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2008年2月 9日 (土)

寄り添う(1)〜ソロ楽器とピアノの場合

先にご紹介を。特にピアノ好きのかたにはビッグニュースですので。

超絶技巧ピアニスト、ボリス・ベレゾフスキー氏のピアノリサイタルが、つくばノバホールにて下記の通り行なわれます。

  3月9日(日)午後3時開演 (午後2時30分開場)

このピアニスト、諏訪内晶子さんと同じ1990年に、おなじチャイコフスキー国際コンクールのピアノ部門で優勝した人ですが・・・日本では残念ながら名前をご記憶のかたがさほど多くないようです。
が、ツウのかたにお聴きしたところ、いま日本で人気の海外有名若手より、技術ははるかに上、とのことです。諏訪内さんの伴奏をしたCDも出ていますし、ソロアルバムも多数あり、なかでもリストのピアノ協奏曲は2作+「死の舞踏」で1,000円(!)で入手できます。・・・彼に付いては本文中でも若干触れることになるかと思います。
演奏会のご案内は、映像をリンクしたりして、また別途致します。
リストピアノ協奏曲第1・2番

・・・これだけの実力の人のコンサートが、ノバホールでは信じられないほど安く聴けます!すぐに「ノバホール」へのリンクをクリックしてみて下さいね!



この演奏でもお聴きになりながらお読み下さい。
江藤さんが、NHK教育テレビの「ヴァイオリンのおけいこ」でいつも最初に弾いていた曲です。

 「江藤俊哉の芸術」より。伴奏:江藤玲子(BMG BVCC-38160-63)


このタイトルでいくつ綴るか分かりませんので、括弧内の数字は仮のものです。
「寄り添う」とは、音楽では(ジャンルを問わず)セッション、あるいはアンサンブルのこと・・・アンサンブルという行為をすること・・・を指します。この点、日常生活の、たとえば「恋人が寄り添う」・「夫婦が寄り添う」というのと比べて、多少、敷居が高くなります。

おとといは「好き」という意味を考える過程で家内の思い出にまた触れてしまいましたが、さて、音楽ではどうだったか、というと、家内はその面では私の「伴侶」ではありませんでした。
家内に伴奏させると、こっちが伴奏に合わせなければなくなる・・・家内はあまりピアノが得意ではありませんでしたから。ですので、一緒に弾いたのは3回だけ、それも、家内の伴奏に、本来は主体であるはずの私の方が「合わせる」なんて具合でした。
家内は家内で、歌が上手かったはずなのですが、ちゃんと聴いたのは結婚のお披露目のときと、家族で新年会をやったとき無理やり歌わせたカラオケのときだけです。これは、私がピアノが全然ダメなので、私の方が家内の伴奏をしてやれなかったことにも原因があるでしょう。

だから、男と女としての私たちの間には、基本は「音楽」なんて、全く介在していなかったに等しい。数度だけ一緒にいったコンサートで、数度、たぶん「同じ想い」を共有しただけです。

普段の生活で「寄り添う」には、これで充分でしたし、仮に一度も一緒にコンサートに行かなかったとしても、何の問題もなかった。離れていれば離れていたで、また心と心、体と体を寄せ合うためには、何も余計なことを考える必要がない。



セッションで、アンサンブルで、自分が「演奏をする」となると、しかし、「寄り添う」ためには、お互いのハッキリした意思表示と・・・よりいいセッションを成し遂げたいのなら・・・最善の「方法統一」が要求されます。

「僕はこう歌いたいんだ」
「でもさあ、それじゃあ、こっちのギターのリズムやニュアンスとは合わないよ」

・・・互いの手の内が分かっていない(技術レベルの差、技術のよりどころにしているものの違い、そして何よりも音楽そのものに対する理解の仕方の相違、共感力の不足)となると、この2行のやり取りを延々と繰り返さなければなりません。議論が半端な間は、セッション(アンサンブル)は、あまりいい出来が期待できない。かつ、標題の「ソロ楽器とピアノ」という程度の、二人でのセッションなら、即興の場ではどちらか一方に共感力がそなわっていれば、そこそこの仕上がりで楽しむ(分かっていない方のメンバーと、その場に居合わせるお客様は、ですけれど)ことはできます。しかし、完成度を高めたい、となると、さっきの2行のやり取りの頻度は、レヴェルの高い連中ほど数が多くなることでしょう。

・・・もし、現実のデートや家族生活で、セッションのようなやり取りを延延と繰り返さなければならないとなると、これはもう、ウンザリです。それでも、相手を「好き」でいられる間は、限界まで我慢することは、「お仕事」で似たようなことがあった場合に比べれば、ずっと簡単です!
(幸い同じ部場の人ではないのですが、私はおととい、久々に「こいつ、やなやつ」と思った年上の相手がいました・・・バカヤロー! 他の人からも「やなヤツ」と思われている相手だから、いいでしょう。いや、その前に、私自身が、実はまわりからしたら「とてもやなヤツ」かも知れない・・・当人は、意外と、そんなことには無神経なもんです。)



すぐに話が逸れるから、いけません!

ソロ楽器(歌を含む)とピアノ伴奏の二人、という組み合わせは、「クラシック」以外のジャンルでは、あまりないですね。他にはジャズくらいかな。ピアノを三味線に持ち替えれば、ソロ楽器側は尺八か民謡歌手か、といった具合で、こうしたヴァリエーションは民族音楽では世界各地に存在しますが・・・脱線しますので、そっちへは敢えて顔を向けないように、我慢します。

話を元に戻しますと・・・「自分の音楽を持っている!」と明確に意識している人は、その音楽に「寄り添ってくれる」伴奏者を、非常に神経質に選びます。

<「技術のある人」は伴奏者は選ばなくても演奏できちゃうんじゃないの?>
そう勘違いしやすいし、指のパラパラ回る演奏家には、アマチュアの方が極端ですが、プロでもこの点、認識誤りをしている人が大勢います。

江藤俊哉さんは・・・って、また彼の話に戻るばかりなので恐縮なのですが・・・伴奏者を厳選した人です。自分をちゃんと理解してくれる妹さんが、長いこと、ピアノ伴奏者として、江藤さんの「音楽の伴侶」でした。江藤さんの幸せなのは、その後、息子さんがこれまたすばらしい「父親の理解者」になったことで、息子のマイケルさんと共演したシューマンのソナタは、是非復活販売して欲しいCDのひとつです。
妹さんとの共演は、いま時点でも何とか「江藤俊哉の芸術」で入手でき、聴くことが可能なのを確認できましたので、非常にありがたく思っております。

で、次にあげる、ある新聞記事からの引用文の際に江藤さんの伴奏を務めていらしたのがどなたなのかが、分かりません。けれど、文の主旨から推測するに、少なくとも、このときの江藤さんの伴奏者は、江藤さんの音楽に心から「寄り添う」ことが出来た方だったはずですし、そのおかげで、お聞きになっていた方もまた、安心して音楽に「寄り添う」ことが出来たのではないかと想像しております。(情報を下さいましたO様、ありがとうございました。最初の部分は、O様による、記事のご紹介)
以下、引用。

素敵な新聞投稿のご紹介です。と申しても、この1月22日に亡くなられた江藤俊哉さんの思い出話、沁みじみ転載させて頂きます。筆者の方には、電話でお許しを頂きました。朝日新聞・大阪本社版《声》の欄です。


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《停電の会場で 江藤さん演奏》    
                   牛乳販売業 能瀬栄太郎(岡山市 70歳)

 戦後の日本を代表するバイオリニストだった江藤俊哉さんの悲報を本紙で知った。真っ先に思い浮かべたのは、50年ほど前に聴いた岡山市公会堂での演奏である。この公会堂は、空襲で大きな被害を受けずに残り、市内で大きなイベントが出来るのは、ここだけだった。当時、労音の会員だった私は毎月一回、ここへ音楽を聴きに行った。音響効果は悪く、車の音が聞こえた。冷暖房の設備もない。床はコンクリートで、5、6人がけの長椅子が並んでいた。演奏中、コウモリが飛び廻ることもあった。

 江藤さんが、クロイツェル・ソナタの第2楽章をピアノ伴奏で演奏中だったと思う。突然、停電になり、堂内は真っ暗になった。しかし、演奏はそのまま続けられ、約千人の聴衆は静かに耳を傾けていた。10分後に明るくなったが、演奏は何ごともなかったように終わった。暗闇の中で、バイオリンとピアノの音色が絡み合うように響き渡り、曲と同名であるトルストイの小説への理解がいっそう深まった思いがした。江藤さんのご冥福をお祈りする。

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「寄り添う」コツは、大学時代に、先輩に散々叱られ叱られ教わりました。
音楽全般に対する価値観が正反対だったため、結果的に私はその先輩達とは袂をわかってしまったのですが(それでも、この先輩たちが私の最大の恩人たちであることは、いつも心の中で変わりません)・・・以降、音楽で「寄り添える」相手にはなかなか巡り会えません。・・・ひとつには、私のレベルが低いこと。もうひとつには、相手をして下さる方に「共感能力」を見出し難い場合が多いことがあり、ある時点で、セッション的な小さなアンサンブルをすることは断念してしまい、今日に至っています。

本来は「寄り添う」だけなら、あまり難しいことではなくて、
「あ、次のところ、彼(彼女)の音の出し方だったら、こんなイントネーション、強さ、輪郭で弾いてくるな」を予測するだけなのです。それを、二人だけでやるのですから、本当ならピアノ伴奏だけでのソロは、セッションとして非常に楽なはずなのですけれど、これがなかなかそうは問屋が卸してくれません。仮にこっちが予測をつけていても、相手側は私の「次」について予測をしてくれない。・・・これでは、成り立ちません。

人数が増えたら、なお一層大変です!・・・いずれ、そのこともお話します。



冒頭でご紹介したベレゾフスキー氏が、チャイコフスキーコンクールの同期生である諏訪内晶子さんの伴奏をした例をお聴きいただいて、今回は終わりにしましょう。

地味かも知れませんが、優しい旋律の曲を選びました。

・・・お互いによく「共感」しあっているのが、ハッキリ分かりますね。
しかも、本来「ソリスト」であるベレゾフスキー氏が「伴奏」とはなにか、をよく心得ている点は、傾聴すべきです。(次回のご紹介では彼の素晴らしい技巧を「お見せ」出来ればと思っております。
・・・諏訪内サン、檀那さんに言いつけますよ!(って、話が違うわいな。)

スラヴォニックMusicスラヴォニック


アーティスト:諏訪内晶子

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