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2008年2月21日 (木)

「こっちが本物」と言える人は本物?

    いと高き愛よ、わたしは知らぬまま死ぬかもしれない、
     どこであなたをこの身に宿すことになったのか、
      どのような太陽があなたの住まいだったのか
    どのような過去があなたの世で、どのような時間に
          わたしははあなたを愛したのか、

    ----カトリーヌ・ボッジ、渋沢孝輔 訳----



今日も息子の授業参観で、他の親御さんに混じって過ごしました。
参観であるだけ、状況は昨日よりずっとまし、なのですが、混じっているだけで『気うつ』が出てしまいますので、担任の先生にお詫びして、懇談会は脱出して、息子とジュースを飲んで帰ってきました。

あーあ、私は「集団の中では暮らせない」カラダになってしまったのだろうか???

インド音楽も、2週間前に5枚組1,450円という超お得盤を手に入れた、と喜んでいたら、これがとんだ掴まされで、宗教音楽なんか、スピリチュアル的なアレンジになっている。
「ダメ!これじゃあ、私の<イデア>の中にある純粋なインドの伝統音楽と違う!」
そう思い込んで無視していたのですが、思い直してよく聴いてみると、旋律は、入門書籍に記載されたインド音楽のルールに素朴に従っているのが分かってきましたので、もう一晩良く考えたい。

というわけで、今日は、この間<「素直な言葉」を聴きたい>の、特に後半部で問題にした、
<古楽的演奏>と<モダン演奏>の違いが音楽の根源的な違いに繋がると言えるのかどうかを、実際の映像でご覧頂き、判定して頂くことでお茶を濁そう、という奸計です!

「本物はこっちだ!」
と見事に断言することのお出来になるあなたは、とくに、プロフェッショナルのかたでしたら、「本物」の耳を御持ちになっていらっしゃって、「本物」の演奏<だけ>なさることができるのだろうと、心から尊敬申し上げます。

先に申し上げておけば、私は、そうした点、全く本物、ではございません。・・・耳、悪いし。

ご覧に入れまするは、バッハ「無伴奏チェロ組曲第1番」第1曲の演奏。

「古楽」と「モダン」それぞれの演奏で、どうぞ!

・アンナー・ビルスマ


・ムスティスラフ・ロストロポーヴィチをリンクしたかったのですが、ダメなんだそうで・・・
  代わりと言ったら怒られますけれど・・・パブロ・カザルス。
  (「代わり」だなんて・・・怒られるよなあ。ヤバいなあ。)
  ・・・ちょっと前置きがあるので、その部分は無視して下さい。


ええい、おまけだ!
・ビルスマとの比較で面白いな、と思った、マイスキー

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コメント

こんばんは。勉強の機会と思って恥をしのんで書いてみます。

一番面白いと思ったのはビルスマ。アーテキュレーションが細かくて、音型が判りやすい。またポリフォリカルというのでしょうか色々な音がこうなっているんだとよく聴こえました。末尾のちょっと前でテンポも上げて変化を大きな構成も「あーそうしたいんだな」と伝わりました。

カザルスはあらためて聴くと、ところどころのメロディアスな部分を聴き所として見栄を切るけれど、他は結構快速で飛ばしています。普段ぼーっとCDを流していると別に気にしませんでしたが、こうやってじっくり見るともうちょっといろいろあってもいいかなと。ビルスマの旧盤の録音買ってからそれしか聴いてないのはそのせいかも、、、

マイスキーは、二人の中間くらいといったら判り安すぎますが、ビルスマとの大きな違いは、アーテキュレーションを長めに区切っていて、その分メロディアスに感じると言えなくもないかなと。前に演奏会聴いたときは、好き勝手やってるなーと思いましたが、これを見るとそういう風には思いませんでした。

三人の音色というのは、録音条件もあると思うのでなんともですが、ゆったりしたテンポのビルスマが一番豊かに聴こえました。マイスキーは音色というより、ダイナミックでより変化をつけている?といって良いのかしら、、、(と書きながら、音色ってよくわからなくなりました。)

三人の楽器がモダン楽器か古楽器かというのは聴いていて、実は別に気にしませんでした。ビルスマのようにモダン楽器で弾いても(そういうことができるのかどうか知りませんが、、、)私は面白いと思ったと思います。要するに楽譜をどうよんでいるの?というところだろうなと。

そういう意味では、自分に取っては、チェンバロとピアノのような違いは(当たり前ながら)なく、あまり気になりませんでした。実演でなくても、CDで聴くと結構違うかも知れないですが・・・

長文失礼致しました。

投稿: sergejo | 2008年2月22日 (金) 00時14分

sergejoさん、ありがとうございます。

たくさんのことがあるのですが、最少限を申し上げます。

ビルスマと他の二人の大きな違いは、まずボウイングにありますよね。カザルスはそれでもまだビルスマに近いですが、マイスキーになると、前半は1小節分(全部16分音符ですから音符16個分・・・あとで見直したら、8個分ずつでしたね!ごめんなさい。)まるまるを「ひと弓」つまり、運弓上の大きなスラーで弾いています。(ビルスマはバッハ時代の筆写譜にあるスラー以外にはスラーをかけていません。・・・これとほぼ同じなのがロストロポーヴィチなので、また比べてご覧になって下さいね。)運弓についてはキリがないので、期をあらためてネタ探ししてお話出来ればと思います。

続いての違いが、ご指摘の「速さ」の違いで、これはエンドピン(チェロのオシリのピン)の有無によってもたらされた大きな変革であったはずです。すなわち、ピンがなければ、チェロは高速運転が出来なかった。

三つ目(これでやめにしますが)は、解釈の問題ですが、個々人がどうか、ということを超えて興味深いのは、曲尾の最高音域でのクライマックスへのもって行き方は、ピン付きの近代チェロでは輝かしいフォルテですが、オリジナル楽器のビルスマは(おそらく敢て)急激なクレッシェンドで最初の最高音Gにもってくるのを避け、むしろディミヌエンドでクライマックス部をはじめます。これは「主観的」解釈でそうしたのではなく、楽器の特性を考えると(先述のピンの他に、元の質と張力〜スチールかガットかの違いにも起因します)、ビルスマの選んだやり方の方が、音が割れないで済むから、であるかと思います。

なお、近代チェロでの面白いレクチャーの映像(トゥルトリエが学生を教えている)も見ることが出来、カザルスやマイスキーの解釈の「根源」が其の映像から伺い知ることが出来ますので、併せてご覧になってみると面白いでしょう。

これでも言葉足らずで、ちょっとの間頭を抱えてみたのですが、言葉が浮かばないので、まずは、差の点だけ申し上げました。

「音楽」としては、オリジナル、モダン、共にその客観的イメージの違いを超えて、充分「本物」として成立している。
それを、「モダン楽器で節を曲げて古楽解釈する」風潮が、最近はちょっと鼻に付いていやだなあ、と思っております。

とにもかくにも、真剣におつきあい下さったことに厚く御礼申し上げます!
失礼しました!

投稿: ken | 2008年2月22日 (金) 10時08分

どうも有り難うございます!

「楽器そのものから来る要請」がまったく判ってないことに気づきました。kenさんが書かれているようなことは、まったく考えてませんでした。

そもそも「エンドピンがない」という知識はあった癖に、上の映像でピンがないことにまったく気づかなかったほどで、、、、

投稿: sergejo | 2008年2月22日 (金) 15時08分

連投すみません・・・

3〜4回どれも見直して、全然判ってないという自分の知らなさ加減を知ってほんとにいい体験でした。

ぜひ、今後「たくさんのこと」をいろいろ書いていただけると、ほんとうに有り難いです!宜しくお願い居たします。

投稿: sergejo | 2008年2月22日 (金) 15時27分

sergejoさん、「全然分かってない」なんてことはないですよ!
真剣に考えて、綴って下さったことを、本当に、心から嬉しく、感謝しております。

でも・・・視点(聴く耳)を変えてみる、というのも、面白いでしょう?
それを感じて下さったことが、何よりも有り難いです。

また、面白いもの見つけましょうね!

投稿: ken | 2008年2月22日 (金) 23時07分

そんな優しいお言葉を・・・涙涙

ほんとに面白かったです。と同時に、一体自分はなにを聴いているんだろう???・・・と今日は電車の中でそんなことを繰り返し考えておりました。

では!

投稿: sergejo | 2008年2月22日 (金) 23時48分

「アンナー・ビルスマ」衝撃的でした。楽しめました。このテンポで聴くと違う曲を聴いているみたいですね。ロストロポーヴィチの強烈に早いテンポに慣れているからかもしれません。BWV1007は、自分の中での情景は<晩秋>なのですが、アンナー・ビルスマのテンポだと<初秋>に変わります。ありがとうございました。

投稿: ランスロット | 2008年3月 9日 (日) 13時57分

たまたまなのですが、学生時代に、私がコレルリの「クリスマス協奏曲」の<速い>楽章を常識はずれなほど遅く重く弾いたとき、周りのベテラン千杯に大ひんしゅくを買いました。ところが、その場に居合わせたお師匠さんが即座に言って下さったのです。
「どんなテンポでも音楽にしてしまえる、というのは、美徳だ。」
・・・私自身は深い考えがやった事ではなかったのです。かつ、このときのお師匠の言葉を他の人たちがどう受け止めたかは分かりません。
ですが、私にとっては今でも鮮烈な思い出であり、教訓です。
「音楽が何を語っているか」
と対峙する際には、テンポの問題は避けて通れないのだなあ、と、以後痛感しています。ここで挙げた例は、従って、そう言う事に思いを致しているかたには例外なく興味深いのではなかろうかと信じております。

投稿: ken | 2008年3月 9日 (日) 23時31分

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