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2008年1月23日 (水)

ほんとうのやさしさに出会いたい

・・・大袈裟なタイトルですね。

今日の雪模様で、雪国育ちだった家内のことを、ふといろいろ考えていた私でした。

娘が小学校卒業間際に、跳び箱に失敗して足を複雑骨折しました。
中学校の入学式までには、なんとか退院しましたが、1ヶ月間は車椅子でした。
亡妻は、そんな娘を、毎朝、3階にあった教室まで、車椅子のまま担ぎ上げ続け、そのあとで出勤しつづけました。

その1年半前には、息子がウィルスか何かのせいで血尿が出て、やはり入院となりました。
このときは夕方しか見舞えなかったのですが、仕事が終わるとすぐに駆けつけ、病院から出なくてはいけないギリギリの時間まで付き添っていました。

そんな非常時でないときには、自分も出勤の支度で忙しいのに、毎朝、子供達が登校する姿が見えなくなるまで見送ってやり(って、実は、これだけは私が最初に始めたのですが・・・自慢になりません)、遊びに出かけるときにも同じように見送っていました。

母親を亡くした時、子供達は、通夜・葬儀の時には、もう泣きませんでした。・・・前にもつづりましたが、以後、やはり、法要の席でも泣くことはありません。
「愛情を、きちんと、たっぷり受けたから、悔いがないんじゃないの? 子供の方が、そういうことについてはよく分かっているし、忍耐力もつくものだから」
と、人に言って頂いた事があります。いま、私も、その通りだ、と受け止めています。

車椅子のことや、入院の付き添いのことは特別ではあるかもしれませんが、家内は、我が子に一生懸命愛情を注いだ。
決して単純に優しい母親だったわけではなく、怒ると、私なんかよりしつこく怒鳴りまくる、恐ろしい存在でもありました。ただし、怒りが収まると、必ず今度は自分が
「いっぱい怒っちゃって、ごめんね」
ベソをかき出して、そういうのが常でした。

家庭内だけでそうなのか、と思っていたら、学校の、自分が面倒を見た生徒さん達に対してもそうだったらしい。お通夜も終わって片付が始まったときに、髪を茶色に染め、鼻にピアスをした男の子が、息せき切って駆けつけてくれましたし(聞いたら「いま、タイル職人やってるんです」とのことでした)、同じような子供達がたくさんお悔やみに来て下さいました。
「普通、ないよ! 学校の先生がこんなにいろんな子に慕われるなんて」
・・・本当にそうかどうか分かりませんが、通夜・葬儀を通して来て下さった生徒さんは千五百人は超えていたことだけは分かっています。・・・それ以上だったはずですが、いまだに、きちんとは数え切れません。
で、生徒さんと家内が、どの程度、心と心で繋がっていたのかは、遺憾ながら私には掴めません。

こんなこともありました。
抱っこしていたのをおろした途端、下の子が急に走り出し、慌てて追いかけた家内は、道のデコボコに足をとられて地面にベタッと転び、顔中血だらけになってしまいました。
「ずっとこのまんまだったら、嫌いになる?」
そう聞かれましたが、私はそのときは話をそらしました。
「怪我なんだから、どうせそのうちきれいさっぱり治るんだからさ、きにすんな」
・・・今になってみると、こんな答え方でよかったのかなあ、と、しきりと気になるのですから、オヤジは子供に比べると弱いもんです。



このところ、日本のクラシック音楽の世界で大事な思い出を下さった鈴木清三さん江藤俊哉さんが立て続けに亡くなり、直接師事した先生方ではなかったとはいえ、家内の死から1年ちょっとを経たところで、また大きな悲しみを味わうことになりました。
お身内のかたは、なおさら、さぞや、とお察し致します。

せめて、思い出のよすがに、と、今日、両先生の残した録音が特設コーナーを設けて売られていないか、と思い立って、昼休みに大きなCDショップへ出かけてきました。
でも、組まれていたのは、「カラヤン生誕100周年」とか、あるいは今売れている人の特集コーナーばかり。

まだ「追悼:江藤俊哉氏・鈴木清三氏」なんてコーナーはありませんでした。

「マーケットは、優しくないなあ」
がっかりして職場に帰りました。
(ネットで手に入るのは分かっているんですけれどね、ショップとかメディアの「気持ち・心」が知りたかったのです。)

まだ綴ったことがありませんが、日本のクラシック音楽市場は、いかに日本に貢献した人物であっても、物故した音楽家には、得てして「無視する」傾向が強いなあ、という気がしています(POP界はそうじゃないのに!採算ですか?)。
たとえば、ズデニェク・コシュラーさんを覚えていらっしゃいますか?
あるいは、ペーター・シュヴァルツさんという名前をご記憶ですか?
武満さんにしたって、亡くなった直後には、やはりCDショップには追悼コーナーがありませんでした。
岩城宏之さんについても、同様でした。
・・・パヴァロッティの逝去時には、翌日には大々的に看板が出ていたのに!

コシュラーさんは、ナチスの迫害を受けて、背骨が曲がったままでした。それでも、終始一貫、明るく振舞い、彼の棒の下で奏でられる音楽は、いつも不思議な明るさを放っていました。かろうじて、彼の録音はいくつか手に入ります。ですが、たびたび振った日本のオーケストラとの録音は、希少です。
シュヴァルツさんは・・・私は中学時代に彼の指揮するコンサートを最前列で、しかも野球帽をかぶったままという失礼な恰好で聴いていたのですが、コンサートが終わったときに、こっちを向いて手を振ってくれました。「オーケストラがやって来た」にもたびたび出演なさったし、札幌交響楽団の第2代常任指揮者でもありましたが、ドイツにお帰りになって以降の経歴は、調べても「ミュンヘンなどで教鞭をとられた後に亡くなった」とかろうじて分かった程度で、亡くなったのがいつかさえ、少なくとも日本のサイトやブログ上で情報を見つけることが出来ませんでした。録音はまったく見つけられませんでした。



家族同士の「優しさ」は、ホンモノとして、家族が生きている間はずっと、忘れ去ることはありません。
それでも、家内と接することで私も恩恵に預かれた彼女の「優しさ」には二度と触れられない・・・これが、とても堪えます。

せめて、世の中がもっと「優しさ」に満ち溢れているのだったら、家族という閉鎖空間だけではない、広い世間で「優しさ」を与えてくださった方々に、私たちは「優しさ」で恩返しをしなければならないはずだと思うのですが・・・それが、ない。

CDショップで、しばし呆然とし、帰り道で、あらためて深く感じました。
「寂しいなあ・・・悲しいなあ・・・」

C型肝炎訴訟の和解のニュースも、本質的には「優しさ」をどう形にするのか、をめぐってのものであって、本来は「謝罪」などという用語で決着のつく話ではないのだ、と感じてはいるのですが、この話にはいろんな考えをお持ちのかたもいらっしゃると思いますので、これ以上立ち入りません。私が今綴っていることの目的でもないですから。

ほんとうのやさしさに出会いたい。

やさしさを持った人同士で、やさしいコミュニケーションがなされていきますように。
それが、きちんとした形を持って示されることが、もう少しちゃんと、日常化されますように。

私は会社員なので、言い切れる資格はないかもしれませんが、
「営利追求」
ばかりの販売という「垢」が目に付くこの国は、いっぺん、きちんとお風呂に入り、体をきれいに洗って欲しいなあ、と、切に感じます。



まだ定住先も決まらず、家内と二人ジプシー生活をしていたある早朝、関東には珍しい、10センチを超える積雪でした。それでも、いつものように、「さあ、今日も出勤だ!」とそれぞれに分かれて出かけました。その朝歩いた純白の道が、いま、私の胸にありありとよみがえってきています。

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コメント

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せめて、世の中がもっと「優しさ」に満ち溢れているのだったら、家族という閉鎖空間だけではない、広い世間で「優しさ」を与えてくださった方々に、私たちは「優しさ」で恩返しをしなければならないはずだと思うのですが・・・それが、ない。
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あの~。このブログ、十分に優しいんですけど(笑)。

投稿: イワン | 2008年1月23日 (水) 20時10分

イワンさん、

どないなもんでしょうかねー。。。

投稿: ken | 2008年1月23日 (水) 21時36分

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