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2008年3月26日 (水)

モーツァルト:2つの管弦楽ディヴェルティメント(1776)

ここまで読んできたモーツァルト作品の個々へのリンクを作成し直しました。ご利用下さい。



「管弦楽」と言ってしまうのは不適切で、西川「モーツァルト」(音楽之友社)の作品表(表29頁)にあるとおり、「弦楽器と管楽器のためのディヴェルティメント」と呼ぶ方が正しい作品です・・・弦楽器は独奏で演奏されますから(根拠は、スコア上に、たとえばヴァイオリンは合奏であればVioliniと複数型で表示されますけれども、これらの作品群ではViolinoと単数標記になっています)。

1776年には2作の「弦楽器と管楽器のためのディヴェルティメント」が作られています。
6月にはK.247ヘ長調(K.248の行進曲を前に置いて演奏される/ホルン2本と弦楽四重奏)、7月にはK.251ニ長調(オーボエ1、ホルン2と弦楽四重奏)が完成しています。

問題は、
・K.247はマーチを前奏にもち、通称は「第1ロドロンセレナード(但し、ドイツ語では「セレナード」の部分は「ナハトムジーク」)」となっている
・K.251は前回みた管楽ディヴェルティメントに類似した構造となっている
ところにあります。

先に、構成を比べて頂きましょう。

K.248&K.247
*Marche(64小節)
I. Allegro(4/4、182小節)
II. Andante grazioso(3/4、50小節、ハ長調
III. Menuetto(36小節&Trio(32小節)
IV. Adagio(2/2、81小節)変ロ長調
V. Menuetto(32小節)& Trio(26小節)
VI. Andante(16小節+1拍) - Allegro assai(1拍+243小節)、2/2

K.251
I. Molto Allegro(4/4、112小節)
II. Menuetto(32小節)& Trio(22小節)
III. Andantino(69小節) - Adagio (2小節、リタルダンド代わり)- Allegretto(16小節)イ長調
IV.Menuetto (Tema con variazioni)変奏は3つ。24小節×5(主部にダ・カーポするため)
V. Rondeau(Allegro assai - Adagio - Allegro assai、全259小節。Adagioはリタルダンド代わり、1小節のみ)
VI. Marcia alla francese(42小節)

「・・・え? どっちにも2つメヌエットがあるし、あとはマーチが最初にあるか最後にあるかの違いだけなんじゃないの?」
と、素朴にそれだけ疑問に思って頂いても一向に差し支えありませんし、これから綴ることも
「だからなんなのヨ」
と仰られてしまえばそれまでなのですが、ことはそんなに単純ではない、というのが、私のいつものひねくれ根性から来る観察です。



ご存知の通りかも知れませんが、セーレナード(セレナータ、セレナ−デ)とディヴェルティメントは元々区分の曖昧な曲種で、私の目にした狭い範囲の音楽史や音楽事典の類いでも、たとえば
「・・・17/18世紀におおよそ同じような意味で<娯楽音楽>(<食卓の音楽>も含む)をさしていた概念」(「図解音楽事典」白水社 147頁)
なんて具合に説明されています。

ですが、前回、モーツァルトの管楽ディヴェルティメントをハイドンのものと比べて眺めているうちに、
「・・・いやさ、事典で言うところの<おおよそ同じような意味で>って、結構クセモンじゃねえか?」
そんな捻れた感情が、胸の奥に広がってきました・・・肺ガンよりたちの悪い腫瘍かもしれない!

同じ事典の説明のすぐ下に、「セレナード(セレナータ)」はイタリア語の「晩」と「晴れた空の下で・野外で」が組み合わさった言葉であることが示されており、それに対してディヴェルティメントのほうは「気晴らし」・「娯楽」を意味している、とも記されています。

すると、前回に比較材料として見た、類似した性格のハイドンとサリエリの音楽は、サリエリが用いた「セレナータ」の方が音楽の内容に即したネーミングだったことになる、というのが一点目。
では、根本の造りが同じなのにハイドンの方は「ディヴェルティメント」とされているのは何故? というのが2点目。
で、前回述べていることではありませんが、モーツァルトについて言えば、彼の「セレナード」は屋外向けとは思えない大規模なものが大多数を占めていて、言葉の意味と音楽のあり方が逆転している、というのが3点目。
基本として、この3つの疑問が私の胸の「腫瘍」をかたちづくっています。

ベートーヴェンになると、小編成作品では「セレナード」と名付けられたものが1作(作品25)見当たるだけで、他はその作品の楽器編成によって括られるようになってしまっており、ディヴェルティメントという呼称はいっさい用いられていません。
本来なら、ハイドンより先行した人たちの作品表や、ディッタースドルフ、シュポアあたりも観察したいところですが、サボっています・・・ですので、以下の話は一般化出来ませんが、それを承知で多少暴走してみます。



まず面白いのは、ハイドンやモーツァルトと同時代の人の記録には、ディヴェルティメントやセレナードが「屋外で」演奏された、という明確な記録はあまり見当たりません。
「ハフナーセレナード」は屋外で演奏されたことは明らかですので、第3点目の疑問は現在の評価がンと言うフィルタからの印象に過ぎない、ということだけは、まず明確です。
それでも一方では、ハイドンの管楽「ディヴェルティメント」に現存作はないのですが、失われた彼の最初期の管楽アンサンブルは、ハイドンの無名時代には屋外・・・窓の下で演奏された旨が記されているのが普通です。
屋内で演奏されたか屋外で演奏されたかは深入りしても、あまり意味がないかも知れません。
それでも、モーツァルトに立ち戻りますと、管楽だけの「ディヴェルティメント」のほうが作品数としては弦楽器の加わらないものに比べ圧倒的に多く、創作された期間も長い(1768頃から1783頃まで)のです。管弦楽として明確にセレナードと称されているものはザルツブルク時代の終焉(1779)と共に二度と作られていません・・・少なくとも、特定の貴族をお得意様としていたあいだにしか、モーツァルトは「セレナード」には縁もなければ用もなかったわけです。(管楽合奏による「ナハトムジーク」K.388、弦楽の「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」のナハトムジークは、そのままイタリア語に置き換えればセレナードですけれども、今回は深入りしません。作曲された背景がザルツブルク時代とは異なるので、タイトル付けの要因は別に探らなければならないでしょうから。)

1点目と2点目は、単純に解消してしまう話かも知れません。
サリエリはイタリア人ですから、曲の性格にそぐう「セレナータ」という呼称を用いたまでのことで、ドイツ・オーストリア系の作曲家にとっては、この時期にはむしろ、管楽アンサンブルは「ディヴェルティメント」と呼ぶ方がしっくりきていたのではなかろうか、というだけです。モーツァルトがサリエリと同時期のウィーンで作った、サリエリとの類似作品は、管楽「ディヴェルティメント」なのです。

で、さっきの話だけでは私の中の胸のつかえが解消しきれない3点目が、腫瘍の最たる根っ子です。これは、
「1点目・2点目が上のような理解で合っているのだったら、<セレナード>と<ディヴェルティメント>には、何らかの相違点がはっきりと認識されていたのではないか」
という、大袈裟に言えば<セレナード/ディヴェルティメント別種説>を唱えたい衝動を私に押え難いものにさせてしまうのですから、とてつもなく悪性です。

管楽ディヴェルティメントを観察した際に「基準」とした、ハイドンの構成を、ここでもう一度見ておきましょう。
それは、次のような5楽章のつくりでした。
・速い楽章
・第1メヌエット
・ゆっくりの楽章
・第2メヌエット
・速いフィナーレ

では、ここでモーツァルトの「弦楽器と管楽器のための」K.251の構成を、もう一度。
I. Molto Allegro
II. Menuetto
III. Andantino - Adagio - Allegretto
IV.Menuetto (Tema con variazioni)
V. Rondeau(Allegro assai - Adagio - Allegro assai)
VI. Marcia alla francese

・・・メヌエットの位置が合っていますし、第5楽章まではハイドンの構成と軸は一致しています。ただし、ハイドンよりも少々凝っていることが読み取れ、そのために崩れた均衡を補うために(ただし、これは音楽の要件上の話であって、演奏されるべき場に合わせた想定から敢てこのように設計したという点は考慮しなければなりませんが)第6楽章に安定的なマーチを、しかも、あえて「フランス風」だなんて、「フツウジャナイノヨ、コノまーち」と、舌をぺろっと出しながら補完のために置いている。

K.247の方はどうでしょう?
I. Allegro
II. Andante grazioso
III. Menuetto
IV. Adagio
V. Menuetto
VI. Andante - Allegro assai

・・・メヌエットの位置が合っていませんね。第2楽章に余分にひとつ、ゆっくりした楽章を置いているのが直接の原因です。
ですが、これと同じようなことを、モーツァルトは「ハフナーセレナード」でやっています。
I. Allegro maestoso〜Allegro molto
II.Andante
III. Menuetto&Trio
IV. RONDEAU
V.Menuetto galante
VI.Andante
VII.Menuetto& Trio I & Trio II
VIII.Adagio〜Allegro assai

・・・こっちのほうが、K.247と似ています。K.247の第6楽章が、さらにもうひとつの第3メヌエットを挟んで拡大されているだけで、基本設計は「ハフナーセレナード」と合致しています。

「比べてみるとこんな具合ですから、行進曲の前奏をもつK.247は本当はセレナードが正しくて、K.251はディヴェルティメントでいいのです」
そう結論づけられればすっきりするのです。
でも、歯切れが悪くて恐縮ですが、この件についてはまだ問題点の追求を終えてはいけないのだろうな、と思っています。



思いとしては、セレナードとディヴェルティメントには、1770年頃にはドイツ・オーストリア圏ではある種の区分けの基準が、少なくとも作曲家の頭の中には存在したのではないか、という仮説を立てるに留め、
・モーツァルトの以前の作品をも再度振り返り
・比較対照する他者の作品を増やし
・ウィーン移住後のモーツァルトの意識をも作品から読み取らなければならない

これだけの課題を、K.247とK.251の2作から呈示されている、という確認で、今回はおしまいにしておきます。
(翌年作の「第2ロドロンセレナード」と称されるK.287は、むしろスコアの標題のままのディヴェルティメントとしての構造を持っていますし、管楽でも「セレナーデ」と明確に称されている1781年のK.375【ただしウィーンでの作品】も同様だったり、と、「課題」に答えるには難関となる事実も存在することを、あらかじめ申し上げておかなければなりません。)

K.247&248は下記CDに収録されており、名演です。

ウィーン室内合奏団の芸術Musicウィーン室内合奏団の芸術


アーティスト:ウィーン室内合奏団

販売元:コロムビアミュージックエンタテインメント

発売日:2007/08/29
Amazon.co.jpで詳細を確認する

K.251は、この演奏あたり、面白いかも知れません。

モーツァルト:弦楽と管楽のためのディヴェルティメント集Musicモーツァルト:弦楽と管楽のためのディヴェルティメント集


アーティスト:ゼフィロ ベルナルディーニ(アルフレード)

販売元:BMG JAPAN

発売日:2008/01/23
Amazon.co.jpで詳細を確認する

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コメント

どうも、こんばんは。

ザルツブルク時代のモーツァルトにとっては、
「ディヴェルティメント」とは「小編成で演奏される器楽曲」であり、
「セレナーデ」とは「大編成のオーケストラによる機会音楽」である、
というのが僕の個人的な認識です。
「ディヴェルティメント」には様々な編成や構成の作品がありますが、
「セレナーデ」の方は楽器編成や全体の規模、内容または
楽章の進行に関して強い類似性を感じさせます。
(「カッサシオン」はセレナーデに近いもののようなのですが、
分割できる「協奏曲」を含んでいません。)

また、楽章編成に関しては決まった規則はないように思えます。
大まかな枠組みのようなものはあるようなのですが…。
メヌエットの位置や数もいろいろですし。
K251の行進曲が最後に置かれていることも、多分、深い意味は無いと思われます。
行進曲はそもそも(このジャンルでは)楽士の入退場に演奏される曲種だったワケでして。

投稿: Bunchou | 2009年12月17日 (木) 18時42分

Bunchouさん、いつもありがとうございます。
だいぶ前に綴ったもので、自分で中身を忘れていました!
かつ、パソコン故障でお返事大幅に遅れました。すみません。。。

セレナーデについてはモーツァルトに関しては実質上ザルツブルク時代で創作を終えており、ディヴェルティメントはまだ続きます。
ハイドンはじめ、他の作曲家の例も、もっとよく観察すべきだとの思いは持っております。

そのときには、おそらく、ご指摘のように楽章配列等には意味は見いだせないのかもしれません。難しいのは、「場」の問題で、これが案外とらえようがありません。

セレナーデと呼ばれようがディヴェルティメントと呼ばれようが、たとえばモーツァルト父子にとってはいずれもフィナルムジークのひとことでまとめられている場合もあります。ですが、最終的には演奏される機会や場所などによって何らかの違いを意識していた可能性は捨てきれないのではないのかなあ、というのが、とくにザルツブルク後期のセレナーデに触れ終わってみての感触です。

もうすこし検討していってみましょう・・・無駄な考えで、休むににたりなのかもしれませんが!

投稿: ken | 2009年12月22日 (火) 21時35分

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