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2008年2月29日 (金)

笑里ちゃん、「アイドル本」出しちゃったの?

・・・実は、「アイドル」に弱い私です。
・・・昔から、そうだったと思います。

でも、あんまり「アイドル」っぽくないアイドルが好きなので、過去に憧れた「アイドル」は、世間様から見れば少々路線がずれていたかもしれません。

まあ、過去を振り返るのはやめましょう。

アイドル時代は、とっくに過ぎていたと思っていました。

ほんとうは、かれこれ、1ヶ月前になります。
宮本笑里ちゃんが本を出してる!」
・・・知ってしまって、衝撃を受けたのは。

知って、知らん振りしてました。
(中身は読みました。フツーの女の子っぽいことが書いてあるだけで、まあ、何の変哲も無いし、ヴァイオリンについて余計なことまでお喋りしていないし。それ以上気にとめるのはやめようと思っていました。)

でも、もっと衝撃的な出来事が!

昨日、風邪が良くなってきたので、昼食に出たついでに本屋さんに行きました。
かねてから、私の大好きなアイドル、にしおかすみこの「化けの皮」が欲しかったからです。

いえ、私はSM趣味ではありません。
偉い先生も仰ってます、「彼女はちゃんと芸をしてる!」って。
私は、彼女はピン芸人だけど、ちゃんと「伸助竜介」の衣鉢を継いでいる芸人さんだと思っています。

芸人としての彼女が好きなのです。
が、同時に、「アイドル」としても好きなわけです。
つまり、です、「芸をきちんとやる」アイドルが、私は好き!

で、そのにしおかすみこの本を手にとって・・・それは若手スター達のタレント本と一緒に並んでいました・・・、ふと隣を見たら、隣に置かれた本のカヴァーで「笑里ちゃん」が微笑んでいる!

彼女は、「アイドル」だったんですか! 「タレントさん」だったんですか!

・・・知らなんだ。。。



19世紀から20世紀初頭にかけてのヨーロッパクラシック界は、たしかにひとつの「アイドル」時代でした。
でも、それは、「クラシック音楽」が「クラシック」じゃなくて、当時の(お金持ちの間では、という限定はつくのかもしれませんが)お客さんたちにとって「モダン」だったからです。しかも、皆ただものではなくて、超人的な「技芸」も身につけていました(リストしかり、ショパンしかり、クララ・ヴィークしかりであります。忘れ去られた人もいっぱいいるけれど、ホンモノの実力派でない人はいなかった)。

笑里ちゃんは、私は「クラシック」の世界に生きていくのかどうか、気になっていました。れっきとしたクラシックの「重鎮」であるお父様とのコラボも、曲目こそクラシックっぽいものが半分くらいはありますけれど、大半はポップ調ですし。ポップならポップで、いまの人たちみたいな、クラシックだかポップだか境目の分からんようなのはよしてね・・・って思ってました。ジャズなら(アイドルにはほど遠いけど)笑里ちゃん自身が名前を挙げているグラッペリだっていたんだし。

で、やっぱり本を出した五嶋龍君は、その後クラシックの世界をひた走っていて・・・ああ、アイドル路線じゃなくて良かったな、(別にクラシックだからと言うのではなくて)ちゃんとヴァイオリンを勉強していくんだな、と、嬉しく思っておりました。

でも、でも・・・

笑里ちゃんは、女王様のとなりに鎮座ましますプリンセスだったのだ。。。

smile 宮本笑里

・・・知らなんだ。。。

「クラシックもどき」の演奏家が「クラシック案内」なんて本を書いているのよりは、はるかに許せるけれど。

なんとかいう歌で有名になった人が、テレビで「オペラ歌手はみんなこう歌う」と大言壮語されるのも、別に結構ですけれど。

CDメーカーさんは、笑里ちゃんを「アイドル」として売り込んでいくのですね。
お父様もご同意、なのでしょうね。

ということは、いつか、そう遠くない日に、笑里ちゃん、
「私、白馬の王子様を見つけちゃったから、音楽、やめまーす!」(表現、古いか。)
って、いまや伝説化した山○○恵さんのように、引退コンサートして、それで終わっちゃうのね。

ああ、出会って半年もしないうちに、もう遠ざかっていくあなた。

読みたきゃ読んでもいいかしれないけど。

で、うちの娘には笑里ちゃんの爪の垢ほどの才能もないかもしれないけれど。
娘をこういうかたちで「売り物」にする父親ではありたくない。
(宮本さんには大変申し訳ない発言ですが。)

お父様は、それも青春のいい思い出だと、お許しになったのかもしれないけれど。
読みたきゃ読んでもいいかしれないけど。
私は、いらない。

↓ こっちで、充分!

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著者:にしおかすみこ

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コメント

クラシックの音楽家が現今のメディアベースに乗るためにはいくつか条件があって、その条件は非常に複雑にからまりあっている訳ですが、その方の演奏能力とはあまり「関係がない」という場合が多いですね。名声なりに上手い方もいらっしゃれば、名声の割に…、という場合がある。それは、現今のメディア環境が演奏能力というものを評価し、貨幣化する状況にないからだと思っています。決して彼等メディア関係者が演奏を聴く耳を持っていないのではなく、それを換金する方法論がないんだと思います。で、なぜ演奏能力が換金できないか、っていうと、CD買ったりカラオケで歌ったりテレビの人生バラエティみたりする層の購買者がその能力を量れる能力をもっていないからなんでしょうね。

でも、テレビに出ている、いささか能力に欠ける演奏家の音色を聞いて、「ヴァイオリンってキイキイ神経質な音で嫌い」とか言っているのを聞くと、いろんな意味で不幸だなあと思ってしまうことであります。

投稿: キンキン@ダイコク堂 | 2008年3月 1日 (土) 01時22分

今の日本では、音楽の「質」が「ビジネス」にならないんですよね。
とくに、新しく打って出よう、という人にはクラシック界(演歌もそのようですが)は、厳しい世界でもあるようで。かつ、
「あ、ようやく売れた」
って時が来たとしても、テレビでパアッと騒がれるわけでもない・・・まあ、これは騒がれない方がいいんですけど。稼げるようになるのは,「死んで、著作権なり何なりの権利が切れないうちに有名になる」しかない。死亡保険金なら確実に受け取れますけど,こっちは・・・危ういなあ。
「クラシック」のある意味、売るのが難しいのは、能力の測り方(これは明確に存在しますよね・・・コンクール入賞云々でないことも明確ですね)はあるけれど、それが意外や意外,あまりに物理的すぎるので「庶民化」しにくい、だから「口コミ」が成立しにくい、ってあたりにもあるような気がしてはいます。

そんな中で、1000円盤じゃないクラシック(含:もどき)を売るために,こういう(どういう?)「露骨な」人選と売り込みを「せざるをえない」ギョーカイさんを、この記事は結果的に責めていて,本人をもおとうさんをも責めているんですけれど,「露骨なやり方」でないと稼げないのは、「100%ギョーカイさんのせい」とは言えないし,子供に稼がせたいのは親心だし。だって、稼げなければ命を保てませんからね,・・・ああ、いけないもの綴っちゃったかなあ、・・・まあいいや、ブログだし、マイナーだから、どうせ社会的影響力ゼロだもんね、といささか無責任な自分をいちばん責めるべきなのかも知れません。
・・・私,Mではないのですが。。。

ヴァイオリン、って、キーキー言う楽器でもないですけれど,強い女の人がもてはやされた時期にはそういう音のする人が売れてましたっけね?
でもって、ヴァイオリンは、昨今お売れになっている方がお出しになるような、<ぼやあああっ>と輪郭のない音がするものでもないんですがねえ。。<ぼやあああっ>が<坊やあああっ・・・>という叫びかなんかに聞こえて、女性陣の母性本能をくすぐって売れる、って作戦なんですかねえ。奥が深いなあ。

投稿: ken | 2008年3月 1日 (土) 11時05分

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