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2008年3月24日 (月)

曲解音楽史:31)マルコの帰路に沿って-2(インドシナ大陸部)

前の回:1)音という手段 2)リズムの成立 3)音程から音階へ
    4)言葉と音楽  5)トランス 6)古代メソポタミア
    7)古代エジプト 8)古代インド  9)古代中国 10)古代ギリシア
    11)古代ローマ 12)初期キリスト教の聖歌について
    13)ササン朝ペルシャ  14)西暦5,6世紀ユーラシア音楽横断
    15)中世前半の西ユーラシア  16)唐朝と朝鮮・日本 17)「声明」の伝来
    18)モンゴルと中央アジア北方 19)「十字軍時代」の西ユーラシア
    20)日本固有(?)の古歌 21)グレゴリオ聖歌
    22)平曲と能楽:付)発声法について 23)アンブロジアン聖歌・ローマ聖歌
    24)西ヨーロッパ中世 25)ジョングルール 26)十字軍時代前後のイスラーム
    27)ペルシア伝統音楽〜中世からの遺伝子 28)インド中世 29)宋・元時代の「中国」
    30)日本の「オラショ」



マルコ・ポーロは、海路で帰郷するのですが、私の手にできた訳書(校倉書房、1960【1983年23刷】)巻末に付いた地図では、インドシナ大陸部(今のヴェトナム、カンボジア、ラオス、タイ、ミャンマー)によれば、マラッカ以外寄港していません。この地図、地名の記載も少なく、こころもとないものです。ですが、本文中にも、大陸部に寄港したらしい様子がうかがわれる箇所がありません。

それでも、中国の泉州を出発したあとには「インドの話」として、インドだけではなく、<インド>ではない諸国の話まで、おそらくは殆ど第三者からの伝聞によって(あるいは「東方見聞録」じたいが個人の記述ではなく、伝聞の集成である可能性もあるかと思うのですが)154節(章?)以下に記していまして、その最初のものがチパング、すなわち日本だった、という次第です。

続いて現れるのが「チャンパ」です。現代のヴェトナムですが、マルコ・ポーロが航海した元の時代には、この周辺の領域図は現代とは異なっています。

「チャンパ」は、現代のヴェトナムの直接の先祖ではありません。しかし、マルコの記事に現れるのは、あくまでチャンパです・・・これは、当時のインドシナ情勢上、まだ当然のことです。ですが、マルコ(「東方見聞録」)の記述が本当にチャンパのことを記しているのかどうかは、怪しいところです。

元朝を含む中国の歴代王朝は、現在のヴェトナムの主要民族であるキン族の支配する領域(現在の都市フエよりもやや北方が南限)を、自王朝の支配下にあると見なしていました。実際、ヴェトナムが中国から独立したのは西暦968年のことです。ヴェトナム側からみれば、以後、自国は中国(独立当初は宋朝)への朝貢はするものの、干渉は退ける立場を貫いている、という明白な意識がありました。
チャンパは現在のヴェトナム南部に存在した別個の国で、こちらは中国側の認識としても、あくまで独立国でした。
チャンパ(林邑)はしかし、マルコの寄港当時は衰退期に差し掛かっていました。
これはキン族とて事情は同じなのですが、インドシナは現在のタイやカンボジア、ミャンマーの人々が抗争を繰り返し、それぞれの主要民族の治める領域が15、6世紀まで安定しませんでした。
そんな抗争の中で、わりあい力を持って振る舞っていたチャンパですが、12世紀初頭から13世紀初頭の百年間にわたるクメール(現カンボジア)との戦争のあいだに併行して内紛が生じ、北方で確実に地歩を固めていたヴェトナムに大幅な譲歩をし、南方のみに領土を縮小していき、18世紀には姿を消します。

話は変わりますが、インドシナ諸民族の発祥の地は、アルタイ山脈の麓からチベットのあたりにかけてだった、と考えられています。すなわち、インドシナ大陸部に現在住んでいる人々の祖先は、北から移動してきた、というわけです。
すると、音楽も、当然、より北方に起源を持つであろうことが推測されます。
民族も、また(曖昧な点は残っているそうですが)言語のルーツも、それぞれ微妙に異なりますが、現ヴェトナムの大多数を占めるキン族は雲南省と密接な関わりがあったと思われます。言語も、シナ・チベット語族に属しています。
では、その祖先はどんな音楽を奏でていたか。
原典資料を目に出来なかったので定かではないのですが、出土した古代の遺物は中国同様に青銅器を主体としたもので、銅鼓などが発見されています(ドンソン文化)。
銅鼓であれば、ガムラン音楽を連想するのが自然です。
ところが、今、ヴェトナムで奏でられている伝統音楽には、銅鼓系の打楽器は登場しません。
また、雲南省方面の諸民族の音楽は撥弦楽器やフルート系の笛が主のようですが、ヴェトナムの伝統音楽では二胡やリードを鳴らす管楽器で、雰囲気は明朝以降の京劇の音楽に似ています。ただし、そんな中でも比較的打楽器が多く活躍するのが、次に掲載する音楽です。


 「ベトナムの儀礼音楽」KING RECORDS KICW1063

伝統音楽からみた現ヴェトナムは、むしろ中国の中央に近い南部との繋がりを思わせますが、それは同時に、独立国となってからの対中国政策(遜るが妥協しない)を明確に反映し、音楽は「中国に対し遜る姿勢を表現するための道具」として発展したのではないか、と感じさせられてしまいます。
とはいえ、その芯の強い響きには、ガムランとはまた違う強烈な個性をも覚えさせられます。
さらに脇道にそれますが、銅鼓はインドネシアのガムランの他、ミャンマー(ビルマ)に伝統を残しています。(ミャンマーの方の演奏例は、残念ながら手にしておりませんが、写真が残されているのを確認しました。)

話をチャンパに戻しますと、日本の雅楽に「林邑楽」と称されるものが残っています。
歴史的な経緯からすると、チャンパはもしかしたら全く違う系統の音楽文化を持っていたのかも知れませんが、そうでなければ、本来はヴェトナムに残っていなければならなかったはずの銅鼓系の・・・ガムランに近い音楽が奏でられており、それがさらにインドネシアへと伝わった、とも考えたいところです。なぜなら、消えてしまったチャンパも、今は大多数がイスラム教徒となったインドネシアも、マルコの頃にはヒンズー教国だった、という共通点があるからです。
ですが、「林邑楽」は、聴いてお分かり頂けますように、かなり日本化されていますので、今となっては、チャンパの音楽の本来の姿は想像することもできません。


 東京楽所「雅楽の世界(下)」コロンビアCOCF-6196

まとめますと、ヴェトナムは独立と共に、おそらくは自国のものであった「雲南系」の音楽を、より中国の中央に近い性質のものへと転じたのかもしれず、ヴェトナムに圧迫されたなどの要因で滅びさったチャンパは、もしかしたらガムラン系の音楽を奏でていたかも知れません。

ついでながら、「東方見聞録」には現れませんが、タイの伝統音楽には擦弦楽器によるものがあり、これは彼らのルーツがアルタイ山脈方面である、という説と合致しますので、興味深く思われます。

ソードゥアンという楽器の独奏
 「タイの古典音楽」KING RECORDS KICW1030

・・・なお、この曲で使われてはいませんが、タイの伝統音楽で多用されるかすれた音は、わざと出してるもののはずで、しかも、技術的に大変高度です。ヴァイオリン属で言うと「フラウタート」と呼ばれる技法と同種のもので、弦を鳴らす弓の当て具合を微妙に調整して、弦を押えている場所で本来出る音のオクターヴ上あるいは倍音列上の違う(高めの)音を出す技術です。西欧音楽では技法は伝承されているものの、作品上では(変わった現代音楽を除けば)殆ど用いられていません。確実な演奏の習得がフラジオレット(指で弦を押えるのではなく、弦に触れるだけにして倍音を出す)よりもむずかしいからです。・・・余談でした。


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