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2008年2月29日 (金)

笑里ちゃん、「アイドル本」出しちゃったの?

・・・実は、「アイドル」に弱い私です。
・・・昔から、そうだったと思います。

でも、あんまり「アイドル」っぽくないアイドルが好きなので、過去に憧れた「アイドル」は、世間様から見れば少々路線がずれていたかもしれません。

まあ、過去を振り返るのはやめましょう。

アイドル時代は、とっくに過ぎていたと思っていました。

ほんとうは、かれこれ、1ヶ月前になります。
宮本笑里ちゃんが本を出してる!」
・・・知ってしまって、衝撃を受けたのは。

知って、知らん振りしてました。
(中身は読みました。フツーの女の子っぽいことが書いてあるだけで、まあ、何の変哲も無いし、ヴァイオリンについて余計なことまでお喋りしていないし。それ以上気にとめるのはやめようと思っていました。)

でも、もっと衝撃的な出来事が!

昨日、風邪が良くなってきたので、昼食に出たついでに本屋さんに行きました。
かねてから、私の大好きなアイドル、にしおかすみこの「化けの皮」が欲しかったからです。

いえ、私はSM趣味ではありません。
偉い先生も仰ってます、「彼女はちゃんと芸をしてる!」って。
私は、彼女はピン芸人だけど、ちゃんと「伸助竜介」の衣鉢を継いでいる芸人さんだと思っています。

芸人としての彼女が好きなのです。
が、同時に、「アイドル」としても好きなわけです。
つまり、です、「芸をきちんとやる」アイドルが、私は好き!

で、そのにしおかすみこの本を手にとって・・・それは若手スター達のタレント本と一緒に並んでいました・・・、ふと隣を見たら、隣に置かれた本のカヴァーで「笑里ちゃん」が微笑んでいる!

彼女は、「アイドル」だったんですか! 「タレントさん」だったんですか!

・・・知らなんだ。。。



19世紀から20世紀初頭にかけてのヨーロッパクラシック界は、たしかにひとつの「アイドル」時代でした。
でも、それは、「クラシック音楽」が「クラシック」じゃなくて、当時の(お金持ちの間では、という限定はつくのかもしれませんが)お客さんたちにとって「モダン」だったからです。しかも、皆ただものではなくて、超人的な「技芸」も身につけていました(リストしかり、ショパンしかり、クララ・ヴィークしかりであります。忘れ去られた人もいっぱいいるけれど、ホンモノの実力派でない人はいなかった)。

笑里ちゃんは、私は「クラシック」の世界に生きていくのかどうか、気になっていました。れっきとしたクラシックの「重鎮」であるお父様とのコラボも、曲目こそクラシックっぽいものが半分くらいはありますけれど、大半はポップ調ですし。ポップならポップで、いまの人たちみたいな、クラシックだかポップだか境目の分からんようなのはよしてね・・・って思ってました。ジャズなら(アイドルにはほど遠いけど)笑里ちゃん自身が名前を挙げているグラッペリだっていたんだし。

で、やっぱり本を出した五嶋龍君は、その後クラシックの世界をひた走っていて・・・ああ、アイドル路線じゃなくて良かったな、(別にクラシックだからと言うのではなくて)ちゃんとヴァイオリンを勉強していくんだな、と、嬉しく思っておりました。

でも、でも・・・

笑里ちゃんは、女王様のとなりに鎮座ましますプリンセスだったのだ。。。

smile 宮本笑里

・・・知らなんだ。。。

「クラシックもどき」の演奏家が「クラシック案内」なんて本を書いているのよりは、はるかに許せるけれど。

なんとかいう歌で有名になった人が、テレビで「オペラ歌手はみんなこう歌う」と大言壮語されるのも、別に結構ですけれど。

CDメーカーさんは、笑里ちゃんを「アイドル」として売り込んでいくのですね。
お父様もご同意、なのでしょうね。

ということは、いつか、そう遠くない日に、笑里ちゃん、
「私、白馬の王子様を見つけちゃったから、音楽、やめまーす!」(表現、古いか。)
って、いまや伝説化した山○○恵さんのように、引退コンサートして、それで終わっちゃうのね。

ああ、出会って半年もしないうちに、もう遠ざかっていくあなた。

読みたきゃ読んでもいいかしれないけど。

で、うちの娘には笑里ちゃんの爪の垢ほどの才能もないかもしれないけれど。
娘をこういうかたちで「売り物」にする父親ではありたくない。
(宮本さんには大変申し訳ない発言ですが。)

お父様は、それも青春のいい思い出だと、お許しになったのかもしれないけれど。
読みたきゃ読んでもいいかしれないけど。
私は、いらない。

↓ こっちで、充分!

化けの皮Book化けの皮


著者:にしおかすみこ

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2008年2月28日 (木)

音楽と話す:「さりげなく」聴く

私のことですから、後に続く文は、例によって小難しくなってしまうと思います。
ですので、今日あったことを前置きとして、まずお話することをお許し下さい。

昨日最悪だった風邪が、今日の朝も思わしくありませんでしたので、迷いましたが、2日連続で仕事を休みました。
昼間で寝ましたら、昨日までに較べて、格段に元気が出ました。
昼食は、近所の松屋に、いつもどおり豚丼330円を食べに行きました。
食べ終わって、風邪薬と抗ウツ剤を取り出しましたら、カウンタでバタバタしているはずの店員さんが、ひょい、とコップ一杯の水を出してくれました。
あまりにさりげなかったし、こんな経験は初めてでしたので、初めはビックリしました。3人いたカウンタの中のどの店員さんが出して下さったのか分かりませんでしたが、薬を飲みつつ、なんだかほんわりと幸せな気持ちになりました。ありがたく、コップ1杯の水を頂戴しました。
お礼を言えなかったのが心残りですが・・・幸せの余韻に、しばらく浸ることが出来ました。
明日は、無事出勤できそうです。



本題。
「こないだの宿題ですがね」
私は、おずおずと音楽さんに近づきました。
二週間と三日ぶりのことです。
「・・・分かったかね?」
「いえ、あんまり。・・・でも、ちょっとだけ」
「ほう・・・その、ちょっとだけ、を仰ってみて下され」

音楽さんがこのあいだ置いて行ったのは、オーケストラの演奏が華々しく終わった瞬間、拍手が起こる、というものでした。
 はこうでした。(色の変わったところを右クリックで別ウィンドウで聴けます。)
 は、こうです。(色の変わったところを右クリックで別ウィンドウで聴けます。)

「最初の方の拍手は、演奏が終わると同時に、音楽の残響が会場に残る暇もなく鳴り出しました。あとのほうのは、拍手までに、ちょっとだけ間があります。」
「うん、耳の付けどころはいいようじゃな。それで?」
「はい・・・最初の方は、いかにも<終わるの待ってました!、曲はもう充分知ってましたから>ってかんじで。熱がこもっているのは悪くないと思うんですけど。」
「あんたは、<待ってました!>については、どう思いなさる?」
「嬉しくないですね。もしその場にいたら、音の広がりがすっかり消えるまで聴いていたかった。」

音楽さん、笑顔になってくれました。
「いいお答えで!」
私は胸を撫で下ろしました。
「2番目の方も、あっしを演奏してくれたのは、実は同じ人たちなんじゃ。出来も同じくらい良かった。でも、聴いてくれた人たちは・・・このときも、あっしにしてみりゃ、まだまだちょっと早すぎるんじゃがな、いちおう、最後の響きが消えるまで、拍手は待ってくれた。その方が、あっしとしては嬉しいんでさあ」
そうだろう、そうだろう、と、私は、自分が分かってるんだか分かってないんだか分かりませんでしたが、音楽さんの言葉に大きく頷きました。
気を良くしたのでしょうか、音楽さん、こう話を締めくくりました。
「要するにじゃ、聴いて本当にあっしを好きになって下さるなら、あっしが賑やかに終わろうと静かに終わろうと、最後の響きが消えるまで、静かに耳を傾けてもらえた方が幸せなんじゃ。<ああ、このお客さんは、あっしを<お客さん自身の心>だと感じて、あっしと<思い>を一緒にしてくれているのじゃ、と信じることができるからのう」



もっとも、私たちのような、あんまり上手じゃないアマチュア(一緒に演奏して下さっている皆様、ゴメンナサイ、含私自身ですから!・・・「おまえだけじゃないか!」と仰られれば、「はい、そうです」と申し上げます、ハイ)の場合、終わった瞬間に「熱狂的な拍手」を頂戴することはまずありませんし、かといって、音楽さんが(多分)理想としている「最後の響きを感じ取って、残響が消えて初めて」拍手を下さるのと言うのでもない・・・「ああ、ヘタクソな演奏がやっと終わったか!」と、もしかしたらお義理で拍手を下さっているんじゃないか、というケースが、ままあります。・・・これは演奏の質の問題で、「聴き方」を考えている今の段階では問題になりません。ですから、この件については「演奏について考える」段にまで話が進んでから、きちんと考え直すことにしましょう。


コンサートで音楽が奏でられる、というのは、日常から見れば特殊な時間と空間での出来事です。
ですが、「音楽」そのものが望んでいるのは、日常と変わりのない会話、「奏者と聴き手の間の対話」なのではなかろうか、と思います。
ただ、確かに、日常に較べれば、「会話」の内容は「音楽が伝えたいメッセージ」によって制限を受けます。難しい言葉になりますが、音楽との会話は「思弁的」なもの、すなわち、生活とは切り離された、純粋に頭の中で、胸の内で、感性によってのみ交わされるもの・・・少し理想化して言えば、
「ああ言えばこう返ってくるだろう、その時はどうしてやろう」
などといった計算事の働かない、不純物の入る余地のない「結晶」の中で「奏者と聴き手」が一体化することによってなされる。

繰り返しになりますが、ひとことにまとめれば、
「音楽は<奏者と聴き手>の会話の結晶である」
・・・そう表現することがふさわしいのではないかと思います。
ですから、<奏者と聴き手>の間に純粋な会話が成立しない以上、本当に「音楽」を私のものとして持つことも、あなたのものとして与えることも、私たちのものとして共有することも出来ない。

大袈裟なようかも知れませんが、それは「さりげなく」音を出し、「さりげなく」音を聴く、という「さりげなさ」同士が出会わない限りは達成されない。
逆側から見れば、「さりげなさを装うために」どうしたらいいか、という訓練に熱中する者同士では絶対に到達し得ない「会話」でもあろうかとも考えます。
(これは、「演奏者としての技術」の側からみれば、意外に難しいのですが、「聴き手」にとってはむしろ「教養としての音楽」だなんて聴き方を訓練することは、音楽と会話する上では妨げにしかならない点を承知して頂いていることを前提に述べてます。)



最近は分かりませんが、音楽の「残響・余韻」を聴くマナーが過去、日本でいちばん悪かったのは、クラシックファンではないかと思っております。
1970年代から80年代はクラシック界にもカリスマ的存在が結構いました。当時は自分で稼いでもいませんでしたから、大御所のコンサートのチケットはとても手に入らず、テレビで中継や録画を見て我慢したものも多かったのですが、大抵の場合、オーケストラのコンサートは特に、最後に来るプログラムが華やかな音楽ならともかく、静かな音楽でも、音楽が完全に響き終わっておらず、指揮者も棒をおろしきっていないのに、
「ほら、終わった!」
みたいに拍手をはじめちゃう輩がいるのには、ディスプレイ(当時ですからブラウン管、ですね)のこっち側で無性に腹が立ったもんでした。ベーム来日時の映像(ブラームスの第1など)にはそんな有様がくっきり残されていますから、演奏はいいので時々見るのですけれど、曲の最後ではいつも当時の「ガッカリ」を思い出させられてしまい、いやんなっちゃいます。
4543638001422面白いのが、ヨッフムが最後にコンセルトゲボウと来日した際の映像で(昨年やっとDVD化されましたね)、ブルックナーの第7の演奏が終わったとたんに拍手が鳴るのですけれど・・・そして、それは録画で見ると、曲が終わってから少し間があっての拍手に見えてしまうのですけれど・・・、拍手が始まったとたん、ヨッフム氏、楽員に向かってペロッと舌を出してみせるのです。
実は、拍手の鳴り始めたとき、残響はまだ消えきっていないのです。ブルックナーの交響曲は、それこそ「和音のどでかい塊・・・オーケストラのカメハメ波!」ですので、残響もかなり長いのです。ヨッフム氏の「舌出し」の意味は、深いと言わなければなりません。

ポップ系のコンサートは、その点、歌手とお客の距離が近いので、歌が終わらないうちに熱狂してもいいとき、というのと、バラードだから終わるまで静かに耳を傾け、心を傾けよう、という姿勢が初めから奏者と聴き手の間に合意が成り立っていて、中身が私好みかどうかを度外視すれば、コンサートのあり方としては、ずっと好感が持てます。

ジャズバーになると、もっとリラックスした中での、それでいて割合難しい演奏(セッション)があたりまえでなされていますので、慣れない人にはいちばん敷居が高いかも知れませんね。でも、慣れてしまうと、結構理想的な「音楽と日常の、つかの間の共存」を味わうことが出来ますから・・・私は決して慣れていると言うほど出向いたことは無いのですが・・・、「いいもんだなあ」と思います。



長話になりました。

今日の音楽さんとの会話。
音楽さん:「あっしは、あっしが鳴り響く最後の最後まで、お聴きんなって下さるおかたが<さりげなく>耳を傾け、心を寄せて下さるのが、いちばん嬉しいんでさあ。拍手ですかい? 二の次、二の次!」



音楽を「聴く」キホン、は、今日までのこんな会話で、とりあえず充分でしょうかね?

ちなみに、「聴く」ことについての会話は
まず「聴く」
「想う」心
そして今回の
・「さりげなく」聴く難しさ
でした。

毎度お粗末。

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2008年2月27日 (水)

ラメント〜悲嘆と哀悼の伝統

    あなたのなかで私は生きる、あなたが側にいなくとも。
    自分だけでは死んでいる、現にここにありながら。

    ----モーリス・セーヴ、渋沢孝輔 訳----



土曜日から風邪をひき、日曜日の祝賀会で復活したと思っていたものの、月、火(昨日)と出勤しているうちに、根がサボり魔のせいか、また段々に具合が悪くなってしまいました。
昨日の火曜日は、午後の会議中に、風邪薬と抗ウツ剤の相乗作用からでしょうか、おそらくは5分くらい、眠ってしまいました・・・というより、意識がありませんでした。慌ててコンビニにホールズを買いに走り、残りを乗り切りましたが、5分間の居眠りの間も、周りの方は事情を分かって下さっているので文句一つ言わず放っておいて下さった。・・・なんだか申し訳ない限りです。
「顔も荒れているみたいだし、様子によっては明日は無理してはいけないよ」
と言って頂いてもおりました。
今朝、外に出てみたら、冷気で咳が止まりません。
前日のお言葉に甘えて、まずは1時半まで眠り惚け、娘が帰ってくるのとほぼ同時に目が覚め、昼食を軽くとりに出掛け、夕食前のさっきまで、また眠り惚けていました。
これで、あしたは大丈夫、かな?


目が覚めるたびに、チャイコフスキー「悲愴」の第2楽章を読み解く際、自分が盛んに「ラメント」・「ラメント」と繰り返し、記事の最後にその言い訳も綴っておきながら、
「ラメント、って実際なんなのか」
を、実はチャンと把握をしていないことが胸につかえてなりませんでした。

曲種としての「ラメント」と、音の定型としての「ラメント音型」との混同もあります。

・・・で、夕べから手近な事典を調べたりしていたのですが、音楽之友社の古い事典はごくあっさりとしか触れていないし、こういうときコンパクトであてになることの多い「図解音楽事典」を参照しても、体系的に分からない。この2つからだけ伺う限りでは、バロック以降に萌芽したように読み取れてしまい、私が昨日まで思い込んでいた通り、嚆矢はモンテヴェルディ、ということになります。
・・・ですが、「嚆矢はモンテヴェルディ」だと考えると、音楽之友社の旧事典が挙げているのは、私の把握していた(どうも「図解音楽事典」からの記憶だったようですが)4声のミサ曲ではなく、「アリアンナの嘆き」とされていて・・・年代は出版については確かに「アリアンナの嘆き」のほうが1623年で、ミサ曲(死後の1650年出版)より古い。しかも、この「ラメント」が含まれていたはずのオペラ「アリアンナ」は、1607年には作曲されていることが分かっています。(目が覚めたついでに手元のCDを確認したら、モンテヴェルディには他にも数曲の「ラメント」がありましたが、解説がないので由来や年代は不明です)。

これでまず、私のこれまでの認識が間違っていたことがはっきりしました。

で、これは、調べなおしてみなくちゃいかん、ということで、さっき、手持ちではいちばん記述の詳しい「平凡社音楽大辞典」(家内の形見で、普段は取り出せないのです)を引っ張り出しました。

ほほう、なるほど、でありました。



バロック期の音楽は、美術の時代区分としての「歪んだ真珠」という本来の意味には当てはまらない、ということは以前からたくさんの人が言っていますけれど、一方で、中世からルネサンス期にヨーロッパに伝わった「数秘術」の影響もあるのでしょうか、人間の様々な感情や動きを音楽の上では「動機」として定型化し、定型化された動機を様々な音楽家同士が「横流し」し合って、いわば共有財産として用いた時代でもありました。「定型化」も「美しい歪み」の一環である、と見なせば、これは美術史と軌を一にするものであって、「バロック音楽」という呼び名は決して不当なものではありません。

ところが一方、この期の音楽の一般人が目に出来る研究書は「奏法に付いて」や「演奏の様式や規模に付いて」ばかりであって、「定型化」された動機がどんなもので、どれくらい種類があるか、について纏まったものはありません。あるいは「カバラ」のように、私たちには秘せられているのかも知れません。
「図解音楽事典」でも、バッハの例を使って、ごく数例を掲載しているだけで・・・ドイツ由来の事典ですので仕方がないのかな、と、いうことでもありますし、かつ、いまは風邪を治すのが最優先でもありますから、「ラメント音型」を含む「定型」についての追求は後日の楽しみに取っておくことにしました。

その分、曲種としての「ラメント」に絞って、「平凡社音楽大辞典」の記述をよりどころに、以下、簡単にその音楽を年代順に掲載して見るに留めることにしました。
(「ラメント音型」は、これらの曲種としての「ラメント」を伴奏する音型として発展したものらしく、萌芽は15〜16世紀らしいのですが、そこまでは探求しません。早寝しなくちゃいけませんから!)。

・カトリックの聖歌「エレミアの哀歌」Lamentationes Hieremiae(Jeremiae)
  復活祭前の聖週間の木・金・土の朝課で歌われるものです。
  歌詞の各節がヘブライ語のアルファベットで始まるのが特色である由。
  15世紀中頃からポリフォニー形式での作曲例が認められるとのことです。
  作曲者例:ペトルッチ(1506出版)、ド・ラ・リューパレストリーナバード
       ヘンデルクープラン
 
・死を悼んで歌われる音楽
  最も古い作例の一つは、カール大帝の死を悼んだものだそうです。
  (この意味での「ラメント」には、plauctus,deploraion,complainte,tombeau,
   などの名称が与えられていることもありますが、ラヴェルの「クープランの墓」
   は除外して考えるべきでしょう。)
   作曲者例:ゴーティエL.クープランダングルベールパーセルロック
        フローベルガーブラームス
   *スコットランドには、一族の葬送のために用いる「ホーホーン」という独自様式
    のものがあるそうです。
        
・悲哀に満ちた情緒を持つ作品に付されたもの
  作曲者例:モンテヴェルディ他多数。「アリアンナの嘆き」はこれに属する。
  
大体、以上のようなかんじです。

今日の記事も充分とは言えません(より詳しくは、「平凡社音楽大辞典」で確認出来ちゃいます)が、こんなところで、昨日の不十分な記述の補足をし、お詫び申し上げたいと存じます。

これは、ほんのお詫びのしるし。

(1199?)。
 マンロウ/ロンドン古楽コンソート「十字軍の音楽」から。DECCA UCCD-3257
 
(1497?)
 「ザ・ヒリヤードアンサンブルの芸術」EMI CHIL-1004

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2008年2月26日 (火)

チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」(4)第2楽章

    街に雨が降るように
    わたしの心には涙が降る。
    心のうちにしのび入る
    このわびしさは何だろう。

    ----ヴェルレーヌ、渋沢孝輔 訳----



第1楽章からだいぶ間があいてしまいました。

「全体像」で述べましたように、この交響曲は、以下の4要素からなっているのだ、ということを、再確認しておきましょう。

1)標準的な全音音階の上昇と下降・・・全体的に、あるいは部分的に
2)協和音程の跳躍・・・完全8度、完全5度、長3度、短3度、あるいはそれぞれの反転
3)同一音による「タタター」というリズム
4)以上3要素の、文脈の中での必要性に応じての非和声音付加あるいは増減音程化

・・・ただ、これをまとめるとき、「要素」ということにばかり目が行って、それぞれの持つ「意味合い」については、きちんと考えきっておりませんでした。

殆どの要素は、第1楽章で、既にきちんと「意味付け」されていたのですね。

1)は、特に「三度上昇二度下降」として、第1楽章の第1主題を形作っていますが、より重要なのは後半の「二度下降」の部分です。
これは(前にもどこかで述べた気がするのですが)バロック以来の伝統的な音型で、
<嘆き>
を現します。

2)は、今回の第2楽章でより明らかになりますように、要素3)の複線です。

3)は、これも前に述べたと思いますが、チャイコフスキーの「運命の動機」

4)は副次的なもの。冒頭主題の構成で、とくに大切な働きをしますが、後で掲載する譜例で、この点をご確認下さい。



で、第2楽章ですが、楽式は「分析」だなんて大袈裟なことをしなくても、誰の耳にも
「あ、最初の軽やかな踊りが、真中でセンチメンタルになって、また最初の軽やかさに戻って、名残惜しそうに終わるのよね」
ってことがハッキリ分かってしまう。複合三部形式、だなんていっちゃうのは余計なおせっかいと言うものです(が、おせっかいしておきます)。

で、楽式よりも重要なのは、
「じゃあ、どうして、こんなに手にとるように、目に見えるように、この楽章は素直に出来ているのか」
という点です。

注目すべきことが、3つあります。

まず、冒頭から奏でられる主要主題は、第1楽章の第1主題の変形です。上昇を二段階に行ない、間に修飾の要素4)を巧みに絡めてカモフラージュしていますが、「ラメント(嘆き)」をそれとなくうち秘めている。

第2に、中間部の主題は、「上昇」部をもたない要素1)、すなわち「ラメント(嘆き)」そのものとなっている。

第3に、特に中間部では、低音部に常に要素3)の「運命の動機」が鳴り響きつづけている。

ですから、音楽のストーリー全体を見渡すには、参考として、チャイコフスキー自身がオペラ化しているプーシキンの悲劇的な文学2作が作曲者の念頭にあったはずだ、ということは忘れてはなりませんし、一応「エフゲニ・オネーギン」、もしくはこの交響曲により近い年に作曲された「スペードの女王」(台本はチャイコフスキーの弟モデストにより、チャイコフスキー好みに変えられています)はご一読なさって置くことをお勧めしたいと存じます。とくに、後者が重要です。

なお、第2楽章でハッキリすることは、要素2)の音程の協和的な跳躍は、実は要素3)の「運命の動機」の変形だという事実です。

以上、相変わらず汚くて恐縮ですが、いくつか拾い出して譜例を作成しましたので、参考になさって下さい。似た音型は、譜例から、どの要素に当たるかを類推すれば、間違いなく「これだ」というものがひとつだけ当てはまるのをお分かり頂けるもの、と、確信しております。



Tchaikovsky62図はクリック数と拡大して鮮明になります。

ということで・・・って、分かりにくかったかもしれませんが・・・、演奏に当たっての重要なポイントは二つ。

※「運命の動機」が、示す意味を適切に表現するように奏でられているか?
※「ラメント(嘆き)」の要素が、常に奏者に意識されているか?

です。

これを、例によってカラヤン54年盤と岩城N響盤で比較してみましょう。

<弦楽器群がオクターヴで上下するところ>

カラヤン盤のように「滑らかに」繋がっていないと、この跳躍の正体が「運命の動機」なのだということが不分明になるのではないかと思います。技術力の上がっているはずの岩城盤での演奏の方が「ブツ切れ」で演奏されているのは、ちょっと悲しい・・・


<中間部のテーマ、ティンパニとバス>

弦の低音部がテヌートである一方で、ティンパニは八分音符、なのがミソなのです。「運命の動機」自体は、あくまで旋律の背後で響いている<陰の存在>であるべきものですから、うまく目立たない(耳に立たない)ようにする配慮は必要ですが、ティンパニが八分音符で叩いていることが「ハッキリ」分からないと、
「ああ、踊り手は決して<幸福な>明日を信じてはいないのだ!」
とでも言うべき音楽の性格がボケてしまいます。
それが証拠に、岩城盤では、本来「ラメント(嘆き)」の動機である主題部が、なんだか明るく華やかに聞こえてしまいます。
カラヤン54年が、この点ではムラヴィンスキーの演奏も含め、最も「ラメント」の読み取りが明確になっている演奏で、中間部(第2部)になる前(第1部のコーダ)で大きくリテヌートをかけています。
ここでわざわざカラヤン盤の全貌をお聴き頂こうとまでは考えておりませんし、ヨーロッパの伝統的な解釈では「ラメント」の要素とティンパニの輪郭を大切に考えていることについてはムラヴィンスキー/レニングラードの演奏でも充分すぎるほどに分かりますので、記事の最後にそちらでご確認いただければよろしいかと存じます。



「運命の動機」なる言葉を何べんも述べましたし、それが彼の第4、第5交響曲と基本的には同じモノである事も前に申し上げましたが、だからといって、これら3交響曲をチャイコフスキーの「運命交響曲」だ、と言ってしまうことは誤りであろうと思います。

「悲愴」に限って言えば・・・本当は終楽章まで観察を終わったところで申し上げようかと思っていたのですが・・・、なぜ「スペードの女王」との対比にこだわってきたか、には、私なりの言い分があります。

第6を他の有名作品になぞらえるなら、私はベルリオーズの「幻想交響曲」が最もふさわしい、と思っているのです。

第2楽章に舞踏会を配しているところ、また、「幻想」では間にもう一楽章入りますが、舞踏会の後の寂寥を経て、狂乱の行進曲が繰り広げられるところ・・・作品の構成が大変に似ている。

終楽章はベルリオーズとチャイコフスキーそれぞれの「恋愛観」・「死生観」の違いから、異なる結末を迎えるのですけれど、それは終楽章に触れる際に述べましょう。

ただ、同じ舞踏会でも、ベルリオーズの場合と最も異なるのは、ベルリオーズは憧れの女性を「追いかけている」のであって、一緒に踊ることは無い。だから、「血相を変えている」切迫感がある。

チャイコフスキーのほうは、間違いなく、恋人同士がペアで踊っているのです。でも、この二人は、結ばれるは運命にない、という諦観をどちらか一方が持っている。本楽章の第2部が女性的であることからすると、第3楽章との関係を考慮した場合、諦観を抱いているのは女性の方かもしれません。第1部で、
「いや、必ずどうにかなるよ」
男性の方は、肩を落としながらも懸命に自分を見つめてくれる彼女の瞳に向かって、やさしく微笑んで見せている。

そんな幸せもひと時のこと。
物寂しいコーダの中に、チェロによって突然強く現れる「ラメント」の動機が、二人の将来への絶望にへし折れそうになりながら、それを笑顔で隠しつつ分かれていく恋人同士の姿を、はかなく描いて見せます。

・・・なお、その直前の「音階上昇」の連続は、解釈上
*小節ごとに区切る
*4小節をひとまとまりとする
の二通りが可能ですから、そこは指揮者に従うことになるでしょう。
(個人的には前者だと思っております。)



ということで、お手元のCDなどで全楽章通しでお聴きになってみて下さい。


「ラメント」・「ラメント」と気軽に綴りすぎたので、「ほんまかいな」と疑われても困りますから追記します。
バロック期までには、まず曲種としての「ラメント」(代表的なものはモンテヴェルディの「アリアンナの嘆き」など)が、オペラのアリアの定型から徐々に独立して存在しました。ナクソスで1〜3までのシリーズでまとめたものが出ています(買ってませんが)。
それに伴い、動機としての「ラメント音型」というものが成立しますが、これはモンテヴェルディの4声のミサのクレド楽章に現れる半音下降音型が、私の知る限りでは初めての「明瞭な」ものです。・・・気をつけて聴いたことがなかったのですが、バッハのロ短調ミサでもクレドの一環であるCrucifixusにこの動機が現れるとのことで・・・チャンと確かめておこう!

・・・ということで、根拠がなく「ラメント」の連呼をしているのではありませんから、ご了承頂ければありがたく存じます。

2月27日追記:
「ラメント」について、半端な把握でしたので、本日はその補足を記事と致しましたのでご覧頂ければ幸いです。半端をして本当にすみませんでした。



   ・前提
   ・全体像
   ・第1楽章
   ・第2楽章
   ・第3楽章
   ・第4楽章

チャイコフスキー:交響曲第4番、第5番、第6番「悲愴」Musicチャイコフスキー:交響曲第4番、第5番、第6番「悲愴」


アーティスト:ムラヴィンスキー(エフゲニ)

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2008年2月25日 (月)

「イゾルデさん」は痩せられない?

映画「トリスタンとイゾルデ」にすっかり魅せられてしまったTさん、モノはついで、ということで、ワーグナーの楽劇の方をも見て・・・イゾルデさんが、あまりにも貫禄がありすぎて・・・戸惑ってしまったそうです。
「ああ、僕はオペラ鑑賞には向かない!」
・・・Tさん、そんなことで失望して死んではいけません!・・・あ、大丈夫ですね。。。

私自身、「トリスタンとイゾルデ」は、特に第2幕の音楽が大変美しく、大好きな作品なのですが・・・楽劇のDVDは何度も「買おうかなあ」とは思って、そのたびジャケットの写真を見て、「うーん、イゾルデさん、太りすぎ。僕とダイエットしましょう!」と言いたくなってしまう。でも、私がいくら頑張って、仮にダイエットで成果を上げても、映像の中のイゾルデさんは永久に付き合ってくれないんですよね。付き合ってもらえないのが最初から分かっているなら、映像の中のイゾルデさんは映像の中のトリスタン君と宜しくやっていてくだされば結構。ということで、とうとう買わずじまい。実演を目にするチャンスも無いので、CDだけで聴いています。

もとはといえば、しかし、イゾルデさんが痩せられないのは、ワーグナーが悪いのに違いない。
私はそう確信もしております。

だって、命を失うその間際に、あんなに声量も体力も必要な歌を歌わせるんですもの!
「愛の死」は、すばらしい愛の賛歌ではあるかもしれないけれど、言葉だけだから、まだ密度が濃くても許せる。ナマの歌にしてしまうには、あまりに濃くて、歌い手さんには酷です。

オペラで仰天した別の例では、チレアの「アドリアーナ・ルクブルール」がありまして、記憶ではこの作品、美しい歌手アドリアーナが、最後は結核でやせ細って死ぬはずなのですけれど、イタリアオペラを日本が招聘したときに演じられたそれでは、とても恰幅のいいかたがタイトルロールを演じていらして、臨終の場面の声のか細さ(かなりの高音で、歌うのは難しい)は、それこそ目をふさいで聴いていたら見事すぎるほどだったのですけれど・・・素直な子供だったんで、
「え? この人、ほんとに死ぬの? こんなにたっぷり食べてそうな人が、結核で!」
まじまじと画面に見入ってしまったのでした。



歌い手さんだけでなくて、楽器弾きでも、体格がいいと、肉体が大変良い共鳴体になるそうで、演奏家が太るのは悪いことではないんだそうです。
で、学生時代、オーケストラの先輩連中と一緒に師匠の家に集められると、
「体を作れ! 太らにゃいかんぞ!」
というので、大鍋に肉野菜をどっさり入れたのを競争で食べさせられました。
オーケストラ団員養成所のはずだったのですが・・・相撲部屋と、どこが違ったんだろう?

そこでは「食べる」競争に常に敗北していたはずの私が、あとになってみると、いちばんデブなんです。
これもまた、妙な感じです。

確かに言えるのは、楽器がきちんと振動していると、弾いて(吹いて)いて、楽器の振動は確かに素直に、この体に伝わってきます。体が楽器の振動を感じないときは、きちんと演奏できていない、ということは、断言できると思います。

・・・ではありますが。

体の太さと「振動をちゃんと感じ、より広げるための演奏が出来る」ということに、直接の関係があるのかどうか、は、おそらく誰もちゃんと計測したことは無かろうと思います。

ですので、

・デブ=いい音(声)がする

という等式が成り立つかどうか。学生のとき、鍋を食う前にちゃんと計測器を持ち込んで、データをとって置けばよかった。

こういうのを、「後の祭」と申します、ハイ。

最近では、オペラも「見てくれ」を重視して、あまりに太りすぎだとタイトルロールには採用してもらえない、という、デブ受難の時代でもあるようです。

ワーグナーついでで全然関係ない話を思い出しました。

「神々のたそがれ」の終幕間際で、ブリュンヒルデが、ジークフリートの遺体が焼かれる火の中に飛び込みますね(岩波文庫収録の、おそらく原型であろう「ニーベルンゲンの歌」にはこのような設定はありませんが)。
これは、どうも、アーリア系の古代には普遍的な風習だったようです。
「どうせ神話の中だけの話だろう!」
とたかを括っていたら、インド音楽を調べている最中、「ムガル帝国誌」を読んで、仰天しました。
死んだ夫を焼く火に妻が飛び込むのは、ヒンドゥー教の美徳として、17世紀にはなお、生きた風習として残っていたのでした。

残酷ですが・・・「ムガル帝国誌」の著者ベルニエは、結婚年齢の若かったであろう当時、12歳くらいの幼な妻が無理やり火に投じられる場面を目撃してもいます。

じゃあ、妻に先立たれた夫の方は、というと、そういうことをした形跡はありません。

・・・そんなもんなんですかね。。。
・・・男の身ながら、なんか、割り切れないなあ。。。

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2008年2月24日 (日)

祝! TMF40周年

本日は、春一番の吹き荒れるなか、当団OBのみなさま、記念行事のために大勢、池袋に集まって下さいまして、本当にありがとうございました。
たくさんのかたとお話出来て、たくさんのことを御礼に綴りたいのですが、どうも風邪がひどくなったようで、いまケータイからこれだけ申し上げるので精一杯です。
深くお詫び申し上げます。
本当に、楽しい会でした!


2月25日追記:

特定の学校の同窓会や会社の同期会でもないのに、こんなに会場から溢れるほどのかたが「○周年」で集まる、というのも、すごいことだなあ、と、正直言ってビックリしてもおります。

オーケストラ自体が(当初はそれなりの母体もあったと伺ってはおりますが)、学校や自治体の支援を受けているわけでは、全くありません。
それなのに、こんなにも(70〜80名くらいのかたはいらしましたかね?)大勢・・・お話をしてみると、非常な愛着を持って、この「東京ムジークフロー」という、多分広い世間から見ればちっとも名前も知られていないような(なんて言ってしまっては諸先輩に大変失礼なのですが)アマチュアオーケストラに、自分の青春をずっと重ね合わせて下さっているのには、たいへん感激しました。
おそらく、名前の売れているどんなアマチュアオーケストラでも、ここまでやってるとこはないんじゃないでしょうか?(いや、やってますよー、って団体さん、尊敬します!)

現在も、私どもの東京ムジークフローは十代から七十代まで、という幅広い「現役団員」で活動しています。
そして、そのバックに、沢山の、私たちをいまも愛して下さっている「卒業生」・「休団生」がいらっしゃる。

おかげさまで、私も、子供たちが独り立ちするまでは何とか持つだろう、新しい命を与えて頂いたように感じております。

重複しますが、あらためて、OBの皆様・現役のメンバーへの深い感謝を申し上げますと共に、このブログを読んで下さるかたには、「私の、たくさんの兄弟姉妹」を誇りに思っている旨、お伝えしておきたく存じます。

毎度ながら拙文しか綴れませんが、ご容赦下さいませ。

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2008年2月23日 (土)

思いやりの響き〜金管吹きの「心得」

    わかるとも、君のみごとな絵の前に立ってみれば、
    暗い樹林の中の透徹した眼は
    はっきりと見て取っていた筈だ・・・(後略)

    ----ユゴー「アルブレヒト・デューラーに」安藤元雄訳----



人間、勝手なもので、
「ああ、私、いま、ガックリ来てんのよ」
「えー? なんで、なんで、なんでー、あらそう。。。かわいそうに。いいのよ、そういうときはこうすればああすれば、それでもってさあ、、、」
いきなり面と向かって思いやられ、まくしたてられるとうんざりされるものですが。

オーケストラでそんな「損な」おせっかい思いやり役を受け持たされやすいのが、金管奏者なのではないかと思います。古典派までは、それでもトロンボーン、チューバの人は楽勝です。・・・トランペットまでしか出ないので。
「あ、また<思いやり>すぎて指揮者にお目玉クラってらあ!」
なんて、苦闘するトランペット奏者を眺めて溜飲を下げたりしているかも知れません。

娘のトロンボーンの恩師は、古楽からモダンまで幅広く出演するのですけれど、最近は、どんな縁でだか、とある町のジュニアオーケストラの面倒見まで頼まれて、辟易しています。
というのも、とても勉強家の方で、私なんか知らないような、弦楽についての素晴らしい文献を探し出して来たりして・・・私もコピーを頂いたりして助けて頂いているのですが、
「ジュニアオケだから、まず響きを大切に、から体験させてあげようかな」
と、比較的平易な楽譜を持って行くと、ご自分が不在の時に、古参の弦楽コーチが
「こんなの簡単すぎますから」
と、難しい曲に差し替えたりして・・・次に指導に行って見ると、子供たちは難しい曲に怖じ気づいて、初心者の子は結局手も足も出ないで、怖がって動けずにいるんだそうで
「かわいそうなんですよね」

「じゃあ、バッハのオルゲルビューヒラインあたりをアレンジしたものでも持っていかれたらどうですか? あれなら、単純なコラールより見た目が難しいから、弦楽コーチさんも採用OKするんじゃないですか? それ以上難しいものの編曲になると、コラールの響きも見えませんし」
「ああ、そうですねえ」
なんて答えて頂いて、自己満足に浸っている私です。



そんな私が、このトロンボーンの先生と、「江藤さんのヴァイオリンの音が壁に当たって跳ね返ってくるのが見えた思い出(大学時代の思い出を綴ったものです、ご記憶でなければリンク先をご参照下さい)」
についてお話したら、
「ああ、それは、オケ(オーケストラ)で吹くときの金管奏者の感覚とは逆ですねえ」
と仰られました。
「どういうことでしょうかね」
と伺ったら、
「私たちの場合は、響きが<後ろ>に回ることを最優先に考えますから」
「っておっしゃいますと?」
「ストレートに前に出過ぎると、たとえば弦楽器が大切な<細かい動き>をしているのまで覆い隠して潰してしまうことになるでしょう? お客さんも、聴いていて心地よくないはずなんです。ですから、ベルから音が前に出る、というのではなく、発音した音が後ろへ回ることを考えるんです」
「でも、それで、金管がテーマを吹いているのに隠れてしまう、ということはないんですか?」
「基本的には、ないですね」
「なぜ?」
「絶対的な音量はあるわけですから・・・音質をコントロールすればいいだけですもの」
「なるほど。」

技術的なことを述べるだけ、私は金管楽器を知りませんから、仰ったそのことだけを、ここに綴りとどめておきます。

が、よく勘違いされる事例で、これは古典派ですからトランペットだけが犠牲者になるのですが、モーツァルトのシンフォニーでティンパニと演奏する時に
「あなたは打楽器の役目をしているのです!」
と決めつけられて、不愉快な思いをなさる奏者の方も少なくないと思います。

・・・発想を変えましょう!

トランペットの音程は、確かにティンパニと「同じ」かも知れません。
で、トランペットが「打楽器」と同じで良いのなら、作曲者は本来「セレナータ・ノットゥルナ」のように、最初からトランペットなんかスコアに書かなくたって良いんです。
じゃあ、なぜトランペットが書いてあるのか・・・トランペットの「音色」が必要だからです。

ただし、必要なのは「音色」だけなのです。

モーツァルトの交響曲「リンツ」第1楽章の例をお聴きになってみて下さい。

(スウィトナー/シュターツカペレドレスデン)
 (※ 他にベーム、ホグウッドも参考に聴きましたが、同じバランスでした。)

ここで、トランペットがなかったら、色合いはどんなに「鮮やかさ」を失うでしょう!
だからといって、トランペトがこれ以上出過ぎたら、音楽がどんだけぶっ壊れちゃうでしょう!

このあたりの機微が、金管奏者としての「思いやり」のコツのようです。

ここにまた・・・トロンボーンなども加わると「響き」を構築するという重要な役目が待っているわけですが、参考曲としては、

(ガーディナー)

を上げておきます。
また、「フィンランディア」の記事を再度ご覧頂けましたら幸いです。

ご研究の一助にして頂ければ幸いに存じます。

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2008年2月22日 (金)

曲解音楽史:28)インドも広い!(いちおう中世)

前の回:1)音という手段 2)リズムの成立 3)音程から音階へ
    4)言葉と音楽  5)トランス 6)古代メソポタミア
    7)古代エジプト 8)古代インド  9)古代中国 10)古代ギリシア
    11)古代ローマ 12)初期キリスト教の聖歌について
    13)ササン朝ペルシャ  14)西暦5,6世紀ユーラシア音楽横断
    15)中世前半の西ユーラシア  16)唐朝と朝鮮・日本 17)「声明」の伝来
    18)モンゴルと中央アジア北方 19)「十字軍時代」の西ユーラシア
    20)日本固有(?)の古歌 21)グレゴリオ聖歌
    22)平曲と能楽:付)発声法について 23)アンブロジアン聖歌・ローマ聖歌
    24)西ヨーロッパ中世 25)ジョングルール 26)十字軍時代前後のイスラーム
    27)ペルシア伝統音楽〜中世からの遺伝子



せっかく暖かい日に、最初からお寒い前振りで恐縮ですが、私のようにデブ症(正しくは出不精、といいます)な者にとっては、音楽を通じて時空を旅することができる以上の幸いは、まずありません。

ただ、「時」を旅してみる方には様々な問題点があります。(ということは、今日は小難しいことを綴ります。)

ひとつには(民族音楽が見直されている今では、実は語弊はあるのですが)、「音楽」を完全に「書かれる文化」として捉えているのは欧米白人圏しかないという問題。
これは、ちょうど今歩き回っている11〜15世紀くらいの間に、西ヨーロッパ系だけが音楽に対する認識を「書かれる文化」へと変えていったように見えます。それまでは、世界各国、どこに行っても、「音楽とは何か」について根源的な差は存在しないように、私には見えるのですが・・・

大きなもう一つの問題は、「書かれる文化」と大きく関係するのですけれど、人間の「歴史」意識の多種多様さです。

単独国家を(民族や支配層の交代は伴ったとしても)維持しつづけた地域ほど、それは直線的なものであって、事件の年代や人物の性格まで良く書きとめた<歴史書>が「手にとりやすい形で」存在し、「当時の原典(の翻訳)」を通してその時代に直接触れることが出来ます。・・・東から行きますと、中国、(錯綜はするけれど)イランから中東域・トルコ、西ヨーロッパ各国、白人移住後の北米、一周して日本、朝鮮にたどり着く。

ところが、残った大半の地域にとっては、数直線的、あるいは二次元グラフ的な「歴史」など、何の意味も持たない。単独国家と同じように見たい、と思っても、「歴史」を構成する要因が複雑で、専門家以外の私たちには、非常に見えにくいのです。

ついでですから、概略を簡単に眺めて見ましょう。

東南アジアの諸国は、ヨーロッパの大航海時代のあおりもあって、貿易によって味をしめることを知りだした14世紀あたりにようやく、国家を権威付けるための「神話」が形成される。これによってヨーロッパ、イスラム圏、あるいは中国文化圏と有利に交易を進め得たのです。すなわち、「神話」は史実以上に大事であったともいえます。

中央アジアとなると、文物の交流には非常に重要な地域であったにも関わらず、いや、重要だったからこそでしょう、変遷が激しく、戦乱も多く、水脈が荒れたための居住地移動も頻繁だったのでしょうか、まとまった像はチンギス・ハーンの時代とその周辺くらいしか知ることは出来ないし、その資料である『元朝秘史』も、東南アジアと似て、歴史と言うよりは神話的性格のほうが強いものです。その他のことは、交易の途次の様子を書き記した人々の記録を継ぎ合わせてみて、ようやくおぼろげにわかる。

ロシアもまた、歴史は11世紀の「キリスト教化された後」でないと、明確な像を現さない。東欧や北欧も、日本人にとっては遠い世界なのでしょうか、手近な原典史料は見当たらない。では、彼らの原初的な姿はどうだったのか、を伺おうと神話を探っても、既に「異教」のものとして骨抜きされているためか、そこには東南アジアや中央アジアのような実利性が伴っていないので、雲を掴むような感じしか持たせてくれない。

中南米は、スペインによる征服時に書き残された貴重な記録が(スペイン人側の記録ではありますが)最近続々と邦訳され始め、マヤ文字の解読もここ30年で大幅に進展したため、なんとか分かってきた、という具合。ただ、スペイン征服前後に大きな断層があることが再確認できただけの意味合いしか、今のところもっていないように思われます。

アフリカに至っては、特に植民地時代の大幅な差別待遇によって史料が散逸し、現段階では「時系列」には(少なくとも一般人の目に触れるものの中では)全く無縁であるため、「時」の観念から捉えようとすると、音楽が手の中からスルリ、と抜けて逃げていってしまう。
(20世紀になってようやく、アフリカ各国の「歴史」を再編する試みが始まっていて、原典に触れられる時期もそう遠くない将来には訪れるかもしれません・・・なお、アラブ側の観察による若干の同時代史は目にすることは可能だそうです)。

で、音源はだいぶ入手しやすくなった現在ではありますが、「時」を基準に素材を探そう、という試みは、往々にして徒労に終わることになります。



中世インドについても、「歴史」を基準とした音楽探しは非常に難しい、というのが実感です。
ムガール帝国が確立すると、北インドについては、かなりまとまった「歴史」を形成するかに見えるのですが、専門家でない者が手に出来る最も初期の「中世史」は、帝国後期にたまたま滞在していたフランス人の手になる「ムガル帝国誌」でして、これには音楽に対する叙述はわずかしかありません。(しかも、記載されているような音楽は、こんにちの「インド音楽」の録音には、私は見出すことが出来ませんでした。)
「ムガル帝国誌」はヨーロッパのバロック文化期と同時期の記録ですから、「中世」と見なしてよいのかどうか・・・。かつ、日本語訳で、フランス人を通してインド人の発想を知る、という、二重に通訳を経たような状態でしか、精神に触れることが出来ない。

音楽史にしても、本来は古い文献が存在するそうですが、私など、は現代に入って、それもかなり「欧化」された状態の記述がなされているものを手にするほか、方法がありません。

仕方がないので、今回は、そんな、ちょっとふらついた足元で「中世のインド音楽」を眺め得ただけです。

で、本来はペルシアの音楽理論と類似性を見せていたであろう片鱗は現代人の手になる「インド音楽史」にも伺われますので、欧化されている記述を少しだけペルシアとの関連性に位置付けなおしてみるという、ささやかな試みだけを行なうことでご容赦頂きたく存じます。
従いまして、お聴きいただけるサンプルも、ほんのわずかです。・・・あ、これは、いつもか!



まずは、先日、ふねさんから記事<インドに歴史は必要ない?>に貴重なコメントを頂いた件です。
ヴェーダの歌い方がこんにちにも受け継がれていると言う事実!・・・で、この歌い方、歌われ方が、古代以降現代にいたるまでのインド音楽の骨格になっている、ということが言えそうだな、ということを、その後手にすることの出来た「インド音楽序説」(B・C・デーヴァ著、中川博志訳、1994 東方出版)を読んで、感じました。
インド音楽序説インド音楽序説


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この本の説明によると(以下、今回は9割以上がこの本に頼るのですけれど)、ヴェーダは単音(アールチカ)、2音(ガーティカ)で詠唱されることから始まり、3音音階(上がる音【レに当たる。ウダーッタ】、沈む音【シbに当たる。アヌダーッタ】、中間の音【ドに当たる。スヴァリタ】)にまで「成長」していった(前掲書19頁、123頁参照)とのことです。(ラ−ファ−ソと歌っても同じ音型です。)
すると、細かいことにとらわれないで、以下の同書の音階に関する説明を読みますと、後世のインドの多様な音階は、おそらくはヴェーダの3音音階(推測ですが、三種くらいあったのではないでしょうか・・・)の音域をずらしながら組み合わせたものであるように見えます。

1)「全・全・全」(ド・レ・ミやソ・ラ・シにあたる。ヴェーダ流に並べ替えると、ミ・ド・レ、またはシ・ソ・ラ・・・先ほどのラ・ファ・ソも同じ。)
2)「全・全・半」(レ・ミ・ファにあたる。これも上に倣うと、ファ・レ・ミ、またはシb・ソ・ラ)
3)「半・全・全」(シ・ド・レにあたる。ヴェーダ流ではレ・シ・ドですか)
・・・かなあ? 自信なし!

実際にどう組み合わさっているかに御興味がある場合は本を見て下さい・・・と言うのは不親切なので、先ほどのテキストに記載された音階の中から、いくつか見ておきます。出発点を音階列の第1音、第2音、第4音、第5音に揃えてみます。

※ビラ−ワル=ドレミファソラシド:1)ドレミ & 2)レミファ & 1)ファソラ & 1)ソラシ
※カーフィ=ドレミbファソラシb:2)ドレミb & 3)レミbファ & 1)ファソラ & 2)ソラシb
※バイラヴィ−=ドレbミbファソラbシb:3)ドレbミb &2)レbミbファ & 2)ファソラb & 3)ソラbシb
※カリヤーン=ドレミファ#ソラシ:1)ドレミ & 1)レミファ# & 3)ファ#ソラ & 1)ソラシ

前掲書122ページに記載された10種の音階列のうちの4つです。どうでしょう・・・分かりにくいですね。。。五線譜をお書きになれる方は、それで確かめてご覧になって下さい。でなければ、無視してくださいませ。 (T_T)

上例は参考とした書籍に従って上向型で示しましたが、ヴェーダは常に下方に向かう動きで朗誦されたそうで、これは古代ギリシャの音階観(上から下に向かって読んでいった)と相関関係にあったことをうかがわせます。かつ、この下方への動きは、現代インド音楽の締めくくりにもかならず「あ、インドっぽい!」という感じで必ず現れる気がします。
残念ながら、同書には、先日ふねさんが教えて下さった「shloka律」の説明がありません。それどころか、「律」という訳語そのものが現れません。ですから、以上の「音階」を「律」と同等に見なしていいかどうかには、疑問の余地があります。・・・こういう余地が残ってしまうのは、おそらく、実地に教えていらっしゃるかたのほうが口承伝統により忠実であり、書籍は西欧音楽理論にできるだけ事寄せて綴っているために、記述しきれていないものがあるからではなかろうか、と推察しております。



さて、やはり同じ本によりますと(また、出回っているCD類によりましても)、インド音楽は<ラーガ>という「旋律の種」から成立している、とのことですが、また同時に、ラーガは「言語による会話と同じで、コミュニケーションの仕方に一定の約束事がある」とされており、それは、先にあげたような「音階」がただ順番に奏でられても、音楽を形成しない、ということを意味していると捉えて良かろうと思われます。
音楽は、微分音を含む不均等な12(すべて均等に見れば24)の構成音から成っていますが、参考にした書籍では不分明なものの、「ラーガ」の核は、一つの音楽を形成する場合には、この12(24)の音から5ないし6を選び取り、かつ、それをある定型に当てはめたものとして形作られていることが伺われます。耳の印象はだいぶ違うのですけれど、これはペルシア伝統音楽の「グーシェ」に相当するもの、と見なした方が、より妥当であるように考えておりますが、いかがでしょうか?・・・って、そんなこたあ、お読みになっただけでは分かりませんよね!

では、同じように類推で、「ラーガ」はペルシア伝統音楽の「ラディーフ」に当たるものをどう形成するのだろうか、ということになりますと・・・悔しいのですが、それに相当するサンプルには、とうとう巡り会えませんでした。
ただし、演奏形式にはいちおう「開放型(アニバッダ)」と「閉鎖型(ニバッダ)」がある、とのことで、「ラディーフ」的意識はインド音楽にも存在するのは間違いないのではないか、と、今時点では勝手に思っております。
・・・この、開放型のほうに、巡り会えません。おそらくは、叙事詩の朗詠などがこちらに属するのだろうと思われますが、その演奏風景を描いた文章にも、私は出会えませんでした。

閉鎖型には行くいつかの類型の名称があげられています。
その中で、15〜16世紀に北インドで隆盛した「ドゥルパド」については、実例をお耳にかけることが出来ます。ムガール帝国の創始者、アクバル大帝も好んだとされる音楽ジャンルです。

(抄)
  JVC「世界音楽紀行:南アジアの旅」VICG-60575
 *「ターラ」とはリズムをさす言葉ですので、「ムルターニ」とか「チャウタール」というのが
  史料書籍には記述のなかった「ラーガとターラの定型」すなわち「律」的なものを
  指しているのでしょう。すなわち、実際には「ラーガ」と「ターラ」の組み合わせが、
  ペルシア伝統音楽でいう「グーシェ」を表すのかも知れません。
  (ちなみに、「チャウタール」によるターラは4+4+2+2のリズムだそうです。)
  詳しくご存知でしたら、是非ご教示下さい。

ドゥルパドの総体は4部からなり、導入部をアスターイあるいはスターイー(低中音域)、次の部分をアンタラー(中高音域)、第3部、4部をサンチャーリー、アーボーグと呼び、特に後2者は複雑な構成をとっているそうですが、現代では最初の2部のみの演奏が普通だとのことです。掲載した音はあんたラーにでも当たるのでしょうか、説明はありませんでした。
さらに、実際にはドゥルパドには4つのスタイルがあるそうですが、そこまでは立ち入りません。



インドはイギリス統治下に置かれるまでは、完全に南北統一されたことは、おそらく無いのではなかろうか、と思っております(誤認でしたらご教示くださいね!)。
現在でも、音楽は、楽器で言えばシタールに代表される「北インド【ヒンドゥスターニ】系」と、ヴィーナに代表される「南インド【カルナータカ】系」がある、とされていますし、さらに東インドには独自の舞踊文化もあれば、ベンガルにはまた違う色彩の音楽も存在します。
それでもなお、それぞれを貫く音楽の「核」は<ラーガ>であり、耳にされるものは、ペルシアのように明確な性格付けはされていないものの、特定の役割を持つ個性的な<ラーガ>の組み合わせからなる音楽である点では、全インド亜大陸に共通性を見出すことができるのではないかと感じております。
・・・ただし、きちんと検証したわけではありません。
・・・かつ、<ラーガ>の組み合わせは、ペルシア伝統音楽に比べると、より単純であるようでもあり、その分「定型性」が強く、気軽に聞き流してしまいやすくもあり、教育もイランに比べると「教室化」が進んでしまっていますから、<原初の姿>に立ち戻るための敷居は、反比例して高くなってしまっている可能性も否めません。
(これは中国の伝統音楽復元の現状にも同様の傾向が見られます。)

音声資料をじっくり確認する機会があれば、<ラーガ>の組み合わせ方の南北差あたりを探ってみるのも、面白いかもしれません。

長くなってしまい、中身も分かりづらく、申し訳ございませんでした。

どうせなのでついで話。
「ムガール帝国誌」に記載された、王宮での奏楽の様子は、「トランペットもしくはオーボエ十本以上に、同数の太鼓を打ち鳴らす」というけたたましいものだったようですが、耳が慣れると、遠くで聞く分には心地よかった、とのことです。・・・再現演奏は耳にしておりません。(ないでしょう!)

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2008年2月21日 (木)

「こっちが本物」と言える人は本物?

    いと高き愛よ、わたしは知らぬまま死ぬかもしれない、
     どこであなたをこの身に宿すことになったのか、
      どのような太陽があなたの住まいだったのか
    どのような過去があなたの世で、どのような時間に
          わたしははあなたを愛したのか、

    ----カトリーヌ・ボッジ、渋沢孝輔 訳----



今日も息子の授業参観で、他の親御さんに混じって過ごしました。
参観であるだけ、状況は昨日よりずっとまし、なのですが、混じっているだけで『気うつ』が出てしまいますので、担任の先生にお詫びして、懇談会は脱出して、息子とジュースを飲んで帰ってきました。

あーあ、私は「集団の中では暮らせない」カラダになってしまったのだろうか???

インド音楽も、2週間前に5枚組1,450円という超お得盤を手に入れた、と喜んでいたら、これがとんだ掴まされで、宗教音楽なんか、スピリチュアル的なアレンジになっている。
「ダメ!これじゃあ、私の<イデア>の中にある純粋なインドの伝統音楽と違う!」
そう思い込んで無視していたのですが、思い直してよく聴いてみると、旋律は、入門書籍に記載されたインド音楽のルールに素朴に従っているのが分かってきましたので、もう一晩良く考えたい。

というわけで、今日は、この間<「素直な言葉」を聴きたい>の、特に後半部で問題にした、
<古楽的演奏>と<モダン演奏>の違いが音楽の根源的な違いに繋がると言えるのかどうかを、実際の映像でご覧頂き、判定して頂くことでお茶を濁そう、という奸計です!

「本物はこっちだ!」
と見事に断言することのお出来になるあなたは、とくに、プロフェッショナルのかたでしたら、「本物」の耳を御持ちになっていらっしゃって、「本物」の演奏<だけ>なさることができるのだろうと、心から尊敬申し上げます。

先に申し上げておけば、私は、そうした点、全く本物、ではございません。・・・耳、悪いし。

ご覧に入れまするは、バッハ「無伴奏チェロ組曲第1番」第1曲の演奏。

「古楽」と「モダン」それぞれの演奏で、どうぞ!

・アンナー・ビルスマ


・ムスティスラフ・ロストロポーヴィチをリンクしたかったのですが、ダメなんだそうで・・・
  代わりと言ったら怒られますけれど・・・パブロ・カザルス。
  (「代わり」だなんて・・・怒られるよなあ。ヤバいなあ。)
  ・・・ちょっと前置きがあるので、その部分は無視して下さい。


ええい、おまけだ!
・ビルスマとの比較で面白いな、と思った、マイスキー

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2008年2月20日 (水)

番外:私はPTAの敵?

「帰宅したらインド音楽、行ってみるぞ!」
事前にはそう張り切って(?)いましたが・・・現実は厳しい。ダウンしました。
こういう音楽の、「現実版」のおかげさま、であります。

・J.Strauss II 「トリッチ・トラッチ」ポルカ〜言葉の意味は色のついたところにリンクしてあります。

(カルロス・クライバー/ウィーンフィル1992)



今日は息子の「進学説明会」でした。
義務教育の中学に上がるのだから、特別な内容はありませんでしたが、子供たちの体験授業の間に「思春期の子供への接し方」みたいな内容の講演を聴かされ、そのあとで今後の事務手続きの話、部活動の自由見学でした。

元々共稼ぎだったので、子供のこういう行事に行ったのは初めてではないのです。ダウンした原因は、説明会の内容にはありません。

行事に行くたびにうんざりさせられるのは、
「母親族ってのは、よってたかると、なんでうるさくて、つまらん会話しかせんのか!」
ということです。
講演や説明の合間に、何を喋ってるのかと思えば、
「もう塾に行かせてる?」・「選んでる最中なのよ」
みたいなことばかり。・・・試験の点取り対策だけのためのことしかやっていない「塾」なんぞに、なんで行かせにゃならんのか? 子供の勉強が分からなかったら塾に頼るのか? 親は一緒に勉強してやったりせんのか?
あとは、本当は心にもないだろう
「うちの子はお宅に比べるとさ、ほら、全然ダメでしょう?」・「あら、うちの方こそ」
みたいな、とりとめのない応酬。
・・・毒ガスを四方八方から浴びさせられたようでした。

見学に行った部活動の、生徒たちの様子も気になりました。運動部で、顧問の先生が何度も
「声出せ、声!」
と言っているのに、チャンと大きな声が出る子が一人もいない。
母親のいない息子に根性を付けるには良いかな、と思って覗いた運動部ですけれど・・・これじゃあなあ。。。

あれもこれもガックリ来て、帰宅するなり、寝込んでしまいました。夕飯のときだけ娘が起こしてくれ、そのあとまた眠って・・・気づいたらこの時間です(23:35)。

受験・進学は、夢をかなえるためには相応の努力は必要ではあるけれど、目標もなく「塾」しか念頭にない親たち、というのはずいぶん目の当たりにしてきました。基本的発想は私の子供時代から変わっていない。・・・でも、「塾」が乱立しているだけ、物理的環境は悪化している。かつ、受験で点を取るのは「勉強の本質」ではない。受験受験で国を滅ぼした代表例が旧中国諸王朝の科挙制度だったことを、カアチャンたちは学校の歴史で習っただけで、身につまされていないんです。

なんだかイヤになっちゃいました。

息子がその気だったら、お笑い本気で目指すなら、中学卒業したら即、浅草へ修行に行かせようかな?



出来事そのものについては伏せますが、あるとき、ある悩ましいことについて、私が子供の言ってくれたことをチカラにして、ある<大人>にモノを頼もうとしたら、
「子供を丸め込んで! 子供なんかに、何がわかるって言うんだ!」
と怒って拒絶されたました。
忘れられません。一生、忘れないでしょう。
子供の方が、よっぽど分かっていた。私がそのとき頼んだ中身は、私がまだ「こんなことを頼もうと思っているんだ」なんてひとことも子供に言いもせず、匂わせもしないうちに、たぶん、私の顔がよっぽど苦しげだったのでしょう、私の悩んでいることが何か、その内容まで子供の方が自分から察して、
「無理しないで、いまお父さんが思っている通りで良いよ」
と(もちろん、もっと具体的にですが)自主的に言ってくれたのでした。
ですから、その相手に頼んでみる決心をしたのです。

子供の方が「よく見えている」ことは、<大人>になってしまった連中より、遥かに率直で、理にかなっている場合が少なくありません。
「大人、子供の成れの果て」
であることが自覚出来てる人なら、そんなことはちゃんと承知出来るはずです。

・・・だから、子供の方が立派だ、と言いたいわけではないのはもちろんです。でも、その先まで言わなくても良いでしょう。ここまで読んで、私がなんて失礼なヤツなのかお分かりになった方には、用のない話ですから。

あーあ、明日は、引き続き、息子の小学校の、最後の「参観日」です。。。
雰囲気を思い浮かべるだけで気が重いなあ。
でも、行ってあげなくっちゃなあ。職場の人もOKしてくれているし。息子の小学校の締めくくりだし。

もう一回、ヨハン・シュトラウスさんのおチカラを借りておきましょう。。。

・今年の、プレートルの指揮したもの

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2008年2月19日 (火)

モーツァルト:早過ぎた登頂〜ハフナー・セレナードK.250&行進曲K.249

ここまで読んできたモーツァルト作品の個々へのリンクを作成し直しました。ご利用下さい。



余談から入るのをお許し下さい。

今日は帰宅したら、娘が寝ています。息子は柔道に行って不在です。
娘の高校受験を境に、我が家はかわりばんこにダウンしています。娘の受験の終わった翌日に、まず息子がウィルス性腸炎で登校停止2日間。続いて、合格発表でホッとしたのか、娘が弟からウツされた腸炎でダウン。昨日は私がダウンしました。・・・日頃から、いちばんダウンしやすいのが、このオヤジです。だから、私のダウンは、まあ、自業自得。そんなオヤジと弟のために、去年の春以降はずっと、飯の準備をしてくれながらの奮闘だった娘です。
「おとうさんが作ると不味いから」って。
ここまで頑張って来て、まずは当面の目標を達成した娘です。気も抜けたことでしょう。
で、しめしめ、ということで、今晩のおかずは、今、私が作り終えたところです。味の具合を試してみたら・・・やっぱり、美味くない。チンゲンサイと豆腐と豚肉を炒め、醤油と砂糖少々塩少々、唐辛子たっぷりに胡椒で味付けして、何とかごまかしたんですが・・・あとで娘に
「やっぱり不味い!」
って、叱られるかな。
味噌汁は、キャベツと麩です。

自立への道程がまだまだのところで母親をなくしたお子さんは、世の中に決して少なくはないと思います。父親では、その代わりが利かないことも、この1年、ずいぶん感じてきました。
それでも、横道にそれず、母親の背中に憧れて音楽専門の高校を選んでまっすぐに進んでくれる娘、「こんな弱っちいお父さんみたいなオトコじゃなくなるように」と始めさせた柔道で、最初は腕立て伏せの1回も出来なかったのが、たった4ヶ月で今では「おお、誰よりもチャンと体が起きてるぞ」と誉めてもらえるほど腹筋も平気で20回やれるようになった息子・・・そんな子供たちに、励まされるようにして生きている私は、今日採り上げるモーツァルトが翌々年には旅先で母を失うことの意味を、残されたレオポルトに自分をこと寄せながら考えてしまいます。
そうしたことから、先回、今回は、そう深く綴ってはいないものの、多少、レオポルトには辛く当たった文を綴っているかも知れません。・・・母親の持つ意味の大きさ、父親には代わりきれない、子供に対する包容力を意識すると・・・我が子たちは全く天才ではありませんが・・・レオポルトは、今では私にとって、大きな「壁」の見本です。



すみません、本題。

ロマン派以降になると個人主義思潮が高まるため、作曲の動機や献呈者が明らかだったり、不明でも「恋愛目的だったんだなあ」とか、「かわいそうに、こんないい曲で失恋したのか(ショパンの歌曲に例があります)」なんて事実が掴めて、コミック的・ロマンス的要素を加味して音楽を楽しむことも可能になります。

ですが、モーツァルトに限らず、古典派中盤までの作曲者には、創作動機が明らかな作品は、オペラ以外には、さほど多くありません。
ですから、「ハフナー・セレナード」のように、依頼主やその動機までわかる作品は珍しい、といえます。

依頼主のジークムント・ハフナー(1756〜1787)は、チロルから1733年にザルツブルクへ引っ越してきた同名の父親(工場主だったそうですが、何の工場だったかは、私の語学力不足で把握できておりません・・・ごめんなさい)の一人息子で、姉妹が併せて4人いました。
その何番目なのかは分かりませんが、1776年、姉の一人であるマーリエ・エリザベス(1753〜1781)が、出入りの商人、フランツ・クサーヴァ・シュペート(あるいはシュペース? 1750〜1808)と結婚することになり、その式の前夜祭の祝賀用に、このセレナードを注文したことが分かっています。

余談ですが、マーリエ・エリザベスは、生没年を見ると、なんとまあ、23歳でご結婚なさって、5年後には28歳で亡くなってしまったのですね。相手のシュペートさんはヤモメ暮らし27年だったのかしら・・・だとしたら可哀想ですね。。。

で、このセレナードが1776年7月20日に初演されたガーデンハウスは、いまもザルツブルクの、パリ-ロドロン通りというところに残っているそうです(モーツァルトの生家の、川を挟んで真北の対岸、この頃にはモーツァルト一家が引っ越して住んでいた側の、聖三位一体教会の前を北に進んだところの大通りです)。



富豪に頼まれたから大司教用よりは気前よく、なんて意図は持ち合わせていたかどうかわかりませんが、結果として、出来上がったセレナードは、モーツァルトの器楽作品の中でも、ある意味特異な、一つの頂点を築いたと言ってもいい「大作」に仕上がっています。・・・ただし、自筆譜第1葉への曲名と献辞の記入は、まだ、レオポルトの手によってなされています(!)。

先行して演奏されるニ長調のマーチ(K.249、4/4、30小節)はともかく、以下の概要でもお分かりになるように、、メヌエット以外は尋常ならざる小節数です。

先にオーケストレーションを申し上げますと、オーボエ2本、フルート2本、ファゴット2本、ホルン2本、トランペット2本、ヴァイオリン2部、ヴィオラ2部、低音部(おそらくヴィオローネ)というもので、のちに編成しなおされた交響曲版(1,5,6,7,8の5つの楽章、すなわちViolino principaleを含まない楽章で構成されたもので、1778年12月11日前後に演奏されたかもしれませんが、演奏されなかったかも知れません)にはティンパニも含まれています。かつ、オーボエとフルートは「持ち替え」と考えられるのが常識で、途中フルートの現れる2,3,4,7曲目にはオーボエは現れませんが、最終の第8楽章はオーボエ、フルートとも現れますので、
・1番、2番パートについては、1〜7楽章ではワンパートを二人ずつで、終楽章のみワンパートを一人で吹いた
・オーボエ要員とフルート要員は、最初から別々にいた
の二通りが想定できます。
・・・どちらだったのでしょうね。

1)Allegro maestoso(4/4、二部形式、35小節)〜Allegro molto(2/2、248小節、ソナタ形式)

2)Andante(ト長調、3/4、ダ・カーポアリアの形式。135小節。中間部は57〜78小節)
3)Menuetto(ト短調、40小節)&Trio(ト長調、26小節)
4)RONDEAU(Allegro、ト長調、455小節。A-B-A-C-A-D-A-B-A-Coda、各主題はAの変奏)

5)Menuetto galante(ニ長調に戻る。50小節)& Trio(ニ短調、弦合奏のみ、34小節)
6)Andante(イ長調、2/4、大きくは二部形式だが、擬似ロンド形式あるいは自由な幻想曲風)
7)Menuetto(ニ長調に戻る。オーボエはなく、フルート、ホルン、トランペットが入る)
  & Trio I (ト長調、フルート、ファゴット、弦。24小節) & Trio II(ニ長調、Menuettoと同編成。24小節)
8)Adagio(4/4、16小節)〜Allegro assai(3/8、459小節。ソナタ形式)



まず、第1と第8の両端楽章の小節数が、器楽曲としては相当規模であることが一目瞭然です。

次に目に付くのは、第2〜4楽章(Violino principaleが登場する)はト長調を基調とし、明らかに他の楽章とはセクションを異にしていることです。この部分は極めて技巧的に作られており、ヴァイオリン独奏は他のセレナードで現れる場合に比べると技術的にも高度ですし、最初のAndanteなどは形式的にも「協奏曲」のものを採用しているとみなしていいでしょう。・・・ですが、このセクション、次の理由で、明らかに、ソロコンチェルトではありません。

・Violino principaleに要求されているのと同じ難度が、合奏側の弦楽群にも要求されており、かつ、合奏はしばしばViolino principaleと唱和する。
・メヌエット楽章ではViolono principaleはトリオ部分の主役であり、メヌエットに単独で登場することはなく、結果的にこの楽章は「メヌエット風」ではなく、「メヌエットそのもの」となっている。
・セクションの開始楽章が緩徐楽章である

5〜7楽章が、また、二つのメヌエットにサンドイッチされた魅力的なAndanteをもって、独立したセクションを構成しています。

すなわち、「ハフナーセレナード」全体は、K.249も含め、次のような構成をとっており、一つの推理としては括弧書きしたような場面転換を、モーツァルトはあらかじめ想定していたものと考えていいのではないか、と(私は勝手に)思います。

1:行進曲K.249(会の開始の合図代わり。楽士はあらかじめ開場に待機)
2:第1楽章(式典の開始〜新婚夫妻の披露)
3:第2〜4楽章(新婚夫妻を中心とした宴の、ザルツブルク宮廷としてのアトラクション)
4:第5〜7楽章(歓談の合間の音楽)
5:第8楽章(終宴を盛り上げる)



言葉ではとても表現できませんし、それはアインシュタインのような大物でも出来なかったことなのですが、「ハフナー・セレナード」のすばらしさは、上で観察したように長大な作品であるにも関わらず、たとえばソナタ形式の楽章でも、あたかもロンドっぽく聞こえるようにテーマ構造が仕組んであるためでしょうか、聴く人を絶対に退屈させない、というところにあります。
第4楽章は20世紀に入ってクライスラーが短縮して編曲していますけれど、わざわざ短縮する必要はなかったんじゃないの、と言いたくなるほど、色彩感に富んでいますので、455小節もあるのだとは信じられないくらいです。

これが単なる「宴会」のための音楽だったとは、現代的な目から見れば大変もったいない話です。飽きさせることのない音楽を背景に、聴き手は決して音楽に専心していたわけではなく、ワイングラスを傾けたり、料理に舌鼓を打ったりしていたのでしょうから・・・

ただ、気をつけなければならない、と思われるのが、本セレナード中でのモーツァルトの短調の用法にどう対するべきか、という点です。

第3楽章はト短調、第5楽章のメヌエットのトリオはニ短調・・・いずれも、モーツァルト再発見以降の人々にとっては、特別な意味を持つとされる調ですが、「ハフナー・セレナード」でモーツァルトがこれらの調を用いたのは、
「宴会だけどさ、ごちそうにばっかり目が行っていないで、僕の音楽にもちょっとは熱中してよね」
・・・そんなウィットからではないでしょうか?
・・・異論はおありかもしれませんが。

それにしても、これほどの大曲を、これほどの完成度を持って作ってしまった・・・ある意味、一つの山に登りきってしまった・・・ことが、前回述べた「モーツァルトの後半生の経済的不幸」に繋がってしまうプライドを彼にいっそう強く染み入らせたのではないか、と思うと、「ハフナー・セレナード」は、その全曲の華々しさの後ろに、なんともいえない物悲しさを感じてしまいます。

少なくとも、純粋な管弦楽作品で、モーツァルトはこれ以降、シンフォニーという、もっと小規模な世界の中でしか、彼の音楽を結晶させえていないことについて、私たちはもっと留意しておくべきなのかもしれません。(セレナードとしては「ポストホルン」が残っていますが、「ハフナー」には及びませんよね。)

なお、全曲の再演は、別のマーチを伴って、1779年9月24日頃に行なわれたことが、姉ナンネルの日記から判明しています。

セレナードのスコアはNMAの第13分冊に収録されています。
CDは、あまたございますが、ウィーン系の演奏が好きです。(残念ながら、今は手元にありません。)
交響曲版はホグウッドの全集に収録されています。


たいしたことが綴れなくてすみません。 さて・・・娘はまだ寝ていますが、起こさずにおいて、柔道にいっている息子を迎えに行ってきます。 

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2008年2月18日 (月)

自然な「手」〜ベレゾフスキー

    あそこでは、あるものはすべて秩序と美、
    豪奢、落ち着き、そしてよろこび。

    ----ボードレール「旅へのさそい」から。安藤元雄訳----


さて、先般もご紹介しましたが、

ボリス・ベレゾフスキーピアノリサイタル(つくばノバホール)
3月9日(日)午後3時開演 (午後2時30分開場)

料金格安ですので、是非お越しになってみて下さいね!



「私、手が小さいんで、ピアノ上手になるの諦めたんです」
というコと話をしたことがあります。
「手が小さくても弾ける曲はいっぱいあるんじゃないの?」
ピアノはからきし、な私は無責任にそう言いましたが
「でも、小指が短いから、やっぱり、ダメ」
・・・そういうもんなのかな、と思いました。
私も男としては手が小さい方です。で、・・・本当は(本質的には)手の大きさと関係はないのですが、小指でヴァイオリンの弦をしっかりとらえることは、苦手でした。今でも得意とは言えませんけれど。
(江藤俊哉さんはしっかりした手の持ち主でしたが、旋律を豊かに歌う箇所では、わざと小指は避けて使わないようにしていました。証言もありますし、彼の校訂した楽譜に付いたフィンガリングも、意図的に小指を避けている部分がたくさんあります。ただし、江藤さんの場合は基本は出来ていたので、仮に本番で「あ、小指使っちゃった!」てなことがあっても、充分歌うことは出来ました。)

話は戻りますが、その、手の小さいコ曰く、
「オクターヴを取るのがやっとで、手がこう(と、やってみせてくれて)突っ張っちゃうんです」
・・・あ、それがいけないんだな、と、私は、自分のヴァイオリンを弾く手を併せて思い出しました。
「手が小さくたってね、自然なかたちになっていれば、チャンとした音が出るはずだよ・・・たぶん。。。」

指や手の甲を不自然に突っ張ると、必然的に筋肉が硬直しますから、滑らかな音楽が奏でられなくなります(これは管・弦・鍵盤を問わないはずです)。

歩いているとき、私たちの手は、掌が真っ平らになるくらいピンと伸びている、などということは絶対にありません。指先と手首を両端の点と考えると、そこからの延長線の交点を中心として30度程度の円弧になっているはずです。・・・奏者が楽器に向かう時にも、この円弧が保たれていれば、間違いなくその奏者は、「いい音・自然な歌」を奏でられる。

先日のウェスペルウェイ氏がチェロを奏でている映像でもいいですし、sergejoさんが掲載した、こちらのハイフェッツの映像でも良い、二人とも、手がこの自然な円弧を保っている様子が良く映されていますから、再度ご覧になって頂ければ幸いです。



さて、ベレゾフスキー氏がピアニストとして如何にすぐれているかは、全く同じ
「手の描く自然な円弧」
が常に保たれている、ということからも伺われます。

これは、キンキンさんの頁でリンクしている、驚くべき演奏(ショパンのプレリュードを、最初はオリジナルで、後半はベレゾフスキー氏自身【付記:というのは誤りでして、キンキンさんから、そうではなく、ゴドフスキーの編曲だとのコメントを頂きました。ありがとうございました。】が編曲した「左手だけのヴァージョン」で演奏している)でも充分観察出来ます。これも、リンク先をご覧になって下さい。

また、彼が、ソリストでありながら、素晴らしい伴奏者であることも、初めて「つくばでのコンサート」のことをご紹介した際に申し上げ、記事の最後にサンプルの音も付けておいたものでした。

彼の超人的な技巧はYouTubeでいくらでもご覧になれますが、
「すばらしい歌い手でもある」
ベレゾフスキー氏を知って頂くにはこちらが適切か、と思い、私の方はそちらにリンクを貼りました。

ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番
・第1楽章

・第2楽章

・第3楽章

・・・過剰な「叙情」に走らないところは、ラフマニノフ自身の演奏を彷彿とさせます。
   (ラフマニノフ自作自演盤と聴き比べてみて下さい。)

・・・歌を堪能するには、「ソロ」のほうが断然いいので・・・それは是非、ステージで。

なお、彼の他の日程に付いては、やはりsergejoさんのこちらの記事をご参照下さい。

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2008年2月17日 (日)

「素直な言葉」を聴きたい

    老い果てて、あなたが、夕べの燭火をともし、
    炉ばたに坐り、糸を繰ったり、紡いだりしながら、
    私の詩を口ずさんで、感嘆して言うことだろう、
    「ロンサールは讃えたのだわ、美しかった頃の私を。」

    ----ピエール・ド・ロンサール、入沢康夫訳----



娘の進学先も辛うじて決まり、息子の中学進学のために制服の手配も済み・・・子供たちのための用事はまだまだこれから山積み、出費もそこそこ、なのですが、幸いにも娘の高校は公立になるので、今日は思い切り、家族で無駄遣いをしてきました。

娘が友だちにプレゼントしたくてもなかなか見つからないで頭を抱えていたのを口実に、都内まで出て、やや高級なネギトロ丼の昼食をとり、友だちへのプレゼントも良いものが見つかって、これでおしまい、ならさほどでもなかったのですが。
お茶休憩を挟んで、でっかい本屋さんに行き、子供たちの本当に読みたいと思う本を好きに選ばせたら、高くつきました。
その上でさらに、息子には「進学祝い」に、1万円弱の、彼が尊敬する「たけし」の3枚組DVDを買ってやりました。
で、とどめは3人で4千円(ひとりずつはたいした量じゃない)のそばを食い、本日の出費、交通費を含め、占めて3万円!・・・ヤモメの家庭のすることか!

いえ、使ったお金の大きさじゃない、頑張って来た子供たちの素直な笑顔が見たかったための、ちょっと自信がないオヤジの、自信がない分の投資だったのかも知れません。・・・反省。

道すがら、姉弟で喧嘩はするし、それで喫茶店ではジュースをひっくり返してトウチャンを切れさせてはくれるし、癪に障ったこともいっぱいだったのですけれど、帰りの電車で、口々に
「今日はありがとう」
自然にそう言ってくれた時には、つい、ほくほくしてしまいました。



人間、人様に見返りを求めて何かをやることくらい、いやらしいことはありません。ましてや、我が子相手にもそれをやっている私は、「人間失格・親失格!」かも知れません。

でも、自然な、素直な、理屈のない言葉で、自分のしたことに対して「喜んでるよ」と伝えてもらえたら、その瞬間、もうそれまでの私利私欲は忘れて、有頂天になっている。・・・単純バカ。

「言葉」で表す、「言葉」を受けとめる、って、本当に大事なんだなあ、と感じました。



ここ数日考えていたのは、この「素直な言葉」を聴きたい、ということばかりだったのかな。

家内というバリアがあるうちは不感症になっていたうえに、なにが自分を欲求不満に陥れているのか、よく分からないままに日々を過ごしてきました。それが、娘の進学先決定とか、今朝息子が友だちに誘われて中学校へ柔道部の見学に行って来たことなどが重なって・・・それから、つい先月、生活の糧は糧として別に持ちながら見事なソロを繰り広げてくれたフルートの団友を振り返ってみて・・・
「我が子や、友人が、素直な言葉をもっている」
ことに、ふと我に帰らされたかのように気づきました。

そうなんです、私は、いつでも、「素直な言葉」を聴いていたい。
そのためには、自分自身が、素直でなくてはいけない。

そのことが分からなくなっていたかもしれない。



家内のいなくなる1年ほど前から、急に、というわけでもないのですが、音楽ってどうして出来たんだろう、ということに思いを巡らすようになりました。私には音楽しかわかることができないから、というのがそのきっかけで、かつ、ブログにそれを綴ることで確認するようにもなりました。

そのために音楽関係の本を前よりもたくさん読むようになって、最近まで「見ても目に入っていなかった」事実に気づきました。良い本には、どれにも、
「音楽、すなわち、言葉である」
と、きちんとかかれている。
ここで言う
「音楽=言葉」
は、歌についている歌詞を指すのではありません。

前から読みたいと思っていながら、今日やっと手にして、一気に読んだ本があります。
・鈴木秀美「『古楽器』よ、さらば!」(音楽之友社 2000年第1刷、2007年増補改訂)

この中にも、次の言葉がありました。
アンナ・ビルスマの言ったものを引用した言葉ではありますが、鈴木氏自身が体感した言葉でもあります。
「バロックの音楽は歌うというよりも、むしろ言葉を語る音楽」
だというものです。(前掲書17頁)

この本、標題にもかかわらず、「古楽器」とは何か、どう演奏すべきか、を、真摯に演奏に臨む一人の音楽家として懇切丁寧に述べたエッセイ集ですが、にもかかわらず、なぜこのような標題にしたかというと、それは
「書かれた音楽との『同時代』楽器、つまり当時の『モダン楽器』は、現在の私たちにとってもまさしく『モダン』なのである」(同書198頁)
からなのです。

すなわち、鈴木氏が言いたいことは、
「古い時代に書かれたものにも、それに接するべき方法を真剣に探し求め、心から向かい合うことができれば、そこからは<今>を生きる私にきちんと伝わってくる<素直な言葉>がある・・・それを確かに耳にできる」
ということではなかろうか、と思います。
これは、アーノンクールが「音話としての音楽----新しい音楽理解への道」(出版時の邦題は『古楽とは何か』1997 音楽之友社)が述べていることとも一致しています。



もはや「古楽」だの「古楽器」だのという言葉は死語だ、とはっきり認識なさっている演奏家の方をも存じ上げていますが、一方で、マスメディアに乗っかるような、あるいは乗っかりたがりたがるような音楽家は、いまだに血眼になって「古楽奏法を取り入れなくては」と騒いでいますし、クラシック市場はもっぱらそれを売りにしています。・・・彼らは表ヅラは学者とタイアップしてみたりしているけれど、本当に勉強しているのかしら?
たとえば、コマーシャリズムに乗っかることしか念頭にない「プロ」さんは、次にあげるような録音を耳になさったことがあるのでしょうか?

(1904)

(1927)

※とくに、後者はワーグナー作品の演奏であるにもかかわらず「ノンヴィブラート」です。お気付き?
 ついでながら、ちょっと前のニキシュの指揮したワーグナーなどもノンヴィブラートですが、
 27年あたりからの録音には、ジークフリート・ワーグナー指揮で残された録音ではヴィブラートが
 かけられていたりして、1920年代半ばが「ヴィブラート」の端境期であったことが伺われます。

あなたたちの言う「古楽」と、これらの演奏の間に、果たして、どれだけの差があるのか?

かつ、スチール弦を前提とした弦楽器、ピストンやロータリーのメカニズムが複雑化した管楽器しか入手出来ない前提で「古楽」のマネをするべきだ、という不徹底さには、ウソがありはしないか?

ついでに言えば、「クラシック音楽は同じ曲の解釈の違いが繰り返されているに<過ぎない>」という、本質を見失った言葉を吐き続けていることについて、音楽家はどう責任を持つつもりなのか?(このことは、各国の伝統音楽を見て行く中で再考することになると思います。POP界にもそろそろきざし始めている危機でもありますし。)

・・・これは、「クラシック音楽界」という業界に蔓延したウソなのでして・・・性質を限ったブログである以上、これ以上の越境はしませんが、物質文明につつまれてしまった私たちは一見豊かではありますけれど、結局は「ウソ」にもころっとごまかされやすい。



子供の素朴な、素直な「ありがとう」に、
「ああ、せめて、この子らの自立のためには、<ウソ>を見抜くための知恵、<ウソ>にあっても動ぜず、あえてごまかされ、なおかつ次の世代のためには<ウソ>を断ち切って行くだけのチカラを与えてあげられるだけのことは、まだしてあげなければいけないのかなあ。ということは、私もまだまだ勉強だなあ」
そう思い知らされた一日でもありました。

・・・といいながら、やっぱり、でも、できるだけ早いとこ、この世での用事は終わらせたい、との思いが捨て去れないのが、私の最大の欠点です。



だけどどうですか? クラシックファンの方、ヨアヒムとムックの演奏にはビックリなさいませんでしたか?
・・・そうでもない?

うーん。
そうでもないなら、次は何をお聴かせしましょうか・・・これは、ネタがないなあ。。。

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2008年2月16日 (土)

疲れと「夢」

今日は、一日じゅう豚のように眠り惚けたので、何の下準備もしておりません。
チャイコフスキーの第2楽章ぐらいには進んでおきたかったのですが・・・急場しのぎで綴ってもいけませんので、ちょっと先延べします。(今晩の練習にはどうせ間に合いませんでしたしね。)
他にも「もっとベレゾフスキーさんの紹介とコンサート案内をしなくっちゃ」とか、必ずしもネタ無し、ではないのですが、急場しのぎで半端にするのもなんですので、またにします。



「夢」といっても、眠って見る「夢」の雑談を、ちょっとだけします。

私は学生時代の専攻が心理学でしたので、本来はフロイトだとかユングの系統のことを突っ込む勉強がしたかったのですが・・・こんな専攻を選んだきっかけも、あまり明るい理由ではなく、(このブログをいつも読んで下さる方には別にビックリでもないでしょうから、有り体に申し上げておきますと)自分の家の家族の不和や、初恋の子の自殺の本当の理由が知りたかったり、どうしたらそうしたことを防げるかを身につけたかったからなので・・・、進学して初めて、進学先の学校で学べるのは「実験心理学」といって、どちらかというと生理学に近いものであり、目や耳の錯覚だとかいう「感覚の錯誤と脳の関係」を調べるものだということを知り、愕然としました。かつ、当時は「実験心理学」が主流でもありました。フロイトやユングは「心理学」はうたっていても、彼ら自身お医者さんでしたし、もし彼らの系譜に連なりたければ、医学部精神医学専攻にすべきだったのです。・・・今日は深入りしませんが、先頃思いがけずも早く亡くなってしまった河合隼雄さんも精神科のお医者様で、「夢の記」に自分の見た夢を記し続けた鎌倉時代の名僧、明恵上人についての素晴らしい著作を残していらっしゃいます。

で、自分のことに戻りますと、学校に行ってもどうしようもないので、学校ではもっぱらサークルにだけ熱を入れ、就職のためにだけ単位を取って卒業したようなものでした。
ヴァイオリンにしても、なのですが、どうも、私は「自分が本当に学びたいこと」は「自分の手で材料を探して来なさい」と、神様に命じられてこの世の中に降りて来てしまったのではないか、と思ってしまいます。



それらのことはともかく、上に名前の出て来たフロイトユング河合隼雄(他には宮城音弥)といった近現代の精神医学者が例外なく採り上げているのが、人の心の深みに隠れている「夢」であることは、御承知の通りかと思います。

「夢を見ている時には人の目ん玉はどう動いている」とか、「睡眠には浅い睡眠と深い睡眠があって、どちらも夢は見ているようだが、覚えているのは浅い睡眠のときの夢だ」とかいったことは、生理学的な実験がたくさんなされているのですけれど、実験や第三者的観察で可能な「夢」の研究はここまででして、フロイトの「夢判断」に始まる、ある意味で「心の傷を癒すもの」としての「夢」については、精神科を訪ねた患者さんの申告に基づくカルテ上の記録と、記録を取ったお医者自身の体験との照合から導かれた結論の「主観的な集合体」でしかない、という状況は、現在でも変わっているわけではないように思います。

そんなところへ、結局は専門家でもなんでもない私の「観察」と「照合」を積み上げても、薄紙一枚にも満たない厚みしかないのですけれど、学者さんたちが一様に「気づかずにいる」ことについて、ひとつだけ申し上げておきたいと思います。



「人は一度に、同時並行に、複数(2つ以上)の夢を見ている」
・・・お勧めはしませんが、1ヶ月くらい、意識して、枕元にノートをおいて、目が覚めたとき、寝ぼけ眼でそのとき覚えている夢を書きとめてみて下さい。
注意しなければならないとしたら、これは「起きた、その瞬間に出来るだけ近い時にやらなければならない」という点です。・・・でないと、記憶は、印象の薄い夢から順番に忘れて行きます。
かつ、連続して記録する期間は、最大でも1週間以上になることはお薦めしません。これをぶっとおしで1ヶ月も続けたら、自分が異様に疲れてしまっていることに気が付くはずです。これは、おそらく、夢というのが
「脳がストレスを排泄していることの現れ」
だからだと思われます。

で。

記録していると気づくのですが、いちばん強烈に記憶に残る夢が、たとえば「急ぎの仕事が片付いた!」という夢だとして、その意識のさらに下層部では「学校の薄暗い階段教室で自習をしている自分」をも併せて見ていたり、またその下層部では「ガタが来ている我が家の建具の修繕に迷っている」とか・・・これは私の実際の例には則してはいないので恐縮なのですが・・・実は、夢というのは重層的に、同時並行的に見られているものだ、ということがはっきり認識出来るはずです。

重ねて申し上げますが、もし試してご覧になるなら、期間は最小限になさって下さい。
というのも、この記録を重ねて行くとさらにはっきりしてくることなのですが、夢は、浅い層では「当面の課題の解決」(それが大変なものであれば残念ながら「非解決」という悲しい状況)を見せてくれている場合が多く、記憶に残るのもこの部分なのですけれど、その下層部で見ている同時並行の夢は、その「課題」に直接間接に関わる、自分自身の「トラウマ」に基づくものであるケースが大半です。・・・脳があえて、夢の下層部で「トラウマ」を排泄することによって、私たちは私たち自身を癒そうとしているのだと思います。

なんか、わけ分かんなくなっちゃったかな?



私自身、通算で3ヶ月分、そうした「夢の記録」をつけてみていた時期があります。
ですので、癖で、いまでも、見た夢は結構忘れずにいることがあります。
通常の方より頻度が高いのではないかと思います。

よくないのは、覚えているから、自分の「トラウマ」は何か、を感じてしまって、それにとらわれてしまう。
ですから、疲れが取れない。
・・・「うつ」の遠因を、自分で作ってしまっていたのかも知れません。

それを思うと、家内の生前に「うつ」にかかってしまったのも自業自得だけで済めば良かったのに、好奇心から「夢を覚えている」癖をつけてしまったために、長引いたのは精神的疲労に耐える力が衰えてしまっていたせいだ、とも思え、またそれで、あるいは家内を犠牲にしてしまったのではないか、という罪悪感から逃れられません。

「夢」は、自分の昼間の疲れを癒すために、自分の中から力強く働きかけてくれる治癒の力であり、其の力を最大限に活かすためには、むしろ、朝目覚めたら記憶しているべきものではありません。

できれば、ここに綴ったことはお試しになることなく、このことをご了解頂ければ幸いです。

・・・妙なものを綴ってしまいました。
・・・ご容赦を。

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著者:河合 隼雄

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2008年2月15日 (金)

曲解音楽史:27)ペルシア伝統音楽〜中世からの遺伝子

    生きてこの世の理を知りつくした魂なら、
    死してあの世の謎も解けたであろうか。
    今おのが身にいて何もわからないお前に、
    あした身をはなれて何がわかろうか?

    ----オマル・ハイヤーム「ルバイヤート」5、小川亮作 訳----



前の回:1)音という手段 2)リズムの成立 3)音程から音階へ
    4)言葉と音楽  5)トランス 6)古代メソポタミア
    7)古代エジプト 8)古代インド  9)古代中国 10)古代ギリシア
    11)古代ローマ 12)初期キリスト教の聖歌について
    13)ササン朝ペルシャ  14)西暦5,6世紀ユーラシア音楽横断
    15)中世前半の西ユーラシア  16)唐朝と朝鮮・日本 17)「声明」の伝来
    18)モンゴルと中央アジア北方 19)「十字軍時代」の西ユーラシア
    20)日本固有(?)の古歌 21)グレゴリオ聖歌
    22)平曲と能楽:付)発声法について 23)アンブロジアン聖歌・ローマ聖歌
    24)西ヨーロッパ中世 25)ジョングルール 26)十字軍時代前後のイスラーム



「音楽史」は、私が勝手な目で、勝手な観察をしてきているのですけれど、古代の地域別を見てきて以来は、現在世の中で理解されている音楽史の「常識」からはそう逸脱はしていないように思います。
参考にするものを、その時代の原典の手軽な日本語訳があれば極力それに従い、あっても財布の具合で入手不可能だったり、全く見当たらない場合には、確認しうる限りで信頼できるかたたちのまとめられた資料を参照させていただけたおかげ、でしょう。
それでも、分からないことだらけなので、記述も穴だらけです。
本当にお粗末さまでございます。
(まだ触れていない地域もありますが・・・いつどういうタイミングで触れるべきかにも迷いますし、それ以前に、得体の知れない音声資料の販売が多く、マニアの掲示板もまた凄まじい情報量で、いったいどうすすめたらよいものやら、目が回っている、という事情もございます!・・・古代物、中世物は、たとえばギリシア音楽の復元にしても、怪しいものを掴んでしまって、数日間首を傾げっぱなしだったこともありました。・・・あ、余計な話でした。)

そういう点では、今回の対象であるペルシア音楽についても「逸脱」をするわけではありません。
ただ、たとえば、いままでにサンプルを選ばせて頂いたペルシア音楽のCDの解説は類を見ないほど優れたものだと思っていますし、「はじめての世界音楽」というたいへんな良書が安価で出版されているのですけれど、そうしたものに記載された概説では到底つかめない本質を、きちんと教えてくれる本に巡り会いました。

・谷正人「イラン音楽」
イラン音楽―声の文化と即興

がそれです。
一度読んだだけではちんぷんかんぷんの、しかも何度読んでもわたしごときの能力では読み取りきれないほどの内容か、と最初は思いましたが、2、3度読むうちに、文章が理路整然として平明であることが分かり、(標題は「イラン音楽」ですが)ペルシアの伝統音楽の<考え方>について、目から鱗、の視点を与えてくれた、驚嘆すべき本でした。

「あ、これは、ここまで見てきた中世の西欧や西アジアと同じような、<こういう音楽が鳴っていたんだろうな>という推測、そのサンプルの引用掲示、では扱える対象ではない」

少なくとも、そんな直感は与えてもらいました。
さらに、大袈裟に言えば、この著作の与えてくれる示唆は、西欧音楽そのもの、また、それに影響を受けて理論構築されている現在のアジア音楽全般に対する視点の変更をも迫っているのではないか、と思われましたが・・・素人、かつ手にできるものが限られている私のようなものには、きちんと正鵠を得たフォローができる自信は全くありませんので、気づいた都度「ここへ戻ってくる」原点として、なんとか体で覚えていこう、と思っております。



要所は、「音階」を基準とした「旋法」観、「形式」観といったものは、12世紀以来のペルシア音楽のあり方を<より正しく>把握するためには、捨ててかからなければならない、というところにあります。
・・・このことが、さらに、おそらくはペルシアという地域(歴史上、何度も変動するのですが)に限定されず、隣接諸国を含め、「音楽」とは何か、を考え直す上で非常に重要なキーともなっていくのではなかろうか、と感じます。
それというのも、今回の対象ではありませんが、すぐお隣のインドの音楽理論は、書物上はやはり「音階」の視点から記述されているのですけれど、実際のインド伝統音楽はペルシアの伝統音楽に極めて似ています。これは谷氏の仰っているところを勘案すると、「インド音楽理論」は「インド音楽に即していない」のでして、むしろペルシア側の(書物には記されたことのなかった)理論でインド音楽も見直したほうが良いように思われてきたのです。・・・実際、ムガル帝国時代の有力官僚の多くは、ペルシア人でしたし。

なお、「書物に書かれたことのなかった」と括弧書きで入れましたが、若林「世界の民族音楽辞典」ではイラン音楽はアレクサンドロス遠征後には既にゾロアスター教の儀礼音楽として基盤が出来始め、理論付けもなされた、とあり、10世紀の「音楽大書」、13世紀の「キターブ・アル・アドワール」という音楽理論書についても言及していますが、これらの実態は私には把握出来ませんし、他に言及したものを見かけておりませんので中世との連携度も分かりません。手頃な資料をご存知でしたら、ご教示頂ければ幸いに存じます。

・・・脱線しました。



本来の目的であるペルシア音楽そのものに、目を向けましょう。
ただし、先にもお話しましたとおり、ペルシア音楽は西欧音楽的知識でこりかたまった頭には、たった数週間で太刀打ちできる代物ではありません。従いまして、谷氏がご著書中で紹介なさっている諸々の「専門用語」は殆ど省きます。そのため、以下は、私が谷氏の著作から受けた「イメージ」によって述べるものであり、誤りを多く含んでしまう危険が非常に大きい。
ですから、本記事でペルシア伝統音楽への御興味が増された場合には、是非、谷氏のご著作そのものを二読三読して下さいますことを、あらかじめお勧めしておきます。

ペルシア音楽の基本は、

・ダストガー(旋法、あるいは調にあたるもの)
・ラディーフ(一連の楽曲)
・グーシェ(ラディーフを構成する楽句群)

という語彙に集約されているようで、これらを貫く立派な「理論」は存在している(調和を表すチャリフという言葉で象徴されています)かと思われます。・・・「思われます」などと曖昧な言い方になるのは、この「理論」は、(現代イランではどうなったいるのかまでは知りませんが)口承を原則として、師から弟子へと伝えられていくものであり、「理論書」として明文化されたものが存在しないからです。
事態を更に捉えにくくするのは、この「口承」、師が伝えたそのままを弟子が(私たちの常識で言う限りでは)忠実に再現するものではない、という事実で、
「ペルシア伝統音楽は、同じ物は二度とは演奏されない」
すなわち、1回1回が即興演奏である、とまで言われてきたのでした。

ややこしいことは、まだ続きます。
先ほど「旋法」と対照させた「ダストガー」そのものが、同時に<音楽全体のスタイル>を表す言葉でもあり、ラディーフというのが<楽曲>を示す場合よりも高次の意味で、楽曲自体を<ダストガ−音楽>などと呼ぶことがあったりする。
かつ、ラディーフを構成する「グーシェ」は「ダルアーマド」という導入用のものから、途中に音楽の盛り上がりをもたらすためのものが何種類もあり、おしまいに、下げに向けての「フルード」、さらにそれを締めくくる、またいくつかの副次的グーシェ、と、それぞれ特定の役割を付され、同じ名前の下に統括されています。
・・・これがまた難物です。まず、「グーシェ」のほうが、私達異邦人からすると、「ダストガー」よりも直裁に「旋法」を決定付けていると感じられるのです。
同じ名前の「グーシェ」でも、「1回1回が即興演奏」と見なされるほどのペルシア伝統音楽ですから、なれない耳で聴くと「え? なんで、これとあれとが同じ名前のグーシェなの???」・・・頭の中が「?」だらけになってしまいます。

この「ややこしさ」が、しかし、無秩序ではない、というところが、ペルシア音楽の非常に重要なポイントなのではないかと感じるのです。

順番を逆に考えていけば、まず音楽の細胞に当たる<グーシェ>があり、それは<ラディーフ>という肉体のどの位置に属すべきかによって、適切な遺伝子が与えられている。同じ名前のグーシェであっても多様さが許されているのは、組み込まれた遺伝子ゆえなのです。楽曲(ラディーフ)の肉体が異なれば、異なるのが当然・・・という意味では、「音階理論」でその先の楽理に、完全に抽象化されうる無個性さを付与することに比べれば、「楽曲とは生命の発露である」という、日常の私たちが感じ、信じている人間的な感覚には、むしろ忠実で素直である、といえます。
そして、そのラディーフは、既に内在しているグーシェ中の遺伝子によって律せられ、明確な自我を主張し得る「ダストガ−」、すなわち、完全なる固体(音楽)として最終的に成立する。



近代に入り、他のアジア世界同様、やはり欧化の波を被らざるを得なかったペルシア音楽も、五線譜化されるようになったそうです。それにしたがい、音楽も「全て口承」の伝統が崩れつつある、との報告も、谷氏の著作の中にはあります。
一方で、同書の中には、「印刷された楽譜に対して厳しい批判がなされつづけて来、今も続いている」事実も記されていて、今後のペルシア=イラン音楽の動向は、興味のある人たちにとっては目を離すことの出来ません。

途中の私の要約は、私が勝手な比喩を用いてもおりますので、先にも述べましたとおり、「正しくない」可能性大、ではあります。
が、「音楽」というものを総体的にみなおすとき、西欧的なものとは逆の入口を提供してくれるペルシア伝統音楽の発想法は、非常に魅力的でもあり、私たちに「発想の逆転」の必要性をアピールしてくれる重要な「知恵」でもある、との感慨が、ひとしおです。

では、グーシェがどのように組み合わさってラディーフとなり、ダストガーを構成するのか・・・は、短い演奏では分かりにくいので、長めのものを選び、最後にリンクをしておきます。お時間が許すようで、かつ、静かに耳を傾けることもできる状況でいらっしゃるのでしたら、是非お聴きになってみて下さい。
谷氏の著作の付録CDの2曲目です。14世紀の詩人による歌詞がついています。

(ハーフェズ【1390没】の詩による)17分22秒

・・・言い遅れましたが、詩人の年代が12世紀から14世紀である、という点から、私は、以上のようなペルシア伝統音楽の発想は中世には根ざし、ある程度の完成はみていたもの、と判断した次第です。

どうも、説明がヘタクソですみません。

(なお、若林忠宏「民族音楽辞典」による各用語の説明は、私が谷氏の著作から受けとめ得たものとはだいぶ異なっています。これがもし、私が谷氏の記述を誤解した結果によって違うものと感じたのであれば、それは私の認識力不足と言うことになります。ご興味のある方は、お読み比べになって、この点、私に誤認がないかどうか、ご教示頂ければ幸いに存じます。)

次はなるべく、インド旅行でもしてみましょうかね。

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2008年2月14日 (木)

ライネッケ「フルート協奏曲」〜<撰ばない>勇気

最初に。
JIROさんが、娘のお祝いに、ブログにドカーンと「おめでたい」曲集を載っけて下さいました
オドロキ! ほんとうに、いつもありがとうございます。なんとお礼申し上げたらいいか、他に言葉がありません。
・・・我が家族についてご紹介頂いている文は照れくさすぎで、少なくとも私はそんなたいそうなもんじゃありませんので、そこは読み飛ばして・・・でも、いい曲ばかりですので、是非お聴き下さい。
我が家への祝福、というのにとどまらず、JIROさんは、受験を既に乗り越えたどなたへものお祝いの気持ち、そしてなにより、これからまだ勝負を控えている受験生へのエールとして綴って下さっていますから。・・・ありきたりないい方ですが、本格的な人生航路を歩み始める人たちのために、これ以上の選曲はないと感じている次第です(演奏の中身ももちろんです)。



今日は、去る1月5日に私どもが催した演奏会から、

※ライネッケ「フルート協奏曲 ニ長調 作品283」
をご紹介致します。

独奏は久保美亜さん。
普段は看護士を務め、超多忙、かつ精神的なご負担も大きい中で、フルートの鍛錬を怠らず、数々のコンクールで高い成績を収めています。1月5日演奏会の記事もご参照頂ければ幸いです。

演奏は、オーケストラが音程も悪くパッとせず(団員各位は最大限の努力をしたと信じていますので、これはひとえに、棒と楽団員の「つなぎ」をしっかり果たせなかった私の責任なのですが)、久保さんは、そんな輪郭不鮮明な伴奏から良く「間」を拾い上げて、大変良いソロを吹いています。
勿体ないので、これはご紹介しなければ、と思いました。
色のかわったところを右クリックで、別ウィンドウを開いて、各楽章をお聴き頂けます。



ライネッケについてはWikipediaに説明を委ねます。



話は変わりますが、
「人間万事、・・・あれ、なんだっけ?」
「塞翁が馬、だよ」
「あ、それそれ、アハハ」
というのが、私が家内といちばんたくさん交わした会話でした。家内はこの言葉が大好きでした。
この故事成語(リンクをクリックするといわれが分かります)、夫婦のどっちかや、子供たちに、あんまりうれしくないことがあったときに、多分、家内が自分自身を奮い立たせるために口にして笑ってみせていたものなのでしょうが、おそらくは、独身時代から、ある意味で彼女の「座右の銘」でもあったのではないかと思います。

結構計画性のない人で、娘が小6の11月頃になって、急に「私立中学を受けさせる」と言い出しました。あきれましたが、まあ、家内の思った通りにさせることにしました。でも、こんな時期にニワカ勉強して通るほど、私立中学というのは甘くはありません。・・・なにせ、高校までにせよ大学までにせよ、以後は受験の苦労をしたくない、という親たちが、子供の尻を必死でひっぱたいて勉強させ、試験に臨ませるのです。・・・それでも私が家内に「ノー」を言わなかったのは、家内は「一貫教育」云々にではなく、受けさせたい、と思った学校の校風の良さを俄に気に入って、娘を「モラルのいい子にしたい」、それだけの単純な理由で思いついたことだったからです。
案の定、娘は見事、不合格でした。
その日、がっかりする娘を横目に遊びまわっていた息子が、遊具に坐ったら尻がすっぽりハマってハズれなくなり、必死に抜け出そうとするその姿があんまりおかしくて、みんなで大笑いして帰りました。

で、娘は、小学校卒業間際、跳び箱で変なひっくり返り方をして、複雑骨折してしまいました。
・・・かの私立に合格していたら、治った頃には入学式はとっくに終わり、授業が始まっているはずでした。
このときも、家内の口から「人間万事塞翁が馬」が出てきました。

家内自身について言えば、本人は内心、専門の歌い手になりたかったフシがあります。ですが、音楽で飯を食うというのは大変なことです。そこで、家内の思いついたのは「音楽の教師になればいいじゃないか!」ということだったらしい。
これも「塞翁が馬」に繋がるとは、子供が出来るなんて、まだ想像もしていなかった十代の家内に思いつくわけがありません。
結果として、家内は吹奏楽部の顧問を務め、娘は友だちと家内の指揮する演奏を見に行って「あんたのお母さん、かっこいいねえ!」と言われ、どうもそれも一因で、娘自身、ブラスバンドに入りたいと思ったらしいのです。で、とりあえずのゴールでもあり、新しい出発点に娘が選んだのは、「トロンボーン専攻」で高校に入る、ということでした。・・・家内が歌い手だったら、娘はどんな選択をしたでしょう?



私自身の方を話しますと、私は小5の頃から学生時代まで、本当に、オーケストラのこと以外、何も考えられない、視野の狭いヤツでした。今でも狭いですけれど、もっと狭かった。ですから、親にはストレートに「音楽の道に行きたい」と言いました。家庭の事情を言ってもなんですが、しかし、実家には息子をそんな職に就ける経済的ゆとりは全くありませんでした。他のことでは別に普通の中流家庭と変わらない生活をさせてもらえたので分からなかったのですが、父母共稼ぎだったにもかかわらず、収入は祖父母に9割以上献上、残り一割で子供を養っていたのです。祖父母の死後、初めて知ったことでした。ですから、3年だけでも、月謝は新聞配達して稼ぐ、という条件でしたけれど、ヴァイオリンを習うのを許してもらえたことには、いまは大変感謝をしております。
で、以降は独学でした。独学ですから、練習の方法が分かりません。中学生や高校生が行ける程度の安いコンサートを見つけては、最前列でヴァイオリンを弾く人の手を必死で見つめる、というのが唯一のチャンスでした。幸い、どこでどう情報をつかんだのか分からないのですが、市内の高校生主体のアマチュアオーケストラから電話がかかってきて入団、以後、アマオケ生活も33年となりました。
その生活の中で、音大になんか行っていたら・・・私のレベルでは、到底いい学校には入れませんでしたから・・・絶対に巡り会えなかっただろう有名演奏家と共演させて頂いたり、バロックから現代物まで幅広く演奏もさせてもらえたり、ミサやオラトリオの伴奏をしたり、クラブでシャンソンのバックを弾いたり、ホテルのディナーショーでアンサンブルしたり、と、むしろ、思いがけないほど豊富な経験をさせてもらえたのでした。
「最低レベルでも音大!」という選択をしていたら、果たして、これだけいい思いを重ねることが出来たでしょうか?

さらに言えば、オーケストラ活動自体、何度か中断せざるを得ない状況に追い込まれたことがありました。
最初は、就職してから3年間。
セールスに配属になり、勤務は毎晩0時を超過、休日はお客様の都合でないに等しく、1.5ヶ月に1回が平均でした。オーケストラになんかは入れっこない。これが、憧れを強くしました。3年経って、また活動を再開出来たとき、「ああ、<喜び>っていうのはこういう気持ちをさして言うのが本当なんだな」と、切ないほど思いました。
次は、先輩たちとの価値観が合わないことを自覚したとき。自分はなぜ音楽をやるのか、その意味を徹底して考えました。その時持っていた結論は、今振り返ると間違いだらけのものでしたが。
三度目、四度目があるのですが、省きます。



娘は、とりあえず、本職を目指してのスタートを切ることになりました。
トロンボーンという楽器だからこそ、家内も私も認めた、ということもあります。トロンボーンは、比較的潰しがきく。音楽で飯を食うなら、オーケストラがダメでもビッグバンドがあるし。もちろん、教職も選択出来る。オーケストラにしたって、でかくて有名なところを狙わなければ、金管楽器には珍しく、古い音楽専門の団体に入る道もあります。選択肢が広い。


音楽専門に進学したからといって、自立後、音楽では思うようにいかないで悩む方も沢山いらっしゃるのです。せめて、選択の余地は広い方がいいなあ、と、そのことだけを念頭に、私は娘の進路に賛成をしました。・・・家内と娘の二人で、それこそ家内が思いがけず命を落とすまで、一緒に、懸命に追いかけ続けた夢でもありますし。
ただ、この先、娘は私と違う「音楽像」を固めて行くはずですし、学校が専門だからといって、ずっと先まで「音楽が糧」であるかどうかの保証があるわけでもありません。
音楽以外こそ、人生の糧なのだ、と思うことがあるのだったら、方向転換をしてもいいのです。そのあとで、「ああ、やっぱり音楽」というのだったら、また戻ればいいのです。


どうも、脳ミソの出来が悪くて、思ったように表現出来ませんが、ご容赦下さい。

ついで話が長くなりました。

長いついでに、もうひと言いえば、私が音楽を「好き」なのは、音楽は「ウソをつかない」からです。
人間の演奏する音自体は、「ウソ」をつきます。人間はウソをつく動物だから、自然なことです。その時は、聞こえてくる音が「音楽」ではないことに気づける耳があるかどうかは、私次第です。・・・「音楽そのもの」には、ごまかしがきかず、それだけに、人様の、あるいは私自身の言葉や態度のようには、心を欺くことがありません。

今度ちょっとだけかじってみてビックリさせられたのですが、数日中にご紹介するだろう、ペルシア音楽の考え方には、こうした音楽の原点がよく現れています。

要は(実は音楽に限らないのですが)
「これこそ本物、これこそ私のもの」
と決めつけ切った「選択」をしてしまわないことで、初めて見える真実もあるのです。
「選択」しない勇気がなければ、真実は永遠に、その裾の端っこさえも見せてくれはしないでしょう。



すみませんでした。
最初に戻って、また久保さんの「音楽」をお聴き下さい。

「音楽」を専門にしなかったことへの悩みを持っていらしたようだけれど、それが幸いした、見事な演奏だと、私は信じて耳にしています。

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2008年2月13日 (水)

ご報告:娘の高校合格

     行(ゆき)ゆきて たふれ伏(ふす)とも萩の原  曽良
     今日よりや 書付(かきつけ)消さん 笠の露   芭蕉

    (「奥の細道」〜曽良が病で芭蕉と別れざるを得なくなった、その場面での二人の句)


    
このブログ、オーケストラ仲間以外には、基本的には(広い意味での)身内には綴り続けていることを知らせないままでおります。

それでも、家内の死後、私たち一家を心配してご覧になり続けて下さっている方もいらっしゃいますから、ご報告の義務がありますので、恥ずかしながら、本日は掲載させて頂きます。

おかげさまで、娘が、第一志望の公立高校に合格しました。
今朝、発表でした。
家内と娘と二人ではじめた学校探しでしたが、母子共に
「あそこがいちばんいい」
と思っていた学校に、志望通り、音楽専攻(トロンボーン)で合格させて頂きました。

「子供たちまで音楽をやりたい、なんて言い出すことはないだろうね」
私があまりに音楽キチガイだから、見ててうんざりするだろう、というのがその理由で、家内と二人、そう言って笑い合っていたのですが、娘はむしろ、私なんぞより、吹奏楽部の顧問をしていた家内の背中に魅力を感じたのでしょう、中1の後半から専門的に楽器を勉強したいと言い出し、中2でもうはっきり、音楽志望に固まっていました。それ以後、私なんぞそっちのけで、母子で学校選びに腐心していました。

第1志望が固まっていたのは家内の生前は公立まででしたが、私立は家内の迷っていた点がどのへんだったか、を考慮し、私と娘で見学した上で決めていました。そちらも本日発表ですが、私たちの住んでいる県では、公立に合格すると、そちらをお断りするわけにはいかないとのことなので(うかつにも、私は何べんも耳にしていたはずなのに理解していませんでした!)、実質上、進学先は決まったということになります。

家内の没後も、娘自身が私立と演奏会の聴き比べをして、
「やっぱり最初にいいと思った、この公立校がいちばん質がいいと思う」
とのことでしたので・・・ものがものですから、定員も少なく、倍率もそこそこ高いのですけれど・・・希望が叶って、本人はもちろん、家内も大変喜んでいることと思います。

途中、専攻の楽器、ピアノ、楽理とも、たいへん素晴らしい先生に恵まれました。
とくに、楽理の先生は普通には見つかりませんので、探す際には直接間接にたくさんの皆様にお世話を頂き、結果として、娘は人間的にも豊かな師を、新たに得ることが出来ました。

本日に至りましたのも、ひとえに、皆様の暖かいお心の支えがあってのことと、感謝の念でいっぱいでございます。

この先は、「息子が本当に<お笑い>あるいは<映画界>志望なのかどうか」を含め(!)、家内にも見通しが無かったことですし、家内をあてにすることもできません。
「同行二人」も、ここまでです。

昨日の記事に、さりげなくアフィリを貼っておいた、城山三郎さんの「そうか、もう君はいないのか」は、話には聞いていたものの、昨日初めて書店で見かけ、手にとりました。ですが、頁を開いたとたん、もう先を読み進めることが出来ませんでした。
城山さんは、奥さんに先立たれて、よくもなお七年を生きることがお出来になられたなあ・・・と、その切なさを思いました。この本も、もともと城山さんは書きたがらず、周囲のすすめで、ぽつりぽつりとはじめ、それから筆がのり始めたらしいとのことですが、お気持ちはよく分かる気がします。・・・そうやって、七年を経て、また奥様の側にお行きになることが出来て・・・いまは幸せいっぱいでいらっしゃるでしょうね。

かたや、同僚には、まだ私より小さいお子さんを抱えて、奥様を癌で亡くした「いいオトコ」もいます。我が家と違い、親御さんとのご同居ですから、仕事も普通に出来る環境でいるのがうらやましくもあるのですが、彼の奮闘ぶりに比べると、私は「うつ」の起伏がなかなか解消しないていたらくで、本当に、この同僚には頭が下がります。家内の死亡後も、事務面で分からないことなどで、いろいろ教えてくれたり、話を聞いてくれたりしました。

こういう仲間もいるのですから、子供が自立の道を見つけるまでは、私も踏ん張らなければなりません。

かわらずご支援を頂ければ幸いに存じます。

本当にありがとうございました。

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2008年2月12日 (火)

音楽と話す:「想う」心

    誰がおまえを捨てたりしようか、おお、酒よ?
    あるいは私は占い師に従ったのか?
    それとも 心の不安にかられながら、
    血を流す思いで葡萄酒を流したか?

    ----ポール・ヴァレリー、安藤元雄 訳----



くだらんことを、いつでも何も気にせず胸を開いて話せる相手も、今は失いましたので。
前にも綴ったとおり、話すことなんて、ホントは日常の些細なことでいいんですけれど。些事は、いくらブログでくだを巻きまくっても、詮無いことです。
で、ま、そうは言っても、これも些事なのですが、音楽さんとの昨日の会話が不十分でしたので、すこし補足の説明をお願いすることにしました。・・・でも、私の話し方がいけないのでしょうか? テキはなかなかに気難しいのです。ですので、先に謝っておきますが、今日の会話も「訳が分からん」かもしれません。


心を急にわしづかみにしたものを、まず大切に聴く、ってお言葉でしたけど」
「まあ、そんなもんじゃったかな」
「大切に、って、具体的にはどうすればいいんですか?」
「いや、大切に、って、そのまんまじゃが・・・」

「それが難しいんですよ。ウチのカカアを例えに出しますとね、普段、私は<大切に>されたことなんか、おれっぽっちもありませんよ。洗濯物干すのを手伝おうと思ったって,『ああ、あんたの畳みかたじゃダメだから、手えださないで、って怒られる。食器洗いしようとすると、『あたしがやるからいいよ、ありがとね』って言うから、そんじゃあ任そうか、ってのんびり構えてると、『なにボーっとしてんのよ、食器ぐらい洗っといてよ、ボケナス!』『だって、お前さっき、自分がやるからいい、って言ったじゃないか』『そのあと、こっちが様子が変わって手一杯になってんの、見てたら分かるじゃないか! 気いきかすんだよ、こういうときゃ!』なんて具合でしてね」

「あんたが<大切にされる>かどうかの話じゃねえでしょうが」
「・・・しまった! つい、われを忘れました」

「<好き>になる、ってことの入り口でおっかねえところは、それが熱狂的であればあるほど、じつはどんどん、<好き>な相手を大切にする想いから遠ざかることんなんじゃ」
「・・・はあ。」
「熱くなるほど、大切なのは、相手じゃなくて、自分のほうになっていく」
「・・・むむう。」
「あっしなんか、それでこれまで何百回、何万回、何億回、<所詮、こんなもんさ>って感じさせられたことか」

「だって、熱狂の音楽、っていうのだって、いっぱいあるじゃないですか」
「あっしが描いている世界が、熱かったり、狂っていたり、燃えて灰になってたり・・・確かにいろいろありはする。でも、だからって、あっしが世界を描いて見せた後で、それにただ<かっこいい!>とか<一緒に燃えた!>なんて拍手してくるお客は、あっしは疑ってかかるんでさあ」
「それって、さびしくありません? あなたが、そんな猜疑心の塊だなんて・・・」
「ああ、さびしゅうござんすなあ。でも、いたしかたござんせん」

「好きになって欲しくないんですか?」
「そんなわけないじゃろ。じゃが、どうせだったら、ほんとの意味で好きになってくれるお客にめぐり逢いたいんじゃ」
「っていいますと?」
どんな世界をあっしが描いたんだとしても、それは、世界の鏡でしかない、ってことを分かってくれるような」
「またすぐ、わけ分からないこと言い出すんだから!」
あっしという鏡で、あんたが、あんたを映してみてくれるんじゃったら、あっしもあんたを好きになってやりますよ」
「あ、音楽さん、どこ行っちゃうんですか?」
「あんたの頭が少し醒めて、あっしの言ってる事のカケラだけでも分かって、感じておくれなさるまで、ちとそのへんをふらついて来ますわイな」



・・・さて、私は、どうアタマを冷やしたらいいんでしょうか?
・・・簡単さア!
・・・自分が、過去どれだけ「好き」の押し売りをして、うんざりされたり、無視されたりしたかを、「自分の」ではなくて、相手の「想い」から見つめなおせるようにすれば・・・

・・・簡単、じゃないなあ。

さりげなく見つめ、さりげなく笑顔をかわせていれば、本当はそれだけで幸せ、というのが、もしかしたら、本当に大切な、相手を「想う」心、なのかしら。

(でも・・・それは神様が僕からは永遠に奪ってしまったもの・・・)<---詩人の遠い目!



ここで、ひょい、と音楽さんが戻ってきました。
「忘れとったわい! これ、聴いといておくんなさい!」

音が、ふたつ。

「どっちが少しはあっしの気に入っているか、また来るまで当てといておくんなせえ! まあ、あんまり違いが分かんねえかも知んねえけど」

当てといて、って・・・え? これ、どう言う謎掛けなんでしょう?

困った相手だなあ・・・

そうか、もう君はいないのかBookそうか、もう君はいないのか


著者:城山三郎

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2008年2月11日 (月)

音楽と話す:まず「聴く」

「音楽さん、あなたが、好き!」
「!」
「あなたのことが、もっと知りたい!」
「・・・」

私がコミックのヒロインで瞳をキラキラさせて呼びかけるのならまだしも、ヒゲ面のおっさんでは、ひいちゃいますわね。
せめて、さわやかな好青年なら、ドラマ<1ポンドの福音>のシスターみたいに振り向いてくれるかも知れませんが、いまや私は、いかがわしい中年です。

なので、邪念を断って、音楽さんにお尋ねしましょう。

「あなたを、もっと好きになるには、どうしたらいいのでしょう」
「そうさなあ、とりあえず、二つの門があるんじゃが」
「二つ、ですか?」
「<自分で歌ってみること>と、<とにかく聴くこと>の、どっちかですじゃ」
「ははあん・・・」
「どっちが入りやすそうじゃイ?」
「そりゃ、歌うほうでしょう? 風呂場で歌ってると、響いて気持ちがいい、って、みんな言ってますから」
「じゃが、いつも風呂場で歌えるとは限らん、違うかの?」
「・・・そりゃ、そうだ」
「自分で歌ってみる、というのは、そこが難しい」
「難しいんですか・・・」
「風呂場じゃないとこで歌ったら、気にくわなかった。じゃあ、別の場所で、って、そうそう簡単には選べん」
「事務所で歌ったら怒られちゃうしな。それより前に、風呂場じゃないとこで歌ったら・・・私、自分の歌が下手に聞こえてしょうがない。カラオケなら高得点なんですけどねえ」
「・・・うーん、謙虚でよろしい、と申してよいのやらよくないのやら」
「まあ、自分が下手に聞こえる耳を持っている分、謙虚ということで」
「じゃったら、その耳を信用する、ということで」

「はい・・・となると」
「そう、まず、聴いてみるほうから入るのが宜しい、ということじゃな」
「どんなものから聴けば宜しいので?」
「何でもいいんじゃ」
「何でも、ですか? 上手いとか下手とか、これはよせ、とか、ないんですか?」
「ない。」
「ありゃまあ。」
「ただ、条件がふたつだけありましてな」
「というのは?」

「何でもいい、とは言っても、最初からあれもこれも、と思わないのが第1

「最初からいっぱい聴いたほうがいいんじゃないですか?」
「今の世の中では、そういうことも可能ですからのう。でもですじゃ、本当の<好き>を目指すなら、ヤミクモはよしたほうがいい。あの女の子もいいが、こっちの熟女もいい、では、あんた、恋愛だって成り立たんじゃろうが」
「成り立つ人もいますけど」
「・・・あんた、ご自分を分かってらっしゃるかの?」
「・・・あ。」
「一つの曲、ということでなくてもいい。一人の歌手や演奏家、ということでなくてもいい。じゃが、<ああ、これが私の心を捉えるんだ、というものに限って、とことん聴いて、それを愛してみることじゃ」
「でも、そんなんじゃ、逆効果で、あとで<もっといい音楽>に出会っても気がつけない、なんてことになりかねなかったりするんじゃないですか?」
「お、お前さんでもなかなか鋭いことがいえるんじゃな」
「馬鹿にしないで下さい!」
「いや、馬鹿じゃと思っとったんで、すまんのう。それじゃあお尋ねしますがの、<もっといい>には、どうやって気がつくんじゃろう?」
「・・・」
「気がつけるためには、まず、自分の中に、ちゃんとしたモノサシが持ててなくちゃならん。そのためにどうするか、が、もう一つの条件というわけじゃ」
「ほう・・・」
最初に<じっくり>聴く、味わう音楽は、<好き>になれるためのものを、しっかり選ばなくちゃならん、ということ」
「・・・さっきは、<何でもいい>って仰ったじゃないですか?」
「それは、種類の話じゃ。たとえばあんたはたしか、ほとんどクラシックとかいうやつしか知らんらしいが、それがジャズでもロックでも演歌でも、民謡じゃろうがポップじゃろうが、そんな表ヅラにこだわる必要はない、ってこと。もっと狭く言えばじゃ、ジャズはセロニアス・モンクに限る、オーケストラはウィーフィルじゃなきゃダメだ、演歌は美空ひばり以外受け付けられん・・・そんなたぐいの思い込みが、今もし、もうあんたの心の中にあるのなら、全部いったん忘れなされ」
「・・・いや、とりあえず、<何もないマッサラから音楽を好きになりたい>のですから、そんなこだわりはないです。」
「音楽とは、まだ出会いもしていない、という前提で、よろしいんじゃな?」
「はい」
「よろしい。」

音楽さんは、もったいぶって、咳払いをしました。

「簡単じゃ!」
「はあ?」
「まっさらなあんたが、さりげなく耳に入ってきて・・・それまで別のことを考えたり思ったりしていたのに、<あれ?>と、急に心がひっぱられる音楽。」
「はあ・・・」
「それが、まずあんたの選ぶべき、最初の音楽じゃ」
「・・・簡単じゃ、ないですよ!」
「うーむ、そうかのう・・・?」



音楽さんが仰りたいのは、たぶん、「最初の出会いを大切に!」ということなのかもしれません。
ですが、最初の出会いなんか、このご時勢、まず「恋人が欲しい」人にだって難しい。ちまたには、そんな欲求不満があふれているんじゃないでしょうか? 音楽さんの仰ることは、無茶なんじゃないかなあ・・・

・・・いえいえ。

いわゆる、童心に返る、ということに、音楽さんの言い分を「読み換え」ればいいのかもしれません。

音楽になぜ心を惹かれはじめたか、ということは、沢山のかたが、テレビやラジオでも語っていれば本にも書いていらっしゃる。もし音楽好きのお友達がいれば、その人が薀蓄を語りだすのに多少うんざりしながらでも、いいタイミングで、「じゃあ、そもそも何でそんなに音楽が好きになったんですか?」って質問すれば、おそらくは、とっても素朴な答えが返ってくるんじゃないかと思います。そして、その内容は、「自分が歌った、弾いたが出発点だった」というのは、案外、稀なケースなはずです。

「夕暮れに、学校の帰りの放送で、こんな粋な歌を流してくれた先公がいてさあ・・・」
だとか、
「歯医者さんの有線で流れてて、この音楽が鳴っているのにふうわりさせられていたら、気に入っちゃったのよ」
あるいは
「いまどき、飲み屋に流しなんかで来やがってさ、歌ってんの聴いたら、涙が出ちゃったんだよ」
かつ、今の日本では出会いにくいことですが、それでも「ジュピター」の例であったように
「崩れた街をみんなで片付けたり立て直しているとき、いつもこの音楽が、みんなを包んでいてくれたんだよ」
・・・などなど。



以下、お粗末なサンプルで(音楽は、お粗末じゃないですよ!)、かつ著作権を少しは慮って(微妙だけど)、新しいものは選んでいませんが、つづり手としての私が、「音楽さん」の仰った趣旨に近い「出会い」をした歌や器楽を、例として掲載しておきます。どんな出会いだったか「一言ポイント」をワンセンテンス程度くっつけておきますね。・・・参考にはならないのですけれど。

(飲んだくれている頃に、飲み屋さんで)

(7月12日付記:ブログ不具合で「オネスティ」は音声を一旦削除しました)
(コマーシャルで使われてて気に入った。ずいぶん前ね!)

(息子とDVDで見て、なぜだかほろりとして)

(中一の時、きれいな女の子に憧れてる頃に学校で聴かされた)

こんなもんでございます。
ビゼーのメヌエット(「アルルの女」第2組曲って言うのに入っています)だけは、家族旅行のビデオをDVDにする時に、ちょっとだけシンセサイザーの勉強をして、私がアレンジしたものですので、出来の悪さが音楽を損ねていたらごめんなさい。・・・どうしても「思い」が籠っているものなので、載っけちゃいました。

・・・このブログで、クラシックじゃないのをの載っけるのは、珍事でしたかね。


音楽さんのお話の主旨。

音楽を本当に「聴いて好きになる」には

1)あらかじめ選り好みしない。(曲のジャンル、種類、演奏者など)
2)最初に「心を強く捉えた音楽」を、まずは、じっくり大切にする

・・・とはいえ、大変恐縮ですが、綴り手の視野が狭くてクラシックしかよく分かっていない(本当は、クラシックもよく分かってないんですけど)ので、次回からはどうしてもクラシック中心で対話をすることになると思います。ですから、クラシック以外がお好きな方で、もしこの対話にご一緒に耳を傾けて頂けるのでしたら、「クラシック以外だったらどうかな?」という点は類推して頂くことになります。
あらかじめお詫び申し上げます。

毎度、すみません。

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2008年2月10日 (日)

こどもたち

息子にとっては、災難の一日でした。

今日、娘がレッスンを入れてきていて、それが、最近ご無沙汰しているオーケストラの練習場所の近くなので、ついでだから私も久しぶりに練習を覗きたい、息子も外出させたら気晴らしになるだろう、ということで、親子三人で出掛けたのでした。

出がけは息子も元気いっぱいだったのですが、途中から、どことなく様子がおかしい。
練習場所に着いても、いつも来るはずの友だちは、我が家と違って「賢い」ご家庭なので、受験で来ていない。・・・それでさびしいのかなあ、と、私も誤解をしていました。

夕方、楽譜を仕入れる必要から出向いた店で、行方不明になりました。
いつのまにか、トイレに行って、長いこと籠っていたのでした。・・・ですが、その店のどこにトイレがあるかなんて、私も姉貴も知らないですから、店の外まで出て探しまわった。
そこへひょっこり現れた息子に、私はただアタマにきて、
「ちゃんと行くところも教えないで! いい加減にしろ!」
ゲンコツを2発食らわせました。

元気のいいときでも長トイレの傾向がある息子ですから、このときもまだ、息子の「おかしい」原因に気が付きませんでした。

食事に行ったら、いつもなら大食いの息子が、殆どご飯に手をつけません。
これでやっと、分かりました。
「無理して食べなくていいから」
と、残させました。

この1週間、学校行事の国会議事堂見学もあったし、週3回は柔道だし。
家内の生前はおろか、つい4ヶ月前まで、運動なんか全く縁のなかった・・・むしろ、家内の持っていた「息子に怪我をさせたくない」という不安感から、家内はさせたがらなかったふしもある・・・息子が、毎回、柔道は頑張って、しかも楽しんで習いに行っています。
でも、おやりになったかたならご存知の通り、柔道の事前準備の運動も、最後の仕上げにやる運動も、結構キツい。迎えに行くとき見に行っているだけで、
「あの、腕立て伏せの1回も出来なかった子がよくぞ」
と思うくらい、腹筋は他の誰よりもきっちり出来ると誉められるようになり、ジャンプもへばりつつながらもしっかり腰を落として真面目に取り組んでいます。
帰りの電車で寝かせて、少し調子をを取り戻した息子が言うには、

「(今日、調子が悪くなったのは、この1週間)いろいろたいへんだったからかなあ・・・」

そうだったのだと思います。

娘も、受験期なのに朝夕は食事の準備をしてくれる。
「おとうさんに作らせると、不味くて食えない」
のだそうで・・・

子供たちがこれだけガンバってくれているんですから、私は恵まれた「ヤモメ」です。 (T_T)



「好き」ということと「寄り添う」ことを等式では考えられない、といった内容の記事を、それぞれ綴ってきたのですが、世の中、自分の子供を「好き」ではない親も、皆無ではありません。仮に「好き」でも、妻(や、場合によっては不倫相手?)に比べると、どう寄り添ってあげたらいいのか、我が子というのは、なかなか難しい「対象」でもあります。
お子様をお持ちのかたなら、「寄り添う」とは何か、を学ぶには最も適切な「教材」が、我が子というものかも知れません。・・・我が子との関係は、夫婦とは違い、待った無しに<絶対的>だからです。

井上ひさしさんに「四十一番の少年」(文春文庫。今も新刊で手に入るでしょうか?)というのがあります。

この小説の舞台は、井上さんの知ったことではありませんが、実は、私の小学校時代、友だちが沢山入っていた、いわゆる「孤児院」施設です。親が無い子、はもちろんですが、親の経済状態が悪くて育児しきれない家庭の子たちも預けられていました。小説の冒頭に描かれた風景は、ですから、私の子供時代の、友だちと過ごした風景そのままです。

腕っ節の弱かった私には、この施設に入っている友だちが何故か多くって、他の連中にいじめられると、よくかばってもらいました。施設にも、毎日のように遊びに行きました。
遊びに行って、ある日、仲のいいこの一人がぼそりと言ったことばが、ずっと耳からはなれたことがありません。

「このごろさあ、とうちゃんから手紙が来なくなったんだ。もうさあ、3ヶ月も来ないんだ。それまではずっとくれてたのになあ・・・」

この子のお父さんは、我が子に寄り添ってあげたくなくなって、手紙をやめたのでしょうか?
・・・そうではなかったでしょう。

大人同士の「好き」と同じに考えることとも、可愛いものにほおずりしたくなることとも、全く違う「選択の難しい枝が細々分かれている」我が子という木を相手に、この子がどうしたら、風雨に耐えられる幹を供えられるか、を、親は考える義務を、否応なく負わなければなりません。
くどくなりますが、そこには、冷静な目で見れば「好き」とか「寄り添ってやりたい」とか、あるいはそれらの逆のことを考える余地は、全くありません。余地に思いを致すことは、禁じられている、と言ってもいいかもしれない。
・・・いにしえの西行法師のように、したって寄りすがってくるのを蹴落として自らは出家する、というのも、本当は、子供への「寄り添い方」の、とある一つのかたちなのだということを、知らなければならない。西行のしたことは、今の児童虐待とは全く意味合いが違うのですが、話が込み入りますので、「違う」ということについては、どうして言い切れるのか、読んで下さるかたにもご考察頂ければ幸いに存じます。



演奏会のたびに、「次」に照準を合わせなければならないので、以下、残念ながらいまはすぐ手元に資料を出せないので、正確さを欠くことしか綴れません。

ショスタコーヴィチの1945年の作品に、7曲からなる「こどもの音楽帳」というのがあります。
たしか、「わが父 ショスタコーヴィチ」の中で、お嬢さんのガリーナ自身が話していらしたことで、伝記にも出てくるのですが、この作品、ショスタコーヴィチは彼女のために仕上げたのです。で、45年のある日、父は、高級官僚の前で、この作品をガリーナに弾かせました。ガリーナは、ところがさっぱり弾けなくなって(緊張のためだったのでしょうか?)、泣き出してしまいました。結局、ショスタコーヴィチが官僚たちに上手いこと言い訳をして、彼女に代わって演奏をした。

ショスタコーヴィチが、娘と寄り添うために作った音楽。
いじらしくて、私も好きな音楽ですが、その中から、のちに有名な「祝典序曲」のモチーフとして使われることになる「誕生日」を、ショスタコーヴィチ自身の演奏でアップして、この記事を終えます。なお、この録音の冒頭に入っているのは、ショスタコーヴィチ自身の声です。


  1946年録音 DOREMI DHR-7787

・・・明日は、尊敬するダスビさんが、交響曲第9番と11番を演奏するのです。
・・・行きたかった。でも、娘の受験日なのです!

ダスビの皆さん、(お読みにはならないかとは思いますが)応援してます!
昨年の15番のような好演を、きっと成し遂げられるものと信じております!

Book四十一番の少年 (文春文庫)


著者:井上 ひさし

販売元:文芸春秋
Amazon.co.jpで詳細を確認する


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2008年2月 9日 (土)

寄り添う(1)〜ソロ楽器とピアノの場合

先にご紹介を。特にピアノ好きのかたにはビッグニュースですので。

超絶技巧ピアニスト、ボリス・ベレゾフスキー氏のピアノリサイタルが、つくばノバホールにて下記の通り行なわれます。

  3月9日(日)午後3時開演 (午後2時30分開場)

このピアニスト、諏訪内晶子さんと同じ1990年に、おなじチャイコフスキー国際コンクールのピアノ部門で優勝した人ですが・・・日本では残念ながら名前をご記憶のかたがさほど多くないようです。
が、ツウのかたにお聴きしたところ、いま日本で人気の海外有名若手より、技術ははるかに上、とのことです。諏訪内さんの伴奏をしたCDも出ていますし、ソロアルバムも多数あり、なかでもリストのピアノ協奏曲は2作+「死の舞踏」で1,000円(!)で入手できます。・・・彼に付いては本文中でも若干触れることになるかと思います。
演奏会のご案内は、映像をリンクしたりして、また別途致します。
リストピアノ協奏曲第1・2番

・・・これだけの実力の人のコンサートが、ノバホールでは信じられないほど安く聴けます!すぐに「ノバホール」へのリンクをクリックしてみて下さいね!



この演奏でもお聴きになりながらお読み下さい。
江藤さんが、NHK教育テレビの「ヴァイオリンのおけいこ」でいつも最初に弾いていた曲です。

 「江藤俊哉の芸術」より。伴奏:江藤玲子(BMG BVCC-38160-63)


このタイトルでいくつ綴るか分かりませんので、括弧内の数字は仮のものです。
「寄り添う」とは、音楽では(ジャンルを問わず)セッション、あるいはアンサンブルのこと・・・アンサンブルという行為をすること・・・を指します。この点、日常生活の、たとえば「恋人が寄り添う」・「夫婦が寄り添う」というのと比べて、多少、敷居が高くなります。

おとといは「好き」という意味を考える過程で家内の思い出にまた触れてしまいましたが、さて、音楽ではどうだったか、というと、家内はその面では私の「伴侶」ではありませんでした。
家内に伴奏させると、こっちが伴奏に合わせなければなくなる・・・家内はあまりピアノが得意ではありませんでしたから。ですので、一緒に弾いたのは3回だけ、それも、家内の伴奏に、本来は主体であるはずの私の方が「合わせる」なんて具合でした。
家内は家内で、歌が上手かったはずなのですが、ちゃんと聴いたのは結婚のお披露目のときと、家族で新年会をやったとき無理やり歌わせたカラオケのときだけです。これは、私がピアノが全然ダメなので、私の方が家内の伴奏をしてやれなかったことにも原因があるでしょう。

だから、男と女としての私たちの間には、基本は「音楽」なんて、全く介在していなかったに等しい。数度だけ一緒にいったコンサートで、数度、たぶん「同じ想い」を共有しただけです。

普段の生活で「寄り添う」には、これで充分でしたし、仮に一度も一緒にコンサートに行かなかったとしても、何の問題もなかった。離れていれば離れていたで、また心と心、体と体を寄せ合うためには、何も余計なことを考える必要がない。



セッションで、アンサンブルで、自分が「演奏をする」となると、しかし、「寄り添う」ためには、お互いのハッキリした意思表示と・・・よりいいセッションを成し遂げたいのなら・・・最善の「方法統一」が要求されます。

「僕はこう歌いたいんだ」
「でもさあ、それじゃあ、こっちのギターのリズムやニュアンスとは合わないよ」

・・・互いの手の内が分かっていない(技術レベルの差、技術のよりどころにしているものの違い、そして何よりも音楽そのものに対する理解の仕方の相違、共感力の不足)となると、この2行のやり取りを延々と繰り返さなければなりません。議論が半端な間は、セッション(アンサンブル)は、あまりいい出来が期待できない。かつ、標題の「ソロ楽器とピアノ」という程度の、二人でのセッションなら、即興の場ではどちらか一方に共感力がそなわっていれば、そこそこの仕上がりで楽しむ(分かっていない方のメンバーと、その場に居合わせるお客様は、ですけれど)ことはできます。しかし、完成度を高めたい、となると、さっきの2行のやり取りの頻度は、レヴェルの高い連中ほど数が多くなることでしょう。

・・・もし、現実のデートや家族生活で、セッションのようなやり取りを延延と繰り返さなければならないとなると、これはもう、ウンザリです。それでも、相手を「好き」でいられる間は、限界まで我慢することは、「お仕事」で似たようなことがあった場合に比べれば、ずっと簡単です!
(幸い同じ部場の人ではないのですが、私はおととい、久々に「こいつ、やなやつ」と思った年上の相手がいました・・・バカヤロー! 他の人からも「やなヤツ」と思われている相手だから、いいでしょう。いや、その前に、私自身が、実はまわりからしたら「とてもやなヤツ」かも知れない・・・当人は、意外と、そんなことには無神経なもんです。)



すぐに話が逸れるから、いけません!

ソロ楽器(歌を含む)とピアノ伴奏の二人、という組み合わせは、「クラシック」以外のジャンルでは、あまりないですね。他にはジャズくらいかな。ピアノを三味線に持ち替えれば、ソロ楽器側は尺八か民謡歌手か、といった具合で、こうしたヴァリエーションは民族音楽では世界各地に存在しますが・・・脱線しますので、そっちへは敢えて顔を向けないように、我慢します。

話を元に戻しますと・・・「自分の音楽を持っている!」と明確に意識している人は、その音楽に「寄り添ってくれる」伴奏者を、非常に神経質に選びます。

<「技術のある人」は伴奏者は選ばなくても演奏できちゃうんじゃないの?>
そう勘違いしやすいし、指のパラパラ回る演奏家には、アマチュアの方が極端ですが、プロでもこの点、認識誤りをしている人が大勢います。

江藤俊哉さんは・・・って、また彼の話に戻るばかりなので恐縮なのですが・・・伴奏者を厳選した人です。自分をちゃんと理解してくれる妹さんが、長いこと、ピアノ伴奏者として、江藤さんの「音楽の伴侶」でした。江藤さんの幸せなのは、その後、息子さんがこれまたすばらしい「父親の理解者」になったことで、息子のマイケルさんと共演したシューマンのソナタは、是非復活販売して欲しいCDのひとつです。
妹さんとの共演は、いま時点でも何とか「江藤俊哉の芸術」で入手でき、聴くことが可能なのを確認できましたので、非常にありがたく思っております。

で、次にあげる、ある新聞記事からの引用文の際に江藤さんの伴奏を務めていらしたのがどなたなのかが、分かりません。けれど、文の主旨から推測するに、少なくとも、このときの江藤さんの伴奏者は、江藤さんの音楽に心から「寄り添う」ことが出来た方だったはずですし、そのおかげで、お聞きになっていた方もまた、安心して音楽に「寄り添う」ことが出来たのではないかと想像しております。(情報を下さいましたO様、ありがとうございました。最初の部分は、O様による、記事のご紹介)
以下、引用。

素敵な新聞投稿のご紹介です。と申しても、この1月22日に亡くなられた江藤俊哉さんの思い出話、沁みじみ転載させて頂きます。筆者の方には、電話でお許しを頂きました。朝日新聞・大阪本社版《声》の欄です。


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《停電の会場で 江藤さん演奏》    
                   牛乳販売業 能瀬栄太郎(岡山市 70歳)

 戦後の日本を代表するバイオリニストだった江藤俊哉さんの悲報を本紙で知った。真っ先に思い浮かべたのは、50年ほど前に聴いた岡山市公会堂での演奏である。この公会堂は、空襲で大きな被害を受けずに残り、市内で大きなイベントが出来るのは、ここだけだった。当時、労音の会員だった私は毎月一回、ここへ音楽を聴きに行った。音響効果は悪く、車の音が聞こえた。冷暖房の設備もない。床はコンクリートで、5、6人がけの長椅子が並んでいた。演奏中、コウモリが飛び廻ることもあった。

 江藤さんが、クロイツェル・ソナタの第2楽章をピアノ伴奏で演奏中だったと思う。突然、停電になり、堂内は真っ暗になった。しかし、演奏はそのまま続けられ、約千人の聴衆は静かに耳を傾けていた。10分後に明るくなったが、演奏は何ごともなかったように終わった。暗闇の中で、バイオリンとピアノの音色が絡み合うように響き渡り、曲と同名であるトルストイの小説への理解がいっそう深まった思いがした。江藤さんのご冥福をお祈りする。

   ------------------------------------------------



「寄り添う」コツは、大学時代に、先輩に散々叱られ叱られ教わりました。
音楽全般に対する価値観が正反対だったため、結果的に私はその先輩達とは袂をわかってしまったのですが(それでも、この先輩たちが私の最大の恩人たちであることは、いつも心の中で変わりません)・・・以降、音楽で「寄り添える」相手にはなかなか巡り会えません。・・・ひとつには、私のレベルが低いこと。もうひとつには、相手をして下さる方に「共感能力」を見出し難い場合が多いことがあり、ある時点で、セッション的な小さなアンサンブルをすることは断念してしまい、今日に至っています。

本来は「寄り添う」だけなら、あまり難しいことではなくて、
「あ、次のところ、彼(彼女)の音の出し方だったら、こんなイントネーション、強さ、輪郭で弾いてくるな」を予測するだけなのです。それを、二人だけでやるのですから、本当ならピアノ伴奏だけでのソロは、セッションとして非常に楽なはずなのですけれど、これがなかなかそうは問屋が卸してくれません。仮にこっちが予測をつけていても、相手側は私の「次」について予測をしてくれない。・・・これでは、成り立ちません。

人数が増えたら、なお一層大変です!・・・いずれ、そのこともお話します。



冒頭でご紹介したベレゾフスキー氏が、チャイコフスキーコンクールの同期生である諏訪内晶子さんの伴奏をした例をお聴きいただいて、今回は終わりにしましょう。

地味かも知れませんが、優しい旋律の曲を選びました。

・・・お互いによく「共感」しあっているのが、ハッキリ分かりますね。
しかも、本来「ソリスト」であるベレゾフスキー氏が「伴奏」とはなにか、をよく心得ている点は、傾聴すべきです。(次回のご紹介では彼の素晴らしい技巧を「お見せ」出来ればと思っております。
・・・諏訪内サン、檀那さんに言いつけますよ!(って、話が違うわいな。)

スラヴォニックMusicスラヴォニック


アーティスト:諏訪内晶子

販売元:マーキュリー・ミュージックエンタテインメント

発売日:1998/11/30
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2008年2月 8日 (金)

チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」(3)第1楽章

    月はすべてむごく、太陽はすべて苦い。
    ----ランボー「酔いどれ船」より。渋沢孝輔 訳----



各楽章に、具体的に入っていきましょう。

第1楽章から。

詳しい内容が不要なかたは、末尾まで飛んでっちゃって、楽章の全体をお聴きになって悦に入っていただければ幸いです。・・・あ、演奏する人は、ダメよ!

昼飯食いながら喫茶店で殴り書きしたものですので、醜い手書きで恐縮ですが、第1楽章の中で、前回触れた4要素がどういうふうに現れるかを、数箇所サンプリングしてみました。ちょっと目立たない個所もありますので、スコアで該当小節を確認なさってみて下さい。なお、その時持ち合わせが赤いボールペンだけでしたので・・・ご容赦下さい。(クリックして拡大すると像が明瞭になります。)

Tchaikovsky61

さて、楽章の構成については、私が手にした音楽之友社版の、千葉潤さんの解説でリスト化されているものを、そのまま掲載します。TMFのかた、あるいはお手持ちのあるかたは、スコアをお手元にご用意下さい。その前に、「主観は避ける」と言っておきながら、少々、私の感じるイメージを「開陳」させて下さい・・・またまた余計なことを!(スミマセン。。。)

前にも別に綴ったことがあるのですが、子供達が小さい頃、まだ「生まれたて」のときの記憶があって、質問したら、
「最初は真っ暗だったんだけど、急にね、まぶしくなったの」
と言ったようなことを、二人とも言いました。
第1楽章冒頭部は・・・チャイコフスキーはペシミスティックに描いていますけれど・・・誕生の瞬間の、この「真っ暗だった」ところへ(オーボエで)「まぶしい」光が見えた、その情景を描いているような気がしてなりません。
主部は、「悲愴」という訳語は間違いだ、ということが分かれば、捉えるべきものが「既成概念」のものとは入れ替えておく必要があります。<前提>でご紹介した、チャイコフスキーの「人生交響曲」の構想が「悲愴」にも生きているのだとしたら、第1楽章は<悲しみの>音楽ではなく、<青春の苦さ>の音楽です。・・・捜索したときのチャイコフスキーの年齢が既に青春を通過しているはずだ、という決め付けは、禁じなければならないと思います。年齢と「青春」とは、ロングセラー歌謡曲のタイトルのように「青春時代」などと時期で区切られる関係にはありません。

・出て行かなければならない吹雪の外界へのドアを開こうか開くまいか、への激しい迷い(第1主題部1)
・一旦ドアを開いてみるものの、襲ってくるのは、激しい雪あらし。冷たい風と氷。(第1主題部2)
・ドアを一旦閉めて、瞑想します。自分は、外界に対してどんな夢を抱いていたのか?(第2主題部)
・今度こそ、決心してドアを開く。旋風と氷雪に、立ち向かう。(展開部)
・決闘!(再現部第1主題部〜具体的な個所は、後述の「構成」参照)
・とりあえずの(仮の)安堵(再現部第2主題部)
・第2楽章は「恋人」の待つ舞踏会なのです。そこでのロマンスを夢想しながらの平安(コーダ)

----あーあ、やっちまった! まあ、例えばこんなふうにストーリー付けしてみてもおいて下さい。以上はあくまで、(本当は禁止事項の!)私の妄想です。
ちゃんと楽式分析をすると、千葉氏が掲載しているとおり、客観的に、以下のような区分になります。

(構成)
序奏 1-18
呈示部第1主題 19-41
エピソードと推移 42-88
第2主題 89-100
(第2主題)中間部 101-129
(第2主題)再現 130-160
展開部導入部 161-170
第1部 171-201
第2部 201-229
第3部 230-258
第1主題疑似再現 244-258
第4部 259-304
再現部第2主題 305-335
コーダ 226-354

・・・ドヴォルジャーク第8と同様の考え方の「ソナタ形式」である点に、ご着目下さい。千葉氏は、この点を的確に捉えています。すなわち、再現部は、第1主題については呈示部どおりには開始しておらず、第2主題の(ドヴォルジャーク第8ではもっと単純なつくりであったために見られなかったことですが)中間部(「悲愴」第1楽章の第2主題は有名な旋律の間に、フルートの音階上昇で始まる「トリオ」とでもいうべき副次主題を持っています)を省略しています。・・・その分、充実したコーダ(弦楽器のピチカートを伴奏にした、管楽合奏による第1主題の吹奏)を作り上げているわけです。

「悲愴」交響曲の第1楽章で面白いのは、序奏がそのまま呈示部の第1主題に直結していることで、このような作例は、他に有名なものでは(って、それしか私は知らない!)シューマンの第1番「春」だけかな、と思います。

で、第1楽章に限らないのですが、演奏に当たっては、

・どのパートがどこのパートから音楽を受け継ぐのか
・作曲者の記号付けやディナミークに忠実に演奏できているかどうか

の2点が、最低でも非常に重要なポイントになります。これを、お約束どおり、1954年のカラヤンが指揮したときのものと、後年岩城宏之さんが指揮したときのものとで、比較して聴いて頂きます。色の変わったところ(オレンジ色でしょうか)を右クリックすると、別ウィンドウで聞けます。
なお、音は、容量の関係で全てモノラルとしましたので、ご了承下さい。1954年カラヤン盤以外は、CDを入手していただければ、ステレオで聴けます。

*序奏から呈示部第1主題前半まで
 ・
 ・

岩城盤では、序奏の木管の入りがばらけていますし、主部に入ってからは、繋がるべき音楽に、しばしば「切れ目」が入ります。・・・よくお聞きになってみて下さい。


*第2主題登場前の小結尾
 ・
 ・

チェロからヴィオラの受け継ぎの意思が、カラヤン盤ではハッキリ聴き取れます。ですので、岩城盤のお粗末さが耳についてしまいます。・・・もっとも、こないだ映像を乗っけた74年のベルリンフィルとの演奏では、カラヤンもここは「お粗末様」です。


*呈示部第2主題中間部の終盤
 ・
 ・

弦楽器の伴奏は途中からテヌートが書いてあるのですが、岩城さんの方では守られていません。


*展開部〜一旦沈静化すると見せかける個所
 ・
 ・

トランペットが加わる個所、岩城盤ではモロにトランペットの音色が聞こえてしまいますが、ここは最初から明瞭にトランペットの音色を聞かせるべき個所ではありません。カラヤン盤ではこの点に気を配っています。


*再現部クライマックスに入る前のティンパニ
 ・
 ・

・・・ここ、スコアをご覧になると、ティンパニは「ディミヌエンド」なんですよね。岩城盤に限りませんが、多くの演奏ではこれを守っていません。その方が「いかにも!」と聞こえるからでしょう。
ですが、このディミヌエンドは、私は「遵守すべきもの」だと考えています。・・・先生が「別にいいよ」と仰ったときには、まあ、こだわりませんけれど。でも、カラヤン盤では、ちゃんとディミヌエンドしています。ムラヴィンスキーもやっています。・・・難しいのは、どの程度ディミヌエンドすればいいのか、なのですが。やりすぎると、次から始まる強奏が唐突になりますが、全くやらないと、実は、チャイコフスキーがこのディミヌエンドに込めたかった、比喩で言えば「結果が敗北であろうが、僕は立ち向かう」と、ここでいったん自分を省みておきたい、という演出意図が、別の演出に差し替えられてしまうのです。


*再現部第2主題
 ・
 ・

これ、最初の「ソーファミ|ミーレー」は、メゾフォルテなんです。これも、カラヤンのほうではやっていて、岩城盤ではやっていません。その前がp(ピアノ)になりきっていないためです。・・・で、やはり岩城盤流が、世間では一般的です。・・・前項同様、チャイコフスキーの意図した演出とは別効果になってしまうのですが・・・
ムラヴィンスキーは、メゾフォルテ、というには強すぎて聞こえますが、やはりディナミークは1回目は2回目よりも「ちゃんと」控えめ、抑え目にしています。後半部の岩城盤でのN響の金管のブレス取りは、目だつほどではないものの、感心できません。ユニゾンなのですから、カラヤン盤で実践しているように、各自場所をずらしてブレスを取るべきです。

もっとサンプリングしたいところですが、手間もこれ以上かけるのが面倒なので、あとはサボります。
(なお、ワープロ打ちしている時点では音を聴いておらず、記憶のみで綴っていますから、聴いて違ったらご指摘・ご叱責下さい。・・・あらかじめ、「ゴメンナサイ」って、言っておきます。)


あとは、たとえばムラヴィンスキー/レニングラードフィル(1960)で全体を聴いて見て下さい。
全体で是非傾聴いただきたいのは、金管の音色変化の多様さ、にもかかわらず絶対に崩れない和声感、です。

今回は、以上。




   ・前提
   ・全体像
   ・第1楽章
   ・第2楽章
   ・第3楽章
   ・第4楽章

チャイコフスキー:交響曲第4番、第5番、第6番「悲愴」Musicチャイコフスキー:交響曲第4番、第5番、第6番「悲愴」


アーティスト:ムラヴィンスキー(エフゲニ)

販売元:ユニバーサル ミュージック クラシック

発売日:2001/10/24
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2008年2月 7日 (木)

「好き」ということ〜アマチュアの「協奏曲」練習を通して

    もう一度の春を、----もうひとしずくの露を、
    ひととき私の苦い杯で揺れ、涙のように零れ落ちてゆく露!

      ----アロイジアス・ベルトラン(渋沢孝輔 訳)



他に語り得る「語彙」を持っていませんので、例によって音楽(クラシック)の例で綴ります。

「好き」ということは、「好き」な相手が分かり、受け入れられること。
ただし、いろんなレベルでの「好き」があるので、気をつけなければいけない。

「恋愛」という熟語がありますけれど、「恋」と「愛」とは、現実には相反する場合も多い気がします。

「恋」は、相手が見えなくても、やみくもに「好き」であることが往々にしてあります。私も、未だに陥りやすい! でも、相手が分かっていない「恋」は、本当の「好き」とは違うものなのでしょう。
世の中で悲恋物語がよく好まれますが、私は未だに苦手です。いや、悲恋ではなくても、恋物語の類いは、どうもダメです。理由は、私自身が「やみくも」になりやすい上に、そのことをいつも負い目に思っているからでしょう。恋物語を直視できるかたは、私と違って冷静な「恋」をしたことがあったり、それがなくても相手が「分かる」客観的な目をお持ちなのだと思います。・・・尊敬します。

「愛」は、本当なら一文字では表現できないほど、様々な顔を持った言葉です。
恋愛以外に、思いつくだけで、こんな熟語があります。

「溺愛」
「偏愛」
「自愛」
「慈愛」

仏教で用いられる「愛」は、執着・妄執を表すのだそうです。家内の死を契機に読んだお経の解説の類いで(本当の意味では初めて)知りました。
キリスト教ですと、上の熟語のうちで「慈愛」に最も近い用いられ方をしています。それは、不平等のない、報酬を求めない、押し付けのないものであるのが理想的なようです。これも、上と同じような経緯で知りました。

執着としての「愛」からくる「好き」は、「恋」に準じるかもしれません。
慈しみとしての「愛」が何か、を、ほんのカケラ、雪の結晶の一粒程度だけでもこの目で見、この耳で聞き、疑わず、無心に信じられるようになって初めて、私たちは「好き」という言葉にこめられた、本当のまごころ、人のやさしさに目覚められるのかもしれません。・・・これは、私にとっても、実に遠い道です。



「なんだ、ちっとも音楽の話じゃねえじゃんか!」
・・・はあ、そうですね。すみません。
・・・本当は、何を素材にお話してもいいことなのだとは思います。
ただ、最初に申し上げたとおり、私には、音楽を通じることで以外に、この先を考え、省み、表現することが出来ません。


家内とは、見合いでもなかったけれど、いわゆる「恋愛結婚」だったとも思っていません。一緒になる前に3年間も顔見知りだったのに、家内に恋愛感情を持ったことがなかった、とは、前にも綴ったかもしれません。
今でも不思議なのです。変なきっかけで、お酒の席で人様が私達二人を「夫婦」だと勘違いしたのが、そもそも催眠術の始まりでした。次の日から私はもう家内のことが「好き」でしたし、10日後には夫婦になっていました。・・・当初はこのことをくどくど綴って記事を埋めようと思っていたのですが、やめます。ただ、言えることは・・・今となっては少々、いや、多々、自分の中で美化してしまっているかもしれませんが・・・私には家内が、家内には私がすぐに(いいところも悪いところも)「分かり」ましたし、(いいところも悪いところも)受け入れられました。

家内の生前、私は家で楽器の練習をしたことは、よっぽどのことがない限りありません。仕事にもついているのに、帰宅すると家事に専心してくれる家内を前に、私だけ楽器を弾いている、だなんて、とんでもないことだと思っていました。ですから、オーケストラでやる曲にしても、基本は普段はイメージトレーニングだけです。楽器を手にするチャンスは、練習当日しかありませんでした。(今は今で、自分が家事に追われて、弾けておりません。)
家内と過ごした最後の一年の、初めの頃、そんな私が、ちょっと野心を起こしました。1年半計画で、ベートーヴェンの協奏曲を覚えこんで・・・この計画どおりですと去年の春にあたるのですが・・・合宿に集まるオーケストラのメンバーに頼み込んで伴奏してもらい、家内の前で弾いて聞かせて驚かそう、というものでした。

予定通りに、実際に弾くことが出来た際には、家内は既にこの世の人ではありませんでした。
そのかわり、初めて協奏曲というものを勉強する気になってみて、こうして「好き」とはなにか、を突っ込んで考えるチャンスを、家内は与えてくれたのかな、とは、今になって思うことです。

ベートーヴェンについては、ジノ・フランチェスカッティというイタリアの名手の校訂譜を使い、実際に彼の演奏の録音で彼の音を記憶し、指使いが校訂譜通りでないことまで聞き取るところまで試みました。私はもともと、家にお金もなければ、音楽好きもいませんでしたから、ヴァイオリンについては殆ど独学です。なので、オーケストラでお世話になった恩師や本職の友人に過去(直接にベートーヴェンの曲についての話を聞いたことはありませんでしたが)教わったことを総合して考えようと努めました。
・・・出来は「まあ、こんなもんか」というところでした。もちろん、とても家内以外の人様にお聴かせできるシロモノではありませんでした。が、自分なりには、勉強しただけの甲斐がありました。自分が本当にはヴァイオリンを「好き」といえるには至っていないことを、しっかりと思い知らされましたから。

4988017605721_2先日亡くなった江藤俊哉さんがこの協奏曲をお弾きになるのを大学時代にバックで演奏して、非常な衝撃をもって印象づけられたことは、思い出話の中で述べました。

今年は、メンデルスゾーン協奏曲に挑戦してみようかと思って、実は、江藤さんの亡くなる一週間前に、江藤さんの校訂なさった楽譜を入手したばかりでした。・・・この校訂譜、ただ読むと、
「え? なんでこんな回りくどい指使いをしなければならないの?」
という箇所がたくさんあります。

で、これは江藤さんご自身がどうお弾きになっていたのかを知る必要がありました。
江藤さんのメンデルスゾーンの録音は、単独盤でもお店に並んでいるのですが、今でも入手できるCDを調べまくり、いわゆる4大協奏曲全てが網羅された上に、ブルッフもラロも、あるいはピアノ伴奏の小品も収録されている4枚組の「江藤俊哉の芸術」を入手することに成功しました。

これにおさめられたメンデルスゾーンの演奏を聴いて
「ああ、江藤さんは、やっぱり校訂譜に書いた通りの指使いで弾いている!」
ということが・・・楽譜そのものは目の前にしないで・・・はっきりと聞き取れた時には、
「これで、ようやく、私にも『ヴァイオリンが好きだよ』と言ってもいい資格が得られたかな」
と、一瞬だけ、感じられました。
たった三つ、されど三つの、私にとって大きな収穫があったからです。

・江藤さんはこういう(CDで聴き取れるような)表現をしたいからこそ、この指使いにしたのだ、が理解できたこと

・だがそれは、江藤さんの技術があったから初めて出来たのであること

・私の技術、最も良く出せる音では、もっと安易な技術に頼らざるを得ないので、江藤さんの指使いでは演奏できない個所があること

が分かったのです。

楽器を手に持つ人は、とかく、その楽器の名曲にはやたらと手を出してみたくなるものですし、それなりに弾ける・吹けるようになれば人前で披露もしてみたくなるものです。
それは、根本的には間違っている、と、今の私には断言できる気がします。
まず、やたらに手を出しても「この楽器で、この作品で何を勉強すべきなのか」を悟ることは、良い指導者がいなければ不可能ですし、また、本人にもそれなりの受け入れ態勢が無ければ不可能です。
人前での披露は、「勉強した収穫」を聴いて下さる方に悟ってもらい、「さらにこうしなければならないな」とアドバイスを受けられるような場所でやれるのでなければ、無意味です。

なにより、まず私自身を省みて言うならば、入手した江藤さんのCDのライナーノートにいみじくも書いてあった通り、
「スメタナ四重奏団の4人も『自分たちは室内楽奏者であり、スークは独奏家。同列には論じられない』と語っていた」
との言葉の、もっとずっと低レベルな次元での話で、
「私はアマチュアオーケストラの『アンサンブルを演奏する』奏者であり、プロのオケマンも、ましてやバリバリのソリストとも同列に論じられない」
のであります。

ですが、アマチュアオーケストラの一団員の心構えとして、単に「みんなといっしょ、たのしーなー」では、音楽は私の生涯の友ではありませんし、弾いているヴァイオリンを「好き」と言うにも値しません。

そんな団員である私にとって、協奏曲の勉強は、自分の独奏のためのものではなく、アマチュアのアンサンブルをどう滑らかにしていけるか・・・それには、滑らかに演奏できる技術を団友に、「如何に分かりやすく伝えられるようになれば良いのか」を前提としてなされるべきものです。アマチュアが採り上げ得る普通のオーケストラ曲ではとうていお目にかかれない技術、それを習得すべき方法論が、協奏曲を子細に検討することで、むしろオーケストラ曲よりも簡単明瞭に明らかになったりする。
家内を失ったことがもたらしてくれた、「好き」とはどういうことなのかを思い知らせてくれる、想像もしていなかった新世界でした。

日々、しかし、私はまだまだ、この世界を見失って生きています。
時々思い出しては・・・ああ、やっぱり、自分のような者には「好き」という言葉を口にする資格さえないのかもしれない、と感じています。

一瞬を心にしっかりと刻む、というのは、なんと難しいことか!

このまんまの生き方では、あと12年も命があれば、私はもうおしまい、でも構わないのです。
その頃には子供達も充分に独り立ちし、自分で自分を探す力を付けてもいるはずですから。


・Hさんの大好きだったパールマンの、13歳の時の演奏


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2008年2月 6日 (水)

モーツァルト:何を求めて?〜セレナータ・ノットゥルナK.239

    あたしが、こんな、たあいもない、たあいもない、まったくたあいもない話を作ったのは、
    いかめしい、いかめしい、いかめしい、人たちを怒らせるため、
    そして、ちっちゃい、ちっちゃい、ちっちゃい子供たちを面白がらせるため

        ----シャルル・クロ「燻製にしん」から。渋沢孝輔 訳----



ここまで読んできたモーツァルト作品の個々へのリンクを作成し直しました。ご利用下さい。

この小さなセレナーデは、名前は知らずとも、
「あ、聴いたことがある! きれいなんだよね!」
耳にすればそう叫んでくれる方が多いのではないでしょうか?
・・・でも、意地悪して、ここでは音は載っけません!・・・というより、誰でも良く知っている調べを持つ作品を、誰でも納得のいく演奏で「ここに載せろ」と私を脅す方が、無理な注文と言うものです。そんなものはないのだから・・・って、誰にも脅されてなんかいないか。。。
(ホントはYouTubeにあった映像で気に入ったものが無かったのです。で、いちばん気に入っていたCDは、行方不明にしてしまっている、という始末。だからといって次点の演奏でお聞かせはしたくないし・・・ちょっと。悔しい。)・・・と思っていたら、ランスロットさんから吉報。

を、ランスロットさんのブログからどうぞ!・・・これ、結構、いい。ありがとうございました!


さて、1776年の作品一覧で明瞭になっているとおり、この年はセレナードとディヴェルティメント(後者は管楽器のための作品)が7作もあり、ザルツブルクの狭い市内を、ではありますけれど、モーツァルトが「機会音楽」作家としての活動に東奔西走していた様子が窺われます。
もしかしたら、モーツァルトのプライドからは「オペラ」や「協奏曲」がない分、翌年に表面化する彼の欲求不満のタネになった作品群なのかもしれませんが、ザルツブルクの社会という側面から見れば、むしろ彼が若干19歳でこれだけたくさんの注文を貰える「名職人」と認知されていたことを物語っていて、
「もし彼がこのままザルツブルクに留まっていたら・・・」
少なくとも、経済的にも安定し、処遇もミヒャエル・ハイドンより高いものを与えられたかもしれないのでは・・・と、つい勘ぐりたくなります。
ただし、ミヒャエル・ハイドンのほうのザルツブルクでの活躍度合いは私は把握していませんから、こんな憶測はミヒャエル・ハイドンに対しては失礼かもしれません。

根拠のない伝記的な要素に傾くので、深入りすべきではないのでしょうが、それでもモーツァルトがザルツブルクを離れたかった根源的な理由、そしてその原因を作ったのは、父親ではないか、と思えてなりません。
翌々年、いつまでもマンハイムに留まる倅を叱りつけたレオポルトですが、そもそもマンハイムに向かう(最終目的地はパリだったかもしれませんが)旅行を発案したのは、ほかならぬレオポルトだったではありませんか?
息子は息子で
「僕のような作曲の天才が!」
と、翌年だったか翌々年には口走るありさまになるのですけれど、父はこの発言については容認しています。
「ザルツブルクに埋もれたくない」
想いは、実はもともとレオポルトのほうが強烈に持っていたのであって、それが幼少のモーツァルトをオペラ作曲家に仕立て上げ、結局はミュンヘンやパリなどの大都会を志向させるべき「仕掛け」となった・・・ウィーンには、多分、ライヴァルの多さを大人として知悉していたために、深入りしなかったのでしょう。
翌年以降、息子の経済感覚のなさを盛んに戒めだす父ですが、そもそも息子から「健全であるべき」経済感覚を奪い取ったのはレオポルトではなかったのか?
この年の機会音楽の数々、分かる範囲での注文主の(ちゃんとは把握できませんが、想像しうる)経済的安定度を考慮すると、それらを一顧だにせず、息子を外地へ連れ出すことにのみ腐心したレオポルトの教育は、結局は自立していくヴォルフガングにとってマイナスに働く要素を、もともと孕んでいたのではないでしょうか。

セレナーデ、ディヴェルティメントは、ザルツブルクを出た後のモーツァルトには殆ど作曲することがなくなってしまった(弦楽の協奏曲も同様です)ものですが、少なくとも、この年の、管弦楽のための2つのセレナードのすばらしい仕上がりを耳にしてしまうと、
「惜しかったなあ!」
と溜息を漏らさざるを得ません。

ただし、モーツァルトがザルツブルクに留まった方が本当に幸せだったかどうか、ということとは、別の話にしておかなければならないでしょう。
ザルツブルクにいっぱなしでは、人間的には、そして創作の精神内容の深まりについては、厳しい現実に触れて自分の足で立つこと無しには、今残っているものより低い境地に留まってしまっていたでしょうから。

脱線はこれくらいにしましょう。



8楽章と言う大きな、音楽的にも充実している「ハフナー・セレナーデ」については、また別途、独立で見ていかなければならないでしょう。

だから、というわけではなく、小さいながらも、今回とリあげる「セレナータ・ノットゥルナ」も、1作だけ取り出して観察するに足る作品です。



作曲されたのは1月、構成は(無精をしてWikipediaから、各楽章の特徴の部分まで貼り付けましたが、小節数と注2個所は私が加えました。)

・第1楽章 行進曲、マエストーソ ニ長調 4分の2拍子 ソナタ形式 63小節
 ティンパニと弦楽の力強い導入のあと、独奏ヴァイオリンによる流れるような主題が登場し、展開部の独奏群と合奏のピッツィカートの対話があらわれる。

・第2楽章 メヌエット ニ長調 4分の3拍子(ト長調のトリオ付き)  メヌエット32小節、トリオ24小節
 全奏によるリズミカルな主題が始まり、トリオでは独奏楽器群が活躍する。
 (注:トリオは、独奏楽器群が活躍する、のではなく、独奏楽器群のみで演奏される)

・第3楽章 ロンドー、アレグレット ニ長調 4分の2拍子
 ロンド楽章。民謡風の主題が特徴的である。
 (注:43〜53小節にAdagioを挟んでおり、この個所はニ短調に傾斜を見せている)

で、演奏時間は12分程度。Wikipedeia該当記事にはさらに、
「モーツァルトのセレナーデの中では最も規模が小さい作品である。『ノットゥルナ』の表題は父レオポルト・モーツァルトが息子の自筆譜に記したもので、音楽的意味は明らかにされていないがモーツァルト自身は複数のオーケストラ群を用いた音楽をこう呼んでいたという。/実際この作品はティンパニ付きの2群の弦楽アンサンブルのためのもので、それぞれのグループは独奏群と合奏群の役割を担っている(これはバロックの合奏協奏曲を思わせる)。作品の成立の機会は不明だが、管楽器を省き、しかも1月の冬場に書かれていることから、室内で演奏されたものと考えられている。/なお、通常のセレナーデは野外で演奏されることが多く、楽士の入場と退場のために行進曲をつけることが多い。この曲の第1楽章が行進曲で書かれているのは、その通例に従っていることである。」という説明まで付いています。ただし、『ノットゥルナ』のタイトルの由来についての説の典拠は、私は知りません。

これはこれで、いいでしょう。

しかし、以上の記述だけでは、作品として注目すべき点が不明瞭です。



まず、第1楽章が「行進曲」であることについて。「室内で演奏されたものと考えている」のに、野外と同じ慣例に機械的に従う必然性はなかったはずです。かつ、行進曲の付されたセレナーデは、例外なく、大規模な作品ばかりです。
NMA(新モーツァルト全集)第13分冊の緒言に、パウムガルトナーの説として、
「この作品は、新年祝賀のためのものとして初めから室内向けに作曲された」
という推測を紹介していますが、これは、たぶん「当たり」だと思います。新年祝賀の場で音楽を演奏するのでしたら、その作曲者はおそらく多岐にわたったと想像してよいでしょうし、するとまず、モーツァルトの「セレナーデ」の中で、このK.239だけが3楽章と小規模な理由も明快に説明できます。(3楽章という構成については、モーツァルト自身は本来既に卒業したはずではあるのですが、イタリア風「シンフォニア」の形式であるところ、ちょっと気にはなっております。)

で、それなら何故、冒頭が「野外で」の習慣に従った「行進曲」なのでしょうか?
・・・景気付け、なのではないか、というのが、私の憶測です。現在、ウィーンフィルのニューイヤーコンサートで、必ず最後に「ラデツキー行進曲」で景気よく終わるのを慣例化しているのと、同趣旨だったのではないか、と思うのです。ただし、演奏されるのはモーツァルトのこの作品ではいちばん最初なので、ウィーンフィルのニューイヤーコンサートとは全く逆です。ですから、憶測ついでにまた独善的見解を加えるならば、「セレナータ・ノットゥルナ」は、1776年のザルツブルクの新年会ではいちばん最初に演奏された曲目だったのではないか・・・

じゃあ、2番目は、3番目は、となりますが、当時ザルツブルクに居並んでいた音楽家達で作曲で認められていた人は数人しか知りませんし、中ではミヒャエル・ハイドン以外に具体作を聴いたことも楽譜を見たこともありませんから、推測のしようがありません。ただ、モーツァルト(ヴォルフガング)が最年少の作曲家だったことは明らかですから、あとは年の順、もしくは地位の順か大司教の愛好度の低い順(いちばん愛好していた人物の作品をトリに持ってきたのでしょう。紅白歌合戦と同じで、そこは、一般聴衆は順番決めに参与の余地なしだったとおもっていいのでは?)だったのかなあ、などと想像しております。・・・で、トリは、おそらく、翌年ザルツブルクの「聖三位一体教会」のオルガニストに就任することになるミヒャエル・ハイドンか、モーツァルトよりずっと年長だった第1コンサートマスター氏のいずれかだったのかなあ・・・想像し切れんことを想像するのは、やめましょう! 私、イマジネーションが貧弱ですから!



次には、「ティンパニ付きの2群の弦楽」というのが、ミソです。
こんな編成でかかれた作品が、当時他に存在したのでしょうか? 疎い私は、作例を知りません。
・・・管楽器を含まないのに、ティンパニだけは入っている。
・・・これは、「室内で演奏された」にしても、ある意味、不可思議な編成です。実際、そこからもたらされる音響世界は、聴衆にとって斬新なものだったはずです。
知る限り、打楽器と弦楽器だけで名前の売れた作品は、ずっとあとのバルトーク(「弦・打楽器とチェレスタのための音楽」)まで存在しません(珍曲を探せば、皆無ではないかもしれませんね)。
2群の弦楽器、と言う表現も、正しいとは思えません。ひとつは「弦楽四重奏(但し、最低音部はオリジナルはヴィオローネ)」であり、一つは「弦楽合奏」なのですから。これを「群」として一括して見るのは、いかがなものか、と感じます。

この編成は、たしかにコンチェルト・グロッソ(Wikipediaの本文で言う「合奏協奏曲」)の流れを組んでいるといっても構いませんけれど、音楽内容は全く違っています。
どうしてもコンチェルト・グロッソの流れでとらえたいのなら、コレルリ〜ヘンデルの系譜のそれであって、独奏協奏曲へとダイレクトに繋がっていくヴィヴァルディやジェミニアーニ(後者はコレルリとヘンデルの中間的な作風ですが)の系譜ではありません。
であってもなお、独奏部と合奏部の対話が、バロックのコンチェルト・グロッソとは全く違った発想で書かれている。
「セレナータ・ノットゥルナ」の独奏部は、コレルリやヘンデルに比べても、決して「独奏者の技巧、あるいは単独の演奏家としての音楽性の豊かさを披露する」という発想に、全く縁がありません。・・・鼓膜を裏返したりひっくり返したりすれば、コレルリやヘンデルなら「ああ、いいソリストが弾くことを願って書いたんだろうなあ」としみじみする個所があるのですけれど、モーツァルトの「ノットゥルナ」には、ありません。独奏群の4人は、常に4人で一体と成った音楽を演奏することを要求されています。
もうひとつ、合奏部(トゥッティ)との対話も、コンチェルト・グロッソの類とは異なり、間隔が短い。
すなわち、独奏部は、合奏がケーキのスポンジだとしたら、それにのっかるクリームやイチゴのような、色づけ・香り付け・味付けとして使用されている。
そういうふうに感じ取って聴いてみると、
「もしかしたら、独奏群は、木管群の『より器用なことができる』代理者として組み込まれたのではないか?」
と考えられる。
で、強引な話が続きますが、独奏群を木管群の代理者だ、と見なしてよいのなら、「弦楽とティンパニ」という変則的な編成でこの作品が成り立っている理由も明快になる、と思うのですが・・・強引過ぎますかね?



つまるところ、以上の諸点を考慮しますと、「セレナータ・ノットゥルナ」(このタイトルは、自筆譜には父の手で加えられているのですけれど・・・NMAに最初の頁の写真版が載っていますから、どなたも確認出来ます)は、3楽章という規模もあいまって、なのですが、ヴォルフガング自身の頭の中では、この時期作曲が出来なかった「シンフォニア」だったのではなかろうか、というのが、唐突ながら私の「究極の」ひとりよがりな見解です。

こういう見解を出すなんて、わたくし、性、狷介。
・・・お寒い時期に、お寒くて、大変申し訳ございませんでした!


HMVでのCD検索結果

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2008年2月 5日 (火)

チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」(2)全体像と読譜上の注意点

まとまったことを綴る前に。
「ウツ」だし、「ヤモメ」だし、職場の人が気を使って下さるので、家事を理由に毎度遅れての出社、夕食や子供の習い事を言い訳に定時での帰宅を許して頂いているだけでも心苦しいのに、対外折衝の出来ない状態ですので、1、2月は仕事が暇です。ですので、繁忙期なら昼休みや電車の中でメモしたものをもとに綴っているブログも、今は職場のPCで下書きしている頻度が高い。何もしないより、頭を動かさなければいけないから、申し訳ないと思いつつ、そうしています。

寛容な職場の皆さんに(このブログのことは殆ど職場では知られないようにしているのですが)深く感謝している次第です。



・「悲愴」が「悲愴」ではない、ということ
・この交響曲の前に、チャイコフスキーは「人生」交響曲を思い描いていたこと

を、既に<前提>で述べましたから、作曲者の精神的背景についての記述は、もう済んだものとして話を進めましょう。

各楽章ともメロディックで明快に聞こえますから、あまり「構造がどうのこうの」ということに立ち入るのは、本来無意味なのかもしれません。
何故か?
「悲愴」が明快な理由は、チャイコフスキーが、音楽をいかにも「部品」で作り上げたように見せることを巧みに避けているところにあります。
ですから、鑑賞する立場であるだけなら、ただ音楽の流れに身を任せ、それによって自己の内面にかもし出される「わが人生への情緒」に、聴き手が浸ることを、この交響曲は無条件に受け入れる。

初演で聴衆の反応が今ひとつだったにも関わらず、この第6交響曲が「最も満足な作品」であるという自信が、チャイコフスキーにとってゆるぎなかったのは、彼が自作のこうした普遍性を良く計算し、理解していたことを物語っているかと思います。


私達(TMF)は、今回は演奏者側に回るわけですから、やはり全体像は一緒に演奏するメンバー同士で共有しておかなければならない。
・・・ただし、そこに主観的な意味付けをすることは、(比喩を使ったほうが分かりやすい場合を除き)可能な限り避けていこうかと思います。
「悲愴」の作曲された1893年の前後は、ショスタコーヴィチの生きた混迷の時代に比べ、(ほんの半世紀前ではありますが)ヨーロッパ情勢も、ロシアも、比較的安定していました。4年前の1889年にはパリ万博が開催されているほどです。・・・ロシア国内にしても、ほぼ10年前に起きた皇帝暗殺事件の暗い影も、この頃には薄れていたかのように見えます。
ですから、チャイコフスキーが描いた「人生」は、人々に共有されるべき強烈な何ものか、であるよりは、個々人の内面に眠っているものを静かに起こして、
「あなたのなかで、あなたと語ってみて下さい」
そうささやきかける類の音楽になっている、ととらえる方が妥当ではないかと考えております。

では、チャイコフスキーの計算した「普遍性」がどうやってもたらされたか。
この交響曲、ベートーヴェン的な意味で、ではない「動機」活用を存分に駆使しています。方法論的には、「積み重ね」方式ではなく、悪口で言われた「パッチワーク」の方が似合う、しかし、そんな表現では済まない、非常に精緻な「縫い合わせ」方式での動機活用であるため、旋律性が損なわれず、調べが如何に悲劇的な部分であっても、聴衆を疲労させることがありません。

「前提」では断片的な特徴についてのみ述べましたが、全般には、この交響曲は大きくは4つの要素を全楽章に一貫して用いることで成り立っています。

1)標準的な全音音階の上昇と下降・・・全体的に、あるいは部分的に
2)協和音程の跳躍・・・完全8度、完全5度、長3度、短3度、あるいはそれぞれの反転
3)同一音による「タタター」というリズム
4)以上3要素の、文脈の中での必要性に応じての非和声音付加あるいは増減音程化

羅列してみると特別なことのようですが、現実の音符を眺めると、「楽典」の教科書の実践に過ぎないんじゃないか、と思えてしまうほど、あまりにも「あたりまえ」な要素ばかりです。

「じゃあ、他にこれだけの単純要素で作り上げられた音楽作品は巷に溢れているんじゃないか?」

・・・いえいえ、そんなことはありません。
モーツァルトにも、ハイドンにも、ベートーヴェンにも、勿論それ以前以後の有名作曲家にも、これだけ簡単なルールだけで一貫した音楽を作り上げた例は、あまりないのではなかろうか、と思います。
チャイコフスキーの4番以降の交響曲に限っても、この4要素に当てはまるかどうかをお考えになってみていただければ分かりますが、
例1)第4〜終楽章の音階下降の主題は、「ドーシーラソ」までは確かに音階のまんまですが、次からは「・・・ミソラシラソファミドミファソファミレミレドシドシラソラソファミレ・ソ・ド!」と、複雑です。
例2)第5〜冒頭のテーマを第6と比較したとき、第6は「3度上昇2度下降」という比較的単純な(1番目の要素しか使っていない)構造なのに対し、第5では「ドードド|レードシ|ドーラー」、と、同音反復・3度下降・3度跳躍という3要素も使っていて複雑です。
6番では、こうした複雑に入り組んだ使われ方で各要素が現れることは、全くありません。

いかが?

以下、括弧の中は、マニアックでない方・・・この記事をまっとうに読んで下さるかた自体、もう既にマニア、だとは思うのですが・・・より程度が高いマニアと言う意味です・・・は、サラッと通り過ぎて下さい。

(旋律については「移動ド」と呼ばれている読み方を採用していますが、ホンネは最近、「移動ド」とか「固定ド」という呼び方は適切なのかなあ、と疑問に思っています。理屈はともかく、私は「移動ド」読みに関しては「旋法読み」という呼び方に変えたいと思います。現在の西欧音楽の場合には、<旋法>は「長音階」と呼ばれているものと「短音階」と呼ばれているものの2種類しかありませんが、それぞれを「長旋法」・「短旋法」と呼んでもいい、と考えています。・・・とはいえ、一般的ではない上に独善的な見方かもしれませんから、「長音階はドレミファソラシド、短音階はラシドレミファソラ、と読みまーす!」と宣言しておくに留めます。)



各楽章は、上記の4要素のうち、どれを前面に打ち出すか、によって、それぞれの章の「色づけ」を決めてあります。

第1楽章:要素1)・・・弱奏の部分は3度上高2度下降、強奏の部分とコーダは音階下降
第2楽章:旋律は要素1)と4)、伴奏部に主部は要素2)、トリオは要素3)。(この絡みが重要)
第3楽章:要素2)。印象付けの素材は要素3)。但し、序奏部は要素1)に要素4を加えたもの。
第4楽章:要素1)、下降系主体。コーダは要素3)

第2楽章がいちばんおしゃれに聞こえる理由は、4要素が豊富に「前面に」押し出されているためだ、ということが、以上から伺えるかと思います。

なお、要素3)は、第4・第5交響曲でチャイコフスキーの「運命の動機」と呼ばれているものと同じものだ、ということは付言しておくべきでしょう。第4楽章をこの要素を用いている意図も、それによって明らかになります。(第4では「ドードドドド|ドー」でした。第5でも始まりは「ドードド」です。

以上、
・「悲愴」は4要素だけで出来ている
点、ご銘記いただければ幸いです。
具体的には各楽章でまた見ていきましょう。



各楽章を見ていくときに、参考の音声をつける所存ですが、それには次の素材を用います。
・カラヤン1954年来日時の、NHK交響楽団を振った演奏
・岩城宏之、最後のN響定期での演奏
この2つを対比します。
おなじN響であることも、なのですが、2つを比較して面白いことに気づいたからです。

1954年のカラヤンは、まだ世界的メジャーではなかったため、この年、N響に呼ばれて何十回も演奏するという、翌年以降では絶対に考えられないことをしてくれています。
で、このときの「悲愴」の録音・・・人格や、残した演奏についてはこんにち様々にいわれてしまう人ですが・・・スコアに実に忠実であることに気づき、私は聴いていて驚愕してしまいました。また、当時N響のメンバーが必死でカラヤンから「アンサンブルの本質」・「音楽の本質」を吸収しようとしている姿勢が鮮明に出ています。カラヤンのモノラルの「悲愴」録音は1949年のベルリンフィルとの物が、なんとダイソーで105円で買えてしまうのですが、日本人はまだまだ拙かったかもしれないとはいえ、54年の演奏では49年のベルリンフィル以上に「熱く」音楽に向かい合っています。
岩城さんとの最後の定期の方は、悪い演奏ではない・・・初めて聴いたときには私は非常に気に入ったのですが・・・、でも、54年の演奏に比べると、N響のメンバーが、大切な何かを忘れているのが感じられます(あくまでこのときの演奏に関しては、ですから、念のため)。岩城さんも、スコアに忠実だとは言えない。音楽も音色も、途切れる個所が多い。これは、54年の演奏と対比してお聞かせしようと考えております。



断片的なサンプルに終始しますが、お聴きになるにあたって、とくに金管群のかたにご注意いただきたいのは、
「主観的な耳で受け止めないで欲しい」
ということです。
特に、ムラヴィンスキー盤をはじめとするロシア系の演奏では、強奏の個所では金管はバリバリに割れた音色で聞こえますが、これは彼らがアパチュアを意図的に狭くして音を鋭くしているためでもあり、肺活量も相当あるために実現できていることです。それが証拠に、第1楽章のコーダでのトランペットのp(ピアノ)は、実に柔らかい音色に変化しています。・・・さらに、強奏部分でも弱奏部分でも、金管セクションとして楽器の違いを超えて音色感を統一させており、和声もきっかり構築している点は、是非、冷静な耳で、かつ、自分はどうしたらそれが実現できるかを考える頭で、聴いていただければと存じます。

打楽器は、出のタイミングでいかに他のパートを聴いているか・・・つまりは音楽の流れを理解しているか、というところに立ち返る材料として聞いていただけるとよろしいかと存じます。音色感もまた然りで、場合によっては、用いる楽器そのものを考えなければなりませんし、予算がなければ(ないですけれど)いまある道具で最もいい響きを出すにはどうするか、再考しなければならないと思います。

木管群はユニゾンでの音程の正確さと、溶け合ったときの音色を学ぶべきでしょう。また、セクション内でいかにお互いのタイミングを読み取るか、また、弦・金管の橋渡し役としてどれほど重要な役割を荷っているか、を肝に銘じて頂くには、この作品は恰好の素材だと思います。

弦楽器は、まず、「大勢いるから一人くらい弾けなくても・・・」という甘えを断つ、という、他セクションに比べると最も基本的なことから考え直していただければと存じます。

最後のほうは僭越を申し上げました。
職責に免じてご容赦下さいますよう、心からお願い申し上げます。



   ・前提
   ・全体像
   ・第1楽章
   ・第2楽章
   ・第3楽章
   ・第4楽章

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2008年2月 4日 (月)

なぜできないか

    私の理性が舵を握ろうとしたけれど無駄だった
    嵐が荒れ狂ってその努力をくつがえし、
    私の魂は踊った、踊った、古ぼけた艀(はしけ)となって
    帆柱もなく、魔物のような涯(はて)しない海の上で!

     ----ボードレール「七人の老人」から。安藤元雄訳----



「なぜできないか」
を、悩める人は、幸せなのかなあ、と思います。
出来ないことにとらわれると、苦しい。だから、本人は<悩まない人の方が幸せ>だと思いがちです。・・・かく言う私も、そう思いがちです。

「もてない」・「パズル解けない」・「人を笑わせられない」・・・

人を笑わせなくても駄洒落を連発している人を身近に見て(まあ、自分も似た人種ですけれど)、
「この人、幸せだよなあ」
と思いましたが、彼は別に笑いのプロでもないし、「笑い」が趣味でもないし、「笑い」が生きがいでもないから、構わないのでしょう。考えようによっては、つまらない。
悩むことができる、悩むことの数が多い、・・・モノは見かたで、その方が、その人は心に誰よりもたくさんの宝物を持っている。
「じゃあ、どうしたら・・・」
と、解決に向けての前向きな心を持つこともできる。

諸事ありますが、きりがありません。
ブログの主旨から、「演奏」について述べます。(他の事柄に敷衍して読んで頂けても嬉しいです。)
なるべく手短にします。
(念頭には、自分自身とTMFメンバーの皆さんがありますが、そこは各位にお汲みとり頂ける事を信頼したいと思います。)

曲を聴いているときには
「あれ? ここの音、違う!」
「この演奏家、ここで音がひっくり返ってやがる!」
そういうことには、人は大変敏感です。そういうヘマをやる人に対して「責める」ことにも、非常に積極的です。常々、思います・・・人間って、本来、とっても意地悪なのね。

じゃあ、自分が演奏する側に回ったら、どうでしょう?(アマチュア前提!)
「ああン! こんなの、音符が細かすぎて弾けやしないわア!」
「この音、高すぎて、当てらんねえけど、練習時間も取れないから、まあ、いいや」
「音程合わないって言われるけどさあ、楽器の癖なんだから、仕方ないじゃん!」
・・・大雑把に言って、だいたい、私たちはこれくらいの言い訳は、常に用意していませんか?

細かすぎるなら、楽譜をよく読み直して、ゆっくりさらって、確実に拾えるようにしていけばいい。
(次のこととも関係しますが、楽器を持つことがむしろ害になる場合もあるのは注意が必要です。)

練習時間が取れない、というのは「楽器を持っての」練習時間をさすことが多いかと想像しますが、だったら、楽器を持たないで効果をあげられる練習の工夫をすればいい。

音程については、最近とてもいい本が出まして・・・別に演奏の本ではないのです。講談社のブルーバックス、という、科学専門の新書です。最後にアフィリで紹介しますが、この中で、一言だけながら、とても大切な発言に出会いました。
主旨をまとめますと、
「バンドとかオーケストラって、ピアノなんかと違って、音程作りの条件がそれぞれに違う。だのに《いい響きがする》ってのは、お互いがいい響きを目指して、お互いの耳を調整しあっているからなんでしょうね」(本文そのものより、私の解釈で多少【いや、多々?】内容を拡大していますが)。

この3つ、どうか、じっくり考え直してみませんか?

今週から、
・TMFのためには「悲愴」の読みを通して
・自分のためには、自分が取り組み始めたある曲について:それで気づいた自分の欠点を通して
私も考察していきたいと思っております。

・・・手短、になっていたかな?

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著者:小方 厚

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2008年2月 3日 (日)

雪景色・・・ラフマニノフ

    ・・・村は、深い雪のなかに横たわっていた。
    城山は、なにひとつ見えず、霧と夜闇につつまれていた。
    大きな城のありかをしめすかすかな灯りさえなかった。
    Kは、長いあいだ、国道から村に通じる木の橋の上に立って、
    さだかならぬ虚空を見上げていた。
      ----カフカ「城」冒頭。前田敬作 訳 新潮文庫----

今朝、窓を開けたら、雪が積もっています。
記憶するかぎり、東京近辺ではほぼ10年ぶりの積雪ではないかと思います。

東北育ちなので、関東に来たばかりの頃は、殆ど雪が積もらないのがつまらなく思えました。
けれども、こちらで雪が降ると電車が止まるし、通勤に差支える。
それから、積もった雪に、あろうことか、お湯をかける人がいるので、路面が凍る。
そういったことに辟易して、
「ああ、東京辺りじゃ、雪が降らない方がいいなあ」
だんだん、そんな風に気が変わってきておりました。

私よりずっと北の生まれである亡妻の実家へ、正月に帰省すると、必ず雪景色でした。
雪国の方はよくお分かりの通り、いつも積もるくらいの地方では、さらさらと小粒の雪が降ります。積もった地面を踏むと、キュッ、と締まった音がする。
ですが、今、関東に降っている雪は、ぼた雪です。
なので、路面に落ちたとたんに溶け始めて、ぐちゃぐちゃのべたべたになる。

家内の急逝から1年経って、家内の実家に行くこともなくなって、こんなに真っ白な景色を目にすることがあるとは思っていませんでした。
家内の出身地がそうだったから、ということ以上に、雪は私たち二人が一緒になったときのこと、子供たちと楽しく過ごした時間のことを、いやでも思い出させてくれてしまいます。
ですので、出来ることなら、見たくありませんでした。

なのに、いちど眺め出したら、目をはなすことが出来ません。

結婚する、と決めてからは、まだ住むところも考えちゃいないのに、毎晩一緒にどこか泊るところを探して過ごし、朝になると、それぞれがそこから出勤をする、というジプシー生活をしました。3ヶ月間ほど、そんな暮らしをしました。
その年、関東には珍しい大雪が降りました。
前の晩の宿は神社の近くでした。
家内は車通勤ですから、チェーンを巻けるかどうか心配しましたが、大丈夫、ということでした。
家内と分かれて勤めに向かった私は、神社の参道をを歩いて、駅に向かいました。早朝でしたので、まだ雪はべたついてはいませんでした。
日が射していたわけではないのに、まだ人の足跡もない参道の白さが、とてもまぶしかった。

子供たちが大きくなったら行こう、と言っていた家族スキーも、家族4人だけでは3回、祖父母もしくは従兄弟たちと一緒を含めれば他にも数度、実現できました。今となっては、実現できて幸せだったと思うばかりです。

雪の似合う音楽は、やはりロシアのものにかぎります。
チャイコフスキーも、そうです。

が、なんといっても、ラフマニノフがいちばんでしょう。

独身時代以来、仕事の業績がぱっとしない私は、彼の音楽の優しいメロディに助けてもらいっぱなしでした。
とくに、交響曲第2番は、ピアノ協奏曲の2番3番と共に、硬いタイトルでは勿体ないほど、ポピュラー系しかお聴きにならない方にもお勧めできる、耳に優しく、でいながら心を強く刺す切なさも持ち併せた作品です。

この作品、しばらくの間、短縮版で演奏されるのが普通だったそうですが、アンドレ・プレヴィン(若い頃はジャズミュージシャンで、これがまたうまいのです!)が完全版をロンドンで復活演奏して以来、完全版での演奏が定着するようになりました。

本当は第1楽章が最も「雪国的」、第2楽章が「吹雪のよう」で大好きなのですが、YouTubeにあったのはメロディの美しさで最も親しまれている第3楽章ばかりでした。
復活上演の立役者プレヴィンが昨2007年にNHK交響楽団を指揮した映像をリンクしておきます。

(真ん中の右向き三角をいったんクリックし、輪郭がくっきりしたらもう一度クリックすると再生されます。ダメなときは画面なかのどこかをダブルクリックするとYouThbeそのもののページに飛んで再生されます。・・・当ページ上で画像が上手く再生されなくても、他にはPCにもネットの閲覧にも何の支障もありませんから、ご心配なく。)

第3楽章前半

第3楽章後半から第4楽章前半

第4楽章後半

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2008年2月 2日 (土)

曲解音楽史:26)十字軍時代前後のイスラーム

前の回:1)音という手段 2)リズムの成立 3)音程から音階へ
    4)言葉と音楽  5)トランス 6)古代メソポタミア
    7)古代エジプト 8)古代インド  9)古代中国 10)古代ギリシア
    11)古代ローマ 12)初期キリスト教の聖歌について
    13)ササン朝ペルシャ  14)西暦5,6世紀ユーラシア音楽横断
    15)中世前半の西ユーラシア  16)唐朝と朝鮮・日本 17)「声明」の伝来
    18)モンゴルと中央アジア北方 19)「十字軍時代」の西ユーラシア
    20)日本固有(?)の古歌 21)グレゴリオ聖歌
    22)平曲と能楽:付)発声法について 23)アンブロジアン聖歌・ローマ聖歌
    24)西ヨーロッパ中世 25)ジョングルール



中世の西ヨーロッパ音楽、その前に、十字軍の頃にはイスラム圏とキリスト教圏では相互の交流の痕跡がユーラシア西方全般に残っていることを見てきました。
いずれの際も(調べきっていなかったこと、資料の見当をつけかねていたことから)、西ユーラシアの音楽は、実はイスラム圏主導で進展したと思われる、という点についてはひとことも触れていませんでした。

前回のジョングルールの活躍はまだしも、トロヴァドゥールをはじめとする吟遊詩人の歌の根源は、イスラム圏の音楽にあった、とみなすことが妥当なようです。・・・それは、12〜13世紀の西ヨーロッパの学術一般が、ギリシャやローマの本当に主要な古典(プトレマイオス、アリストテレスの形而上学、ユークリッドの「原論」など)が、この時期初めて、アラブ世界からのかたちで西ヨーロッパにもたらされたのと軌を一にしています(「12世紀ルネサンス」講談社学術文庫)。占星術・数秘術も、同じときに初めて、西ヨーロッパ世界がイスラームの人々から学んだものです。占星術は当時は必ずしも「迷信」ではありませんでした。正しいホロスコープを書くためには、構成や惑星の運行について精緻な数値データが必要であり、それはまた、キメ細やかな天体観測に基づいて評価されたものでした。かつ、太陽・月・各惑星(水・金・火・木・土)に対する性格付けは、背景にギリシャ哲学を持っており、宗教的であるよりは哲学的だったのです。それがまた、イスラーム世界では占星術が退けられなかった理由でもあったでしょうし、同様に本来「占い」を否定しているはずのキリスト教世界でも違和感なく受容された背景になっていたのではないかと思われます。すなわち、地動説が一般化するまでは、「占星術」は、日本語のこの訳語にもかかわらず、科学だったわけです。・・・面白いもんです。

イスラームというと、私たちは

「あれ、公式には音楽を禁じているんじゃなかったっけ?」

そう思っているでしょう。

ですが、14世紀のアラブの歴史家イブン・ハルドゥーンが「歴史叙説」(岩波文庫所収、全4巻、森本公誠訳)に述べていることからは、禁じているのは「コーランの読誦を音楽とすること」のみであることが分かります。

彼の叙述から判明する、もうひとつ注目しておくべき事実は、イスラームに縁の薄い我々が持っている、「アラブ圏の音楽はモノフォニー」という常識に反し、彼らはすくなくとも「和声」についての知識も理論も持ち合わせていた、ということです。残念なことに、イブン・ハルドゥーンが音楽について述べているのは職業のあり方を並べ立てている箇所でのことでして、「学問としての音楽については後で述べる」といっておきながら、肝心の学問に関する事細かな記述の中に、音楽についての説明は漏れてしまっています。専門家の方ならまだしも、私は、したがって、アラブの音楽理論について手近に参照できる文献には巡り会えずにおります。ペルシア方面については、また事情が異なりますので、機会を改めて述べます。

いわゆるレコンキスタまでは、イスラーム世界はイベリア半島まで広がっていたのは、ご承知のとおりです。その名残で、イスラームが撤退した後のスペインの音楽は、他の西ヨーロッパ地域とはやや違った様相を見せることになります。その「スペイン」音楽のスタイルはイスラム圏各地(北アフリカ・中東・東ヨーロッパ)各地に伝播したようです。

イスラームそのものの材料は見つけそこなったのですが、イスラーム音楽の名残をとどめているだろう、と思われるユダヤ人の歌謡は見つけました。これをお聴き頂き、イブン・ハルドゥーンのいっていたことの真偽を、ご判断いただくことにし、今回はおしまい、としましょう。


メドレーになっています(容量の関係でモノラルにしました)。

 from "Sepharad" Ensemble Sarband DHM 74321 935642

(アルバム名の「セファラド」は旧約聖書のなかの「オバデヤ書」に出てくる地名に由来し、当時は「スペイン」をさすと考えられるのが一般的でした。)

なお、ハルドゥーンが「歴史叙説」第5章31節<歌謡(と音楽)の技術について>に掲げている、したがって、14世紀当時にアラブ文化圏(ただし、マグリブで、と書かれています)で用いられていた楽器の名称は、以下のとおりです。

*シャッバーバ(木管楽器、中空)

*ズラーミー(木管楽器、内部が二つの部分に仕切られていて、中空ではない)

*ブーク(真鍮製のラッパ。腕ほどの長さ。手のひらより小さい直径。多孔。ツィンクと同じ?)

*バルバト(球形の弦楽器)

*ラハーブ(同上)

弦楽器については、弓で弾くものと、はじいて弾くものがあることを述べています。
異常の楽器については学術書が20世紀前半に出ている旨注釈にありますが、私は現在のアラブ等の楽器との関連性について確認出来ていません。ご教示頂ければ幸いです。
いちおう、アラビア系の楽器について分かりやすく説明してくれているサイト(英語)は、
Arabic musical instruments
というのがありました。

十二世紀ルネサンス (講談社学術文庫)Book十二世紀ルネサンス (講談社学術文庫)


著者:伊東 俊太郎

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2008年2月 1日 (金)

急ですが:ピーター・ウィスペルウェイ・チェロ・リサイタルご紹介

リンク先を参照下さい!
ピーター・ウィスペルウェイ・チェロ・リサイタル
最初の1つの音を聴いて下さい! 映像も、左手の指板への置き方が大変に良いです!

これでピンときたら、2月2日午後3時は、ぜひ「つくばノバホール」へ!

2日追記:他の予定

2008年2月3日(日)14:00開演
紀尾井ホール 
バッハ「無伴奏チェロ組曲」全曲

【群馬】
2008年2月7日(木)19:00開演
前橋市民文化会館 
バッハ「無伴奏チェロ組曲第1番」、ベートーベン「チェロ・ソナタ第3番イ長調」ほか

ウェスペルウェイ氏のサイト
 http://www.pieterwispelwey.com/

日本語による紹介文

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チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」(1)前提

     お聞き、夜のなかで、
     ひとつの声が嘆くのを、
     「おもいだして」と。

     ----アルフレッド・ミュッセ「おもいだして」より。入沢康夫訳



最初に。
過日、ボロディン弦楽四重奏団の記事を読んで下さったsergejoさんに、当ブログを過分のお言葉と共にご紹介頂きました。厚く御礼申し上げますと共に、自分のブログをご紹介頂いた記事へのリンクは恥ずかしいのて、トップページにあらためてリンクを貼らせて頂きます。・・・また、気後れしますから、当該記事にはあらためてコメントはお入れしませんので、sergejoさん、ご容赦下さいね。
sergejoさんは、私などより広く「クラシック音楽」を楽しむための資料のご紹介に努めていらっしゃる上に、言葉は優しいのですが、「聴く」ということに、とても真剣にお取り組みであることが、お綴りになっている文から良く伝わってきます。「聴く」ことに真剣である、というのは、「人の心と常に思いやりを持って対峙する」、一つのかたちであるかと思います。心から敬意を表させて頂きます。


TMFのサイトでも、次回の定期演奏会のメインがチャイコフスキー「交響曲第6番<悲愴>」であることが掲載されました。

ですので、昨年ショスタコーヴィチの第5で試みたのと同じように、さっそく作品の検討にかかりましょう。

ダイレクトに作品そのものに入っていく前に(・・・実は、スコアはいま手元になく、気に入った版が見つからないので、新調も出来ていません【付記:この記事下書きしたあと、即、買いました】)、前提としてTMF団員各位に知って頂ければ嬉しいな、と思うことを4点、述べます。

第1には、<悲愴>というタイトルと、その是非について
第2には、この交響曲の創作の前身として検討しておく必要のある、彼自身の作品について
第3には、創作時期にチャイコフスキーが影響を受けたと思われる他者の作品について
最後に、作品理解にあたっての構造的な留意点について



第1の、タイトルの件からいきましょう。

タイトルはチャイコフスキー自身がつけたのですから、それはいいとして、<悲愴>という訳がすっかり板についてしまったこの作品、聴衆がチャイコフスキーに
「まさにレクイエムだ!」
(背景については末尾掲載の、音楽之友社版スコアに付された千葉潤さんの解説を参照下さい)
と感想を漏らしたり、冒頭楽章・終楽章(特に後者)が悲壮感(悲愴感ではなくて)を湛えているうえに、初演のたった9日後に作曲者が急病で死去してしまったため、一般的には未だに「死のイメージ」とだけ直接的に結びつけられ、演奏され、聴かれがちです。
交響曲について謎を深めたのが、リムスキー=コルサコフがチャイコフスキーに
「この交響曲には標題性を感じますが、どんな意味がこめられているのでしょう?」
と質問したところ、チャイコフスキーが
「いまは答えたくない」
と語り、結果的にその死をもって、永遠に意味が明示されることがなくなった事実です。(伊藤恵子「チャイコフスキー」音楽の友社2005 参照)

で、タイトルの日本語訳を<悲愴>とすることの是非については、楽譜研究などで大変すばらしいサイトをお作りになっているKANZAKIさんの記事の中に明確に綴られたものがあって(KANZAKIさんのサイトは、是非一度ご覧になってみて下さい。いろいろ為になるのですが、軽率に私のところにリンクしたりしてはいけないかなあ、と思って遠慮していました)、ここに以下の記述があります。

(引用)
自筆総譜の表紙に記されたロシア語のпатетическая(パテティチェスカヤ)は、辞書を紐解くと、「悲愴」というニュアンスとはちがって、「情熱的、感情のこもった」という意味が示されている。このずれは、森田稔氏が『新チャイコフスキー考 没後100年によせて』(ISBN:4-14-080135-2)の最後に次のように書いたこともあって、けっこう注目されるようになった。

日本語で「悲愴」と訳されているパテティーチェスカヤという単語には、ロシア語の辞書を引いても「悲愴」という意味は出てこない。これはロシア語では「情熱」とか「強い感情」といった意味の言葉なのである…(中略)…チャイコーフスキイはこの時まったく死ぬつもりなどはなく、遺言としてこの曲を作曲しようなどとは全然考えていなかった。つまり、作曲家の死後に、人々の間に形成されていった噂話がヨーロッパにも伝わって、この曲のイメージをすっかり変えてしまったことになる。

更に詳しくは、KANZAKIさんご自身の記述をお読みいただければ幸いです。
・・・終楽章の動機は前に「(失意に向かう)嘆きのイントネーション」の例として私自身が掲載したことがあるのですけれど、だからといってそれが「自身の直近の死を前提としての嘆き」であるとは決め付けられません。
・・・チャイコフスキー自身は1910年までは生きたい、と漏らしていたそうですし、交響曲第6番初演の翌年も、既にスケジュールがいっぱい詰まっていたそうですから。



第2の、第6交響曲の前身と考えられるチャイコフスキーの作品群ですが、以下のとおりです。

・バレエ「眠れる森の美女」(1889)
・オペラ「スペードの女王」(1890)
・オペラ「イオランタ」(1891)〜私は未聴
・バレエ「くるみ割り人形」(1892)
・ピアノ「18の小品」(1893)
ピアノ協奏曲第3番第1楽章(1893、以下の楽章は1895年タネーエフが補作)
〜最後の、ピアノ協奏曲第3番の第1楽章が、もとはチャイコフスキーが「人生」交響曲として企画したものの転用です。しかし、第6交響曲と音楽的に繋がるものは、どれほどあるでしょうか?

以上のうち、とくに交響曲第6番と(内面的に?・・・少なくとも、構造的に!)関連性があるかなあ、と感じているのは、「スペードの女王」、およびピアノのための「18の小品」です。

「スペードの女王」は、プーシキンの原作(岩波文庫に翻訳収録)に比べて入り組んだ筋書きの台本を弟モデストが作ったものにつけられたオペラですが、その筋書きは、不倫に近い恋愛のハシカ熱にうなされた主人公が、恋人を完全に獲得するだけの資金を手にするため賭博に手を出し、結局はすってんてんになって、恋人への詫び言をつぶやきながら自殺する悲劇です。・・・交響曲「人生」は変ホ長調として仕上がる予定でしたけれど、そちらでチャイコフスキーが思い描いた人生は
「第1楽章は、仕事に対する衝動や情熱、それに自信。短くしなければならない(挫折の結果としての最後の死)。第2楽章は愛、第3楽章は落胆、第4楽章は死(やはり短く)。」 (Wikipediaからの引用)
というものでしたから、「スペードの女王」に似通ったものがあります。
これに多少変更が加わった「人生観」が交響曲第6番に反映されている可能性は大きいと思います。

音楽としての「ストーリー付け」については、「18の小品」に、そのミニアチュールをいくつも聞き取ることが出来ます。
交響曲のそれぞれの楽章については「18の小品」の第何番だな、という紐付けも試みてみたのですが、この作品の録音自体は入手しにくいかと思いますし、楽譜については出版事情を把握しておりませんので、交響曲全体ともっとも関連性が深いかな、と感じられる (色の変わっている部分を右クリックすると別ウィンドウで聴けます。)お詳しいかたには「え? 逆なんじゃないの?」と思われる妙な言い方をしますけれど、この第14番、
<リストの叙情をショパンの技法で奏でている>
もので、交響曲第6番の全ての音楽語法の要素が集約されています。
例示はしませんので、お聴き取りになってみて下さい。
 M.Pletnev(piano),LIVE , June 2004 at Zurich Tonhale
Deutshe Grammophone 00289 477 5378



第3に、交響曲第6番創作の直近の時点で、チャイコフスキーはマーラーやリヒャルト・シュトラウスと出会い、影響を受けている、といわれています。
これは、チャイコフスキーの作品から省みても、なるほどそんなこともあるかな、と思われます。
ですので、チャイコフスキーが耳にした可能性のある、この二人の作曲家の、年代の近い作品を、参考までに挙げておきます。

マーラー:「交響曲第1番<巨人>」(1888)
R.シュトラウス:交響詩「ドン・ファン」(1888)、「マクベス」(1890)

・・・少ないかもしれませんが、有名曲ばかりですし(「マクベス」は、そうでもないか)、チャイコフスキーの第6自体とも思想的・情感的に近似性が認められる点は、着目しておいてもよいかと思います。



最後に。・・・これは、「演奏なさる」かたが、チャイコフスキーのこの作品を「暗記」して下さっていることを前提に述べます。(アマチュアであっても、演奏する以上は、旋律的な前後関係、付けられている和声を、本来は全て記憶していなければなりません。・・・勿論、全てのパートについて、どこでどの楽器が入る、という細目まで完全に記憶している必要はありませんし、和声の記憶は主和音か属和音か程度でいいのであって、なんというコードネームで表されるかまで細かくなくてもいい。でも、大切な音が何かは、曲全体をあらかじめ記憶していないと、慌てて練習しても見つけ出すことは不可能です。で、案外、聞いてくださるお客様の方が、よく覚えていらしたりしますから、肝に銘じたいところです。)

現在はどうなのか分かりませんが、私が子供の頃は、
「チャイコフスキーは<繋ぎ合わせ>で創作をした人だ」
・・・つまり、彼の音楽はベートーヴェンのように動機を積み重ねた建造物ではなく、パッチワークみたいな、いくぶん精神的価値の低い作品ばかりを作った、という評価が、日本では定着していました。私が初めて聴いた<悲愴>交響曲の録音(LP)の解説に、駄目押しのように、こう書かれていました。
「この交響曲も例外ではない!」

けれども、ちょっと観察すれば分かることですが、この認識は明らかに間違いです。
第1楽章冒頭のファゴットの2音上昇動機、その延長としての3音下降動機(第1主題の途中【木管主体の箇所】と弦楽器が有名なメロディを奏でるところで登場します)が、全曲を支配していることは、注意して聴けばすぐに分かることですし、次回以降はそのことに重点をおいて作品検討をしていきたいと思っておりますが、代表的な部分についてごくかいつまんでいえば、明瞭なのは

3音上昇2音下降の動機〜第1楽章ファゴット、ヴィオラの第1主題、第2楽章のワルツ主題(Ⅰ、Ⅱとも)
3音下降動機〜第1楽章第2主題(有名な旋律)、第4楽章の第1主題、第2主題

といったところですね。第3楽章は判別しにくいですけれど、テーマの部品として(たとえば3音上昇2音下降を3音上昇4音下降に延長したりして)有効活用されていますから、よくお聴きになってみて下さい。第2楽章での用法も、割合に複合的です。


ごちゃごちゃならべたててすみませんでした。 何卒、意をお汲み下さいますよう。 

追記:この記事の下書きをしたあと、帰り道にスコアを買いました。2004年版の音楽之友社のものが見やすく改善されていたので、それを購入したのですが、解説を読んで仰天しました。丁寧で適切な内容なのです。音楽之友社で刊行中の「作曲家○人と作品」シリーズでショスタコーヴィチの巻を担当された千葉潤さんのものでした。・・・私が上に綴ってきたことなんて、この解説を読めば、つまらんもんです。 が、せっかく綴ったので、載せます。ご容赦あれ!

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   ・前提    ・全体像    ・第1楽章    ・第2楽章    ・第3楽章    ・第4楽章


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