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2008年2月 6日 (水)

モーツァルト:何を求めて?〜セレナータ・ノットゥルナK.239

    あたしが、こんな、たあいもない、たあいもない、まったくたあいもない話を作ったのは、
    いかめしい、いかめしい、いかめしい、人たちを怒らせるため、
    そして、ちっちゃい、ちっちゃい、ちっちゃい子供たちを面白がらせるため

        ----シャルル・クロ「燻製にしん」から。渋沢孝輔 訳----



ここまで読んできたモーツァルト作品の個々へのリンクを作成し直しました。ご利用下さい。

この小さなセレナーデは、名前は知らずとも、
「あ、聴いたことがある! きれいなんだよね!」
耳にすればそう叫んでくれる方が多いのではないでしょうか?
・・・でも、意地悪して、ここでは音は載っけません!・・・というより、誰でも良く知っている調べを持つ作品を、誰でも納得のいく演奏で「ここに載せろ」と私を脅す方が、無理な注文と言うものです。そんなものはないのだから・・・って、誰にも脅されてなんかいないか。。。
(ホントはYouTubeにあった映像で気に入ったものが無かったのです。で、いちばん気に入っていたCDは、行方不明にしてしまっている、という始末。だからといって次点の演奏でお聞かせはしたくないし・・・ちょっと。悔しい。)・・・と思っていたら、ランスロットさんから吉報。

を、ランスロットさんのブログからどうぞ!・・・これ、結構、いい。ありがとうございました!


さて、1776年の作品一覧で明瞭になっているとおり、この年はセレナードとディヴェルティメント(後者は管楽器のための作品)が7作もあり、ザルツブルクの狭い市内を、ではありますけれど、モーツァルトが「機会音楽」作家としての活動に東奔西走していた様子が窺われます。
もしかしたら、モーツァルトのプライドからは「オペラ」や「協奏曲」がない分、翌年に表面化する彼の欲求不満のタネになった作品群なのかもしれませんが、ザルツブルクの社会という側面から見れば、むしろ彼が若干19歳でこれだけたくさんの注文を貰える「名職人」と認知されていたことを物語っていて、
「もし彼がこのままザルツブルクに留まっていたら・・・」
少なくとも、経済的にも安定し、処遇もミヒャエル・ハイドンより高いものを与えられたかもしれないのでは・・・と、つい勘ぐりたくなります。
ただし、ミヒャエル・ハイドンのほうのザルツブルクでの活躍度合いは私は把握していませんから、こんな憶測はミヒャエル・ハイドンに対しては失礼かもしれません。

根拠のない伝記的な要素に傾くので、深入りすべきではないのでしょうが、それでもモーツァルトがザルツブルクを離れたかった根源的な理由、そしてその原因を作ったのは、父親ではないか、と思えてなりません。
翌々年、いつまでもマンハイムに留まる倅を叱りつけたレオポルトですが、そもそもマンハイムに向かう(最終目的地はパリだったかもしれませんが)旅行を発案したのは、ほかならぬレオポルトだったではありませんか?
息子は息子で
「僕のような作曲の天才が!」
と、翌年だったか翌々年には口走るありさまになるのですけれど、父はこの発言については容認しています。
「ザルツブルクに埋もれたくない」
想いは、実はもともとレオポルトのほうが強烈に持っていたのであって、それが幼少のモーツァルトをオペラ作曲家に仕立て上げ、結局はミュンヘンやパリなどの大都会を志向させるべき「仕掛け」となった・・・ウィーンには、多分、ライヴァルの多さを大人として知悉していたために、深入りしなかったのでしょう。
翌年以降、息子の経済感覚のなさを盛んに戒めだす父ですが、そもそも息子から「健全であるべき」経済感覚を奪い取ったのはレオポルトではなかったのか?
この年の機会音楽の数々、分かる範囲での注文主の(ちゃんとは把握できませんが、想像しうる)経済的安定度を考慮すると、それらを一顧だにせず、息子を外地へ連れ出すことにのみ腐心したレオポルトの教育は、結局は自立していくヴォルフガングにとってマイナスに働く要素を、もともと孕んでいたのではないでしょうか。

セレナーデ、ディヴェルティメントは、ザルツブルクを出た後のモーツァルトには殆ど作曲することがなくなってしまった(弦楽の協奏曲も同様です)ものですが、少なくとも、この年の、管弦楽のための2つのセレナードのすばらしい仕上がりを耳にしてしまうと、
「惜しかったなあ!」
と溜息を漏らさざるを得ません。

ただし、モーツァルトがザルツブルクに留まった方が本当に幸せだったかどうか、ということとは、別の話にしておかなければならないでしょう。
ザルツブルクにいっぱなしでは、人間的には、そして創作の精神内容の深まりについては、厳しい現実に触れて自分の足で立つこと無しには、今残っているものより低い境地に留まってしまっていたでしょうから。

脱線はこれくらいにしましょう。



8楽章と言う大きな、音楽的にも充実している「ハフナー・セレナーデ」については、また別途、独立で見ていかなければならないでしょう。

だから、というわけではなく、小さいながらも、今回とリあげる「セレナータ・ノットゥルナ」も、1作だけ取り出して観察するに足る作品です。



作曲されたのは1月、構成は(無精をしてWikipediaから、各楽章の特徴の部分まで貼り付けましたが、小節数と注2個所は私が加えました。)

・第1楽章 行進曲、マエストーソ ニ長調 4分の2拍子 ソナタ形式 63小節
 ティンパニと弦楽の力強い導入のあと、独奏ヴァイオリンによる流れるような主題が登場し、展開部の独奏群と合奏のピッツィカートの対話があらわれる。

・第2楽章 メヌエット ニ長調 4分の3拍子(ト長調のトリオ付き)  メヌエット32小節、トリオ24小節
 全奏によるリズミカルな主題が始まり、トリオでは独奏楽器群が活躍する。
 (注:トリオは、独奏楽器群が活躍する、のではなく、独奏楽器群のみで演奏される)

・第3楽章 ロンドー、アレグレット ニ長調 4分の2拍子
 ロンド楽章。民謡風の主題が特徴的である。
 (注:43〜53小節にAdagioを挟んでおり、この個所はニ短調に傾斜を見せている)

で、演奏時間は12分程度。Wikipedeia該当記事にはさらに、
「モーツァルトのセレナーデの中では最も規模が小さい作品である。『ノットゥルナ』の表題は父レオポルト・モーツァルトが息子の自筆譜に記したもので、音楽的意味は明らかにされていないがモーツァルト自身は複数のオーケストラ群を用いた音楽をこう呼んでいたという。/実際この作品はティンパニ付きの2群の弦楽アンサンブルのためのもので、それぞれのグループは独奏群と合奏群の役割を担っている(これはバロックの合奏協奏曲を思わせる)。作品の成立の機会は不明だが、管楽器を省き、しかも1月の冬場に書かれていることから、室内で演奏されたものと考えられている。/なお、通常のセレナーデは野外で演奏されることが多く、楽士の入場と退場のために行進曲をつけることが多い。この曲の第1楽章が行進曲で書かれているのは、その通例に従っていることである。」という説明まで付いています。ただし、『ノットゥルナ』のタイトルの由来についての説の典拠は、私は知りません。

これはこれで、いいでしょう。

しかし、以上の記述だけでは、作品として注目すべき点が不明瞭です。



まず、第1楽章が「行進曲」であることについて。「室内で演奏されたものと考えている」のに、野外と同じ慣例に機械的に従う必然性はなかったはずです。かつ、行進曲の付されたセレナーデは、例外なく、大規模な作品ばかりです。
NMA(新モーツァルト全集)第13分冊の緒言に、パウムガルトナーの説として、
「この作品は、新年祝賀のためのものとして初めから室内向けに作曲された」
という推測を紹介していますが、これは、たぶん「当たり」だと思います。新年祝賀の場で音楽を演奏するのでしたら、その作曲者はおそらく多岐にわたったと想像してよいでしょうし、するとまず、モーツァルトの「セレナーデ」の中で、このK.239だけが3楽章と小規模な理由も明快に説明できます。(3楽章という構成については、モーツァルト自身は本来既に卒業したはずではあるのですが、イタリア風「シンフォニア」の形式であるところ、ちょっと気にはなっております。)

で、それなら何故、冒頭が「野外で」の習慣に従った「行進曲」なのでしょうか?
・・・景気付け、なのではないか、というのが、私の憶測です。現在、ウィーンフィルのニューイヤーコンサートで、必ず最後に「ラデツキー行進曲」で景気よく終わるのを慣例化しているのと、同趣旨だったのではないか、と思うのです。ただし、演奏されるのはモーツァルトのこの作品ではいちばん最初なので、ウィーンフィルのニューイヤーコンサートとは全く逆です。ですから、憶測ついでにまた独善的見解を加えるならば、「セレナータ・ノットゥルナ」は、1776年のザルツブルクの新年会ではいちばん最初に演奏された曲目だったのではないか・・・

じゃあ、2番目は、3番目は、となりますが、当時ザルツブルクに居並んでいた音楽家達で作曲で認められていた人は数人しか知りませんし、中ではミヒャエル・ハイドン以外に具体作を聴いたことも楽譜を見たこともありませんから、推測のしようがありません。ただ、モーツァルト(ヴォルフガング)が最年少の作曲家だったことは明らかですから、あとは年の順、もしくは地位の順か大司教の愛好度の低い順(いちばん愛好していた人物の作品をトリに持ってきたのでしょう。紅白歌合戦と同じで、そこは、一般聴衆は順番決めに参与の余地なしだったとおもっていいのでは?)だったのかなあ、などと想像しております。・・・で、トリは、おそらく、翌年ザルツブルクの「聖三位一体教会」のオルガニストに就任することになるミヒャエル・ハイドンか、モーツァルトよりずっと年長だった第1コンサートマスター氏のいずれかだったのかなあ・・・想像し切れんことを想像するのは、やめましょう! 私、イマジネーションが貧弱ですから!



次には、「ティンパニ付きの2群の弦楽」というのが、ミソです。
こんな編成でかかれた作品が、当時他に存在したのでしょうか? 疎い私は、作例を知りません。
・・・管楽器を含まないのに、ティンパニだけは入っている。
・・・これは、「室内で演奏された」にしても、ある意味、不可思議な編成です。実際、そこからもたらされる音響世界は、聴衆にとって斬新なものだったはずです。
知る限り、打楽器と弦楽器だけで名前の売れた作品は、ずっとあとのバルトーク(「弦・打楽器とチェレスタのための音楽」)まで存在しません(珍曲を探せば、皆無ではないかもしれませんね)。
2群の弦楽器、と言う表現も、正しいとは思えません。ひとつは「弦楽四重奏(但し、最低音部はオリジナルはヴィオローネ)」であり、一つは「弦楽合奏」なのですから。これを「群」として一括して見るのは、いかがなものか、と感じます。

この編成は、たしかにコンチェルト・グロッソ(Wikipediaの本文で言う「合奏協奏曲」)の流れを組んでいるといっても構いませんけれど、音楽内容は全く違っています。
どうしてもコンチェルト・グロッソの流れでとらえたいのなら、コレルリ〜ヘンデルの系譜のそれであって、独奏協奏曲へとダイレクトに繋がっていくヴィヴァルディやジェミニアーニ(後者はコレルリとヘンデルの中間的な作風ですが)の系譜ではありません。
であってもなお、独奏部と合奏部の対話が、バロックのコンチェルト・グロッソとは全く違った発想で書かれている。
「セレナータ・ノットゥルナ」の独奏部は、コレルリやヘンデルに比べても、決して「独奏者の技巧、あるいは単独の演奏家としての音楽性の豊かさを披露する」という発想に、全く縁がありません。・・・鼓膜を裏返したりひっくり返したりすれば、コレルリやヘンデルなら「ああ、いいソリストが弾くことを願って書いたんだろうなあ」としみじみする個所があるのですけれど、モーツァルトの「ノットゥルナ」には、ありません。独奏群の4人は、常に4人で一体と成った音楽を演奏することを要求されています。
もうひとつ、合奏部(トゥッティ)との対話も、コンチェルト・グロッソの類とは異なり、間隔が短い。
すなわち、独奏部は、合奏がケーキのスポンジだとしたら、それにのっかるクリームやイチゴのような、色づけ・香り付け・味付けとして使用されている。
そういうふうに感じ取って聴いてみると、
「もしかしたら、独奏群は、木管群の『より器用なことができる』代理者として組み込まれたのではないか?」
と考えられる。
で、強引な話が続きますが、独奏群を木管群の代理者だ、と見なしてよいのなら、「弦楽とティンパニ」という変則的な編成でこの作品が成り立っている理由も明快になる、と思うのですが・・・強引過ぎますかね?



つまるところ、以上の諸点を考慮しますと、「セレナータ・ノットゥルナ」(このタイトルは、自筆譜には父の手で加えられているのですけれど・・・NMAに最初の頁の写真版が載っていますから、どなたも確認出来ます)は、3楽章という規模もあいまって、なのですが、ヴォルフガング自身の頭の中では、この時期作曲が出来なかった「シンフォニア」だったのではなかろうか、というのが、唐突ながら私の「究極の」ひとりよがりな見解です。

こういう見解を出すなんて、わたくし、性、狷介。
・・・お寒い時期に、お寒くて、大変申し訳ございませんでした!


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コメント

第2楽章が聴けます。

投稿: ランスロット | 2008年2月 6日 (水) 23時12分

ありがとうございました!
本文中にリンクさせて頂きました!

投稿: ken | 2008年2月 6日 (水) 23時45分

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