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2008年2月15日 (金)

曲解音楽史:27)ペルシア伝統音楽〜中世からの遺伝子

    生きてこの世の理を知りつくした魂なら、
    死してあの世の謎も解けたであろうか。
    今おのが身にいて何もわからないお前に、
    あした身をはなれて何がわかろうか?

    ----オマル・ハイヤーム「ルバイヤート」5、小川亮作 訳----



前の回:1)音という手段 2)リズムの成立 3)音程から音階へ
    4)言葉と音楽  5)トランス 6)古代メソポタミア
    7)古代エジプト 8)古代インド  9)古代中国 10)古代ギリシア
    11)古代ローマ 12)初期キリスト教の聖歌について
    13)ササン朝ペルシャ  14)西暦5,6世紀ユーラシア音楽横断
    15)中世前半の西ユーラシア  16)唐朝と朝鮮・日本 17)「声明」の伝来
    18)モンゴルと中央アジア北方 19)「十字軍時代」の西ユーラシア
    20)日本固有(?)の古歌 21)グレゴリオ聖歌
    22)平曲と能楽:付)発声法について 23)アンブロジアン聖歌・ローマ聖歌
    24)西ヨーロッパ中世 25)ジョングルール 26)十字軍時代前後のイスラーム



「音楽史」は、私が勝手な目で、勝手な観察をしてきているのですけれど、古代の地域別を見てきて以来は、現在世の中で理解されている音楽史の「常識」からはそう逸脱はしていないように思います。
参考にするものを、その時代の原典の手軽な日本語訳があれば極力それに従い、あっても財布の具合で入手不可能だったり、全く見当たらない場合には、確認しうる限りで信頼できるかたたちのまとめられた資料を参照させていただけたおかげ、でしょう。
それでも、分からないことだらけなので、記述も穴だらけです。
本当にお粗末さまでございます。
(まだ触れていない地域もありますが・・・いつどういうタイミングで触れるべきかにも迷いますし、それ以前に、得体の知れない音声資料の販売が多く、マニアの掲示板もまた凄まじい情報量で、いったいどうすすめたらよいものやら、目が回っている、という事情もございます!・・・古代物、中世物は、たとえばギリシア音楽の復元にしても、怪しいものを掴んでしまって、数日間首を傾げっぱなしだったこともありました。・・・あ、余計な話でした。)

そういう点では、今回の対象であるペルシア音楽についても「逸脱」をするわけではありません。
ただ、たとえば、いままでにサンプルを選ばせて頂いたペルシア音楽のCDの解説は類を見ないほど優れたものだと思っていますし、「はじめての世界音楽」というたいへんな良書が安価で出版されているのですけれど、そうしたものに記載された概説では到底つかめない本質を、きちんと教えてくれる本に巡り会いました。

・谷正人「イラン音楽」
イラン音楽―声の文化と即興

がそれです。
一度読んだだけではちんぷんかんぷんの、しかも何度読んでもわたしごときの能力では読み取りきれないほどの内容か、と最初は思いましたが、2、3度読むうちに、文章が理路整然として平明であることが分かり、(標題は「イラン音楽」ですが)ペルシアの伝統音楽の<考え方>について、目から鱗、の視点を与えてくれた、驚嘆すべき本でした。

「あ、これは、ここまで見てきた中世の西欧や西アジアと同じような、<こういう音楽が鳴っていたんだろうな>という推測、そのサンプルの引用掲示、では扱える対象ではない」

少なくとも、そんな直感は与えてもらいました。
さらに、大袈裟に言えば、この著作の与えてくれる示唆は、西欧音楽そのもの、また、それに影響を受けて理論構築されている現在のアジア音楽全般に対する視点の変更をも迫っているのではないか、と思われましたが・・・素人、かつ手にできるものが限られている私のようなものには、きちんと正鵠を得たフォローができる自信は全くありませんので、気づいた都度「ここへ戻ってくる」原点として、なんとか体で覚えていこう、と思っております。



要所は、「音階」を基準とした「旋法」観、「形式」観といったものは、12世紀以来のペルシア音楽のあり方を<より正しく>把握するためには、捨ててかからなければならない、というところにあります。
・・・このことが、さらに、おそらくはペルシアという地域(歴史上、何度も変動するのですが)に限定されず、隣接諸国を含め、「音楽」とは何か、を考え直す上で非常に重要なキーともなっていくのではなかろうか、と感じます。
それというのも、今回の対象ではありませんが、すぐお隣のインドの音楽理論は、書物上はやはり「音階」の視点から記述されているのですけれど、実際のインド伝統音楽はペルシアの伝統音楽に極めて似ています。これは谷氏の仰っているところを勘案すると、「インド音楽理論」は「インド音楽に即していない」のでして、むしろペルシア側の(書物には記されたことのなかった)理論でインド音楽も見直したほうが良いように思われてきたのです。・・・実際、ムガル帝国時代の有力官僚の多くは、ペルシア人でしたし。

なお、「書物に書かれたことのなかった」と括弧書きで入れましたが、若林「世界の民族音楽辞典」ではイラン音楽はアレクサンドロス遠征後には既にゾロアスター教の儀礼音楽として基盤が出来始め、理論付けもなされた、とあり、10世紀の「音楽大書」、13世紀の「キターブ・アル・アドワール」という音楽理論書についても言及していますが、これらの実態は私には把握出来ませんし、他に言及したものを見かけておりませんので中世との連携度も分かりません。手頃な資料をご存知でしたら、ご教示頂ければ幸いに存じます。

・・・脱線しました。



本来の目的であるペルシア音楽そのものに、目を向けましょう。
ただし、先にもお話しましたとおり、ペルシア音楽は西欧音楽的知識でこりかたまった頭には、たった数週間で太刀打ちできる代物ではありません。従いまして、谷氏がご著書中で紹介なさっている諸々の「専門用語」は殆ど省きます。そのため、以下は、私が谷氏の著作から受けた「イメージ」によって述べるものであり、誤りを多く含んでしまう危険が非常に大きい。
ですから、本記事でペルシア伝統音楽への御興味が増された場合には、是非、谷氏のご著作そのものを二読三読して下さいますことを、あらかじめお勧めしておきます。

ペルシア音楽の基本は、

・ダストガー(旋法、あるいは調にあたるもの)
・ラディーフ(一連の楽曲)
・グーシェ(ラディーフを構成する楽句群)

という語彙に集約されているようで、これらを貫く立派な「理論」は存在している(調和を表すチャリフという言葉で象徴されています)かと思われます。・・・「思われます」などと曖昧な言い方になるのは、この「理論」は、(現代イランではどうなったいるのかまでは知りませんが)口承を原則として、師から弟子へと伝えられていくものであり、「理論書」として明文化されたものが存在しないからです。
事態を更に捉えにくくするのは、この「口承」、師が伝えたそのままを弟子が(私たちの常識で言う限りでは)忠実に再現するものではない、という事実で、
「ペルシア伝統音楽は、同じ物は二度とは演奏されない」
すなわち、1回1回が即興演奏である、とまで言われてきたのでした。

ややこしいことは、まだ続きます。
先ほど「旋法」と対照させた「ダストガー」そのものが、同時に<音楽全体のスタイル>を表す言葉でもあり、ラディーフというのが<楽曲>を示す場合よりも高次の意味で、楽曲自体を<ダストガ−音楽>などと呼ぶことがあったりする。
かつ、ラディーフを構成する「グーシェ」は「ダルアーマド」という導入用のものから、途中に音楽の盛り上がりをもたらすためのものが何種類もあり、おしまいに、下げに向けての「フルード」、さらにそれを締めくくる、またいくつかの副次的グーシェ、と、それぞれ特定の役割を付され、同じ名前の下に統括されています。
・・・これがまた難物です。まず、「グーシェ」のほうが、私達異邦人からすると、「ダストガー」よりも直裁に「旋法」を決定付けていると感じられるのです。
同じ名前の「グーシェ」でも、「1回1回が即興演奏」と見なされるほどのペルシア伝統音楽ですから、なれない耳で聴くと「え? なんで、これとあれとが同じ名前のグーシェなの???」・・・頭の中が「?」だらけになってしまいます。

この「ややこしさ」が、しかし、無秩序ではない、というところが、ペルシア音楽の非常に重要なポイントなのではないかと感じるのです。

順番を逆に考えていけば、まず音楽の細胞に当たる<グーシェ>があり、それは<ラディーフ>という肉体のどの位置に属すべきかによって、適切な遺伝子が与えられている。同じ名前のグーシェであっても多様さが許されているのは、組み込まれた遺伝子ゆえなのです。楽曲(ラディーフ)の肉体が異なれば、異なるのが当然・・・という意味では、「音階理論」でその先の楽理に、完全に抽象化されうる無個性さを付与することに比べれば、「楽曲とは生命の発露である」という、日常の私たちが感じ、信じている人間的な感覚には、むしろ忠実で素直である、といえます。
そして、そのラディーフは、既に内在しているグーシェ中の遺伝子によって律せられ、明確な自我を主張し得る「ダストガ−」、すなわち、完全なる固体(音楽)として最終的に成立する。



近代に入り、他のアジア世界同様、やはり欧化の波を被らざるを得なかったペルシア音楽も、五線譜化されるようになったそうです。それにしたがい、音楽も「全て口承」の伝統が崩れつつある、との報告も、谷氏の著作の中にはあります。
一方で、同書の中には、「印刷された楽譜に対して厳しい批判がなされつづけて来、今も続いている」事実も記されていて、今後のペルシア=イラン音楽の動向は、興味のある人たちにとっては目を離すことの出来ません。

途中の私の要約は、私が勝手な比喩を用いてもおりますので、先にも述べましたとおり、「正しくない」可能性大、ではあります。
が、「音楽」というものを総体的にみなおすとき、西欧的なものとは逆の入口を提供してくれるペルシア伝統音楽の発想法は、非常に魅力的でもあり、私たちに「発想の逆転」の必要性をアピールしてくれる重要な「知恵」でもある、との感慨が、ひとしおです。

では、グーシェがどのように組み合わさってラディーフとなり、ダストガーを構成するのか・・・は、短い演奏では分かりにくいので、長めのものを選び、最後にリンクをしておきます。お時間が許すようで、かつ、静かに耳を傾けることもできる状況でいらっしゃるのでしたら、是非お聴きになってみて下さい。
谷氏の著作の付録CDの2曲目です。14世紀の詩人による歌詞がついています。

(ハーフェズ【1390没】の詩による)17分22秒

・・・言い遅れましたが、詩人の年代が12世紀から14世紀である、という点から、私は、以上のようなペルシア伝統音楽の発想は中世には根ざし、ある程度の完成はみていたもの、と判断した次第です。

どうも、説明がヘタクソですみません。

(なお、若林忠宏「民族音楽辞典」による各用語の説明は、私が谷氏の著作から受けとめ得たものとはだいぶ異なっています。これがもし、私が谷氏の記述を誤解した結果によって違うものと感じたのであれば、それは私の認識力不足と言うことになります。ご興味のある方は、お読み比べになって、この点、私に誤認がないかどうか、ご教示頂ければ幸いに存じます。)

次はなるべく、インド旅行でもしてみましょうかね。

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