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2008年2月 8日 (金)

チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」(3)第1楽章

    月はすべてむごく、太陽はすべて苦い。
    ----ランボー「酔いどれ船」より。渋沢孝輔 訳----



各楽章に、具体的に入っていきましょう。

第1楽章から。

詳しい内容が不要なかたは、末尾まで飛んでっちゃって、楽章の全体をお聴きになって悦に入っていただければ幸いです。・・・あ、演奏する人は、ダメよ!

昼飯食いながら喫茶店で殴り書きしたものですので、醜い手書きで恐縮ですが、第1楽章の中で、前回触れた4要素がどういうふうに現れるかを、数箇所サンプリングしてみました。ちょっと目立たない個所もありますので、スコアで該当小節を確認なさってみて下さい。なお、その時持ち合わせが赤いボールペンだけでしたので・・・ご容赦下さい。(クリックして拡大すると像が明瞭になります。)

Tchaikovsky61

さて、楽章の構成については、私が手にした音楽之友社版の、千葉潤さんの解説でリスト化されているものを、そのまま掲載します。TMFのかた、あるいはお手持ちのあるかたは、スコアをお手元にご用意下さい。その前に、「主観は避ける」と言っておきながら、少々、私の感じるイメージを「開陳」させて下さい・・・またまた余計なことを!(スミマセン。。。)

前にも別に綴ったことがあるのですが、子供達が小さい頃、まだ「生まれたて」のときの記憶があって、質問したら、
「最初は真っ暗だったんだけど、急にね、まぶしくなったの」
と言ったようなことを、二人とも言いました。
第1楽章冒頭部は・・・チャイコフスキーはペシミスティックに描いていますけれど・・・誕生の瞬間の、この「真っ暗だった」ところへ(オーボエで)「まぶしい」光が見えた、その情景を描いているような気がしてなりません。
主部は、「悲愴」という訳語は間違いだ、ということが分かれば、捉えるべきものが「既成概念」のものとは入れ替えておく必要があります。<前提>でご紹介した、チャイコフスキーの「人生交響曲」の構想が「悲愴」にも生きているのだとしたら、第1楽章は<悲しみの>音楽ではなく、<青春の苦さ>の音楽です。・・・捜索したときのチャイコフスキーの年齢が既に青春を通過しているはずだ、という決め付けは、禁じなければならないと思います。年齢と「青春」とは、ロングセラー歌謡曲のタイトルのように「青春時代」などと時期で区切られる関係にはありません。

・出て行かなければならない吹雪の外界へのドアを開こうか開くまいか、への激しい迷い(第1主題部1)
・一旦ドアを開いてみるものの、襲ってくるのは、激しい雪あらし。冷たい風と氷。(第1主題部2)
・ドアを一旦閉めて、瞑想します。自分は、外界に対してどんな夢を抱いていたのか?(第2主題部)
・今度こそ、決心してドアを開く。旋風と氷雪に、立ち向かう。(展開部)
・決闘!(再現部第1主題部〜具体的な個所は、後述の「構成」参照)
・とりあえずの(仮の)安堵(再現部第2主題部)
・第2楽章は「恋人」の待つ舞踏会なのです。そこでのロマンスを夢想しながらの平安(コーダ)

----あーあ、やっちまった! まあ、例えばこんなふうにストーリー付けしてみてもおいて下さい。以上はあくまで、(本当は禁止事項の!)私の妄想です。
ちゃんと楽式分析をすると、千葉氏が掲載しているとおり、客観的に、以下のような区分になります。

(構成)
序奏 1-18
呈示部第1主題 19-41
エピソードと推移 42-88
第2主題 89-100
(第2主題)中間部 101-129
(第2主題)再現 130-160
展開部導入部 161-170
第1部 171-201
第2部 201-229
第3部 230-258
第1主題疑似再現 244-258
第4部 259-304
再現部第2主題 305-335
コーダ 226-354

・・・ドヴォルジャーク第8と同様の考え方の「ソナタ形式」である点に、ご着目下さい。千葉氏は、この点を的確に捉えています。すなわち、再現部は、第1主題については呈示部どおりには開始しておらず、第2主題の(ドヴォルジャーク第8ではもっと単純なつくりであったために見られなかったことですが)中間部(「悲愴」第1楽章の第2主題は有名な旋律の間に、フルートの音階上昇で始まる「トリオ」とでもいうべき副次主題を持っています)を省略しています。・・・その分、充実したコーダ(弦楽器のピチカートを伴奏にした、管楽合奏による第1主題の吹奏)を作り上げているわけです。

「悲愴」交響曲の第1楽章で面白いのは、序奏がそのまま呈示部の第1主題に直結していることで、このような作例は、他に有名なものでは(って、それしか私は知らない!)シューマンの第1番「春」だけかな、と思います。

で、第1楽章に限らないのですが、演奏に当たっては、

・どのパートがどこのパートから音楽を受け継ぐのか
・作曲者の記号付けやディナミークに忠実に演奏できているかどうか

の2点が、最低でも非常に重要なポイントになります。これを、お約束どおり、1954年のカラヤンが指揮したときのものと、後年岩城宏之さんが指揮したときのものとで、比較して聴いて頂きます。色の変わったところ(オレンジ色でしょうか)を右クリックすると、別ウィンドウで聞けます。
なお、音は、容量の関係で全てモノラルとしましたので、ご了承下さい。1954年カラヤン盤以外は、CDを入手していただければ、ステレオで聴けます。

*序奏から呈示部第1主題前半まで
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岩城盤では、序奏の木管の入りがばらけていますし、主部に入ってからは、繋がるべき音楽に、しばしば「切れ目」が入ります。・・・よくお聞きになってみて下さい。


*第2主題登場前の小結尾
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チェロからヴィオラの受け継ぎの意思が、カラヤン盤ではハッキリ聴き取れます。ですので、岩城盤のお粗末さが耳についてしまいます。・・・もっとも、こないだ映像を乗っけた74年のベルリンフィルとの演奏では、カラヤンもここは「お粗末様」です。


*呈示部第2主題中間部の終盤
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弦楽器の伴奏は途中からテヌートが書いてあるのですが、岩城さんの方では守られていません。


*展開部〜一旦沈静化すると見せかける個所
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トランペットが加わる個所、岩城盤ではモロにトランペットの音色が聞こえてしまいますが、ここは最初から明瞭にトランペットの音色を聞かせるべき個所ではありません。カラヤン盤ではこの点に気を配っています。


*再現部クライマックスに入る前のティンパニ
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・・・ここ、スコアをご覧になると、ティンパニは「ディミヌエンド」なんですよね。岩城盤に限りませんが、多くの演奏ではこれを守っていません。その方が「いかにも!」と聞こえるからでしょう。
ですが、このディミヌエンドは、私は「遵守すべきもの」だと考えています。・・・先生が「別にいいよ」と仰ったときには、まあ、こだわりませんけれど。でも、カラヤン盤では、ちゃんとディミヌエンドしています。ムラヴィンスキーもやっています。・・・難しいのは、どの程度ディミヌエンドすればいいのか、なのですが。やりすぎると、次から始まる強奏が唐突になりますが、全くやらないと、実は、チャイコフスキーがこのディミヌエンドに込めたかった、比喩で言えば「結果が敗北であろうが、僕は立ち向かう」と、ここでいったん自分を省みておきたい、という演出意図が、別の演出に差し替えられてしまうのです。


*再現部第2主題
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これ、最初の「ソーファミ|ミーレー」は、メゾフォルテなんです。これも、カラヤンのほうではやっていて、岩城盤ではやっていません。その前がp(ピアノ)になりきっていないためです。・・・で、やはり岩城盤流が、世間では一般的です。・・・前項同様、チャイコフスキーの意図した演出とは別効果になってしまうのですが・・・
ムラヴィンスキーは、メゾフォルテ、というには強すぎて聞こえますが、やはりディナミークは1回目は2回目よりも「ちゃんと」控えめ、抑え目にしています。後半部の岩城盤でのN響の金管のブレス取りは、目だつほどではないものの、感心できません。ユニゾンなのですから、カラヤン盤で実践しているように、各自場所をずらしてブレスを取るべきです。

もっとサンプリングしたいところですが、手間もこれ以上かけるのが面倒なので、あとはサボります。
(なお、ワープロ打ちしている時点では音を聴いておらず、記憶のみで綴っていますから、聴いて違ったらご指摘・ご叱責下さい。・・・あらかじめ、「ゴメンナサイ」って、言っておきます。)


あとは、たとえばムラヴィンスキー/レニングラードフィル(1960)で全体を聴いて見て下さい。
全体で是非傾聴いただきたいのは、金管の音色変化の多様さ、にもかかわらず絶対に崩れない和声感、です。

今回は、以上。




   ・前提
   ・全体像
   ・第1楽章
   ・第2楽章
   ・第3楽章
   ・第4楽章

チャイコフスキー:交響曲第4番、第5番、第6番「悲愴」Musicチャイコフスキー:交響曲第4番、第5番、第6番「悲愴」


アーティスト:ムラヴィンスキー(エフゲニ)

販売元:ユニバーサル ミュージック クラシック

発売日:2001/10/24
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