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2008年1月 4日 (金)

ツレがウツのあいだに死にまして

明日1月5日にTMFの演奏会を致します(無料)。上野や浅草から近いので、お気軽にお越し下さい。
くわしくはこちらをご覧下さい。



ツレがウツのあいだに死にまして・・・1年と1週間過ぎました。

夕べ、私の実家から帰って、ファミレスで夕ご飯を食べながら、我が子たちはそれぞれ
「ツレがうつになりまして」・「その後のツレがうつになりまして」
に読みふけっていました。

参りました。

笑って読んでくれているから、まだ救いはあります。ですが、片親の家庭で
「父親がウツという病気なんだ」
ということを意識しつつ育って行くのが、中三と小六の年頃の子にとって、良いことであるはずがありません。

かといって、自分が「ウツ」であるという現実、そこからもう少しで這い上がれる、というところまでたどり着いた矢先に、最も支えとなってくれていた「ツレ」を急死で失ってから・・・もう私が「ウツ」であることなど(職場で事情を把握しておかなければならなかった上司ほか数人を除いて)身近であったはずの誰も彼もが忘れてしまっていて、かつ、そんな親が一人で子供を養うのだということをも念頭から無くなって・・・他にやる人もいませんから仕方もなかったのですけれど、私だけが「ツレ」の埋葬、死後の手続に翻弄されて、気づいたら一年経ってしまいました。
そして、私はまだ、「ウツ」から解放されていません。
ただとにかく、悪化しないようにだけ心がけてきたつもりでした。おかげさまで、悪化は免れました。
だからといって、もう、誰が一緒に喜んでくれるわけでもありません。

回復が最大の課題。
でも、頑張れば頑張るほど、良くない結果が出る課題。

誰のために? と、問い続けて、年が明け、正月が過ぎ、普通の暮らしが戻ってきました。

子供たちのために?
であれば、子供たちが目標の生活で自立し得れば、私の役割はおしまいです。この世でのお役目終了。

それでいいのかどうか、分かりません。
「普通の暮らし」・「普通の人生」、それはどうやったら見つかるものなのでしょうか?
「お役目終了」まで人生を送るのでおしまい、が普通ということでいいのでしょうか?

トルストイに「人はなんで生きるか」という寓話がありますけれど、そこにも答えはありませんでした。いや、「ストレートな答え」はトルストイも見つけかねたのだ、と思っています。

私はなんで生きているのか? この先なんで生きるのか? 

そのことがハッキリと、カタチを持って分からない以上、私は我が子たちにとって「親」として胸を張れる人間ではいられないのではないか。
子供たちが仮にちゃんと「自分の目標」を遂げ、自立し得ても、私は結局はそのための何の力にもなっていなかったことになるのではないか?

そんな自問から、また日常が始まりました。

なにかを見つけたい。出来れば、それがまた再び、私にとって得難い宝物になるようなものを、何とか見つけ出したい。
まずは迷いの中に身を任せてみるしかないのかもしれませんが、
「今年は新たな宝探しの年」
そう心がけて、何とかいのちを保って行きたい、と、切に望んでいます。

新年の抱負にしては、なんだか頼りないのですけれどね。

ツレがうつになりまして。ツレがうつになりまして。


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その後のツレがうつになりまして。その後のツレがうつになりまして。
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コメント

kenさん、

あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いしますね。

>
片親の家庭で
「父親がウツという病気なんだ」
ということを意識しつつ育って行くのが、
中三と小六の年頃の子にとって、
良いことであるはずがありません。
>

うーん。でも、うろおぼえですが、「人はなんで生きるか」の
中で、天使が地上に降ろされてしまったのは、片足が不自由な
乳飲み子を抱いた若い母親が天に召されるのを拒んだため
だったからではないでしょうか。

天使も「これはあまりにむごすぎる」とばかりに神に反抗した
わけです。

しかし後年、その地上に降ろされてしまった天使は、その
時の女の子が成長した姿に接します。彼女は村人たちに
育てられていたわけです。村人もその女の子を育てることに
よって救われるところが大きかったように覚えています。

神の愛は、人間の想像力どころか、天使の想像力さえも
超えていたわけです。

もちろんこれは作り話です。しかしこのような可能性を
はなから否定できるだけの知性を私たち人間は持ち得て
いないと思います。


>
トルストイに「人はなんで生きるか」という寓話がありますけれど、
そこにも答えはありませんでした。
いや、「ストレートな答え」はトルストイも見つけかねたのだ、
と思っています。
>

ひょっとしたらトルストイは「(神の)愛によって生きる」
とか言ったストレートな言い方をしていたかもしれません。
(手元に本がないのでわかりません)。

でもそのような「ベタ」な言い方は、しばしば私たちの
直接の救いにはなりません。あまりにも雲をつかむような
話だからです。

しかしそれこそが神の救いなのではないでしょうか。

少なくとも私は、世俗的にとてもよくわかる話を「救い」
や「救済」とするような宗教観には疑念を持っています。


うーん、うまく説明できていませんね。

でもごめんなさい、この冬はまだ一枚も年賀状を書いていない
ので、今から年賀状の返事を書きます(汗)。

今年がkenさんと、kenさんのご令嬢、ご子息にとって
よい一年でありますように!

投稿: イワン | 2008年1月 6日 (日) 15時27分

イワンさん、ありがとうございました。
とかく、「先を考え過ぎ」なのかもしれず、拝読して反省しました。
子供時代、片親になって、結局は施設に預けられた子供たちが、友達にたくさん要る環境で育ったせいもあり、その時友達に抱いた感情がそのまま子供たちの方を見る時飲めになってしまっているかもしれません。

トルストイは、イワンさんの仰る通りの答えは用意していたと思います。
「神の愛によって」生きる、というのは、しかし、苦境の伝導環境下にあったパウソの受け売りで、パウロの精神そのものではないと感じているところから、どうしても私もイワンさんに似た感想を持っていたかもしれません。

人間の生活は、いつも「ベタ」な悩みにあふれていて、「ベタ」な救いで安直にその日暮らしをさせてもらえる。

究極の答えは、小個人によって違うかも知れないのですが、子供たちは子供たちなりに、僕はそろそろきちんと心を吹っ切れさせて、僕なりに、自立した答えを見つけて行かなければなりませんね。

ご教示に深く感謝しています。
これからも宜しくお願い致します。

投稿: ken | 2008年1月 6日 (日) 18時20分

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