっぱいあるのですが、それはそれ、他人になすりつけて面白がる方が、よっぽど楽しいですからね。

ですが、今の私には、もう、笑えません。

年年歳歳、テオプラストスの皮肉は、それに該当する人の身の上に、そこからもたらされるであろう結果を予言するようになっていきます。
予言はやがて現実となって、ふりかかる。その数は、人生が長ければ、より多く目にしなければならない。
予言の辛さは、生きている限り、自分も同様に味わうだけでなく、周囲の、まだ無被害の人も、九割九分は味わうのです。

喜劇の中の皮肉られ役が自分自身になる日は、誰にとっても、ほぼ確実にやってくる。

そうなってしまったら、私たちは、いつ、心から笑える日を取り戻せるのでしょう?

このところ周囲の人に起こり続けている悲しい「喜劇」のことは・・・まあ、私のものは綴っても誰にも害にならないでしょうが・・・よしましょう。

それとは全く質の違うことを、ひとつ、綴らせて頂きます。

新幹線で出張してくるたび、家内を亡くした私に、
「おう、生きとるか!」
陽気に、冗談交じりに励まして下さる方がいらっしゃいました。
仮に、その人をSさんと呼びます。
Sさんにからかってもらうたび、からかってもらえることが重なるほどに、私は、「うつ」の部分はやむを得ないにしても、他は最近ようやく万事、徐々に冷静さを取り戻しました。
今ではいろんな人と明る会話できるようになるまで、心を立ち直らせることが出来るようになりました。

そのSさんの奥様が
「昨日亡くなった」
との知らせを、今朝真っ先に、上司の上司である部長さんが教えて下さいました。奥様は数年前からガンでしたが、この1年は厳しい闘病生活だったそうです。Sさんも、それを支えながらの1年間だったわけです。
ですが、つい1ヶ月も経たない前にも、Sさんはご自身の苦悩については一言も仰らず、ひたすら私や周りの人たちを笑わせ続けて帰って行ったのでした。

世の中、自分や家族に何の問題も抱えていない人なんて、誰もいない。ですが、先日綴りましたように、普通の発想なら「他人のことはいつまで経っても他人のこと」で、テオプラストスの皮肉のようなお節介は、「賢明にも」避けて通る。発想の始点は、常に「自分」にある。
Sさんは、そ知らぬ顔で、「お節介もいいではないか」と、<他人事という始点>から出発することを自らに戒めていらしたのです。


 chorus musicus köln das neue orchester christoph spering (2001) naive OP30307
 (右クリックで別ウィンドウでお聴き頂けます。)

奥様のご冥福とSさんご一家の平安を心からお祈りいたしますとともに、Sさんへは、あらためて深い敬意を払わせていただきたいと存じます。・・・とは言っても、Sさんがこれをお読みになることはないのですが。



Recordare Jesu pie,        思い出したまえ、慈悲深きイエスよ
Quod sum causa tuae vioe:     あなたの降臨は私のためであったことを
Ne me perdas illa die.       審判の日に私を滅ぼすことがないように

...

Preces meae non sunt dignoe:    私の願いは身の程知らず
Sed tu bonus fac benigne,      けれど良き方であるあなたは好意を寄せて下さる
Ne perenni cremer igne.       私が永遠の業火に焼かれることがないように

...

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2008年3月30日 (日)

忘れ得ぬ音楽家:7)ズデニェク・コシュラー

TMFのかた向けに今日の練習記録をとらなければならないところですが、それは簡単にとどめます。



1)ミヨー「フランス組曲」
これは、「フランス人の歩きかたは六拍子だよね」という比喩を忘れないこと、フランス語の発音をお聴きになれば音楽作りのヒントになるだろうこと、のみ申し上げれば充分かと思います。

・・・ を聴いてみて下さい!

参考になります?
ちなみに、この会話の内容はは次のうち、どれが正解でしょう?
a.さまざまな言葉が話されている国や地域
b.子供が行ってみたい国
c.世界の国と首都
(白水社「コレクションフランス語6 聞く」)
・・・じつは、私、フランス語はそんなに知りません! でも、この問題の答なら、多分誰でも分かります!

いや、答えが分かることがことが大事なんじゃなくて、フランス語のリズム感を感じてもらえればいいだけなんですが。中身が分かると、リズムも掴みやすいでしょ?



2)「悲愴」第3楽章
第3楽章の説明記事の最初の方をご参照下さい。結局はこのことに尽きるのだな、と、先生の指摘を受けとめましたが、如何でしたでしょうか?
この前の練習記録も(3月1日分なのでずいぶんあいてしまいましたが)第3楽章に関するものです。結局のところ先生の指摘と大差なかった(足りない点はありますが)ので、そちらをご参照の上、演奏例も是非もう一度聴き比べてみて下さい。


練習の合間に、先生と話していて、
「こないだY君(私の大学の先輩)に会ったよ」
と仰っていたので、Yさんの話でちょっとだけ盛り上がりました。
帰り道で、私たちの大学オーケストラを一度指揮しに来て下さったズデニェク・コシュラーさんのことを思い出していました。なぜなら、話題になったYさん、クラウディオ・アバドに似た人で、コシュラーさんはそのアバドと一緒に勉強していた時期があり(リンクしたWikipedia記事にも載っています)、お酒の席でYさんを指差しては「アッバード、アッバード!」と愉快そうに連呼していた記憶が甦ったからです。

詳しい経歴を存じ上げないのですが、同じお酒の席で、失礼も省みず、
「コシュラーさんはなんで背中が曲がってるんですか?」
という質問をしました。
「ナチスの収容所にいたことがあってね、それでなんだ」
と、おっしゃいました。
ユダヤ人でないはずの彼が、なぜナチスの収容所に入ったのか、は、未だに突き止めておりません。ご存知のかたがいらしたら、教えて頂きたいとも思っております。
かすかなのですが、ご兄弟で犠牲者になったかたもいらした、と伺ったように記憶しております。

たびたび来日し、親しみやすい人柄で結構好かれた人でしたのに、いま、日本で彼のことをどれだけ覚えているか、は、はなはだ心もとない状況です。
なぜなら、彼はカリスマ性を備えた人ではありませんでした。
要求する音楽は、地味なほど堅実で、チェコの大御所だったターリヒやアンチェルのような「演出」はしませんでした。その分、外国人が期待する<チェコらしさ>をチェコ音楽で表明してもいません(ヤナーチェクの「シンフォニエッタ」と「タラス・ブーリバ」のCDは今でも入手しやすいもののひとつですが、他の演奏をお聴きになったあとでは、そのあまりの地味さに、<え?>と首をかしげてしまわれるのではないかと思います)。
そんな彼が、しかし、やはりそんなに極端な演出をしてきたとは思えないノイマンに比べて知名度が落ちるのは、「運」としかいいようがありません。ノイマンはスメタナ弦楽四重奏団の前身となった四重奏団の創立メンバーだったりして、チェコの音楽界では早くから「名士」でした。かつ、ノイマンの方が5つ年上でもありました。ノイマンはラファエル・クーベリックが急病のとき、そのの代役でチェコフィルの指揮台に立つ、という幸運にも恵まれ、クーベリックがチェコの共産国家化に反発して亡命した後釜にすわることに成功しています。・・・同じ頃、コシュラーさんはまだ歌劇場の方の練習指揮者で、音楽院で勉強中でもありました。
前途を、塞がれていたに等しいともいえます。

彼のバランス感覚は、しかも、先輩連中に比べると「観光チェコ」的な起伏を求めない、中庸のものでした。
ですから、チェコ以外の音楽でも、中庸を保ったいい演奏を残しています。
中庸ゆえに退屈、と感じる人には向かない演奏だった、ということも、併せていえることにはなります。

私たちの大学オーケストラは、彼に指揮を依頼するとき、
「是非ドヴォルジャークを!」
とお願いしたのですが、コシュラーさんは、
「いや、是非、ショーソンの交響曲をやりたいんだ!」
と譲りませんでした。もう一曲、彼が指揮したがったのが、モーツァルトの交響曲第40番でしたが、これについては(ト短調の激しさがどちらかというと女性的な印象を与える風潮があったからでしょう)
「これは、オトコのシンフォニーね!」
と何度も繰り返して言っていました。実際、私たちの期待した繊細な演奏を、ではなく、骨太の演奏を要求し続けました。・・・今思うと、適切だったと感じます。
なんとか妥協して取り上げてくれたのが、ドヴォルジャークの「謝肉祭」でした。スマートに仕上げさせられました。

ただし、私たちの大学で指揮するとき、来日していたスロバキア・フィルの演奏会も併せて指揮していて、そこで演奏されたドヴォルジャークの交響曲第6番は(私はこの曲をそのとき初めて聴きました)、心に残る名演でした。ブラームスの2番の影響を受けながら独自の世界を開いた作品なのですが、後にアマチュアで試奏したら、どうしても間が抜ける。理解して演奏しないと、ブラームスと違って冗長にしか思えない曲になってしまうのです。そんな作品が、コシュラーさんの棒の下では、きりりと緊張感を保っていました。

そのうちコシュラーさんの名前も聴かなくなり、来日情報もなく、どうしたのか、と思っていました。
池袋を友達と徘徊しているとき、たまたま、演奏会を終えて飲みに行こうとしているチェコフィルのメンバーに会い、ウィ−ン留学経験があってドイツ語の堪能な友人を介して
「コシュラーさん、どうしてます?」
と訊いてもらったら、
「オオ・・・彼、シニマシタ」

絶句しました。帰宅してから、涙が止まりませんでした。

1995年、ノイマンと同じ年に亡くなっていたのですね。67歳では、指揮者としては早すぎる死です。
もう少し長生きしたら、その名前も、ここまで忘れられることはなかったのではなかろうか、と、非常に惜しく思っております。

CDではモーツァルトのレクイエムが500円で出ているのが、最も手軽に手に入りますが、ケースの背面を見ないと、彼の指揮したものだとは分かりません。500円CDシリーズの中にあるのが勿体ない、よい演奏です。
指揮姿が見たくて、同じ曲がNAXOSでDVDで出ているのを知って入手したのですが、これは演奏者ではなく、風景を録画したもので・・・彼との再開は果たせませんでした。

私も家内のそばに行くのを許される時が来たら、あちらで探し出して、
「学生時代、お世話になりました! あなたは私を覚えていらしてなくても、私はあなたがとても好きです」
そうお話ししたいと思っております。

ヤナーチェク:シンフォニエッタMusicヤナーチェク:シンフォニエッタ


アーティスト:チェコ・フィルハーモニー管弦楽団 コシュラー(ズデニェク)

販売元:コロムビアミュージックエンタテインメント

発売日:2007/04/18
Amazon.co.jpで詳細を確認する

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2008年3月29日 (土)

宮本笑里ちゃんは、やっぱり・・・&日本の素晴らしい若手女流Violinistふたり

fantasy(期間生産限定盤)

アイドル本を出しちゃった宮本笑里ちゃんは・・・やっぱり、純クラシックにはいかないのですね。・・・あるかたが暗に予告して下さっていたことでしたから、納得ですけれど。

そのほうが、お金、入るしね。お父様の思いやりでしょうか。辿ってきた道だもの。よくご存知でしょうから。
少なくとも、ネット上での販売形態からすると「売れる」路線を選択したのですね。
新譜は、AMAZONでは、今日現在、「クラシック」で堂々の20位ですねぇ。。。
「クラシック」、ですかぁ。。。

頑張って、無駄遣いしないで、将来のために、しっかりお金貯めて下さい。



純正の「クラシック」(変ないい方だな)では、非常に若い女性二人の演奏に、たいへん敬意を抱きました。(すみません、そう言っておきながら、金銭的事情からお店での試聴です。面目ございません!)


まずは、木嶋真優さんのアルバム、「Chaconne」。1月23日の発売だったそうです。
曲目は、
1. ヴィタリ:シャコンヌ
2. ドヴォルザーク:スラヴ舞曲 op46-2
3. ストラヴィンスキー:ディベルティメント
4. チャイコフスキー:憂鬱なセレナード
5. ファリャ:スペイン舞曲
6. ヴェニャフスキー:グノー「ファウスト」の主題による幻想曲
というもの。

シャコンヌ


もうひとつは、南紫音さんの「デビュー・リサイタル(CD+DVD)」。3月12日発売。
こちらの曲目は、
・モーツァルト:ヴァイオリンソナタ第42番 イ長調 K.526
・プロコフィエフ:ヴァイオリンソナタ第1番 ヘ短調 作品80ssai, Come Prima
・シューマン:ロマンス第2曲イ長調 作品94の2
・イザイ:無伴奏ヴァイオリンソナタ第4番ホ短調 作品27の4
・ブラームス:≪f.a.e.ソナタ≫からスケルツォ ハ短調

ヴァイオリン作品集/南紫音 Debut Recital (+dvd)(Ltd)

お名前のところに、HMVのサイトへのリンクを埋め込みましたが、いずれもレヴューは好感度「高」。
ランキングではHMVでもAMAZONでも、残念ながら上位100位には入っていません。
でも、日本人なら買って欲しい!
(あ、まず自分が買わなきゃ、言う資格はないな・・・)

直球勝負で登場なさった、このお二人とも、20歳になったかならないか、ですのに、ヴァイオリンの音とは何か、をよくお分かりになっているし、「音楽作り」もしっかりしています。このまま、さらに視野と幅(体型ではなく!)を広げて行って下さったら素晴らしいことになるな、と、店員さんがいやがっているらしいのをひたすら無視して、夢中で聴き入ってしまいました。・・・もちろん、別々の日に!

・・・ああ、せめて、私もこんなふうに弾けたらなあ・・・お二人のセンスが、うらやましい。

自分が情けないから、今日はこれで寝込みます。

あ、晩飯は食ってから寝ます!



(画像はそれぞれアフィリエイトになっています。)

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2008年3月28日 (金)

「おしまい」が「はじまり」であってはならない

    自分がしている悪のすべてを知りつくすだけの
    知恵を持った人間はめったにいない

    ----ラ・ロフェシコー「箴言集」269 二宮フサ訳から----



家族を巡るさまざまなことが一段落し、転機を迎え、しばし腑抜けでした。
腑抜けのあいだに、いろんな本を、分かってるんだか分かってないんだか、ちっとも分からないままに「眺め」ました。
クラシックではなくて、民族音楽ばっかり聴いていたりしました。

そんなふうに過ごしてきて、数日前、ふと、
「あ、そうなのか」
と、気付かされたことがありました。



たとえばモーツァルト。
いま、私たちが彼の人生をイメージするときは、未完とはいえ最後の作品となった「レクイエム」のことを、まず思い浮かべている。
・・・私にとっては、最初は「うつ」から脱出するために何か手はないか、というのが、ブログでモーツァルトを追いかけるようになったきっかけです。幸いなことに、取りかかり始めた直後に格安で「新モーツァルト全集(NMA)」を入手でき、おかげで彼が幼い頃に書いた初期の作品から、彼の成長に沿って、年齢を重ねて行くとともに充実して行く技量を目にすることが出来、そうするうちに、作品の背景にあるモーツァルトの心の変化まで「こういうふうに変わって行ったのかなあ」との推測も試みられるようになってきました。
こうして私の中に築き直されつつあるモーツァルト像は、過去には考えてもみなかったものです。
「レクイエム」から遡ってしか見ていなかった頃には、「神童だった彼が、成人して冷遇されたのは、実に不遇だった」・・・極端にまとめれば、そんな目でしかモーツァルトを見ていませんでした。彼の成長過程に、凡人と全く同じ「思春期」があり、「反抗期」があり、「自立心の芽生え」があったとは、意識していませんでした。ザルツブルクを飛び出したことが「職場に対する不満・自分への評価に対する不満」であることは承知していたとしても、それは私たちとは違う特別なものだった、と、神聖視していました。
初めからたどってみると、お門違いな評価でした。
モーツァルトもまた、普通の人だったのです。
それを、音楽に示されている「天才」ぶりと混同していた。

たとえば、バリの 。(一部分ですが、右クリックで、別ウィンドウで聴いて頂けます)
現在の完成された は、バリ現地人ではなく、ドイツ人が1935年頃にまとめる努力をしたものが元になっています。その事実を知ったとき、
「なんだ、他所の人間がしゃしゃり出たんじゃ、伝統芸能でもなんでもないではないか」
そう思いました。まとめあげられる前の の方が、よっぽど価値がある、と考えるようになっていました。(おなじく右クリックで、別ウィンドウで聴いて頂けます)
ケチャは「演劇化」されていますが、サンヒャンは日本で言えば、近代医学が普及していなかった頃、病人を前に山伏や巫女が祈祷をしたのと同じ、「まじない」なのです。サンヒャンの方が原初的であるが故に、ケチャがわざわざそれを<人工的な大芸能>に仕立て上げた、それも外国人が主導した結果だった、ということには、事実を知る前には感じたことのなかった軽侮の念さえ覚えていました。
・・・ではなぜ、ケチャがバリ現地の人に、ここまで愛されるようになったのか、なんて、考えても見なかった。



私の、モーツァルトへの視線とケチャへの視線は、逆方向から向けられているように見えます。

ですが、実は、そうではない。

いずれも、今、「これが最終型であり完成型である」という始点から、線が延びていたのでした。



音楽の例では、まだ具体的にはイメージして頂きにくいかも知れません。
でも、もし私のこの発想が世の中一般とそれほど違っていないのであれば(そう信じているのですが)、このように集約は出来るでしょう?

「私たちは、人やモノや出来事を、まずその最終型から評価し始めている」

人ならば「死に方」が、モノならば「ケースに飾られるべき完成した姿形」が、出来事ならば「起きたことによる結果」が、まず初めにある。そこから遡って、良い評価や悪い評価を下している。

「良い」・「悪い」とはどんな価値観から判断しているのか、については、とりあえず触れません。

ただ、評価をする、ということが、普通は「終点から遡って」なされている・・・私自身もそうしている、ということに気付いたとき、一方で、
「だから、他人のことはいつまでたっても他人のことなんだ」
と、強く感じました。

自分のことを考えているとき・思っているとき(それが喜びであろうと悲しみであろうと)、そんなときは、
「自分だけは例外なのだ」
と、意識せぬままに自分を評価しているのですね。
そう、「私」は、「私」がどんな思いをして成長してきたか、どんな感情を抱いて周囲を愛したり憎んだり、近づいたり遠ざけたりしたか、について、・・・生まれて数年の記憶は曖昧だとしても、少なくとも、育ってきた時間の順番、経験してきた時期の順番で評価している。

これは、世間様に対して不公平なことではないか。
世間様に対して、私たちは(と複数形で述べる非礼を許して下さい)世間様の「おしまい」を「はじまり」として評価している。「はじまり」そのものをきちんと「はじまり」として見つめているのは、自分自身に対してだけなのです。利己主義も甚だしい、と言ってしまったら、大袈裟なのでしょうから、そこまでは言いません。ただ、私個人については「利己主義者」と言って頂いても構わないと思います。



なによりも、いまの私が
「私自身については<はじまり>から見ているのに、愛していると思い信頼していると思う、亡くした家内のことを、家内が死んだその瞬間から遡って思い起こし、悲しみ続けるのは、家内に対して罪を犯していることになるのではないか?」

こう言いつつも、通勤の行き帰りはとくに、生前の家内と歩いた道を必ず通りますから、哀しい思いが消えることは一日たりともありません。それだけは、カアチャンに許しを乞おう。

ただ、もういちど、私は私が家内と夫婦になった「はじまり」に戻って、日々を見つめ直して行かなければならないのだな、と、この数日、切実にそれを思っておりました。

ほんとうの「はじまり」の部分はさておき、まずは我が子たちが生まれたその日を起点に据えれば、
「子供たちのこれからの成長のためには、夫婦として子供たちにどういう未来を、どんなふうに幸せに求めさせようか」
ということは、私と家内が、理屈抜きで、一歩一歩階段を昇りながら話し合い、笑い合い、楽しみにしてきたことです。

子供たちにとって、進学というひとつの節目を迎えたこの春、家内の声はもう聞こえませんけれど、聞いてきた声、それに応じたときの自分、という原点から、家内との会話をやりなおしてみよう。
そうすれば、声ではなくても、なにかが、その都度その都度での答えとして、耳に聞こえてくるのではないだろうか?

そのように思っているところです。

・・・ちゃんと、思い続けられるかなあ???



ケチャとサンヒャンの音の例示は、下記CDから引用させて頂きました。
音の世界遺産 バリのケチャMusic音の世界遺産 バリのケチャ


アーティスト:民族音楽

販売元:キング

発売日:1999/08/06
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2008年3月27日 (木)

寄り添う(2)〜弦楽四重奏

このお題、語るべきことが沢山あるのですが、語るのが怖いことだらけでもあり、間が大きく空いてしまいました。
弦楽四重奏でメンバーが寄り添うことについて、どう綴ったら伝わるかな、と迷っていました。
ですが、「寄り添う」というお題目で私に少しでもお話が出来るもので、伴奏付きソロに次いでもってくるべきものは、楽器1本ずつの集合体である、小編成の室内楽です。その中で最も作品数が多く、しかも、案外チャンとしたものを聴くなり演奏する機会がないのが、「弦楽四重奏」なのです。
・・・こいつをもってくるしかありません。

ソロ楽器がピアノ伴奏で演奏する際の「コツ」は、
「単に、『あ、次のところ、彼(彼女)の音の出し方だったら、こんなイントネーション、強さ、輪郭で弾いてくるな』を予測するだけ」
ということを、だいぶ前に述べました
ただし、その予測は、ソリスト側と伴奏側の双方でなされていなければならず、またその予測が一致していなければなりません。・・・アンサンブルは、突き詰めていくと、いくら編成が大きくなっても、この「予測一致の公式」が成り立つことが、いい演奏の大前提です。

純粋な管楽アンサンブルは、残念ながら私は少ししか経験したことがないので、事情に異なるものがあるのかも知れません。が、少なくともベートーヴェンの七重奏曲やシューベルトの八重奏曲でご一緒させていた(遊びで、でした。シューベルトは本来、初見では私ごときではとても手が出せません)経験からは、今回述べる弦楽四重奏とは、管楽器であっても異なることはないだろう、と思っております。
ただ、弦楽四重奏曲は、同じヴァイオリン属の楽器それぞれ1本ずつ、たった4本の楽器で演奏される点、たとえば「フルート四重奏曲」とか「ピアノ五重奏曲」を演奏するよりも・・・あるいはピアノだけに伴奏してもらうソロよりも・・・格段に難しい。見せかけのコミュニケーションで、たとえば旋律の動きがピッタリ合ったり、ブレス(弦楽も本来は適切な「ブレス」をとる必要があります)が一致していたりしても、音色感が異なったら、仕上がりはそれだけで台無しになる(これは後述する「弦楽四重奏曲の作られかた」に関係が深いことです)。それが弦楽四重奏の怖さです。さらに、当然、各メンバーの技術力に大きな落差があったら、まず弦楽四重奏としての演奏自体が成り立ちません。

・・・いきなりこんなことから入ったのは、自分が初めて「弦楽四重奏」を楽譜初見でやらされたとき(大学入学前の年のクリスマスでした)の衝撃が忘れられず、その後も「弦楽四重奏」に自ら加わって「いい思い」をすることが非常に稀で、今ではよっぽどでないと手を出す気にもなれずにいる、という原因を、少しアピールしてみたいからです。



半端にオーケストラ演奏をする方が、半端な弦楽四重奏をするより、遥かに気がラクです。

最初の四重奏経験をするまで、私は自分では
「簡単なレベルの楽譜であれば、初見でも弾ける」
程度の自信はありました。
そこへ、私の入っていた(恥ずかしながらコンサートマスターでした。コンサートマスターって何なのか、知らないままにやっていたのですけれどね)ジュニアオケに手伝いにきていて、翌年大学で先輩になるはずの人たちが、クリスマスコンサートが終わって、打ち上げをやっている最中いきなり、
「おい、Ken、カルテットやろう!」
まだケーキを刺したフォークを手にし、口に運ぼうとしかけたままの私を無理やり引っ張っていって、いつの間にか席を用意しておき、楽譜まで並べておいたのです。
曲はモーツァルトの初期のもので、緩徐楽章。これが、あとになって思うに、ファーストヴァイオリンを弾かされていたら、楽勝だったはずなのです。
あてがわれたのは、セカンドヴァイオリンでした。
セカンドヴァイオリンというのは、通常は簡単な伴奏音型の部分も多く、ポジションも低い位置で弾けますから、なめてかかった。これが災いしました。
モーツァルトの後期だったらなおさらダメだったに違いないのですが、それでも何とかごまかしがきいたでしょう。というのも、後期になると、ファーストヴァイオリンもしくはチェロが主役、という部分が圧倒的に多いので、仮にセカンドの私がメタメタでも、なんとか曲に聞こえるのです。
初期だった、というのが、落とし穴でした。この頃はまだ、モーツァルトの弦楽四重奏曲の作曲法では、ヴァイオリンは2パートとも同じ比重で書かれている。コンチェルト・グロッソの名残です。ですから、セカンドが弾けないと、音楽が崩壊するのです。・・・そんなこと、当時は、まだ知りませんでした。しかも、コンチェルト・グロッソと違って、私のパートを弾くのは私一人なのです。
勝手気ままにソロを弾いたり、オーケストラでもファーストだけが主旋律だと思って偉そうにしていた私は、このとき、まんまと先輩たちの陰謀にハマったのでした。
伴奏であるはずのセカンドにメロディなんかあるはずがない、と決めつけて楽譜を目にしましたから、もうこの時点で私は間違っている。敗北必至の状況におかれたわけです。
(あれ? メロディがない!)
演奏中、そんなことが起こって、慌てて自分の前の楽譜を見たら、メロディは自分の楽譜に書いてあるのでした。で、おっかなびっくり弾き始めようとすると、伴奏に回った他の3人が、わざと硬い音で弾いて、「おまえ、もっと大きく弾け!」とばかりに暗黙のプレッシャーをかけてくる。でも、私には其のメロディをどう言うニュアンスで弾けばいいのか、見当がつかない。結局、私はビビりまくって、最初の3、4小節を辛うじて弾いたきり、あとは全く弾けなくなりました。



自分の役割がその場その場でくるくる変わる・・・あ、ここは伴奏、ここは主旋律、ここは対旋律、というのが目まぐるしく入れ替わるのが、節約された編成である弦楽四重奏の作品には宿命とも言える性質です。
そもそもが、弦楽四重奏曲は、この曲種が誕生した頃に器楽世界でも重視されるようになった、和声学上の「四声体(ソプラノ・アルト・テノール・バス)」を自由に応用することを身上に作り上げられたものです。
したがって、「予測一致の法則」の適用範囲が、ピアノ伴奏のソロよりも広い。かつ、メンバー一人一人が、その作品を演奏するに充分な技術を持っていなければバランスがとれませんし、その技術は、決して「手先が同じくらい器用」なんてことでは済みません。弾いているのは4人でも、オペラでよく聞かせられるような、それぞれが個性を主張してまとまりがつかず、お客は誰が歌っているのを中心に聞くべきなのかが分からなくなる、そんな類いの四重唱のようであってはならないわけです。・・・4人であっても、極端にいえば、聖歌隊のように澄んだコーラスにならなければ、演奏する資格自体がない。


だいぶ慣れたあとに、私は弦楽四重奏で、もうひとつの苦い思いをしています。恒例の年度末アンサンブル発表会で、
「このメンバーではちょっと難しいかも」
と思いながら、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲第5番の第1楽章に挑戦した時のことでした。
事前に、演奏会に出掛けて見学し、ベートーヴェンのプログラムでの奏法を観察して研究もしました。教材にしたのは、スメタナ弦楽四重奏団のものでした。
彼らの演奏では、別のベートーヴェン作品でしたが、弓幅を非常に小さく用いて演奏していました。そんな演奏なのに、音が伸びやかになる。(今でも決して優秀とは言えない私の目が、当時はいまよりさらに劣っていたために誤解したのかも知れませんが、そのように見えたのです。)
で、ファーストを担当した私が、あえて弓幅を小さくしてみました。スメタナ四重奏弾のようなわけにはいきませんでしたが、そうすることで、他のメンバーとのバランスがよくなるから、と判断したのでした。
本番中は、非常に気持ち良く弾けました。音色感も、「あ、チャンとコーラスになっているな」というくらいに合っていた・・・それだけは、間違いないのです。それがスケールの小さい、縮こまった「コーラス」ではあったとしても。

演奏のあと、いつもは優しいコントラバスの大先輩(OBさんでした)に呼びつけられました。
誉めてもらえるのかな、と期待して行ってみたら、私の顔を見るなり、先輩は真っ赤になって私を叱りました。
「なんであんな弾き方をしたんだ!」
・・・弁解はしませんでした。広がりを抑制しての演奏に仕立て上げたことは、充分自覚していましたから。
でも、悔しくて、悲しくて、なりませんでした。

私自身、アマチュアとしても、決して高いレベルとは言えないヴァイオリン弾きです。
ですが、弦楽四重奏をやりたい、となると、「予測一致の法則」を分かり合え、せめて自分と同等に張り合って弾いてくれ、協調して響いてくれる仲間が必要です。かつ、私も相手(3人もの!)に共感出来なければなりません。
残念ながら、学生時代でも上の程度が精一杯で、その後は私は・・・いいかたにはたくさん出会えましたけれど・・・私と合う四重奏の仲間には恵まれませんでした(それは、一緒に四重奏をなさって下さったかたの方から私に対しても言えるのではないかと思います。それだけ、四重奏で同じ方向性の相方を見つけることは難しい。なにせ、3人探して揃えなければならないのです!)。
二重奏までは、なんとかなる場合があるのですけれど。三重奏でもまだ、2人までが「読み取り合える」のだったら、残るひとりを物差しにすれば、曲に仕上げることは出来るのですが。・・・あ、漫才やコントも、2人いれば出来ますよね。。。そんな漫才でさえ、「いい相方」探しは非常に大変だそうですね。
ただ、弦楽四重奏の場合は、漫才の相方探しとはまた違う条件での困難さがある。和声の基本である「四声」の応用として書かれている、ということが、そもそも「全パートが均質な」響き作りを要求していて、そのことが、本当に良い演奏の実現を大変難しいものにしているのです。

素人にしてこうです。
プロでやっていくことがいかに大変か、は、察しがつくのではないでしょうか?



二つの例をお聴き下さい。


 (ウィーン・ムジークフェライン四重奏団、1992年録音)
 リングアンサンブルで何度も来日しているかたたち、私の大好きな人たちの演奏ですが、
 ウィーンフィルや国立劇場の激務の合間に四重奏をやっているからでしょうか、
 メンバーそれぞれに掛け持ちのお仕事も多いせいでしょうか、
 しっくり来ない気がします。・・・どうお感じになられるでしょう?
 なお、ウィーンフィルにはコンサートマスターが弦楽四重奏団を組む伝統があるのは
 ご存知の通りですが、ボスコフスキー以後は実質上途絶えていたのを復活させたのが、
 この演奏でファーストヴァイオリンを担当しているキュッヘルさんです。


 (ベルリン弦楽四重奏団、1971年録音)
 録音当時は東ベルリンだったベルリンシュターツカペレのメンバーですが、
 オーケストラの傍らでの室内楽、という姿勢での取り組みではないため、
 前者に比べて丁寧な音楽作りをしています。
 ・・・ウィーンと当時の東ベルリンの経済事情差も影響はしているのでしょう。
 兼業活動が少なかったか、他にはやっていなかったために、アンサンブルに専心でき、
 本格的な弦楽四重奏団足り得たとの印象があります。
 そういう意味では、同時期の名弦楽四重奏団だったスメタナ四重奏団やバルトーク四重奏団
 と全く遜色がない、いや、場合によってはむしろよりすぐれた演奏をしています。
 このときのファーストヴァイオリン担当はカール・ズスケです。

練習風景まで見ることの出来る映像は少ないのですが、私が昔見本にしたスメタナ弦楽四重奏団のものとは違う曲ではありますけれど、練習場面まで含めて収録してあるDVDが出ています。
それこそ、スコアに真っ赤に鉛筆を入れ合っているわ、しょっちゅうメトロノームで「出だし・きっかけ」のテンポは確認しているわ、で、その練習の徹底ぶりは、アンサンブルをたしなむ、あるいは聴いて楽しむすべての人に目にして欲しいほど勉強になるものです。機会があったら是非ご覧下さい。

Smetana QuartetDVDSmetana Quartet


発売日:2003/04/22
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2008年3月26日 (水)

モーツァルト:2つの管弦楽ディヴェルティメント(1776)

ここまで読んできたモーツァルト作品の個々へのリンクを作成し直しました。ご利用下さい。



「管弦楽」と言ってしまうのは不適切で、西川「モーツァルト」(音楽之友社)の作品表(表29頁)にあるとおり、「弦楽器と管楽器のためのディヴェルティメント」と呼ぶ方が正しい作品です・・・弦楽器は独奏で演奏されますから(根拠は、スコア上に、たとえばヴァイオリンは合奏であればVioliniと複数型で表示されますけれども、これらの作品群ではViolinoと単数標記になっています)。

1776年には2作の「弦楽器と管楽器のためのディヴェルティメント」が作られています。
6月にはK.247ヘ長調(K.248の行進曲を前に置いて演奏される/ホルン2本と弦楽四重奏)、7月にはK.251ニ長調(オーボエ1、ホルン2と弦楽四重奏)が完成しています。

問題は、
・K.247はマーチを前奏にもち、通称は「第1ロドロンセレナード(但し、ドイツ語では「セレナード」の部分は「ナハトムジーク」)」となっている
・K.251は前回みた管楽ディヴェルティメントに類似した構造となっている
ところにあります。

先に、構成を比べて頂きましょう。

K.248&K.247
*Marche(64小節)
I. Allegro(4/4、182小節)
II. Andante grazioso(3/4、50小節、ハ長調
III. Menuetto(36小節&Trio(32小節)
IV. Adagio(2/2、81小節)変ロ長調
V. Menuetto(32小節)& Trio(26小節)
VI. Andante(16小節+1拍) - Allegro assai(1拍+243小節)、2/2

K.251
I. Molto Allegro(4/4、112小節)
II. Menuetto(32小節)& Trio(22小節)
III. Andantino(69小節) - Adagio (2小節、リタルダンド代わり)- Allegretto(16小節)イ長調
IV.Menuetto (Tema con variazioni)変奏は3つ。24小節×5(主部にダ・カーポするため)
V. Rondeau(Allegro assai - Adagio - Allegro assai、全259小節。Adagioはリタルダンド代わり、1小節のみ)
VI. Marcia alla francese(42小節)

「・・・え? どっちにも2つメヌエットがあるし、あとはマーチが最初にあるか最後にあるかの違いだけなんじゃないの?」
と、素朴にそれだけ疑問に思って頂いても一向に差し支えありませんし、これから綴ることも
「だからなんなのヨ」
と仰られてしまえばそれまでなのですが、ことはそんなに単純ではない、というのが、私のいつものひねくれ根性から来る観察です。



ご存知の通りかも知れませんが、セーレナード(セレナータ、セレナ−デ)とディヴェルティメントは元々区分の曖昧な曲種で、私の目にした狭い範囲の音楽史や音楽事典の類いでも、たとえば
「・・・17/18世紀におおよそ同じような意味で<娯楽音楽>(<食卓の音楽>も含む)をさしていた概念」(「図解音楽事典」白水社 147頁)
なんて具合に説明されています。

ですが、前回、モーツァルトの管楽ディヴェルティメントをハイドンのものと比べて眺めているうちに、
「・・・いやさ、事典で言うところの<おおよそ同じような意味で>って、結構クセモンじゃねえか?」
そんな捻れた感情が、胸の奥に広がってきました・・・肺ガンよりたちの悪い腫瘍かもしれない!

同じ事典の説明のすぐ下に、「セレナード(セレナータ)」はイタリア語の「晩」と「晴れた空の下で・野外で」が組み合わさった言葉であることが示されており、それに対してディヴェルティメントのほうは「気晴らし」・「娯楽」を意味している、とも記されています。

すると、前回に比較材料として見た、類似した性格のハイドンとサリエリの音楽は、サリエリが用いた「セレナータ」の方が音楽の内容に即したネーミングだったことになる、というのが一点目。
では、根本の造りが同じなのにハイドンの方は「ディヴェルティメント」とされているのは何故? というのが2点目。
で、前回述べていることではありませんが、モーツァルトについて言えば、彼の「セレナード」は屋外向けとは思えない大規模なものが大多数を占めていて、言葉の意味と音楽のあり方が逆転している、というのが3点目。
基本として、この3つの疑問が私の胸の「腫瘍」をかたちづくっています。

ベートーヴェンになると、小編成作品では「セレナード」と名付けられたものが1作(作品25)見当たるだけで、他はその作品の楽器編成によって括られるようになってしまっており、ディヴェルティメントという呼称はいっさい用いられていません。
本来なら、ハイドンより先行した人たちの作品表や、ディッタースドルフ、シュポアあたりも観察したいところですが、サボっています・・・ですので、以下の話は一般化出来ませんが、それを承知で多少暴走してみます。



まず面白いのは、ハイドンやモーツァルトと同時代の人の記録には、ディヴェルティメントやセレナードが「屋外で」演奏された、という明確な記録はあまり見当たりません。
「ハフナーセレナード」は屋外で演奏されたことは明らかですので、第3点目の疑問は現在の評価がンと言うフィルタからの印象に過ぎない、ということだけは、まず明確です。
それでも一方では、ハイドンの管楽「ディヴェルティメント」に現存作はないのですが、失われた彼の最初期の管楽アンサンブルは、ハイドンの無名時代には屋外・・・窓の下で演奏された旨が記されているのが普通です。
屋内で演奏されたか屋外で演奏されたかは深入りしても、あまり意味がないかも知れません。
それでも、モーツァルトに立ち戻りますと、管楽だけの「ディヴェルティメント」のほうが作品数としては弦楽器の加わらないものに比べ圧倒的に多く、創作された期間も長い(1768頃から1783頃まで)のです。管弦楽として明確にセレナードと称されているものはザルツブルク時代の終焉(1779)と共に二度と作られていません・・・少なくとも、特定の貴族をお得意様としていたあいだにしか、モーツァルトは「セレナード」には縁もなければ用もなかったわけです。(管楽合奏による「ナハトムジーク」K.388、弦楽の「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」のナハトムジークは、そのままイタリア語に置き換えればセレナードですけれども、今回は深入りしません。作曲された背景がザルツブルク時代とは異なるので、タイトル付けの要因は別に探らなければならないでしょうから。)

1点目と2点目は、単純に解消してしまう話かも知れません。
サリエリはイタリア人ですから、曲の性格にそぐう「セレナータ」という呼称を用いたまでのことで、ドイツ・オーストリア系の作曲家にとっては、この時期にはむしろ、管楽アンサンブルは「ディヴェルティメント」と呼ぶ方がしっくりきていたのではなかろうか、というだけです。モーツァルトがサリエリと同時期のウィーンで作った、サリエリとの類似作品は、管楽「ディヴェルティメント」なのです。

で、さっきの話だけでは私の中の胸のつかえが解消しきれない3点目が、腫瘍の最たる根っ子です。これは、
「1点目・2点目が上のような理解で合っているのだったら、<セレナード>と<ディヴェルティメント>には、何らかの相違点がはっきりと認識されていたのではないか」
という、大袈裟に言えば<セレナード/ディヴェルティメント別種説>を唱えたい衝動を私に押え難いものにさせてしまうのですから、とてつもなく悪性です。

管楽ディヴェルティメントを観察した際に「基準」とした、ハイドンの構成を、ここでもう一度見ておきましょう。
それは、次のような5楽章のつくりでした。
・速い楽章
・第1メヌエット
・ゆっくりの楽章
・第2メヌエット
・速いフィナーレ

では、ここでモーツァルトの「弦楽器と管楽器のための」K.251の構成を、もう一度。
I. Molto Allegro
II. Menuetto
III. Andantino - Adagio - Allegretto
IV.Menuetto (Tema con variazioni)
V. Rondeau(Allegro assai - Adagio - Allegro assai)
VI. Marcia alla francese

・・・メヌエットの位置が合っていますし、第5楽章まではハイドンの構成と軸は一致しています。ただし、ハイドンよりも少々凝っていることが読み取れ、そのために崩れた均衡を補うために(ただし、これは音楽の要件上の話であって、演奏されるべき場に合わせた想定から敢てこのように設計したという点は考慮しなければなりませんが)第6楽章に安定的なマーチを、しかも、あえて「フランス風」だなんて、「フツウジャナイノヨ、コノまーち」と、舌をぺろっと出しながら補完のために置いている。

K.247の方はどうでしょう?
I. Allegro
II. Andante grazioso
III. Menuetto
IV. Adagio
V. Menuetto
VI. Andante - Allegro assai

・・・メヌエットの位置が合っていませんね。第2楽章に余分にひとつ、ゆっくりした楽章を置いているのが直接の原因です。
ですが、これと同じようなことを、モーツァルトは「ハフナーセレナード」でやっています。
I. Allegro maestoso〜Allegro molto
II.Andante
III. Menuetto&Trio
IV. RONDEAU
V.Menuetto galante
VI.Andante
VII.Menuetto& Trio I & Trio II
VIII.Adagio〜Allegro assai

・・・こっちのほうが、K.247と似ています。K.247の第6楽章が、さらにもうひとつの第3メヌエットを挟んで拡大されているだけで、基本設計は「ハフナーセレナード」と合致しています。

「比べてみるとこんな具合ですから、行進曲の前奏をもつK.247は本当はセレナードが正しくて、K.251はディヴェルティメントでいいのです」
そう結論づけられればすっきりするのです。
でも、歯切れが悪くて恐縮ですが、この件についてはまだ問題点の追求を終えてはいけないのだろうな、と思っています。



思いとしては、セレナードとディヴェルティメントには、1770年頃にはドイツ・オーストリア圏ではある種の区分けの基準が、少なくとも作曲家の頭の中には存在したのではないか、という仮説を立てるに留め、
・モーツァルトの以前の作品をも再度振り返り
・比較対照する他者の作品を増やし
・ウィーン移住後のモーツァルトの意識をも作品から読み取らなければならない

これだけの課題を、K.247とK.251の2作から呈示されている、という確認で、今回はおしまいにしておきます。
(翌年作の「第2ロドロンセレナード」と称されるK.287は、むしろスコアの標題のままのディヴェルティメントとしての構造を持っていますし、管楽でも「セレナーデ」と明確に称されている1781年のK.375【ただしウィーンでの作品】も同様だったり、と、「課題」に答えるには難関となる事実も存在することを、あらかじめ申し上げておかなければなりません。)

K.247&248は下記CDに収録されており、名演です。

ウィーン室内合奏団の芸術Musicウィーン室内合奏団の芸術


アーティスト:ウィーン室内合奏団

販売元:コロムビアミュージックエンタテインメント

発売日:2007/08/29
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K.251は、この演奏あたり、面白いかも知れません。

モーツァルト:弦楽と管楽のためのディヴェルティメント集Musicモーツァルト:弦楽と管楽のためのディヴェルティメント集


アーティスト:ゼフィロ ベルナルディーニ(アルフレード)

販売元:BMG JAPAN

発売日:2008/01/23
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2008年3月25日 (火)

「夢」は、あとから。

正しい記憶ではないかもしれないけれど・・・
「この世は夢だァ」
というのは、歌舞伎『熊谷陣屋』の幕切れで、出家し旅立つ熊谷直実が涙声で叫ぶ台詞です*。

この歌舞伎、私が東京勤務になったとき、勘九郎(現:勘三郎)ファンだった妹が私を連れて行ってみせてくれたものでした。
ストーリーは、「討取った」はずの敦盛を実はかくまっていた直実が、あるじ義経が首実検に来るというので、やむをえず身代わりに自分の息子の首を切り、敦盛はその元家臣に委ねて逃がしてやる・・・直実の本心を知った義経は、敢て知らぬふりをしてその心意気を賞賛するが、直実自身は世をはかなんで出家する、という、歌舞伎得意のパターンです。

初めてこれを舞台で見たとき、なぜ最後のこの台詞が「涙声」でなければならないのか、違和感を覚えました。

家内を亡くして1年と3ヶ月経ちました。
倒れた家内を見つけてから、昨日の息子の卒業式まで、山積みの課題が降って沸きました。
家内のきちんとした埋葬までに、その死から1年もかかってしまいましたが、おかげで「誰もが満足する・・・死者も生者も・・・埋葬」とはどんなものか、を、当事者としてはたぶん誰よりも数多くのことを調べ、知り、良い結果に繋げることもできたと思っております。
同時進行で、娘の受験と進学、肥満児だった息子の体質改善対策、自分自身の保険のかかりかたの問題、家内が残してくれたものの整理、と、思いつくだけでそれだけのことが頭の中を占領していました。途中で、最も信頼していた年長の友人、Hさんがやはり急死なさったことも、大きな痛手ではありました。
そんなこんなで、目先のことにばかり精神を占領される愚は百も承知でしたから、ブログを何とか続ける、オーケストラも何とか続ける、と、意地も張り続けました。

目先のことがひとつ片付くたびに、今度は緊張感が抜けていき、疲労感を覚えるだけになっていく自分に気づきました。ひとつのことが片付くたびに、その翌日は体のチカラが抜けました。
とどめが、最後に残っていた、昨日の息子の卒業式でした。
これまでと同じように、今朝また、起き上がれなくなり、午後出社しようとしたものの、電話口の向こうで私の声を聞いた上司が
「休め!」
と言ってくれました。
仕事を、休みました。

昼過ぎまで眠ってしまい、目が覚めてからちょっとした家事をやり、夕方になってから、ひとりでコーヒーショップでちょっとだけ読書し、あとは暮れ始めた道をぶらぶらと歩きました。

歩きながら、直実の、冒頭の台詞を思い出していました。

この世は、夢なのか?

1年3ヶ月は、過ぎてしまい、用が済んでしまってみれば、確かに悪夢を見ていたとしか感じられませんでした。いまでは家庭も、ただ「家内が帰って来ない」だけで、私の生活も、子供たちの生活も、家事の分担を決め合ってやるようになった以外、何の変化もありません。・・・これは、夢から醒めたからなのでしょうか?

卒業文集に、子供たちはよく、「将来の夢」というお題の作文を書いています。
比喩的ではない、生理的に見る「夢」にも、「予知夢(正夢)」というのがあります。
でも、「夢」とは、将来を見るものではなく、過去を呼び起こすのが本来のすがたなのではないか?

子供は、自分の将来を、自分の力や周囲の援助で現実的な戦略を立てながら築き上げていきます。成否は別として、これは「夢」などではなく、生きていくための、ある意味でしたたかな計算を身につけていくために、たとえばウチの息子のように
「チャップリンのようになりたい」
という<目標>を持つのです。

「夢」とは、今日眠る、その瞬間よりも以前のことを見させてくれるものなのではないか?

Tanjoまだ半分までしか読めていないのですが、杉山欣也さんが「『三島由紀夫』の誕生」(翰林書房)で遡ってみせている「三島由紀夫」は、「三島由紀夫」が、自らの「幼い」目標をどのような戦略(それが自覚的なものではなかったにせよ)を経て「三島由紀夫」になり得たのか、を、文学研究者としてはおそらく初めて、正しい方法論でフォローした研究ではないか、と、私は今、杉山さんの文章に、上に述べてきたような自分の感慨を重ね合わせて読んでいます(リンクしたAMAZONの頁に、つたないレビューを綴ってみました)。
ただし、実は私は文学青年ではなかったために、読んだ小説は限られていまして、三島作品はつい昨年、ご教示で『春の雪』を読んだことがあるきりです。
ですから、「三島由紀夫」を語る言葉は、私自身は持っていません。
なので、杉山さんの本の半ばまで読んだところで・・・これを私は「歴史の本」として読んでいたことに気が付きましたので・・・恥ずかしながら、ようやく
「あ、杉山さんがターゲットにしている『花ざかりの森』そのものも読まなくっちゃ」
と、今日の散歩のおり、初めて手にした次第です。

杉山さんの本文は読了後あらためてご紹介しようと思っております。

まだ読み始めたばかり(一気に読もうと思えば読める長さなのですが、敢てそうしませんでした)の『花ざかりの森』本文の「序の巻」に、「三島由紀夫」は次のような一節を記しています。

追憶は「現在」のもっとも清純な証なのだ。愛だとかそれから献身だとか、そんな現実におくためにはあまりに清純すぎるような感情は、追憶なしにはそれを占ったり、それに正しい意味を索めたりすることはできはしないのだ。それは落ち葉をかきわけてさがした泉が、はじめて青空をうつすようなものである。(新潮文庫、10頁)

この文単発では作者の意味したいものは完全には現れていません。節を分けて、作者はまたこう述べています。

馬はなんどもつまずき、そうして何度も立ち上がりながらまっすぐに走っていった。もう無垢ではない。ぬかるみが肌をきたなく染め上げてしまっていた。ほんとうに稀なことではあるが、今もなお、人はけがれない白馬の幻をみることがないではない。祖先はそんな人を索めている。徐々に、祖先はその人のなかに住まうようになるだろう。ここにいみじくも高貴な、共同生活がいとぐちを有つのである。(同上、12頁)

引用した最初の文には「潮騒」的な、あとの文には「春の雪」的な、作者のものの見方を感じるかも知れませんが、それは後年そうした作を「三島由紀夫」が作り上げたことから遡り得るからこその印象であって、後年の作品を連想しながら『花ざかりの森』を読むのは誤りだ、ということは肝に銘じておかなければなりません。
・・・そしてそれは、どんな人の、どんな作品(小説ではなく、詩であっても、また音楽であっても)に<私>を委ねる時にも、同様に心がけなければならないものだと思います。

1年3ヶ月の「夢」のただなかにいてしまったが故に、なのかもしれませんが、このことは、私にとっては今、たしかに何もかもが「追憶」であり、たしかに「無垢ではなくなった」がゆえに「祖先に索めてもらえる」自分を(過去、そんなことが一度でもあったかどうかを知らぬまま)取り戻したいという切実な問いを投げかけてくる、ひとつの厳粛な想念です。

「追憶」こそが、「夢」という語と等価におかれるべきものではないのか?

私が眼前にかかえ、それゆえにこれからも少しは私を生への執着へと結びつけるものは、他にはないのではなかろうか、と、夕暮れの道を歩きながら、そんなことを思いつつ、今日一日を終えた次第です。

・子供たちには、「目標」へ向かって確実な戦略を応援してやり
・私自身は、「夢」をたどりなおして、人間のなかのひとりとしての精神を見定めなおす

私のするべきことは、そんなようなことなのでしょうか・・・

またもわけの分からぬことを綴り、失礼しました。

杉山さんの本は、いわゆる<三島事件>の記憶を強烈に先入観として持つかたには視点を変えて頂くために、先入観のないかたには本来私たちが持っていなければならなかったはずでありながら見失われてしまった精神史を少しでも埋め合わせて下さるために、是非読んで頂きたい「逸品」です。

綴り残していることがあるのですが、またの機会とします。



*調べましたら、正しくは、「十六年はひと昔。ああ夢だ、夢だ」でした。

Book「三島由紀夫」の誕生


著者:杉山 欣也

販売元:翰林書房
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2008年3月24日 (月)

曲解音楽史:31)マルコの帰路に沿って-2(インドシナ大陸部)

前の回:1)音という手段 2)リズムの成立 3)音程から音階へ
    4)言葉と音楽  5)トランス 6)古代メソポタミア
    7)古代エジプト 8)古代インド  9)古代中国 10)古代ギリシア
    11)古代ローマ 12)初期キリスト教の聖歌について
    13)ササン朝ペルシャ  14)西暦5,6世紀ユーラシア音楽横断
    15)中世前半の西ユーラシア  16)唐朝と朝鮮・日本 17)「声明」の伝来
    18)モンゴルと中央アジア北方 19)「十字軍時代」の西ユーラシア
    20)日本固有(?)の古歌 21)グレゴリオ聖歌
    22)平曲と能楽:付)発声法について 23)アンブロジアン聖歌・ローマ聖歌
    24)西ヨーロッパ中世 25)ジョングルール 26)十字軍時代前後のイスラーム
    27)ペルシア伝統音楽〜中世からの遺伝子 28)インド中世 29)宋・元時代の「中国」
    30)日本の「オラショ」



マルコ・ポーロは、海路で帰郷するのですが、私の手にできた訳書(校倉書房、1960【1983年23刷】)巻末に付いた地図では、インドシナ大陸部(今のヴェトナム、カンボジア、ラオス、タイ、ミャンマー)によれば、マラッカ以外寄港していません。この地図、地名の記載も少なく、こころもとないものです。ですが、本文中にも、大陸部に寄港したらしい様子がうかがわれる箇所がありません。

それでも、中国の泉州を出発したあとには「インドの話」として、インドだけではなく、<インド>ではない諸国の話まで、おそらくは殆ど第三者からの伝聞によって(あるいは「東方見聞録」じたいが個人の記述ではなく、伝聞の集成である可能性もあるかと思うのですが)154節(章?)以下に記していまして、その最初のものがチパング、すなわち日本だった、という次第です。

続いて現れるのが「チャンパ」です。現代のヴェトナムですが、マルコ・ポーロが航海した元の時代には、この周辺の領域図は現代とは異なっています。

「チャンパ」は、現代のヴェトナムの直接の先祖ではありません。しかし、マルコの記事に現れるのは、あくまでチャンパです・・・これは、当時のインドシナ情勢上、まだ当然のことです。ですが、マルコ(「東方見聞録」)の記述が本当にチャンパのことを記しているのかどうかは、怪しいところです。

元朝を含む中国の歴代王朝は、現在のヴェトナムの主要民族であるキン族の支配する領域(現在の都市フエよりもやや北方が南限)を、自王朝の支配下にあると見なしていました。実際、ヴェトナムが中国から独立したのは西暦968年のことです。ヴェトナム側からみれば、以後、自国は中国(独立当初は宋朝)への朝貢はするものの、干渉は退ける立場を貫いている、という明白な意識がありました。
チャンパは現在のヴェトナム南部に存在した別個の国で、こちらは中国側の認識としても、あくまで独立国でした。
チャンパ(林邑)はしかし、マルコの寄港当時は衰退期に差し掛かっていました。
これはキン族とて事情は同じなのですが、インドシナは現在のタイやカンボジア、ミャンマーの人々が抗争を繰り返し、それぞれの主要民族の治める領域が15、6世紀まで安定しませんでした。
そんな抗争の中で、わりあい力を持って振る舞っていたチャンパですが、12世紀初頭から13世紀初頭の百年間にわたるクメール(現カンボジア)との戦争のあいだに併行して内紛が生じ、北方で確実に地歩を固めていたヴェトナムに大幅な譲歩をし、南方のみに領土を縮小していき、18世紀には姿を消します。

話は変わりますが、インドシナ諸民族の発祥の地は、アルタイ山脈の麓からチベットのあたりにかけてだった、と考えられています。すなわち、インドシナ大陸部に現在住んでいる人々の祖先は、北から移動してきた、というわけです。
すると、音楽も、当然、より北方に起源を持つであろうことが推測されます。
民族も、また(曖昧な点は残っているそうですが)言語のルーツも、それぞれ微妙に異なりますが、現ヴェトナムの大多数を占めるキン族は雲南省と密接な関わりがあったと思われます。言語も、シナ・チベット語族に属しています。
では、その祖先はどんな音楽を奏でていたか。
原典資料を目に出来なかったので定かではないのですが、出土した古代の遺物は中国同様に青銅器を主体としたもので、銅鼓などが発見されています(ドンソン文化)。
銅鼓であれば、ガムラン音楽を連想するのが自然です。
ところが、今、ヴェトナムで奏でられている伝統音楽には、銅鼓系の打楽器は登場しません。
また、雲南省方面の諸民族の音楽は撥弦楽器やフルート系の笛が主のようですが、ヴェトナムの伝統音楽では二胡やリードを鳴らす管楽器で、雰囲気は明朝以降の京劇の音楽に似ています。ただし、そんな中でも比較的打楽器が多く活躍するのが、次に掲載する音楽です。


 「ベトナムの儀礼音楽」KING RECORDS KICW1063

伝統音楽からみた現ヴェトナムは、むしろ中国の中央に近い南部との繋がりを思わせますが、それは同時に、独立国となってからの対中国政策(遜るが妥協しない)を明確に反映し、音楽は「中国に対し遜る姿勢を表現するための道具」として発展したのではないか、と感じさせられてしまいます。
とはいえ、その芯の強い響きには、ガムランとはまた違う強烈な個性をも覚えさせられます。
さらに脇道にそれますが、銅鼓はインドネシアのガムランの他、ミャンマー(ビルマ)に伝統を残しています。(ミャンマーの方の演奏例は、残念ながら手にしておりませんが、写真が残されているのを確認しました。)

話をチャンパに戻しますと、日本の雅楽に「林邑楽」と称されるものが残っています。
歴史的な経緯からすると、チャンパはもしかしたら全く違う系統の音楽文化を持っていたのかも知れませんが、そうでなければ、本来はヴェトナムに残っていなければならなかったはずの銅鼓系の・・・ガムランに近い音楽が奏でられており、それがさらにインドネシアへと伝わった、とも考えたいところです。なぜなら、消えてしまったチャンパも、今は大多数がイスラム教徒となったインドネシアも、マルコの頃にはヒンズー教国だった、という共通点があるからです。
ですが、「林邑楽」は、聴いてお分かり頂けますように、かなり日本化されていますので、今となっては、チャンパの音楽の本来の姿は想像することもできません。


 東京楽所「雅楽の世界(下)」コロンビアCOCF-6196

まとめますと、ヴェトナムは独立と共に、おそらくは自国のものであった「雲南系」の音楽を、より中国の中央に近い性質のものへと転じたのかもしれず、ヴェトナムに圧迫されたなどの要因で滅びさったチャンパは、もしかしたらガムラン系の音楽を奏でていたかも知れません。

ついでながら、「東方見聞録」には現れませんが、タイの伝統音楽には擦弦楽器によるものがあり、これは彼らのルーツがアルタイ山脈方面である、という説と合致しますので、興味深く思われます。

ソードゥアンという楽器の独奏
 「タイの古典音楽」KING RECORDS KICW1030

・・・なお、この曲で使われてはいませんが、タイの伝統音楽で多用されるかすれた音は、わざと出してるもののはずで、しかも、技術的に大変高度です。ヴァイオリン属で言うと「フラウタート」と呼ばれる技法と同種のもので、弦を鳴らす弓の当て具合を微妙に調整して、弦を押えている場所で本来出る音のオクターヴ上あるいは倍音列上の違う(高めの)音を出す技術です。西欧音楽では技法は伝承されているものの、作品上では(変わった現代音楽を除けば)殆ど用いられていません。確実な演奏の習得がフラジオレット(指で弦を押えるのではなく、弦に触れるだけにして倍音を出す)よりもむずかしいからです。・・・余談でした。


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2008年3月23日 (日)

家内の誕生日

今日は家内の誕生日です。
が、明日、息子の小学校卒業式なので、お祝いは明日一緒にしてやろうと思っています。

生前は私より2つ半年上でした。ですので、誕生日が来ると、半年は3つ年上ですから、それをネタにからかうのが、私の楽しみでした。
「50にはなりたくないなあ」
が、四十代後半になってからの家内の口癖でしたから、彼女の50歳の誕生日は、私にとって密かに楽しみに思っていたイベントをやるつもりでした。
実現せぬまま、家内は、なりたくなかった50歳にはならずに済んで、体を脱出してしまいました。おまけに、今年は私が誕生日を迎えると、家内の「体のトシ」に追いついてしまう。これからは、超えていくばかりです。
「からかってばっかりだったからだよ〜」
ヤツは、もしかしたら今頃、舌を出して笑っているかも知れません。悔しいなあ。

バースデイプレゼントをほしがらない人で、困りました。アクセサリ類は渡しても身につけない。音楽の教師でクラシック系の歌が好きだから、と、選りすぐりのCDを選んでも、通勤に使っていた車で鳴らしているのは、何年経ってもディズニーアニメのテーマミュージックだけでした。預け先に送り迎えされていた子供たちは、ディズニーだけを聴いて大きくなっていってしまった。
辛うじて身につけさせるのに成功したのは、卒業式などの式典用のコサージュとブローチくらいでした。

私が中学時代からいちばん好きだった曲が、これでなければダメだ!と決めていた演奏でCD化されたのを見つけて、
「これ、好きなんだ!」
と聴かせたこともありましたが、帰宅すると家事に忙しかった家内は、結局は一緒にじっくり聴いてくれることはありませんでした。

もう、聴いてくれる時間があるだろうから、今日はせめて、その音楽をアップします。

(16分13秒)
 (バルビローリ/シンフォニア・オブ・ロンドン、1962年録音、モノラル化しました)
  EMI CE33-5245

・・・森の木々が、風にそよぎ、風はときに強くなってはまた静まり、木漏れ日がちらちらとよぎるだけの、ほかになにもない時間が過ぎていく。

お時間がおありでしたら、おつきあい下さい。(色の変わった部分のリンクを右クリックで、別ウィンドウで聴けます。)

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2008年3月22日 (土)

思いやり

欲しい、欲しい、と強く思いすぎれば過ぎるほど、手に出来ないもの。

あげたい、あげたい、と押し付けがましくなるほど、いやがられるもの。

でも、
「あ、いま必要なんだ」と思わず差し伸べてしまった手からは、自然にこぼれ落ちるもの。

「そうか、こうしてもらうことが嬉しかったのか」と、それまで気づかずにいたほど、有り難く受け止められるもの。

「思いやり」って、たぶん、そんなものなのですね。


 From "TIBET:CHANSONS DES SIX HAUTES VALLEES" Buda Musique 3016784

西チベットに伝わってきた、チベットのアルファベットを教えるささやかな歌です。
残念ながら、収録したCDに歌詞の掲載がありません(フランス原盤で、歌によってはフランス語と英語に訳された歌もあるのですが)。

子供たちが言葉を覚えるための、この柔らかな歌を作った人は誰だったのか、明らかではありません。

・・・こうした、「無記名」の歌は、だからこそ、どんな歌よりも自然です。
・・・歌う人も、素朴な喜びをもって歌っている。

優しい歌のように、世の悩みが、本来なら思いやり合えるはずの人同士によって「優しく」対話され、解消に向けて一歩でも前進して下さるよう、この無力な私は、ひたすら静かに祈りを捧げ続けたいと思います。

チベット:西チベットの歌
販売元:タワーレコード @TOWER.JP
タワーレコード @TOWER.JPで詳細を確認する

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聖金曜日でバッハの誕生日!

Curraghさんが昨日の記事にコメントを下さったので、NHK教育テレビでバッハの「ヨハネ受難曲」全曲演奏をやることを知りました。
これを綴り始めた時間(22:40頃)は、貴重な解説が終わりかけで・・・娘のレッスンで出掛けており、夕食をとって帰ってきたので、聞き逃した部分が残念です。
でも、なんとか本編には間に合いました。

・・・実は、現存するJ.S.バッハの2つの受難曲では、私は「マタイ」よりは「ヨハネ」が好きでして、先日Curraghさんのブログの記事に、その旨コメントさせて頂いておりましたので、非常に嬉しいニュースでした。・・・今始まりました。
初来日のオランダ・バッハ協会合唱団・管弦楽団(1922年以来活動を継続している団体だそうです、すごいですね!)で指揮はヨス・ファン・フェルトホーベンというかた。いわゆる「古楽」の団体です・・・ただし、フェルトホーベンさんも、多分アピールのために「古楽」という言葉をお使いなのでしょうが、「古楽」はもはや死語と言っていいでしょう。
この演奏で試みられているのは、現代の私たちが知りうる限りでの<バッハ当時の規模>で、<バッハ当時の演奏様式>で「ヨハネ受難曲」を響かせる、ということです。
で、冒頭を聴いただけで、この試みは、充分成功していると思います。
近代的な唱法では苛烈になりすぎやすいこの受難曲の冒頭部が、音型そのものに込められた静かな「悼み」の感情を良く表現しています。
ご覧になれなかったかたのために、また放映して欲しい・・・始まったばかりなのに、そう思っております(番組は0時40分までで終わってしまいます)。



「受難曲」はヨハネについては自分が伴奏に参加するチャンスが目前で頓挫したきりで、ナマで聴いたことがありません。
「ロ短調ミサ」は、ドイツ在住の知り合いが加わった、今日の放送よりも大きな規模の「古楽オーケストラと合唱」でナマを聴いています。

惜しいのは(これは日本ではやむを得ないのですが)、「教会」ではなく、「小さめのホール」での演奏であることでしょうか? 加えて、今、電波を通じてしか私は触れていない。

ブログをはじめてから、大バッハその人のことを綴るのは初めてです。
「ヨハネ受難曲」を巡って、私の手元で分かる限りのことを、少しだけ知ったかぶりさせて頂きましょう。



まず、標題を「聖金曜日でバッハの誕生日!」としましたから、そのことについて。


ヨハン・セバスティアン・バッハは、1685年3月21日にアイゼナハというところで生まれています。アイゼナハは、ワーグナーの「タンホイザー」の舞台として有名なヴァルトブルクの麓にある町です。父のアンブロジウスは、この町で1671年10月1日からオルガン奏者と宮廷楽団員を勤めており、奉職するとすぐに、アイゼナハで最も高く評価される音楽家となりました。
ヨハン・セバスティアンはその8番目の子供(末っ子)です。1番上の兄は1670年に生まれて7ヶ月で亡くなっており、2番目の姉(アンブロジウスの6番目の子)は1680年に生まれて、セバスティアンの生まれた翌年に6歳で亡くなっています。他に、3番目の兄、4番目の兄が、十代で亡くなっていますし、他の兄弟姉妹も、最も長い人で51歳で亡くなっており、結果として65歳で死んだセバスティアンがいちばん長命でした。・・・セバスティアンが10歳の時に父が死去し、セバスティアンは次兄のもとで音楽教育を受けたエピソードは有名ですね(セバスティアンの息子、クリスチャンも似た境遇で育ったのでした・・・)。以降のことも簡単な伝記類ですぐ分かりますから、ご存知の方も多いと思いますので、省略します。


聖金曜日については、ご存知かも知れませんが、イエスがゴルゴタの丘で磔刑に処せられたのを記念する日です。それゆえまた、毎日ミサを行うのが通例であるカトリック教会・修道院は、一年のうちでこの日だけはいっさいミサをあげないそうです。イエスが十字架にかけられたのは午後1時、息を引き取ったのは午後3時ということになっています。で、教会によっては、この時間帯に、飾りのいっさいない(ロウソクも灯されず、音楽も演奏されない)聖堂で黙想を続けるのだそうです。
聖金曜日は、イースターの前7日の「聖週間(受難週)」に含まれていて、それが何月何日になるかは年によって変わります。これは、西暦325年の「第1回ニケア公会議」の決定に基づくもので、イースターは「春分の次の満月後の最初の日曜日」とされたことによります。今年の春分の日は3月20日(西暦)で、満月は・・・たしか、今日だったっけ? いずれにしても、ですから23日の日曜日がイースターなので、遡って今日が聖金曜日、ということになるわけです。
ただし、これも現状では東方教会と西方教会で差があります。イースターを決める暦が、東方教会では古くからのユリウス暦であり、西方教会ではグレゴリウス暦であることがその理由で、それぞれで春分の日の決め方が違うのです。すなわち、それぞれの暦で言う「春分の日」は、実は天文学的な春分の日とは違っているのです。ユリウス暦の方が、現時点ではグレゴリウス暦と13日の差があるそうですし、日付は3月21日に固定している(「第1回ニケア公会議」を遵守している)ため、東方教会での春分の日は今年はグレゴリウス暦を元にした普通のカレンダーで言うと、4月4日(3月21日の13日後)になります。で、そのあとの満月は4月19日となりますから、東方教会の聖金曜日は、今年は4月17日なのです。・・・ややっこしい話で、スミマセン・・・何で謝らなくちゃならないか分からないけど。


さて、『ヨハネ受難曲』
曲の解説は、よしておきましょうね。お好きならCDの解説なんかでお分かりになりますし、解説なんて出来るほど曲そのものを私が知っているとは、とても言えませんので。リンクしたWikipediaの記事あたりをご覧頂ければよろしいでしょう。
おおまかなことだけ述べます。
初演は1724年4月7日(当然、聖金曜日でした)、場所はライプツィヒの聖ニクラウス教会。
バッハは当初、別の教会(聖トーマス教会)で初演すると思い込んでいたらしいのですが、これは次のような事情で変更されました。
ライプツィヒでの受難曲演奏は、少なくとも1721年以来、聖トーマス教会と聖ニクラウス教会で一年交代でなされていました。1721年にはクーナウの『マルコ受難曲』が聖トーマス教会で、翌1722年(クーナウはこの年に亡くなります)には同作品が聖ニクラウス教会で演奏され、1723年にはまた場所を聖トーマス教会に戻して演奏されていました。(クーナウのこの受難曲は断片的にしか残っていないそうですが、式典にふさわしい出来だとして市参事会の支持を受けるだけの高い質は伺われるとのことです)。バッハはおそらく、その辺の事情を何らかの理由で認識していなかったのでしょう。『受難曲』を担当するのが初めてだった、ということに起因することだったのかも知れません。とにかく、『ヨハネ受難曲』は、バッハにとっては『受難曲』デビュー作だったわけです。
なお、ヨハネ受難曲には翌25年に改変された版が残されており、再演されたことが明らかです。このあと再演されたと推定されているのは、1732年、1749年です。それぞれの年に、やはり改変版が存在する、というのが推定の根拠です。
『マタイ受難曲』は1727年の初演のあと、36年、42年の再演があった、と、こんにちでは考えられています。1731年作の『マルコ受難曲』は、残念ながら完全なかたちでは残っていません。音楽は1727年作のBWV198を転用した、と信ずるに足る資料があるので、復元が可能ではあるとのことです。学生時代、レコードで聴きましたけれど、印象に残っていません。バッハの「死亡記事」では、彼は5つの受難曲を作ったということになっていますが、現時点までの研究では、1曲については全く分からず、残る1曲は、もともと他人の作である「ルカ受難曲」にバッハが手を加えたものであろうと考えられています。)

なお、今日・・・あ、日付が変わって昨日になってしまった! シマッタ!・・・の小規模な演奏がなぜこの規模を選択したのかは、解説を聞き損ねたので分かりません。
史実としては、バッハは初演までに合唱人員、器楽演奏人員をできるだけ増やす工作をしていますが、当初市参事会が想定した人数がどれくらいで、バッハはそれをどの程度の人数まで拡大したかったのか、手元資料では確認出来ませんでした。
ですので、弦楽器(リュートを除く)が5、6名、という今回放映された演奏は、もしかしたら「切り詰め」過ぎなんじゃないだろうか、というのが、正直な感想です。

それでも、美しい演奏でした・・・って、綴り始めたときはまだ演奏を聴きながら、見ながらだったんですけれどね・・・もうすぐ終わっちゃう!

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著者:礒山 雅

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Bookバッハ (新潮文庫―カラー版作曲家の生涯)


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2008年3月20日 (木)

音楽と話す:楽譜って、どんな姿?(1)

楽譜さんとの会話は、

「わたし(=楽譜)は、もともとは姿かたちが見えないものなのよ」
「へえー、そうなんですか、知らなかった!」
「でも、見えないから、誰よりも何よりも美しいのよ! お分かり?」
「ヘヘーッ!(平伏)」

という、とにかくもう、あちらさんの一方的な押しつけにただ「納得させられる・納得した振りをする」しかない状態で始まってしまいました。

「でもですねえ・・・」
そう、反論するところから、進めて行ってみましょう。

「でもですねえ」
「なんですの」
「仮でもいい、なんとか、あなたのお姿を、この目で実際拝見するわけにはいかないんですかねえ」
「難しい注文をなさるのね」
「は? そんなに大変ですか? だって、あなたの分身さんが、楽器やさんにいっぱい並んでるじゃないですか?」
「じゃあ、そこで私の姿はご覧になっているのだから、これ以上、もう御用はないでしょ。さようなら」
「あ、待って下さい、違うんです!・・・その分身が、ほんとうにあなたのすべてなのか、というと、そうじゃありませんでしょ? そこのところを、何とかお教え頂きたいのでして・・・」
「でしたら、お店で売ってる<私の分身>なるものを沢山お集めになって並べてご覧になれば、わざわざわたしから聞き出さなくたって、ご自分で分かるんじゃないですか?」
「そんなもんですかねえ・・・」
「さよなら」
「あ、だから、ちょっと待って下さい! じゃあ、こういうかたちで見せて頂くのは如何? そう、お店じゃお目にかかれない、でも<目で見られる分身>というのも、あなたはお持ちなんじゃないですか?」
「・・・まあ、なくはないかな」
「とりあえず、それでいいですから。」
「・・・なんだか失礼なもののいい方なさるかたね。まあ、いいわ。でも、それをご覧になっても、多分、私の美しさはお分かりになりませんわ」
「そんなはずありませんよ」
「本心でそう思ってらっしゃる?」
「心から!」
「仕方ないわねえ。じゃあ、とりあえず、こんなところから。これはちょっと、お店とやらではお目にかかれないものばっかりでしょうから」

そう言って楽譜さんが、空中に向かって三枚ほど、ぱあっとまいたものがありました。
4つ目だけは投げつけてきました、石の板! あぶないことするなあ!

こういうもの、です。

1番目
Hugagakukan

2番目
Huutaieguchi

3番目
Husou

最後
Hugreek

「・・・???・・・」
「どう?」
「これ、楽譜さんの分身なんですか?」
「そうよ。なにかご不満でも?」
「字、バッカリですね」
「だって、私を目に見えるようにするために、人間という連中が最初にやったのは、このかたちからですもの」
「・・・でも、ちっとも分からない」
「分かりたかったら、それぞれに専門に携わっている人間さんがいらしゃるから、そう言うかたに教わりに行きなさい。私からは紹介してあげられないから、自分で探してね」
「むう・・・」



「書かれた楽譜」の起こりは、音楽の起源同様、分かっていませんよね。
ですが、音楽の起こりよりは少々推測しやすいのは、「歌う」に当たって、歌の姿を「何とか書きとめておきたい」もしくは「書きとめておいて欲しい」という欲求・要求が起きる、何らかの事態があったからだ、ということは言えるでしょう。

今日あげたサンプルは「文字譜」で、普通に言葉を表現するための文字(漢字、仮名、アルファベット)を、読み方に特別な約束事を設けて「音楽を表現する」ことにしたものであり、「音楽を書きとめる」という面ではいちばん最初に思いつきやすそうな方法がとられています。(<楽譜さん>の言葉にも関わらず、こうした「文字譜」が、本当にいちばん最初の楽譜なのかどうかは分かりません。研究者の方もご存じないことだと思います。エジプトの壁画に、合奏の場面が描かれたものがあって、そこに指揮者のような人が立っていることが多いそうなのですが、この指揮者風の人の手の位置がある音を表している・・・なので、合奏の壁画自体が楽譜なのだ、という説もあったりします。)

選んだ図版は、古代ギリシアのものを除き、「古い例」ではありません。で、各々に、
・単に日常の文字を使うだけでなく、音の長さや高さを表す補助手段を併記している
という特徴があります。これは、古いものをたどって行くと、今回載せたものほど細かい記号の記入がなかったりします。

私は専門家ではなく、正しいことは分かってはいませんので、それぞれについては、ご興味に応じて、<楽譜さん>の仰る通り、専門のかたにお聴きになったり、手引書をお読みになるのがよろしいかと思います。

概略だけ申し上げておきます。

最初のものは日本の雅楽で最も有名な「越天楽(平調のもの・・・越天楽には幾つかの違った旋法を用いたものがあり、それぞれ現代の私たちには全く別の音楽に聞こえますが、これは黒田節のもとになった最も知られている旋律のものです)」。その管楽器のパートを横並びで記したものが「はじめての雅楽」(笹本武志著 東京堂出版)に掲載されていたので、それを引かせて頂きました。
いちばん右に、曲のタイトルや調(旋法)、拍子(テンポ)について記されています。調や拍子については、高価ですが「雅楽 伝統音楽への新しいアプローチ」(増本喜久子著 音楽之友社)が、素人でも出来るだけ詳しく知りたいという時には、今なお最も分かりやすい本です。
・・・で、それぞれの楽器。
篳篥(ひちりき)と龍笛はカタカナと漢数字が使われているのですが、大雑把に言えば、この組み合わせで音程と抑揚が分かる。「でも、長さは分からないんじゃないか?」と思われるか知れません。これは、仮名の表記と右側の点(五線譜などの小節線に当たります)で分かるようになっています。
右端の笙の譜だけ、漢字のようで漢字でないですね。笙は和音を鳴らす楽器ですから、決まった和音を出すための指の押えかたについて記号が決めてあって、それが譜に書かれているのです。その記号が、この、漢字のようで漢字でないものの正体です。

二番目のものは、能楽の「謡(うたい)」のもの(謡本【うたいぼん】)です。能の場合は振り付け用の本も別にあって、見かけは非常に似ていますし、残っている世阿弥の直筆の本には両方が入り交じっている様子が見て取れたりします。この混在型の方が本来は「プロ」用で、「能本」と呼ぶそうです。
「謡本」は、能の台詞が書かれた右に「ゴマ」と呼ばれる点が付されていますが、数種類あることがお分かり頂けると思います。この「ゴマ」によって、フシとリズムが付けられているわけです。謡本の登場は室町後期だそうです。なお、ゴマの他に、抑揚や曲想を示す注記がある点にもご注目下さい。(図版の引用、説明の参考資料とも、三浦裕子「能・狂言の音楽入門」音楽之友社

三番目のものは、中国宋代の楽譜で、右側に五線譜への翻訳がありますが、私には対応関係が理解出来ていません。ただ、二行単位であることは読み取れます。右側の行が、<燕楽半字譜>という、唐代には既に用いられていた音高と長さを表す記号で記されたものです。・・・分からない理由ですが、この譜例では翻訳譜とは長さが必ずしも合理的に知り得ず、詩の韻律の決まり事を併せて知っておかないと読譜出来ないところにあるのではないかと思っております。
(たとえば「介」の記号は音高は西欧で言うAですが、翻訳譜ではこの点では一貫しているものの、付点二分音符にしてあるものと付点のない二分音符にしてあるものがあります。ちょっと細かく言えば、付点が付くのは音楽がそこで区切れる場合のようですが、付点が付かない時にAを表す記号がもうひとつある【人、に似たもの】ので、もうひとつ、西欧で言う「小節」の後半にあるA、もしくは音楽を区切るAを指すのは「介」で、小節の前半のAを表すのは「人」らしい、ということは伺われます。)
柘植・植村「アジア音楽史」音楽之友社

最後のは、皆川達夫著「合唱音楽の歴史」(全音楽譜出版社)に掲載されてた古代ギリシャの文字譜ですが、何の曲を表しているのか説明がありません。・・・で、二行目にあるギリシャ語を現代の五線譜の翻訳譜と対比してみて、ここに掲載された曲のものである、ということがわかりました。・・・でも、あとは元図の二行目以下が翻訳譜の6小節目までの歌詞、ということ以外、読み取れておりません。・・・音程は、どこに刻まれてるんだ?(文字上部の小さな記号だとは思うのですが、手元資料で翻訳譜と対照が上手く出来ません。リズムと複合する要素もあると思いますし、ギリシアの詩の律の知識も必要なようです。)
Hugreekipt

(翻訳譜は白水社「図解音楽事典」による。)

いかがですか?



楽譜さんも曰く、
「どう?」
私、
(うーん・・・そんなに美しかねえなあ・・・)
「何か仰いまして?」
「いえ、別に。」

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2008年3月19日 (水)

救い・慰め・幸せ

「毎日欠かさず」が命のもと、というだけの理由で、内容がなくても見栄なのか片意地なのか自分でも分からないまま綴り続けているブログです。
が、昨日はメンテの日で記事の掲載が出来ませんでした。
で、一昨日のうちから、別ネタを用意しておくつもりでした。

ところが、その一昨日、ドジなことに、帰宅してもうすぐ着くというところで、
「ああ、疲れたなあ、なんでやろなあ」
と思った瞬間、転けました。右足を、歩道のアスファルトに強く打ち付けてしまいました。
初めはあんまり痛みも感じず、卒業式を終えた記念のお楽しみでディズニーランドに行っていた娘とその友達を車で迎えに行ったり出来ていました。
それが、夜中が近づくにつれ、激痛に変わって行きました。
朝が来れば、娘が今度入る高校の説明会で、しかも保護者同伴でなければなりません。・・・でも、まともに歩けそうにない。
「明日、おとうさんはいけないかも知れない」
と言ったら、娘にベソをかかれました。で、なんとかしなくては、と思い、家内の妹、友達、娘の友人のお母様、と当たってみましたが、皆さん仕事を持っているかただから、あまりに急な話で、都合が付けられる訳がありません。
「よし、決めた、お父さん、行くから」
だから泣くな、と、娘の頭を撫でて・・・それからお守り代わりに、私と初めて二人で歩いた時に家内が着ていたブレザーを娘に持って来させ、それを抱いて、というよりは、それにしがみついて、布団に入りました。

明けて、足を引きずり引きずり、娘と出掛けました。授業料等の引落しのための手続き、学校用品の購入を含め、一日がかりの説明会を何とか無事に過ごし、帰る頃には痛みがだいぶ薄れました。

帰り道にある整形外科に行って、レントゲンを撮りました。捻挫でもなく、骨にひびが入ったりもしていませんでしたが、お医者曰く、
「なんかありますねえ・・・」
「夕べ出来て、それで傷んだんでしょうか?」
「いや、関係ない、と思った方がいいようですよ」
「っておっしゃいますと?」
「骨腫瘍かもしれない」

お医者があまりにあっさり、たいしたもんでもなさそうに言うので、たいしたもんではないのだろう、とは思いましたが、腫瘍、という言葉には素人は弱いもので・・・子供がしたのヤツまで大学を4年出るとしたら、やつらを不幸にしないためにはあと10年はカアチャンに呼ばれるわけにも行かない。いや、多分
「あんたが勝手にそんなもんになって死んだんだから、こっちこないで!」
って言われかねない。念のため、「たいしたことない」証拠固めのために、親しくして下さっているお医者さんに電話して聞いてみたら、なんのことはない、骨に出来た「コブ」みたいなものらしくて・・・これで生きるの死ぬの、と騒ぐ方がちゃんチャラおかしい、と分かって、
「ああ、これだから素人は悲しいなあ」
と思いました。



ある意味で、嬉しい経験でした。

まずは、娘にベソをかかれたとき、なんだか少し嬉しかったのです。

説明会が終わってホッとした娘と、二人でファーストフードでちょっとだけお腹を満たしてから帰路についたのですが、女房とか(もしこれからあり得るとして・・・希望は殆ど無いに等しいのですが)好きな異性と二人で食事をするときに感じる幸せとは、また感じの違う「小さな幸せ」に浸れました。何を喋ってくれるわけでもなかったけれど、満足そうにフライドポテトをほおばる娘の顔を見ていたときの気分を、どんな言葉にしたらいいか分かりません。・・・これは、息子と二人で別の日に似たようなことをした時にも同じ思いでした。

我が子だから?

そうかも知れません。
そうではないのかも知れません。

不遜に言ってしまえば、目の前でささやかなごちそうを食べているのが、仲良しの野良猫だって、同じ気持ちだったのではないかと思うのです。ペットを思う愛情、というのとは違うんです。やがてはバイバイすることが分かっている相手だ、というのを承知していて、それがいま、小さな「楽しい」瞬間を一緒にしている、というのは、余計な気遣い無しで過ごせる幸せで・・・振り返って見ると、まだまだ自立まで面倒を見なくてはならない我が子相手なのに、こんな感情で接していた自分が奇妙ではあります。
もしかしたら、私は非常識な人間なのかも知れません。

ですが、日々、誰かとさりげなく笑顔を交わせる瞬間などというものは、相手が同じ屋根の下にいても、実に僅かです。
家内を亡くして、お墓の件が何とか決着がついても、まだそのことに気づきませんでした。
娘が高校に合格した日にも、「笑顔交換は瞬間にしか出来ていない」なんて、感じもしませんでした。
息子が「卒業生のお礼の会」に出たときは、涙ばかり流しました。
「家内にも見せたい、と、今の自分が思っているからだ」
その時は、そう信じていました。

違いました。
息子が式で、キリッとした顔をしているのに安堵し、慰められたのでした。・・・なんとか今日まで、この子に母のない寂しさを強く味合わせないで済んだことに、安堵したのでした。・・・これも、思えばその時限りの瞬間だけのことです。

足が痛くて「行けない」と言ったらベソをかいた、その娘に、私はまだ必要だと思ってもらえているのだ、ということに、慰めを得たのでした。・・・これもまた、その瞬間で終わることです。



「つらいなあ、悲しいなあ」
と思う時には、つい「心を強くする本」の類いを立ち読みすることがあります。
それらは、心に「ある姿勢」をずっと続けて持つことを読者に要求しているケースがほとんどで、自分で求めて手にしながら、
「そんなことなら分かりきってる、だからわざわざ手にしたのに」
と、本屋さんには申し訳ないけれど、結局はつい、ポイッと捨てるように、積み重なった新刊書の上に放り投げてしまいます。

永続を求めるから、「幸せ」でなくなる。
「幸せ」じゃないから、慰めなんか得られない。
慰めがないから、救いも訪れない。

ということは、そもそものスタートラインである「永続を求める」ことから捨てなければならなかったのですね。

やっと、そう感じるようになれました。
なんとか、ここまでたどり着きました。

今日は、昼飯に出掛ける時に、
「いってらっしゃい」
と柔らかく声をかけてくれる人がいました。・・・これも、瞬間のことです。その瞬間が、ほんのりと幸せでした。

瞬間の救い、瞬間の慰め・・・瞬間瞬間に、それを見つけるチャンスがあることさえ分かっていれば・・・あとはきっと、幸せなんです。

夫婦揃って健康・健在を続けていたら、このことに気づかせてもらえることもなかったかも知れません。

あらためて、家内は私にそれを教えるために生きて、死んで行ったのかなあ、と、ふと思った3日間でした。

ヘタなアレンジですけれど、1曲だけおつきあい下さい。(こういうアレンジは数年前に勉強したきりで、以来、手がつかないままです。)

マスカーニ

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2008年3月17日 (月)

多「民族」・多「個人」・多「感情」

このブログは時事問題やそれに対する意見を述べるためには作っておりません。
綴っているのは、クラシックをメインとした西欧音楽のこと、そこから発展した好奇心に基づく、世界中の音楽の「歴史化」のささやかな試み(そして、それは時系列には行かないのだなあ、ということへの実感)・・・そういうことで気を紛らわしながら、私の個人的な感情を述べるブログです。

「なのに、今回のこのタイトルは何なの?」
と、難じられるかもしれません。

折しも、海外ニュースでは一向に沈静化しない「チベット暴動」が採り上げられ、国内政治経済ニュースでは「決まらない日銀総裁・・・ところが一方で米国証券市場への不安からの円高・・・不況への予感」が、ほぼ絶えることなく報じられています。
また、ニュースになっていることではありませんが、とある「カリスマ化」された(確かにそれだけ大きな存在だった)作家に対する、おそらく書籍としては国内初と言ってもいい<原点に帰って見直しをはかる試み>をした尊敬すべき研究に対し、研究者ご当人に「感情的な反発」が直接返されている、というお話も承りました(今日は敢てリンクを貼りませんが、前々日の記事で私の指している書籍が何かはお分かり頂けます。正式には読了後にご紹介します)。
会社生活の中でも、私のような万年平社員が直接どうということはないんですが、ある程度「職権」を持っている人が独断専行でコスト無視・周囲無視で勝手にコトを進めるような事態も目につきますし、かと思うと一生懸命頑張って来た生真面目な重役さんたちが、部下の不祥事、自分の過去の小さな不祥事などを理由に社内の力関係でどんどん経営の背景に追いやられて行く、などということも耳にします(あ、職場関係の人が読んでいないはずですので、ここまで綴っています)。

それらを眺めた結果でこんなタイトルにしたのではありますが、私はやはり、それぞれの事象について意見を述べたい、というのではありません。・・・違うのです。

先日アフィリを貼った、「きょとんチャン」というコミックがあります。
自分のために買ったのに、むごい娘に取り上げられて、いま、どこに隠したものか、直接参照することが出来ません。
ただ、このコミック、何が気に入ったか、というより、何が私を救ってくれたか、と言いますと、主人公が、アセッタさんという、いつも焦っている同僚に、
「ねえ、いちど、いろいろ考えるのやめてみよう。頭をのんびりさせよう。」
そんな意味のことを語りかけ続けていることでした。



この先を申し上げるには、しかし、やはり具体的な事例がいりそうですね。
あくまで、私がこのブログを綴りながら感じて来たことを軸にして綴りますね。

「音楽」という事象は、音楽学者よりも文化人類学者さんのほうが、そのルーツには本質を突いたアプローチをしていまして(最近ご紹介頂いて読み始めた「芸能の人類学」で、初めてきちんと思い知らされた気がしますが)、どうも「呪術起源」もしくは「信仰起源」らしいのですが・・・このブログの「曲解音楽史」というカテゴリでは、あえてそれより遡ってみる主観的な暴挙を冒しています。

で、これを時間という河の流れのままにまかせて下って行くと、これが相当な大河である上に、支流や湾曲が沢山あって、そこを流れる水の質が変わったり、淀んで動かなくなったりして、一筋縄では行かない。それぞれの支流や湾曲で、人々が音楽を掬い上げると、その音楽は「掬い上げた場所」によって内容が全然違うのです。
その多様性を一度に俯瞰出来るのは神様だけでしょう。
俯瞰した時に、
「どの音楽が正であり、どの音楽が誤である」
ということは、しかも、神様には断言ができないでしょう。

ましてや、私たちは、少なくとも同じ澱みで音楽を拾い上げると「これこそ正しい音楽だ」と信じたくもあり、他の澱みで拾った音楽をそこへもって来られたら「なんだそりゃ!」と文句も言いたくなる、狭い了見しかありません。集団においてさえこうです。
もし、たった一人、他の人とは違う「音楽」を拾い上げたとしたら、それだけを特別な宝物だと思ってすがりつきたくもなる。

出来ましたら、世界地図を開いてみて下さい。
現代のものだけ、ではダメです。百年前のもの、さらにその百年前のもの・・・という具合に、せめて10枚から20枚を並べてみて下さい。
完全版は手に入らないはず(高校の世界史の教材にはそれに近いものはあります)ですから、「きょとんチャン」にならって、いっぺん頭をのんびりさせて、時間をかけて、ご自分で描いてみて下さい。

民族音楽も知りたい私には、やはり直視も必要ですから、あえて引き合いに出します。
チベットを論じるなら、その地図の上でチベット人の占める領域の流動性だけでなく、周囲にも目を配ってみて下さい。・・・現在の「自治区」を見るだけでも、その位置は現在の国家で言えば、中国・インド・ブータン・ミャンマーといった多様な国に囲まれていることが分かります。では、周辺にある中国(チベット自治区は現在その一部とされているわけですが)・インド・ブータン・ミャンマーは、百年前は果たして今と同じ位置にあり、チベットと同じ境の接しかたをしていたでしょうか? その前に、チベットと言う領域は、今と同じだったでしょうか? それを確かめたら、また百年、もう百年、と遡ってみて下さい。・・・その流動性の激しさには、ちょっと「きょとん」とは出来ないでしょう!



多くの「民族」、多くの「個人」がいるなかでの、多くの当事者たちの「感情」は、もちろん大切です。ですが、それを<私>がもし外側から見るとき、その特定の何かにだけ感情移入するのか、特定の何かの感情だけを否定するのか・・・そもそも、そんなことが許されるのか? そんなマネをして近年大きな過ちを犯した大国が、どこぞになかったでしょうか?

味方になること・敵になることは、どんなにスケールの小さい場面でも、簡単に、勝手に出来ることです。
でも、味方になる前に、敵になる前に、「争ってしまってお互いに辛い思いをしている」はずの当事者に向かって
「ちょっと頭をゆっくりさせようよ」
とは、誰も言えないのでしょうか?
言えないのでしょうね。
なぜなら、口で言うのは簡単ですが、言うためには、自分の生命に対しても、自分自身が「きょとん」と出来なければならないから。



文学に限らず、最近は音楽でも、
「従来の研究者や愛好家が築き上げて来た<ある種の偏り>を是正してみよう」
という試みが盛んで、スタートはもう3、40年前に兆し始めているのですけれど、書籍になるところまで認知されるようになったのは、ごく最近ではないかと思います。
それでもまだ、冒頭に述べたような事態が起きている。
あるいは、口先で「研究者に心酔」している、と連携した企画を組みながら、結局は「研究者」そのかたではなく、表に出る自分自身をいかに売り込むかに腐心している人がいたりする。

悲しいです。

たとえば、大崎滋生という音楽学者さんがいて、ハイドンのエステルハージ時代の交響曲は、演奏に際してチェンバロが用いられようがなかったはずだ、ということを(書籍には載せていませんが)膨大なデータの裏付けをとり、エステルハージ家のオーケストラの規模から割り出している(もっとも、これは各論のひとつに過ぎず、大崎さんの視点の一小部分に過ぎません)。
大崎さんはこう仰っています。

「(前略)『見る』とは見たい角度から見る、ということでもあり、そして得心はその視野の中で完結してしまう。(中略)そして、見ることができたもののなかから、すなわち、そのときどき手にし得た資料だけで、音楽史は創られてきた。(中略)作成された楽譜集は音楽史資料を充実させることになったが、しかし当然のことながら、そこにはその運動の推進者たちの意識せざる隠された意図によってバイアスがかかった。(中略)過去の一分だけがメディア化されて”音楽鑑賞メニュー”となって、社会に共有されるという点にひとつの歪みがある。なぜそれが選ばれてメディア化されたのかという、メディア化された目的と、それは過去に於いて何であったのかという、メディア化されたものの往時における機能を、分析してみなければならない。するとしばしば、後世がそれを取りあげた目的と、それが往時に果たしていた機能との、ズレが浮き彫りになるだろう。後世の行為は後世の必要によって決定されるからである。」(大崎滋生「音楽史の形成とメディア」47〜48頁、平凡社 2003)

クラシック音楽の研究分野では、こうした「ものの見方」が認知されている(しかし、演奏者が本当にこの言葉を認知しているかどうかには・・・大崎さんと連携、と称したレクチャーコンサートなるものを初めて聴いた時にはなんとなく「いいな」と瞬時は感じながら、結局は比較対象とすべきものの呈示がなかったし、今後も企画されることがなさそうであることに失望と疑念とを抱いているので、私の中では留保がつきます)。それなのに、一方でカリスマ化された作家の研究については未だに「認知の幅」が広がっていないらしい、という事態は、遺憾です。・・・もっとも、私の念頭にある其の研究への評価は、これからなされて行くものですし、時間がかかるほど練り上げられたよい評価が受けられると信じております。

「多」を付すことの出来る語彙は、おそらく、人類滅亡のその日まで、「一(いち)」に収斂されることはないのかもしれません。

ですけれど、なるべくそこへ近づくためには、目先の「多」の、あまり美しくない万華鏡を覗いて
「なんだこりゃ! 作り直しだ!」
と大騒ぎする前に、いったんその万華鏡を目から離し、手に持つことをやめ、
「頭をゆっくりさせようよ」
と我が身に言い聞かせることも、必要なのではなかろうか、と思う今日この頃です。

なお、昨日あげた「ベートーヴェン第5」の幾つかの例は、いちばん最初のかたちはたどり得ませんから仕方ないとして、掲載したものはすべて「バイアス」のかかりかたの時代差を現している、と言ったら、再度ご覧頂くヒントになるでしょうか?
・・・たった百年にも満たない間に、これだけの種類の「バイアス」がある、というのも、また興味深いことですし、大崎さんや、私のいちばんお気に入りの作家論とは別方向に進まなければならないのかもしれませんが(或いは同じ方向なのかも知れませんが)、「ではなぜ、このようなバイアスがかかったのか」を考えるには、ひとつの面白いサンプルだと思っております。

・・・毎度、屁理屈でした。

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2008年3月15日 (土)

チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」(5)第3楽章

第3楽章については、「3月1日練習記録:付)1954年N響ライヴから」で述べました。

三連符の動きの連携が難しいのは、参考に掲げた演奏(CD)を聴き比べて下さればお分かり頂けますので、今回はそれを再掲しておくだけに留め、細かい比較はしません。

ただ、岩城盤(「連携」の面では途切れがなく、この点での違和感はありませんが)では、前半のうち、マーチの主題(オーボエが初めて奏でる)の「切れ味」が管楽器と弦楽器で差があります。
テーマが同じものである時には、楽器の相違を超えて同じ「切れ具合」で演奏しなければ曲の一貫性を損ないますから、他の演奏をお聴きになる場合にも、このあたりは是非注意して聴いてみて下さい。

第3楽章の構成についても、千葉潤氏校訂の音楽之友社版(OGT2122)で述べていることに私としての異議はありません。文章部分は割愛しますのでご一読下さればよろしいかと存じます。

アレグロ・モルト・ヴィヴァーチェ、ト長調 4/4(8/12)
 スケルツォ 主部   1-18
       中間部  19-36
       再現部  37-44
 移行部        45-70
 行進曲   主部   71-96
       中間部  97-112
       再現部  113-138
 スケルツォ再現    139-182
 移行部        183-228
 行進曲再現      229-315
 コーダ        316-347

以上の「つくり」は、パート譜等に記入して、把握をして置いて下さるよう、演奏する方にはお願い申し上げます。



スコアの解説で述べていない、動機の要素についてのみ、いつもの汚いメモで恐縮ですが、書き出しましたので、ヒントになさって下さい。
Tchaikovsky634要素のうちの最後の、4)装飾的要素 が活かされているのですが、芯になっているのは、あくまで1)のラメント(スケルツォの主題)と、3)の「運命の動機」(スケルツォ主題の伴奏部に、既に現れていることに注意して下さい。かつ、マーチの主題も、実は「運命の動機」の巧みな変形です)であることが、左の譜例でよくお分かり頂けると思います。

ここで、この楽章を含め、「悲愴」交響曲がチャイコフスキーの「幻想交響曲」にあたる、ということを、第2楽章の説明の際に述べました。その根拠について・・・正しいか誤りかは読んで下さるかたにご判断を委ねますけれど・・・スコアの解説にも伝記にもありませんから、ほんのすこしだけ綴ります。

いま、感銘を受けながら読んでいる、ある文学研究書に、次のような記述があります。
「個人全集という形態においては、作品は作家の固有名にしたがい、おおよそジャンル別に時間軸にそって並ぶ。そのため、作品が周囲の状況と作り上げていた関係、いいかえれば共時性を捨象してしまうことになる。」杉山欣也「『三島由紀夫』の誕生」64頁)

この言葉に沿えば、残念ながら、「共時性」を完全に拾い上げることは出来ないのですが(「交響曲全集」で「悲愴」を聴きました、というのが、音楽愛好家の場合は関の山でしょうし)、今何とか日本で探し出せる範囲内での資料を見る限り、「悲愴」を巡る、一見創作と同時進行していた言説についての関係者の証言は、むしろ、この交響曲に対する誤解を形作って来たように、感じております。<前提>で、既に他の方が詳しく検証していることを示しました通り、まずタイトルの日本語訳「悲愴」が、誤解から来る訳語であることも分かっていますが、それ以上に、「悲愴」の謎を解く鍵は、この曲単独の創作過程を追いかけていただけでは手にすることが出来ません。やはり周囲へ目を向けなければなりません。

演奏する前に、あるいは「悲愴」をあらためて鑑賞する前に、是非お耳にしておいて頂きたい作品は、ひとつだけあげるに留めなければならないのでしたら、なんとっても歌劇「スペードの女王」です。
筋書きは、おおよそ以下のようなものです。
・第1幕:主人公ゲルマンは、ふと見かけた美しいリーザに一目惚れするが、彼女には既に財産家の婚約者がいる。リーザは、しかしこの婚約に乗り気ではない。ゲルマンはリーザに愛を告白すると共に、カード賭博でリーザの婚約者から金を巻き上げる計画を立てるが、必勝の秘密を知っているのはリーザの祖母である伯爵夫人である。しかも、その秘密は悪魔の呪いによって、口外を禁じられている。
・第2幕:舞踏会で婚約者から愛を打ち明けらるリーザは、しかし、それを拒絶する。祖母の伯爵夫人は、場の雰囲気から何となくそれを察し、不機嫌で帰宅してしまう。そこへ、リーザから鍵を手に入れたゲルマンが侵入し、伯爵夫人を脅してカード賭博必勝の鍵を聞き出そうとするが、ピストルを突きつけられた伯爵夫人はショック死してしまう。
・第3幕:伯爵夫人の死に衝撃を受けたゲルマンは一旦帰宅するが、そこへ伯爵夫人の亡霊が現れて、カード賭博必勝の秘密をゲルマンに告げる。リーザとゲルマンは夜中に落ち合うが、秘密を手中にしたゲルマンは同時に悪魔の呪いによって狂ってしまっており、賭博上へと去って行く彼の背中を見つめながら、リーザは絶望して川に投身して自殺をとげる。カードの呪いは最後の切り札のところにこめられていた。そのために結局一切を失ったことに気づいたゲルマンは、やっと正気に返り、リーザへの詫びを口にしつつ、ピストル自殺をとげる。
(「スペードの女王」は、その呪いを象徴するカードであるわけです。)

筋書きはともかく。
まずはこの歌劇の全体の構成を見て下さい。複雑に絡み合い、最初から悲劇を予想させる恋愛模様を冒頭に置いたあと、舞踏会の場面を持ってくる、という構成は、「悲愴」交響曲に類似しています(酷似、とまでは言いません)。
さらに、特に第2幕後半から第3幕前半にかけての音楽は、耳にしておく価値があります。
・第2幕第2場のゲルマンの登場シーンでは、バックに「悲愴」第1楽章に現れる音型が「くるみ割り人形」に使われている動機と混在したかたちで現れます。
・第3幕第2場のリーザの歌の基調は、「ラメント」の動機、すなわち「悲愴」交響曲で一貫して重要な役割を果たしている第1要素になっています。

名指揮者だったラインスドルフも「ひとつのオーケストラ作品を演奏するには、その作曲者の他ジャンルの作品もよく知っておかなければならず、時代背景も把握しておかなければならない」と言っていますし、ヴァイオリニストの諏訪内晶子さんはジュリアードで勉強中に、ヴァイオリン作品の演奏にあたって必要なこととして、同趣旨のことを口を酸っぱくして言われた、ということを本に書いていらした(「ヴァイオリンと翔る」)と記憶しています。

「スペードの女王」、高価なお買い物になるかも知れませんが、なるべくその目、耳で確かめてみて下さいね。

大切な音楽がカットされてはいますが、ニホンモニターで出しているDVDは視覚的に一番分かりやすく、お値段も手頃ですので、リンクしておきます。

P.I.チャイコフスキー:歌劇「スペードの女王」映画版DVDP.I.チャイコフスキー:歌劇「スペードの女王」映画版


販売元:ニホンモニター株式会社ドリームライフ事業部

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   ・前提
   ・全体像
   ・第1楽章
   ・第2楽章
   ・第3楽章
   ・第4楽章

チャイコフスキー:交響曲第4番、第5番、第6番「悲愴」Musicチャイコフスキー:交響曲第4番、第5番、第6番「悲愴」


アーティスト:ムラヴィンスキー(エフゲニ)

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2008年3月14日 (金)

曲解音楽史:30)マルコの帰路に沿って-1(日本の「オラショ」)

前の回:1)音という手段 2)リズムの成立 3)音程から音階へ
    4)言葉と音楽  5)トランス 6)古代メソポタミア
    7)古代エジプト 8)古代インド  9)古代中国 10)古代ギリシア
    11)古代ローマ 12)初期キリスト教の聖歌について
    13)ササン朝ペルシャ  14)西暦5,6世紀ユーラシア音楽横断
    15)中世前半の西ユーラシア  16)唐朝と朝鮮・日本 17)「声明」の伝来
    18)モンゴルと中央アジア北方 19)「十字軍時代」の西ユーラシア
    20)日本固有(?)の古歌 21)グレゴリオ聖歌
    22)平曲と能楽:付)発声法について 23)アンブロジアン聖歌・ローマ聖歌
    24)西ヨーロッパ中世 25)ジョングルール 26)十字軍時代前後のイスラーム
    27)ペルシア伝統音楽〜中世からの遺伝子 28)インド中世 29)宋・元時代の「中国」



前回その音楽を聴いた「元」朝は、マルコ・ポーロ(リンクしたWikipedia記事にはありませんが、複数説もあります)が訪ねた頃が最盛期でした。
ですので、『東方見聞録』によって分かる、マルコの帰路に沿って、ヨーロッパ方向へ戻って行ってみましょう。
ただし、生身のマルコと同じ条件でとは行きませんので、物理的時間は立寄先によって相違が生じます。

かつ、まずは実際にマルコが立ち寄ってはいない、伝聞でのみ「莫大な量の黄金があるが、この島では非常に大量に産するのである」と述べたチパング(今では「ジパング」という読みで誤解されています)すなわち日本の・・・しかも1600年ごろを訪問しましょう。



『東方見聞録』の世界では、日本も含め、現在東南アジアと呼ばれている地域の特に島嶼域、インドの沿岸部、アラビア地方、マダガスカル島、エチオピアまで、という広い範囲を「インド」として捉えています。・・・このことは、このトシになって翻訳を初めて読んで、初めて知りました。
すなわち、『大航海』時代を前にしたヨーロッパにとっての「インド」とは、私たちが捉えている「インド亜大陸」よりも遥かに広いエリアを指していたことについては、私たちは認識を新たにしておく必要がありそうです。・・・このことは、たぶん、インドネシアに触れる機会に再度考えることになるでしょう。


さて、話は極力短くしたいのですが、そうはならないようで。毎度すみません。

今日訪ねる日本は、1600年頃。ですから、ヨーロッパ文化はすでに「バロック」期を迎えようとしている最中でしたし、「大航海時代」も始まっていました。で、今日触れる音楽は、「大航海時代」さなかのヨーロッパからもたらされた西欧音楽です。
既に1550年前後には日本に少なからぬポルトガル人が来航し、最新鋭の武器である鉄砲を各地の有力大名に売りつけて「戦国時代」最盛期を煽った陰の立役者となっています。
この機に同時に来航したのがカトリックの宣教師たちで、楽師をも伴っていたと思われ、大内義隆、大友宗麟、織田信長、最後には豊臣秀吉といった有力大名の面前で、当時の西欧器楽(ヴィオール属を中心とした小アンサンブル)を演奏したと推測されています。その推測に基づくCDも近年発売されていますが、実際には曲目も作曲家も一切不明のままですし、あくまで大名に「宣教」の許可を得るためのサービスの一環だっただけで、この事実そのものには、現在の日本人のイメージの中でふくれあがっているほどの意義はないものと思います。

むしろ、「宣教」の許可を得た後、カトリックの指導者たちがはたらきかけて、一時は西日本では定着の道を歩みかけた「教会音楽」の内容の方が、重要です。
孫引きになってしまいますが、故・團伊玖磨氏『私の日本音楽史』記載の年表によれば、西暦1600年ちょうどに、天草で竹をパイプに用いたものとはいえ、本格的なパイプオルガンが日本人自身の手で作られています。これは、この時期までに、大友氏の勢力が大勢を占めていた北・中九州にはカトリックが根付いていたことを現している、と見なすのに充分な材料ではないかと思います。
同じく同書によりますが、信長時代を緻密に捉えたことで有名なフロイスは、こんな記述も残していると言うことです。
「ヨーロッパ人は『様々な音響』の音楽を快く感じるが、日本の音楽は単音がきしきしと響くだけでぞっとする」
「ヨーロッパ人はカント・ドルガン(多声部)の音楽の『協和音や調和』を尊ぶが、日本人はそれをかしましいとして好まない」
團さんは、フロイスのこの記述をもとに、当時の日本人は多声音楽になじめなかったと述べていらっしゃいます。実際に、当時日本で印刷された西欧音楽の楽譜(「サカラメンタ提要」)は、単声部のグレゴリオ聖歌です。最後に触れることになるだろう、長崎県の「オラショ」も、皆川達夫さんを中心とした研究者の努力で、グレゴリオ聖歌が日本風に変化したものだ、ということも、もととなったグレゴリオ聖歌が何であるかも、現在では判明しています。

團さんはまた、1579年に来日して精力的に若い日本人クリスチャンの育成に努めたヴァリニャーノ
「日本人の弦楽器(ヴィオラ・ダルコなど)の演奏は聞くに耐えないので、才能のない者には、今後いっさい、鍵盤楽器を除き、弦楽器を教えてはならない」
と述べたことを受けて、
(團さんの言)「弦楽器は、ある場所を指で押さえることにより自分で音をつくっていく楽器ですが、ドレミという音階自体を把握していない民族にとっては弾きようがないのです」
とお述べになっています。

多声音楽になじめなかったことには信憑性があるかも知れませんが、「弦楽器は・・・弾きようがないのです」という言葉は、琵琶という伝統が既にあり、このあとの時代には三味線音楽が隆盛する日本の状況と矛盾した話です。
これについては、僭越ですが、私の経験を照らし合わせた方が團さんよりも「正解」に近いものが申し上げられると思います。
正式な「専門音楽教育」を受けたことのなかった私は、音程に対して厳しい姿勢で臨んでいたオーケストラに入団したとき、自分の弾くヴァイオリンが「演歌風だ、それでは使えない!」と叱られて、大いに悩む数年間をおくりました。私に身に付いていた音程は、育った環境の関係から、テレビの歌謡番組によるものだったのでした。
「演歌」でも「Jポップ」でもいいのですが、その音程感がアメリカやヨーロッパのものと違う、ということにお気付きですか? 普通は、たぶん、お気付きではないと思います。なぜなら、そうした「日本の」音程の方が、私たち日本人には無意識に染み付いている・・・そして、それを尺度として「洋楽」を聴くことに慣れているので、その際、欧米の音楽の「音程」を私たち日本人のものに「置き換えて」聴いてしまっているのです。

という次第で、50年後には「キリスト教」は日本で完全に禁じられてしまったのですから、たったそれだけの期間で「西欧式」の音程が日本に「自分たちの音程とは違う」と認識されるのは、どだい無理な話だったと言えるでしょう。もし禁教がなければ、事態はまた違ったかも知れません。
ヴァリニャーノは4人の武家の少年を「天正遣欧使節団」としてヴァチカンに連れて行ったことで有名ですが、この使節が1585年にヴァチカンで聴くことになったミサ曲は、パレストリーナの手になるものだったと推測されています。ヨーロッパは、すでに所謂「ルネサンス期」終盤に入っていたわけです。

ですが、日本に残ったのは、西欧から見れば中世期の音楽にあたる「グレゴリオ聖歌」だけでした。それも、禁教のため、残った地域は、かろうじて江戸幕府の監視が及びきれなかった(おそらく幕府もそこまでの必要を感じなかった)長崎県の離島に限られたのでした。

・歌オラショから

この例も含め、歌オラショの原曲とその演奏については、「CD & DVD版 洋楽渡来考」で耳にすることが出来ます。

ヨーロッパ人が、キリスト教と共に、ではなく、武器と共に音楽を伝えていたのでしたら、もしかしたら、日本にも西欧音楽の影響が持続した可能性は、あると思うのです。
というのも、『東方見聞録』にもしばしば現れるのですが、たとえばモンゴル人は戦闘の際、開戦の合図を告げるまでのあいだは撥弦楽器を片手に歌をうたっていたことが明らかです(これは決してくつろいだ場面を演出するためではなく、緊迫感を高めるものだったもののように読み取れます)。振り返ってみれば、「曲解音楽史18:モンゴルと中央アジア北方」「曲解音楽史4:言葉と音楽」で触れてみた中央アジア域の音楽は、中世期まで戦いの場で歌われていた音楽の後裔だったのでしょうね。
また、今後の話題になりますが、東南アジア、インドの古代を反映した神話群にも、戦いと奏楽は密接な関わりを持っていた様子が描かれています。
トルコの軍楽が「ルネサンス期」を前にしたヨーロッパ人に、彼らとの戦闘に際して大きな恐怖感を与え、2世紀経ったクラシック期になるまでユーモアと共に引用されたり真似されたりすることが出来ないほど衝撃的だったことも、併せて記憶しておきましょうか。

こんなところで。

洋楽渡来考―キリシタン音楽の栄光と挫折Book洋楽渡来考―キリシタン音楽の栄光と挫折


著者:皆川 達夫

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2008年3月13日 (木)

娘、幼年期ト唐突ニ訣別ス

今日、毎週のように娘がピアノのレッスンに行くと、先生が
「あんまり急な話で申し訳ないのだけれど」
と娘に向かって仰るので、何かと思ったら
「3月で音楽教室を退職することになったの」

脇から私が尋ねました。
「それって、もしかして、おめでたいことですね?」
「結婚することになったんです。で、新居が、ここまで通える場所ではないので・・・」
「寂しくなるけど、でも、いいことですから。よかったですねえ」
「・・・はい。」

娘が幼稚園のときから教わっていた、女の先生でした。
娘は小学生までは全然まともな生徒ではなくて、ピアノはちっとも練習して行かない。
それでも、練習の前の日になると、何かごそごそやっている。
「何してるの」
ときくと、
「あした、先生に上げるプレゼント作ってるの」
色紙を切って貼り絵にしたり、お金に見立てたものを使ったままごと道具を作ったり。
そんな娘を、母親が迎えに行くまで、ピアノの練習なんか身が入らない時には、まっとうにままごとで相手をしてくれる先生でした。

帰り道、娘は、私の運転する車の中で、声を殺して泣きました。

明日の、学校を卒業しての担任や友だちとの別れは、普通のことだから、まだ気持ちは大丈夫なのです。
でも、音楽教室の方は、先生が教室を去ることで、娘にとって遠くへ去ってしまうものは、「先生」という人ひとりではないのです。

自分では殆ど中身は覚えていないのでしょうけれど、先生と幼稚園時代から11年過ごして来たことは、それを送り迎えした母の思い出とも、先生を通じて今度の志望校合格までなんとか繋いで来た、母と一緒に見て来た夢とも、切り離せないのです。
それがまたたく間に、異次元の世界へ去って行ってしまう。
・・・幼かった自分を、まずは第一に理解してくれていた母親が、永久に去って行って。
・・・母と誓い合った「夢」に、それでもしっかりしがみついて。
・・・「夢」にしがみつくには、やっぱり幼い頃からの自分をよく知ってくれていた先生の存在は、はっきり言葉で私に聞かせてくれたことは無かったけれど、娘には相当大きなものだったのではないかな。。。

けれど、母と見て来た「夢」は、娘は自分の努力で達成したのです。

私自身は同じ年頃には、まだこれほど厳しい「訣別」を経験していませんでした。
だから、娘がかわいそうだ、と思うことは、簡単でしたし、実際に、こちらまで涙が出かかりました。

「待てよ」
と、私は私に言い聞かせました。

「これできっと、娘は私なんかのような弱いやつには絶対ならない保証を、神様から頂いたようなもんだ」

元気出せ、と声をかけつつ帰ってきましたが、そのあと、息子を柔道に迎えに行って戻った時には、娘はしっかり立ち直っていました。

そんな娘を、私は誇りに思います。
・・・たとえどんなに、出来がわるくたって、これだけタフでいてくれるだけで、私は娘と言う虎の威を借りた狐でいられますから。。。

誰ですか、
「狐じゃないだろ」
なんて茶々を入れるのは!
・・・私は決して、ブタではありません!

(Vn.五嶋みどり)

幼児期という「薄明」を一気に通り過ぎて、この「朝の歌」のように、娘が明るい朝日を浴びて、伸び伸びと育って行ってくれることを、確信しています。

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2008年3月12日 (水)

生甲斐の喪失は父母の死よりも重い(いつか、子供達へ・・・)

一庶民のブログですから、読んで下さると想定しているかたの数も限られていますし、個人の恣意で綴っているものですから、あとあと残るようなものでもない、と思いつつ、日々綴っております。偶然読んで下さる方にはお礼を申し上げます。想定しているお仲間には、もしかしたら、突拍子もない中身になるかもしれませんので、先に「ま、いつものとおりなんで!」とウィンクしちゃっておきます。
ただ、自分の子供達には(実は遺言書は作ってあるのですが、法的に有効なものだけの内容になっていますので・・・あ、貧乏なので財産云々は期待できる中身じゃないです)、いずれ
「あのバカオヤジは、こんなことを考えて生きていたのか。しょうもねえなあ」
と思ってもらえるよう、そして
「あれまあ、ken、こんな投げやりなことでどうするの!」
(・・・本人は投げやりなことを申し上げようとは決して思ってはいないのですが・・・)
とコメントで皆様にご叱責を頂いた場合には、それも含めてウチのガキどもに伝わるよう配慮をしたいと思っております。・・・今回は、そんな気持ちで、綴ります。

でも、かなりくそ真面目に綴ったので、お口直しは用意して置いて下さい。

きょとんチャン。Bookきょとんチャン。


著者:細川 貂々

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今回は特に、こっちの本だけ読んで、私の文なんか読まなくてもいいですヨ!


本当は「生甲斐」のところは「伴侶」という言葉にしたかったのですが、そうしてしまうと意味が「夫婦」に限られる印象になってしまうので、標題のようにしました。文中では、「伴侶」という言葉を使います。

生甲斐、というと、まずは
・「何がなくてもこれさえあれば・あいつさえいれば」という<モノ・ヒト、すなわち相手>
・「他のことはさておいても、これさえやっていれば」という<スルコト、すなわち行為>
という2通りがあるでしょう。
次には、相手や行為に対する、「生甲斐」の程度の「重さ」というものがあるでしょう。
「生甲斐」と言いながらも、それがなくなったり、出来なくなったりしたから生きていけなくなる、というほどのことはない、というものは、振り返ってみれば結構あります。愛酒家、それも単純に、ではなく、ブランドに凝って「聞き酒」チャンピオン歴数十年だったのに、健康を損なったのがきっかけで禁酒を強いられたとします。でも、
「お酒って、やめても、結局何ともなかったなあ。やめて、生きている今の自分のほうの命が大切だ」
ってかたもいらっしゃる。
そんなかたにとって、お酒は過去の「生甲斐」ではあったかもしれませんけれど、「生」より重いものではなかった。
「いや、死んでも酒は手放せない(・・・アル中患者は想定していませんヨ!)」
そうであったなら、このかたにとって、お酒は「生」よりも重い「生甲斐」なのです。

そういう、「生よりも重い生甲斐」を指して、私はここから「伴侶」という言葉を使いたいのです。



でもまず、狭い意味での伴侶=夫婦(但し、上の定義【大層な!】に当てはまる意味で、に限ります・・・くどい、ですか? 世の中にはそうではない夫婦もありますから)に限って、相方を失ったときに、のこされたほうはどう振舞ったか、の事例を見ておきましょう。

一般に、妻が死ぬと夫は生きつづけられないのに、夫の方が死んでも妻の方は平気だ、と言われています。これが「伴侶」としての夫婦に当てはまるかどうかの検証は、なかなかに難しい。実感としては、本当は男女差はないんじゃなかろうか、と思うのです。

知ることのできる女性の側の例が少ないのは確かですが、以下のようなものはあります。
イギリスのヴィクトリア女王は、父君アルバート公の逝去後は、自身の死まで生涯を喪服で過ごし、公の場にも殆ど姿を現さなくなっています。
個人の例ではありませんし、「強要された」ケースもかなりの数にのぼるようですが、中世期のインド・スリランカには、夫が死ぬと、その遺体を火葬する火に妻が飛び込む、という習慣がありました。それが習慣だから、というのではなく、本心からそうしたであろう妻も、その数は、おそらく少なくはなかったろうと思っております。(「ムガル帝国誌」・「東方見聞録」)
古くからの多くの戦争の記録には、夫が戦死した知らせを聞いて自殺した妻の話が必ずといっていいほど出てきます。

男の方の例は、20世紀まではあまり多くの例を見受けませんが、これは一夫一婦制が定着するまで、男はあまり妻を拠り所にする精神構造をもっていなかったからではないかと思います。・・・ただし、それは「多妻が認められていたから」ということからよりも、むしろ、「自分のほうが(武人なら)戦死や(商人なら)強盗の手で殺されることで、妻より先に死ぬ確率が絶対に高い」という観念がはたらいていたからではないか、と考えます。それというのも、たとえば有名なタージ・マハルはムガール帝国の王シャー・ジャハーンが、たくさんいた中でも最愛の妻の為にわざわざ作った廟なのでして、これを作ることに「拠り所」を転訛しなければ、彼にはその後の「生」など、考えることも出来なかっただろうと感じられますから。

日本の夫達の中で、近年、妻を亡くしたあと「からっぽ」になってしまった有名な例は二つあります。
お一人は、江藤淳さん。ご夫妻共の病気という複雑な事情は絡んでいたにせよ、奥さんの亡くなった1年後に自殺なさいました。
もうお一人は城山三郎さん。
「え? だって、<そうか、もう君はいないのか>というすばらしい遺作を残されたではないですか」
と言われるかも知れませんが、そう思っているかたには、城山さんの遺著に綴られた文の文体が、彼の書いてきた小説に比べていかに空虚であるかを、読み取ってみていただきたいと思います。



夫婦ではない「伴侶」というものは、では、あるのでしょうか?
あるのだとしたら、喪失によって死に至った人物の例は、果たして見当たるのでしょうか?

人間同士のペアは「夫婦」だけとは限らないのですから、自分というものと「伴侶」との組み合わせは、当然、いろいろあります。自分にとって絶対に失えない相手・モノ、その人がいなかったら、そのモノがなかったら、と信じられる相手・モノは、充分「伴侶」と呼ぶに値する。

「それでも地球は回る」と言ったガリレオ・ガリレイ像は多分に理想化されたものではありますけれど、自分の積み重ねてきた観測から確信を持って裏打ちしてきた地動説への信念を、教会の裁判で破棄するよう求められた彼は、以後、もぬけの殻状態だった。ガリレイにとって、「地動説」は「伴侶」だったのです。(同じ「地動説」論者でも、コペルニクスはずるくって、その説が自分の死後出版されるように取りはからっていたそうですが【これはその通りかどうかは確認していません】、これが事実だとしたら、コペルニクスにとっても地動説は本当に生涯をかけるに値するものだったからこそ、それを生前に公にしてしまって命を犠牲にすることと、隠しおおせて生き抜くこととを天秤にかけたのかもしれません。同じく地動説を支持したブルーノにとっては、事情は違うでしょう。彼の「伴侶」は<信仰のあり方>であって、地動説そのものではなかった。ですから、地動説はブルーノの伴侶ではなかった。彼は己れの「信仰」と生死を共にすることを是としたから、火刑に処せられても何ともなかった。ブルーノは、「伴侶」を失うことはなかったのです。刑で死ぬことは、生きる力を失って死ぬこととは全く意味合いが違います。)
生涯をかけて確信し証明してきた自説という「伴侶」を失ったがゆえに、生命力を失う・・・科学者にはそういう事例が少なくないとの印象を持っております。

音楽を「伴侶」とした作曲家の例では、ベートーヴェンはともかく、R.シュトラウスを挙げたら、意外でしょうか?
ベートーヴェンにとっての「伴侶」は、間違いなく音楽でした。その他の伴侶を得ようとした彼の努力は、彼の性格も手伝って、ことごとく失敗していました(妻を得ること、養子カルルを音楽家に育てること)から、なおさらです。さらに、晩年には完全に耳が聞こえなくなったことも手伝い、ほとんど完全と言ってもいいほど、音楽以外の「伴侶」は求め難くなっていました。
最後まで、彼はこの「伴侶」に賭けよう、と思いつづけたことは、諸伝記から伺われます。ですが、大作は「交響曲第9番」と「荘厳ミサ」を最後に手がけることがありませんでした。彼自身が明言したものは残っていないようですが、まず後者の販売が思うように伸びなかったこと、「交響曲第9番」にしても、初演の拍手は同情的なもので、翌日からの上演では会場は空に近かったこと、といった事実があります。それ以後「注力した」と言われる最後の弦楽四重奏群は、今でこそ絶賛されていますけれど、今の人も本当にそれらの価値をベートーヴェンが感じた通りに捉えて高く評価しているのか、というなら、答えは「ノー」ではないかと思います。・・・これらの作品の本質は、非常に空虚です。聴けば明らかなことです。であるにもかかわらず、これを、批評家は誉め言葉で「浄化された音楽」と述べて憚らない。・・・「浄化」=「空虚化」だとは、誰も言っていない。本質は、「空虚化」です。それによって不純物がなくなった、という意味では、副次的に「浄化」と言う分には構わないのでしょうけれど。
R.シュトラウスは、ドイツの第二次世界大戦敗北で廃墟と化した自国を眺めつつ、「メタモルフォーゼン」を作りました。この曲の最後は、ベートーヴェン「エロイカ」第2楽章の葬送行進曲を引用することで終わっています。これ以後の作品数も非常に少なく、「最後の4つの歌」が、文字通り最後の代表作となります。この2作品も、やはり、本質は空虚・・・喪失感です。
上の二人の作曲家とも、最晩年の空虚な作を残してほどなく死去しているのは、愛好家のかたがご承知の通りです。



「伴侶」が配偶者であれ信念であれ、その喪失によってもたらされる「死」は、決定的なものです。
この「死」は、精神上は即座に私たちを支配するにも関わらず、肉体の上には時をへだてて現れることが多く、その分、傍目には
「慰めれば、励ましてやれば、何とかなるだろう」
と見えますし、実際に慰めや励ましを実行しようとする良心的な・優しい「外野」は少なくない。

でも、「慰め」? 「励まし」? 「伴侶」がいないのに・・・こちらの体は生かされたまま、命だけは奪われてしまったのに、そんなもの、「死んでいる」その人にとって、どれだけの意味をなすというのでしょう?・・・何の意味もなしません。

以上のことは、本来言うべきことを逆の立場から綴ってきたものです。
「伴侶」を喪失した事例・・・そうなってしまうと、大切な自分は「死んでしまう」という事実。

だから、たとえばこのたび私が家内を失って、皆様にいろいろお励まし、お慰めを頂いたことが「無効」だった、という主張ではありません。
そうは言っても、そうお読みになられてしまう恐れはあります。
今の私は半分は「死んで」いますから。
ですので、せっかくお言葉を下さりつづけたかたには、大変な失礼を述べてきたわけでして、その点はお詫びをしておきます。かつ、「お許し下さい」とは、あえて申し上げません。充分に罰して下さい。

が、本当に言いたいことは、この先です。・・・伝えたい相手は、これからを生きていく子供達、そしてまた、いま「貴重な伴侶を持っていらっしゃるかた」、「伴侶があるのかないのかよく分からないでいるかた」です。



あまりに大括りかもしれませんが、つくづく思うに、
「<伴侶>とは、こちらから言葉を発せずとも自ずとこちらの心が伝わり、あちらから何をしてもらえずとも自ずとあちらの心が伝わってくる」
・・・そんなものである、と思います。

家内が死んで、私は途方にくれましたが、
「それでも何とか埋葬を無事に済ませなければ」
「家内が子供達と見た夢は、その通りかなうように努めなければ」
この二つに「伴侶」を転訛することで、なんとか命を繋いで来ました。
一つ目はともかく、二つ目は、まだ完了したわけではありません。それでも、娘が家内と見学してきていちばん気に入った高校へは無事入学が果たせるところまでたどり着きましたし、家内が何とかダイエットさせたがっていた息子は、柔道を始めることで肥満から遠のいた上に体も心も丈夫になりました。

そうなってみて、私に、いま、一瞬の空白が訪れています。

家内がいなくなってみると、楽器という道具は、「伴侶」と呼ぶには私にはそれにふさわしいだけの技量で相手に出来るモノではありませんでした。
音楽そのものはどうか、ということに、かろうじてしがみついていますが、まだ結果が見えません。
それ以前に、自分自身の「心」がどんなものであるか、を外側から見つめる目が、今はありません。

結局のところ、なんだかんだ、あれこれ知識だの力量だのを開陳してきたところで、それは「伴侶」である何かの後押しがなければ、上っ面なものでしかなかった。知識が不足しているところを突かれてもなんともなかったり、力量の及ばないことに気づかずにいてもまったく平気だったりしたのは、「伴侶」があってこそでした。

「音楽がそれだ」というのであれば、私はそれを通じて、家内の死を今ごろはしっかり受け入れるだけの度量が無ければならなかった。・・・そうではありませんでした。

私が育った貧乏長屋が取り壊される前に、たったひとり一緒に見納めに行ってくれた家内。
新婚当時はボロボロのプレハブだった私の勤務先を見ても「充分じゃん」と言い切ってくれた家内。
「うつ」になっても「大丈夫だよ、無理して頑張らなくても」と言いつづけてくれた家内。

私の方からの元気付けが、いつでも無条件に効いた相手も、家内だけでした。いろいろありましたが、よく耐えました。あえて例はあげません。

私の「伴侶」は、こんな次第で、狭い意味での、「妻という存在」だけだった。
それを思い知らされました。

子供達や、またお読み下さるかたのなかで、とりわけ独身のかたには、
「こうであってはいけない」
と言って置きたい。

いつかは誰でも「精神の死」を迎えます。
ただし、「精神の死」は、「肉体の死」とは違い、回生可能でもあるのです。

それは、「伴侶」の持ち方によって決まるでしょう。
どういう持ち方がよいのか、は、私の現状がこのようであるからには確言できるものは用意できません。自分で見つけてもらうしかありません。

言えるとすれば、生きる、ということは、喜びでなければなりません。

それが、永遠に近いほどの期間、保ち続けられる。
そんな「伴侶」選びを、どうか、よく考えて下さい。

試行錯誤の段階では、この模索は「辛苦」でしかないかも知れません。
ですが、考え抜いた上での選択であれば、きっと、あなたの選んだ「伴侶」は、間違いなくあなたの生涯の柱となるでしょう。

私にとっての、今唯一の支えは、妻が回りの人にことごとく
「ウチのは、優しいんですヨ」
って(社交辞令もあったんでしょうけれど)言いつづけて歩いてくれたらしいことです。
どこへ行っても、
「お宅の奥さん、いつもそう言ってたよ。なかなかないよ、そういう夫婦。」
そのように言って頂けます。

そんな次第で、家内という「伴侶」に、私が間違いなく愛されていたことを、信じることができるから、半死ではあっても、何とか生きています。

子供は親が死ねば悲しいでしょうけれど、親が死んだから自分も死ぬ、なんてことを普通は考えません。

でも、「伴侶」を失ったら、そのときは自分自身の「死」を、必ず思いの中に描くのです。

あなたに本当にふさわしい「伴侶」を見つけることが、幸せへの最大の鍵なのです。
ですから、「伴侶」を見つけたら、絶対にそれを失ってはいけない。

私が死んでも、子供達はそこまでは必ず乗り越えられます。
私にできることは、せいぜい、子供達の幸せを願うところまでであって、私自身が子供達の「幸せ」ではないのですから。

だから、あなたはあなたの「伴侶」を、全力で探し、捕まえ、失わないようにしなければなりません。

「伴侶を失うことは親の死よりも重い」のは、あなたの幸せを握る鍵が、親にではなく、あなたが探し当てた「伴侶」の手中にあるからです。

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2008年3月11日 (火)

キンピラの味

私は朝が苦手です。
ですから、早寝をしたいのですが、子供達が高校前、中学前になって・・・夜更かしもひどくなってきました。きゃつらが寝る目処が立たないと、こっちもあっさり「寝る」とは宣言できないので、
「おい、もう十一時だぞ、もうテレビ見るのやめなさい!」
そういうと、
「だって、これからのドラマが面白いんだもん」
と、姉の方。
普段は喧嘩ばかりしているくせに、弟の方も、このときだけは姉と口裏を合わせて、
「面白いんだもん」
「何分間やるの?」
「うん?1時間!」
「・・・仕方ねえなあ。終わったらすぐ寝られるように、歯磨きしておきな!」
「へいへい」
で、1時間経過。
まーだ、ダラダラ起きています。歯磨きは勿論、済んでいません。
「いいかげんにしろよなあ」
で通じる日も週に2日はありますが、後はダメ。あきらめて、
「とにかく、明日も普通に学校なんだから、もう、すぐ風呂に入って、寝なさい!」
「・・・」
「寝なさい」
「・・・」
「寝ろよ!」
「分かったォ」
・・・で、ようやく、なんとかこっちは布団に入れます。

こんな調子であるくせに、姉貴の方は、母を亡くしてから、すすんで早起きしてくれます。
もとがひどい夜更かしなので、起きそこなう日もあるにはありますが、大抵、6時半には起きて、朝食の配膳を始めてくれるのだから、本音では感心するとともに、感謝もしています。
私と息子は、娘が7時ちょうどに
「朝だよー!」
と大声出してくれることで、ようやく飛び起きるのですから。



この娘が、夕べから準備して、ニンジンだけのキンピラを作りました。
たいしたもんではない、といえばたいしたもんではないのですが、家内の得意料理で、他で食ったどんなキンピラよりも美味くて、新婚のときに
「これはいい!好きになったなあ!」
と言ったら、一週間、ニンジンキンピラばっかり、なんてことがありました。
それでもたしか、子供達が生まれてからは、そんなに何度も作ってはいなかったはずです。

娘は、初挑戦でした。

家内は白ゴマを振りかけていたのですが、娘にそこまでの気は回っていませんでした。

でも、食べてみて、驚きました。

家内の作った味と同じでした。

「お母さんの味だよ!」
私が思わず叫んだら、娘がうつむきました。照れ隠し、というのとは、どうも正反対の様子なので、敢て顔は覗き込みませんでした。
で、娘が登校する時に、背中から声をかけてやりました。
「今朝のキンピラ、ありがとう。」
娘の背中は、どんなふうに、私の言葉を聞いたでしょうかね。



0000000000193801音楽家で食べ物といえば、ロッシーニでしょう。
美食家で有名だった彼は、まだ30代半ばの人気絶頂のときに、突然オペラ創作をやめてしまったので、
「あいつはもうたんまりもうかったから、これからは美食に生きるんだろう」
と陰口を叩かれ、こんにちでも<美食に専念するための引退だった>説は生き残っています。

真実はおそらく違って、新進の優れたオペラ作家の出現、劇場経営との折り合い、財産の保全、など複雑な要因が絡んでいたものと思われます。が、文献を集めて読んでみましたけれど、霧の中です。

ちなみに、オペラ劇場の経営や観客の動態について垣間見ることの出来る書籍があり(『オペラハウスは狂気の館』春秋社・・・ちょっと高い本です!)、劇場の数年間の採算状況などのデータも記載されていて、経営をなさる方にとっても面白い読み物になっています。ただし、データが断片的なので、経営の全貌までは掴めません。それでも、本文中の思いがけない箇所にロッシーニの名前が(作曲者としてではなく、マネージャー的な役割を演じている人物として)登場しますので、ご興味があったらお読みになってみて下さい。

ロッシーニその人に話を戻しますと、オペラ界引退の真相はともかく、それですっかり作曲をやめたわけではありません。数こそ少ないものの、美しい宗教曲、歌曲、そしてピアノ曲などをモノにしています。
残念ながら、これらの作品群の録音は、『スタバート・マーテル』が比較的多く、次いで『小荘厳ミサ曲』(これは決して小さな作品ではないのですが)を除くと、あまりCD化されていません。歌曲は、せっかく美しい旋律を持ちながら、オリジナルよりもむしろ、ブリテンの編曲したもの(「マチネ・ミュジカル」および「ソワレ・ミュジカル」)で有名になっています。他の作曲家による管弦楽化も、幾つかなされています。ロッシーニの歌曲集そのものの順番に忠実なのはリストの手になるピアノ独奏用の編曲ですが、こちらも聴くチャンスはあまりありません。

面白いのは、しかし、そうした美しい純歌曲の類いよりも、ピアノ作品です。

サリエーリの真実の姿を伝えるのに尽力した水谷彰良さんは『ロッシーニと料理』という本も書いていて、これがロッシーニ当時のパリの食文化を知る上でも非常に面白いのですけれど、そこで紹介されている、ロッシーニ作の次のようなピアノ曲群(12曲)があります(水谷著書70頁以下参照)。いずれも晩年のパリ時代に作曲され、まとめられた『老いの過ち』という曲集におさめられているそうです。

・四つのデザート
     1)干し無花果
     2)アーモンド
     3)干し葡萄
     4)はしばみの実
・四つの前菜
     1)ラディッシュ
     2)アンチョビ
     3)小きゅうり
     4)バター
・やれやれ、小さなえんどう豆よ
・ソテ(ソテー)
・ロマンティックな挽き肉
・小さなドイツ・ビスケット

・・・「いったい、どんなひき肉がロマンティックだって言うんだ!」
なんて、怒らないで下さいね。

ロッシーニは、自分が世間でどんなふうに皮肉られているのかをよく承知していて、こんな作品群も残してみたのでしょうね。
自分をちゃかすことの出来た彼は、たとえ金持ちで生涯を終えることができなかったとしても、恐らくはそれに耐えることが出来た・・・いや、金があろうがなかろうが本来関係のなかった、案外タフな御仁だったのではないでしょうか?

それぞれの音楽のお味は、ピアノをお弾きになれる方は楽をご自身でお弾きになってみて、弾けない方は・・・幸いにして、これらについてはCDも出ていますので・・・オーディオの前でお耳で味わってみて下さい。
あえて、わざと、音楽そのものはここに掲載せずにおきます。

ですが、選ばれたメニューからして、私にとっては、今朝娘が作ってくれたニンジンキンピラにかなうものは、これらの中にはない、と信じております!

(実際には、なかなか素敵な曲集で、タイトルと音楽のギャップから味合わされるものはサティを超えているとさえ感じているのですけれど。)

CD(例):'L'Album pour les enfants adolescents" Paolo Giacometti
CHANNEL CLASSICS CCS 12398

オペラハウスは狂気の館―19世紀オペラの社会史Bookオペラハウスは狂気の館―19世紀オペラの社会史


著者:ミヒャエル ヴァルター

販売元:春秋社
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2008年3月10日 (月)

音楽と話す:相手を変えましょう!(楽譜)

さて、今までこのカテゴリでは、「音楽さん」に話のお相手をして頂きました。

でも、この「音楽さん」、ガラが思ったよりよろしくない上に(!)、仰ることが非常に難しい!
で、しばらくの間、お話相手を変えてみようかと思い立ちました。

で、話題は、「聴き方」ではなく、「歌い方・奏で方」の方に転じてみたいとも思いました。

「音楽」には、私の思い込んでいる限りでは、演奏するのには二種類の道具がいる。
・・・「楽譜」と「楽器(声も含む)」です。

そこで、この二種類の、どちらと先に接触してみようか、と考えました。

「歌うにしても、楽器を使うにしても、まず<楽譜>ありきだよなあ・・・」
安易な発想で、
「じゃあ、まず<楽譜>さんのところへ行ってみよう!」
ということにしました。

・・・これがまた、とんでもなく面倒くさい相手になるとは、予想もしていませんでした。。。



どうやったら楽譜さんと会えるのか、実は、全く見込みもないまま出かけてきたのです。
で、大声をあげても恥ずかしくない、ひろーい空き地を何とか探し出し、呼んでみました。
「楽譜さん、楽譜さーん!」
「どなたぁ?」

誰かの応えてくれる声がしました。
でも、私の耳が悪いのでしょう、どこから声がしたのか、見当がつきません。広場の横、上、下・・・360度ぐるっと見渡しましたが、どんなものの、どんな影も形も見えません。

「あのー、名乗るほどのもんではないんですが・・・」
「なんか用なの?」
「いや、お美しいとご評判のあなたに、是非サインを頂きたくて」
「あら、わたし、サインなんか差し上げるようなガラじゃあないわ・・・あなた、何か変なことたくらんでるんじゃないの?」
「いや、確かに変人ですが・・・変なことってどんなことです? 何もたくらんじゃいませんよ」
「ホントに?」
「ホントに! ただ、わたし、音楽が心から好きでして」
「まあ、いいことですわね」
「で、音楽をいちばん美しく表現していらっしゃるのは楽譜さんだ、と伺ったものですから」
「あら、おじょうずですこと!」
「いや、伺って、心から、そのとおりだと思ったんです。ですから、そのお美しさを、ただ一目でも拝見できれば・・・それだけでいいんです」

「わたし、そんなにキレイ?」
声は、します。
「・・・あの、そう仰られても・・・どこにいらっしゃるんですか? 見えないんですけれど」
「あらまあ、失礼ね!」
「失礼でしたか、ごめんなさい。 でも、どこに?」
「いるじゃない!」
「え?」
「あなたの目の前に」

・・・呆気にとられるしか、ありません。本当に何も見えないんですから。



楽譜さんとの本格的なお話は、また先になります。
でも、見えない理由だけは述べて、今回の話を区切っておきます。

有名な歌手の方でも、「楽譜が読めない、書けない」って人がいますよね。
カラオケの上手い人でも、楽譜なんか読めない人、いっぱいいますよね。
ここで「読めない」と言われている<楽譜>は、書かれているものを前提にしています。
ですが、<楽譜>を<読めない>人が、どうしてステキな歌を歌うことができるのでしょう?

それは、書かれてはいなくても、ステキな歌を歌う人の心の中には、その人なりの、音符や記号や文字ではない<楽譜>が、実はあるからなのではないか、と、私は思います。

小鳥は当然<楽譜を書く>などということは出来ません。
ですけど、種類が決まっていると、その種類に応じて、きちんと決まったメロディの「歌」を歌うことが出来ます。

人間にとっても、音楽は、本来「書かれたもの」ではありませんでした。
いまでも、書かれた楽譜などというものの存在しない伝統音楽は、世界各地に広がっています。
それは人間が文字を手にする遥かに前から、父母や祖父母や長老、あるいはみんなから「あいつは上手い」と認められた名手によって、あるいは口伝えで、あるいは手取り足取り体全体を使って後進に教えられながら、ずっと歌い継がれ、奏で継がれてきたものです。

では、小鳥の歌、書かれたもの無しで伝わりつづけている音楽・・・これらは<楽譜>に無縁なのでしょうか?

<譜>というものが記号を意味する文字である以上、あるいは英語でもそれがNoteとよばれるものである以上、書かれたものでなければ<楽譜>ではない、というのが、学問的には正しいのかもしれません。

そこをあえて、私は「違うんじゃないですか?」と言ってみたいのです。

そう、本来、<楽譜>は耳に伝わってくる音そのものを「真似る」方法を指すものなのであって、かたちを問わないのではないでしょうか、と・・・かなり無茶な話ではありますが・・・とりあえず今回は仮定しておいて見たい。

そうすると、
「カラオケは好きなのに楽譜は読めないんだよな」
なんて悩みが、ある意味ではどれだけ的外れか、についても<楽譜>さんと話を進めやすくなると考えているからです。

身振り手振りを習うのも、口真似も、<楽譜>のうち。



ということで、今回のお話のまとめは、極めて簡単。

「わたし(=楽譜)は、もともとは姿かたちが見えないものなのよ」
「へえー、そうなんですか、知らなかった!」
「でも、見えないから、誰よりも何よりも美しいのよ! お分かり?」
「ヘヘーッ!(平伏)」

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2008年3月 9日 (日)

モーツァルト:管楽ディヴェルティメント考(1776)

    川も、泉も、せせらぎも
    奇麗な揃いのお仕着せか、
    水滴の銀の細工を身にまとい、
    誰もが衣を改める。
    季節(とき)がマントを脱ぎ捨てた。

    ----ロンドー(シャルル・ドルエアン)安藤元雄訳----



ここまで読んできたモーツァルト作品の個々へのリンクを作成し直しました。ご利用下さい。

あいかわらず1年分を数ヶ月もかかってでないと読みこなせずにいる(・・・いや、読めているかどうか定かではない)モーツァルトの作品ですが、1776年の作品もやっとこさ、残すところディヴェルティメント5曲となりました。

ですが、これらは、管弦楽のもの2曲と管楽だけのもの3曲に分けて観察したいと思います。

今回は、後者、すなわち管楽のためのディヴェルティメントを読んで(観察して)みます。



モーツァルトの作品を味わう上で今でも最大の価値を失っていない、アルフレート・アインシュタインの『モーツァルト その人間と作品』は、
「モーツァルトが生まれた時代には、室内楽とシンフォニーのあいだ、一方には劇場用音楽と教会堂音楽とのあいだ、他方には音楽堂用および宮廷用音楽と庭園用音楽のあいだに、1800年ごろのようなはっきりした境界線が引かれていなかったのである。」(273頁、白水社)
と記述しています。
そのあとに彼が並べている例を待つまでもなく、これまで見て来たモーツァルトの作品でも、
1)セレナードとシンフォニーの境界が不明確なもの
2)セレナードともディヴェルティメントとも呼び得るかもしれないもの
3)屋外用か屋内用かが不明確なもの
等々が存在する事が確認出来ています。
ただし、第1のものについてはリンク先の記事に記した通り「シンフォニー」と「シンフォニア(=イタリアオペラの序曲)」が未分化だった過渡的な形態、第2のものについては記事中には記しませんでしたが、行進曲が付帯していたら「セレナード」と呼ぶのが適切かどうか(この点は難しいのですが)といったことも含め、ディヴェルティメントとは何らかの差があるはずの構成から判定し得るのではないかとの感触を持ち始めています。
第3はまさに今回と同じ「管楽ディヴェルティメント」なのですが、アインシュタインは管楽だと言うだけで「われわれは、これら管楽器のためのディヴェルティメントを一つ一つ扱う必要は無い。それらは純粋に庭園音楽であり・・・気難しい案出も緊張も無い、形式の遊びである。」(アインシュタイン281頁)と決めつけています。ということは、宮廷用音楽と庭園用音楽」については区分があった事を、じつはアインシュタインは認めていた、ということが明らかです。

第2の内容については遡って再検討が必要かもしれず、これは今回は保留しておく「管弦楽ディヴェルティメント」を読んでみる際に再考する事とします。

第1の問題についてはリンク先の記述で解決済みであると思っておりますが、全体像はやはり、その際の結論に基づいて再整理する必要はあるでしょう。ただし、当面は行ないません。

なお、「劇場用音楽と教会同音楽のあいだ」には、これまで見直して来たところでは明らかに区別があり、これはアインシュタインの錯誤(おそらくは大バッハが教会用カンタータを数多く世俗用カンタータに転用している【パロディ手法】のと似て、モーツァルトも「ハ短調ミサ」をオラトリオに転用している事などが起因していると思われますが、モーツァルトの場合は<教会用>に適していたかどうかは別として、宗教音楽としての性質まで変容させたものではありません)ではないかと思っております。



本題ですが、まずはモーツァルト作品には直接触れません。あとで対比するための材料を並べてみます。
なお、管楽ディヴェルティメントが「屋外用」であることは否定しようとは思いません(雨天で演奏中止、などという記録があれば完全に「肯定します」と言い切るのですが)。けれども、屋内用ではないとの保証もないことは確認しておきます。

もっと本質的な問題は、管楽ディヴェルティメントは果たしてアインシュタインが述べているように「一つ一つ扱う必要は無い」と言ってよいかどうか、という点です。

同時代作曲家の例を見てみましょう。

ヨーゼフ・ハイドンの例を見ると(エステルハージ家に奉公する直前の1760年前後に集中してこのジャンルを手がけているのですが)、編成はオーボエ2本、ホルン2本、ファゴット2本と決まっており、疑作の1つを除き、楽章の構成も次のように5楽章に定型化されています。
・速い楽章
・第1メヌエット
・ゆっくりの楽章
・第2メヌエット
・速いフィナーレ

・・・ハイドンのこの例は、アインシュタインの述べている原則に当てはまっている、と言ってもいいのでしょうね。

もう一人の同時代作曲家、サリエリの場合はどうでしょう?
残念ながら、水谷さんの力作伝記「サリエーリ」では詳細が明らかではありませんが、彼にはディヴェルティメントと銘打った作品は、水谷さんのまとめた作品表を見る限り、ひとつもありません。ただし、これは「作品名の表記には文献間に異同があり・・・」という事情が絡んでいるようです。で、標準的に採用されている、ハイドンの場合と類似した形態の作品群は「セレナータ」の呼称を持っています。
タイトル上では例外的な「夜の神殿のためのアルモーニア」(1794?)は単一楽章として演奏されます。編成はハイドンのものにクラリネット2本が加わっています。
他のセレナータについても、ハイドンの編成を基本にはしているように見えますが、必ず他の楽器が加わっています。
・ハ長調とヘ長調のセレナータには2本のフルートが加わり、低音部はファゴット2本ではなく、ファゴットとヴィオローネ。楽章構成についての資料は見いだしておりません。
・変ロ長調のセレナータは大小2作ありますが(水谷さんの作品表に掲載はありません)、
※小セレナータ(1778)の編成はハイドンの上記の管楽ディヴェルティメントと同じ。第1楽章Allegretto、第2楽章Larghetto、第3楽章がメヌエットで、フィナーレがプレストです。
※大セレナータ(同年?)も同編成。ただし、楽章構成は6つで、その中にメヌエットはひとつ(第2楽章)しか含まれていません。速い楽章〜メヌエット〜遅い楽章〜速い楽章〜遅い楽章〜速い楽章、という造りです。
もう1曲、ト短調のセレナータ(これも水谷さんの作品表にはありません)は二楽章形式で、メヌエット〜速い楽章、となっています。
ハイドンに比べて特徴的なのは、ハイドンは各曲の構成が同じである事も手伝って一曲一曲の際をあまり大きく感じることは無いのですが、サリエリの場合はひとつひとつが「個性的」です。
・・・ひとつひとつが「違っている」ことと「セレナータ」という呼び名のあいだに関連性があるかどうかは、モーツァルトの管弦楽用ディヴェルティメントとの対比で再考しましょう。



さて、1776年のモーツァルトの管楽ディヴェルティメントです。
編成と構成、規模を見てみましょう。

K.240(変ロ長調)1月作曲
オーボエ2、ホルン2、ファゴット2
第1楽章:Allegro,3/4(105小節)
第2楽章:Andante grazioso,2/4(64小節)変ホ長調
第3楽章:Menuetto(24小節)&Trio(16小節、ト短調)
第4楽章:Contradanse en Rondeau(Molto allegro),2/4(162小節)

K.252(変ホ長調)1月(8月?)作曲
オーボエ2、ホルン2、ファゴット2
第1楽章:Andante,6/8(43小節)
第2楽章:Menuetto(28小節)&Trio(16小節、変イ長調)
第3楽章:Polonaise(Andante、40小節)変ロ長調
第4楽章:Presto assai,2/4(76小節)

K.253(へ長調)8月作曲
オーボエ2、ホルン2、ファゴット2
第1楽章:Andante,2/4(126小節)
 18小節のテーマと6つの変奏(第5変奏はAdagio,最終変奏はAllegretto)
第2楽章:Menuetto(28小節)&Trio(20小節、変ロ長調)
第3楽章:Allegro assai,2/4(83小節)

・・・編成については、ハイドンの1760年のものと全く同じで、この演奏は管楽ディヴェルティメントのひとつの型だったことが伺われます。(1773年の3曲のうち、編成は大きいが曲の規模は小さいK.188だけがまったく違っていますけれど、他2曲はこの編成にイングリッシュホルン2本を加えたもの、かつ5楽章編成でした。)

一方で、一曲一曲に違った特徴が見られます。
先に共通点を述べますと、3曲ともメヌエットはハイドンより1つ減らしています。(K.240は第1メヌエットを、K.252は第2メヌエットを省いた、と見なし得ます。)

K.240とK.252は、メヌエット以外の舞曲を含んでいます・・・ここで、お客が踊るのを見込んでいるかのようです。・・・実は、この点についてはハイドンのエステルハージ時代の宮廷への音楽の提供の仕方:これは「宮廷の生活」というものは決して庶民に対しクローズではなかった、従って、出版事情だけでハイドン作品の享受法がどうだったかを推測する手法には錯誤があるのではないかと思われる事を示す重要な示唆とも関係があるのですが、この話は別の機会に譲らなければなりません。)

K.253は最初に変奏曲を持って来ています。

各曲に凝らされた「転調」の趣向にも興味深いものがあります。これはハイドンやサリエリの前掲作には原則として登場しないものです(ウィットとしての部分的な転調は取り入れていますが、モーツァルトは楽章の部分全体のムードを変えて演奏場面のお客の心情により永続的な変化をもたらす事を意図しているかのようです)。

以上のように見てきますと、少なくともハイドン(兄)との対比の上では、アインシュタインの「管楽器のためのディヴェルティメントを一つ一つ扱う必要は無い」という見解には疑問を表明しておくべきかと思います。

また、サリエリが「セレナータ」一作ごとに変化をつけたのと似た「時代の精神」が(サリエリの方が一層モーツァルトと同世代に近いからでしょうか)、モーツァルトには伺われる、ということも言えるかと思います。

なお、NMAの緒言には1月、8月という作曲時期にも(他の年の同種の作品と併せて考察した時に)何らかの意味がありそうだ、と述べていますが、これについては私は確認が取りきれておりません。もう少し理解を深めてから見直しを期したいと思います。

長々失礼しました。

CD)
・Philips COMPLETE MOZART EDITION 3 "Divertimenti" Disc9(Holliger Wind Ensemble)
・Teldec MOZART Divertimento for Wind Instruments CD3
  (Chamber Orchestra Of Europa Wind Soloists)

サリエーリ―モーツァルトに消された宮廷楽長Bookサリエーリ―モーツァルトに消された宮廷楽長


著者:水谷 彰良

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2008年3月 8日 (土)

曲解音楽史:29)宋・元時代の「中国」

ベレゾフスキーさんの「つくばノバホール」でのコンサートが、いよいよ明日3月9日です。



前の回:1)音という手段 2)リズムの成立 3)音程から音階へ
    4)言葉と音楽  5)トランス 6)古代メソポタミア
    7)古代エジプト 8)古代インド  9)古代中国 10)古代ギリシア
    11)古代ローマ 12)初期キリスト教の聖歌について
    13)ササン朝ペルシャ  14)西暦5,6世紀ユーラシア音楽横断
    15)中世前半の西ユーラシア  16)唐朝と朝鮮・日本 17)「声明」の伝来
    18)モンゴルと中央アジア北方 19)「十字軍時代」の西ユーラシア
    20)日本固有(?)の古歌 21)グレゴリオ聖歌
    22)平曲と能楽:付)発声法について 23)アンブロジアン聖歌・ローマ聖歌
    24)西ヨーロッパ中世 25)ジョングルール 26)十字軍時代前後のイスラーム
    27)ペルシア伝統音楽〜中世からの遺伝子 28)インド中世


インドを見て来たあとは、位置的に近い東南アジアへ進みたいところですが、東南アジアは、この時期(11〜17世紀と幅は広いのですけれども)アラブ・インドとだけでなく、中国との政治的・経済的繋がりをも視野に入れなければ、触れることが出来ません。東南アジア世界は現代でもイスラム・ヒンズー・仏教、さらに時期的には遅れますがカトリック、と、信仰だけでも複雑に入り乱れて今に至っていますが、そもそも、それぞれの宗教の導入は、貿易に重要な役割を果たして来たこの地域の経済事情を反映してのものだったことが明らかになっています。ですから、先に中国を若干覗いておきましょう。

本当は明の時代まで包括してもよいのですが・・・「中世」という括りは中国は元代までで、明朝・清朝は「近世」に属するもの、と考えた方が良さそうです。日本音楽との関係で言えば、日明貿易の栄えた室町時代は能楽が隆盛していますけれど、能楽自体が日本にとっては中世と近世の橋渡しをしています。かつ、明朝の経済的進展は元を引き継ぎ、現在も中国の重要な文化である「京劇」を生み出しますが、そのおおもとは元代の雑劇に由来することを考えると、時間的には日本に先行しますけれども、日本では能楽と歌舞伎の関係にあたるものが元の雑劇と明以来の京劇にあるものと見なすこともできますから、この両朝のあいだに時代区分を置くことは、あながち不適切でもないと思います。
かつ、文化・経済的影響力という面では、明は領域を「中国」に限ったかたちで他国と接したのとは異なり、元は中国の一王朝名として位置づけられるよりも、中世の最後を締めくくり、近世への橋渡しに大きな役割を果たした「モンゴル帝国」(これは沿海州から西アジアまでの広い領域をカヴァーしていた)がその一部分の陰を「中国」という領域に落として行ったようなものだった、と見る方が適切なのではないか、とも思います。(歴史学的に合っているのかどうかは分かりません。)
ただ、この陰は、先に雑劇と京劇の関係について触れた通り、「中国」という地域に大きなオミヤゲを残して行きました。元代の中国音楽は、代表的には「北曲」と称されて今に伝えられています。遺憾ながら、「北曲」の演奏そのものは手にし得ませんでしたので、お聴かせすることが出来ませんが。

だいぶ前に、唐代の音楽に触れた際にも述べましたが、時代を追っての中国古楽の復元演奏は「現代的」に潤色されているため、音源として参考にしている「中国古典音楽鑑賞」(1998、輸入元:株式会社ジェイピーシー)は、宋代のものまでは、当時の姿を片鱗だけでも示している、とは言い難いと思っております。
ただ、現在に繋がる中国音楽のルーツである元の音楽になると、編作の施されていない演奏を聞くことが出来ますので、
「やっと、きちんと過去に触れられる」
と安堵出来ます。

中世期の中国には「詞」という歌唱文化が生まれ(中唐以降)、これは宋代に結晶します。そのため、「宋詞」については集成されたものも残っているとのことですし、すぐれた研究も(研究の本であるため高価ではありますが)著作として出版されています。とはいえ、研究は詞の歌唱法に、よりは文学的な側面(それが従来の「詩」と違っていかに庶民的か)に触れたものであるため、音楽上では(私程度の目では)参考にし得ません。楽譜(文字譜)による五線譜への旋律の移し替えが「アジア音楽史」にも載っていますが、当時の具体的な唱法への言及はありません。(「中国古典音楽鑑賞」に演奏も収録されていますが、日本の1970年代後半のニューミュージックみたいなアレンジ、かつ歌いかたは明らかに現代中国のものですので、お聴かせするには難があります。)
地域を限った歴史としては、宋に続く元は、たとえば吉川幸次郎氏が「元明詩概説」でお述べになっているように、モンゴル民族が中国全土を破壊尽くし、同時に過去の文化も否定し去ったかのような捉えられかたをすることが多かったのですが、中国に限らず広域的にこの時期のモンゴルが行なった文化政策を見ると、従来の「殺戮者」のイメージとはほど遠く、むしろ統治した各地の従来からの生活様式はそのまま守ることを認め、宗教や経済活動にも極めて寛容だった様子が伺われますし、そのことに着目した歴史の啓蒙書もだいぶ増えてきました。

今回掲載する音楽は元代の戯曲音楽の断片ですが、唱法は中国的とはいえ、中央アジアの伝統を受け継いだ節回しを持ち、かつ、(言葉で表現するチカラがなくて申し訳ないのですが)京劇に繋がる表現手法をとっている点、非常に興味深いものがあります。

(右クリックで音が聴けます。)

安史の乱で都を追われて玄宗と楊貴妃が逃げる途上、家臣が楊貴妃を罵倒する場面を描いたものだそうです。曲調は、宋、金の歌唱を継承したものだ、ということが明らかになっています。

元代はこうしたもののほか、ア・カペラの「散曲」という曲種もあった、とのことです。
こちらの例は、耳にできておりません。資料をご存知の方のご教示を乞いたいと存じます。

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2008年3月 7日 (金)

音源市場の中のクラシック

ベレゾフスキーさんの「つくばノバホール」でのコンサートは3月9日です。・・・ホンモノのピアノを聴きたい方は、是非!



ある方にご紹介頂いた「タイアップの歌謡史」(速水健朗著 洋泉社 新書y)は、音楽関係の本としては久しぶりに刺激的なものでした。
しかも、受ける「刺激」の質が、違いました。
それは、この本が「音楽のつくり」を扱ったものではないからです。(歌謡曲のつくりを丁寧にフォローしたものは小泉文夫氏の著作にあり、今も平凡社ライブラリーで手軽に読むことが出来ます。)
だからといって、「タイアップの歌謡史」は音楽の<内容>を語っていない本、というのでもありません。
著者に従って大括りに言ってしまうと、放送媒体(ラジオ・テレビ)登場後の「歌謡曲」が、どんな伝達媒体・伝達手段を通じて<流通>したか(放送に限らない)を丁寧に追いかけたレポートであり、論考になっています。
お読みになれば「そうだったのか!」とどなたにも頷いて頂ける内容ですし、私には上手に要約出来ません。税込819円ほどの本ですから、できましたらご自身の目で中身をお確かめ頂ければ、と思います。

タイアップの歌謡史 (新書y 167)Bookタイアップの歌謡史 (新書y 167)


著者:速水 健朗

販売元:洋泉社
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と言いつつ、「これが著者自身による要約だろう」と受けとめ得る発言は<終章>の最後の節でなされていて・・・この本はチャンと順番通りに読んだ私ですから(!)、
「そうか、この人の視野はここまで広がっていたわけだ」
と、大きく頷かされてしまいました。

引用します。

 中世のルネサンス期の音楽家たちを囲い、下支えしたのはメディチ家だった。音楽の父と呼ばれたバッハや天才モーツァルトは宮廷音楽家として作品を作り続けた。中世の音楽家たちは王族や貴族たちをパトロンにすることで、世に出ること、後世に作品を残すことを可能にしたのだ。それ以前の時代には音楽家たちのパトロンは教会だったと言われる。
 王族や貴族が中心の世の中から、民主主義や資本主義が中心となる現代へと移行し、音楽家たちのパトロンはマーケットであり広告業界となった。その両者をつなぐ架け橋として機能しているのがタイアップと言う仕組みなのだ。(中略)その時代にはその時代が生んだ音楽家が生まれ、その時代に即した仕組みがそれを下支えし、新しい音楽を作り出す。
 クラシック音楽の歴史を語るには、その時代に音楽が作り出された背景、つまり宮廷がスポンサーとなり、王族や貴族たちを対象にした演奏会や舞踏会のために音楽が必要とされたという事実を省くわけにはいかない。むしろ、そこにこそクラシックの本質があるのではないか?(後略)

「クラシック」の専門家さんから見れば「正確さ」には欠ける部分も目だつでしょう。
が、音楽の享受のされかたを、歴史を遡って辿ったとき、主旨としては、上の引用での言葉は、実に的を得ていると思います。



このブログは、たまたま結果的に、でもあり、かつはおのれの主観が抜けきれないままにではありますが、主に自分が最も長年親しんだクラシック音楽を軸として「西欧に地域限定しない音楽の歴史を探ってみたい」・「時代の端境期に花開いたモーツァルトという存在をフォローしてみることを通じて、時代と音楽の関係をもう少し身近に感じてみたい」という試行錯誤を常時念頭に置きつつ、その狭間に雑件をなるべく「自分の外の目から」考えてみたい、という思いで綴り続けています。
考えつつ、
「うーん、着眼点として何が足りないのだろうか」
という疑問は、常に抱いております。
そこへ、タイトルからだけですと本来は私の範疇外のようではありながら、実はそうではない本があって、足りない目の一つを与えてもらった、ということは、非常に有り難いことです、

「音源市場の中の」、と、タイトルに付しましたが、文化としての、という大きい輪の中に「ビジネスとしての」、あるいは「流通としての」音楽というものは、人の営みである以上、他のものと変わらずに存在するのでした。・・・そんなの当たり前、と言われれば当たり前なのですが、どっぷり「クラシック好き」にハマってしまうと、ともすれば「クラシック」作品を純粋な結晶としてだけ考え(「音楽と話す」カテゴリにまとめている記事は、そうしたものになるでしょう)、その歴史的意味付けは忘れないように、と用心したとしても(「曲解音楽史」カテゴリ)、「では、なぜ歴史として成立し得たのか」という根本のところ・・・まず「営み」ありきなのだ、というところを、実際にはやはり見落としていることになる。
これが「タイアップの歌謡史」を読んで、痛切に反省させられたことです。

などと言いながら、それでもかつ、私は「ビジネスとしての音楽」というのは極力避けて通りたい感情の持ち主でもあります。

そこを敢て踏ん張って、「ビジネスとしての音楽」というものを見つめなおす試みを、少しだけしてみようか、と、ちょっとした市場調査を試みてみました。
使った時間が少ないために、きちんと統計的な数字では出せませんが(評価するだけでも手間を取り過ぎ、今の生活環境では、残念ですが、そこまで出来ません)、まずは「クラシックCDの売れ筋」を傾向の違うサイトの代表的なもので比べ、大まかな傾向だけは掴んでみよう、というものです。
本当は、時代が時代ですから「ダウンロードされている音源の売れ筋」まで含めて観察したかったのですが、いちおうCDに限ったのは
・市場規模がポップ系に比べて小さいのは間違いないようだが、どのくらい違うのか把握出来なかった
・で、当然、普通のダウンロードベストテン、みたいなものは、ポップとは違い、調べられなかった
ということで、そこまでは諦めました。
また、急に思いついたことなので、「タイアップの歌謡史」の背景に著者が周到に用意したような、大量且つ適切な過去の蓄積も持ち合わせていません。

で、3月5日現在の、とある2サイト(おそらくマーケティング手法が正反対に近いほど違うと推測されるもの)の「ベスト100」までを観察した結果、目についた特徴を申し上げるに留まりますが、まずはこんなところでご容赦下さい、と、事前に申し上げておきます。

なお、ライヴ(ライヴ録音、ではなくて、ライヴそのもの。コンサート、と呼んでしまうと意味が狭まります。要は、お客の前で実演される、ということ)については、また他をあたっている最中でもありますし、後日別途考えてみたいと思っております。



まずは、「クラシック」CDの、音楽CD市場の中での規模を想定しておきましょう。
ただし、元の意図が大雑把ですから、この想定も、極めて大雑把な方法によります。
本当は、「web上での市場規模」で見なければいけないのですが、目に見える材料がないので、私が通う「数少ない」店舗で「クラシック」の棚がどれくらいの割合を占めているか、から推測します。DVD分を控除していません。というのは、最近ではCDとDVDが混在するのが当たり前になっているからです。概算ですが、
・新宿のタワーレコード〜4フロアの売り場のうちの、2分のⅠフロア=12.5%
・池袋のHMV〜全売り場のうちの、5分の1=単純だ、20%
・近所の新星堂〜棚8つのうちの、3分の2棚くらい=18.75%
・同じく近所のタワレコ〜棚7つのうちの、5分の3棚分くらい=8.57%
で、各店舗の面積比が分からないし、人の動きも分かりませんので、標準偏差だの何だのと言う難しいことは一切考えないことにすると、だいたい15%というのが、全音楽CD購入者に占めるクラシックCD購入者の割合、ということになります・・・強引。(でも、いい線いってる値のような気もする。)


以下、すごく大雑把ですが、<調査の方針と結果>(なんて言っちゃうと、随分大層に見えますねぇ!)
を記します。


マーケット規模の仮想
・音楽CD全体の15%程度と考えるのが妥当か?
・1ヶ月あたりの全CD売上枚数の15%〜?枚
・それぞれの「小売」手法により、違った傾向があるので、代表例をHMVとAMAZONのサイトに求めた。

CD全体の月間売上枚数のデータがないので、枚数予想は次のように(かなりいい加減に)見込もうかな、ともくろみました。しかし、これは以下の理由から断念しました。

※仮想モデルを次のようにしてみるとします。
・販売中のクラシックの年間総タイトル数=(少な過ぎかもしれないけれど)3000タイトル
(CD市場全体では月間20,000タイトルと想定したことになります。)
・年間クラシック購買人口=300万人(市場全体で2000万人・・・うーん、過小だなあ!)
・年間クラシック販売枚数=600万枚(市場全体で4千万枚として、ですね。これじゃあ市場が成り立たないかも・・・諸経費を差し引いて、利益【経常利益】で、いちばん楽観的に見て40億未満【30億は期待したいところですが】という市場だというモデルです。)
・年間最上位の販売枚数〜ポップ系が100万枚だとしたら、クラシックは15万枚がいいとこか。

※市場全体の1タイトルあたり平均売上枚数は、4000万枚÷2万タイトル=2000枚
※同じ方式でクラシックを出すと、同じになっちゃうんですよね。。。
 ですので、本来、これではモデルとしてあまりにいい加減だ、ということが判明します。
 でも、これで行っちゃってみる、と考えてみましょう。
 で、逓減率を一律ということにしてしまうと、
 トータル販売枚数600万枚、最高位の販売枚数が15万枚で、タイトル数は3000だから、0.975。
 ところが、これでは実は501位以下は1枚も売れていないことになってしまうので、
 この算数は成り立たない。・・・かといって、数学的モデルを出すだけの能力も暇もありません!
 (現実には、マイナーな商品でも年間で最低50枚から100枚程度は売れることを見込まないと
  ・・・これでもビジネスとしてはとんでもない少数ですけれど・・・ラインアップされないと思うので、
  逓減率にはどこかで大きな屈折点があるのではないかと思います。)

従って、ランクだけのお話とします。ご容赦下さい。別途手順を見つけたら、再施行しましょう!
(・・・しないだろうな。)



定義:
個人盤〜個人アーティストに限っての演奏を収録した「企画盤」
企画盤〜イベント・ドラマ等一定の企画性を意識して作成されたもの
オムニバス盤〜選曲・演奏者に一貫した企画性が薄いもの
無定義〜「曲」を売りにしていると想像されるもの


以下の二つのサイトでは、「どこまでをクラシックに含めるか」という点での発想も異なっていることが明確であるが、どう明文化するかは難しい。



結果です。

HMV:作曲家別にランク付け得るが、他の点でのランク付けはほとんど出来ない。

(作曲家別売上総数でのランク)
1位:バッハ(14品目)
2位:ベートーヴェン(11品目)〜但し、上位10位以内に「交響曲・序曲全集」2.8位と11位に「第9」。
3位:モーツァルト(10品目)
4位:マーラー(8品目)〜但し、うち4品目が「交響曲第6番」
5位:ブラームス、シベリウス(各5品目)

※10位までのランキングしか見ることの出来ないタワーレコードでは、これらの作曲家は全部入っています。

*個人盤の最上位は33位。(アルゲリッチ&フレンズ)
*企画盤の最上位は19位。(「イン・ア・ステイト・オブ・ジャズ」〜むしろ「個人盤」?)
*オムニバス盤の最上位は78位(「魔法のメロディ」)

*個人盤で登場する回数の最も多いのはカラヤン(生誕100年)だが、4品目に限る。



AMAZON:企画的商品がアーティスト個人に依存する商品が上位を占め、作曲家による明確な「売れ筋」というのはないに等しい。

(作曲家別売上総数でのランク)
1位:モーツァルト(10品目、但しうち3品目は<音楽療法>という「企画盤」)
2位:ベートーヴェン、チャイコフスキー(各5品目)
 &:ラフマニノフ(5品目)〜但し、全てピアノ協奏曲(必ず第2番を含んでいる)
5位:ショパン(3品目)

*個人盤の最上位は1位。(次点は13位)。最上位、次点とも、サラ・ブライトマン。
*企画盤の最上位は2位。以下、オムニバス版が出てくるまでの上位に位置するものの中の3〜5位、7〜8位、10位、11位。
*オムニバス盤の最上位は14位。

※個人アーティストでは、100位以内にはカラヤンが5品目、サラ・ブライトマンが4品目入っている。
 ただし、カラヤンの「個人盤」と見なせるものは1品目(85位、「カラヤンベスト100」)
※企画盤では、「のだめ」が4品目、上位100位以内に入っている。

※「カスタマレビュー20件以上」に見る、AMAZONの「売れ筋」との関連性(数字はランク【順位】)
 個人盤=1(サラ),8(秋川「千の風・・・」),13(サラ),17(グールド),93(フジコ・ヘミング)
 企画盤=5(のだめ)、23(のだめ)、24(ディズニー)、30(音楽療法モーツァルト)、62(同左)、
       75(「ブラバン甲子園!」・・・カスタマレヴューは2件しかないが、「ブラバン甲子園!2」
       はランク3位となっている)、90(「ファイナルファンタジー」)
 無定義=19(ラフマニノフ〜アシュケナージ)、51(ラフマニノフ)、52(ショパン〜アシュケナージ)、
       73(チャイコフスキー交響曲全集、ムラヴィンスキー)



たったこれだけのことから、どれだけ大言壮語がはけるか!?

・2対極の典型として観察してみたHMVとAMAZONの「クラシック」小売戦術には、次のような差がある。
 HMVは、「曲として売れる」ものを中心に据える傾向がある
 AMAZONは、企画盤や「アーティスト」を売りにする傾向がある

・上記の差異は、(パッと見の印象で恐縮ですが)HMVとタワーレコードに、またAMAZONとiStore(Apple)に類似性が見られるので、現時点での「クラシック」の売り方の2大典型ではないか、ということが想像される。

・ただし、音源販売ビジネスとしては、「クラシック」に大票田を求める意図は、おそらくいずれにもないし、音源提供者側にもないだろう(推測)。それでも、クラシックの顧客が安定した数であるという前提があるとすれば(これに対する裏づけは何もないのですが、ポップ系の諸ジャンルに比べれば定着度は高いだろう、との主観から)全提供者の純利益で約3億を見込む「保険的な」ビジネスとして、「クラシック音源販売」ビジネスは生息を続けているのではなかろうか???

・・・まあ、こんなもんですねぇ。。。
   つまらんことに凝ってしまったかもなあ。。。後悔。

本当は、少なくともHMVとAMAZONの、「クラシック」だけでの収益の実数をつかめれば、もっと確かなことが言えるのですが、そこまでの材料を手軽に入手するすべが分かりませんでした。

ということで、この記事の内容は、甚だ信憑性の薄いものだとご了解下さいませ。



収穫の認められない御報告となってしまいましたけれど、それでも面白いのは、

・最近店舗で「生誕100年」の大きな看板を掲げているカラヤンのCDが、HMV、AMAZONとも100位以内に4,5タイトル入っている。〜旧式のキャンペーン的な宣伝ではありますが、効果をあげていることが伺われます。

・企画モノを前面に押し出していると思われるAMAZONでは、CM便乗型は見当たらないが、ドラマとのタイアップ(「のだめ」)が4品目、上位に入っている。(一方で、ドラマ中にクラシックを多用した「SP」とタイアップ関係を見出せるような曲目は・・・リストまでは載せないが・・・無きに等しかった。)

・個人盤も同じく「企画盤」の一環と考えてよいかと思うが、AMAZONでサラ・ブライトマンが100位以内に4つも入っている理由は、やはり何らかのタイアップ戦略が生きていることを伺わせる。

・AMAZONのカスタマ・レヴューの数が20以上あるもの、およびその関連商品が17品目、上位100位以内に入っている。
(HMVにもあるのですが、個別にしか見られないので分かりませんでした。)
カスタマ・レヴューは誰でも自由に記入できるものではあるが、ここで伺われるのは、企業との、ではなく、「一般人とのタイアップ」が売れ行きに貢献しているという側面である。

サラのケースを少し詳しくフォローしてみること、及び、数の多いカスタマレヴューが「どういう要因で綴られているか」(おそらく、純粋に個人的な動機からの記入ではない、何らかの「力学」があるのではないかと思います。「千の風になって」や、フジコ・ヘミングはテレビ媒体で流行したことはご承知の通りです。が、一方で「ブラバン甲子園!」のヒットには、中学高校に多数あり、かつコンクールの体制もしっかり整った吹奏楽という環境のもとで、なんらかの連繋したコミュニケーションが販売に貢献したことは十分に考えられます)の2点に着目すると、今回のように「ザル」方式で市場の動向を推論してみるより、はるかに興味深い「何か」が見つかるのではないかと・・・そんな気がします。サッカー? ポケモン? ・・・この人は大きいイベントによく採用されますしね。

以上は、AMAZON方式が「タイアップの歌謡史」にある延長の商法をとっていることが確認できたところに一つの意味はあると思います。
ですが、その対極にあるHMV(やTowerRecord)の小売方法は、「タイアップ・・・」とは別の路線を辿っていることも伺われます。こちらの「ビジネス」としての参考になる書籍は「一枚のレコードに」や「アナログを甦らせた男」といったものがあるのですけれど、如何せん、著者が技術面にウェイトを置いた記述をしているために、AMAZON方式ほどクリアには
「どうしてクラシック音源ビジネスを成り立たせているか」の経済原理は漠としか分かりません。
(日本の場合、ジャズにも、HMV系の売り方のほうが主流ではないか、との感触もありますので、こちらのほうが一層興味深くはあります。)

結論にしては半端ですが、
・現状、ネットに乗ってのビジネスとしては、「クラシック」は「ポップ(歌謡曲)系」と同手法を原則としていると思われる。
・一方で、「ポップ系」路線とは一線を画する独自のビジネス展開も、「クラシック」(及び「ジャズ」)には存在すると思われる。・・・これについては別途、向きを変えてアプローチしてみなければならない
なんてことは言えそうです。

・・・と、偉そうに言って、ごまかして退散します。

ホント、無内容な記事をお読みくださった方、心から御礼とお詫びを申し上げます。

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2008年3月 6日 (木)

空転の使者だった?NewYorkフィル

Maazel533

NY-webを数日眺め、最近、「音楽の享受される環境」について興味深い本をご紹介頂いたものを読みながら考えてみて、つくづく感じました。

で、以下の内容を政治向きの記述にしてしまったところで無意味です。

ニューヨークフィルの北朝鮮訪問は、旧弊な呼び方でいえば「西側」にあたる連中が事前に期待したような「北朝鮮への使者」たる使命は果たせなかったようです。
それに失望して真面目なことを綴った方もいらっしゃいましたけれど、結局これで終わってしまったのは、単純に、「何か転機をもたらすのではないか」という、北朝鮮の一部の政治屋さんの抱いた思惑が・・・アメリカに対してはインパクトを持ち得たものの、諸事情を総合的に勘案した時に、
「音楽は外交に使えない」
と、北朝鮮の首脳陣が最終判断した、ということを表しているにすぎないと思われます。

そう言う意味では、がっかりしてもしかたのないことです。

「音楽」は、「音楽」として純粋に楽しまれるためには、その音楽の性質に合った「純粋」な環境が整っていることが最小限の条件なのでしょうね。

・・・ヨーロピアンクラシックでは、北朝鮮にその環境を求めるのが無理だった、ということだけ、なのではないでしょうか?

彼らを取り囲んだ現地の記者数は少なく、中国とロシアの記者の方が「やや多かった」ということだけが、記事の本文に書かれていました。ロシアはもちろん、19世紀後半にはヨーロッパ音楽の強力な一翼をになっていました。中国には、ヨーロッパの音楽を取り入れたことが、間接的にではありますけれど、こんにちの上海などの経済成長に刺激を与えた実績もあります。ですので、この両国の記者が北朝鮮でのニューヨークフィルに興味津々だった・・・あるいは、自国も北朝鮮という(アメリカにとってよりは身近でありながらもなお)「異境」との間に新たな接点を見いだす糸口を掴める可能性に期待を抱いたかも知れないのは、自然な成り行きです。

結果的に、アメリカがどうだったかは別として、北朝鮮は、そうした中国やロシアにも肩すかしを食わせた恰好をとった。・・・「音楽は世界の共通語」なんかじゃない、ということを示してみせることで、自分たちの対面を守ることのほうを大切にした。
国際世論がどうであろうと、それがあの国の人たちの選択したことです。
その結果に対して責任を負っているのも、あの国の人たちです。

寂しいけれど。

NY-webには、マゼールが指揮した北朝鮮の国立オーケストラのワーグナー「マイスタージンガー」前奏曲の音も入っていました。これを聴くと、彼らは彼らなりに、実はすでに西欧音楽の何たるかを理解はしていることが伺えます。・・・エンディングがいかにも東洋調、であることを除けば、音程も、表情付けも、少なくとも日本人が理解している「クラシック」と大きな差はなく、音程はむしろ、日本人よりずっといい。
でも、音の上に掲載されている写真での、マゼールの表情は、厳しくて暗いものでした。演奏しているかの国の人たちの表情には、音楽の喜びがありません。かつ、いちおう黒系のスーツで服装を統一しようとしたあとは伺えますが、違う色のスーツの人ももちろんいますし、ネクタイとなると、全く統一感がありません。

そこから、しかし、私たちは何を察することができると言うのでしょう?・・・メディアによる、ごく僅かな断面からは、まだ真相は見えない。

かの記事から「音楽の無力」を知るべきなのか、ゆっくりと進むであろう何らかの希望を読み取るべきなのか、すべてはまだまだヴェールの向こう側です。
Pyongreception

以下、どれくらいの期限で残るかどうか分かりませんが、関連記事へのリンク。

New York Philharmonic in Asia: After the Big Event, Off to Seoul

New York Philharmonic in Asia: Maazel Conducts the State Symphony

New York Philharmonic in Asia: Random Observations

New York Philharmonic in Asia: A Rare Outsider’s Glimpse of North Korea

New York Philharmonic in Asia: English Lessons in Pyongyang

New York Philharmonic in Asia: Let Us Now Praise Minders — and Great Men

New York Philharmonic in Asia: A Reception in Sounds

New York Philharmonic in Asia: Messengers of Sound
 ※この記事に付帯したインタヴューに答えているNYPHのメンバーの話している内容が、
   決して否定的ではないところには、正直な「耳」で受けとめてよいものがあるとは思っ
   ております。

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2008年3月 5日 (水)

時間は止まる

いろんな哲学者さんや科学者さんや宗教屋(あ、宗教家ですね)さん、その他諸々の人たちが、「時間」のことをいっぱい考えて、語って、綴って、私たち素人に教えてくれます。

でも、
「時間よ、止まれ」
とまで発言したのはゲーテと矢沢永吉くらいかな。
あとは、おバカですから知りません。


「時間は、止まらない」というのが、どんな難しい話の中でも大前提だったように受け止めておりましたが、これも、バカのことゆえ、分かりません。

昼休みに入ったとき、食事に出る途中まで、いつも気にかけてくれている同僚が声をかけてくれました。
「どうや!」
「うん、娘も進学先決まったしな、息子も中学上がるし・・・いま、ちょっと<心の空白期間>かな。ぼんやりしてらあ」
「ええんとちゃう?」
「いいんだけどさ、やっと見つけたと思ったスーツ、みんなボロんなってたり、カビ生えてたり。だから、ホントはこの隙に新調しに行かにゃならんのだけど・・・ボーッとしてるうちに、子供の卒業前の行事とかでいっぱいいっぱいになりそうでな」
「でも、父ちゃんは、せめてパリッとして、卒業式とか出てやらんとナ」
「・・・そうだな。」
で、家内の遺体を運び込んだときのドサクサで、まだ行方不明のものも、あるのです。
気にかけていなかったのですが、デジタルカメラも、そうでした。
かつ、新学期が始まると、子供達の入学式が同日なので、二人のうちの一方は親に出席と写真撮影を頼まざるを得ません。
「まあ、そんなでな、これからデジカメ2台仕入れて来んといけねえんだ、安いやつ」
「ほっかあ・・・まあ、いろいろ、進んでいくなあ」
そう言われて、ふと口にしてしまいました。
「でもなあ、あんときのことだけは、自分の中で、時間が止まっとるんだよ」
「奥さんか。」
「うん。」
「でも、周りはどんどん動いとるやろ」
「まあ、自分もぐらぐらしたしな。けどなあ、あんときの、あの日だけは、いつまで経っても昔にならねえんだ」
「・・・それ、分かるなあ」
同僚、そう言ってくれて、私と別れました。


家内の気絶した顔、臨終で微笑んだ顔、霊安室に送る前の日に布団の上から一晩中その体に手を回してやっていた感触、次の朝に声ならぬ声で
「見えるよ。見える?外、見えるよ。」
と家内が話し掛けてくれた言葉。
これだけは、自分でも妙だとは思うのですが、決して「記憶」のおかげとかいうのではなく、それを見た自分の目、それにふれた自分の手、それを聴いた自分の耳にとっては、
「そこで家内との、いや、自分自身の時間がピッタリ止まっている」
という以外、私の貧弱な語彙の中では、実感の表現のしようがありません。


人間にとって、普通は、時間とは「動くもの」や「動かないもの」が、どれだけ「動いているか」・「動いていないか」を計るために生み出した<物差し>なんだろう、とは、思っています。

だのに、不思議ですねえ。
「止まっている時間」
というのも、あるんだなあ、と・・・これは、多分、同僚のおかげで、お昼に一瞬、自分が純粋に「カラッポ」にさせてもらえて、感じたことではありました。

普段綴っている「音楽」は流れていく「時間」としっかり繋がっているものですけれど、ふと思うに、
「時間は止まる」
・・・ファウスト君、だから、何の心配も要らないよ、と、そう語りかけてくれる「音楽」というものも、もしかしたらあるのかな。

まあ、無理してそっちまで話を広げるのは、よしておきましょう。

時間が止まる、そのことが喜びなのか、悲しみなのか、も、いまは考えずにおきましょう。

考えること自体、無意味かもしれませんから。


今晩は早い時刻からブログに長時間のメンテが入るそうですから、本日はこんなところでお茶を濁して、早目に載っけときます。

・・・あ、ベレゾフスキーさんの「つくばノバホール」でのコンサートも3月9日に迫っています。
・・・聴き逃す手はないですよ!(前に綴った記事にリンクを貼りました!)


追伸)よくよく確かめたら、メンテは別の日でした・・・ま、いいや。

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2008年3月 4日 (火)

音楽と話す(番外):そうは言っても何から聴けば?(CD。注意:最後はクラシック限定!)

音楽さん(なんだか、思っていたより品の悪いやつでしたね)と、取り留めもないお話をしてきました。
とりあえずは、「聴く」ということについて、対話をしてみました。

まず「聴く」
「想う」心
「さりげなく」聴く

の3回(それ以前にも3回ほどお話しましたが、一旦忘れましょう)、このテーマでお話してみたところが、

「音楽の<種類>だのなんだの、という選別をしないで、<強く心に残ったもの>を、大切に・・・最後の響きが消えるまで、静かに耳を傾ければよい」

というのが、音楽さんの意にかなった「聴かれ方」なのかなあ、という結論に達したのでした。



そうは言っても・・・と、今日は「音楽さん」にはご登場頂かず、私だけが勝手にしゃべりまくります。

「今まで心に強く残ったもの、というのではなく、新鮮な出会いをしたいんだよ」
と仰る向きも多いかと存じます。あるいは
「まだよくわかんないけど、とにかく聴いてみたいんだ」
ってこともあるかもしれません。

かつ、ちまたにはまず、CD店舗には、どこから手をつけたらいいのか分からないくらい無数のCDが並んでいますし、
「これじゃあ分からないや、適当なガイドはないか」
と本屋を漁ってみると、これまた「CD紹介本」が、また無数に「この本に書いてあることこそ本物!」みたいな謳い文句で並んでいます。
中にはCDを紹介せずに曲だけ紹介しているようなものもありますし、そうした類いのものを初めて手にしたときは
「こっちのほうがよっぽどましかな」
とも感じたのですが、よくよく考えると不親切ですし、書き手に「音楽に対するその人の本当の思い」を隠しているのではないか、という・・・悪く言えば<逃げ>の姿勢も感じるようになり、あまりお勧めしたい気にならなくなりました。



「入門CD」と称するものもあまた出ていまして、そういう類いのものから入るのも、以後の興味を広げていく、という点では、良い方法の一つなのではないかな、というのが、実感です。
私自身、少年時代にクラシックを聴く幅を広げていったきっかけは、当時では750円という破格値で、小遣いをちょっと貯めれば自分で買えた、グラモフォンの宣伝用のサンプル盤でした。この頃はまた、CBSソニーなども、そうしたサンプル盤を出していました。

また、数年前になって「民族音楽」に興味を持ち出したときも、何から手を出したらいいのか分からなかったので、Victorの「ワールド・ミュージック・ベスト」というCDを手にしました。

ジャズは・・・難しいですね。わりと古めの系統なら、ジャズ好きの人に勧めてもらって、極端に言えば「ガーシュウィン」だの「デューク・エリントン」だの「ビリー・ホリデイ」だのと、最初から決め打ちして聴くのはラクですけれど、案外、そこから先に進むのが難しい。マイルス・デイビス(名前くらいならご存知でしょうけれど)って言われた途端、これだってもうジャズ・クラシックに入ってしまうのでしょうけれど、もうそこでストップ、というのが、私の経験です。
かつ、「ジャズ」と一口に呼ばれているものは、本来は一口では言い切れないほど、意外にもたくさんの種類の音楽を含んでいて(厳しい人は、ラグタイムを「ジャズ」とは言わないでしょうし、ビッグバンドとトリオなどのセッションもまた全然違う代物です。ボーカルが入ったものは「ジャズ」を冠していても、とくにモダンジャズの愛好家からは、「ジャズ」そのものだとは思われていないのではないでしょうか?)、これについては、すみませんが、私はお手上げです。これは、最後に申し上げる「伝統」ということと関係がある、と思っております。

ポップ系(といわれるもの)だけは、やっぱり十代の頃の思い出の強いものにしか手が出ませんで・・・これは身近でいろいろな好みの人が豊富にいますから、「新鮮な」を狙うのでしたら、好きそうな人に教えてもらったり借りたりするのが早道ではないかな、と思います。ただ、最近の動向としては、ドラマの主題歌やCMソングで流行するものはお店のわかりやすいところに並びますので、手が出しやすい。手を出してしまう、ということは、もうその時点で、歌をも歌手をも気に入っている場合が多いので、そこから先は同じ歌手のアルバムを徹底して聴いたり、その「アーチスト」が影響を受けた、と称する歌手やバンドへと手を広げていったりすることは、そんなに難しくなさそうです。(娘の様子を見ていての感触ですけれど。ただし、娘は飽きっぽいので、こないだまでエグザイル、エグザイルと騒いでいたのに、もう次を物色しているようです。かと思うと「ビートルズが聴きたい」とか言い出すので、もう、オジサン、ついていけません!)・・・この系統についてだけは、ですから、何を入り口にしたらいいのか、ということをあまり考える必要はない気がします。



演奏家についての知識もなく、曲についても何にも知らず、というときに、他のジャンルのことは分かりませんが、クラシックなら、
1)お勧めしたくない方法
2)お勧めしてもいいかな、と思う方法
の二つがあります。


1)お勧めしたくない方法

「クラシックCD案内」の類いの本を読んで選ぶことは、やめたほうがいいでしょう。(ご著者や出版社の営業妨害をしたいわけではないんですけど。)

瞥見した限りでは、この手の本は、必ずといっていいほど著者の価値観を押し売りしているようなものです。中には、一つの曲についていくつも候補が並べてあって、一見公平な評価をしているのではないか、という印象を与えられもするのですが、世の中、本当に「公平」な目などというものは存在しません(と、ここに綴っている私自身が、こんなこと綴ってること自体、既に公平ではないでしょう? ややこしいけど。)

どうしても「何か(もしくは誰か)のガイドがないと手を出す勇気がない」というのでしたら、クラシック好きなお友達がいれば、その人に
「いちばんお勧めを<1枚だけ>貸して!」
と頼むのが、最も無難でしょう。
・・・で、借りて気に入らなくても、
「ありがとう、あれ、とてもよかった。でも、他も聴いてみたいな。だけど、いっぺんにたくさん、はまだ無理だから、また<1枚だけ>」
って、ちびりちびり借りるのが、お金もかからず、友情も固まり、たいへん結構なのではないかと。。。

・・・ポイントは、1回に1枚以上は借りない、というところですから、ご留意下さい。

お友達がいない場合は、本に手を出さざるを得ないということになりますねぇ・・・
仕方ないか。

「書物占い」って、ご存知ですか?
その方式でCDを選ぶ。
「私に合う曲、合う曲・・・」と、心に念じて、「えい、気持ちが決まった!」っていうところで本を開く。
そこに載っているCDを買って聴く。
・・・気に入りませんでしたか? でも、占いの神様のご選択、もとい、ご託宣ですからね。気に入るまで、我慢して繰返し聴くしかないですね。

初めてクラシックをお聴きになるのでしたら、くれぐれも、本の「深読み」はなさらないことを、重ねてお勧めいたします。


2)お勧めしてもいいかな、と思う方法

<1枚もの>の「クラシック名曲集」から聴いてみるのが、いちばん手軽です。

最近は、3枚組1,000円などという、超お徳用盤もありますけれど、はじめてクラシックを聴く人が3枚まとめて聴いたとして、はたして何曲印象に残るでしょう?
「せっかく、もっと枚数が多いのがあるのに!」
と思っても、1枚1,000円、から始めるのが良いと思います。

事前に「どんな演奏家がいいか?」とか「どこの会社のがいいか?」とかいう情報は、極力仕入れないで、まっさらで聴いてみる。

そのなかに、
「あ、この曲は!」
と、ピンと来るものが、ひとつだけでもあればいいのです。
それだけでも、投資額1,000円だったら、損した気分にはならないで済むと思います(保証の限りではありませんが)。

で、ピンと来た作品の何が気に入ったかによって、その曲は誰が作ったか、どんな名前の人・団体が演奏しているか、あたりに注目して、その作曲者もしくは演奏者のCDを個別に探すことからスタートすると、ちょっとワクワクするんじゃないでしょうか?

作曲者の伝記とか、演奏者の評判とかは、後から知ればいい。
・・・そういう意味では、この入り方では作曲者はどうしても有名な人に限られるでしょうからいいとして、演奏者については、本当なら「いままで、この人、知らなかったなあ」、または「ちょっとは聞いた事がある名前だなあ」くらいとの方が、望ましいような気がします。有名な人だと、今までその人の演奏の録音なんか聴いた事がなくっても、なんとなく世間での評判を頭の片隅で覚えているものでして、それが演奏を聴く場合の先入観になります。
まあ、でも、結果的に「いい音楽だなあ」と思えるものがあって、それがたまたま知っている有名演奏家のものだったとしたら、それはそれで構わないことでして、こだわるほどのことではないかも知れません。
・・・これで、ポップ系と、やっと同じ土俵に立ちましたかね。



「クラシック」で、気をつけなければいけないのは、呼び名から伺われるとおり、本来こう呼ばれている音楽は「伝統音楽の一種」だということです。

日本では、特に最近は、映画音楽としてとか、ドラマ・CMに用いられるのが元で急に有名になる「クラシック」が多いのですけれど、そうしたことから「クラシック」に入っていくと、ともすれば「クラシックってムード音楽なんじゃないの?」という勘違いを起こしがちです。
また・・・うちは家族で大好きでしたので「のだめカンタービレ」を一生懸命見ましたけれど・・・そして、このドラマには個人的には亡妻の思い出も強く重なるのですけれど・・・、いかに舞台を「音楽大学」にしたものであっても、ドラマで演じられる際に用いられる「クラシック」は、やはりドラマの「ムード作り」のために選曲されているのでして、「クラシックそのもの」の聴かせ方ではありません。「金八先生」や「ごくせん」の教師像が、現実の教師像ではないのと(例えは悪いですが)、同じことです。
で、ドラマの中のキャラクター(音楽も、です)は、ドラマの中のキャラクターとして楽しみ、場合によっては自分の生き方の理想にすることは、別段構わないとは思います。

とはいいながら、くどいですが、ドラマ等の中のキャラクターとしての「クラシック」は、「クラシック」そのものではありません。
で、もっとくどくなりますが、「クラシック」と普通呼ばれている音楽は、実のところはその直訳の「古典」では決してありませんで、大体18世紀後半から今世紀の「クラシック系を自認する」作曲家の作品に限っての呼び名と考えれば、ほぼ間違いないでしょう。(とくに、18世紀から20世紀前半にかけては、ヨーロッパというローカルな世界での伝統音楽の一種だと見なしてもいいかも知れません。・・・あ、これは、ややこしかったら忘れて下さい。)
長話ついでに、「クラシック」と銘打ったお店の棚では、さらに「古代からルネサンス」とか、「バロック」とか、「古典派・ロマン派」とか「現代」なんていう区分けがなされていますけれど、これはお店の都合上の話で、<「バロック」以前もクラシック>だというふうには思わないで頂いた方が、後々よろしいのではないかとも思います。(これにはあんまり神経質になる必要はないでしょうけれど。ただし、本来、「中世〜バロック〜クラシック」は日本の伝統音楽の流れになぞらえれば、「雅楽歌謡〜能楽〜歌舞伎」くらいの様式的な差がありますので、一緒くたにするのは誤解の元ではあります。)

で、「クラシック系」を自認しているはずの作曲家が「クラシックって、古くからの同じ曲を違う人がまた演奏する、っていう、ヘンテコな世界でしょう?」などと見当違いなことを発言なさっていて苦笑してしまったことがあります。

「クラシック」は、伝統音楽の一種ですから、いろんな人に繰り返し演奏されることが前提で、「同じ曲」の録音が別の演奏家によっていくつもなされているのはそのためだ、というわけです・・・これ以上へ理屈をこねると長くなりますから、いまはこれくらいで抑えておきます。
「はあ、そんなもんですかいな・・・」
と、とりあえずはご了解頂きたいと存じます。
敢て付け足すなら、ジャズやポップ、欧米以外の伝統音楽は演奏者と切り離しては考えられないものが圧倒的に多いのですが、クラシックは作曲者と切り離せないのが通常、という特徴があります。



ああん、なんで私が綴ると、こんなにわけ分かんない、小難しい文になるんだろう!

「能力ないからだろ!」
・・・はい、仰る通りで。

以下、いくつか、<1枚もの>のクラシックCDを挙げておきます。
ただし、実のところ、私自身は聴いていませんので、ご自身の選択眼でお選び頂くしかありません。その点はお許し下さい。

ウィリアム・テル序曲~管弦楽名曲集-1Musicウィリアム・テル序曲~管弦楽名曲集-1


アーティスト:オムニバス(クラシック)

販売元:コロムビアミュージックエンタテインメント

発売日:2003/07/23
Amazon.co.jpで詳細を確認する

フィンランディア~管弦楽名曲集-2Musicフィンランディア~管弦楽名曲集-2


アーティスト:オムニバス(クラシック)

販売元:コロムビアミュージックエンタテインメント

発売日:2003/07/23
Amazon.co.jpで詳細を確認する

モルダウ~管弦楽名曲集Musicモルダウ~管弦楽名曲集


アーティスト:オムニバス(クラシック)

販売元:ユニバーサル ミュージック クラシック

発売日:2003/06/25
Amazon.co.jpで詳細を確認する

Musicおもちゃの交響曲〜母と子のクラシック名曲集


アーティスト:プロ・アルテ管弦楽団

販売元:BMGビクター

発売日:1995/03/24
Amazon.co.jpで詳細を確認する

・・・うーむ、オーケストラ曲に絞ってみたら、昔と違って「ロシア」だとか「フランス」だとかに分かれていて、思ったほど見つかりません・・・
(ピアノほか、独奏・独唱曲や室内楽は、できれば演奏の技術的な「質」にある程度興味を持ってから入った方が良いかと思いますので敢て挙げませんでした。)



こうしたオムニバス盤で気に入ったものがあったら、お勧めはsergejOさんの運営するこちらのサイトです。

http://look4wieck.com/

偏らない情報を豊富に収集しているのには、脱帽でございます。

すみません、ダラダラした長文になってしまいました。

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2008年3月 3日 (月)

モーツァルト:「技量」を読み取る確かな目(K.255,K.256,K.261)

    永遠がついに「その人自身」に彼を変えるような
    詩人は、抜き身の剣をかざして呼び起こすのだ
    あの奇妙な声の中では死が勝利していたことを
    知らなかったことに驚いている彼の世紀を!

    ----マラルメ、渋沢孝輔 訳----


ここまで読んできたモーツァルト作品の個々へのリンクを作成し直しました。ご利用下さい。
人が人を見定める、というのは、実に複雑で困難なことです。 感情をもって相手を見つめれば、「あばたもえくぼ」か「花よりダンゴ」で、当面の欲や好悪に目がごまかされる。・・・で、そのままその好悪の情にのめり込むのは、どんなに素晴らしい人物でも例外ではないようで、古くは名君になるはずだったローマ帝国の皇帝ネロも、ポッペイアの妖艶さに目がくらみ、芸能に酔い、治世の何たるかを見失い、悲喜劇的な最期を遂げてしまった(タキトゥス「年代記」に詳しいです)。

モーツァルトも、少なくともマンハイムに行ってアロイジアに首っ丈になってしまったときは、ネロ同然だった。そしてついに、母の死とアロイジアへの失恋をときをほぼ同じくして味わい、こんな他人の綴っている言葉では決して言い尽くせない、深い傷を負うのです。

・・・でも、比較対照として的確ではなかったかも知れませんが、ネロとモーツァルトの決定的な違いは、
「モーツァルトは客観的に人の音楽的な<技量>を捉える確かな目を持っていた」
ところではないかと思います。

前2回が「セレナード(セレナーデ)」に着目してきましたので、本来ならばディヴェルティメントへ進むべきなのでしょうが、上記がどのようなかたちで現れているかの例を見るためにも、やはり名人芸的な要素を豊富に含んでいた「ハフナー・セレナード」からのつながりで行くと、ここで一旦、別の作品群に注目しなければならないかな、と思います。

それは、1776年に単発で作られたヴァイオリン協奏曲のための単独楽章と、2つのアリアです。
・・・さほど突っ込んだことまでは綴りませんが。



ヴァイオリン協奏曲のための単独楽章、Adagioホ長調K.261(年末頃作曲?)は、「トルコ風」のニックネームを持つ第5番の緩徐楽章の代替品であることは有名です。しかも、オリジナル楽章に比べ小規模で、旋律に音の跳躍が少なく、演奏が容易になるよう配慮されています。
これは、この年ザルツブルク宮廷オーケストラの新コンサートマスターとなったブルネッティに配慮してのものだ、とされています。・・・とすると、技術的に演奏が容易だ、ということは、ブルネッティはヴァイオリンの腕前が若干劣っていた、ということなのでしょうか?
これは判断が難しい話であるような気がします。腕前が劣っていたら、そもそも、より高度な技術を要する第1楽章、第3楽章は、ブルネッティには演奏できなかったとしか考えられないのです。
奏法上のテクニカルな面にだけ着目して、この代替楽章を評価してよいのかどうか。
別の面から見ますと、オリジナルの緩徐楽章は「オペラアリア的」であるのに対し、代替楽章であるこの作品は、より「歌謡的」である、と言えはしないかな、と思っております。
であれば、モーツァルトは、ブルネッティのヴァイオリンの音色に、技巧派的なものよりも、
「豊かで、しかもより庶民的な歌を持った演奏者だな」
という判断を下した可能性も無くはないのではないか。
・・・なんとも言えませんが、少なくとも前後の楽章は書き換え無しでブルネッティにより演奏された、という事実があったのなら、ブルネッティのそうした側面を強調してやろう、という思いやりから中間楽章だけを新たに用意した・・・そんな思いやりをモーツァルトが示した、と考えてみるのも、面白い気がします。
事実、父レオポルトが、息子がこの楽章を作曲するにあたって、こんな言葉を残しているそうです(アインシュタイン 訳書382頁による)。
「(第5協奏曲の中間楽章は)彼にとって気取ったものでありすぎたので。」


9月に作曲された2つのアリアも、それぞれにかなり特徴的です。
とくに、声楽分野では、モーツァルトはオペラのアリアを歌手の技量や要求に合わせて作ることには、13歳の時にはすでに習熟していたことが、過去の経緯から明らかです。(「見てくれの馬鹿娘」K.51「ミトリダーテ」K.87の作曲経緯を振り返ってみて下さい。)

「幸いの蔭よ--私はおまえを引き止めない」K.255は、現在では「アルトのための」ということになっていますが、本来はカストラート歌手(初演者はミュンヘンの宮廷から来訪していたカストラート歌手、フランチェスコ・フォルティーニ。ピエトロ・ローザと言う人に率いられた旅一座の一員に加わっていた由)のためのもので、最低音のインパクトの強さが、この本来の目的を明確に示しています。かつ、作りは意外にシンプルで、技巧的な動きは少ないながら、アリア部分はテンポが何度も入れ替わることで歌手の音楽性・表現力を最大限に引き出すよう配慮されていて、これも、モーツァルトがこの作品を歌うか主の特質を良く見極めていたことを物語っている特長ではないかと言う気がします。
なお、1783年にはモーツァルト自身がこの作品を「アルトのための」と言ういい方で書簡中で触れており、カストラート歌手が9年後のウィーンでは既に殆どいなかったのではないか、という歴史の断面も伺え、興味深く思われます。

アリア、というよりはシェーナ、と呼ぶ方がふさわしいそうである「愛しのクラリーチェを私の妻に」K.256は、ロッシーニ「セヴィリアの理髪師」の中の「私は町の何でも屋」を先取りするような、三連符の連続する滑稽な歌で、短いながら、歌ったテナー歌手が大喝采を浴びた様子が目に見えるようです。初演歌手はこの頃ザルツブルクに滞在した旅一座の中の歌手、アントニオ・パルミーニ。(実は私は、アリアとシェーナの違いは分かっていません。どなたか教えて下さいね。)
・・・アインシュタインは、この作品を、同じ「セビリアの理髪師」でもバジリオの「中傷のアリア」というのに例えています。・・・ツウは、違うんだなあ。。。これは、「レコード芸術」誌2006年6月号の解説にある通り、新全集(NMA)第10分冊にスケッチも記載されていて、作曲家庭が分かる貴重な作品でもあります。また、こう言うスケッチの存在があることからも、モーツァルトが「ひらめいたままに音楽を作った」のではなかったことも明らかになるわけです。

簡単でしたが。
作品実例は、全集ものでないと手軽に触れられないのは残念ですけれど、今回採り上げた3曲は、あくまでモーツァルトの職人芸の「サンプル」ですので、ご興味を強く引かれたら聴く、ということでよろしいのではないでしょうか?

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2008年3月 2日 (日)

家内が置いて行った宿題

    やさしくね、やさしくね
    やさしいことは、つらいのよ

    ----宮城まり子----



モーツァルト記事を綴るつもりで準備していましたが、例によって先延べです。いつもすみません。


先週いっぱいは、風邪でボーッとして過ごしてしまった私でした。
それでも月、火と出勤しましたが、火曜はボケがひどかったのでしょう、
「あれもやりのこしたかな、これもかな? あとは・・・」
と、妙に頭が混乱しているうちに、8時半を回ってしまいました。完璧、遅刻です。そうでなくても朝は30分は遅めに出勤するのを許してもらっているのですけれど・・・焦りまくりました。

で、着替えながら、テレビで時刻を確かめていたら(記憶に間違いなければこの日だったと思うのですが)、宮城まり子さんがインタヴューを受けているところでした。

「まり子さんは、(ねむの木学園の)みんなのお母さんですよね」
「いいえ、校長ですよ。」

彼女の、この答え方が、とてもずしんと、でも、さわやかに、心に響き、どうせ遅刻ついでだから、と、5分くらい、画面に釘付け状態でいました。

たったひとことでした。
「いいえ、校長ですよ。」

あとで思うに、このテレビを見なかったら、私も風邪を一週間引きずることは無かったかな、と、ちょっぴり後悔しています。



今日は、受験に上手くいったら行こうね、と、娘が自分から言い出し、約束して楽しみにしていた、焼肉屋さんに行きました。家内の生前は、特に冬になると、よく行っていたお店でした。
大好きなタン塩、カルビ、レバー、ホルモンや石焼ビビンパ、オレンジの(中を括った丸ごとのかたちのままの皮に詰め込んである)シャーベットを山盛りに目の前にして、子供たちはごキゲンでした。
でも、息子に対しては、私は途中で、そのいいごキゲンに水を刺しました。
「柔道さあ、受け身はあっという間に覚えたのに、その先の進歩がないよなあ」
「うん?」
「お前より小さい子にもころころ投げられるの見てるとさあ、お父さん、悔しくなるんだよ」
「頑張ってるんだけど・・・」
「ただ頑張ればいいのか? 研究が足りないんじゃないの? 技かけてやれ、って気持ちも」
息子は、当然のことながら、不愉快になりました。それからは脇を向いて、しばらく黙りこくっていました。

こういうとき、家内ならどうフォローしただろうか、というのは、とくに娘の高校合格後の今・・・これはいっときの空白期間のようなものだと感じていますが・・・、毎日一度は考えることです。
ただし、そのとき、家内がもし生きていたら、とは考えないようにしています。

日常、私が厳し目のことを言えば、家内は子供たちを「よしよし」とかばいました。
でも、実は逆の方が多くて、大体私が勤めから帰ってくる時間には、ドアを開けると中から響いてくるのは家内が子供たちを大声で叱っている声でした。
「なんべん言ってもきちんと出来ないんなら、お母さん、出て行っちゃうから」とか「死んじゃうから」とかって、それは恐ろしい文句が、稲妻になってギラギラ飛び交っていました。
「まあまあ・・・」
と、家内と子供たちを落ち着かせるのが、私の役目でした。
「死んじゃうから」
には、特に戸惑ったものですが、まだ右も左も「関係ねー」と、勝手気まま、やりたい放題の幼児期の子供たちというのは、家内には扱いにくい代物だったのだろうと思います。しかも、専業主婦ならともかく、フルタイムの、時間外覚悟の日も多い勤めを持っていて、職場への気遣いも随分あったのではないかと思います。で、ダンナはそれよりさらに帰りが遅くて、帰って来ても家事の出来ない、使えないヤツでした。

娘が中学に上がってから、そんな家内が、急に自信を増したようで、変わりました。
職業柄、思春期の子を扱うのはお手の物で、あんなに「出て行く」だの「死んじゃう」だのとわめいていたのがウソのように、子供を上手にかばう様子を見ることが増えました。
「ああ、これからは、大丈夫かな」
・・・そう思った矢先に、家内は、自分でも「死んだ」なんて、おそらくは気が付かないまま、私が見つけた時には「気絶」をしていて、それから2時間後には「臨終」を確認されたのでした。

そのあと、わけがわからぬまま、無我夢中で、まず娘がコンクールで入賞出来ること、志望通りの針路に進めること、息子は母親がいなくても強い気持ちを持てるようにすること、だけを思いつつ、途中、何遍も私自身がふらつくのを、なんとか周りの方に助けて頂きながら、あっというまに1年が過ぎてしまいました。

「私は、父親でもあり、母親の役目も兼ねなくてはならないんだ」

「そうは言っても、母親の役なんて出来っこない・・・誰か、家内を引き継いで助けてくれる人はいないのか」

「なによりも、私自身が、生きて行く希望がない。だのに子供たちには<強く生きろ>なんて、そもそもいう資格があるのか」

・・・だいたい、そんな思いの波が、寄せては返し、の繰り返しだったでしょうか。



そうして時間が過ぎ、この一年はひととおり、なんとか思った通りの方向に、すべて事が進みました。
残りは、自分の心構えの問題だけです。

そこへ、先ほどの、宮城さんのインタヴュー場面を目にしてしまった。

ずしんと、さわやかに、などと表現しましたが、淡々と
「(お母さんじゃなくて)校長よ」
と表情も変えずに言い切った、まり子さんの、あまりのさりげなさに、ぐいと引きつけられてしまいました。
「だって、お母さんの代わりは、出来ないもの。」

そのあと出た熱は、いままでに経験したことの無いものでした。

私は、私の子供たちにとって「母親」ではない。
・・・母親の代わりは出来ない。

どう考え、どう覚悟したら、まり子さんのように、そう言いきることができるのでしょうか?

情けない話が、今日も昼まで眠り惚けてしまい、洗濯物を干したあと、また横になりました。
夕方、子供たちが
「そろそろ焼肉屋さんに行こうよ!」
と声をかけてくれるまで、またずっと眠りっぱなしでした。

「風邪の熱」は治まりましたが、迷いの熱は、まだ下がっていないのでしょうね。

この熱が下がった時に初めて、家内がこの世において行ってしまった宿題・・・それは家内が私に、というのではなくて、神様が家内の手から敢て取り上げてしまったものなのだと思っています・・・、この宿題が何なのかを、私はきちんと知ることができるのかなあ、と、焼肉に舌鼓を打つ子供たちの横顔を眺めながら、そんなことばかり考えてしまっていて。とくに、息子は私の言葉に不満だったのに食べるものだけはしっかり食べるので、半分呆れ、半分ホッとしながら眺めて。

いまもまだ、同じことを考えています。

今日は、これで一日終わってしまいました。

こんなものお読み頂いてしまってすみません。どうしても、他には綴れませんでしたので、ご容赦下さい。

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2008年3月 1日 (土)

3月1日練習記録:付)1954年N響ライヴから

あるかたに良い本をご紹介頂き、探したのですが、最寄りの書店にはありませんでした。
Amazonで注文しました。
これについては、読んだことに絡めて、また何か考え考え、綴ることになると思います。



久々に、原点に帰って(?)、練習記録です。
TMF以外の皆様にはご興味のない記事かも知れませんが、ご容赦下さい。記事末尾に(私たちのではなく、ある歴史的なライヴから)音を載っけておきますので、そちらをお聴き下さい。

で、原点に帰って・・・といいつつ、今日は地下鉄で居眠りして乗り過ごして遅刻しました。すみません。
毎度失敗をやらかします。。。

前半は、<悲愴>以外の候補曲の試奏でしたので省略致します。メンバーには、また楽事委員長から連絡があると思います。

後半は、<悲愴>の第3楽章を重点的に行ないました。身のある練習だったと思います。
私のデタラメ分析は、まだ第3楽章に至っていませんが、菊地先生は、そんなものは不要の、客観的な練習を展開して下さいました。
参加メンバーも(土曜日で仕方なく参加出来ない人以外はおおかたいらしたので、これも嬉しかったですが)自分の実力の中で、精一杯ついて行く前向きな姿勢を見せて下さっていて、大変ありがたく思いました。
・・・私自身も、子供たちの協力のおかげで、家内の生前並みとはいかずとも可能な限り練習に参加させてもらえることを、メンバーと家族に、心から感謝申し上げたいと存じます。



記憶を辿って、ですので、抜け漏れはご容赦下さい。


スコアをご用意下さいね。

<悲愴>第3楽章
・Ⅰ〜2小節:ヴィオラのDivはpを守って、連携をしっかり。1小節目の上声部は1stVn.よりも高い音になっていることに留意。
・3〜4小節:三連符は前2小節の弦の動きを受け取って。八分音符で動くパート(オーボエ・ファゴット)は重くならないように。(実は、これ、とても難しくて、ムラヴィンスキー/レニングラードの組み合わせでは上手くいっていません。後日聴いて頂きます。)
・5〜7小節は以上2項目と同じ。
・練習記号A、1stVn.はオーボエのテーマが聞こえるように抑える。
・練習記号A、10小節目の2ndVn.のピチカートのディナミークは、オーボエ(p)より大きい(mp)ですから、はっきり。12小節目のヴィオラ・チェロも同じ。
・練習記号B、19小節のオーボエのHの延ばしにはどう言う意味があるのかを「考えていますか?」〜実は、コントラバス13〜16小節も同様ですね。ただし、コントラバスの方はディミヌエンド、オーボエの方はクレッシェンドです。コントラバスの方はオーボエの、オーボエの方は1stVn.のテーマの動きと関係があります。すなわち、テーマの性格を強調する補助的な「色づけ」でして、補助的とはいえ、非常に重要です。練習記号C22小節(オーボエ)、25小節(トランペット)、27小節(フルート・オーボエ)、で、トドメとしては29小節のクラリネットが、同様のことを行ないます。
・練習記号D、1stVn.の36小節目からのピチカートは、37小節からピッコロが入るのと同時に(ユニゾンですから)輪郭をはっきりさせなければなりません。
・練習記号E、44小節4拍目のトランペットの三連符はいままでのテーマを締める役割。
・練習記号E、47小節前半の木管と後半の弦楽器は同じニュアンスにして下さい(ですので、私たちは47小節の弦楽器はスラーは記譜通りではなく、ダウンひと弓で7音を弾ききります。練習記号Fの箇所も同様)。
・以降、Lの前までは楽器が揃ったときに突っ込んだ練習になるかと思いますので省略します。
・練習記号L、とくに109以降、弦はダウンボウの連続で途切れないよう、充分に粘るように。
・(練習記号0からは再現部に相当するので、上記と同様になります。ただし、冒頭でヴィオラがやっていたことは、2ndVn.がやることになりますね・・・ガンバって下さいまし!)
・(練習記号Tの2小節前からは、特にお話はありませんでしたが、コーダになります。素材面では新しいものはありませんが、演奏上は留意点が変わってきますので気をつけましょう。)
・練習記号X、音の流れがぶち切れないように・・・ということは、(きちんと取れるにこしたことは無いが)音程をバカ丁寧に追いかけることに気を取られると勢いが止まりますから、まず流れを優先に。正確さを期すならば個々人が練習を!
・練習記号Yからはテンポが惰性で上がります(Ken注:多くの演奏でそうなっている現実を耳にしています)。八分休符をしっかり意識した(がっちりした)演奏を、(曲の熱狂とは裏腹に)冷静に行なうことが大切である点、強調して下さっていました。
・練習記号EEからも、同様です。



練習の現場ほどまでのデリケートさを期せず恐縮ですが、それらを思い出し、今日は参加出来なかったメンバーにも伝えて頂けるための参考にして頂ければ幸いです。とくに、チェロのボウイングについての有益なアドヴァイスについては全く述べられませんでした(ヴァイオリン、ヴィオラに較べると、弓を打楽器的に用いる、というのはチェロ、コントラバスでは一層容易になります。弓身が短くなる分、弓の中に「太くて強いバネ」が埋め込んであるのと、実質上同じ作りになっているからです。今度の機会にでも、ヴァイオリンの弓をメンバーに借りて、それでチェロを弾いてみて下さい。「なるほど」と、いっぺんに違いが体感出来るはずです。)


実は、別途<悲愴>の演奏比較をしている3演奏のなかで、技術力はともかく、今日の練習で結構強調された各種の連携(音の流れだけでなく、リズムの連携なども)については、1954年のカラヤン/N響の演奏がいちばん上手くいっています。・・・当時の人が、それだけ「この指揮者から何かを吸収する」という純粋な熱意を持っていたためだと思います。
今日練習に出られた方には、お聴き頂くと実感度が高いと思いますので、定期演奏会までの間、ここに音を掲載しておきます(演奏会後は、容量の関係で削除します)。

メンバー以外でも、ご興味のある方は、お手持ちのCD等おありでしたら、聴き比べてご覧になって頂ければ幸いです。
1964年のカラヤン/N響<悲愴>ライヴの第3楽章は、演奏者の心意気がはっきり伝わってくる、希有なライヴのひとつです。

N響ライヴ1954MusicN響ライヴ1954


アーティスト:カラヤン(ヘルベルト・フォン)

販売元:ポリドール

発売日:1999/06/23
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チャイコフスキー:交響曲第4番、第5番、第6番「悲愴」Musicチャイコフスキー:交響曲第4番、第5番、第6番「悲愴」


アーティスト:ムラヴィンスキー(エフゲニ)

販売元:ユニバーサル ミュージック クラシック

発売日:2001/10/24
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