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2008年2月26日 (火)

チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」(4)第2楽章

    街に雨が降るように
    わたしの心には涙が降る。
    心のうちにしのび入る
    このわびしさは何だろう。

    ----ヴェルレーヌ、渋沢孝輔 訳----



第1楽章からだいぶ間があいてしまいました。

「全体像」で述べましたように、この交響曲は、以下の4要素からなっているのだ、ということを、再確認しておきましょう。

1)標準的な全音音階の上昇と下降・・・全体的に、あるいは部分的に
2)協和音程の跳躍・・・完全8度、完全5度、長3度、短3度、あるいはそれぞれの反転
3)同一音による「タタター」というリズム
4)以上3要素の、文脈の中での必要性に応じての非和声音付加あるいは増減音程化

・・・ただ、これをまとめるとき、「要素」ということにばかり目が行って、それぞれの持つ「意味合い」については、きちんと考えきっておりませんでした。

殆どの要素は、第1楽章で、既にきちんと「意味付け」されていたのですね。

1)は、特に「三度上昇二度下降」として、第1楽章の第1主題を形作っていますが、より重要なのは後半の「二度下降」の部分です。
これは(前にもどこかで述べた気がするのですが)バロック以来の伝統的な音型で、
<嘆き>
を現します。

2)は、今回の第2楽章でより明らかになりますように、要素3)の複線です。

3)は、これも前に述べたと思いますが、チャイコフスキーの「運命の動機」

4)は副次的なもの。冒頭主題の構成で、とくに大切な働きをしますが、後で掲載する譜例で、この点をご確認下さい。



で、第2楽章ですが、楽式は「分析」だなんて大袈裟なことをしなくても、誰の耳にも
「あ、最初の軽やかな踊りが、真中でセンチメンタルになって、また最初の軽やかさに戻って、名残惜しそうに終わるのよね」
ってことがハッキリ分かってしまう。複合三部形式、だなんていっちゃうのは余計なおせっかいと言うものです(が、おせっかいしておきます)。

で、楽式よりも重要なのは、
「じゃあ、どうして、こんなに手にとるように、目に見えるように、この楽章は素直に出来ているのか」
という点です。

注目すべきことが、3つあります。

まず、冒頭から奏でられる主要主題は、第1楽章の第1主題の変形です。上昇を二段階に行ない、間に修飾の要素4)を巧みに絡めてカモフラージュしていますが、「ラメント(嘆き)」をそれとなくうち秘めている。

第2に、中間部の主題は、「上昇」部をもたない要素1)、すなわち「ラメント(嘆き)」そのものとなっている。

第3に、特に中間部では、低音部に常に要素3)の「運命の動機」が鳴り響きつづけている。

ですから、音楽のストーリー全体を見渡すには、参考として、チャイコフスキー自身がオペラ化しているプーシキンの悲劇的な文学2作が作曲者の念頭にあったはずだ、ということは忘れてはなりませんし、一応「エフゲニ・オネーギン」、もしくはこの交響曲により近い年に作曲された「スペードの女王」(台本はチャイコフスキーの弟モデストにより、チャイコフスキー好みに変えられています)はご一読なさって置くことをお勧めしたいと存じます。とくに、後者が重要です。

なお、第2楽章でハッキリすることは、要素2)の音程の協和的な跳躍は、実は要素3)の「運命の動機」の変形だという事実です。

以上、相変わらず汚くて恐縮ですが、いくつか拾い出して譜例を作成しましたので、参考になさって下さい。似た音型は、譜例から、どの要素に当たるかを類推すれば、間違いなく「これだ」というものがひとつだけ当てはまるのをお分かり頂けるもの、と、確信しております。



Tchaikovsky62図はクリック数と拡大して鮮明になります。

ということで・・・って、分かりにくかったかもしれませんが・・・、演奏に当たっての重要なポイントは二つ。

※「運命の動機」が、示す意味を適切に表現するように奏でられているか?
※「ラメント(嘆き)」の要素が、常に奏者に意識されているか?

です。

これを、例によってカラヤン54年盤と岩城N響盤で比較してみましょう。

<弦楽器群がオクターヴで上下するところ>

カラヤン盤のように「滑らかに」繋がっていないと、この跳躍の正体が「運命の動機」なのだということが不分明になるのではないかと思います。技術力の上がっているはずの岩城盤での演奏の方が「ブツ切れ」で演奏されているのは、ちょっと悲しい・・・


<中間部のテーマ、ティンパニとバス>

弦の低音部がテヌートである一方で、ティンパニは八分音符、なのがミソなのです。「運命の動機」自体は、あくまで旋律の背後で響いている<陰の存在>であるべきものですから、うまく目立たない(耳に立たない)ようにする配慮は必要ですが、ティンパニが八分音符で叩いていることが「ハッキリ」分からないと、
「ああ、踊り手は決して<幸福な>明日を信じてはいないのだ!」
とでも言うべき音楽の性格がボケてしまいます。
それが証拠に、岩城盤では、本来「ラメント(嘆き)」の動機である主題部が、なんだか明るく華やかに聞こえてしまいます。
カラヤン54年が、この点ではムラヴィンスキーの演奏も含め、最も「ラメント」の読み取りが明確になっている演奏で、中間部(第2部)になる前(第1部のコーダ)で大きくリテヌートをかけています。
ここでわざわざカラヤン盤の全貌をお聴き頂こうとまでは考えておりませんし、ヨーロッパの伝統的な解釈では「ラメント」の要素とティンパニの輪郭を大切に考えていることについてはムラヴィンスキー/レニングラードの演奏でも充分すぎるほどに分かりますので、記事の最後にそちらでご確認いただければよろしいかと存じます。



「運命の動機」なる言葉を何べんも述べましたし、それが彼の第4、第5交響曲と基本的には同じモノである事も前に申し上げましたが、だからといって、これら3交響曲をチャイコフスキーの「運命交響曲」だ、と言ってしまうことは誤りであろうと思います。

「悲愴」に限って言えば・・・本当は終楽章まで観察を終わったところで申し上げようかと思っていたのですが・・・、なぜ「スペードの女王」との対比にこだわってきたか、には、私なりの言い分があります。

第6を他の有名作品になぞらえるなら、私はベルリオーズの「幻想交響曲」が最もふさわしい、と思っているのです。

第2楽章に舞踏会を配しているところ、また、「幻想」では間にもう一楽章入りますが、舞踏会の後の寂寥を経て、狂乱の行進曲が繰り広げられるところ・・・作品の構成が大変に似ている。

終楽章はベルリオーズとチャイコフスキーそれぞれの「恋愛観」・「死生観」の違いから、異なる結末を迎えるのですけれど、それは終楽章に触れる際に述べましょう。

ただ、同じ舞踏会でも、ベルリオーズの場合と最も異なるのは、ベルリオーズは憧れの女性を「追いかけている」のであって、一緒に踊ることは無い。だから、「血相を変えている」切迫感がある。

チャイコフスキーのほうは、間違いなく、恋人同士がペアで踊っているのです。でも、この二人は、結ばれるは運命にない、という諦観をどちらか一方が持っている。本楽章の第2部が女性的であることからすると、第3楽章との関係を考慮した場合、諦観を抱いているのは女性の方かもしれません。第1部で、
「いや、必ずどうにかなるよ」
男性の方は、肩を落としながらも懸命に自分を見つめてくれる彼女の瞳に向かって、やさしく微笑んで見せている。

そんな幸せもひと時のこと。
物寂しいコーダの中に、チェロによって突然強く現れる「ラメント」の動機が、二人の将来への絶望にへし折れそうになりながら、それを笑顔で隠しつつ分かれていく恋人同士の姿を、はかなく描いて見せます。

・・・なお、その直前の「音階上昇」の連続は、解釈上
*小節ごとに区切る
*4小節をひとまとまりとする
の二通りが可能ですから、そこは指揮者に従うことになるでしょう。
(個人的には前者だと思っております。)



ということで、お手元のCDなどで全楽章通しでお聴きになってみて下さい。


「ラメント」・「ラメント」と気軽に綴りすぎたので、「ほんまかいな」と疑われても困りますから追記します。
バロック期までには、まず曲種としての「ラメント」(代表的なものはモンテヴェルディの「アリアンナの嘆き」など)が、オペラのアリアの定型から徐々に独立して存在しました。ナクソスで1〜3までのシリーズでまとめたものが出ています(買ってませんが)。
それに伴い、動機としての「ラメント音型」というものが成立しますが、これはモンテヴェルディの4声のミサのクレド楽章に現れる半音下降音型が、私の知る限りでは初めての「明瞭な」ものです。・・・気をつけて聴いたことがなかったのですが、バッハのロ短調ミサでもクレドの一環であるCrucifixusにこの動機が現れるとのことで・・・チャンと確かめておこう!

・・・ということで、根拠がなく「ラメント」の連呼をしているのではありませんから、ご了承頂ければありがたく存じます。

2月27日追記:
「ラメント」について、半端な把握でしたので、本日はその補足を記事と致しましたのでご覧頂ければ幸いです。半端をして本当にすみませんでした。



   ・前提
   ・全体像
   ・第1楽章
   ・第2楽章
   ・第3楽章
   ・第4楽章

チャイコフスキー:交響曲第4番、第5番、第6番「悲愴」Musicチャイコフスキー:交響曲第4番、第5番、第6番「悲愴」


アーティスト:ムラヴィンスキー(エフゲニ)

販売元:ユニバーサル ミュージック クラシック

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