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2008年2月22日 (金)

曲解音楽史:28)インドも広い!(いちおう中世)

前の回:1)音という手段 2)リズムの成立 3)音程から音階へ
    4)言葉と音楽  5)トランス 6)古代メソポタミア
    7)古代エジプト 8)古代インド  9)古代中国 10)古代ギリシア
    11)古代ローマ 12)初期キリスト教の聖歌について
    13)ササン朝ペルシャ  14)西暦5,6世紀ユーラシア音楽横断
    15)中世前半の西ユーラシア  16)唐朝と朝鮮・日本 17)「声明」の伝来
    18)モンゴルと中央アジア北方 19)「十字軍時代」の西ユーラシア
    20)日本固有(?)の古歌 21)グレゴリオ聖歌
    22)平曲と能楽:付)発声法について 23)アンブロジアン聖歌・ローマ聖歌
    24)西ヨーロッパ中世 25)ジョングルール 26)十字軍時代前後のイスラーム
    27)ペルシア伝統音楽〜中世からの遺伝子



せっかく暖かい日に、最初からお寒い前振りで恐縮ですが、私のようにデブ症(正しくは出不精、といいます)な者にとっては、音楽を通じて時空を旅することができる以上の幸いは、まずありません。

ただ、「時」を旅してみる方には様々な問題点があります。(ということは、今日は小難しいことを綴ります。)

ひとつには(民族音楽が見直されている今では、実は語弊はあるのですが)、「音楽」を完全に「書かれる文化」として捉えているのは欧米白人圏しかないという問題。
これは、ちょうど今歩き回っている11〜15世紀くらいの間に、西ヨーロッパ系だけが音楽に対する認識を「書かれる文化」へと変えていったように見えます。それまでは、世界各国、どこに行っても、「音楽とは何か」について根源的な差は存在しないように、私には見えるのですが・・・

大きなもう一つの問題は、「書かれる文化」と大きく関係するのですけれど、人間の「歴史」意識の多種多様さです。

単独国家を(民族や支配層の交代は伴ったとしても)維持しつづけた地域ほど、それは直線的なものであって、事件の年代や人物の性格まで良く書きとめた<歴史書>が「手にとりやすい形で」存在し、「当時の原典(の翻訳)」を通してその時代に直接触れることが出来ます。・・・東から行きますと、中国、(錯綜はするけれど)イランから中東域・トルコ、西ヨーロッパ各国、白人移住後の北米、一周して日本、朝鮮にたどり着く。

ところが、残った大半の地域にとっては、数直線的、あるいは二次元グラフ的な「歴史」など、何の意味も持たない。単独国家と同じように見たい、と思っても、「歴史」を構成する要因が複雑で、専門家以外の私たちには、非常に見えにくいのです。

ついでですから、概略を簡単に眺めて見ましょう。

東南アジアの諸国は、ヨーロッパの大航海時代のあおりもあって、貿易によって味をしめることを知りだした14世紀あたりにようやく、国家を権威付けるための「神話」が形成される。これによってヨーロッパ、イスラム圏、あるいは中国文化圏と有利に交易を進め得たのです。すなわち、「神話」は史実以上に大事であったともいえます。

中央アジアとなると、文物の交流には非常に重要な地域であったにも関わらず、いや、重要だったからこそでしょう、変遷が激しく、戦乱も多く、水脈が荒れたための居住地移動も頻繁だったのでしょうか、まとまった像はチンギス・ハーンの時代とその周辺くらいしか知ることは出来ないし、その資料である『元朝秘史』も、東南アジアと似て、歴史と言うよりは神話的性格のほうが強いものです。その他のことは、交易の途次の様子を書き記した人々の記録を継ぎ合わせてみて、ようやくおぼろげにわかる。

ロシアもまた、歴史は11世紀の「キリスト教化された後」でないと、明確な像を現さない。東欧や北欧も、日本人にとっては遠い世界なのでしょうか、手近な原典史料は見当たらない。では、彼らの原初的な姿はどうだったのか、を伺おうと神話を探っても、既に「異教」のものとして骨抜きされているためか、そこには東南アジアや中央アジアのような実利性が伴っていないので、雲を掴むような感じしか持たせてくれない。

中南米は、スペインによる征服時に書き残された貴重な記録が(スペイン人側の記録ではありますが)最近続々と邦訳され始め、マヤ文字の解読もここ30年で大幅に進展したため、なんとか分かってきた、という具合。ただ、スペイン征服前後に大きな断層があることが再確認できただけの意味合いしか、今のところもっていないように思われます。

アフリカに至っては、特に植民地時代の大幅な差別待遇によって史料が散逸し、現段階では「時系列」には(少なくとも一般人の目に触れるものの中では)全く無縁であるため、「時」の観念から捉えようとすると、音楽が手の中からスルリ、と抜けて逃げていってしまう。
(20世紀になってようやく、アフリカ各国の「歴史」を再編する試みが始まっていて、原典に触れられる時期もそう遠くない将来には訪れるかもしれません・・・なお、アラブ側の観察による若干の同時代史は目にすることは可能だそうです)。

で、音源はだいぶ入手しやすくなった現在ではありますが、「時」を基準に素材を探そう、という試みは、往々にして徒労に終わることになります。



中世インドについても、「歴史」を基準とした音楽探しは非常に難しい、というのが実感です。
ムガール帝国が確立すると、北インドについては、かなりまとまった「歴史」を形成するかに見えるのですが、専門家でない者が手に出来る最も初期の「中世史」は、帝国後期にたまたま滞在していたフランス人の手になる「ムガル帝国誌」でして、これには音楽に対する叙述はわずかしかありません。(しかも、記載されているような音楽は、こんにちの「インド音楽」の録音には、私は見出すことが出来ませんでした。)
「ムガル帝国誌」はヨーロッパのバロック文化期と同時期の記録ですから、「中世」と見なしてよいのかどうか・・・。かつ、日本語訳で、フランス人を通してインド人の発想を知る、という、二重に通訳を経たような状態でしか、精神に触れることが出来ない。

音楽史にしても、本来は古い文献が存在するそうですが、私など、は現代に入って、それもかなり「欧化」された状態の記述がなされているものを手にするほか、方法がありません。

仕方がないので、今回は、そんな、ちょっとふらついた足元で「中世のインド音楽」を眺め得ただけです。

で、本来はペルシアの音楽理論と類似性を見せていたであろう片鱗は現代人の手になる「インド音楽史」にも伺われますので、欧化されている記述を少しだけペルシアとの関連性に位置付けなおしてみるという、ささやかな試みだけを行なうことでご容赦頂きたく存じます。
従いまして、お聴きいただけるサンプルも、ほんのわずかです。・・・あ、これは、いつもか!



まずは、先日、ふねさんから記事<インドに歴史は必要ない?>に貴重なコメントを頂いた件です。
ヴェーダの歌い方がこんにちにも受け継がれていると言う事実!・・・で、この歌い方、歌われ方が、古代以降現代にいたるまでのインド音楽の骨格になっている、ということが言えそうだな、ということを、その後手にすることの出来た「インド音楽序説」(B・C・デーヴァ著、中川博志訳、1994 東方出版)を読んで、感じました。
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この本の説明によると(以下、今回は9割以上がこの本に頼るのですけれど)、ヴェーダは単音(アールチカ)、2音(ガーティカ)で詠唱されることから始まり、3音音階(上がる音【レに当たる。ウダーッタ】、沈む音【シbに当たる。アヌダーッタ】、中間の音【ドに当たる。スヴァリタ】)にまで「成長」していった(前掲書19頁、123頁参照)とのことです。(ラ−ファ−ソと歌っても同じ音型です。)
すると、細かいことにとらわれないで、以下の同書の音階に関する説明を読みますと、後世のインドの多様な音階は、おそらくはヴェーダの3音音階(推測ですが、三種くらいあったのではないでしょうか・・・)の音域をずらしながら組み合わせたものであるように見えます。

1)「全・全・全」(ド・レ・ミやソ・ラ・シにあたる。ヴェーダ流に並べ替えると、ミ・ド・レ、またはシ・ソ・ラ・・・先ほどのラ・ファ・ソも同じ。)
2)「全・全・半」(レ・ミ・ファにあたる。これも上に倣うと、ファ・レ・ミ、またはシb・ソ・ラ)
3)「半・全・全」(シ・ド・レにあたる。ヴェーダ流ではレ・シ・ドですか)
・・・かなあ? 自信なし!

実際にどう組み合わさっているかに御興味がある場合は本を見て下さい・・・と言うのは不親切なので、先ほどのテキストに記載された音階の中から、いくつか見ておきます。出発点を音階列の第1音、第2音、第4音、第5音に揃えてみます。

※ビラ−ワル=ドレミファソラシド:1)ドレミ & 2)レミファ & 1)ファソラ & 1)ソラシ
※カーフィ=ドレミbファソラシb:2)ドレミb & 3)レミbファ & 1)ファソラ & 2)ソラシb
※バイラヴィ−=ドレbミbファソラbシb:3)ドレbミb &2)レbミbファ & 2)ファソラb & 3)ソラbシb
※カリヤーン=ドレミファ#ソラシ:1)ドレミ & 1)レミファ# & 3)ファ#ソラ & 1)ソラシ

前掲書122ページに記載された10種の音階列のうちの4つです。どうでしょう・・・分かりにくいですね。。。五線譜をお書きになれる方は、それで確かめてご覧になって下さい。でなければ、無視してくださいませ。 (T_T)

上例は参考とした書籍に従って上向型で示しましたが、ヴェーダは常に下方に向かう動きで朗誦されたそうで、これは古代ギリシャの音階観(上から下に向かって読んでいった)と相関関係にあったことをうかがわせます。かつ、この下方への動きは、現代インド音楽の締めくくりにもかならず「あ、インドっぽい!」という感じで必ず現れる気がします。
残念ながら、同書には、先日ふねさんが教えて下さった「shloka律」の説明がありません。それどころか、「律」という訳語そのものが現れません。ですから、以上の「音階」を「律」と同等に見なしていいかどうかには、疑問の余地があります。・・・こういう余地が残ってしまうのは、おそらく、実地に教えていらっしゃるかたのほうが口承伝統により忠実であり、書籍は西欧音楽理論にできるだけ事寄せて綴っているために、記述しきれていないものがあるからではなかろうか、と推察しております。



さて、やはり同じ本によりますと(また、出回っているCD類によりましても)、インド音楽は<ラーガ>という「旋律の種」から成立している、とのことですが、また同時に、ラーガは「言語による会話と同じで、コミュニケーションの仕方に一定の約束事がある」とされており、それは、先にあげたような「音階」がただ順番に奏でられても、音楽を形成しない、ということを意味していると捉えて良かろうと思われます。
音楽は、微分音を含む不均等な12(すべて均等に見れば24)の構成音から成っていますが、参考にした書籍では不分明なものの、「ラーガ」の核は、一つの音楽を形成する場合には、この12(24)の音から5ないし6を選び取り、かつ、それをある定型に当てはめたものとして形作られていることが伺われます。耳の印象はだいぶ違うのですけれど、これはペルシア伝統音楽の「グーシェ」に相当するもの、と見なした方が、より妥当であるように考えておりますが、いかがでしょうか?・・・って、そんなこたあ、お読みになっただけでは分かりませんよね!

では、同じように類推で、「ラーガ」はペルシア伝統音楽の「ラディーフ」に当たるものをどう形成するのだろうか、ということになりますと・・・悔しいのですが、それに相当するサンプルには、とうとう巡り会えませんでした。
ただし、演奏形式にはいちおう「開放型(アニバッダ)」と「閉鎖型(ニバッダ)」がある、とのことで、「ラディーフ」的意識はインド音楽にも存在するのは間違いないのではないか、と、今時点では勝手に思っております。
・・・この、開放型のほうに、巡り会えません。おそらくは、叙事詩の朗詠などがこちらに属するのだろうと思われますが、その演奏風景を描いた文章にも、私は出会えませんでした。

閉鎖型には行くいつかの類型の名称があげられています。
その中で、15〜16世紀に北インドで隆盛した「ドゥルパド」については、実例をお耳にかけることが出来ます。ムガール帝国の創始者、アクバル大帝も好んだとされる音楽ジャンルです。

(抄)
  JVC「世界音楽紀行:南アジアの旅」VICG-60575
 *「ターラ」とはリズムをさす言葉ですので、「ムルターニ」とか「チャウタール」というのが
  史料書籍には記述のなかった「ラーガとターラの定型」すなわち「律」的なものを
  指しているのでしょう。すなわち、実際には「ラーガ」と「ターラ」の組み合わせが、
  ペルシア伝統音楽でいう「グーシェ」を表すのかも知れません。
  (ちなみに、「チャウタール」によるターラは4+4+2+2のリズムだそうです。)
  詳しくご存知でしたら、是非ご教示下さい。

ドゥルパドの総体は4部からなり、導入部をアスターイあるいはスターイー(低中音域)、次の部分をアンタラー(中高音域)、第3部、4部をサンチャーリー、アーボーグと呼び、特に後2者は複雑な構成をとっているそうですが、現代では最初の2部のみの演奏が普通だとのことです。掲載した音はあんたラーにでも当たるのでしょうか、説明はありませんでした。
さらに、実際にはドゥルパドには4つのスタイルがあるそうですが、そこまでは立ち入りません。



インドはイギリス統治下に置かれるまでは、完全に南北統一されたことは、おそらく無いのではなかろうか、と思っております(誤認でしたらご教示くださいね!)。
現在でも、音楽は、楽器で言えばシタールに代表される「北インド【ヒンドゥスターニ】系」と、ヴィーナに代表される「南インド【カルナータカ】系」がある、とされていますし、さらに東インドには独自の舞踊文化もあれば、ベンガルにはまた違う色彩の音楽も存在します。
それでもなお、それぞれを貫く音楽の「核」は<ラーガ>であり、耳にされるものは、ペルシアのように明確な性格付けはされていないものの、特定の役割を持つ個性的な<ラーガ>の組み合わせからなる音楽である点では、全インド亜大陸に共通性を見出すことができるのではないかと感じております。
・・・ただし、きちんと検証したわけではありません。
・・・かつ、<ラーガ>の組み合わせは、ペルシア伝統音楽に比べると、より単純であるようでもあり、その分「定型性」が強く、気軽に聞き流してしまいやすくもあり、教育もイランに比べると「教室化」が進んでしまっていますから、<原初の姿>に立ち戻るための敷居は、反比例して高くなってしまっている可能性も否めません。
(これは中国の伝統音楽復元の現状にも同様の傾向が見られます。)

音声資料をじっくり確認する機会があれば、<ラーガ>の組み合わせ方の南北差あたりを探ってみるのも、面白いかもしれません。

長くなってしまい、中身も分かりづらく、申し訳ございませんでした。

どうせなのでついで話。
「ムガール帝国誌」に記載された、王宮での奏楽の様子は、「トランペットもしくはオーボエ十本以上に、同数の太鼓を打ち鳴らす」というけたたましいものだったようですが、耳が慣れると、遠くで聞く分には心地よかった、とのことです。・・・再現演奏は耳にしておりません。(ないでしょう!)

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コメント

今さっき古代インドの方にもコメントしてきたのですが、再びこんにちは。

えーと、まず律というのは、私が勝手に適当に使った言葉で、英語だとmetaです。詩を朗詠するのに使う定型メロディーというところでしょうか。

またshlokaというのは、詩のことでもあります。ラーマーヤナ叙事詩の初めには、作者である聖ヴァールミキが悲嘆(shoka)から発した言葉たちがそのままshlokaという形式となり、また悲しみや憎しみも詩へと昇華された、というようなことが歌われています。(いいかげんな要約です)

それぞれのmetaには名前がありまして、それは軽音重音(短音長音)の組み合わせを元にしたもの、らしいのですが割と臨機応変に変わるので私もはっきりとは理解していません。shloka metaは、とりあえず16音で一行を構成するもの、8音と8音で区切れるようになっているもの、というぐらいしか。有名なメーガデゥータ(雲の遣い)という詩は、この組み合わせが常にーーーー・・・・・ーー・--・--/・ という点でも完璧だと言われています。これは、manda kanta (遅い歩み)というmetaですね。

ラーガやターラについては私は不勉強なのですが、今手元にある「芸能の人類学」(姫野翠・著、春秋社)の184ページ以降に割りと詳しく書いてあります。結局不勉強でイマイチ理解できないので(悲しいかな)ここにまとめて書くこともできないのですが。おそらくkenさんの使われた資料よりはずっと簡易なものだと思うのですが、西洋音楽との比較などはあんがい面白いかもしれないので、よろしければあたってみてください。もしも見つからなくて、でも興味がおありでしたらそのページだけスキャンしてお送りします。

音楽理論の英語訳をちらっと見たことがありますが、私にはさっぱりでした。深遠な哲学理論世界の入り口といった趣でした。

ヴェーダの朗詠は、随分前に文化人類学の資料映像で聴いたことがあります。たぶんそれは北部のでしたが、割と閑散とした村での資料だったようで、とても素朴に聴こえたことを覚えています。

投稿: ふね | 2008年3月10日 (月) 09時34分

shlokaのご説明、本当にありがとうございます。
「律」というお言葉、おつくりになったものだとしても、適切なのではないかと思います。チャンとは分かっていないのですが、ホメーロスの原詩の本にもshlokaに類似した説明がありましたので、「インドに歴史は必要ない?」の方に頂いた言語に関するコメントと併せて考え、ホメーロスの例と照らし合わせますと、(日本の雅楽などで言う「律」とは確かに同じとは言えませんが)、訳語として非常にしっくりきますね。性質は違いますが、中国の詩でいう「律」(こちらの方が意味としては狭まってしまう気がしますが)を連想すると、なおさらその感を強くします。

「芸能の人類学」は、今、さっそくAMAZONであたってみたら、いい本のようですね。
思い切って注文しました!
・・・でも、私に理解出来るかなあ・・・心配です!

インド音楽の、この記事でアフィリを貼ったのとは違う方法・観点で記述した書籍も読んでみたいのですが、見当たらないですねえ。。。アフィリした本でも、細かくはやはり「哲学的」な意味をそれぞれに付与しているのですが、記事を綴るにあたってはその辺は敢て切り捨てました。ひとつには、芯となる思想が明示されていないこと、それと関係するのでしょうが、もうひとつには一貫性が認められない事から、そういうふうに踏み切ってみた次第です。

北インドの宗教者の歌っているCDは店頭では見つけているのですが、ヴェーだとの関連性が分からず、手を出していいものかどうか迷っています。

でも、インドの音楽(まだ3、4種しかCDを手にはしていないので言う資格はないのかも知れませんが)、ビートルズが取り付かれた、とされているものと実際のものとではだいぶ印象が違いますね。70年代に欧米に伝わった「伝統音楽」は、実は伝統音楽と言うよりは、あの当時のインドの現代音楽だったようですね。
いろいろ目が開かれる思いでおります。

長々したレスで、すみませんでした!

またご教示お待ちしております!

投稿: ken | 2008年3月10日 (月) 20時51分

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