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2008年3月 9日 (日)

モーツァルト:管楽ディヴェルティメント考(1776)

    川も、泉も、せせらぎも
    奇麗な揃いのお仕着せか、
    水滴の銀の細工を身にまとい、
    誰もが衣を改める。
    季節(とき)がマントを脱ぎ捨てた。

    ----ロンドー(シャルル・ドルエアン)安藤元雄訳----



ここまで読んできたモーツァルト作品の個々へのリンクを作成し直しました。ご利用下さい。

あいかわらず1年分を数ヶ月もかかってでないと読みこなせずにいる(・・・いや、読めているかどうか定かではない)モーツァルトの作品ですが、1776年の作品もやっとこさ、残すところディヴェルティメント5曲となりました。

ですが、これらは、管弦楽のもの2曲と管楽だけのもの3曲に分けて観察したいと思います。

今回は、後者、すなわち管楽のためのディヴェルティメントを読んで(観察して)みます。



モーツァルトの作品を味わう上で今でも最大の価値を失っていない、アルフレート・アインシュタインの『モーツァルト その人間と作品』は、
「モーツァルトが生まれた時代には、室内楽とシンフォニーのあいだ、一方には劇場用音楽と教会堂音楽とのあいだ、他方には音楽堂用および宮廷用音楽と庭園用音楽のあいだに、1800年ごろのようなはっきりした境界線が引かれていなかったのである。」(273頁、白水社)
と記述しています。
そのあとに彼が並べている例を待つまでもなく、これまで見て来たモーツァルトの作品でも、
1)セレナードとシンフォニーの境界が不明確なもの
2)セレナードともディヴェルティメントとも呼び得るかもしれないもの
3)屋外用か屋内用かが不明確なもの
等々が存在する事が確認出来ています。
ただし、第1のものについてはリンク先の記事に記した通り「シンフォニー」と「シンフォニア(=イタリアオペラの序曲)」が未分化だった過渡的な形態、第2のものについては記事中には記しませんでしたが、行進曲が付帯していたら「セレナード」と呼ぶのが適切かどうか(この点は難しいのですが)といったことも含め、ディヴェルティメントとは何らかの差があるはずの構成から判定し得るのではないかとの感触を持ち始めています。
第3はまさに今回と同じ「管楽ディヴェルティメント」なのですが、アインシュタインは管楽だと言うだけで「われわれは、これら管楽器のためのディヴェルティメントを一つ一つ扱う必要は無い。それらは純粋に庭園音楽であり・・・気難しい案出も緊張も無い、形式の遊びである。」(アインシュタイン281頁)と決めつけています。ということは、宮廷用音楽と庭園用音楽」については区分があった事を、じつはアインシュタインは認めていた、ということが明らかです。

第2の内容については遡って再検討が必要かもしれず、これは今回は保留しておく「管弦楽ディヴェルティメント」を読んでみる際に再考する事とします。

第1の問題についてはリンク先の記述で解決済みであると思っておりますが、全体像はやはり、その際の結論に基づいて再整理する必要はあるでしょう。ただし、当面は行ないません。

なお、「劇場用音楽と教会同音楽のあいだ」には、これまで見直して来たところでは明らかに区別があり、これはアインシュタインの錯誤(おそらくは大バッハが教会用カンタータを数多く世俗用カンタータに転用している【パロディ手法】のと似て、モーツァルトも「ハ短調ミサ」をオラトリオに転用している事などが起因していると思われますが、モーツァルトの場合は<教会用>に適していたかどうかは別として、宗教音楽としての性質まで変容させたものではありません)ではないかと思っております。



本題ですが、まずはモーツァルト作品には直接触れません。あとで対比するための材料を並べてみます。
なお、管楽ディヴェルティメントが「屋外用」であることは否定しようとは思いません(雨天で演奏中止、などという記録があれば完全に「肯定します」と言い切るのですが)。けれども、屋内用ではないとの保証もないことは確認しておきます。

もっと本質的な問題は、管楽ディヴェルティメントは果たしてアインシュタインが述べているように「一つ一つ扱う必要は無い」と言ってよいかどうか、という点です。

同時代作曲家の例を見てみましょう。

ヨーゼフ・ハイドンの例を見ると(エステルハージ家に奉公する直前の1760年前後に集中してこのジャンルを手がけているのですが)、編成はオーボエ2本、ホルン2本、ファゴット2本と決まっており、疑作の1つを除き、楽章の構成も次のように5楽章に定型化されています。
・速い楽章
・第1メヌエット
・ゆっくりの楽章
・第2メヌエット
・速いフィナーレ

・・・ハイドンのこの例は、アインシュタインの述べている原則に当てはまっている、と言ってもいいのでしょうね。

もう一人の同時代作曲家、サリエリの場合はどうでしょう?
残念ながら、水谷さんの力作伝記「サリエーリ」では詳細が明らかではありませんが、彼にはディヴェルティメントと銘打った作品は、水谷さんのまとめた作品表を見る限り、ひとつもありません。ただし、これは「作品名の表記には文献間に異同があり・・・」という事情が絡んでいるようです。で、標準的に採用されている、ハイドンの場合と類似した形態の作品群は「セレナータ」の呼称を持っています。
タイトル上では例外的な「夜の神殿のためのアルモーニア」(1794?)は単一楽章として演奏されます。編成はハイドンのものにクラリネット2本が加わっています。
他のセレナータについても、ハイドンの編成を基本にはしているように見えますが、必ず他の楽器が加わっています。
・ハ長調とヘ長調のセレナータには2本のフルートが加わり、低音部はファゴット2本ではなく、ファゴットとヴィオローネ。楽章構成についての資料は見いだしておりません。
・変ロ長調のセレナータは大小2作ありますが(水谷さんの作品表に掲載はありません)、
※小セレナータ(1778)の編成はハイドンの上記の管楽ディヴェルティメントと同じ。第1楽章Allegretto、第2楽章Larghetto、第3楽章がメヌエットで、フィナーレがプレストです。
※大セレナータ(同年?)も同編成。ただし、楽章構成は6つで、その中にメヌエットはひとつ(第2楽章)しか含まれていません。速い楽章〜メヌエット〜遅い楽章〜速い楽章〜遅い楽章〜速い楽章、という造りです。
もう1曲、ト短調のセレナータ(これも水谷さんの作品表にはありません)は二楽章形式で、メヌエット〜速い楽章、となっています。
ハイドンに比べて特徴的なのは、ハイドンは各曲の構成が同じである事も手伝って一曲一曲の際をあまり大きく感じることは無いのですが、サリエリの場合はひとつひとつが「個性的」です。
・・・ひとつひとつが「違っている」ことと「セレナータ」という呼び名のあいだに関連性があるかどうかは、モーツァルトの管弦楽用ディヴェルティメントとの対比で再考しましょう。



さて、1776年のモーツァルトの管楽ディヴェルティメントです。
編成と構成、規模を見てみましょう。

K.240(変ロ長調)1月作曲
オーボエ2、ホルン2、ファゴット2
第1楽章:Allegro,3/4(105小節)
第2楽章:Andante grazioso,2/4(64小節)変ホ長調
第3楽章:Menuetto(24小節)&Trio(16小節、ト短調)
第4楽章:Contradanse en Rondeau(Molto allegro),2/4(162小節)

K.252(変ホ長調)1月(8月?)作曲
オーボエ2、ホルン2、ファゴット2
第1楽章:Andante,6/8(43小節)
第2楽章:Menuetto(28小節)&Trio(16小節、変イ長調)
第3楽章:Polonaise(Andante、40小節)変ロ長調
第4楽章:Presto assai,2/4(76小節)

K.253(へ長調)8月作曲
オーボエ2、ホルン2、ファゴット2
第1楽章:Andante,2/4(126小節)
 18小節のテーマと6つの変奏(第5変奏はAdagio,最終変奏はAllegretto)
第2楽章:Menuetto(28小節)&Trio(20小節、変ロ長調)
第3楽章:Allegro assai,2/4(83小節)

・・・編成については、ハイドンの1760年のものと全く同じで、この演奏は管楽ディヴェルティメントのひとつの型だったことが伺われます。(1773年の3曲のうち、編成は大きいが曲の規模は小さいK.188だけがまったく違っていますけれど、他2曲はこの編成にイングリッシュホルン2本を加えたもの、かつ5楽章編成でした。)

一方で、一曲一曲に違った特徴が見られます。
先に共通点を述べますと、3曲ともメヌエットはハイドンより1つ減らしています。(K.240は第1メヌエットを、K.252は第2メヌエットを省いた、と見なし得ます。)

K.240とK.252は、メヌエット以外の舞曲を含んでいます・・・ここで、お客が踊るのを見込んでいるかのようです。・・・実は、この点についてはハイドンのエステルハージ時代の宮廷への音楽の提供の仕方:これは「宮廷の生活」というものは決して庶民に対しクローズではなかった、従って、出版事情だけでハイドン作品の享受法がどうだったかを推測する手法には錯誤があるのではないかと思われる事を示す重要な示唆とも関係があるのですが、この話は別の機会に譲らなければなりません。)

K.253は最初に変奏曲を持って来ています。

各曲に凝らされた「転調」の趣向にも興味深いものがあります。これはハイドンやサリエリの前掲作には原則として登場しないものです(ウィットとしての部分的な転調は取り入れていますが、モーツァルトは楽章の部分全体のムードを変えて演奏場面のお客の心情により永続的な変化をもたらす事を意図しているかのようです)。

以上のように見てきますと、少なくともハイドン(兄)との対比の上では、アインシュタインの「管楽器のためのディヴェルティメントを一つ一つ扱う必要は無い」という見解には疑問を表明しておくべきかと思います。

また、サリエリが「セレナータ」一作ごとに変化をつけたのと似た「時代の精神」が(サリエリの方が一層モーツァルトと同世代に近いからでしょうか)、モーツァルトには伺われる、ということも言えるかと思います。

なお、NMAの緒言には1月、8月という作曲時期にも(他の年の同種の作品と併せて考察した時に)何らかの意味がありそうだ、と述べていますが、これについては私は確認が取りきれておりません。もう少し理解を深めてから見直しを期したいと思います。

長々失礼しました。

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  (Chamber Orchestra Of Europa Wind Soloists)

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著者:水谷 彰良

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