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2008年2月19日 (火)

モーツァルト:早過ぎた登頂〜ハフナー・セレナードK.250&行進曲K.249

ここまで読んできたモーツァルト作品の個々へのリンクを作成し直しました。ご利用下さい。



余談から入るのをお許し下さい。

今日は帰宅したら、娘が寝ています。息子は柔道に行って不在です。
娘の高校受験を境に、我が家はかわりばんこにダウンしています。娘の受験の終わった翌日に、まず息子がウィルス性腸炎で登校停止2日間。続いて、合格発表でホッとしたのか、娘が弟からウツされた腸炎でダウン。昨日は私がダウンしました。・・・日頃から、いちばんダウンしやすいのが、このオヤジです。だから、私のダウンは、まあ、自業自得。そんなオヤジと弟のために、去年の春以降はずっと、飯の準備をしてくれながらの奮闘だった娘です。
「おとうさんが作ると不味いから」って。
ここまで頑張って来て、まずは当面の目標を達成した娘です。気も抜けたことでしょう。
で、しめしめ、ということで、今晩のおかずは、今、私が作り終えたところです。味の具合を試してみたら・・・やっぱり、美味くない。チンゲンサイと豆腐と豚肉を炒め、醤油と砂糖少々塩少々、唐辛子たっぷりに胡椒で味付けして、何とかごまかしたんですが・・・あとで娘に
「やっぱり不味い!」
って、叱られるかな。
味噌汁は、キャベツと麩です。

自立への道程がまだまだのところで母親をなくしたお子さんは、世の中に決して少なくはないと思います。父親では、その代わりが利かないことも、この1年、ずいぶん感じてきました。
それでも、横道にそれず、母親の背中に憧れて音楽専門の高校を選んでまっすぐに進んでくれる娘、「こんな弱っちいお父さんみたいなオトコじゃなくなるように」と始めさせた柔道で、最初は腕立て伏せの1回も出来なかったのが、たった4ヶ月で今では「おお、誰よりもチャンと体が起きてるぞ」と誉めてもらえるほど腹筋も平気で20回やれるようになった息子・・・そんな子供たちに、励まされるようにして生きている私は、今日採り上げるモーツァルトが翌々年には旅先で母を失うことの意味を、残されたレオポルトに自分をこと寄せながら考えてしまいます。
そうしたことから、先回、今回は、そう深く綴ってはいないものの、多少、レオポルトには辛く当たった文を綴っているかも知れません。・・・母親の持つ意味の大きさ、父親には代わりきれない、子供に対する包容力を意識すると・・・我が子たちは全く天才ではありませんが・・・レオポルトは、今では私にとって、大きな「壁」の見本です。



すみません、本題。

ロマン派以降になると個人主義思潮が高まるため、作曲の動機や献呈者が明らかだったり、不明でも「恋愛目的だったんだなあ」とか、「かわいそうに、こんないい曲で失恋したのか(ショパンの歌曲に例があります)」なんて事実が掴めて、コミック的・ロマンス的要素を加味して音楽を楽しむことも可能になります。

ですが、モーツァルトに限らず、古典派中盤までの作曲者には、創作動機が明らかな作品は、オペラ以外には、さほど多くありません。
ですから、「ハフナー・セレナード」のように、依頼主やその動機までわかる作品は珍しい、といえます。

依頼主のジークムント・ハフナー(1756〜1787)は、チロルから1733年にザルツブルクへ引っ越してきた同名の父親(工場主だったそうですが、何の工場だったかは、私の語学力不足で把握できておりません・・・ごめんなさい)の一人息子で、姉妹が併せて4人いました。
その何番目なのかは分かりませんが、1776年、姉の一人であるマーリエ・エリザベス(1753〜1781)が、出入りの商人、フランツ・クサーヴァ・シュペート(あるいはシュペース? 1750〜1808)と結婚することになり、その式の前夜祭の祝賀用に、このセレナードを注文したことが分かっています。

余談ですが、マーリエ・エリザベスは、生没年を見ると、なんとまあ、23歳でご結婚なさって、5年後には28歳で亡くなってしまったのですね。相手のシュペートさんはヤモメ暮らし27年だったのかしら・・・だとしたら可哀想ですね。。。

で、このセレナードが1776年7月20日に初演されたガーデンハウスは、いまもザルツブルクの、パリ-ロドロン通りというところに残っているそうです(モーツァルトの生家の、川を挟んで真北の対岸、この頃にはモーツァルト一家が引っ越して住んでいた側の、聖三位一体教会の前を北に進んだところの大通りです)。



富豪に頼まれたから大司教用よりは気前よく、なんて意図は持ち合わせていたかどうかわかりませんが、結果として、出来上がったセレナードは、モーツァルトの器楽作品の中でも、ある意味特異な、一つの頂点を築いたと言ってもいい「大作」に仕上がっています。・・・ただし、自筆譜第1葉への曲名と献辞の記入は、まだ、レオポルトの手によってなされています(!)。

先行して演奏されるニ長調のマーチ(K.249、4/4、30小節)はともかく、以下の概要でもお分かりになるように、、メヌエット以外は尋常ならざる小節数です。

先にオーケストレーションを申し上げますと、オーボエ2本、フルート2本、ファゴット2本、ホルン2本、トランペット2本、ヴァイオリン2部、ヴィオラ2部、低音部(おそらくヴィオローネ)というもので、のちに編成しなおされた交響曲版(1,5,6,7,8の5つの楽章、すなわちViolino principaleを含まない楽章で構成されたもので、1778年12月11日前後に演奏されたかもしれませんが、演奏されなかったかも知れません)にはティンパニも含まれています。かつ、オーボエとフルートは「持ち替え」と考えられるのが常識で、途中フルートの現れる2,3,4,7曲目にはオーボエは現れませんが、最終の第8楽章はオーボエ、フルートとも現れますので、
・1番、2番パートについては、1〜7楽章ではワンパートを二人ずつで、終楽章のみワンパートを一人で吹いた
・オーボエ要員とフルート要員は、最初から別々にいた
の二通りが想定できます。
・・・どちらだったのでしょうね。

1)Allegro maestoso(4/4、二部形式、35小節)〜Allegro molto(2/2、248小節、ソナタ形式)

2)Andante(ト長調、3/4、ダ・カーポアリアの形式。135小節。中間部は57〜78小節)
3)Menuetto(ト短調、40小節)&Trio(ト長調、26小節)
4)RONDEAU(Allegro、ト長調、455小節。A-B-A-C-A-D-A-B-A-Coda、各主題はAの変奏)

5)Menuetto galante(ニ長調に戻る。50小節)& Trio(ニ短調、弦合奏のみ、34小節)
6)Andante(イ長調、2/4、大きくは二部形式だが、擬似ロンド形式あるいは自由な幻想曲風)
7)Menuetto(ニ長調に戻る。オーボエはなく、フルート、ホルン、トランペットが入る)
  & Trio I (ト長調、フルート、ファゴット、弦。24小節) & Trio II(ニ長調、Menuettoと同編成。24小節)
8)Adagio(4/4、16小節)〜Allegro assai(3/8、459小節。ソナタ形式)



まず、第1と第8の両端楽章の小節数が、器楽曲としては相当規模であることが一目瞭然です。

次に目に付くのは、第2〜4楽章(Violino principaleが登場する)はト長調を基調とし、明らかに他の楽章とはセクションを異にしていることです。この部分は極めて技巧的に作られており、ヴァイオリン独奏は他のセレナードで現れる場合に比べると技術的にも高度ですし、最初のAndanteなどは形式的にも「協奏曲」のものを採用しているとみなしていいでしょう。・・・ですが、このセクション、次の理由で、明らかに、ソロコンチェルトではありません。

・Violino principaleに要求されているのと同じ難度が、合奏側の弦楽群にも要求されており、かつ、合奏はしばしばViolino principaleと唱和する。
・メヌエット楽章ではViolono principaleはトリオ部分の主役であり、メヌエットに単独で登場することはなく、結果的にこの楽章は「メヌエット風」ではなく、「メヌエットそのもの」となっている。
・セクションの開始楽章が緩徐楽章である

5〜7楽章が、また、二つのメヌエットにサンドイッチされた魅力的なAndanteをもって、独立したセクションを構成しています。

すなわち、「ハフナーセレナード」全体は、K.249も含め、次のような構成をとっており、一つの推理としては括弧書きしたような場面転換を、モーツァルトはあらかじめ想定していたものと考えていいのではないか、と(私は勝手に)思います。

1:行進曲K.249(会の開始の合図代わり。楽士はあらかじめ開場に待機)
2:第1楽章(式典の開始〜新婚夫妻の披露)
3:第2〜4楽章(新婚夫妻を中心とした宴の、ザルツブルク宮廷としてのアトラクション)
4:第5〜7楽章(歓談の合間の音楽)
5:第8楽章(終宴を盛り上げる)



言葉ではとても表現できませんし、それはアインシュタインのような大物でも出来なかったことなのですが、「ハフナー・セレナード」のすばらしさは、上で観察したように長大な作品であるにも関わらず、たとえばソナタ形式の楽章でも、あたかもロンドっぽく聞こえるようにテーマ構造が仕組んであるためでしょうか、聴く人を絶対に退屈させない、というところにあります。
第4楽章は20世紀に入ってクライスラーが短縮して編曲していますけれど、わざわざ短縮する必要はなかったんじゃないの、と言いたくなるほど、色彩感に富んでいますので、455小節もあるのだとは信じられないくらいです。

これが単なる「宴会」のための音楽だったとは、現代的な目から見れば大変もったいない話です。飽きさせることのない音楽を背景に、聴き手は決して音楽に専心していたわけではなく、ワイングラスを傾けたり、料理に舌鼓を打ったりしていたのでしょうから・・・

ただ、気をつけなければならない、と思われるのが、本セレナード中でのモーツァルトの短調の用法にどう対するべきか、という点です。

第3楽章はト短調、第5楽章のメヌエットのトリオはニ短調・・・いずれも、モーツァルト再発見以降の人々にとっては、特別な意味を持つとされる調ですが、「ハフナー・セレナード」でモーツァルトがこれらの調を用いたのは、
「宴会だけどさ、ごちそうにばっかり目が行っていないで、僕の音楽にもちょっとは熱中してよね」
・・・そんなウィットからではないでしょうか?
・・・異論はおありかもしれませんが。

それにしても、これほどの大曲を、これほどの完成度を持って作ってしまった・・・ある意味、一つの山に登りきってしまった・・・ことが、前回述べた「モーツァルトの後半生の経済的不幸」に繋がってしまうプライドを彼にいっそう強く染み入らせたのではないか、と思うと、「ハフナー・セレナード」は、その全曲の華々しさの後ろに、なんともいえない物悲しさを感じてしまいます。

少なくとも、純粋な管弦楽作品で、モーツァルトはこれ以降、シンフォニーという、もっと小規模な世界の中でしか、彼の音楽を結晶させえていないことについて、私たちはもっと留意しておくべきなのかもしれません。(セレナードとしては「ポストホルン」が残っていますが、「ハフナー」には及びませんよね。)

なお、全曲の再演は、別のマーチを伴って、1779年9月24日頃に行なわれたことが、姉ナンネルの日記から判明しています。

セレナードのスコアはNMAの第13分冊に収録されています。
CDは、あまたございますが、ウィーン系の演奏が好きです。(残念ながら、今は手元にありません。)
交響曲版はホグウッドの全集に収録されています。


たいしたことが綴れなくてすみません。 さて・・・娘はまだ寝ていますが、起こさずにおいて、柔道にいっている息子を迎えに行ってきます。 

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コメント

こんばんは。
このセレナードの素晴らしさはある意味、
驚異的ですよね。
それまでの管弦楽作品との明らかな違いに
目を瞠らされずにはいられません!
特に第一楽章の、序奏と主部の間の深い関連性は
もっと注目されてしかるべきだと思います。
これは当時としては、
かなり独創的だったのではないでしょうか。
作曲時のモーツァルトのモチベーションが
どれほど高かったかを裏付ける、
ものスゴい開始楽章です。

Kenさんの指摘されている、
「本セレナード中でのモーツァルトの短調の用法」についてですが、
第二メヌエットのトリオに関しては
特筆すべきことはないと思われます。
トリオが短調で書かれることそれ自体は
割と実例もありますからね。
一方のト短調のメヌエットは、これは要注意でしょう。
この珍しい短調の舞曲と風変わりなトリオには、
聴衆の耳を引き付けようという意図があからさまに感じられます。
(余談ですがこのメヌエット、小ト短調交響曲のそれと似ているんですよね。)
そして聴衆の耳が引き付けられたところで、
(ソロ、オケの双方にとって)このセレナード中の
最大の技巧的見せ場であるロンドに突入する、という寸法ですね。
実に良く考えられています。
第四楽章のロンドがコンチェルト楽章らしからぬオケパートを
持っているのはそういう狙いがあったからなのかもしれません。

ちなみに、
僕にとっては「ハフナー・セレナード」と
「ポストホルン」は同列の位置にありますね。
前者がバラエティに富んでいるとすれば、
後者は堅固な統一感を持って構築されています。
「ポストホルン」の第一楽章は前述の
「ハフナー」のそれの作り方を踏襲していて、
これまたスゴい音楽ですよ!

おっと、かなり長文になってしまいましたね。
それでは、この辺りで。

投稿: Bunchou | 2008年9月11日 (木) 23時17分

Bunchouさん、いつもありがとうございます!

ハフナーセレナーデ、綴ってすっかり忘れておりましたが、コメントを頂いて読みなおし、
「ああ、そういわれてみればそうだなあ」
と、強く感じました。
2つのメヌエットに関しては、お説に「納得」です!

「ポストホルン」は、僕は聞き込みが足りないのかなあ。。。気に入った演奏に、生でもCDでも出会っていないかも知れません。
お勧め盤ありますか?

「ハフナー・セレナーデ」も特別なお気に入り演奏があるわけではないのですけれど、自分もヴァイオリンを弾くので愛着があるから、思い入れで贔屓しちゃうのかもしれません。

とにかく、このセレナーデは、創った年齢を知ればなお一層、凄みのある作品ですよね。

頂いたコメント、しかしなんともはや、鮮烈でした!
ただただ、頭が下がります。

またいろいろご教示下さいね。お待ちしています。Bunchouさんにコメントを頂くと、目が開かれる思いがしますから。

投稿: ken | 2008年9月11日 (木) 23時45分

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