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2008年3月 8日 (土)

曲解音楽史:29)宋・元時代の「中国」

ベレゾフスキーさんの「つくばノバホール」でのコンサートが、いよいよ明日3月9日です。



前の回:1)音という手段 2)リズムの成立 3)音程から音階へ
    4)言葉と音楽  5)トランス 6)古代メソポタミア
    7)古代エジプト 8)古代インド  9)古代中国 10)古代ギリシア
    11)古代ローマ 12)初期キリスト教の聖歌について
    13)ササン朝ペルシャ  14)西暦5,6世紀ユーラシア音楽横断
    15)中世前半の西ユーラシア  16)唐朝と朝鮮・日本 17)「声明」の伝来
    18)モンゴルと中央アジア北方 19)「十字軍時代」の西ユーラシア
    20)日本固有(?)の古歌 21)グレゴリオ聖歌
    22)平曲と能楽:付)発声法について 23)アンブロジアン聖歌・ローマ聖歌
    24)西ヨーロッパ中世 25)ジョングルール 26)十字軍時代前後のイスラーム
    27)ペルシア伝統音楽〜中世からの遺伝子 28)インド中世


インドを見て来たあとは、位置的に近い東南アジアへ進みたいところですが、東南アジアは、この時期(11〜17世紀と幅は広いのですけれども)アラブ・インドとだけでなく、中国との政治的・経済的繋がりをも視野に入れなければ、触れることが出来ません。東南アジア世界は現代でもイスラム・ヒンズー・仏教、さらに時期的には遅れますがカトリック、と、信仰だけでも複雑に入り乱れて今に至っていますが、そもそも、それぞれの宗教の導入は、貿易に重要な役割を果たして来たこの地域の経済事情を反映してのものだったことが明らかになっています。ですから、先に中国を若干覗いておきましょう。

本当は明の時代まで包括してもよいのですが・・・「中世」という括りは中国は元代までで、明朝・清朝は「近世」に属するもの、と考えた方が良さそうです。日本音楽との関係で言えば、日明貿易の栄えた室町時代は能楽が隆盛していますけれど、能楽自体が日本にとっては中世と近世の橋渡しをしています。かつ、明朝の経済的進展は元を引き継ぎ、現在も中国の重要な文化である「京劇」を生み出しますが、そのおおもとは元代の雑劇に由来することを考えると、時間的には日本に先行しますけれども、日本では能楽と歌舞伎の関係にあたるものが元の雑劇と明以来の京劇にあるものと見なすこともできますから、この両朝のあいだに時代区分を置くことは、あながち不適切でもないと思います。
かつ、文化・経済的影響力という面では、明は領域を「中国」に限ったかたちで他国と接したのとは異なり、元は中国の一王朝名として位置づけられるよりも、中世の最後を締めくくり、近世への橋渡しに大きな役割を果たした「モンゴル帝国」(これは沿海州から西アジアまでの広い領域をカヴァーしていた)がその一部分の陰を「中国」という領域に落として行ったようなものだった、と見る方が適切なのではないか、とも思います。(歴史学的に合っているのかどうかは分かりません。)
ただ、この陰は、先に雑劇と京劇の関係について触れた通り、「中国」という地域に大きなオミヤゲを残して行きました。元代の中国音楽は、代表的には「北曲」と称されて今に伝えられています。遺憾ながら、「北曲」の演奏そのものは手にし得ませんでしたので、お聴かせすることが出来ませんが。

だいぶ前に、唐代の音楽に触れた際にも述べましたが、時代を追っての中国古楽の復元演奏は「現代的」に潤色されているため、音源として参考にしている「中国古典音楽鑑賞」(1998、輸入元:株式会社ジェイピーシー)は、宋代のものまでは、当時の姿を片鱗だけでも示している、とは言い難いと思っております。
ただ、現在に繋がる中国音楽のルーツである元の音楽になると、編作の施されていない演奏を聞くことが出来ますので、
「やっと、きちんと過去に触れられる」
と安堵出来ます。

中世期の中国には「詞」という歌唱文化が生まれ(中唐以降)、これは宋代に結晶します。そのため、「宋詞」については集成されたものも残っているとのことですし、すぐれた研究も(研究の本であるため高価ではありますが)著作として出版されています。とはいえ、研究は詞の歌唱法に、よりは文学的な側面(それが従来の「詩」と違っていかに庶民的か)に触れたものであるため、音楽上では(私程度の目では)参考にし得ません。楽譜(文字譜)による五線譜への旋律の移し替えが「アジア音楽史」にも載っていますが、当時の具体的な唱法への言及はありません。(「中国古典音楽鑑賞」に演奏も収録されていますが、日本の1970年代後半のニューミュージックみたいなアレンジ、かつ歌いかたは明らかに現代中国のものですので、お聴かせするには難があります。)
地域を限った歴史としては、宋に続く元は、たとえば吉川幸次郎氏が「元明詩概説」でお述べになっているように、モンゴル民族が中国全土を破壊尽くし、同時に過去の文化も否定し去ったかのような捉えられかたをすることが多かったのですが、中国に限らず広域的にこの時期のモンゴルが行なった文化政策を見ると、従来の「殺戮者」のイメージとはほど遠く、むしろ統治した各地の従来からの生活様式はそのまま守ることを認め、宗教や経済活動にも極めて寛容だった様子が伺われますし、そのことに着目した歴史の啓蒙書もだいぶ増えてきました。

今回掲載する音楽は元代の戯曲音楽の断片ですが、唱法は中国的とはいえ、中央アジアの伝統を受け継いだ節回しを持ち、かつ、(言葉で表現するチカラがなくて申し訳ないのですが)京劇に繋がる表現手法をとっている点、非常に興味深いものがあります。

(右クリックで音が聴けます。)

安史の乱で都を追われて玄宗と楊貴妃が逃げる途上、家臣が楊貴妃を罵倒する場面を描いたものだそうです。曲調は、宋、金の歌唱を継承したものだ、ということが明らかになっています。

元代はこうしたもののほか、ア・カペラの「散曲」という曲種もあった、とのことです。
こちらの例は、耳にできておりません。資料をご存知の方のご教示を乞いたいと存じます。

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