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2008年3月27日 (木)

寄り添う(2)〜弦楽四重奏

このお題、語るべきことが沢山あるのですが、語るのが怖いことだらけでもあり、間が大きく空いてしまいました。
弦楽四重奏でメンバーが寄り添うことについて、どう綴ったら伝わるかな、と迷っていました。
ですが、「寄り添う」というお題目で私に少しでもお話が出来るもので、伴奏付きソロに次いでもってくるべきものは、楽器1本ずつの集合体である、小編成の室内楽です。その中で最も作品数が多く、しかも、案外チャンとしたものを聴くなり演奏する機会がないのが、「弦楽四重奏」なのです。
・・・こいつをもってくるしかありません。

ソロ楽器がピアノ伴奏で演奏する際の「コツ」は、
「単に、『あ、次のところ、彼(彼女)の音の出し方だったら、こんなイントネーション、強さ、輪郭で弾いてくるな』を予測するだけ」
ということを、だいぶ前に述べました
ただし、その予測は、ソリスト側と伴奏側の双方でなされていなければならず、またその予測が一致していなければなりません。・・・アンサンブルは、突き詰めていくと、いくら編成が大きくなっても、この「予測一致の公式」が成り立つことが、いい演奏の大前提です。

純粋な管楽アンサンブルは、残念ながら私は少ししか経験したことがないので、事情に異なるものがあるのかも知れません。が、少なくともベートーヴェンの七重奏曲やシューベルトの八重奏曲でご一緒させていた(遊びで、でした。シューベルトは本来、初見では私ごときではとても手が出せません)経験からは、今回述べる弦楽四重奏とは、管楽器であっても異なることはないだろう、と思っております。
ただ、弦楽四重奏曲は、同じヴァイオリン属の楽器それぞれ1本ずつ、たった4本の楽器で演奏される点、たとえば「フルート四重奏曲」とか「ピアノ五重奏曲」を演奏するよりも・・・あるいはピアノだけに伴奏してもらうソロよりも・・・格段に難しい。見せかけのコミュニケーションで、たとえば旋律の動きがピッタリ合ったり、ブレス(弦楽も本来は適切な「ブレス」をとる必要があります)が一致していたりしても、音色感が異なったら、仕上がりはそれだけで台無しになる(これは後述する「弦楽四重奏曲の作られかた」に関係が深いことです)。それが弦楽四重奏の怖さです。さらに、当然、各メンバーの技術力に大きな落差があったら、まず弦楽四重奏としての演奏自体が成り立ちません。

・・・いきなりこんなことから入ったのは、自分が初めて「弦楽四重奏」を楽譜初見でやらされたとき(大学入学前の年のクリスマスでした)の衝撃が忘れられず、その後も「弦楽四重奏」に自ら加わって「いい思い」をすることが非常に稀で、今ではよっぽどでないと手を出す気にもなれずにいる、という原因を、少しアピールしてみたいからです。



半端にオーケストラ演奏をする方が、半端な弦楽四重奏をするより、遥かに気がラクです。

最初の四重奏経験をするまで、私は自分では
「簡単なレベルの楽譜であれば、初見でも弾ける」
程度の自信はありました。
そこへ、私の入っていた(恥ずかしながらコンサートマスターでした。コンサートマスターって何なのか、知らないままにやっていたのですけれどね)ジュニアオケに手伝いにきていて、翌年大学で先輩になるはずの人たちが、クリスマスコンサートが終わって、打ち上げをやっている最中いきなり、
「おい、Ken、カルテットやろう!」
まだケーキを刺したフォークを手にし、口に運ぼうとしかけたままの私を無理やり引っ張っていって、いつの間にか席を用意しておき、楽譜まで並べておいたのです。
曲はモーツァルトの初期のもので、緩徐楽章。これが、あとになって思うに、ファーストヴァイオリンを弾かされていたら、楽勝だったはずなのです。
あてがわれたのは、セカンドヴァイオリンでした。
セカンドヴァイオリンというのは、通常は簡単な伴奏音型の部分も多く、ポジションも低い位置で弾けますから、なめてかかった。これが災いしました。
モーツァルトの後期だったらなおさらダメだったに違いないのですが、それでも何とかごまかしがきいたでしょう。というのも、後期になると、ファーストヴァイオリンもしくはチェロが主役、という部分が圧倒的に多いので、仮にセカンドの私がメタメタでも、なんとか曲に聞こえるのです。
初期だった、というのが、落とし穴でした。この頃はまだ、モーツァルトの弦楽四重奏曲の作曲法では、ヴァイオリンは2パートとも同じ比重で書かれている。コンチェルト・グロッソの名残です。ですから、セカンドが弾けないと、音楽が崩壊するのです。・・・そんなこと、当時は、まだ知りませんでした。しかも、コンチェルト・グロッソと違って、私のパートを弾くのは私一人なのです。
勝手気ままにソロを弾いたり、オーケストラでもファーストだけが主旋律だと思って偉そうにしていた私は、このとき、まんまと先輩たちの陰謀にハマったのでした。
伴奏であるはずのセカンドにメロディなんかあるはずがない、と決めつけて楽譜を目にしましたから、もうこの時点で私は間違っている。敗北必至の状況におかれたわけです。
(あれ? メロディがない!)
演奏中、そんなことが起こって、慌てて自分の前の楽譜を見たら、メロディは自分の楽譜に書いてあるのでした。で、おっかなびっくり弾き始めようとすると、伴奏に回った他の3人が、わざと硬い音で弾いて、「おまえ、もっと大きく弾け!」とばかりに暗黙のプレッシャーをかけてくる。でも、私には其のメロディをどう言うニュアンスで弾けばいいのか、見当がつかない。結局、私はビビりまくって、最初の3、4小節を辛うじて弾いたきり、あとは全く弾けなくなりました。



自分の役割がその場その場でくるくる変わる・・・あ、ここは伴奏、ここは主旋律、ここは対旋律、というのが目まぐるしく入れ替わるのが、節約された編成である弦楽四重奏の作品には宿命とも言える性質です。
そもそもが、弦楽四重奏曲は、この曲種が誕生した頃に器楽世界でも重視されるようになった、和声学上の「四声体(ソプラノ・アルト・テノール・バス)」を自由に応用することを身上に作り上げられたものです。
したがって、「予測一致の法則」の適用範囲が、ピアノ伴奏のソロよりも広い。かつ、メンバー一人一人が、その作品を演奏するに充分な技術を持っていなければバランスがとれませんし、その技術は、決して「手先が同じくらい器用」なんてことでは済みません。弾いているのは4人でも、オペラでよく聞かせられるような、それぞれが個性を主張してまとまりがつかず、お客は誰が歌っているのを中心に聞くべきなのかが分からなくなる、そんな類いの四重唱のようであってはならないわけです。・・・4人であっても、極端にいえば、聖歌隊のように澄んだコーラスにならなければ、演奏する資格自体がない。


だいぶ慣れたあとに、私は弦楽四重奏で、もうひとつの苦い思いをしています。恒例の年度末アンサンブル発表会で、
「このメンバーではちょっと難しいかも」
と思いながら、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲第5番の第1楽章に挑戦した時のことでした。
事前に、演奏会に出掛けて見学し、ベートーヴェンのプログラムでの奏法を観察して研究もしました。教材にしたのは、スメタナ弦楽四重奏団のものでした。
彼らの演奏では、別のベートーヴェン作品でしたが、弓幅を非常に小さく用いて演奏していました。そんな演奏なのに、音が伸びやかになる。(今でも決して優秀とは言えない私の目が、当時はいまよりさらに劣っていたために誤解したのかも知れませんが、そのように見えたのです。)
で、ファーストを担当した私が、あえて弓幅を小さくしてみました。スメタナ四重奏弾のようなわけにはいきませんでしたが、そうすることで、他のメンバーとのバランスがよくなるから、と判断したのでした。
本番中は、非常に気持ち良く弾けました。音色感も、「あ、チャンとコーラスになっているな」というくらいに合っていた・・・それだけは、間違いないのです。それがスケールの小さい、縮こまった「コーラス」ではあったとしても。

演奏のあと、いつもは優しいコントラバスの大先輩(OBさんでした)に呼びつけられました。
誉めてもらえるのかな、と期待して行ってみたら、私の顔を見るなり、先輩は真っ赤になって私を叱りました。
「なんであんな弾き方をしたんだ!」
・・・弁解はしませんでした。広がりを抑制しての演奏に仕立て上げたことは、充分自覚していましたから。
でも、悔しくて、悲しくて、なりませんでした。

私自身、アマチュアとしても、決して高いレベルとは言えないヴァイオリン弾きです。
ですが、弦楽四重奏をやりたい、となると、「予測一致の法則」を分かり合え、せめて自分と同等に張り合って弾いてくれ、協調して響いてくれる仲間が必要です。かつ、私も相手(3人もの!)に共感出来なければなりません。
残念ながら、学生時代でも上の程度が精一杯で、その後は私は・・・いいかたにはたくさん出会えましたけれど・・・私と合う四重奏の仲間には恵まれませんでした(それは、一緒に四重奏をなさって下さったかたの方から私に対しても言えるのではないかと思います。それだけ、四重奏で同じ方向性の相方を見つけることは難しい。なにせ、3人探して揃えなければならないのです!)。
二重奏までは、なんとかなる場合があるのですけれど。三重奏でもまだ、2人までが「読み取り合える」のだったら、残るひとりを物差しにすれば、曲に仕上げることは出来るのですが。・・・あ、漫才やコントも、2人いれば出来ますよね。。。そんな漫才でさえ、「いい相方」探しは非常に大変だそうですね。
ただ、弦楽四重奏の場合は、漫才の相方探しとはまた違う条件での困難さがある。和声の基本である「四声」の応用として書かれている、ということが、そもそも「全パートが均質な」響き作りを要求していて、そのことが、本当に良い演奏の実現を大変難しいものにしているのです。

素人にしてこうです。
プロでやっていくことがいかに大変か、は、察しがつくのではないでしょうか?



二つの例をお聴き下さい。


 (ウィーン・ムジークフェライン四重奏団、1992年録音)
 リングアンサンブルで何度も来日しているかたたち、私の大好きな人たちの演奏ですが、
 ウィーンフィルや国立劇場の激務の合間に四重奏をやっているからでしょうか、
 メンバーそれぞれに掛け持ちのお仕事も多いせいでしょうか、
 しっくり来ない気がします。・・・どうお感じになられるでしょう?
 なお、ウィーンフィルにはコンサートマスターが弦楽四重奏団を組む伝統があるのは
 ご存知の通りですが、ボスコフスキー以後は実質上途絶えていたのを復活させたのが、
 この演奏でファーストヴァイオリンを担当しているキュッヘルさんです。


 (ベルリン弦楽四重奏団、1971年録音)
 録音当時は東ベルリンだったベルリンシュターツカペレのメンバーですが、
 オーケストラの傍らでの室内楽、という姿勢での取り組みではないため、
 前者に比べて丁寧な音楽作りをしています。
 ・・・ウィーンと当時の東ベルリンの経済事情差も影響はしているのでしょう。
 兼業活動が少なかったか、他にはやっていなかったために、アンサンブルに専心でき、
 本格的な弦楽四重奏団足り得たとの印象があります。
 そういう意味では、同時期の名弦楽四重奏団だったスメタナ四重奏団やバルトーク四重奏団
 と全く遜色がない、いや、場合によってはむしろよりすぐれた演奏をしています。
 このときのファーストヴァイオリン担当はカール・ズスケです。

練習風景まで見ることの出来る映像は少ないのですが、私が昔見本にしたスメタナ弦楽四重奏団のものとは違う曲ではありますけれど、練習場面まで含めて収録してあるDVDが出ています。
それこそ、スコアに真っ赤に鉛筆を入れ合っているわ、しょっちゅうメトロノームで「出だし・きっかけ」のテンポは確認しているわ、で、その練習の徹底ぶりは、アンサンブルをたしなむ、あるいは聴いて楽しむすべての人に目にして欲しいほど勉強になるものです。機会があったら是非ご覧下さい。

Smetana QuartetDVDSmetana Quartet


発売日:2003/04/22
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