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2008年2月 1日 (金)

チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」(1)前提

     お聞き、夜のなかで、
     ひとつの声が嘆くのを、
     「おもいだして」と。

     ----アルフレッド・ミュッセ「おもいだして」より。入沢康夫訳



最初に。
過日、ボロディン弦楽四重奏団の記事を読んで下さったsergejoさんに、当ブログを過分のお言葉と共にご紹介頂きました。厚く御礼申し上げますと共に、自分のブログをご紹介頂いた記事へのリンクは恥ずかしいのて、トップページにあらためてリンクを貼らせて頂きます。・・・また、気後れしますから、当該記事にはあらためてコメントはお入れしませんので、sergejoさん、ご容赦下さいね。
sergejoさんは、私などより広く「クラシック音楽」を楽しむための資料のご紹介に努めていらっしゃる上に、言葉は優しいのですが、「聴く」ということに、とても真剣にお取り組みであることが、お綴りになっている文から良く伝わってきます。「聴く」ことに真剣である、というのは、「人の心と常に思いやりを持って対峙する」、一つのかたちであるかと思います。心から敬意を表させて頂きます。


TMFのサイトでも、次回の定期演奏会のメインがチャイコフスキー「交響曲第6番<悲愴>」であることが掲載されました。

ですので、昨年ショスタコーヴィチの第5で試みたのと同じように、さっそく作品の検討にかかりましょう。

ダイレクトに作品そのものに入っていく前に(・・・実は、スコアはいま手元になく、気に入った版が見つからないので、新調も出来ていません【付記:この記事下書きしたあと、即、買いました】)、前提としてTMF団員各位に知って頂ければ嬉しいな、と思うことを4点、述べます。

第1には、<悲愴>というタイトルと、その是非について
第2には、この交響曲の創作の前身として検討しておく必要のある、彼自身の作品について
第3には、創作時期にチャイコフスキーが影響を受けたと思われる他者の作品について
最後に、作品理解にあたっての構造的な留意点について



第1の、タイトルの件からいきましょう。

タイトルはチャイコフスキー自身がつけたのですから、それはいいとして、<悲愴>という訳がすっかり板についてしまったこの作品、聴衆がチャイコフスキーに
「まさにレクイエムだ!」
(背景については末尾掲載の、音楽之友社版スコアに付された千葉潤さんの解説を参照下さい)
と感想を漏らしたり、冒頭楽章・終楽章(特に後者)が悲壮感(悲愴感ではなくて)を湛えているうえに、初演のたった9日後に作曲者が急病で死去してしまったため、一般的には未だに「死のイメージ」とだけ直接的に結びつけられ、演奏され、聴かれがちです。
交響曲について謎を深めたのが、リムスキー=コルサコフがチャイコフスキーに
「この交響曲には標題性を感じますが、どんな意味がこめられているのでしょう?」
と質問したところ、チャイコフスキーが
「いまは答えたくない」
と語り、結果的にその死をもって、永遠に意味が明示されることがなくなった事実です。(伊藤恵子「チャイコフスキー」音楽の友社2005 参照)

で、タイトルの日本語訳を<悲愴>とすることの是非については、楽譜研究などで大変すばらしいサイトをお作りになっているKANZAKIさんの記事の中に明確に綴られたものがあって(KANZAKIさんのサイトは、是非一度ご覧になってみて下さい。いろいろ為になるのですが、軽率に私のところにリンクしたりしてはいけないかなあ、と思って遠慮していました)、ここに以下の記述があります。

(引用)
自筆総譜の表紙に記されたロシア語のпатетическая(パテティチェスカヤ)は、辞書を紐解くと、「悲愴」というニュアンスとはちがって、「情熱的、感情のこもった」という意味が示されている。このずれは、森田稔氏が『新チャイコフスキー考 没後100年によせて』(ISBN:4-14-080135-2)の最後に次のように書いたこともあって、けっこう注目されるようになった。

日本語で「悲愴」と訳されているパテティーチェスカヤという単語には、ロシア語の辞書を引いても「悲愴」という意味は出てこない。これはロシア語では「情熱」とか「強い感情」といった意味の言葉なのである…(中略)…チャイコーフスキイはこの時まったく死ぬつもりなどはなく、遺言としてこの曲を作曲しようなどとは全然考えていなかった。つまり、作曲家の死後に、人々の間に形成されていった噂話がヨーロッパにも伝わって、この曲のイメージをすっかり変えてしまったことになる。

更に詳しくは、KANZAKIさんご自身の記述をお読みいただければ幸いです。
・・・終楽章の動機は前に「(失意に向かう)嘆きのイントネーション」の例として私自身が掲載したことがあるのですけれど、だからといってそれが「自身の直近の死を前提としての嘆き」であるとは決め付けられません。
・・・チャイコフスキー自身は1910年までは生きたい、と漏らしていたそうですし、交響曲第6番初演の翌年も、既にスケジュールがいっぱい詰まっていたそうですから。



第2の、第6交響曲の前身と考えられるチャイコフスキーの作品群ですが、以下のとおりです。

・バレエ「眠れる森の美女」(1889)
・オペラ「スペードの女王」(1890)
・オペラ「イオランタ」(1891)〜私は未聴
・バレエ「くるみ割り人形」(1892)
・ピアノ「18の小品」(1893)
ピアノ協奏曲第3番第1楽章(1893、以下の楽章は1895年タネーエフが補作)
〜最後の、ピアノ協奏曲第3番の第1楽章が、もとはチャイコフスキーが「人生」交響曲として企画したものの転用です。しかし、第6交響曲と音楽的に繋がるものは、どれほどあるでしょうか?

以上のうち、とくに交響曲第6番と(内面的に?・・・少なくとも、構造的に!)関連性があるかなあ、と感じているのは、「スペードの女王」、およびピアノのための「18の小品」です。

「スペードの女王」は、プーシキンの原作(岩波文庫に翻訳収録)に比べて入り組んだ筋書きの台本を弟モデストが作ったものにつけられたオペラですが、その筋書きは、不倫に近い恋愛のハシカ熱にうなされた主人公が、恋人を完全に獲得するだけの資金を手にするため賭博に手を出し、結局はすってんてんになって、恋人への詫び言をつぶやきながら自殺する悲劇です。・・・交響曲「人生」は変ホ長調として仕上がる予定でしたけれど、そちらでチャイコフスキーが思い描いた人生は
「第1楽章は、仕事に対する衝動や情熱、それに自信。短くしなければならない(挫折の結果としての最後の死)。第2楽章は愛、第3楽章は落胆、第4楽章は死(やはり短く)。」 (Wikipediaからの引用)
というものでしたから、「スペードの女王」に似通ったものがあります。
これに多少変更が加わった「人生観」が交響曲第6番に反映されている可能性は大きいと思います。

音楽としての「ストーリー付け」については、「18の小品」に、そのミニアチュールをいくつも聞き取ることが出来ます。
交響曲のそれぞれの楽章については「18の小品」の第何番だな、という紐付けも試みてみたのですが、この作品の録音自体は入手しにくいかと思いますし、楽譜については出版事情を把握しておりませんので、交響曲全体ともっとも関連性が深いかな、と感じられる (色の変わっている部分を右クリックすると別ウィンドウで聴けます。)お詳しいかたには「え? 逆なんじゃないの?」と思われる妙な言い方をしますけれど、この第14番、
<リストの叙情をショパンの技法で奏でている>
もので、交響曲第6番の全ての音楽語法の要素が集約されています。
例示はしませんので、お聴き取りになってみて下さい。
 M.Pletnev(piano),LIVE , June 2004 at Zurich Tonhale
Deutshe Grammophone 00289 477 5378



第3に、交響曲第6番創作の直近の時点で、チャイコフスキーはマーラーやリヒャルト・シュトラウスと出会い、影響を受けている、といわれています。
これは、チャイコフスキーの作品から省みても、なるほどそんなこともあるかな、と思われます。
ですので、チャイコフスキーが耳にした可能性のある、この二人の作曲家の、年代の近い作品を、参考までに挙げておきます。

マーラー:「交響曲第1番<巨人>」(1888)
R.シュトラウス:交響詩「ドン・ファン」(1888)、「マクベス」(1890)

・・・少ないかもしれませんが、有名曲ばかりですし(「マクベス」は、そうでもないか)、チャイコフスキーの第6自体とも思想的・情感的に近似性が認められる点は、着目しておいてもよいかと思います。



最後に。・・・これは、「演奏なさる」かたが、チャイコフスキーのこの作品を「暗記」して下さっていることを前提に述べます。(アマチュアであっても、演奏する以上は、旋律的な前後関係、付けられている和声を、本来は全て記憶していなければなりません。・・・勿論、全てのパートについて、どこでどの楽器が入る、という細目まで完全に記憶している必要はありませんし、和声の記憶は主和音か属和音か程度でいいのであって、なんというコードネームで表されるかまで細かくなくてもいい。でも、大切な音が何かは、曲全体をあらかじめ記憶していないと、慌てて練習しても見つけ出すことは不可能です。で、案外、聞いてくださるお客様の方が、よく覚えていらしたりしますから、肝に銘じたいところです。)

現在はどうなのか分かりませんが、私が子供の頃は、
「チャイコフスキーは<繋ぎ合わせ>で創作をした人だ」
・・・つまり、彼の音楽はベートーヴェンのように動機を積み重ねた建造物ではなく、パッチワークみたいな、いくぶん精神的価値の低い作品ばかりを作った、という評価が、日本では定着していました。私が初めて聴いた<悲愴>交響曲の録音(LP)の解説に、駄目押しのように、こう書かれていました。
「この交響曲も例外ではない!」

けれども、ちょっと観察すれば分かることですが、この認識は明らかに間違いです。
第1楽章冒頭のファゴットの2音上昇動機、その延長としての3音下降動機(第1主題の途中【木管主体の箇所】と弦楽器が有名なメロディを奏でるところで登場します)が、全曲を支配していることは、注意して聴けばすぐに分かることですし、次回以降はそのことに重点をおいて作品検討をしていきたいと思っておりますが、代表的な部分についてごくかいつまんでいえば、明瞭なのは

3音上昇2音下降の動機〜第1楽章ファゴット、ヴィオラの第1主題、第2楽章のワルツ主題(Ⅰ、Ⅱとも)
3音下降動機〜第1楽章第2主題(有名な旋律)、第4楽章の第1主題、第2主題

といったところですね。第3楽章は判別しにくいですけれど、テーマの部品として(たとえば3音上昇2音下降を3音上昇4音下降に延長したりして)有効活用されていますから、よくお聴きになってみて下さい。第2楽章での用法も、割合に複合的です。


ごちゃごちゃならべたててすみませんでした。 何卒、意をお汲み下さいますよう。 

追記:この記事の下書きをしたあと、帰り道にスコアを買いました。2004年版の音楽之友社のものが見やすく改善されていたので、それを購入したのですが、解説を読んで仰天しました。丁寧で適切な内容なのです。音楽之友社で刊行中の「作曲家○人と作品」シリーズでショスタコーヴィチの巻を担当された千葉潤さんのものでした。・・・私が上に綴ってきたことなんて、この解説を読めば、つまらんもんです。 が、せっかく綴ったので、載せます。ご容赦あれ!

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   ・前提    ・全体像    ・第1楽章    ・第2楽章    ・第3楽章    ・第4楽章


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