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2008年2月16日 (土)

疲れと「夢」

今日は、一日じゅう豚のように眠り惚けたので、何の下準備もしておりません。
チャイコフスキーの第2楽章ぐらいには進んでおきたかったのですが・・・急場しのぎで綴ってもいけませんので、ちょっと先延べします。(今晩の練習にはどうせ間に合いませんでしたしね。)
他にも「もっとベレゾフスキーさんの紹介とコンサート案内をしなくっちゃ」とか、必ずしもネタ無し、ではないのですが、急場しのぎで半端にするのもなんですので、またにします。



「夢」といっても、眠って見る「夢」の雑談を、ちょっとだけします。

私は学生時代の専攻が心理学でしたので、本来はフロイトだとかユングの系統のことを突っ込む勉強がしたかったのですが・・・こんな専攻を選んだきっかけも、あまり明るい理由ではなく、(このブログをいつも読んで下さる方には別にビックリでもないでしょうから、有り体に申し上げておきますと)自分の家の家族の不和や、初恋の子の自殺の本当の理由が知りたかったり、どうしたらそうしたことを防げるかを身につけたかったからなので・・・、進学して初めて、進学先の学校で学べるのは「実験心理学」といって、どちらかというと生理学に近いものであり、目や耳の錯覚だとかいう「感覚の錯誤と脳の関係」を調べるものだということを知り、愕然としました。かつ、当時は「実験心理学」が主流でもありました。フロイトやユングは「心理学」はうたっていても、彼ら自身お医者さんでしたし、もし彼らの系譜に連なりたければ、医学部精神医学専攻にすべきだったのです。・・・今日は深入りしませんが、先頃思いがけずも早く亡くなってしまった河合隼雄さんも精神科のお医者様で、「夢の記」に自分の見た夢を記し続けた鎌倉時代の名僧、明恵上人についての素晴らしい著作を残していらっしゃいます。

で、自分のことに戻りますと、学校に行ってもどうしようもないので、学校ではもっぱらサークルにだけ熱を入れ、就職のためにだけ単位を取って卒業したようなものでした。
ヴァイオリンにしても、なのですが、どうも、私は「自分が本当に学びたいこと」は「自分の手で材料を探して来なさい」と、神様に命じられてこの世の中に降りて来てしまったのではないか、と思ってしまいます。



それらのことはともかく、上に名前の出て来たフロイトユング河合隼雄(他には宮城音弥)といった近現代の精神医学者が例外なく採り上げているのが、人の心の深みに隠れている「夢」であることは、御承知の通りかと思います。

「夢を見ている時には人の目ん玉はどう動いている」とか、「睡眠には浅い睡眠と深い睡眠があって、どちらも夢は見ているようだが、覚えているのは浅い睡眠のときの夢だ」とかいったことは、生理学的な実験がたくさんなされているのですけれど、実験や第三者的観察で可能な「夢」の研究はここまででして、フロイトの「夢判断」に始まる、ある意味で「心の傷を癒すもの」としての「夢」については、精神科を訪ねた患者さんの申告に基づくカルテ上の記録と、記録を取ったお医者自身の体験との照合から導かれた結論の「主観的な集合体」でしかない、という状況は、現在でも変わっているわけではないように思います。

そんなところへ、結局は専門家でもなんでもない私の「観察」と「照合」を積み上げても、薄紙一枚にも満たない厚みしかないのですけれど、学者さんたちが一様に「気づかずにいる」ことについて、ひとつだけ申し上げておきたいと思います。



「人は一度に、同時並行に、複数(2つ以上)の夢を見ている」
・・・お勧めはしませんが、1ヶ月くらい、意識して、枕元にノートをおいて、目が覚めたとき、寝ぼけ眼でそのとき覚えている夢を書きとめてみて下さい。
注意しなければならないとしたら、これは「起きた、その瞬間に出来るだけ近い時にやらなければならない」という点です。・・・でないと、記憶は、印象の薄い夢から順番に忘れて行きます。
かつ、連続して記録する期間は、最大でも1週間以上になることはお薦めしません。これをぶっとおしで1ヶ月も続けたら、自分が異様に疲れてしまっていることに気が付くはずです。これは、おそらく、夢というのが
「脳がストレスを排泄していることの現れ」
だからだと思われます。

で。

記録していると気づくのですが、いちばん強烈に記憶に残る夢が、たとえば「急ぎの仕事が片付いた!」という夢だとして、その意識のさらに下層部では「学校の薄暗い階段教室で自習をしている自分」をも併せて見ていたり、またその下層部では「ガタが来ている我が家の建具の修繕に迷っている」とか・・・これは私の実際の例には則してはいないので恐縮なのですが・・・実は、夢というのは重層的に、同時並行的に見られているものだ、ということがはっきり認識出来るはずです。

重ねて申し上げますが、もし試してご覧になるなら、期間は最小限になさって下さい。
というのも、この記録を重ねて行くとさらにはっきりしてくることなのですが、夢は、浅い層では「当面の課題の解決」(それが大変なものであれば残念ながら「非解決」という悲しい状況)を見せてくれている場合が多く、記憶に残るのもこの部分なのですけれど、その下層部で見ている同時並行の夢は、その「課題」に直接間接に関わる、自分自身の「トラウマ」に基づくものであるケースが大半です。・・・脳があえて、夢の下層部で「トラウマ」を排泄することによって、私たちは私たち自身を癒そうとしているのだと思います。

なんか、わけ分かんなくなっちゃったかな?



私自身、通算で3ヶ月分、そうした「夢の記録」をつけてみていた時期があります。
ですので、癖で、いまでも、見た夢は結構忘れずにいることがあります。
通常の方より頻度が高いのではないかと思います。

よくないのは、覚えているから、自分の「トラウマ」は何か、を感じてしまって、それにとらわれてしまう。
ですから、疲れが取れない。
・・・「うつ」の遠因を、自分で作ってしまっていたのかも知れません。

それを思うと、家内の生前に「うつ」にかかってしまったのも自業自得だけで済めば良かったのに、好奇心から「夢を覚えている」癖をつけてしまったために、長引いたのは精神的疲労に耐える力が衰えてしまっていたせいだ、とも思え、またそれで、あるいは家内を犠牲にしてしまったのではないか、という罪悪感から逃れられません。

「夢」は、自分の昼間の疲れを癒すために、自分の中から力強く働きかけてくれる治癒の力であり、其の力を最大限に活かすためには、むしろ、朝目覚めたら記憶しているべきものではありません。

できれば、ここに綴ったことはお試しになることなく、このことをご了解頂ければ幸いです。

・・・妙なものを綴ってしまいました。
・・・ご容赦を。

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