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2008年1月31日 (木)

音楽と話す:「響き」か「言葉」か

    人間には港がなく、時間は寄る岸辺なく、
     時間は流れ、わたくしたちは過ぎて行きます。
       ----ラマルチーヌ「みずうみ」から。入沢康夫訳



音楽と話す:(これまで話してみたこと)
いりぐちのおはなし
なぜ、あなたは私の心を動かすのですか?
どうやったら、あなたに近寄れますか?
そもそもどうやって、あなたと出会えたのでしょうね?


・・・音楽さんとお話してきて、別に計画無しにお話しているので、話が堂堂巡りしているのはともかく、分かりやすい言葉だったかなあ、と、何気なく反省して記録を読み直してみました。
思いのほか、
「むずかしいや、こりゃ!」
でありました。
音楽さんが、こないだ黙りこくってしまったのも、無理のないことだったかもしれません。
でも、もう1回くらいは、難しい話をしなければなりません。・・・まずは、音楽さんへのお詫びから。


「音楽さん、ごめんなさい」
「へ、何が?」
「話を、難しくしちゃったかも知れません」
「いや、なんの」
そうは言ってくれたものの、音楽さんは、いま、あんまり明るい顔をしていません。
少し、様子を見ていました。

ようやくのことで、音楽さん、ぼそり、と口を開きました。
「あんた、あっしがどんな生まれか、ご承知で?」
「は?」
「あっしが、どこでどうやって生まれたのか、ご存知ですかいな?」
「・・・いえ、全然。」
音楽さんは、深い溜息をつきました。
「実は、あっしにも、分からないんでさぁ。。。」
いけない、暗い過去の打ち明け話でも始まるんでしょうか?

「気づいたときには、あっしは、響いてたんで。」
「どんなふうに」
「最初気づいたときは、火山が噴火したときの、ものすごい大きさで」
「それは、とんでもない!」
「でも、次に気づいたときは、鳥の声みたいな、可愛らしい声で」
「ステキじゃないですか?」
「いや、なんで、最初と次の記憶がこんなに違うのか、皆目見当がつかねえんで。。。」
「はあ・・・」
「とにかく、あっしは、ただの<響き>だった」
「ただの、ですか?」
「そうですじゃ。それを、あっしに<音楽>だなんて名前を付けたのは、あんたたち、人間さんなんで」
「ほほう。」
「名前を付けたとき、一緒に、あっしに<言葉>ってものをくっつけた」
「言葉、ですか?」
「<歌>とかいうやつなんでさぁ」
「<歌>ですか?」
「で、あっしの<響き>よりは、<歌>ってやつの言葉で、あっしを分かってやろうじゃねえか、って具合に、話がまとまったみたいじゃな」
「整理がついて、良かったじゃないですか」
「ところが、そうでもねえんで」
「整理がつききらなかった、ってことですか?」
「まあ、そういうこっちゃな。<歌>で満足しねえ学者さんつうのがいて、あっしの<響き>が、どう組み合わせたら人間様の耳に気持ちいいか、なんてことを、いっしょうけんめい調べだした」
「言葉とは、関係なしに、ですか?」
「左様。たとえば、1本の糸を用意して、その半分の長さの別の糸を用意すると、同じ音になる。同じように、3分の2の長さの糸を用意して、元の糸と一緒に鳴らすと、それだけで<音楽>がきれいに聞こえるんだよな、とか言い出しやがった」
「<言葉>がなくても、音楽さんは音楽さんでいられる、ってことになったわけですか」
「そうらしいんでさぁ。」
「まあ、これ以上、ますます話が難しくなっても何ですから、このくらいお聞き出来れば、一応充分ですよ」
「ありがとサン。・・・でも、あっしって、ホントはいったい、何者なんじゃろな・・・」

これまで私を半分せせら笑っていたふうな音楽さんでしたが、結局は、私の方が音楽さんを悩ませてしまったみたいです。



音楽にとって何が大切か・・・人間が考えてきたことには、長くて、複雑な歴史があります。
歴史を辿ることは別にやっていますので、以降、音楽さんとの対話そのものは、

・「音楽」はどういう要素から成り立っているか

・そうした要素が「音楽」に仕立て上げられるには、どんなルールが必要か

という方向で進められればいいのかな、と、いまはふと、思っています。それでいいのか?

ひとつだけ、ある方からご指摘いただいていることですが、キリスト教の「聖歌」で何が重視されてきたか、についてのみ、他宗教との比較も少し挟み込みながら、補足をしておきましょう。

こんにちも歌い継がれている古い(カトリックの)聖歌は、ヨーロッパの場合は、4世紀のアンブロジウスという人がまとめたものが源になっているかと思います。
彼の名前を冠した聖歌は、緩やかながら「リズム」が明確で旋律が豊かですので、アンブロジウス自身は、おそらくは「信者にとって歌いやすい」ことを最優先にまとめあげたのではないかと思われます。
ですが、アンブロジウスその人の功績を評価し、聖歌の重要性を訴え、後世に大きな影響を及ぼした教父アウグスティヌスは、旋律やリズムに酔うことが聖歌の主目的ではない、ということを、口を酸っぱくして述べています。むしろ、その歌の「言葉」によって、歌い手がその信仰を浄化させることが大事なのだ、という見解を持っています。

イスラム場合には(文献は狭い範囲のものしか読んでおりませんが)、コーラン【クルアーン】の朗詠を私たち非信者が聴くと
「荘厳な歌だなあ」
と捉えてしまうのですが、イスラム教徒の人にとっては、コーランの朗詠を音楽と考えることは許されない行為です。そこにたとえ美しい旋律があっても、心惹かれるリズムがあっても、それはコーランの心がもたらしてくれるものであって、音楽とは区別して捉えなければならない、ということのようです。

イスラムは厳格な宗教ですから、上記について異なる意見や見解は存在しないでしょう。
仏教については・・・経文を唱えるときには独特の節回しがありますけれど・・・明確な見解はありません。
キリスト教の中でもカトリックの場合は、宗教音楽についてはテキストが固定化されていきましたから、特にルネサンス期以降は「旋律・響きの豊かさ」の方を重視する傾向になっていったのではないか、と、私は受け止めております。たとえばドイツのプロテスタントのコラールは、すくなくとも草々当時は「言葉重視」です。ですが、こちらも、ある行事で歌われる旋律は固定化されていきましたから、結局はその旋律が「信仰」の象徴になり、言葉不要のオルガン作品に用いられるだけで信仰の象徴ととらえられるようになっていきます。

いずれにせよ、少なくとも、「信仰」に関わる音楽(もしくは韻律)は、信心を促進するためには<言葉>が優先される、というのが基本となるのでしょう。


今日の会話のまとめ

音楽:「あっしは、実は、あっしがどうやって生まれたのか、知らんのですじゃ」
私 :「どういうことで?」
音楽:「あっしを<音楽>と呼ぶようになったのは、人間達なんですがね」
私 :「そうですか」
音楽:「それは、あっしがただ単純な<何か>だったから、じゃあねえんです」
私 :「と仰いますと?」
音楽:「あっしが<音と音の響き合いだ>、っていう人もいれば、<滑らかに流れる言葉で心に訴えかけるもんだ>っていう人もいて・・・いったい、どっちがほんとなんですかのう。。。どっちもホントなんですかのう」
私 :「・・・分かりません」
音楽:「・・・そうでっか。。。」

お粗末さまでございました。

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2008年1月30日 (水)

しあわせなとき

ちょっとうれしいとき:
 受験に、柔道に頑張っている我が子たちが、
 「20歳になったら、一人でどっかへ引っ越そうかな」
 ・・・自立心が芽生えていく。
  カアチャンにべったりだった頃は、
 「ずっとここのうちに住む」
 と言っていた子達です。カアチャンのそばが、心地よかった。
 いまは、自分の目標も出来始めたのですね。どんな些細なものでも、それで独り立ちしようという気持ちを持てるようになったのだから、素直に「偉い!」と誉めてあげたい。

ちょっとさびしいとき:
 ・・・でも、子供達が自立していく、ということは、僕は「置いていかれる」訳でして。
 まあ、トウチャンの側は、心地よくないだろうからな。
 「見捨てていくからね〜」
 って、笑顔で言われる。
 寂しい。

とってもさびしいとき:
 どっちにしたって、子供が声をかけてくるうちは、「何でそうなるの!」って怒ったり不機嫌になったり、しまいにはあきれて大笑いしたり。・・・家事も、子供達がいるから、なんとかやれる。やってもやっても散らかされて頭にはくるけれど、これが一人だったら、自分だけが散らかし放題で、片付けもしないでしょう。洗濯もしないでしょう。飯も作らないでしょう。
 その日の、子供達との大騒ぎが終わると、ポツンとなります。子供達が起きているうちに、ブログの下書きを綴って、子供達がなかなか寝なければ、それをアップして・・・このリズムなら、まあ、なんとか「ポツン」は避けられます。でも、子供達の風呂が済まないと洗濯にかかれないから、だいたいは、寝るのは子供達がいびきをかき出したあとになる。
 仏壇(とはいっても、コンパクトな厨子なのです)の、位牌の前のコップに酒を注いで、自分もコップに半分、酒を注いで、乾杯して、別に位牌に話し掛けるでもなく飲む。
 ・・・こんときゃ、まだまだ、とってもさびしい気持ちが抜けません。
 で、お決まりのお唱え事をして、すぐ布団に入ります。

でも、ちょっとうれしいとき
 朝出かける子供達を、見送るとき。夕べ落ち込んでいても、朝は必ず元気に出て行ってくれる。ですので、私はまだ家事の途中でも、着替えの途中でも(これはヤバイか!)、必ず表に出て、通路で「頑張ってきな!」と声をかけます。
 ・・・言われなくたって、やつらの方が頑張っているんですけど。
 症状がどうしてもダメな日、が、まだ皆無ではありませんが、これで自分にも気合が入る。

わかんないけどうれしとき:
 職場にいたら、まあ、まじめに仕事、が当然で、意外とまわりは冷静な会話ばかり。
 そんな中で、ちょいと通路に出て、出くわした「いじわるさん」にひとことからかわれたり、からかい返したり・・・数秒漫才が出来たときは、一日中うれしかったりする。なんでこんなに極端なんだかよくわかりませんが。

しあわせなとき:
 ・・・ですので、「さびしいとき」以外。
 それ以上、欲張ったら、しあわせでなくなるのかな、と思う、今日この頃。

まるきり、独り言でした。失礼しました。

お詫びに一曲。 (五嶋みどり)

・・・独奏曲としては大変ですが、オーケストラの中では、私は学生時代にも勤めてからも、コンサートの中で「弾かされ」てヘマした、恥ずかしい思い出があります。

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2008年1月29日 (火)

忘れ得ぬ音楽家:7)ボロディン弦楽四重奏団

本当は先日ちょっと触れたコシュラーさんのお話をしたかったのですが、急遽取り寄せた映像の入手に1ヶ月かかるらしいので、あらためます。



就職後、最初は営業職、つづいては出張商売の日々で、コンサートに行く機会もめっきり減りました。
結婚後はすぐ子供も生まれましたし・・・今にして思えば家内の術策にハマった気がしないでもないのですが・・・、自分の所属する楽隊で(ちなみに、「楽隊」という言葉は、本職さんでもヤマカズさんの世代では好んで使われた表現でした)ヘタクソなヴァイオリンを弾くしか能がない日々が続き、数少ないチャンスに、数少ないコンサートを聴きに行けるだけでも嬉しかったのですけれど、家内も死んでしまったうえに、子供たちはちょうど進学期ですから、今は全く行けないも同然の日々になってしまいました。

ですが、音楽は、やっぱり「演奏する姿を実際に目にしながら」が、いちばんいい。何故か?・・・息遣いが、表情が、音楽をより広がりのあるものにしてくれるからです。
ポップのコンサートでは当たり前なこんなことが、
「え、クラシックもそうなの?」
と思われてしまうのは残念ですが、確かに、ドラマ「のだめ」でやっていたような、ポップ的盛り上がりはありません。そのかわり、じわあ、と、静かに胸に響き、ゆるゆるとしみ込んでくるものがある。
・・・とはいえ、私は寂しがりで、相棒無しで独りコンサートに足を向ける、なんてことは思いもよりません。
そういう自分を、まだ「コンサートに行く」ということを覚えたばかりの中学時代の自分自身に比べると、弱虫になってしまったかなあ、と思います。



となると、新入社員時代に仕事から夜中に帰って、自分一人で部屋にこもって、(当時はまだLPレコードに針を落として)涙しながら聴いた音楽の数々に、再び私の慰め役をしてもらうしかありません。

いくつかの曲と、これでなければならない、という演奏がありました。
大学時代にオーケストラに入団してからは(アマチュアオーケストラ活動自体は高校1年のときからしていましたが)クラシックオンリでないとやっていけない暮らしでしたから、ほとんどクラシックでした(僅かに、ビートルズ【アビイ・ロード】や、マイナーなパンクロック・・・名前は忘れてしまいました・・・が混じっていただけです)。

そのなかで、心変わりしないでずっと聴き続けていたのが、ボロディン弦楽四重奏団の演奏による、「ボロディンの弦楽四重奏曲第2番」です。作曲家の名前を冠した団体だけに、この曲については、彼らの演奏を超えるものはない、と、未だに信じています。



ちょっと余計な長話をします。
この曲、4つの楽章から成り、聴いて頂ければ がいちばん有名なのですが(モノラルですけど から、聴いてみて下さい[London 223E 1164] 。「あ、知ってる!」・・・でしょう?)、私の好きなのは、有名なその楽章ではなく、第1楽章、つまり、作品のいちばん最初の音楽でした。今でもそうです。
学生時代、腕のいい先輩たちがよく挑戦しては敗北(つまり、途中で引っかかる)しているのを脇で聴いていて、
「オレはいつか、ボロディン四重奏団みたいに弾いてみせるぞ!」
と意気込んでもいた、憧れの作品でもありましたし、何よりもボロディン弦楽四重奏団という四人組自体が、奇跡的な存在でした。
当時は、ロシアが「ソビエト連邦」で、「鉄のカーテン」などという言葉もまだ活き活きと使われていましたから、彼らの出す音は「鉄のカーテンのようだ」と、その演奏を聴くたびに思いました。

録音で、だけではなく、学生時代に、実際に2、3度、ステージ上の彼らを目の前にしました。
でも、コンサートでボロディンを弾くのを聴いたかどうかは、今、はっきり覚えていません。ショスタコーヴィチの弦楽四重奏曲第8番を弾いたのは、間違いなく聴きました。
この4人組、実際、やはりソビエトの超一流団体だったベートーヴェン弦楽四重奏団に次いで生前のショスタコーヴィチと縁の深い人たちだったのは、ショスタコーヴィチファンはご存知の通りです。ショスタコーヴィチの四重奏曲の全集を作曲者の生前に13番まで完成し、その後メンバーが入れ替わって15番までの全集をも完成しましたが、最初の13番までのものの方が断然いい演奏だと勝手に思っています・・・話ががそれました。

そんな名演奏家たちですが、街での演奏会ではなく、ちょっとハズレの、田んぼの中のホールでコンサートを開いたことがありました。じつは、その時のお話がしたかったんです。
車数台で出掛けたように記憶しています。



学生で図々しかったのもあり、その日はサイン会があるわけでもなんでもないのに、終演後、勝手に楽屋に押し掛けました。・・・田んぼの真ん中のホールだけあって、楽屋、といっても立派なものではなく、鏡もろくにない大部屋でした。が、そこはロシア人、大部屋でもまだ狭い、という感じ。窮屈そうに楽器の掃除と片付けにかかっているところでした。
「どんな楽器を使ったら、こんなに強靭な音がするんだ?」
興味津々で、通訳もいなかったし、言葉も通じないのをいいことに、片付けているメンバーに近寄って、ヴァイオリンやヴィオラを覗き込みました。
この頃には、アメリカ系のオーケストラはニスの上に艶出しを上塗りして弦楽器をステージのライトでビカビカに光らせるのが流行っていました。
ですが、ボロディン四重奏団の楽器は、そんな艶出しをしていませんでした。
たぶん、国家貸与の、クレモナあたりの銘器だったのでしょうけれど、見る目のない学生には、光っていない分、大変安っぽい、素朴な楽器に見えたのを覚えています。
・・・でも、たしかに、その方が音がいいのです。
・・・木材が余計なコーティング(お化粧)をされていない方が、ヴァイオリン族弦楽器は素直な音がする。本物の美人さんと同じです。ですから、見たとたん、
「ああ、きれいだなあ!」
と感激しました。
感激のあまり、こちらの面々は、よっぽど「餌を前にした狼」みたいに目をギラギラさせていたのでしょうか・・・彼らは慌てて楽器のケースの蓋を閉じました。

そのとき、閉じる蓋のどれもに、写真がはさんであるのに気づきました。
有名団体でしたから、世界各地を飛び回る生活が1年のうちの3分の2以上を占めたはずです。
写真は、そんな長い旅行期間中に、彼らが思いを馳せ、安否を気づかい続けているご家族のものだったのでしょう。
お待ちになっていた奥さんやお子さんも、同じく、彼らの安否をいつも気づかっていたことでしょう。

今ほど国際電話料金も安くなければ、インターネットはおろか、パソコン通信などというものもなかった頃でした。



話が変わって恐縮ですが、モーツァルトが妻コンスタンツェと旅行中に、子供が死んでしまっていた・・・夫妻はウィ−ンへ帰宅後初めてそれを知った、ということが、モーツァアルトの伝記には必ず出ています。ですが、その時の夫妻の思いについてまで触れているものは、全くありません。旅の間に子供を失ったことが、モーツァルト夫妻は悲しくなかったのでしょうか? もちろん、当時、乳幼児の死亡率は非常に高かったんですけれど。ボロディン四重奏団の写真のことを思い出すたびに、モーツァルト夫妻のこの件をも、つい思い浮かべてしまうのです。


学生時代、他に聴いたクァルテット団体は、巌本真理弦楽四重奏団(これは高校時代で、お客も高校生が中心で、これだけは「のだめ」見たいに盛り上がりました。巌本さんはすごーい美人でした)、バルトーク弦楽四重奏団、スメタナ弦楽四重奏団、アルバン=ベルク弦楽四重奏団。。。アルバン=ベルク四重奏団だけが今度解散、でしたかね。他もみんな、解散したり、メンバーが物故してしまいました。とくに、巌本さんが思いがけず早世なさったのは、寂しかったな。

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2008年1月28日 (月)

モーツァルト:誰のために?(1776年のピアノ協奏曲群)

    生きていたければ出口を見つけなければならず、
    その出口は逃亡によってはひらけない。

       ----カフカ「ある学会報告」から----



ここまで読んできたモーツァルト作品の個々へのリンクを作成し直しました。ご利用下さい。

音楽を作る。・・・作品を作る。
「誰のために?」という問いは、職業人として創作する場合には、意味がないのかもしれません。
モーツァルト以前の代表的な例(各人物が、必ずしもあげた例だけに限って創作したわけではありませんが)。
バッハを始め、多くの場合は、仕える君主、個別の注文主、あるいは教会のために。または、自分の弟子の訓練のために。
テレマンは、雑誌を発行するようになりましたから、その読者のために。
ヘンデルは、自らオペラをプロデュースしましたから、そのプロジェクトのために。
いずれにしても、注文主のためか劇場のため、と特定された作品であることが原則でした。
愛する人のために、愛の証しとして、という創作は、職業である限り報酬が前提ですから皆無に等しいでしょうし、まして、自分自身のために、などということは、習作以外には、ありえなかったのではないかと思います。

今日採り上げる、モーツァルトの1776年の3つのピアノ協奏曲のうち、2作品は、やはり、お金持ちの貴族の為にかかれたものであることがハッキリしています。
1作だけが、分かりません。
・・・で、この1作、わずかに分かるその後の演奏歴から見ると、もしかしたら「モーツァルト自身の為に」・・・ただし、もちろん、無報酬などと言うことは前提にはなく、「彼自身を不特定多数の人に売り込むために」書かれた可能性も、ゼロではないんじゃなかろうか、と、勝手に勘ぐってみたくなる、ある意味では他の2曲よりも突出した創造物になっています。

なお、「愛する人のために」という作品も、モーツァルトはマンハイムに旅行して以後つくることになるのですが、それはまだ先の話です。

「愛する人のために」、あるいは勝手な勘ぐりからとはいえ、もしかしたら「自分自身のために」創作する精神が芽生えたのだとしたら、これは音楽の歴史の上で特筆すべき出来事です。
繰返しになりますが、「職業として」創作している以上は、無報酬という前提はありえません。だから、<このような精神の芽生え=見返りを求めない奉仕の精神の芽生え>、と受け止めることは出来ません。いや、見返りを求めることの方が、人間として自然でもあります。
ただ、「報酬をもたらしてくれる相手のために」ではなく、

・「自分の心を満たしてくれる人のために」

・「自分だけの技量で自分を試してみるために」

創作する、というのは、著作権も、ステージマネジメントも曖昧にしか認識されていなかった(意識が皆無だった、という見解は誤解に基づくものだと思いますが、詳しくは述べません)当時としては、報酬を得られるという保証を度外視した、大冒険になるわけで、翌年マンハイムから「愛する人のために」作品を書いた、とほのめかしたモーツァルトの手紙に、父であるレオポルトや姉ナンネルが仰天した(のですよね?)のも、もっともなことです。
こんな冒険をした作曲家は、過去には存在しませんでした。常識ハズレもいいところだった。
「愛の詩人」であった中世の吟遊詩人でさえ、その詩から得られる報酬を必ず期待していたことでしょう。
モーツァルトの始めたことは、有史以来初めての、仰天すべき精神の発露だった、と言ってしまったら、大袈裟でしょうか?

・・・ただし、76年のこの時点では、モーツァルトが「不特定の人から報酬を得るんだ!」と意気込んだかどうかは、明確なわけではありません。あくまで、私の憶測です。
検証、などという大それたことまでは手が回らなかったので、不確かなことを申し上げているわけでして、それはあらかじめお詫び申し上げます。



で、「憶測」の作品を取り上げる前に、次の2例を聴いてみて下さい。

1)

2)

最初の作品、決して悪い作品じゃない。歌の豊富な、素敵な曲だと思います。作曲時期も、モーツァルトの第8番より数年前に過ぎません。
誰のものだか、お分かりになりますか?

そうは言っても、モーツァルトの作品に比べると、何かが違います。
・・・先日「落語」の事例で取り上げた、「間」の違いと同種の違いです。

作曲者の年齢差・・・5年5ヶ月。
2つとも、出だしの動機は、そっくりです。ですが、1番目の方は、音の長さがモーツァルトの倍ですね。主題の動きは、モーツァルトの作品の方が活発です。1番目の作品は「歌謡的」だと言えますが、モーツァルトの方は、「器楽的」、とでも言うべきでしょうか?
オーケストラだけによる序奏の長さも、上の2作は殆ど同じです。・・・ということは、ピアノの独奏が出てくるまでの「マクラ」の部分は主題の動機のもつ「間(ま)」の多少で雰囲気が違っている、ということになるでしょう。
独奏が入りだしてからが、より特徴的に違ってきます。
1番目の作品は、オーケストラと受け答えするときには、オーケストラの奏でた通りを「こだま」として返す頻度が高いのに対し、モーツァルトの作品は、「こだま」ではなく、別の形でのお返し、になっています。かつ、オーケストラとソロが交代するまでの、時間間隔が1番目の作品より短くて、回数も多い。
これが、世代の違いというものなのかなあ、と思わされます。

1番目の作品は、サリエリのものです。
決して凡庸ではない。美しいですし、当時の感覚としては、貴人を前にしたときにはむしろ、モーツァルトの作品よりも
「落ち着いた、いい音楽だな!」
と受け止めてもらえた可能性が高いでしょう。
・・・後年、モーツァルトがジングシュピール(ドイツ語オペラ)「後宮よりの誘拐(脱出)」を皇帝の前で上演した際、皇帝から
「音が多すぎる」
と評価されたエピソード(単なる噂だとの説もありますが)を、ここで思い起こしておくと良いでしょう。

同時に、サリエリが、映画「アマデウス」以来定着してしまった凡庸な音楽家だった、という印象も、拭い去っておくべきであることは、ここで強調しておきたいと思います。



寄り道をしました。

上例で、サリエリと対比してしまいましたが、モーツァルトのピアノ協奏曲が、当時のものとしては斬新な構造であるとの印象は、持って頂けたかと思います。

けれども、聴いて頂いた「第8番」は、実は、私が「憶測」の対象にした「第6番」に比べると、まだまだ「凡庸」な仕上がりなのです。
出来上がったのは第8番の方が後なのに、オーケストレーションは第8番の方が第6番より保守的です。
第6番ではヴィオラの独立性が高まっているのに対し、第8番ではヴィオラは、ほぼチェロやバスと同じ動きしかしていません。
1776年にモーツァルトが創作したピアノ協奏曲は3曲(1月に第6番変ロ長調、2月に第7番「3台のピアノのための協奏曲」、4月に第8番ハ長調)で、すべて3楽章構成、オーケストラで用いている管楽器は2本のオーボエ、2本のホルンです・・・
が、第6番だけは、他の2曲に比べ、次の大きな違いがあります。

・中間楽章でオーボエをフルートに入れ替えている
・フィナーレがメヌエットのテンポではなく、2拍子である

第7番は、おそらくセレナーデで触れることになるだろうロドロン伯爵一家のために作られた作品で、1番をロドロン伯爵夫人、2番をその長女アロイジア、3番を(ピアノがあまり得意ではなかったといわれている)次女ヨゼファが演奏した、とのことです。
第8番は、リュツオウ伯爵夫人が演奏しました。彼女は父、レオポルトの弟子でした。
この2曲は、終楽章(第3楽章)がメヌエットのテンポのロンドです。
ちなみに、サリエリの前掲協奏曲の終楽章も、メヌエットのテンポのロンドです。
こちらが、どうやら標準形だったと思われます。

第6番だけが、この点、ルール違反をしています。
中間楽章にフルートを置く、というのは、2年前のヴァイオリン協奏曲第3番で試みていることですから、
「それを再び試みた(に過ぎない)」
と評価されていますが、ヴァイオリン協奏曲と聞き比べていただければ分かりますとおり、(楽器の性質の違いもあるのでしょうが)、ピアノ協奏曲のほうが、はるかに「器楽的な」響きを持っています。
・・・この、ルール違反の作品だけは、誰のために作曲されたのか、分からない。
(もし「分かっている、だからお前の憶測は間違い」、というときには、どうぞ、ご教示下さい。頭ん中を整理しなおさなくちゃなりませんから、是非おねがいします。)

NMAの緒言によりますと、モーツァルトは第6番から第8番までの3作品をワンセットとして考えていた、とのことです。

翌年からのミュンヘン、アウグスブルク、マンハイム(、パリ)旅行に際しては、たしかに、だいたいこの3作のピアノ協奏曲から選曲されて演奏されています。ですが、モーツァルト自身の認識としては、7番は必ずしもセットとして認識されているわけではなく、翌年1月に作曲した第9番「ジェナミ(ジュノーム)」がそれと入れ替わっています。

演奏履歴は、実際には以下のとおりとのことです。

・77年10月4日、ミュンヘンで6番のみ単独で自演
・10月6日付ミュンヘンからの父宛書簡では、6、8、9番をセットとして考えている様子がうかがわれます(書簡全集【原典】第2巻345番、40ページ)

・同22日、アウグスブルクで6番自演、7番をデムス(オルガニスト)、アンドレアス・シュタイン(ピアノ製作者)と共演。モーツァルトは2番を担当〜シュタインの登場は興味深いものですが、ここでは深入りしません。

・78年2月13日、マンハイムで、6番をローザ・カンナビヒがモーツァルトに敬意を表して演奏

・同3月23日、同地で7番が、1番をローザ・カンナビヒ、2番をアロイジア・ウェーバー(モーツァルトが熱を上げることになった女性で、ソプラノ歌手であったことは有名ですね)、3番をテレーゼ・ピュエロンが担当して演奏される

・同年6月11日のレオポルト書簡に、8番を自演した事実が記されている由(原文【長くて読み切れなくて】未確認)。パリでの演奏を指すか? モーツァルトのパリからの父宛の9月11日付書簡(原文を確認しました)からも、モーツァルト自身は6番、8番、9番(「ジェナミ(ジェノーム)」をセットとして考えている様子がうかがわれます。(書簡全集【原典】第2巻487番、476ページ)

・1779年(時期未確認)、第7番の2台編曲版が演奏されたらしい(3番がない分、低音部が薄くなっていたはずです。スコア参照。)

・1782年(時期未確認)、ウィーンにて6番、8番を自演

8番の位置づけが、若干弱い気がしますが、どうでしょうか?
長くなりました。

以下に、各曲の構成を記して終わりとします。

第6番変ロ長調 K.238
・第1楽章 Allegro apert 4/4 202小節、ソナタ形式
・第2楽章 Andante un poco adagio 3/4 変ホ長調 85小節、三部形式
・第3楽章 RONDEAU, Allegro 2/2 291小節

第7番ヘ長調(三台のピアノのための----ロドロン----) K.242
・第1楽章 Allegro apert 4/4 265小節、ソナタ形式
・第2楽章 Adagio 4/4 変ロ長調 65小節、三部形式
・第3楽章 RONDEAU, Tempo di Minuetto、232小節

第8番ハ長調「リュツオウ」 K.246
・第1楽章 Allegro apert 4/4 203小節、ソナタ形式
・第2楽章Andante 3/4 変ホ長調 133小節、三部形式
・第3楽章 RONDEAU, Tempo di Menuetto、303小節

*Minuetto 、Menuettoの表示の違いは、NMA(第15分冊)のスコア通り。

サリエリのコンチェルト〜SALIERI The 2 Piano Concertos(P.PSADA) ASV CD DCA 955
モーツァルトの協奏曲はBRILIANTの出している全集)(Derek Han)によりました。

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2008年1月27日 (日)

なくしたもの

  善悪は人に生まれついた天性
  苦楽は各自あたえられた天命。
  しかし天輪を恨むな、理性の目に見れば、
  かれもまたわれらとあわれは同じ。

   オマル・ハイヤームの四行詩(ルバーイイ):岩波文庫「ルバイヤート」34番



男所帯になって1年と1ヶ月。埋葬を完全に終わらせてあげるまで1年費やしてしまった家内の、昨日が、全て落ち着いて初めての月命日でした。・・・とはいえ、未だに事務処理が次々に出て来たり、家内宛の不審なセールス電話があったりして、ようやく吹っ切れかけたなあ、と思っても、世間様が解放してくれないのが、悩みのタネと言えば悩みのタネ。・・・まあ、別に、もう大丈夫、と思えば、大丈夫。
ただ、張り詰めていたものが、なんだかふっつり切れてしまった。
ですので、家事も気合が入らない日が出来たりして・・・ブログを綴り続けることも、実は、自分がダレてしまいたくないから、という意地なんだか、惰性なんだか、よく分かりません。

そんな様子を察してか、最近はご無沙汰だった家内が、今朝方久々に夢に出て来ました。
で、なんのことはない、私といくつも世間話をして、また、あちらの世界に帰って行ったようです。

「あ、そうか」

目が覚めたら、思い当たったことがありました。
私が今いちばん、家内の死後「なくしてしまった」と思っているものがなんなのかを、テキは気づいて補いに来てくれたもののようです。

「世間話」。

職場でも、趣味のサークルでも、気軽な世間話を延々とするなどと言う機会は、もともとありません。
職場では仕事に専心がモラルですから、冗談を1時間もまくしたてたら顰蹙だし、趣味の話、遊びの話で盛り上がっても、それはつかの間のこと。
サークルは・・・オーケストラですから、クラシック音楽について「まじめに」練習し、お酒の場でもほとんどは音楽の話ばかり(まあ、ここのブログでもそうなんですが)。・・・ただし、当面はお酒の場に出るチャンスもありません。子供たちが家で待っていますから。
家ではどうか、と言えば、子供とは「親」の立場でしか話しませんから、それは楽しい話もありますけれど、そうばっかりもいかない。まして、「世間」のネタで話す・・・<お隣の誰々サンがねえ、>とか、<今日、どこそこでさあ>なんて話すことは、僕の方からはすることが出来ない。

じゃあ、親? 兄弟姉妹? 友達? (なかなか出来ませんけど・・・見込みもないのかな)恋人?
・・・とくに「うつ」がひどいときなど、頼み込んだり、ふと言葉を漏らして聞いてもらったりすれば、みんな、とてもよく付き合ってくれるけれど、誰とも時間を「100%」共有は出来ませんものね。

思い返すと、夫婦というのは不思議な「現象」でした。
その時別々の場所にいても、時間を「100%」共有していた。いろんなご夫婦があるのだろうけれど、私たちはそうだった、と、自信を持っていえる気がしています。
中には深刻な事態、マジメな場面も少なからず挟まれていましたけれど、だいたいは、ごくあっさりした日常の、些細な出来事の中に、喜びも悲しみも、楽しみも不愉快なことも、一緒に見つけ出した気になっていた。

しかして、その実態は!

些細なことを、思いついたその時に、四六時中、テキが喋りまくれば聞くふりをして
「ああそう、うんうん、はいはい」
だなんて応じて、
「あのさあ、きいてる?」
「きいてる、きいてる!」

私は私でテキに
「あのさあ、こんなことあったんだけど面白くない?」
なんて話しかけると、テキの方がまた聞いちゃいなくて
「ああそう、うんうん、はいはい」
「あのさあ、きいてる?」
「きいてる、きいてる!」

それがどれだけ心地よかったのか・・・いちばん、心地よかったんだなあ、とあらためて思い知らされました。

いつでも「つまらん世間話」をし合って、聞くふりし合って、という楽しみ・・・これが、わたしが「なくしたもの」。いちばん大切だったものなのでした。

奇しくも、家内の逝去から、いつも気に留めて下さっていたJIROさんの御父君が、29日で十三回忌でいらしゃるそうです。
JIROさんのお綴りになった文章からは、JIROさんがお父様にお寄せになっている心からの敬意だけでなく、「親はかくあるべし」・「男はかくあるべし」と強い意志を持ってこの世を生き抜かれたであろうお父様の、ピンと伸びた背筋が拝見できる気がして・・・
ああ、オレの方は、こんなつまらんことしか思っていないヤツなんだなあ、と自戒の心をあらためて持ちました。
そのことで、自分が「なくしたもの」をいつまでも地面に向かって探し続けるような人間でなくなって行ければよいのですけれど・・・自信、なし。

JIROさんのお父様への敬意の印として、音楽をひとつ。


  ヘルムート・ヴァルヒャ(オルガン:ストラスブール、サン・ピエール・ル・ジュヌ教会)
4分13秒、1971年5月録音
・・・ヴァルヒャは、知る人ぞ知る、全盲の名オルガニストでした。
・・・強靭な意志を内に秘めながら、民の心を癒す響きを、生涯優しく紡ぎ出した人でした。

バッハ:オルガン名曲集

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2008年1月25日 (金)

「間」と「動き」〜落語を例に

1776年にモーツァルトが作った3曲のピアノ協奏曲について、他の作曲家との比較を含めて触れるつもりだったのですが、そのためには「間(ま)」と「動き」について知っておかなければならないことに気づかされました。
ですので、その前置き、の意味も含めて、なのですが、「間」と「動き」は何も音楽に限られた現象でも問題でもありません。



前に「紳竜の研究」のご紹介で、(「間」という言葉そのものは出しませんでしたが・・・DVDそのものでは使われています)漫才でもそれが大切に考えられていることに触れました。
漫才は、残念ながらCDになっているものは少ないので、お聞きいただける材料を用意できません。
ですので、落語から拾ってみました。・・・あとで、サンプルを聞いていただけます。


ついでに、脱線させていただけるなら(って、勝手に脱線していきますが)、「間が悪い」なんていうのは私達にとって日常茶飯事でして、まずは生活の中に・・・人と人のコミュニケーションの中に、「間」というものが既に存在する。
普段の暮らしの中で遭遇する「間」には、決まり事があるようには思えないでしょう?
でも、芸能は、それを意識的に、「芸」のために利用するから、「間」についても公式のようなものがはっきりあります。
恋愛系のドラマ、それも「青春モノ」でよく使われる「間」の公式で、私が大嫌いなのが、
「鈍感な男Aが、好きな女の子Xのためにあるプレゼントを持っていく・・・と、そこには、Xとキスしている別の男、器用なBがいた」
っていうやつでして・・・ドラマだからまだ目に見えるのでマシなのかも知れんけど、私は天性の鈍感で、この公式に当てはまるドジはしょっちゅうやってきた上に(今も、かもしれません)、器用な男Bを目撃できないままミジメな結末を迎える、ということが多々ありましたので、身につまされてしまって・・・
「またかよー、やめてくれよー」
と、テレビで娘が見ているのを消して、顰蹙を買ったりしています。
ドラマで見せつけられるとイヤんなっちゃうこんな公式も、「お笑い」に転化されると、不思議と気にならないのだから、「お笑い」という芸は、すごいもんだなあ、と感じちゃいます。
なので、「自分で自分を笑え」、かつ、「そんな自分が笑ってもらえる」ようになれたら、大したもんなんだがな、なんて思ったりします。
・・・ですが、この例のようなものは、どちらかというと公式の変数に「ネタ」を収めてしまった類に属するもので、項目もヴァリエーションも豊富にある。

この世にドジがいる限り、ネタに不足はござりませぬ。



ネタを濾過した「間(ま)の公式」というのは、多分、そんなに多くはないのでしょうね。

・大きく開ける
・小さく開ける
・まったく開けない

究極は、この3つだけかな?

(こっからしばらく、読み飛ばしてもいいです)ただし、開ける対象は、道具や美術品のように動かないものであれば「空間」ですし、作業する行為や音などのように動くものであれば「時間」であって、「間」の字に付く前の一文字が違います。
「空」と「時」は、本来は切っても切り離せない縁があるようで、物理学が発達してしまった現代では「時空」などという言葉も生まれていますけれど、そんなややこしいことを考えてもきりがないし、だいいち、私はそこまで追いつける脳ミソは持っていませんから、あえてくっつけないでおきます。
何でも「音声付の映像」で見ることのできる世の中になりましたから、映像を材料に使えば、今回こねようと思っているよりも、ずっと大きな屁理屈(ホラ話)を繰り広げることも出来ますけれど、「音」だけに限って「観察」するほうがラクですから、このたびは「空」の方は切り捨てます。・・・ただし、音声の中から、いま、この空間で何がなされているか、を想像する必要には、迫られるかもしれません。その部分は、お読みくださるかたにお任せして、私は逃げておきます。(ここまで。)



「品川心中」という落語の例です。
古典落語ですから、話の定型部分があります。演者が違っても、話は同じ。
同じ話をどう「違って」聞かせるか、というところに、噺家さんの、「間」の工夫があります。

本筋に入る前に話す部分(マクラ)は人によって自由ですから、ここだけは、題材は同じ(品川という場所はどういうところか・品川の遊郭での客引き・引かれた客のその後の次第・吉原との比較、という構成になっています)でも話題の内容が少々違います。この、違うところを、2例聞いて頂きます。

時代が違うので入り口(マクラ)の話題が違っているのは、当然といえば当然なのかもしれません。志ん生の頃にはみんなが知っていたことが、志ん朝の頃には忘れられてしまった、というところにも、志ん朝が話題のつくりを工夫しなければならなかった、ということが、聞き比べるとはっきり分かります。
ですが、耳を傾けていただきたいのは、そこではありません。
志ん朝は志ん生の次男で、親子ですから、お客さんから笑いを取るタイミングをどうするか、ってあたりは、もう少し似ていてもいいんじゃないか、と考えられませんか?
ところが、まったく違う。
志ん生は、始めたすぐのところから、もうお客の笑いを「つかみ」に行っている。
志ん朝の方を聞くと、・・・馬鹿笑いをしているバカな客が約1名いるようですが(私に似たヤツかもしれない)・・・客席が「笑い」に乗り始める前に、入り口の話を終わらせてしまっている。だからといって、お客は「つまらない」と思っているわけではなさそうなムードが、こんな録音からでも伝わってくる。

何が、どうして、こんなに違うのか?

この「品川心中」、25分ほどの落語なのですけれど、実は、そこはやっぱり親子だけあって、本編に入ると、笑いを取る個所は、全編通せば気づいていただけるのですが、二人ともほぼ同じなのです。ただ、笑いの、「つかみ」に行き方が違う。それが既に、このマクラの部分ではっきりしているのです。

・何が=「動き」が
・どうして=「方針が異なるから」
違うんです。

時代の違いに着目して説明した方がラクをすることが出来ますし、たしかに「時代の常識」の相違が語り方の方針を変えさせているのも重要なポイントではあります。
でも、そのことをあえて無視して、どのように「方針が異なる」のか、に耳を傾けてみて下さると、
「ほほう、なるほど」
と思っていただけるものがあるんじゃないか、と、いま、かように考えているわけです。

なにが「ほほう」か?

「動き」です。
・・・なんだ、話が堂堂巡りしてるじゃないか!

いや、本当に、単純に、「動き」の「方針を変える」ことで、取れる笑いの質が違っている。
「動きの方針」は、「間」のとり方をどうするか、で決まっている。そこに「時代」は関係ない。

「間」の数え方は、結構難しい。息継ぎのための間なのか、お客の反応を待つ間なのか、次と連続して聞こえるけれど本当は「間」が挟まれているんじゃないか、等々、複雑です。
で、聞き取った限りの結果を記してはおきますが、私の耳はあてになりませんので、数えなおしてみることをお勧めいたします。

マクラの終わるところ(志ん生は「板頭」の言葉、志ん朝は「白木屋」の言葉の出てくる前)までで、
・志ん生の間:15程度。そのうち5つは、「息継ぎの間」、10が「客の反応待ちの間」
・志ん朝の間:5程度。そのうち1つだけが「客の反応待ちの間」で、あとは殆ど、「間かどうかはっきりしない、瞬間的な<息継ぎの?>間」
という具合です。

「間」の多い志ん生の方が、喋りがゆっくりしている。つまりは、動きが遅い。これは、話し始めてすぐにお客の笑いを「つかんで」しまっておいて、あとは均等な「動き」で喋りを続ける戦略なのでしょう。

マクラでの、志ん朝の「間」の少なさは、「つかみ」への持っていき方がオヤジさんとはまったく違う発想に基づいて設計されていることに由来します。戦略の前提として、話す内容に説明をたくさん加えている。その方が、後の本編が分かりやすくなるだろう、と考えたのでしょう。
ですが、「説明」というのは「理屈」ですから、「間」をあけながら「理屈」をならべたんじゃあ、(この文章と同じように)お客さんが飽きちゃう。ですので、本編の始まるところへ「つかみ」を持ってくるために、わざとマクラは一気にまくし立てるのです。
上手いのは、単純に一気に行くのではなく、息継ぎの間は前半に5つ集中させ、マクラ(「白木屋」という言葉が出る前まで)の3分の2の位のところに1つ目の「仮のつかみ」を持ってきて、お客さんの緊張をほぐし、本編(「白木屋」からあと)で笑える準備をして置いてある。この、たったひとつだけの「客の反応待ちの間」の時間的な位置が、これより前過ぎても、後ろ過ぎてもダメなのだと感じます。・・・前過ぎては本編までにお客さんは飽きますし、後ろ過ぎると、本編との笑いにくっつきすぎて、メリハリが薄れます。
で、本編に入ると、「客の反応待ちの間」(実際に笑いがとれている)の占める割合が圧倒的に増えます。

このあたりに留意して、もう一度お聞き比べになってみて下さい。
今度は志ん生を先に持ってきて置きます。

どうでしょうか?

なお、二人とも、演じた落語がそのまま活字にされて文庫で出版されていますから(筑摩書房。志ん生のほうは、もう古本でないと手に入らないかな?)、より正確に「間」の数を数えたい場合には参考にできます。ついでに、どこの部分をどういう抑揚で語っているかを、赤ペンで波線かなんかで書き込んでみると、速度感だけではない「動き」の面白さについても気がつけたりするはずです。・・・私はやってませんが。
その辺は、お好きにどうぞ。

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志ん朝復活-色は匂へと散りぬるを り「品川心中」「抜け雀」Music志ん朝復活-色は匂へと散りぬるを り「品川心中」「抜け雀」


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2008年1月24日 (木)

曲解音楽史25:道化師(西ヨーロッパ中世の都市の音楽)

昨日一昨日、亡くなった江藤俊哉さんのことに心をとられっぱなしでしたので・・・気分転換のために、話題を変えます。「面白い」の方に目を向けましょう。文は相変わらず硬くてすみませんが、素材ははずです(押し売り!)。



いまでこそ、(少なくとも欧米や日本では)コメディアンは成功すればお金持ちの代名詞で、先日DVDでの講演を紹介した島田紳助氏なども自他ともにそう認めています。チャップリンも大金持ちでしたし、実像は知りませんが、「ミスター・ビーン」を演じるローワン氏なども、たぶんお金持ちでしょう。
ですが、映画がなければチャップリンが大金を稼げたかどうかは分かりませんし、日本の漫才師はほんの5、60年前までは落語家の前座に過ぎない地位しか与えられておらず、だいぶ苦労なさった、と伺っています。

中世の西ヨーロッパにおいても、道化師の地位は、長い間低いものでした。
彼らの呼称である「ジョングルール」は、もともとは大道芸人だそうで、残っている絵画などでも、ジャグリングをしている姿で私たちに印象付けられています。

ですが、中世西ヨーロッパの音楽の最も重要な担い手は、このジョングルールたちでした。
何故なら、彼らは時に吟遊詩人たち(トロヴァドゥール、トルヴェール、ミンネゼンガー)の下働きとして、詩人の作った歌を詩人に代わって歌いましたし、初期には教会の前でよっぽど騒がしくしていたらしくて最初は迷惑がられていたものの、ついには教会への「お客さん」の引き入れ役として歓迎されるようになり、こうした積み重ねで、徐々に高い待遇を受けるようになっていきます。

彼らは決して、ただこうした役目を荷ったから待遇を良くしていってもらったわけではありません。
それなりに、高い「文化的貢献」を成し遂げたからこそ、社会的地位も上がっていったのです。

吟遊詩人のお付きで単純に歌い手だけを務めていたのでしたら・・・別途触れることになるかとは思いますが・・・、せいぜい農場内に点在した貴族の城館で、娯楽の道具として存在し続け、いずれは世の中から消えていっていたかもしれません。

ジョングルールの逞しかったところは、その出自が、おそらくは流民だったことから来る、本来的な意味での自由な精神、それゆえの吸収力の高さ、世渡りの上手さ、といった類のことどもだったのではないでしょうか。
ジョングルールは、こうして、ただ吟遊詩人の壮大な「詩」を歌うだけでなく、そこから俗謡を生み出して流行らせただけでなく、自らが新たな「叙事詩・抒情詩」の作り手になっていきます。
ただし、俗謡を流行させるなどということは、田園地帯に留まっていては叶いません。ですから、彼らは活躍の場を都市に求めました。都市は人口も多く(小さい都市でも数千人、平均的には1万人程度、大きい都市なら十万人以上)、そこには、地位・身分にこだわらず自分達にお金を与えてくれる人も、それだけ多くいたわけですから。
かつ、彼らの生み出した「叙事詩・抒情詩」は、吟遊詩人たちがローマの流れを汲んで作ったような「くそまじめ」なものではなく、「おどけ」をはさんだものでした。しかも、教会の宣伝役もやるようになった都合からでしょうか、聖書をもじった「宗教劇」が多かったようです。
「アダムとイヴ」や「カインとアベル」を扱ったり、黙示録の内容にまで、彼らの「おどけと皮肉」は浸透していったかと思われます(残念ながら、私ごとき素人には、物語自体からではなく、当時の様子を綴った啓蒙書を通じてしか分かりませんが)。

そんななかでも、最も傑作と認められ、こんにちでも比較的容易に内容が分かり、音で聞くことができるのは、「ダニエル劇」です。

「ダニエル劇」(1140頃成立)は、旧約聖書の「ダニエル書」を典拠とし、面白おかしい演出を加えたもので、日本でも第2次大戦後、比較的早くに紹介され、皆川達雄さんの監修で上演されています。

サンプルで、この劇のクライマックスの音声を挙げておきますが・・・どうですか? 言葉がわからなくとも、ジョングルールたちが演じている様子を、観衆が腹を抱えて笑いながら見物している様子が、手に取るように伝わってきませんか?


 全曲盤:New Yorks Ensemble for Early Music, fone 016SACD

不勉強で正しいことは分かりませんが、使われている言葉は、ロマンス語化されつつあるラテン語のように聞こえます。

それはともかく、上記のように幅広く活躍したジョングルールが、後の西欧音楽のみならず、各種芸能の原型となったことは、もっと注目されるべきでしょうし、そのあたりの事情をまとめた啓蒙書なども出来てくれれば嬉しいんだがなあ、と思っている次第です。

「俗謡」は、クラシックの範疇では歌曲に、世間一般にはポピュラー音楽と呼ばれる歌一般に展開して行きました。
「宗教劇」は、そのまま演劇そのものや「オラトリオ」・「歌劇(オペラ、オペレッタ)」に繋がってミュージカルにまで至った、というばかりでなく、民俗行事としての「受難劇」としても今日引き継がれているそうで・・・民俗資料をあたっていませんので、きちんとしたことは分かりませんが、日本に喩えれば各地方に伝わる神楽の先祖、みたいな役割も果たしたのでしょう。

ジョングルールの幅広さには、ただただ驚嘆するほかはありません。

中世西ヨーロッパの音楽を荷い、とくに都市部において発展させたのは、彼らジョングルールだったのでした。


中世ヨーロッパの都市の生活 (講談社学術文庫)中世ヨーロッパの都市の生活 (講談社学術文庫)


著者:J. ギース,F. ギース

販売元:講談社
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2008年1月23日 (水)

ほんとうのやさしさに出会いたい

・・・大袈裟なタイトルですね。

今日の雪模様で、雪国育ちだった家内のことを、ふといろいろ考えていた私でした。

娘が小学校卒業間際に、跳び箱に失敗して足を複雑骨折しました。
中学校の入学式までには、なんとか退院しましたが、1ヶ月間は車椅子でした。
亡妻は、そんな娘を、毎朝、3階にあった教室まで、車椅子のまま担ぎ上げ続け、そのあとで出勤しつづけました。

その1年半前には、息子がウィルスか何かのせいで血尿が出て、やはり入院となりました。
このときは夕方しか見舞えなかったのですが、仕事が終わるとすぐに駆けつけ、病院から出なくてはいけないギリギリの時間まで付き添っていました。

そんな非常時でないときには、自分も出勤の支度で忙しいのに、毎朝、子供達が登校する姿が見えなくなるまで見送ってやり(って、実は、これだけは私が最初に始めたのですが・・・自慢になりません)、遊びに出かけるときにも同じように見送っていました。

母親を亡くした時、子供達は、通夜・葬儀の時には、もう泣きませんでした。・・・前にもつづりましたが、以後、やはり、法要の席でも泣くことはありません。
「愛情を、きちんと、たっぷり受けたから、悔いがないんじゃないの? 子供の方が、そういうことについてはよく分かっているし、忍耐力もつくものだから」
と、人に言って頂いた事があります。いま、私も、その通りだ、と受け止めています。

車椅子のことや、入院の付き添いのことは特別ではあるかもしれませんが、家内は、我が子に一生懸命愛情を注いだ。
決して単純に優しい母親だったわけではなく、怒ると、私なんかよりしつこく怒鳴りまくる、恐ろしい存在でもありました。ただし、怒りが収まると、必ず今度は自分が
「いっぱい怒っちゃって、ごめんね」
ベソをかき出して、そういうのが常でした。

家庭内だけでそうなのか、と思っていたら、学校の、自分が面倒を見た生徒さん達に対してもそうだったらしい。お通夜も終わって片付が始まったときに、髪を茶色に染め、鼻にピアスをした男の子が、息せき切って駆けつけてくれましたし(聞いたら「いま、タイル職人やってるんです」とのことでした)、同じような子供達がたくさんお悔やみに来て下さいました。
「普通、ないよ! 学校の先生がこんなにいろんな子に慕われるなんて」
・・・本当にそうかどうか分かりませんが、通夜・葬儀を通して来て下さった生徒さんは千五百人は超えていたことだけは分かっています。・・・それ以上だったはずですが、いまだに、きちんとは数え切れません。
で、生徒さんと家内が、どの程度、心と心で繋がっていたのかは、遺憾ながら私には掴めません。

こんなこともありました。
抱っこしていたのをおろした途端、下の子が急に走り出し、慌てて追いかけた家内は、道のデコボコに足をとられて地面にベタッと転び、顔中血だらけになってしまいました。
「ずっとこのまんまだったら、嫌いになる?」
そう聞かれましたが、私はそのときは話をそらしました。
「怪我なんだから、どうせそのうちきれいさっぱり治るんだからさ、きにすんな」
・・・今になってみると、こんな答え方でよかったのかなあ、と、しきりと気になるのですから、オヤジは子供に比べると弱いもんです。



このところ、日本のクラシック音楽の世界で大事な思い出を下さった鈴木清三さん江藤俊哉さんが立て続けに亡くなり、直接師事した先生方ではなかったとはいえ、家内の死から1年ちょっとを経たところで、また大きな悲しみを味わうことになりました。
お身内のかたは、なおさら、さぞや、とお察し致します。

せめて、思い出のよすがに、と、今日、両先生の残した録音が特設コーナーを設けて売られていないか、と思い立って、昼休みに大きなCDショップへ出かけてきました。
でも、組まれていたのは、「カラヤン生誕100周年」とか、あるいは今売れている人の特集コーナーばかり。

まだ「追悼:江藤俊哉氏・鈴木清三氏」なんてコーナーはありませんでした。

「マーケットは、優しくないなあ」
がっかりして職場に帰りました。
(ネットで手に入るのは分かっているんですけれどね、ショップとかメディアの「気持ち・心」が知りたかったのです。)

まだ綴ったことがありませんが、日本のクラシック音楽市場は、いかに日本に貢献した人物であっても、物故した音楽家には、得てして「無視する」傾向が強いなあ、という気がしています(POP界はそうじゃないのに!採算ですか?)。
たとえば、ズデニェク・コシュラーさんを覚えていらっしゃいますか?
あるいは、ペーター・シュヴァルツさんという名前をご記憶ですか?
武満さんにしたって、亡くなった直後には、やはりCDショップには追悼コーナーがありませんでした。
岩城宏之さんについても、同様でした。
・・・パヴァロッティの逝去時には、翌日には大々的に看板が出ていたのに!

コシュラーさんは、ナチスの迫害を受けて、背骨が曲がったままでした。それでも、終始一貫、明るく振舞い、彼の棒の下で奏でられる音楽は、いつも不思議な明るさを放っていました。かろうじて、彼の録音はいくつか手に入ります。ですが、たびたび振った日本のオーケストラとの録音は、希少です。
シュヴァルツさんは・・・私は中学時代に彼の指揮するコンサートを最前列で、しかも野球帽をかぶったままという失礼な恰好で聴いていたのですが、コンサートが終わったときに、こっちを向いて手を振ってくれました。「オーケストラがやって来た」にもたびたび出演なさったし、札幌交響楽団の第2代常任指揮者でもありましたが、ドイツにお帰りになって以降の経歴は、調べても「ミュンヘンなどで教鞭をとられた後に亡くなった」とかろうじて分かった程度で、亡くなったのがいつかさえ、少なくとも日本のサイトやブログ上で情報を見つけることが出来ませんでした。録音はまったく見つけられませんでした。



家族同士の「優しさ」は、ホンモノとして、家族が生きている間はずっと、忘れ去ることはありません。
それでも、家内と接することで私も恩恵に預かれた彼女の「優しさ」には二度と触れられない・・・これが、とても堪えます。

せめて、世の中がもっと「優しさ」に満ち溢れているのだったら、家族という閉鎖空間だけではない、広い世間で「優しさ」を与えてくださった方々に、私たちは「優しさ」で恩返しをしなければならないはずだと思うのですが・・・それが、ない。

CDショップで、しばし呆然とし、帰り道で、あらためて深く感じました。
「寂しいなあ・・・悲しいなあ・・・」

C型肝炎訴訟の和解のニュースも、本質的には「優しさ」をどう形にするのか、をめぐってのものであって、本来は「謝罪」などという用語で決着のつく話ではないのだ、と感じてはいるのですが、この話にはいろんな考えをお持ちのかたもいらっしゃると思いますので、これ以上立ち入りません。私が今綴っていることの目的でもないですから。

ほんとうのやさしさに出会いたい。

やさしさを持った人同士で、やさしいコミュニケーションがなされていきますように。
それが、きちんとした形を持って示されることが、もう少しちゃんと、日常化されますように。

私は会社員なので、言い切れる資格はないかもしれませんが、
「営利追求」
ばかりの販売という「垢」が目に付くこの国は、いっぺん、きちんとお風呂に入り、体をきれいに洗って欲しいなあ、と、切に感じます。



まだ定住先も決まらず、家内と二人ジプシー生活をしていたある早朝、関東には珍しい、10センチを超える積雪でした。それでも、いつものように、「さあ、今日も出勤だ!」とそれぞれに分かれて出かけました。その朝歩いた純白の道が、いま、私の胸にありありとよみがえってきています。

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2008年1月22日 (火)

訃報:江藤俊哉氏~20世紀日本最大のヴァイオリニスト

私にとって大学時代の思い出が深い江藤俊哉さんが、亡くなってしまいました(近ごろでは車椅子での生活でいらしたそうです)。
・・・いや、いろいろ思い出をお持ちのかたは、たくさんいらっしゃるでしょう。
学生時代に、かなりの体調不良の中、ブラームスの協奏曲を私たちのオーケストラと共演して下さいました。(この演奏より前にベートーヴェンの協奏曲を共演したときもそうだったのですが、ブラームスのときも、ものすごく緊張なさって、演奏はぶっつけ本番で、終わった後、確か救急車で病院に運ばれました。最近、友人が私にプレゼントしてくれたばかりの、そのときの演奏の録音を、アップします。

 1982.12.11 仙台市 東北大学川内記念講堂にて
 (録音に当たっては、ソリスト用のマイクは特に用意していませんでした。)
指揮は、江藤さんの御著作にも名前が出てくる菊地俊一氏。大学オケの伴奏です。

好奇心のお強い、いつも童心を忘れないお人柄だった、との印象を持っております。
そんな印象を、前に「忘れ得ぬ音楽家」のお一人として、綴らせていただきました。・・・先日の鈴木清三さんといい、今日判明した江藤さんといい・・・寂しいです。演奏終了の拍手と一緒に、どうぞ、江藤さんの人生を拍手をもってお見送り頂ければと存じます。

ヤフーのニュースから訃報を引用しておきます。関連項目でウィキペディアに掲載のあるものへは、極力リンクを貼りました。
(以下、引用)

江藤俊哉氏死去=戦後日本を代表するバイオリニスト

1月22日14時1分配信 時事通信

 日本人音楽家として戦後初めて国際舞台で活躍し、音楽教育にも尽くしたバイオリニストの江藤俊哉(えとう・としや)氏が22日までに死去した。80歳だった。東京都出身。葬儀の日取り、喪主などは未定。
 4歳でバイオリンを始め、12歳で第8回音楽コンクール優勝・文部大臣賞、さらにNHK交響楽団と共演するなど天才ぶりを発揮。東京音楽学校(現東京芸大)卒業後、戦後初の音楽留学生として渡米し、エフレム・ジンバリストに師事した。1951年にはカーネギーホールでリサイタルを開くなど、米国を中心に演奏活動を行った。
 61年に帰国、スケールの大きさと包容力を感じさせる演奏で人気を博す一方、後進の育成にも情熱を傾け、堀米ゆず子千住真理子らを育てた。また、自らタクトも振り、オーケストラとアンサンブルにも深い理解を示した。 

1月22日12時56分配信 毎日新聞
(前半省略)
カーティス音楽学院教授を務めたあと、61年に帰国。演奏家として活動しながら、千住真理子さんや諏訪内晶子さんら後進を指導した。桐朋学園大学の学長なども務めた。
 71年、モービル音楽賞を受賞。日本芸術院会員。ヴィエニャフスキ国際バイオリン・コンクールなど、国内外のコンクール審査員にもなった。コーヒーのCMに「違いがわかる男」として出演したこともある。

1月22日12時18分配信 読売新聞
(前半省略)
61年に帰国後も活発な演奏活動を続け、華やかな技巧や豊かな音色で印象づけた。内外の国際コンクールの審査員を務める一方、桐朋学園大などで後進の育成にあたり、安永徹、諏訪内晶子さんらを育てた。97年から2004年まで桐朋学園大の学長。79年に日本芸術院賞、85年都民文化栄誉章を受けた。

朝日新聞Webに掲載された最新記事
バイオリニストで元桐朋学園大学長の江藤俊哉さん死去

戦後日本を代表するバイオリニストで、教育者として多くの演奏家を育てた元桐朋学園大学長の江藤俊哉(えとう・としや)さんが22日午前6時36分、肺炎による心不全で死去した。80歳だった。葬儀は近親者のみで行う。後日お別れの会を開く予定。

東京都出身。4歳から早期音楽教育「スズキ・メソード」で知られる故鈴木鎮一氏のもとで学び、12歳で音楽コンクール(現日本音楽コンクール)で優勝した。

東京音楽学校(現東京芸大)卒業後に渡米。カーチス音楽学校で名教育者としても知られるジンバリストに学び、24歳でニューヨークのカーネギーホールでデビュー。日本人離れした大胆な弓使いと深みのある音色で世界に認められた。

演奏活動の傍ら、桐朋学園大や上野学園大で堀米ゆず子さん、矢部達哉さん、諏訪内晶子さんらを育てた。エリザベート国際コンクールなど海外コンクールの審査員も歴任。71年にモービル音楽賞、79年に日本芸術院賞、00年に渡辺暁雄音楽賞特別賞を受賞。97年から04年まで桐朋学園大の学長を務めた。

指揮者、ビオラ奏者としても活躍。音楽家の地位向上を求める社会的発言も多かった。「違いがわかる」というインスタントコーヒーのテレビCMに出演、茶の間でも知られていた。

Amazon(JP)での江藤さん関連商品リスト(アフィリエイトではありません。)

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2008年1月21日 (月)

音楽と話す:そもそもどうやって、あなたと出会えたのでしょうね?

音楽と話す:(これまで話してみたこと)
いりぐちのおはなし
なぜ、あなたは私の心を動かすのですか?
どうやったら、あなたに近寄れますか?
あなたは何を伝えてくれるのですか



私 :「そういえば・・・」

私は、はたと気がつきました。

私 :「あんまり夢中で話し始めちゃったからですけど」
音楽:「なんですかいな」
私 :「そもそも、私とあなたは、どうして今、こうやって出会っているんでしょうね」
音楽:「そりゃ、あんた、」

音楽さんは言いました。

音楽:「たまたま、会っちゃったからじゃろうが」
私 :「たまたま、ですか・・・?」
音楽:「そう。」
私 :「いや、そうは思えないんですが」
音楽:「じゃあ、あっし達ゃ、運命で出会った、ってでも仰りてえんですかい?」
私 :「まあ、そんなような・・・」
音楽:「じゃあ、お訪ねしますがの」

音楽さん、にやり、としています。

音楽:「運命、って、そもそも、何なんですかな?」
私 :「・・・何なんでしょうねえ。」

あらためて考えると、分かりません。私は黙りこくるしかありません。

音楽:「まあ、そんなに、切羽詰りなさんな」

あいかわらず、音楽さんはノンキです。

音楽:「あんたが初めて、あっしのことを<いいなあ>って思ってくれたのは、どんなとき?」
私 :「あんまり詳しく喋ると、お恥ずかしいので・・・」
音楽:「まあ、こみいったことまでは、話さんでよろしい」
私 :「はい・・・まあ、いろいろありまして、こないだお話した例で言うと、<ガックリ>の溜息をついちゃったとき」
音楽:「無理して溜息ん時の話にせんでもいいんじゃよ」
私 :「いや、分かりやすいですから。」
音楽:「そんじゃ、勝手になされ」
私 :「<ハ>から<ア>へ、下がるような溜息だったんですけどね」
音楽:「左様か。」
私 :「そんな、そっけなくじゃ無くって、ちゃんと聞いて下さいよ」
音楽:「聞いとりますがな」
私 :「で、ガックリ、のどん底にいたときに」
音楽:「どんなときでも、別によろしい」
私 :「よろしくないんです!・・・<どん底>ですよ、どん底!」
音楽:「へい、へい」
私 :「そのとき、ふと、遠くから耳に入ったんです」
音楽:「何が?」
私 :「歌声です。済んだ歌声が・・・ちょうど、私の溜息と同じトーンで」
音楽:「ふうん。」
私 :「あ、あの歌も溜息をついている・・・最初はそう思いました。」
音楽:「それはそれは、ようござんした」
私 :「いえ、ここからですよ、肝心なのは」
音楽:「そりゃまた・・・」
私 :「歌は、確かに初めは、私と同じ溜息をつくようでした。でも、すぐに変わったんです」
音楽:「どんなふうに?」
私 :「溜息が、まずはどんどん切なくなっていく。つられて、私もどんどん切なくなっていきました」
音楽:「涙が出ますなあ・・・」
私 :「そうなんです・・・って、いや、それで終わりじゃないんで!」
音楽:「って言いますのは?」
私 :「一番切なくなったそのときに、歌は、なにか遠くへの憧れを抱くかのように、高く舞い上がった」
音楽:「なんつうか、キザな仰りようで」
私 :「キザでもなんでもいいんです! とにかく、その瞬間、私の心も高く舞い上がった」
音楽:「よろしゅうござんしたな」
私 :「舞い上がったまんま、歌と私は、また最初の溜息へと戻っていったのですけれど」
音楽:「そんじゃあ、元の木阿弥、ってやつじゃあねえですか」
私 :「それが、違うんで。」

音楽さんは、ニヤリ、としたようでしたが、私は気にせず続けます。

私 :「溜息は、もう、最初の<どん底>じゃあ、ありませんでした。それは、私の、希望への祈りに変わっていた・・・」
音楽:「ほう、今、あんたは、遠い目をしている。希望を見つめるような。いい目じゃよ。」
私 :「そう思って下さいます?」
音楽:「ああ」
私 :「分かって貰えました?」
音楽:「ひとつの、たとえ話としては、だがの」
私 :「たとえ話?」
音楽:「そう」
私 :「何故? 私は真剣に、そう受け止めたんですよ」
音楽:「そして、あっしと初めて、本当に出会った。あんたなりの、あんただけのチャンスにな」
私 :「偶然に」
音楽:「その偶然が、<運命>ってやつでしたのかい」
私 :「違うんですか?」
音楽:「違わないかも知れねえな。でも、たまたま、なんじゃろ?」
私 :「はあ・・・」
音楽:「その歌が、あんたの耳に入ったのは、たまたま、じゃろうが」
私 :「まあ、そうです。」
音楽:「そういう<たまたま>を、<運の尽き>っちゅうんじゃい」
私 :「またまた!」
音楽:「出会い方は、いろいろある。でも、出会う、というそのことは、特別なことがなけりゃ、みんな、たまたま、じゃ」
私 :「そんなもんでしょうかね」
音楽:「ビジネス、じゃなければな。まあ、話をそらすのは、やめとこ」
私 :「そうして下さい」
音楽:「<たまたま>の出会いが、あんたの心を捉えた。そこが大切じゃ」
私 :「と仰いますと?」
音楽:「それは、そんとき、あっしが、あんたの心を捉えたくって歌ったんじゃあないかもしれない」
私 :「あれは、あなただったんですか!」
音楽:「歌だって音楽じゃろうが」
私 :「そりゃそうだ」
音楽:「あっしが、あっしの<思い>を歌い上げたことに、あんたは<たまたま>心を揺さぶられた」
私 :「そういうことですね」
音楽:「それが、あっしとあんたの、出会いじゃ。違うかの?」
私 :「・・・」
音楽:「あっしの心とあんたの心が触れ合った。それが、出会いじゃ。違うかの?」
私 :「触れ合った・・・」
音楽:「じゃから、今、こうして話す機会も出来たっちゅうわけかもしらん」
私 :「ありがたいことで」
音楽:「じゃが、この先も一緒に話せるかどうかは・・・」
私 :「私次第、というわけですか。」
音楽:「いいや、違うな。」
私 :「どう違うんです?」
音楽:「あんたからの一方通行だけじゃいかん、てことでさあ」
私 :「というのは?」
音楽:「あっしの方からも、あんたに歌いかけ続けにゃならんのですわ」
私 :「あなたの方からも?」
音楽:「そうですじゃ。でも、その続け方が、あっしにゃ難しいんで。」
私 :「難しい?」
音楽:「無理やり歌いつづけたって、どうしょうもねえんで」
私 :「はあ」
音楽:「あんたに<片思い>じゃあ、あっしも失格なんですわい」
私 :「そんなもんなんですか」
音楽:「そんなもんじゃよ。」

ここで、音楽さんは黙りこくってしまいました。続きの話は、様子を見て聞き出すしかなさそうです。

というわけで・・・

この「私」が「心を揺さぶられる」出会いをした歌を聴きながら、次に音楽さんが語り始めるのを待ちましょう。


 アメリンク(Sop.)/デムス(Pf.) EMI T4988 006 60885 6

・・・この歌が、すべての「私」の心を揺さぶる保証はありませんので、そのときは、たとえばZARDがお好きだったらZARDに、という具合に、お手元でご自身にふさわしい材料にとっかえてみて下さい(私は残念ながら中心メンバーかつ「ZARD」そのものだった坂井泉水その人の死後に、彼女の歌のすばらしさを知りました)。



今日の会話のまとめ。

音楽:「あっしとあんたが出会えたのは、たまたま、なんじゃ」
私 :「そんなもんですかねー」
音楽:「じゃが、その<たまたま>で、あんたとあっしの心が触れ合ったことが、大切なんじゃ」
私 :「なるほど」
音楽:「じゃから、<出会い>を大切にし、これからもお互い接していけるには・・・」

と、この先は黙りこくってしまって、まだ彼は話してくれていないんですが、私と音楽さんが「両想い」でいられるための、なんらかの工夫(?)か何かが、どうやら要りそうな気配です。
・・・じつは、話の中身自体は、「どうやったら、あなたに近寄れますか?」に戻っているのですけれどね・・・音楽さん、忘れてるし、ちょっと、突っ込みやすくなってきたかな?

イエイエ、油断禁物デス。

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2008年1月20日 (日)

子供孝行〜付:チャップリン映画祭、期間延長

娘が高校受験直前なのに、今日は「壮行会」という名目で、昼から夜まで、子供らと三人、新宿で楽しんでしまいました。

・・・本当は、素敵な女性と二人でデート、が理想なのですが(まあ、誰も相手してくれない)、平日の夜はこの子たちが食事や風呂の支度を手伝ってくれ、休日は、一週間頑張った疲れで昼まで寝ている。
元気をあげて、恩返ししなくちゃ、罰が当たります。
本当はMr.Beenの新作「Mr.ビーン カンヌで大迷惑?!」を見たいところでしたが、娘が先日、自分だけチャップリン映画祭に行かなかったのをぼやいていましたので、まずはそれを見に行って、そのあとはフルーツパーラータカノでデザート、それから好きなもの(娘は「色とデザイン」に関する本と、コブクロのCD、息子はチャップリンの写真集と「Been」映画版のDVD)を買ってやり、晩ご飯もレストランで。
一週間分の生活費を1日で使ってしまったけど、いいでしょう!

今日のチャップリン映画祭は「殺人狂時代」

・リンクしたのは、ワインに混ぜた毒物での殺人試験をやめるシーンです。

全編をじっくり見たのは初めてです。内容について、いまさらくどくど言う必要は無いでしょう。一言だけ許されるなら、この作品、チャップリンが初めて素顔で出演した自作であることに、私は大きな意味をみいだした気がしました。
なお、観客のアンケート結果から、25日のアンコール上映は「モダンタイムス」「街の灯」に決りました。
また、新宿ガーデンシネマでは、会場はワンフロア変わりますが、映画祭自体、2月1日まで延長されることになったそうです。
「独裁者」以降、とかく「モラリスト臭くなった」と陰口をたたかれることもありますけれど・・・彼の作品に「モラルの押し売り」は無い、と私は感じています。
この機会に、ぜひ一作品でもご覧になってみてはいかが?

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2008年1月19日 (土)

DVD「紳竜の研究」(2):島田紳助の講義

前回、2枚組DVD「紳竜の研究」をご紹介した際、紳助氏が
「心で記憶せなあかん」
と述べていたことをご紹介しました。

彼がこの言葉を、吉本興業の学園で述べた際の講義が、DVDの1枚目に収録されています。大変示唆に富む、名講義だと思います。
「メモは、とらんでええよ。とらん方がいい」
講義の中で、彼がこう言っているので、私もメモを取らずに拝聴しました(というのはウソで、ブログのネタにするから、少々はとったのですが)。
何故メモを取らん方がいいか・・・それは、
「心で記憶せなあかん」
ということと密接に関係しています。
ご本人の言葉通りではありませんが、

「出会って、経験して、強く印象付けられたことは、一生忘れない。本なんかで読んで、むりやり脳で覚えたことは、いつかは忘れてしまう。だから、今日の講義も、聞いて、強く心に残ったことを財産として持ち帰って欲しい」

そういう、紳助氏の、若手に対する強い思いが現れている。

で、本当は中身を紹介したかったのですが、文字に起こすと、「べつに、彼の話なんか心に残らなくてもいい」人にまで読んで頂くことになるかもしれず、「いや、是非、心に残したい」人には、濃い内容の講義の百分の一も心に残してもらえないことになりますから、DVDが講義の細目に付けた目次、みたいなものだけをご紹介するに留めます。(ただし、私が「おお、ポイントはここか!」と感じた部分の要約は、ちょっとだけ残しておきます。)



・才能と努力〜過剰練習は、むしろマイナス。ネタより、基本的なことを練習しなければならない

・笑いの教科書〜無い。自分で作る。

・相方と戦略〜自分の中に出来た「型」に合う相方を探した。

・XとYの分析〜笑いのパターン(X)、世の中の変遷(Y)で、自分の公式を作る。

・漫才〜オレに必要なヤツを探す。竜介とは価値観を共有できた。

・運と計算〜運は、その時誰がいたか、くらいのもの。そこから計算を始める。

・心で記憶する〜強く思ったことは、一生忘れない。感じたことを喋る、その時に、心の記憶の引き出しが、ひとりでに開く。そのためには、いつも感じなければならない(感情の起伏が激しくなければならない)。

・TVのヒミツ〜誰も、スーパーマンにはなれない。「賢い」必要はない。「賢いチャウんかな?」と思われればいい。

・感じる心〜数多く「心で感じた」やつほど、いろんなことができる。(喋っている言葉の中に「絵」がある。)

・「やる」という「こと」〜「才能無かったな」、でも、充分やり尽くして満足すれば、次へ進める。違うものが見つけられる。

・M‐1の戦い方〜2分で戦える作戦を立てる。ラスト30で決める。初めの1分を捨てろ。

・ネタと演者〜演者ではなくネタが面白い、というのは、芸人にとっては「欠点」。

・競争〜自分の中での、自分の分析。それを友達に喋らない・・・競争だから。友達を増やすために来たんじゃない、勝つために来たんだ。

・夢〜成功すれば何でも叶うのは、この世界だけ。が、夢が叶ってしまったら、夢は失われていく一方なのは残念。夢を語り合ったら、それだけは、オレは君たちに負ける。



「M‐Ⅰ」以下は、これから「笑いの芸」を志す若者への、彼の「エール」ですね。

紳竜の研究DVD紳竜の研究


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2008年1月18日 (金)

曲解音楽史24:西ヨーロッパ中世(世界観は完成と同時に崩れ始める)

前の回:1)音という手段  2)リズムの成立 3)音程から音階へ
    4)言葉と音楽   5)トランス   6)古代メソポタミア
    7)古代エジプト 8)古代インド   9)古代中国 10)古代ギリシア
    11)古代ローマ  12)初期キリスト教の聖歌について
    13)ササン朝ペルシャ    14)西暦5,6世紀ユーラシア音楽横断
    15)中世前半の西ユーラシア   16)唐朝と朝鮮・日本 17)「声明」の伝来
     18)モンゴルと中央アジア北方 19)「十字軍時代」の西ユーラシア
     20)日本固有(?)の古歌   21)諸聖歌の背景(1)グレゴリオ聖歌
     22)平曲と能楽:付)発声法について   23)諸聖歌の背景(2)アンブロジアン聖歌・ローマ聖歌



血の繋がった者同士でも、価値観は異なるのが普通でしょう。
親と子でも違います。それは、育った時期の環境の違いにもよるかも知れない。
けれど、兄弟姉妹でも違います。同じ時期に育ったのに。この理由は、単純にはまとめられません。親とどう接してきたか、好物はそれぞれなんであるか、学校で親しかった友達はどんな人たちか、どんな仕事についたか・・・いろんな要因が絡んで、「同世代」ではあっても、異なった「価値観」を築き上げて今日に至るのでしょう。
まして、他人同士なら、「価値観」の隔たりは、血縁者同士よりも大きい、と考えるのが、常識というものでしょう。

ですが、個々の差が表面上は如何に大きく見えても、「価値観」がお互いに似ている、だから話が通じ合い、心が通じ合う、という場面も、少なからずあります。
元来は他人同士でありながら、そして、場合によっては趣味も好みもまるきり違っていながら、(理想的な?)夫婦は、「自分たちの関係や家族をどう守るか」について、絶対的にお互いを信頼している・・・それは、もしかしたら稀で「うらやましい」ことなのかもしれませんが、この場合は、血縁よりも濃く、自分たちの家族という城に対する「価値観」を<同じく>する(共有する)ことになります。
あるいは、営利・非営利を問わず、目的を同じくする団体。こちらの場合は、「信頼しあっている夫婦」ほど強い紐帯は無いかもしれませんが、「価値観」を、そのごく一部でも共有していなければ、団体の構成員にはなれない。・・・ただ、共有される「価値観」は、相互に多少・大小のズレがあることは許容されます。たとえば企業なら「これくらいの賃金・労働時間ならなら折り合いをつけよう」というだけでも、その企業の構成員であることはできます。

いずれのケースにせよ、「価値観」が、もはやお互いにとって我慢ならないほど共有しえなくなったら、夫婦であることや、団体の構成員であることをやめるしかありません。



ところが、歴史の中の時間、という大きな枠組みで眺めると、個々の「価値観」を超えて、その大括りの時代の中では殆どの人が逃れえていない常識のようなものが、一律に世の中の「価値観」を支配しているようにみえる場合があります。これを・・・国語辞典的な意味よりも限定されるのかもしれませんが・・・「世界観」と名づけておきましょう。

中世西ヨーロッパは、西ローマ帝国の崩壊から長い時間をかけて、ある種の限定的な「世界観」に支配されていったように見えます。
それは、キリスト教(カトリック)の教義を象徴化し、社会をその象徴に当てはめて評価するモノの見方を徹底していく、というかたちで実現されます。
一例として、方位についての「世界観」を挙げますと、<東は聖なる世界・・・何故なら、キリストはそこに生まれ、それを育んだ聖書の世界も東方で営まれた。対する西は、悪の世界である>というものです。
この方位に対する見方は、パリのノートルダム寺院という建造物の設計に当たっても生かされています(西が入り口、東が祭壇)、そのまま、パリという都市全体の設計にまで延長されています。
都市全体が同様の方位観で作られている例を、「中世ヨーロッパの都市の生活」(講談社学術文庫)記載の都市トロワの地図にも読み取ることが出来ます。

建造物や都市の構造に影響した方位観の他に、たとえば人体の各部、モノ作りの際の数(たとえば18は三位一体の3に創世記の「神による世界の創造の期間であった6日間」の6を掛けた数、12は使徒の数、等々で聖なる数と見なされるようになる)等々、様々な事柄が、カトリックの象徴として捉えられ、世間全体の常識として浸透し、「もはや中世は終わった」と後世の人に見なされているルネサンス期を超えて、「数秘術」や「占星術」などの占術を通じ、あるいは暗黙のうちに、近代にまで影響を及ぼしている。
それだけ強烈な、カトリック的「世界観」が、13世紀初頭までには、西ヨーロッパ世界に浸透し、西ヨーロッパ世界を支配します。

この「世界観」の完成期に、「世界観」の結晶であるパリのノートルダム寺院を拠点として活躍した音楽家たちは、<ノートルダム楽派>と呼ばれています。

<ノートルダム楽派>を最初に代表することになった作曲家(ここで初めて、「作曲家」という存在が注目されることになったと思ってよいのでしょうね)は、レオニヌス(レオナン)でしたが、<ノートルダム楽派>の音楽を完成に至らしめたのはペロティヌス(ペロタン)でしょう。
レオナンが原型を作った、グレゴリオ聖歌を長く引き伸ばした上に唐草模様のような歌を繰り広げる音楽は、ペロタンに依っていっそう多声化され、整形され、充実します。

ここにおいて、<ノートルダム楽派>の音楽は、中世の音楽的「世界観」をも、他分野に劣らず完成させた、と言ってよいのでしょう。

・ペロタンの作例:
  デラー・コンソート・ロンドン(1960) deutsche harmonia mundi BVCD38003

【CD】パリ・ノートルダム楽派の音楽とランス大聖堂の音楽/コンソート(デラー)

ペロタン(レオナンのほうがもっと、なのですが)の例が、聖歌の諸相を観察した際のローマ聖歌に響きが非常に似ている点は・・・このような復元でよいかどうかの是非は確定してはいないのですが・・・、注目しておいて良いでしょう。ただし、その低音を作り上げているのはグレゴリオ聖歌なのだ、という事実が、複声部でうたわれる歌の低音部にまで「カトリック的象徴」が浸透していることを示しているのは、忘れてはいけないと思います。

<ノートルダム楽派>がペロタンにより完成した13世紀は、西ヨーロッパ各地に「都市」がほぼ確立した時期でもあります。都市は富裕な自由民が支配する領域となってました。一方で都市の無いところ、主に農民が生活を営んだ場所は、諸伯・諸侯の支配下におかれ、諸侯の城館が支配の拠点として、カトリックの象徴とはまったく異なる「世界観」のもとに建築されていきます。

西ヨーロッパの中世は、13世紀を頂点として、カトリック的象徴に基づく「世界観」が完成されるとともに、同時に築き上げられた都市や城館が、いったん完成したこの「世界観」を、それぞれの立場にそぐうように変容させていき始めることで、完成と同時に、早くも崩れ去っていく兆候を示したのです。

ペロタン フィルム神が宿った汝の口づけ(DVD) ◆20%OFF!
(ヒリヤード・アンサンブルの演奏を背景に、当時の音楽と社会についてドイツの学者の議論やペロタンの音楽に振り付けたバレエが映像化されています。DVD2枚、サウンドトラックCD1枚)

ゴシック期の音楽Musicゴシック期の音楽


アーティスト:マンロウ(デイビッド)

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早逝したマンロウによる、この時代の音楽の網羅的な演奏。

中世ヨーロッパの社会観 (講談社学術文庫 1821)Book中世ヨーロッパの社会観 (講談社学術文庫 1821)


著者:甚野 尚志

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中世ヨーロッパの都市の生活 (講談社学術文庫)Book中世ヨーロッパの都市の生活 (講談社学術文庫)


著者:J. ギース,F. ギース

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中世ヨーロッパの城の生活 (講談社学術文庫)Book中世ヨーロッパの城の生活 (講談社学術文庫)


著者:ジョゼフ ギース,フランシス ギース

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2008年1月17日 (木)

音楽と話す:あなたは何を伝えてくれるのですか

音楽と話す:(これまで話してみたこと)
いりぐちのおはなし
なぜ、あなたは私の心を動かすのですか?
どうやったら、あなたに近寄れますか?



私 :「近寄れるにせよ近寄れないにせよ」
・・・と、前回の音楽さんがあまりに素っ気なかったので、私はちょっとムッとして、音楽さんに突っかかるように問いを続けました。
私 :「あなたは、<音楽>として、ここにいらっしゃる」
音楽:「まあ、そういうことにしときましょうかい」
私 :「で、あなたは、何を伝えてくれようとして、ここにいらっしゃるんですかね?」
音楽:「別に、なにも。」
私 :「・・・!」
さすがに、音楽さんは気がとがめたようです。ちょっとばかり作り笑いをしました。
音楽:「つっけんどんは、こんくらいにしときまさあ。まあ、機嫌直しておくんなさいな」
私 :「はあ。」
音楽:「たとえば、あんたがため息をつきなさる」
私 :「ろくでもない人生を送ってますからね」
音楽:「あんたの人生がろくでもないかどうか、は、別にどうでもよろしい」
私 :「む!」
音楽:「まあ、そういちいち、むくれなさんな」
私 :「ガマンしましょう!・・・ハア。」
音楽:「そうやってため息をつくとき、ふた通りのイントネーションがあるのに、お気付きかな?」
私 :「・・・いえ。」
音楽:「ハア、ってため息の、<ハ>の方から<ア>に、声(息)の高さが上がっていくのがひとつ」
私 :「すると、その反対が、もうひとつ、ってことですかね」
音楽:「そう。<ハ>から<ア>に、声(息)が下がっていく
私 :「それぞれで、ため息をつくときの気分がちがいますね」
音楽:「そういう、声のイントネーションを、そのまんま、誰でも同じに歌ったり、楽器で奏でられるように、かたちをまとめて決まり事にしたのが、そもそもあっし、っていうもんなんでさあ」
私 :「分かったような、分かんないような、ですけど・・・」
音楽:「分かってくれりゃあ、あっしに近寄れる。分かんなければ、はい、サヨナラ」
私 :「あ、待って下さいよぉ!」
音楽:「なにも、いまここでさよならするわけじゃねえ。たとえ話、ってもんだがな」
私 :「そうですよ、もっとお話しなくちゃならないんだから」
音楽:「そんじゃあ、お尋ねしますがな」
私 :「はあ」
音楽:「こんだけの話で、あっしの<伝えたこと>が、どこまで分かって貰えましたかのう?」
私 :「あなたは、私たち人間の感情を<決まり事>に結晶させて、誰もに・・・いや、それで言い過ぎなら、出来るだけ沢山の人に、その結晶の意味を簡単に分かってもらえる用意をしている」
音楽:「まあ、じつは、ことはそんなに単純ではないんですがナ」
私 :「はあ・・・」
音楽:「なにも、あっしは、あんたたち人間さんが日頃ふつうに出す感情のイントネーションを、そのまんま決まり事にしてるだけ、じゃねえンで・・・」
私 :「どういうことですかね」
音楽:「そこを今、あんまり突っ込むと、話が込み入っちまうんでさあ」
私 :「込み入っちゃっちゃ、私にはまだ、分からなくなっちゃうばっかりですね」
音楽:「だから、今んとこは、<ため息>の例だけ、覚えてくれとったらいいですわい」
私 :「具体的には?」
音楽:「二つ、おきかせしときますわ」

(またもクラシックの例で、恐縮ですが)

<ハ>より<ア>が上がる例
 *モーツァルト:交響曲第40番第1楽章から、
 (ワルター/ウィーンフィル)
 
<ハ>より<ア>が下がる例
 *
 (ムラヴィンスキー/レニングラードフィル)
 
音楽:「どうですかい?」
私 :「うーん、最初のは、切羽詰まってる感じ、あとのは、救いがないほどガックリ来てる」
音楽:「前の方のため息は、<切ないけれど、頑張っていかなくちゃ>、ってため息だわな」
私 :「あとのほうは、<切なくて、そのまんま気分が沈む>って具合ですかね」
音楽:「まあ、まずはそこまで分かってもらえりゃ、あんたとあっしは、ちょっとは近寄れましたわ」
私 :「それは、有り難い!」
音楽:「サービスで、最初の方の例だけ、ちょっと前のところから続けて聴いてみておくんなせえ」

 
 *モーツァルト:
 (ワルター/ウィーンフィル)
 ・・・呈示部だの第1主題だの、という言葉は、まだ気にしなくて結構です。


 
今回は会話に終始しましたが、お聴き頂いて、「音楽」の言わんとしていることを、少しは感じ取って頂けたでしょうか?

この次に控えているのは、本当は、音楽が表現のために用意している膨大な「決まり事」の数々なのですが、そこに立ち入るとキリがありません。ですので、極めて大まかに、音楽が「決まり事」を表現するためにどのような手段を用意しているか、をインタビューするのが早道かと考えています。
・・・ともあれ、ここで、ひと区切り。



今日の会話の要約。

私 :「音楽さんは、私たちの自然な感情から来る声(註:実際に出るにせよ、心の中に仕舞われたままであるにせよ)を<決まり事>に結晶させて、出来るだけ沢山の人が、あなたを理解できるように準備を整えているわけですね」
音楽:「本当はそこまで単純じゃあねえんだけんど、まあ、今んとこは、そうだとおもっておくんなせえ」

・・・少し、難しくなってしまいましたか?
・・・そうでなければ嬉しいです。

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2008年1月16日 (水)

「つかめない」苦しみ(96年のC.クライバーの例を通して)

(後半はマニアックな話です。前半だけでお読みになるのをすませて下さっても結構です。)



私の子供たちは、13ヶ月前に母を失いました。
ですが、私より泣きませんでした。いまも、私の目の前では、特別なとき以外は泣きません。

息子の例をご紹介します。

息子は柔道を習い始めました。始めて3ヶ月になったばかりです。
昨日、久々に、その息子が「乱取り稽古」しているのを目にしました。
投げられるときは、実に奇麗な受け身で投げられるので、これは見ていて爽やかなのですが・・・息子自身はとっくに私より背が大きくなっているのに、相手が自分の半分くらいの背丈でも、やっぱり奇麗に投げられてしまう。
昨日は、息子の方が技をかける側での稽古でした。
ところが、足は出ても、体が前に出ていないので、自分のほうが倒れてしまう。技にならない。
「相手をつかめ!」
師匠に何度も言われるのですが、つかまえられない。
帰り道で、柔道も何も分からない私に、さんざん講釈を垂れられました。
「こうやって」
と、息子の襟をつかんで、力いっぱい引っ張りました。
「相手をぐっと引きつけなくっちゃ、つかまえられないんだよ」
「・・・うん」
「足だけ出たって、自分が相手をつかんでなくっちゃ、ひっくり返るのは自分なんだよ」
「・・・うん」
「つかめなくっちゃ、技にならない。何やってんだよ」
「・・・うん」
帰宅して、息子はトイレに駆け込みました。私と一緒に歩いているうちは、初めはニコニコしていたのです。ですが、駆け込んだトイレからは、なかなか出てきませんでした。
しばらくして、晩ご飯を食べるためにテーブルについたとき、見ると、こめかみが濡れています。
「なんだ、これ、汗かいたのか?」
「ううん、顔、洗ったんだ」
トイレの中で、一通り悔し泣きして来たのでした。
で、食卓では、もうケロッとしています。

本当は、「つかめない」悔しさは、オヤジに言われるまでもなく、不器用な息子自身が誰よりも知っているのです。



柔道なら、技をかける前提として「つかむ」ということがあります。
ですが、「つかむ」大切さは、柔道に限るわけではありません。
漫才にも「つかむ」という用語があるのは、最近、若手のお笑いを審査するテレビ番組もあるので、ベテラン陣が
「もうすこし<つかみ>を早くもって来れないとアカンな」
なんて評価をすることがあるのは、ご覧になったことがあるかたも少なくないでしょう。
これは、「お客の興味を自分のほうにグイと引き寄せる」くらいの意味合いでしょう。ただ、柔道着と違って、具体的に「つかむ」襟や袖がない分、どうやったら「つかむ」ことが出来るのかは、なかなか見えづらい。・・・でも、ベテラン陣から見れば、駆け出しは何故「つかめない」のかは、一目瞭然なのです。

ただし、「つかめない」ことに悩んでいる自分を、お客に悟られてはいけない。
これは、柔道で技をかける駆け引きをする場合と、やはり共通しているでしょう。

「つかめない」悩みは、自分だけが、自身の中で抱き続けなければならないのです。でないと、駆け引きに負けてしまう。

これは多分、恋愛も同じで・・・私のような短気者は「つかめない」悩みを自身の中でじっと我慢できないから、若い時分には失敗ばかりでしたし、たまたま拾ってくれた家内・・・そう、家内の方が私を「つかんで」くれたのですから・・・を亡くしてからも、メソメソしっぱなしだし、新たに恋をしようと思っても、うまくいかないのです。

そんな私に比べたら、悔し泣きも人前に見せない息子、また今日は例を上げませんでしたが、娘には、ずっと明るい未来が待っている。それがたとえどんなかたちであっても、悔いのない何かを「つかんで」くれる、と信じてやりたいと思っております。

脱線しました。



どんな世界でも、どのようなベテランでも、「つかめない」悩みからは解放されません。
いや、むしろ、ベテランになるほど、いったん「つかんだ」はずのモノが、ある日突然「つかめない」ことに気づいたとき、愕然とする。まして、昨日まで一流の域に達していたのだったら、「つかめない」瞬間に気づいたとき、即座に引退を決意しなければならない。以前、相撲では横綱千代の富士がそうでした。ブームの中を駆け抜けたいくつかの漫才師たちも、引退を選択しました(先日記事にした「紳助竜介」もそうです)。

この点では、クラシック音楽界の演奏家たちは、歌手を除けば「つかめない」事態に陥っても、潔く引退する例は、稀です。ちょっと特別な世界かも知れません。
・・・それ以前に、その音楽家自身がもともと音楽を「つかめない」でいることに気づいていない、というケースも非常に多くあるのが、また、世界の特別さに「花を添えて」要る気がしないでもありません。



私が知る限り、クラシック音楽の世界で、歌手以外で「つかめない」自分に気が付いて引退をしたと考えてもいいのかな、と思える人物は、作曲家ならばロッシーニくらいです。ロッシーニは、正確には「オペラ作りをやめた」のですが、俗説で言われているように「お金が充分貯まったから」ではないはずです・・・そのことは、感触としては把握したつもりではいるものの、まだ調べきっていません。演奏家には何人かいたかと思いますが、覚えていません。(サリエリの晩年も、ロッシーニに似たところがあります。モーツァルト毒殺容疑がなかったら・・・可哀想な人!)

指揮者では、スウィトナーは病気で引退しましたね。例外中の例外でしょう。

正式に引退を表明したわけではありませんが、カルロス・クライバーは、晩年、「引退」ということを強烈に意識していたのではないかと思います。

80年代後半からは年に2、3回しか指揮を行なわなかった、という話は有名ですし、1999年を最後に公式の演奏活動を行うことなく(病気のせいだ、ということもあったのでしょうが)、2004年にひっそりと世を去ります。

いまはバラ売りになりましたが、以下のタイトルのDVDが5枚組のセットで出ていました。
録音年代順に並べると、
1)ベートーヴェン:交響曲第4番&第7番(1983)コンセルトゲボウ
2)ウィーンフィル ニューイヤーコンサート(1989)
3)モーツァルト「リンツ」、ブラームス:第2(1991)ウィーンフィル
4)ウィーンフィル ニューイヤーコンサート(1992)
5)モーツァルト:33番、ブラームス:第4、他(1996)バイエルン国立

この前後に、公式には1978年の「カルメン」1979年1994年の「バラの騎士」、1984年の「こうもり」の映像もあります。さらに遡って、南ドイツ放送響(現:シュトゥットガルト響)で「こうもり」序曲と「魔弾の射手」序曲をリハーサルした映像もあります。これを年代順に見ていくと、彼の指揮の仕方の変貌が伺えて非常に興味深いのですが、詳細には触れません。

機会があったらじっくり見比べて頂きたいのが、上記のうちの3)と5)です。いずれもモーツァルトとブラームスを指揮したものですが、5)は3)の五年後です。

この二つだけ見比べると、5)の方は、3)よりもいきなり老け込んでいるかのように見えます。「振り」が、うるさくなっている。若い時にはきびきびとスピーディなタクトをとる人でしたから、若い頃に帰ろうとでも意識したのか、と、一瞬錯覚してしまいます。ですが、違うのです。
この二つの録画年次の中間より少し後ろに位置する、94年の「バラの騎士」の前奏での指揮ぶりは、78年の同じ曲の指揮と基本的な「設計」は変えていません。にもかかわらず、78年よりも、全体的に、不必要な部分は振らず、音楽の流れをオーケストラに任せる柔軟さを見せています。
彼がもっとも美しい指揮をしたのは、89年と91年、92年のウィーンフィルを相手にした際のことですが、94年に至っても、それは変化していない。
それが、たった2年後には、彼にとってはウィーンフィルよりも近しい関係であったはずのバイエルン響を相手に、「美しくない」指揮をしている。
96年の映像だけ見ても、気が付かないのです。
91年の、ウィーンフィルとの組み合わせでの映像と比較して初めて、
「え? カルロス、こんなに老けてしまったの?」
そのように、初めて印象づけられます。
オーケストラの性質の違い、という要因も、実は大きいのですが(オーケストラ内部でアンサンブルを築き上げてしまう、という技量もプライドも、ウィーンフィルの方が遥かに高いですから)、それにしても、若い時と比べると、ずっと保守的で、流麗さに欠ける指揮をしている。
表情を見ると・・・そうでなくても、残っている映像ではあまり柔らかい表情をするところを見せない人ですが・・・いつにもまして「硬い」。

「つかめない」
それがなんだか分からないけれど、自分には、もうつかめなくなってしまった何かがある。
カルロス・クライバーは、96年の時点では既に、そんな思いを抱いていたのではないか。
それは、大変に、晩年の彼を苦しめたのではないか。。。

先日、ウィーン・リング・アンサンブルを聴いて来て、つい懐かしくなって、クライバーの振る「ニューイヤーコンサート」の映像を娘に見せましたら、
「こんなに奇麗な指揮をする人は見たことがない」
そう言って感心していたのです。
そのあとで96年のクライバーの映像を見ると、なんだか苦しげに見えて仕方ありません。

YouTubeから、上記の各DVDに対応する映像をリンクしておきますので、私の抱いた感想が合っているかどうか、是非、その目でご検証頂ければと存じます。

YouTube上にある彼の映像は、こちらのリンクから全てご覧頂けます。(「ボエーム」や、来日公演時の「こうもり」序曲の映像などもあります。

長々失礼しました。

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2008年1月15日 (火)

モーツァルト:まごころ〜Venite populi K.260

ここまで読んできたモーツァルト作品の個々へのリンクを作成し直しました。ご利用下さい。



「真心をつくせば、誰かが見ている」
・・・そのように、よく言われます。

でも、真心をつくしているその場所を誰が見ているのか?
・・・自分だけ、です。
真心をつくす、というのは、孤独な行為です。私たち凡庸な人間は、一生懸命働いても、それが自分自身が思っていたほど人様から評価されない、という場面に、普段から出会っています。

ですから、よく思い知っているはずです。

「本当は、真心をつくしたって、誰かが見ているわけではない」

・・・「それでもいい」と頑張っていけるか、「評価されないならどうでもいい」と投げやりになってしまうか。
私たちの生は、そこで大きな分岐点に、日々さらされている。

モーツァルトもまた、然りだったはずです。
自分がいくら心を込めて作品を仕上げ続けても、それらは平凡な日常の中で、真価も理解されないまま、平凡に演奏され、たとえ何度か繰り返して演奏してもらえたとしても、いずれは忘れられていく。

彼が気づいていたはずはありません。自分の作品を、同時代の人ではなく、後世の人たちが「崇める」までになるだなんて。ですから、彼はマーラーが言ったような言葉は口にしていません。
「私の時代が来る」



没後ほどなく、しかし、「彼の時代」は早くも到来します。晩年の3大交響曲や、とくにロマン派好みとなった「短調」の協奏曲・室内楽などは、ニッセンと再婚したコンスタンツェが亡夫の作品を巧みに管理し売り込んだおかげで、19世紀初頭には既に絶賛を勝ち得ています。
死後に幸運を得ることが、本人にとって果たしてどれだけの価値があるのか、分かりません。
とにかく、事実としては、彼の死後に、彼の音楽は、それを喜んで聴く人々の輪を、現在に至るまで広げ続けている。もしモーツァルトが生き返って、こんな事態を目にしたら、どんな感想を抱くでしょう?


とはいえ、彼の音楽の「どこに」・「どのように」彼の真心が込められているか、の評価は、さすがに後世の人がしていることで、ポイントがさまざまに分かれ、時間と共に変化を繰り返してもいます。
最たるジャンルが「ザルツブルク時代の宗教曲」であることは、このブログで繰り返し触れて来たことでもありますし、同感をして下さる方もいらっしゃいます。
他の曲種でもそうなのですが、ザルツブルク時代の宗教曲も、一部を除き、どんな機会に演奏されたのかについての情報がありません。また、ミサ曲を除けば、どんな目的で作られたのかも分かりません。
1776年に作られた宗教曲として最後に採り上げる、このオッフェルトリウム"Venite populi(来たれ人々よ)"K.260も、そのような作品の一つです。


詳しい資料を探せば少しは分かるのかもしれませんが、私にはこの作品の成立事情は全く把握できませんでした。(歌詞の主旨からいえば、聖体記念日のミサに組み込んで演奏されたものででもあるのでしょうか? だとすれば6月頃。ただし、ニ長調という調性のミサ曲はこの年には作っていないこと、有名な「45分」の時間制限から考えると、使われたミサ曲はK.194【1774.8作曲】くらいしか考えられない。聖体の記念日ということであれば、組み合わせとしてはK.192の「小クレドミサ」【1774.6.24作曲】の方が似つかわしいが、こちらはヘ長調。3度の平行調の同主調ということで違和感がない、と考えれば、選択肢としてはあり得る。ちなみに、"Ave verum corpus"も6月の作。二重合唱である点が、ミサに組み込まれたとすれば不審は残るが。。。)
かつ、自筆譜(1873年発見)に示されているという曲の編成自体が、摩訶不思議でもあります。
演奏時間5、6分ほどの小曲ながら、たいへん荘厳な二重合唱(ソプラノ・アルト・テノール・バスの四部合唱が、おそらくは教会の右手と左手に分かれて配置された)なのですが、これを記した五線譜は十段・・・つまり、合唱を書いた残りは二段しか残っていない。で、NMA(第3分冊)に掲載されたファクシミリ(3葉目)を参照しますと、最上段は空白のままです。残ったいちばん下の行に、通奏低音が書かれているだけ。
一方で、Carus版の解説によると、この版はザルツブルクにあったモーツァルト自身の手でかかれたパート譜に基づいている、とされていて、スコアにはヴァイオリン2、チェロ(とコントラバスとファゴット)が併せて印刷してあります。NMAの楽譜は、さらに3本のトロンボーンパートが印刷されています。
演奏に際しては、しかし、自筆スコアにないパート(管弦楽器部分)は演奏してもしなくても良いのだ、と解されています。


例によって、形式を子細に検討すると、一見、三部形式ですが、私には、ソナタ形式を強く意識しているように思えます。

第1部(Allegro ,4/4,ニ長調。1〜51小節まで)の前半は、ちょっと見には前奏(1〜2)・合唱の第1部(3〜11)・第2部(12〜16)・第3部(17〜20)・第4部(21〜24)・第5部(25〜33)・第6部(34〜44)・第7部(45〜51)、と、入り組んでいます。ですが、第3部との兼ね合いで観察すると、この第1部は、ソナタ形式の呈示部に見えます。そうすると、前奏から合唱の第4部までは第1主題に、そこからあとは第2主題に相当するように出来ているのが分かります。

第2部(Adagio,3/4,ニ短調。52〜69小節まで)は、テンポが変わりますが、使われている動機は第1部の第1主題で第2合唱が歌い出す水平な"Venite populi, venite"の「呼びかけの動機」ですから、ソナタ形式の(この時代としては、テンポも拍子も変わるという点で特殊な)展開部、と見なしても誤りではないと思います。

第3部を「再現部」と見なすのは、ちょっと冒険に感じられます。71小節から、元の拍子、元の速度で開始されるこの部分は、フゲッタで始まるからです。しかし、このフゲッタの動機は、第1部の前奏のもので、84小節目で一段落すると、次には第1部の第2主題が忠実に近いかたちで再現されていて、102小節から始まるコーダは、"Venite populi, venite"の動機で、全曲の統一感をしっかりと守って110小節までのこの作品を美しく締めくくります。・・・古典派から前期ロマン派までの常識からは「再現部」と見なすことは出来ませんが、後期ロマン派的な「再現部」ではあり、そうした点ではベートーヴェンの第九、第1楽章の再現部よりも斬新な構造だといえます。



再発見された時期が、モーツァルトの作品としては遅い部類の19世紀末だということも、第3部の構造の斬新さを眺めていると「むべなるかな」と思えて来ます。再発見者(再演者)はブラームスでした。

歌詞については、またこちらの頁に頼ってしまいましょう(すみません)。こちらでは、この作品はあまり高くご評価なさっていないのですけれど。モノの見方は十人十色でいいと思いますから。



この作品で感心するのは、ふたつある四部合唱が、最後の2小節以外は、どの場所をとっても「全く同じ」に作られていることがない、という点です。楽譜をお読みになれる方は、是非スコアを手にして、この事実に「驚嘆」なさって頂ければ、と思います。

形式と合唱の作法で上述のように110小節に凝縮された「まごころ」が、果たしてどのように享受されたのか、いまのところ記録されたものを目にしていません。かつ、この作品の構造がここまで斬新だ、ということについては、父のレオポルトも気づかなかったのではないかと思います。
ですが、モーツァルト自身だけは、多分、おのれの試みていることの新しさを、よく知っていたのではないかなあ、と、スコアを眺めつつ、彼の孤独に思いを馳せてみたい気がしてきました。

すばらしい、大きな「小品」です。是非、ご一聴下さい。
残念ながら、全集の類い(しかも、値段の高いもの)でないと聴けないようですので、手持ちの演奏をアップしておきます。
モノラル化してありますので、合唱の立体感を味わうためにはCDか実演(これは出会うのがむずかしいだろうなあ)に接して頂けましたら幸いです。

 フィリップスの全集から

スコアは、NMA第3分冊収録のものと、前述のとおりCarus版が出ています。

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2008年1月14日 (月)

訃報:鈴木清三氏〜戦後日本の代表的オーボエ奏者

日本フィル、その後、新日本フィルで長くオーボエの首席奏者をお務めになった鈴木清三氏が、去る1月12日、多臓器不全の為に亡くなられたとのことです。
山本直純さんの「オーケストラがやって来た」にも登場する「名人」でした。単独で演奏なさった録音は少ないのですが、山本直純指揮「宿命」のCDで、その名手ぶりを聴くことが出来ます。

現在プロのオーケストラで活躍中のオーボエ奏者に、お弟子さんが沢山いらっしゃいます。

私が入っていた大学のオーケストラでは、木管楽器の指導を長年にわたってお引き受け下さいましたから、管楽器メンバーにとっては忘れ難い存在であったはずです。鈴木先生のご指導のもと、アマチュアながら、その大学オケからはオーボエの名手が続々と誕生しました。
私たちの学生オケで、山田一雄さん指揮の「モーツァルト:小ト短調交響曲」でオーボエの1番を吹いて下さいました。その時の演奏( )です。色の変わったところをクリックしてお聴き下さい。張りと艶のある、のびのびした音色に、どうぞ耳を傾けて下さい(先日、友人の好意で入手できたものです)。

心よりお悔やみ申し上げます。

追記:昨日のAsahi.comに訃報が掲載されていました。以下、引用。

オーボエ奏者の鈴木清三さん死去(2008年01月13日20時07分)

鈴木 清三さん(すずき・せいぞう=オーボエ奏者、桐朋学園大学名誉教授)が12日、多臓器不全で死去、85歳。通夜は14日午後6時、葬儀は15日午前10時から東京都葛飾区立石7の11の25の源寿院で。喪主は妻みどりさん。

72年、小澤征爾氏らと共に新日本フィルハーモニー交響楽団を結成した。名誉首席奏者。

毎日新聞web掲載の訃報から、ご経歴の引用。

1944年、東京音楽学校(現・東京芸術大学)器楽部を卒業。72年、小澤征爾さんらと新日本フィルハーモニー交響楽団を結成し、首席オーボエ奏者として活躍。後に同楽団のオーボエ名誉首席奏者となった。

山本直純フォーエヴァー~歴史的パロディー・コンサートMusic山本直純フォーエヴァー~歴史的パロディー・コンサート


アーティスト:山本直純,古今亭志ん朝

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オーケストラがやって来た (単行本)


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2008年1月13日 (日)

DVD「紳竜の研究」(1)漫才も音楽も同じなんです

9月以降、「笑い」の話題は実質的に中断し、先日から催されているチャップリン映画祭について触れたのみでした。
・・・頭の中では、どう考えていったらいいか、はずっと進行中だったのですけれど、求める材料が手中に出来ませんでした。

「間奏:笑いと暴力」なる駄文を綴って以降、念頭にあったのは、1980年前後の漫才ブームで活躍した人たちでした。上記駄文でとりあげたのは北野武監督の映画ですが、彼も漫才ブームの中で「ツービート」のボケとして、「暴力的なネタ」をポンポン展開する一方、その内容が知的なことで、多くのファンを獲得したのでした。・・・ですが、現状、「ツービート」についてはDVDで映像を入手することが出来ません。

併行して思い浮かべていたのが、「紳助竜介」でした。
暴走族ルック(つなぎ)で(紳助の顔立ちが、いかにもゾクでした)現れ、一見「暴力」ネタを始めるかと見せて、実は「暴力的」なのは見せかけだけ、いざ蓋を開けてみると「情けない」話が展開される、というところが非常に新鮮でした。
・・・今、この路線を継承しているのは、<にしおかすみこ>だけかなあ、と思います。しかも、彼女は漫才ではなく、一人芸としてそれをやっていますから、ご自身には「紳助竜介の系譜上にいる」という意識はないだろうと私は思っております。

竜介さんの方は、私の家内と同じ49歳で、私の家内と同じ2006年に、私の家内より8ヶ月早い4月に亡くなりました。
「50歳になったら1回だけ<紳助竜介>を再結成して漫才やろう」
と約束していたそうで、その時を期して「つなぎ(彼らのユニフォームでした)」も新調していたそうで、返す返す残念です。

この二人の往年の漫才を見ることの出来るDVDが、ようやく出たのを知りました。
昨年の5月には出ていたようですが、情報をつかんでいませんでした。先日、やっと入手しました。
・・・もっと早く見たかったなあ、でも、見られて良かったなあ、と、感慨深く思っています。



伊勢の「三曲万歳」は三味線を弾き、鼓を打ちながらのものでしたが、寄席に入って以降の漫才は、楽器を用いずに「ボケとツッコミ」の二人で演じるのが定型になっていきます。もちろん、楽器を用いたものも昭和中盤(私の子供時代)まで生き残っていましたが、「玉川カルテット」を除けば、早くにコミックバンドへと変化し、消えていったように記憶しています。

「語り」だけの二人漫才でも、しかし、音楽的なリズムが大切だったことは・・・漫才ブーム以前のものでは目だちませんが・・・このDVD「紳竜の研究」から、強く印象づけられます。(これは洋の東西を問わないようで、チャップリンが自作映画で音楽まで作曲せずにいられなかったのは、「笑い」にリズムの要素が欠かせないことを彼が強迫観念になるほどまでに思い知っていたからではないかと思います。「黄金狂時代」の中のパンの踊りは、彼自身が音楽まで考えていなかったら、面白みが、半減とはいわなくても、最小で2割は減じていたのではないでしょうか?)

DVD「紳竜の研究」は2枚組ですが、1枚目は紳竜の活動期のドキュメントと紳助が吉本興業で行なった(きわめて真面目な)「笑いを引き出すとはどんなことか」についての講演、2枚目は紳竜の漫才(島田洋七氏が副音声で解説)という構成になっています。

それぞれに、注目すべき点があります。今回は、まずは1枚目の注目点の中からひとつだけ採り上げておきます。

ドキュメントの出来については少し不満もありますが、インタヴューを受けているいろいろな漫才師の方が述べていること、そのあとに収録された講演の中で紳助氏が述べていることに、次のような共通点があります。

「漫才はリスムが命。音楽と同じなんです」

異口同音に、そう言っている。

オール巨人氏の言葉(そのとおりではないですが)。
「紳助は、歌わせたら音痴なんですわ。でも、喋りでは完全にリズム(註:テンポ、と言い換えてもいいのでしょうね)を掴んでいる。私は弟子を取る時には、そいつに<おまえ、歌はうまいか?>って、必ず聞きます。<いや、ダメです>と答えて来たら、<カラオケかよって練習せい!>って言いますわ。でも、紳助君は、歌は下手でも、もう身に付いているから、<歌、ヘタなんや>っていう彼には<お前はええんや>って言ったんです」

紳助氏自身が、謙遜気味に、自分の音痴を認めながら、講演の中で、「音楽も(漫才も)同じや。リズムが大切なんや」ということを、繰り返し、言葉を変えて語っています。

相方の故・竜介氏が、そんな紳助のリズムに必死で食らいつき、成長していく様は、2枚目を洋七さんの解説を聞きながら見ていると、大変良く感じ取れます。

「心で記憶せなあかん」

講演の中での紳助氏の決まり文句は、これです。
心で記憶していないと、リズム感、テンポ感は絶対に身に付かない。

では、掴んだリズムを如何に「笑い」に繋げていくのか・・・このことについては、また別途、紳助氏の言葉に耳を傾けてみましょう

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2008年1月12日 (土)

聴いてきました「ウィーン・リング・アンサンブル」

先日掲載したウィーン・リング・アンサンブルのコンサートに出掛けてきました。
メンバーは昨年と全く同じ。皆さんお元気で、よかった!
(メンバーの経歴は昨年の記事に綴っています。ただ、昨年分からなかったクラリネットのヒントラーさんについては、1989年入団で、遡る80年にはシュミードルさんの助手をなさっていたとのことです。)
ただ、4日から名古屋を皮切りに、さいたま〜佐倉(千葉県)〜福岡〜東京〜大阪〜今日の松伏(埼玉県)というハードな移動、かつコンサートがなかった日は8日と10日だけ、というスケジュールで、明日は松本(長野県)、最終日のあさっては東京(早稲田大学大隈講堂)。
もちろん気づかれないように、ではありましたが、クラリネットのシュミードルさんが1回だけリードミスをしたり、ホルンのヘーグナーさんも目だたないところでちょっとミスしたり、キュッヘルさんも時々音がかすれたり、と、お疲れが気になる瞬間もありました。
とはいえ、大変楽しいコンサートで、お客さんは大満足だったはずです。

プログラムは
・「ウィンザーの陽気な女房たち」序曲(ニコライ)
・ワルツ「天体の音楽」(ヨーゼフ・シュトラウス)
・妖精の踊り(ヘルメスベルガー〜ブラームスと同時代の、ウィーンフィルのコンサートマスター)
・ポルカ・シュネル「浮気心」(J.シュトラウスⅡ)
・ポルカ「狩り」(J.シュトラウスⅡ)
休憩を挟んで
・「くるまば草」序曲(J.シュトラウスⅡ)
・ポルカ・シュネル「人生は喜び」(K.M.ツィーラー)
・ワルツ「うわごと」(ヨーゼフ・シュトラウス)
・ジプシーのガロップ(J.シュトラウスⅠ)
・マリアのワルツ(J.ランナー)
・「メリー・ウィドウ」メドレー(レハール)
・狂乱ガロップ(J.シュトラウスⅠ)
アンコールは3曲でしたが、最初のポルカ・シュネルがなんという曲だか分かりませんでした。
あとは「青きドナウ」と「ラデツキー行進曲」で、昨年と同じです。
ハードスケジュールでサイン会が出来なかった分なのでしょうか、1曲余分にサービスしてくれました。
(ただし、帰りのバスにシュミードルさんが乗り込むところをつかまえてサインをもらえた人が数人いました・・・じつは、そのうちのひとりは、私です!)


今回は、ステージ上手(かみて)のすぐ脇で「見る」ことが出来ましたので、昨年より細かく勉強をさせてもらえました。
「アンサンブルはかくありたい!」
という話です。それを綴ることにしましょう。
室内楽で管と弦が混在するコンサートを目に出来るチャンスは少ないはずですので、アンサンブルの基本を知るには、リングアンサンブルのような演奏に接するのは、大変良いチャンスです。
そして、彼らは大編成のオーケストラでも、必ず同じことをしているのです。
編成が小さい分、オーケストラでは見そびれてしまう「基本テクニック」が、手にとるように分かる・・・こういうコンサートを、なるべく多くの演奏者に「見て」貰いたいと感じました。


彼らが一流だから、という訳ではなく、「聞ける」アンサンブルをなさるかたならどなたも心得ていることを、当然ですが、リングアンサンブルのメンバーも実行していました。

・常に「アイコンタクト」を取り合い、タイミングをズラさない
 (だから、結果的に、特定のリード役がいらない)

・同じ主題を担当する楽器どうしで、主題のニュアンスを事前によく打ち合わせて揃える
 (弦楽器同士〜使う弓の位置、スピード、弾み具合を「相似形」的に揃える)
 (管楽器同士〜息の量、スピード、切り上げ方を「積分」的、「相似形」的に揃える
 (弦と管〜上記の順番で奏法が対応するので、対応する奏法を積分的、相似形的に揃える)

・伴奏に回るパートは、伴奏者同士で、やはり同じことを行なう。
 ただし、主題が頭の中に叩き込まれていて、主題といっしょに歌っており、
 かつ、主題よりワンランク後ろに引いて演奏する

おおまかには、こうしたことです。・・・変ないい方だから、通じるかしら?


リングアンサンブルならでは、の大きな見物はふたつ。

ひとつは、コントラバスの運弓でした。
ワルツが主ですから、ワルツを例にしましょう。
コントラバスは「ブン・チャッチャ」の「ブン」を担当しますが、全てダウンボウ(下げ弓)で弾くだけだったら他でもやります。
ウィーン流だなあ、と感心したのは、主題のニュアンスが柔らかくなると、弓の当て方を和らげ、ほんのちょっと当てて、かつ、そっと、いとおしむように弓を弦から放すのです。で、ワルツが勢いづく場所では全弓で弾ききる・・・ただし、あくまで紳士的に。

もうひとつは、キュッヘルさんの存在。
ファーストヴァイオリンだけが・・・恐らくはこれが大きなオーケストラの中であっても・・・アンサンブルの中では特異なのだなあ、というのが、よく分かりました。
他の連中は、伴奏のときは伴奏の時、主題のときは主題の時、相手が弦同士か管同士か、弦と管か、のいずれをも問わず、わざと体を寄せあってみたり、大きく目配せしたりして「遊んで」いるのです。
キュッヘルさん個人が、という意味ではなく、音楽的に、ファーストヴァイオリンだけが、明らかに違うのです。
ファーストヴァイオリンは、さっきセカンドに歩調を合わせさせていた(もしくは合わせてもらっていた・・・このアンサンブルの場合、後者なのですが)かと思うと、次の瞬間にはフルートと、そしてまたチェロ、続いてホルン、と、目まぐるしく「合わせてもらう」相手を取り替えなければならない。気の毒なくらい、忙しい。
それを、お客さんに「忙しい」とは感じさせず、美しく切り替えていかなければならない。
ですが、極端な話、ヘマをしたらしたで、他のパートが「音楽の作り」は補ってくれているので、仮に「どうせヘマだらけ」なんだったら、別にファーストヴァイオリンなんかには弾いてもらう必要も何にもない。
・・・もちろん、アンサンブルが「完成している」団体にして初めて許されることではあるのですけれど、
「あ、そうなのか、内声や低音が上手ければ、ファーストヴァイオリンなんかいなくてもいいんだ!」
・・・そういうことになります。
・・・孤独です。

世の中の「ファーストヴァイオリン弾き」は、この点、よくよく知っておかなければならないようです。
もちろん、キュッヘルさんは見事にご存知のようでした。
他の連中が「遊んで」笑っていても、彼だけは終始、目が「マジ」でした。
キュッヘルさんの「マジ」は、前任の偉大だったコンサートマスター、ヘッツェルさんの事故死の後を受けて大変なご苦労をなさったことが、今でも影を落としているのだろうと思わされます。ヘッツェルさんが山で事故死しなかったら・・・ボスコフスキー時代のウィーンフィル「ニューイヤーコンサート」の映像では、若き日のキュッヘルさんは満面の笑みを浮かべていたのが見られますから、また違う表情で自らの「責任感」を示すことが出来ていたのではないかなあ、と、下衆の勘ぐりをしてしまいました。
尊敬するかたですから、なおさら大袈裟に、勝手にそう感じただけかもしれません。

その他にも面白く思ったことはいくつかあるのですが、偉そうなことを言っておきながら弾くヴァイオリンはヘタクソな私にとって最も愉快だったのは、セカンドを弾いているザイフェルトさんが、「マリアのワルツ」で自分の弾く主題(ファーストの主題の対旋律になっています)を、前半は弓を寝せて、あたかも弱音器をつけたような効果を出して演奏しておき、後半再度同じ主題が現れた時には、ファーストと対等の、輪郭のはっきりした音で演奏する、という弾き分けをなさっていたことです。

いつも飄々としているヴィオラのコルさんも、私は大好きです。

どうも、毎度長くてすみません。

こんなところで。

付記:トラックバック下さった雅哉さんのおかげで、分からなかったアンコールの1曲目について判明しました。ツィーラー作曲の「ヴィネアガロップ」だそうです。ツィーラーは、19世紀後半にウィーン宮廷舞踏会の音楽監督を務めたことのある人物です。

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2008年1月11日 (金)

音楽と話す:どうやったら、あなたに近寄れますか?

音楽さんとのお話は、先日はこんな具合にそっけなくされてしまいました。

私 :「どんなとき、私たちは一緒に【心が】動けるのでしょうね?」
音楽:「そんなの、その時々で違うから、あっしにも分かりませんや」

うーむ、癪です。

さて、どのように突っ込みましょうか。

私 :「じゃあ、まずどうやったら、あなたのそばに近寄れますか?」
音楽:「別に、無理せんでいいですよ。」
私 :「そう仰らずに、とっかかりだけでも」
音楽:「簡単ですわい」

は?

音楽:「あっしが鳴ってたら、あんたの体はとりあえず響きを感じるでしょう」
私 :「そうでしょうね」
(聴覚障害のかたでも可能だ、ということは前回述べたとおりです。)
音楽:「それでね・・・」
私 :「(身を乗り出して)はい・・・」
音楽:「感じた響きが気に入ったら、そのときにこそ身を乗り出してみてくれればいいんでさあ」
私 :「気に入らなかったら?・・・あ、そんな質問してはいけませんでしたか」
音楽:「いやいや、ちっとも。気に入らなかったら、なあに、そんときゃ、あっしとサヨナラすれば済む」
私 :「あれま!」
音楽:「それだけ。」
私 :「それだけ?」
音楽:「そう。」
私 :「うーむむむ!」



人間、何でも種類分けするのが好きな動物ですよね。音楽にも「ジャンル」とかいう種類分けが、いつのまにか出来上がって(たぶん原始時代まで遡るのですが、いまはそのことには触れません)、<ポップス>・<ジャズ>・<ロック>・<演歌>・<クラシック>・・・などなど、CD屋さんを覗いたら、わけがわからなくなるほど沢山、別々の名前が付けられています。
じゃあ、それぞれ何が違うの?・・・と言われれば、違いはそれなりにあるようですが、まだそんなところまで音楽さんとお話する段階ではありません。ですので、まずは、「種類分け」を気にせずにおきましょう。


ある音の響きが「気に入る」・「気に入らない」、あるいはそれより前に「心地よい」・「気持ち悪い」というのは誰にでもあるでしょう。
ただ、困ったことに・・・困らないのかもしれませんが・・・感覚的な「好悪」は十人十色、百人百色、本当に個々人でだいぶ違っている。
ですから、本来、
「誰でもOKですよ〜」
なんてものは、世の中にはありえない。
私がいくら頑張っても、私が惚れた女の人が、こんな変人の私を好きになってくれる確率は非常に低い! 映画に出てくるチャップリンの方が高確率のような気がしますし、人間そのものとしてのチャップリンはモテ男でしたから、妬ましくて仕方がありません!
・・・あ、すみません、とんだ脱線を。。。

音楽さんも、いろんな顔を持っていますから、その顔のどこが「聴き手」に好いてもらえるか、嫌われるか、なんて、ご自身では分からない。

音楽さんの偉いのは、
「別に、好かれたって好かれなくたっていいじゃん!」
泰然と存在している、その姿なのではないかなあ、と思う今日この頃です。
・・・音楽さんは、少なくとも、私と違って、懐が深い。

だから、お好きな「音楽」があるのだったら、それがたとえ、たった一つの歌だったとしても、それを身近に感じつづけていればいい。
お好きな「ジャンル」を、徹底的にストーカーするのも、相手が音楽さんだったら許される。
(人を相手に、は、絶対になさらないで下さいね! 過去に身近でそんな事件もありました。とても悲しかった。)

でも、せっかくですから、音楽さんの
「今まで自分が触れたことのない、新しい姿」
を・・・音楽はそれを「音の響き」として表現するわけですが・・・、そう、そんな新鮮な響きに体がゾクゾクさせられるのを感じることがあれば、もっと幸せです。

ただし、チャンスは偶然にしか訪れない。
私は、そう思っております。
世の中に出回っている「クラシック入門」だの「ジャズ入門」だのというのも、結局は筆者の趣味で内容が決まっているので、
「何か予備知識をもたなければ音楽は聴けないなあ」
という誤った感覚を、私たちは知らず知らずに植え付けられてはいないだろうか、と、そういった類の書物やCD、DVDには、私は最近、警戒心を抱くようになりました。
(付記:自分の以前綴ったモノを確認したら、こんなのがありました。)

何も知らずに、偶然に、街を歩いていて、響いてきた音楽の「美しさ」に足を止めさせられる。
「え? この音楽、なに?」
そんな感動が先にあり、そんな興味が先に湧くことが、まずは大切なことなのではないでしょうか?

・・・私は最近は殆どクラシックしか曲が分かりませんので、クラシックの例で恐縮ですが、近衛秀麿という指揮者のかたがお書きになった「オーケストラを聞く人へ」の冒頭にあったエピソードが、(原文通りでは無くなってしまっているかも知れませんが)、今でも忘れられずにおります。

近衛さんがヨーロッパにいた頃、たまには自分の指揮するオペラを、自分の家で一生懸命働いているお手伝いさん(東欧系のオバサンだったように記憶しています)にも聞かせてあげよう、と思いついて、招待したそうです。
オペラなんて、円が強い現代の日本人には屁でもないかも知れませんが、おそらくは今でも、ヨーロッパの庶民には敷居の高い贅沢であることには変わりがないと思います。まして、近衛さんのヨーロッパ時代は第二次世界大戦よりも前のことです。
お手伝いさんは、初めて見に行き、聴きに行ったオペラに、すっかり魅入られてしまいました。
演目は、モーツァルトの「フィガロの結婚」だったそうです。
この作品、美しい歌に満ち溢れています。
お手伝いさんは、そんな歌の奔流にすっかり呑み込まれて、
「こんな美しいものは、神様がお造りになったに違いない」
と信じ込んでしまったのでした。あとで近衛さんが何度
「あれは、モーツァルト、という人間が作ったものなんだよ」
と教えても諭しても、信じなかったそうです。彼女の決り文句。
「いいえ、絶対にそんなはずはありません!」

で、お読みいただいたかたのお心にまで、お手伝いさんと同じように「神様がお作りになった」と感じていただけるかどうか分かりませんが、「フィガロの結婚」から1曲、聴いて頂いておきましょう。

ルチア・ポップ(Soprano)

モーツァルト:オペラ・アリア集



今日の、音楽さんとのお話のまとめ。

私 :「まずどうやったら、音楽さんのそばに近寄れますか?」
音楽:「あっしの響きが気に入ったら、身を乗り出してみてくれればいい」
私 :「気に入らなかったら?」
音楽:「なあに、そんときゃ、あっしとサヨナラすれば済む」
私 :「そんなことで、いいんですかぁ???」
音楽:「ぜんぜん、いいんですわい」

あれま。


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2008年1月10日 (木)

曲解音楽史23:諸聖歌の背景(2)アンブロジアン聖歌・ローマ聖歌

前の回:1)音という手段  2)リズムの成立 3)音程から音階へ
    4)言葉と音楽   5)トランス   6)古代メソポタミア
    7)古代エジプト 8)古代インド   9)古代中国 10)古代ギリシア
    11)古代ローマ  12)初期キリスト教の聖歌について
    13)ササン朝ペルシャ    14)西暦5,6世紀ユーラシア音楽横断
    15)中世前半の西ユーラシア   16)唐朝と朝鮮・日本 17)「声明」の伝来
     18)モンゴルと中央アジア北方 19)「十字軍時代」の西ユーラシア
     20)日本固有(?)の古歌   21)諸聖歌の背景(1)グレゴリオ聖歌
     22)平曲と能楽:付)発声法について


グレゴリオ聖歌の概略を綴ってからだいぶ開いてしまいました。

「昔は良かった」は、老人の口癖。
「今はとんでもない」は若者の認識?

話がいきなり逸れますが、日本では、明治から最近まで「江戸時代は悪い時代だった、だからこそ明治は良かった」という歴史意識が、暗黙のうちにあったような気がします。
ビジネスマンに大変人気があり、私も中学時代から夢中になって読んだ小説家、司馬遼太郎さんの作品のメインは、あくまで「明治礼賛」でした。・・・今にして思うと(別に左翼的発想とか言うのではありません、念のため)、明治がそんなに礼賛に値した時代なのかどうか、多少疑問です。司馬さん自身の小説の中でも、必ずしも「明治の元勲」すべてが誉められているわけではないのですけれど、全体的にその色彩は濃いですし、晩年の講演の原点は、やはり「明治の革新の精神」にあったのではないか、と、私なぞは受け止めております。

持ち出しておきながら、しかし、司馬作品への評価や「明治礼賛」の良し悪し論は、やめておきましょう。

司馬さんの作品群には、また、戦国期以外には混乱の時代を描いたものはありません。戦国期を舞台にしていても、それは「最後にはすばらしい結論に至る革新」でなければなりませんでした。太平記の時代については、司馬さん自身が
「小説にならん」
と言っています。

ですが、人間が、明確に良かったと評価できる「改革」を行なった例というのが、果たして本当に歴史の上であったのでしょうか?(これも別に右翼的発想とか言うのではありません、念のため)

そのときそのときを生きている私たちは、常に「今」に夢中です。
「今の状態のままでいいのか?」
と、疑問を抱かずに過ごす日は、ありません(って、そこまで深刻に考えなくてもいいのですが)。
私たちより以前に生きてきた人たちだって、事情は変わらなかった。
歴史は、ある意味で偶然の積み重ねに過ぎないのではないかなあ、とさえ感じます。

ですから、人間の遺産として本当に「面白い」、「私たちの羅針盤となりうる」のは、本当は混乱期に営まれた精神や築かれ紡がれた作品なのではないでしょうか?



西ヨーロッパについて、に限ったことではないのですが、ここで「面白い」混乱期の様相を綴るには、私は知識も力量も不足しています。

ですので、グレゴリオ聖歌が形成され得る前提となった、2種の聖歌を聴いて頂きながら、
「中世西ヨーロッパが如何に自分たちの混乱に収拾を付けようとしていたか」
を、耳でご想像頂ければと願っております。

西ローマ帝国の衰退・滅亡期に聖歌を整理したアンブロジウスと、それを強力に支持し、かつ後世のカトリック会に多大の影響を残した教父アウグスティヌスのおかげで、キリスト教は、信仰する人々が「俗世」から救われる美しい「うた」を、今日に至るまで手中にし得たのでした。

(イタリア、マントゥヴァでの録音)Naxos 8.553502

まるで、日本のわらべ歌のように素朴です。かつ、今日的な意味での明確な「拍子」を指向している点を、一応申し添えておきます。(掲載した録音は女性の修道院に伝わって来た来たものであることも注目すべきですが、詳細をお知りになりたい場合はCDの解説をご覧下さい。)

西ローマ帝国崩壊後、征服者のゴート人も結局はフランクに制圧されましたが、その際、ビザンチンとも影響しあった「聖歌」の遺産がフランクの王国に引き継がれます(8世紀中葉)。


  Ensemble Organum harmoniamundi HMA 1951604

ローマ聖歌もまた、いや、アンブロジアン聖歌より一層、拍節感が明確であることにも耳を傾けておいて下さい。なお、ローマ聖歌については、「曲解音楽史12:初期キリスト教の聖歌について(3)」でも既に触れましたので、ご参照頂ければ幸いです。

こうした拍節感が「あまりに世俗的だ」とでも感じられたのでしょうか、その経緯は私には分かりませんが、これらの聖歌は、結果的に、より拍節感が「不明確」で、むしろ朗詠の美しさに重点を置いた、現行のグレゴリオ聖歌の陰に隠れてしまったのは、おそらくはカール大帝によるフランク地方の完全な統一が絶好の機会となり、教会が新たな権威を獲得すると同時に、皮肉なことですが、民衆から遠ざかって「聖別された特殊な空間」になってしまったことなどが影響しているのではなかろうか、というのは勝手な推測です。
「正当な」グレゴリオ聖歌は、付点リズム(タンタ、タンタ、といったような、そうですねえ、ダンスが踊れてしまうような躍動的なリズムです)を拒絶することを良しとしていたことは、文庫クセジュの「グレゴリオ聖歌」などの記述から伺われることです。
付点リズムは、しかし、カール大帝の没後の再混乱と軌を一にするラテン語のロマンス語化(現在のフランス語などに近くなっていく)の過程で復活していったそうで、権威ある研究者は、これを「聖歌の衰退」と嘆くまでに至っています。
とはいえ、聖歌に付点リズムが戻って来たことで、以後、デュファイなどの名作が生まれていくことになるのです。
かつ、20世紀に至るまで「埋もれた」存在になってしまった、上で聞いて頂いたような古いローマ聖歌は、主旋律の下で低音を引き延ばす特徴を持った歌が多いのですが、これは、今日私たちが目に出来る範囲の一般的な西洋音楽史の本にこそ述べられていないものの、ノートルダム楽派の音楽(レオニヌスペロティヌスの作品)に、グレゴリオ聖歌よりもむしろ密接に関わっていたのではないか、と言う気がしてなりません。

急に「ノートルダム楽派」だのデュファイという人名などを出してしまいましたが、これらについては、後日あらためて触れることにしましょう。

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2008年1月 9日 (水)

緊急:「うつ」の人、自分に負けないで!

某議員の息子さんが自殺したニュースと共に、「強度のウツ」と「自殺」が直結するような報道が各チャンネルでなされているようで、テレビ報道の<無神経さ>に、ほとほと呆れましたので、急ですがひとことさせて下さい。

「うつ」で悩む方、自分に負けないで下さい。私も「うつ」です。
「自殺」は、敗北です。「うつ」のせいにして、生きることから逃げてはいけない。
肉体的に瀕死の病でも、ギリギリまで輝く、輝いた命が、この世にはたくさんあることに、どうぞ思いを致して下さい。

取り急ぎ、それだけ。

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ウィーン・リング・アンサンブルin松伏2008

Wienna2008知りませんでした。
昨日、ハガキが届いて、急遽申し込みました。
(娘の受験直前だというのに! 娘も是非聴きたいとのことなので。)
東京都内で聴くよりはお安めの料金かもしれません!

日時:2008年1月12日19時開演(18時30分開場)
場所:田園ホール・エローラ
   〒343-0114
   埼玉県北葛飾郡松伏町ゆめみ野東3-14-6
   電話048-992-1321/048-992-1001

残席わずかですが、まだあるかも。
公式サイトをご覧下さい。
http://www.h6.dion.ne.jp/~ellora/newyear.htm

昨年聴きに行った時の感想思い出話は、前に綴りました。
(色の変わっているところにリンクを貼りました。行った時の感想の方には、出演者のウィ−ンフィルでの経歴も簡単に綴っています。)
家内が楽しみにしていたコンサートで、家内が切符を手配していましたが、残念ながら去年のコンサート日は、家内が死んでから12日後でした。遺影を連れて行きました。

埋葬を済ませてやるまでの1年間は、私にとって一生、「長い1年間」になるはずですが、去年のリング・アンサンブルのコンサートからの1年の「早さ」は、夢を見ているようです。
・・・でも、今回は、遺影は連れて行くのはよそうかな? 怒るかな?

この日だけは、僕の魂と家内の魂が入れ替わってくれたらいいな、と思っていますが、これも
「あんたの体じゃダサくてやだよ!」
って、敬遠されるかな?
(女装しても、ダメかなあ・・・高校の文化祭で女装させられて、当時のガールフレンド【え、いたの?〜はあ、1年もしないでふられました・・・】に選りすぐりの服を借りて、美容院で化粧もしてもらったんだけど・・・当時すでに「オバハン」と呼ばれてしまった私です。ですので、「そのテ」のお店に勤めることも出来ません。スネ毛とか、薄いんですけどね・・・こんな脱線をしていいのか?)

すみません、まっとうな話に戻りますが、このメンバー、少人数でも立派にウィーンフィルの音がします!
リンクした昨年の感想思い出話で、演奏の雰囲気もメンバーのお人柄も汲み取っていただけると思います。お読みいただければ幸いです。

さて、でも、今年はサインをもらえる材料を用意していないなあ。
去年、たくさんサイン貰っちゃったからなあ。。。

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2008年1月 8日 (火)

チャップリン映画祭in新宿その他

昨日、モーツァルトの作品紹介の中で、場違いとは思いつつ、チャップリンを引き合いに出してしまいました。

本当は、最近出た別の、日本人の漫才DVDを素材に、「演じることの勘どころ」を勉強してレポートするつもりだったのですが、先送りします(だいたい、自分に<勘どころ>が分かるかどうか、感性が甚だ怪しい、との危惧もありますし)。

で、ちょっとだけ、チャップリン。映画の中身のことではないのですけれど。(各映画のタイトルへのリンクで、内容は分かるようにしました。)



彼の残した中で、最も私の記憶に刻まれた言葉・・・

「人生は、短い目で見れば悲劇、長い目で見れば喜劇」

つい最近知った言葉ですが、反芻するようになってから、
「あ、私も喜劇を生きているんだな」
と、・・・精神不安定な日々を送っていてお恥ずかしくはあるのですが・・・思い出しては自分を笑えるようになってきた気がします。・・・誰もがそうだったら、人生、もしかしたら、どんなに不幸でも楽しい。(ホンマかいな?)



チャップリンの映画については、一時期、著作権が切れたということで数作品のDVDが500円で入手できましたが、その後の係争で、不可能になりました。
ただ、高価でも、やはりブックレットと特典盤付きのBOXセットのほうが、たとえば彼が上のように語るに至った心を窺い知るためには大変貴重な資料が特典ディスクに収められているので、結果的には「悪くなかったかも」と感じております。なお、一作ずつのバラ売りもしています。(ただし、初期のドタバタ短編はまた別の高価なボックスセットを入手しないと全部は見られませんので、いまのところその場その場で見つけた1枚ずつをちまちま息子に見せています。)


それはともかく、今、新宿の伊勢丹と通りをはさんだ映画館で、「チャップリン映画祭」をやっています。(下記リンクでは、他地方での上映映画館も分かります。札幌、青森、名古屋、大阪、福岡で開催中。)
1日に3作品を上映、好きな作品の上映時に1作ずつ鑑賞する、という形態で、1月25日まで開催されています。
アンケートが用意されていて、
「最も笑える作品」
「最も泣ける作品」
を書くようになっています。
最も票の集まった作品を、25日にアンコール上映するそうです。

1月6日に、私は息子の希望で「独裁者」を見てきましたが、お客さんが少なくて・・・ゆったりは見られるものの、なんだか寂しい気もしました。
没後30年で、チャップリンの静かなブームも始まっていることと思いますが、やはり、スクリーンで見るのはDVDでは得られない感動があっていいものです。
お時間がお取りになれるようでしたら、お出かけになってみてはいかが?

「チャップリン映画祭」のページ

ちなみに、明日以降の「新宿ガーデンシネマ」での上映スケジュールは下記のとおりです。
1回目)10:00〜、2回目)13:00〜、3回目)16:00〜、4回目)19:00〜

1/9〜24の1回目=「ライフ・アンド・アート」(ドキュメンタリー)

2回目
1/09〜1/14:「モダンタイムス」
1/15〜1/19:「犬の生活」「キッド」「担え銃」
1/20〜1/24:「殺人狂時代」

3回目
1/09〜1/14:「巴里の女性」
1/15〜1/19:「独裁者」
1/20〜1/24:「のらくら」「サーカス」

4回目
1/09〜1/14:「ライムライト」
1/15〜1/19:「黄金狂時代」
1/20〜1/24:「街の灯」



チャーリー・チャップリン ライフ・アンド・アートDVDチャーリー・チャップリン ライフ・アンド・アート


販売元:ジェネオン エンタテインメント

発売日:2007/12/21
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2008年1月 7日 (月)

モーツァルト:集大成!「聖体の祝日のためのリタニアK.243」

ここまで読んできたモーツァルト作品の個々へのリンクを作成し直しました。ご利用下さい。



最近、関係ない話から入るようになってしまって、すみません。
でも、そうでないと、成人に達したモーツァルトについては、充分入り込んで行けない気がするようになりました。
「モーツァルトの音楽」を全部追いかけてみたい、と思い始めた頃は、半面、一作一作をさらっと眺めれば事足りると思っていました。
が、たどって行くうちに、音符ひとつひとつが
「それじゃあダメだよ!」
と呼びかけてくるようになりました。
アルフレート・アインシュタインや日本の海老沢敏教授などの見解に、歴史の本も併せて読んだりして時代背景を捉えれば、少しは「ダメ」と言われなくなるかなあ、と考え直してみました。
それも、しかし、充分な手段ではありませんでした。
もはや、モーツァルト個人が、というのではなく、音楽そのもの、ひとつひとつが
「僕を、まっすぐに見つめてくれ」
と主張するようになってきました。
「・・・僕は、決して、いつまでも<神童>の音楽ではない!」


引き合いに出すには突飛な例ですが、私の息子はチャップリンが好きです。ですので、DVDでいろいろ揃えてやりました。私自身はなかなかチャンスがないし、息子はたくさん見てはいても、さすがにまだ小学生ですから、チャップリンの映画への捉え方も、大人とは違うかも知れません。
「チャップリンと言えば喜劇」
というのが、息子にとっての入り口でもあり、世間一般の捉え方もそうです。
ですが、そんな息子が最も好きなチャップリン作品は「独裁者」です。私が最初に見せた作品だったせいかも知れません。(昨日は「スクリーンで見たい」というので、上映されている映画館に出掛けてきました。DVDで見るのとは大違いの感激だったと言ってくれました。)
息子曰く、
「チャップリンは、ただ人を笑わせようとしただけじゃなくて、みんなの幸せを願っていたんだね」
自分もそうなりたい、というのが、彼の夢です。
「喜劇を演じたチャップリン」
という像から息子がまだ脱しきれないのは構わないと思います。
ですが、チャップリンが演じたのが「喜劇だけ」ではないことに気が付き始めてくれていることが、私にとっては嬉しいことです。

息子を通じ、私が最も好きになったチャップリン作品は<ライムライト>です。
この作品にも、道化たシーンが豊富に取り入れられています。
ですが、<ライムライト>に登場するチャップリンはもはや素顔です。なおかつ、どうでしょう、<ライムライト>をご覧になった方は、<ライムライト>を喜劇だとお感じになるでしょうか?
私に今言えるとすれば、<ライムライト>は、人生の喜びも悲しみも全て味わい尽くした人が描いた、喜劇でも悲劇でもない、ナマの人間の多くの苦悩と、ささやかな「幸福の孤独」を表現した作品なのではないか、ということです。(チャップリン作品の話は本筋ではないので、内容や、構造の巧みさについては別の機会に触れられれば、と思っております。・・・出来ることならこの作品の主人公カルヴァロのような出会いが私にも出来て、かつ主人公のように死ねたらいいなあ、と思っています。)



脱線、すみません。


モーツァルトは、チャップリンが<ライムライト>で至った境地には、1776年(20歳)時点ではまだ達していませんが、実は、この年に、20年の生涯の集大成とも言うべき作品をモノにしています。
残念ながら、しかし、この作品、モーツァルトのウィーン時代以降の名作に埋もれて、一般に「傑作だ」と認知されるには至っていません(さすがに、アインシュタインは見抜いていますけれど)。

そんな集大成が、この「聖体の祝日のためのリタニア 変ホ長調 K.246」です。

本来、この場で全曲をお聴き頂き、「なるほど」と頷いて頂けるのを是非この目で見たいのですが、判断は読んで下さる方にお委ねすることにしましょう。

文ばかり長くて、そのくせ多くを語ることは出来ないのですが、構成に加えて注記を致しますので、そこからこの作品にかけたモーツァルトの意気込みを少しでも汲み取って頂ければ幸いです。



調は、断らない限り変ホ長調です。また、編成の基本はオーボエ2本、ホルン2本に弦五部と通奏低音(オルガン)で、ヴィオラはときに二部に分かれます。

1.Kyrie(Andante moderato, 3/4,78小節)
〜ソナタ形式を意識した1部(1〜24)・2部(25〜40)・3部(41〜61、ハ短調)・4部(62〜78)の4部構成です。ソナタ形式を彼が明確に創作手段に取り入れたのは、3回のイタリア旅行を終えてからでしたが、その後たとえば交響曲第25番から第29番に至ってひとつの定型を確立していました。同じリタニアでも、前作K.193(1774年、2年前)では、定型を用いています。うまく表現できず恐縮ですが、4部は定型的な再現部となっていますが、2部・3部は並立する「展開部」に相当します。・・・二つの展開部を持つソナタ形式作品など、同時代はおろか、19世紀も末期に至って音楽作品が長大化しないと現れません(ブルックナーなど)。それをたった78小節の中でやり遂げた「気迫」には注目しておきたいところです。なおかつ、この章の第4部は、終曲"Agnus Dei"の後半部で再び登場し、統一感をもって全曲を終了させるのに大きな役割を果たしています。

2.Panis Vivus(Allegro aperto, B, 4/4, 144小節)〜テノールソロの、しかもザルツブルクに居着くようになってからは全く作っていなかった(イタリア旅行をしていた時期には他作していましたが)、きちんとした「ダ・カーポアリア」です。21小節の器楽のみによる伴奏が続くところから「オペラ的」で、ちょっと驚かされます。第1部が22〜70小節、中間部が71〜89小節で、第1部への回帰が90〜144小節、という作りです。(なお、器楽部のテーマが"Requiem"のTuba mirumと同じだ、ということがしばしば「通の方に」「得意げに」語られていますが・・・アインシュタインも書いてたっけ?・・・私は、単なる偶然の一致だと思います。テーマは、次に続くフレーズがどうなっているかまでを考慮して理解すべきでして、3小節目以降は両者はまったく異なっていますが、先の主張をする人たちにこのことが等閑視されているのは疑問です。)

3.Verbam caro factum(Largo, g, 4/4, 12小節)
4.Hostia Sancta(Adagio, c, 4/4, 127小節)
5.Tremenda(Adagio, c, 4/4, 32小節)
〜第4曲を中間部に置いて、3から5まで連携しています。連携を象徴するのは16分音符の「水平な」動きです。3・5曲は、共に、"Requiem"のRex tremendaeを先取りしています。

6.Duicissimo convivium(Andantino, F, 3/4, 98小節)ソプラノ独唱のカヴァティーナ
7. (Andante, g, 2/2, 39小節)ソプラノ斉唱(合唱)のカントゥス・フィルムス
8.Pignus(テンポ指定無し, 4/4, 128小節)合唱による二重フーガ
〜この3曲も一連のものと見なし得ますが、とくに最初の2曲はオーケストレーションに瞠目すべき特徴があります。第6曲はフルート2本、ファゴット2本が、ロココ調の絵画を見るかのように、ソプラノの親しみやすい旋律を飾ります。これは彼の過去のどんな劇作品よりも華やか、かも知れません。第7曲は終始一貫して、弦楽器はピチカートだけで演奏されます。当時としては異様なオーケストレーションだったと思います。定旋律だけが引き延ばされて歌われるのですが、この定旋律は、聖体の祝日のためのグレゴリオ聖歌 です(どちらも、リンクをクリックすると聴いて頂けるようにしておきますので、聴き比べてみて下さい)。この章はトロンボーンが独立で取り扱われている(アルト声部以下を歌わせないための方便だったのだとは思いますが)点にも留意しておかなければなりません。このあと、締めくくりに、この作品のあとで書かれた「ミサ・ロンガ」に向けて気力の充実を図ったかのような二重フーガを持って来ているのです。「私はポリフォニー作家でもある」という、ザルツブルク時代では、最後のアピールの一つだったのでしょう。

9.Agnus Dei(前半:Andantno, B, 2/4, 88小節)〜ソプラノ独唱のカヴァティーナで、オーボエとチェロのソロが一貫して歌を彩る点で、6曲目と関係づけられています。
(後半:3/4, 45小節)〜は、先程述べました通り、第1曲への回帰です。



リタニアはミサ曲のように公的なものではなく、個人の祈願のための楽曲だそうですから、モーツァルトは自由におのれの20年の生涯を振り返り、
「今までの自分を、ここいらでまとめあげ、再認識しよう」
と熱心に創作に打ち込んだのではなかろうか、と想像したくなります。

改めて全体の構造を眺めてみて下さい。

穏やかに敬虔に跪いて祈りを始めたかと思うと、自分の青春の入り口に立ち戻ってイタリアオペラのダイジェストを神への捧げものとして披露し、3〜5曲(短調が基調)では沈痛な表情となって「でも、私はまだ迷っているのです」と訴え、6〜8曲では「迷い」の元はこれなんです、とでも言わんばかりに、最新の技術を手にしてしまった自分の身を、あたかも祭壇の前に投げ出しているかのようです。投げ出した身を以て、このリタニアは、また敬虔な、しかし、間に挟まれた楽曲の数々により、冒頭とは比較にならないほど深く心を込めた祈りへと、立ち戻って行くのです。

この作品の初演については、シーデンホーフェンという人の日記に
「1776年3月31日 午後五時、大聖堂で法廷と一緒に祝日説教師による説教。(中略)モーツァルトの新しい『リタニア』も演奏された」(ドイッチュ/アイブル編『ドキュメンタリー モーツァルトの生涯』121頁、シンフォニア1989年)
と記載があるものに比定されています。

なお、歌詞について、また、音楽の読みについて、こちらに素晴らしいサイトがあります。
ご一読なさってみて下さい。

スコアは、NMAでは第2分冊中にあります。単独ではCarus版が出ていますが、この作品は自筆譜が残っていますので、NMAとの間に差異はありません(詳しくは見ていませんが、編者はそのように言っています)。

CDは、ヴァントの指揮したものがあります。

毎度、マニアックで失礼しました。

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2008年1月 6日 (日)

「のだめ」でモーツァルト「ミサ」検索の方へ

昨日の東京ムジークフロー演奏会へおいで下さった方への御礼はこちらに綴らせて頂きました。
あらためて、本当にありがとうございました。



標題で検索なさって下さった方がいらしたので、せっかくですから、このすばらしい曲のことを少しだけ申し上げておきたく存じます。ただし、正規には・・・たぶんずっと後日になりますが・・・あらためてじっくり触れたいと思っております。

について、
「のだめ」5日放映分のセリフの中に「ミサ曲」とありましたが、「モテット」の誤りですのでご注意下さい。
ミサ曲で探してもCDは見つかりませんので。

音は一度アップしていますが、 へ再掲します。
・・・最も美しい部分がカットされていたのが残念でした。。。

なお、4日の指揮コンクール、5日の千秋ヨーロッパデヴューの場面で使われていたホールは、お分かりの方も多かったかと存じますが、チェコの有名な「スメタナホール」です。
DVDでは、クーベリックが帰郷した際の「我が祖国」の映像、同じく「新世界」の映像はじめ、チェコ民主化を記念したノイマン指揮の「第九」演奏会のもの、面白いところでは「ホフナング音楽祭」のものなど、お目にかかれるものが豊富に出ています。

ついでですので、アヴェ・ヴェルム・コルプスの歌詞をご紹介しておきますが・・・キリスト教独特の「聖体拝領」の考え方を理解しておかないと、意味が分からない部分が多々あるかと存じます。

Ave verum corpus, natum de Maria Virgine:
Vere passum, immolatum in cruce pro homine:
Cujus latus perforatum, unda fluxit et sanguine:
Esto nobis praegustatum in mortis examine.

めでたかるは、処女マリアより生まれ給いし(真実の)みからだ
ひとびとの苦しみを受け十字架に架かりて
脇腹は刺し貫かれて血と水とを流されぬ
願わくば我らのため死の試練に先立ちて
天国の幸を味合わせたまえ
(下手な訳詩ですが、そのまま歌に付けられるようにし、意味は損なわないようにしてみました。)

原詩に若干、注釈をしますと、
verum, vere = 真実の
corpus = 肉体
等、英単語から意味が類推できる、比較的平易な語彙が多く、意味を知るためには英和辞典でもことたります。
passusは「受難」ですからね。
(immolatumは分かりにくい語ですか。犠牲となる意味です。)
praeはpreと記される場合も多くありますが、これも英語の語彙ではしばしば語幹になっていますね。
cujusの教科書的な綴りはqujusもしくはquius(関係代名詞)
(ラテン語そのものではCの字はKの音です。それが証拠に、Kの字もQの字も、古いラテン語にはありませんで、後年それらの字があてられた語彙は、古くはCで書き始められています。なお、Jもあとで加わった字でしたね。)

・・・なお、歌唱の場合の発音は、参考資料の書籍をご覧になればお分かりになるように、演奏者や地域によって違います。
地域を問わないのは次のような類いのものですかね。
教科書通りに読めば、本来はcruceは「クルーケ」ですが、歌の場合は「クルーチェ」で歌われないと、聴いていても落ち着かないですね。また、veはウェ、が教科書場の発音ですが、これも歌では「ヴェ」になるのが慣例ですね。
あとは、いわゆる「ローマ字読み」で読んでおけば、まあ、大丈夫です。

以上、余談。

モーツァルトがこの作品の創作にあたって最も成功したのは冒頭の"Ave"を2回繰り返したところにあり、このことにより、以降、古典派的な構成を崩さないままで、言葉一語一語の意味に極めて密着した旋律付け、和声付けを行なうことが出来たのです。
参考として、フォーレの「アヴェ・ヴェルム」などもお聴きになってみて頂くと、この辺の事情が良くお分かり頂けると思います(フォーレの作品では、たとえばnatumが若干不自然な位置に来てしまっています)。
シューベルトにも「アヴェ・ヴェルム」があるそうですが、残念ながら私は未聴です。

参考:「ミサ曲・ラテン語・教会音楽 ハンドブック」ショパン社

ミサ曲・ラテン語・教会音楽ハンドブック―ミサとは・歴史・発音・名曲選Bookミサ曲・ラテン語・教会音楽ハンドブック―ミサとは・歴史・発音・名曲選


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2008年1月 5日 (土)

演奏会御礼(1月5日、東京ムジークフロー)

本日、台東区生涯学習センターにおきまして、私の所属する東京ムジークフローの演奏会を行いました。

松の内にも関わらず、たくさんのお客様にお越しいただき、心より御礼申し上げます。

曲目は
・シベリウス「フィンランディア」
ライネッケ:フルート協奏曲 ニ長調 作品283
  独奏〜久保美亜(リンク記事の30番をご覧下さい。)
・ドヴォルジャーク:交響曲第8番
でした。

(ライネッケは1824年生まれ、1910年没の作曲家で、作曲者名のところにはWikipedia記事にリンクを貼りましたが、メンデルスゾーンの弟子です。また、たくさんの有名作曲家の師ともなっています。隠れた名作がたくさんあるのですが、19世紀の作曲家としては例外と言っていいほど作品数が多いのも災いして・・・これはチェルニーについても言えるのですが・・・演奏されることが作品数に反比例して少ないという皮肉な境遇にあります。)

フルート独奏の久保さんは、看護士のお仕事の傍ら、たくさんのフルートコンクールにチャレンジ、優秀な成績をおさめている努力の人で、団内にこういう尊敬しうる仲間がいることを、私は非常に誇りに思いますし、今日の演奏も素晴らしかったと思いますが、お聴き頂いた皆様、いかがでしたでしょうか?(2月19日付記:音を聴いて頂けるようにしました。

反面、私は練習にまっとうに参加したのは2回だけ、交響曲中のソロは夕べ一夜漬けで練習、というていたらくで、そんな事情もありまして、恥ずかしくて当ブログではあまり前宣伝しておりませんでした。本日の出来も、練習していないなりのもので・・・本当に申し訳ございませんでした。

当団は昨年、貴重なムードメーカーの急逝に遭うなどしましたが、今回は、癌で胃を失い、一時は演奏を断念していた友人も復帰を果たしたりし、練習に殆ど出られなかったとはいえ、私個人にも感慨深い演奏会になりました。
今後ともご支援賜りますよう、なにとぞ宜しくお願い申し上げます。

(今頃はまだ、みんな、新年会を兼ねた打ち上げで盛り上がっている最中かと思いますが、私は子供たちと、会場近くの浅草寺にお参りして帰ってきました。)


以下、団員の方へ、とりあえず簡単なお願い。

・弦セクション:「自分はこう弾きたい」を、積極的に前面に出せないかなぁ。。。

・木管セクション:ホルンを含め、セクション内での連携を普段からよくとれるご工夫を!

・金管セクション:バロックなどの演奏(出来れば優秀な実演)に触れて、もう一度原点に帰って耳を養ってみては如何?

とりあえず、簡単ですが、団員の皆様も、これからも宜しくお願い致します。

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2008年1月 4日 (金)

ツレがウツのあいだに死にまして

明日1月5日にTMFの演奏会を致します(無料)。上野や浅草から近いので、お気軽にお越し下さい。
くわしくはこちらをご覧下さい。



ツレがウツのあいだに死にまして・・・1年と1週間過ぎました。

夕べ、私の実家から帰って、ファミレスで夕ご飯を食べながら、我が子たちはそれぞれ
「ツレがうつになりまして」・「その後のツレがうつになりまして」
に読みふけっていました。

参りました。

笑って読んでくれているから、まだ救いはあります。ですが、片親の家庭で
「父親がウツという病気なんだ」
ということを意識しつつ育って行くのが、中三と小六の年頃の子にとって、良いことであるはずがありません。

かといって、自分が「ウツ」であるという現実、そこからもう少しで這い上がれる、というところまでたどり着いた矢先に、最も支えとなってくれていた「ツレ」を急死で失ってから・・・もう私が「ウツ」であることなど(職場で事情を把握しておかなければならなかった上司ほか数人を除いて)身近であったはずの誰も彼もが忘れてしまっていて、かつ、そんな親が一人で子供を養うのだということをも念頭から無くなって・・・他にやる人もいませんから仕方もなかったのですけれど、私だけが「ツレ」の埋葬、死後の手続に翻弄されて、気づいたら一年経ってしまいました。
そして、私はまだ、「ウツ」から解放されていません。
ただとにかく、悪化しないようにだけ心がけてきたつもりでした。おかげさまで、悪化は免れました。
だからといって、もう、誰が一緒に喜んでくれるわけでもありません。

回復が最大の課題。
でも、頑張れば頑張るほど、良くない結果が出る課題。

誰のために? と、問い続けて、年が明け、正月が過ぎ、普通の暮らしが戻ってきました。

子供たちのために?
であれば、子供たちが目標の生活で自立し得れば、私の役割はおしまいです。この世でのお役目終了。

それでいいのかどうか、分かりません。
「普通の暮らし」・「普通の人生」、それはどうやったら見つかるものなのでしょうか?
「お役目終了」まで人生を送るのでおしまい、が普通ということでいいのでしょうか?

トルストイに「人はなんで生きるか」という寓話がありますけれど、そこにも答えはありませんでした。いや、「ストレートな答え」はトルストイも見つけかねたのだ、と思っています。

私はなんで生きているのか? この先なんで生きるのか? 

そのことがハッキリと、カタチを持って分からない以上、私は我が子たちにとって「親」として胸を張れる人間ではいられないのではないか。
子供たちが仮にちゃんと「自分の目標」を遂げ、自立し得ても、私は結局はそのための何の力にもなっていなかったことになるのではないか?

そんな自問から、また日常が始まりました。

なにかを見つけたい。出来れば、それがまた再び、私にとって得難い宝物になるようなものを、何とか見つけ出したい。
まずは迷いの中に身を任せてみるしかないのかもしれませんが、
「今年は新たな宝探しの年」
そう心がけて、何とかいのちを保って行きたい、と、切に望んでいます。

新年の抱負にしては、なんだか頼りないのですけれどね。

ツレがうつになりまして。ツレがうつになりまして。


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その後のツレがうつになりまして。その後のツレがうつになりまして。
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2008年1月 3日 (木)

「のだめ」4,5日登場曲から~「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」

年明け1月5日にTMFの演奏会を致します(無料)。上野や浅草から近いので、お気軽にお越し下さい。
くわしくはこちらをご覧下さい。



三が日も終わり、今日の夕方には帰宅します。帰宅前に、「自分への気合入れに成るかな」と思い、「のだめ」にかこつけて、過去にメーリングリストに載せた文を少し構成しなおして掲載しました。かなり長いので、読みにくいかとは存じますが、お許し下さい。


1月4日、5日放映の「のだめ」inヨーロッパでは、

R.シュトラウス「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」作品28
(1895年完成、初演)

もとりあげられるので、もう2年前の3月に行ったものですが、作品の内容の解析と演奏比較を綴った文を掲載させていただきます。

編  成:フルート3、ピッコロ、クラリネットD2・B2、バスクラリネット、ファゴット3、コントラファゴット、ホルンF4・D4(任意)、トランペットF3・D3(任意)、トロンボーン3、チューバ、ティンパニ、トライアングル、シンバル、大太鼓、小太鼓、ガラガラ、第1ヴァイオリン16名、第2ヴァイオリン16名、ヴィオラ12名、チェロ12名、コントラバス8名

比較素材〜記事末尾に記載。

*聴きやすい曲で、CDをお持ちの方も多いと思います。ただし、自作自演版もある上に、後述のように、私が確認した限りでは、後輩たちに受け継がれた演奏には、大きくは「シュトラウス晩年系」と「フルトヴェングラー系」があります。改めてお聞き直しいただくと、面白い発見ができます。

端的に言えば、6小節めから出てくる有名な「ティルの動機」を
・テンポをほとんど変えないのが「シュトラウス晩年系」
・2回目の登場でテンポが速くなるのが「フルトヴェングラー系」
と聞き分けるひとつの目安です。
なお、「ティルの動機」が加速していく演奏でも、
・加速の程度の低いもの
・金管楽器を「押さえ気味」に吹かせているもの
はR2型とみなし、フルトヴェングラーの影響も受けていることから(F)と付記しました。
詳しくは<比較概要>2−2)をご覧下さい。
    
お手持ちをお聴きになってみて、いずれをお持ちかをご確認の上、
・「シュトラウス晩年系」だった方は<比較概要>2)の系譜F
・「フルトヴェングラー系」だった方はシュトラウス自演か系譜R1ないしR2
を別に聴き比べてみると面白いかもしれません。
なお、シュトラウス自身の演奏(1944年録音)に一番似ているのは、ベームの演奏であることを、参考までに申し上げます。出だしのテンポなど、シュトラウス自身と全く同じです(29年も44年も、この部分はシュトラウス自身全く同じテンポで演奏しています。これはこれで驚異でした!)



<比較概要>
*要点
:作品の「筋書き」を確認します。
:作品の演奏形態に2種ある点を「観察」し、「演奏の伝統」を概観します。
:「文学」との関係の考察をし、作曲者の創作意図を探ります。
:作品形式の考察をし、実際の仕上げで作曲者が自己の意図をどう収拾したかを探ります。


1)作品の「筋書き」(指導動機名は、スコア等の注記を参考に、私が勝手に付けました)
R.シュトラウスが後年ひとに請われて行ったコメントが元になっています。
演奏時間は15分程度です。

1.昔々のその昔、:「語り始め(と回想)の動機」〜弦楽合奏主体でゆったりした部分です。(1〜5小節、4/8拍子)

2.ティルという悪戯者がいました。:「ティルの動機」(6〜46小節。以下、主に6/8拍子)

3.以下、ティルがこれから繰り広げられる悪戯の限りをご覧に入れましょう。:「いたずらの動機」(46〜49小節)

4.新しいいたずらを求めて出発です:「スキッブの動機」・「いたずらの動機」(50〜110小節、ここまでソナタ形式の「呈示部」にあたる。)

5.「待っていろよ、意気地なし共め!」:「いたずらの動機」(111〜428小節間。展開部)

6.第1の悪戯は、市場に侵入、馬で女共を蹴散らし、一歩で7マイルも進める長靴を履いて逃げ去る:「いたずらの動機」・「悪意の昂揚の動機」(133〜153小節)

7.次は何にしようか・・・ネズミの巣穴に潜んで考える:「悪意の昂揚の動機」・「いたずらの動機」・「『いたずらを決めた』動機」(154〜178小節)

8.第2の悪戯は、僧侶に化けてもったいぶった口調で道徳の辻説法:「説法の動機」(179〜194小節)ここのみ2/4拍子、八分音符の呑気なテーマ。

9.道徳を説きながら、自分の先行きに不安を感じる:「恐怖感の動機」・「なんとかなるさの動機(いたずらの動機の変形)」(196〜208小節)

10.騎士に化けたティルは、美しい娘たちと挨拶を交わす:「いたずらの動機」・「ティルの動機の変形」(209〜221小節)

11.ティルは一人の娘に言い寄る:「いたずらの動機」・「困った娘の動機(グリッサンドの下降音型を含むもの)」(222〜244小節)244小節で肘鉄を食わされる。

12.肘鉄を食らわされたティルは嘆き悲しむが、「こうなったら全ての人間に復讐してやる」と心に誓う。:長調となった「困った娘の動機」でティルが笑顔で娘と別れた事を示すが、同じ動機が8小節後には激しい短調に転じ、「ティルの復讐の動機」へと変貌していく。(245〜288小節)

13.気持ちも新たに学者に交じり、とけっこのない謎を出して議論を紛糾させる:「いたずらの動機」・「ティルの動機」の変形、重みを付けた「スキップの動機」(もったいぶったティルと学者たちを暗示)、時々暗示的に「復讐の動機」が聞える。締めには昂揚した「いたずらの動機」(289〜374小節)

14.そんな自分に瞬時「これでいいのか?」と自問するものの、気を取り直して鼻歌を歌いだす。:「流行歌(鼻歌)の動機」・「不安の動機1(クラリネット)」・「不安の動機2(オーボエ、ティルの動機の変形)」・「機嫌の回復(410〜428小節)」(375〜428小節)

15.:以下、ソナタ形式の「再現部」にあたる。いまや激しい悪事を重ね、高笑いするティル。:既出の「ティルの動機」・「機嫌の回復」・「いたずらの動機」に485小節(練習番号41)から「高笑いの動機」が加わる。いたずらは「「説法の動機」の昂揚で頂点を迎える。(429〜573小節)

16.以下、コーダ。ティルはとうとう逮捕され、最初は鼻で笑っていた。:「処罰の動機(金管の和音)」。ティルは弱音の「いたずらの動機」で、ことを軽く受け止めている様子を示す。(574〜593小節)

17.絞首刑に処せられることとなり、命乞いも甲斐なく処刑が実行されて、ティルは昇天する。:「処罰の動機」・今や悲鳴に変じた「いたずらの動機」・「恐怖感の動機」・「処刑の実行(「ドン・ファン」最終部と共通する手法が610小節に見られる点、注目)」・「窒息し、息絶えるティル(615〜631小節)」(594〜631小節)

18.「昔々、こんな奴がいたんだよ」と、人々が懐かしむ。:「回想の動機」4/8拍子(632〜649小節)

19.「それにしても、痛快じゃないか!」:(650〜657小節)



2)シュトラウス没年時(1949年)の各指揮者の年齢、DVD・CDでの演奏オーケストラ、演奏年、演奏時間、系譜(R1=シュトラウス壮年期系、R2=シュトラウス晩年系、F =フルトヴェングラー系)

            作曲者没年時年齢  Orch.    演奏年 演奏時間 系
  本人(1929年演奏、65歳)      Berlin Op.  1929  14:28  R1
  本人(1944年演奏、80歳)      Wienna Ph.  1951  15:20  R2
  ウィレム・フルトヴェングラー  63歳  Berlin Ph.  1943  14:57  F(R2*)
  ウィレム・フルトヴェングラー  63歳  Berlin Ph.  1950 約15:30  F
  クレメンス・クラウス      56歳  Wienna Ph.  1951  15:06  R2
  エーリヒ・クライバー      59歳  Norddeutscen 1953  13:34  R1*
  カール・ベーム         55歳  Berlin Ph.  1963  15:12  R2
  ヘルベルト・フォン・カラヤン  41歳  Berlin Ph.  1973  15:30  F
  ルドルフ・ケンペ        39歳  Dresden st.  1975  14:40  R2(F)
  ゲオルク・ショルティ      37歳  Berlin Ph.  1996   15:11  R2(F)

  
2-2)演奏「系譜」の考察
欧州が第2次世界大戦への悲劇的な道のりを歩み始めようとしている1933年、R.シュトラウスと共にドイツの帝国音楽局の幹部を引き受けたフルトヴェングラー(シュトラウスが総裁、フルトヴェングラーが副総裁)は、解釈家としてはシュトラウスと対照的な性格を多分に持ち合わせた人でした。
幸いにして「ティル」の演奏について、作曲者シュトラウス自身の録音と一部映像、フルトヴェングラーの全曲演奏の録音と映像が残っていますので、この2人の違いが現在でも明確に分かります。二人は決して仲が悪かったわけではなく、年下のフルトヴェングラーは、彼の書簡から読み取る限り、シュトラウスに少しは敬意を払っていたようです。

さて、「ティル」の演奏における二人の関係はいかに。

スコアには曲の緩急・表情に影響を与える指示が豊富に載っています。
ところが、これらの指示の読み方が、作曲者本人とフルトヴェングラーでは大きく異なっているのです。
  
作曲者シュトラウス自身の演奏は、1929年のものも1944年のものも、スコアの指示から想像するものよりはテンポの変化が少なくアインザッツが安定しており、各楽器に指示したディナミークを遵守させていると共に、自身が後輩に示した「指揮十則」にしたがい、金管楽器はfffであっても幾分抑え目にしているのが特徴です。(29年の演奏には、それでも「アッチェランド」と楽譜に書いた部分よりも前の部分からアチェランドしたり、と、少しゆらぎがあります。)
オーケストラ全体の響きが彼の美的感覚を損なうほど破裂するのを嫌っており、音楽の流れが「スコアに書いた」以上に誇張されることも望んでいません。

対するフルトヴェングラーは、彼のベートーヴェンやブラームス演奏でもしばしば聴き取れるように、音楽の「比喩」しているものが何であるかによって、テンポもバランスも大きく変化させています。アインザッツの崩れも多少は気にしない、音楽の流れが喪失しないほうが重要だ、という方針だったとも言われています。(これは彼が演奏家・解釈家として優れていた一方、作曲家としては成功できなかったことと大きく関係しているように考えられます。フルトヴェングラーの「交響曲第2番」は、マーラー並に長いのに、曲想は古典にとどまっているため、演奏バランスの取りにくい作品です。)

この二人の、とくに1940年代から1950年代演奏様式の違いが、日本的な「流派」とまではいきませんけれど、「ティル」の演奏の基本姿勢に、以後大きな二つの流れを産んでいくことになりました。
「流派」が演奏時間だけで判定できないことは、2)に掲げた表から明らかです。
(たとえば、フルトヴェングラー1943年の演奏ととカラヤンの演奏時間を比べて下さい。)
違いは、次に列挙する、テンポ運びや楽器音量のバランスにみられます。

二人の主な相違点は、いずれも2つずつ比較した全曲演奏時間の違いにかかわらず、以下の個所で特徴的です。

・最初にホルンに出てくる「ティル」の動機(「筋書き」2のはじめ)
 シ ュ ト ラ ウ ス 〜動機登場時のテンポを2回目も保つ
 フルトヴェングラー〜2回目の登場に向けてアチェランドしていく。
 
・372小節からのアチェランド(練習番号26「ティルの唄う流行歌」の前)
 シ ュ ト ラ ウ ス 〜(とくに29年演奏では倍テンポの)アチェランドをしている。
 フルトヴェングラー〜表記とは逆にリテヌートしていく(カラヤンはしていない)
 
・577小節以降の「ティルの逮捕、判決」の部分
 シ ュ ト ラ ウ ス 〜「威嚇的にdrohend」と記した部分のテンポをあまり遅くしない。
 また、クラリネットによるティルの「恐怖感の動機」を強調しない。
 「絞首され昇天したティル(練習番号40)」の部分は最後まで一貫したテンポで演奏している。

 フルトヴェングラー〜「威嚇的にdrohend」と記した部分のテンポをかなり遅くしている。
 また、クラリネットによるティルの「恐怖感の動機」を強調している。
 (後年のカラヤン以下の演奏に見られるほど極端ではない点は留意しておきたい。)
 「絞首され昇天したティル(練習番号40)」の部分はクラリネットの上昇音型を速く、
 その後618小節のフェルマータを受け継いだオーボエ等の下降音型をかなりリテヌートして
 Epilogの前を終わる。

 
・不特定個所ですが、金管の取り扱いにおいて
 シ ュ ト ラ ウ ス 〜トランペット・トロンボーン・チューバにffと記譜していても、
 567小節からの(ティルが捕まる直前の)クライマックスまではワンランク以上小さい、
 mf程度のディナミークで吹かせている。
 他にffで吹く事を許しているのは650小節以下の最後の部分だけである。

 フルトヴェングラー〜基本的に記譜どおり、あるいは記譜よりワンランク上のディナミークで
 金管を吹かせている。
 とくにトランペット・トロンボーンはmfの個所を往々にしてfで吹かせている。
 275小節からの練習番号18番[トランペット、トロンボーン共]、
 練習番号31の486小節からのトランペット2本等々。

 
・テンポについて
 シ ュ ト ラ ウ ス 〜前述の通り、一定の「区間」[ほぼ、1)の「筋書き」の区切りと一致]
 では変化が小さく、安定しています。

 フルトヴェングラー〜古典を演奏する時と同様、クレッシェンドするにつれて
 速く、ディミヌエンドにつれて遅くしていく傾向が強くみられます。

・指揮法について
 シ ュ ト ラ ウ ス 〜映像では確認出来ませんでしたが、フェルマータのあとは、
 明らかに振り直しています。
 なお、
 「R.シュトラウスはすぐれた指揮者だったが、それが確認出来る映像は残っていない」
 と、解説中で述べている人がいます。これはとんでもない間違いだと思います。
 「君は指揮の中で汗をかくべきではなく、聴衆が熱くなるべきなのだ。」
 「大事なサインはちょっと目で合図すればよろしい。」
 彼自身が立てていた「指揮十則」のこうした姿勢は、片手振りの彼の姿からでも、
 その視線の行く先、棒の合図の的確なタイミングから充分察する事が出来ます。

 フルトヴェングラー〜特に後半、フェルマータのあとは、引き続き一気に振ります。
 したがって、間が空きません。
 彼以降の指揮者たちは、フルトヴェングラーに倣っています。
 こちらの映像についても、パンフレットなどの説明に、フルトヴェングラーにしては、
 「リズムが複雑な曲のせいか、拍をしっかり、ふるえない棒で振っている」とあります。
 これも大変な誤りです。
 確認可能なフルトヴェングラーの映像の中では、「ドン・ジョバンニ」序曲なども
 ほとんど「ふるえない」棒で振っています。
 その上、こちらのティルの映像では、曲がクライマックスを迎えると、
 やはり棒はふるえています。ふるえている場所は、決して「リズムが簡単なところ」に限りません。
 書籍や「ブラームス」・「未完成」のリハーサル映像によって
 評の筆者が「固定観念」を抱いてしまい、それによって
 「ティル」の映像まで評価してしまっているものと思われます。
 こうした事は私たちに共通して頻出する問題点ですから、ぜひご用心下さい。

 
後輩の指揮者は、記憶や印象に残っている、二人のうちのいずれかを継承し、数ヶ所にあまり目立たない独自の演出を加えている程度で演奏しています。
後輩の独自演出はR.シュトラウス系でも
・冒頭6小節目からの「ティルの動機」をややアチェランドすること
・「威嚇的にdrohend」と記した部分のテンポを遅めにとること
・同じ部分のクラリネットによるティルの「恐怖感の動機」を強調すること
等フルトヴェングラー系の演出をより誇張すること等々というケースがほとんどです。
フルトヴェングラー自身、シュトラウス生前に行なっている実況録音ではシュトラウス自身の演奏を規範にしたと思われる個所も沢山あります。
後年のケンペとショルティはシュトラウス自身の演奏の記憶を前提にし、フルトヴェングラーの演奏でより効果的に感じた部分を採り入れた折衷型の演奏を、程度の差はあれ、誇大演出気味に行なっているように思います。

この点、フルトヴェングラー以外でシュトラウスと身近に接した指揮者、クラウスとベームは、シュトラウスの演奏R2スタイルにほぼ忠実に随っています。

カラヤンが、独自であるよりはフルトヴェングラー型Fにほぼ忠実に沿っている点は興味を惹きます。
演奏団体がベルリンフィルであるのはベームと共通ですが、カラヤンの方がベームに比べて団員に対し歩み寄りを行なった結果なのでしょうか。
ショルティがR2型を指向していると思われるのに(テンポ・アインザッツへのこだわりが聞えてくるような演奏なのです)、やはりフルトヴェングラー型にならざるを得なかった部分が多々あるのも、ベルリンフィルというオーケストラ自身の伝統に随うしかなかったという事情が背景にあると勘ぐらせます。ベーム以外は、「私はシュトラウスと本音で接した」と断言出来なかったであろうことが、この2つの演奏カラーに大きな影響を及ぼしていると言って良いのではないでしょうか?

例外はエーリヒ・クライバーだけです。クライバーは当時としては珍しい(そして子息によってもっと極端な形で受け継がれる)フリーな立場での演奏を好んだ人でした。また、かなり速いテンポを好んだようです(後年、子息カルロスが、「父は『英雄の生涯』を38分で演奏した』と語っています。通常45分はかかる曲ですが、カルロスは父のテンポを本番で再現しようとし、オーケストラを大混乱に陥れたとのことです。「舞台裏の神々」に載っている話です。但し、この話は誇張があるようです。シュトラウス自身、この曲を35分程度で演奏した録音を残しましたし、ケンペは約40分で「英雄の生涯」を演奏しています)。
父クライバーには、R.シュトラウス本人の演奏テンポが随分速く感じられており(シュトラウスは速いテンポが好きでした。ベートーヴェンの第九を45分で全曲演奏しきった人ですから!)、かつ彼自身の好みで、2)の表中最速のテンポを示す演奏を残すことになったのではないかと推測されます。速いという意味で仮に「R1」系としましたが、実際は独自スタイルといえるでしょう。

なお、「ティル」はトライアングルを効果的に使っている曲ですが、644小節にある最後の一打が、トライアングルにとって非常に難関です。上手く叩けているのは作曲者本人による2つの録音、ベーム盤、ケンペ盤かな、というのが私の感想です。

それにしても、作曲者自身は年齢を重ねてテンポは少し変わったものの、各個所の表現は年齢を問わず「芯」を通しています。
にもかかわらず、別の優れた解釈者が作曲者の生存中に出現し、作曲者と著しく異なるテンポ設定を行なったりしてもいる。
 一人一人自由気ままに演奏しているように思われがちな西欧音楽にも、演奏法には厳然と「伝統・流派」が存在するのです。
いくつかの「流派」が混合することで、また新たな解釈が生まれる・・・それが再び違う「流派」を生み出していく。
「流派」と言う語彙にはマイナスイメージも強いでしょうが、このように「流派」が盛衰と回生を反復している事実に、「あまりにも人間的な」文化の、本来の豊かさを感じずにはいられません。



3)作曲者の意図は? 「作品」をどう受け止め、「楽譜」をどう読むか
シュトラウスは、最初「ティル・オイレンシュピーゲル」をオペラとして企画、作曲を開始したそうです(諸伝記等に明記)。
1)で挙げた「筋書き」が恋愛沙汰を伴い、ティルの処刑という「劇的」なエンディングを迎えることからも、彼の当初の企画が伺われます。
しかし、オリジナルの「ティル」の物語は小噺の連続で、ティルの誕生から死までを「時系列」に扱ってはいるものの、決して「劇的」ではありません。
まず、
・恋愛沙汰は全く登場しないこと
・女性にからかわれた噺はあるものの、その女性は「老婆」であること
・ティルは幾度か絞首刑にあいかけるが、都度巧みに逃れ、最後は「安楽に」死ぬこと
・かつ、「糞」の出てくる噺が非常に多いこと(中世の禁忌に起因する)
・ティルは「庶民」ではなく、「非人」、流浪者として描かれており、
それゆえ中世の身分制度の急所を突いた悪戯を繰り返し得る性格を持っており、まさにこのことが人々の間で彼の物語の人気が保たれる要因になっていることといった特徴が見られます。
フンパーディンクが素材にした「ヘンゼルとグレーテル」等の一連のメルヘンオペラの題材とは似ても似つきませんし、ワーグナーの「指輪」のような壮大なスケールを持たせることも不可能な作品だったことが、シュトラウスをして「オペラ化」を諦めさせた決定的な要因になっているものと思われます。

次に、シュトラウスが取り上げた「悪戯話」には、原話からとったらしいものと、シュトラウスの創作によったオリジナルが入り組んでいます。
以下、原話のあるものは原話の番号を記します。シュトラウスの捜索したと思われる項目はオリジナルと記します。
(番号は阿部謹也訳「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」による)

・市場を(馬で)荒らし回る:「馬で」はオリジナル。49,87など。
・ネズミの巣穴に隠れる:オリジナル。「馬の腹を割いてその中に入る」
話が原話25にある。
・聖職者に化けて説法する :31。
・騎士に変装する :オリジナル。
・若い女性を口説く:オリジナル。
・女性にバカにされる :67。ただし、相手は老婆。
・世間全体への復讐を誓う :オリジナル。
・学者に化けて難解な議論をする:28。
・絞首刑にされそうになり、逃れる :25,58。
・(絞首刑に処せられる) :オリジナル
なお、原話では、ティルは
・遺産(実は小石)を残し、病死する:94
のです。最後まで残った遺産を巡って、周りの人を大騒させるほどのいたずら者でした。
ティルは実在の人物だとも、架空の人物だともされ、正体がはっきりしませんが、「ティル」遺跡はドイツの各所にのこっているとのことです。

以上から伺われるように、シュトラウスは「ティル」の劇化に彼のオリジナルの挿話を作ったり、雰囲気の統一のために話を改変するなど、相当苦心をし、筋に「まとまり」を持たせることまでは出来ました。
が、この「まとまり」は到底「オペラ化」には役不足な、せいぜいオペレッタ的なものにとどまったのです。
「ならば、それよりは自分らしさを前面に出せる交響詩にしよう」
ある時点で、彼は決心したに違いありません。
交響詩なら、すでに彼は「優れた作品を書ける」ことを世間に認知されていました。
「ティル」発表までに、彼が作曲した交響詩は「マクベス」・「ドン・ファン」・「死と変容」の3作があり、「ティル」以後には「ツァラトゥストラ書く語りき」・「ドン・キホーテ」と、文学(「ツァラトゥストラ」も哲学書であるよりは一連の逸話集という趣を持ちます)という、「器楽だけの物語」路線を歩みます。ティル以後の3曲で劇的構成の制作に自信を深めたのでしょう、最後の交響詩「英雄の生涯」では文学を離れ(1899年)、1901年の「火の欠乏」を皮切りに、創作の比重を大きく「オペラ」に置いていくこととなります。


以上のような経緯を見ていく時、「ティル」はシュトラウスにとって「劇的構成」を真に成就した最初の、記念碑的な作品だとみなすことも可能でしょう。
従って、私たち、「ティル」を享受する側は、この曲を「歌を伴わないオペラ」として理解する必要に迫られます。
(「ツァラトゥストラ」・「ドン・キホーテ」についても同様のことが言えます。)
「第三帝国のR.シュトラウス」の著者、山田由美子さんは、元来スペイン文学の研究者なのだそうですが、あるオーケストラのプログラムに「ドン・キホーテ」原典とR.シュトラウスの交響詩の関係を解説するように求められ、調べていくうちに、シュトラウスが原典を深く読み込み、作曲に際し物語を厳選して適切な音楽を付していることに気がつき、それが「第三帝国のR.シュトラウス」執筆のきっかけに繋がっていったそうです。)
「ティル」は上で見た通り、原話を参照しながらも「物語」はシュトラウスが創作したものであり、「物語」を読み取るには、シュトラウスのコメントを参考に
・スコアから各種の動機を判別し、
・動機がシュトラウスのコメントした「物語」のどの部分に
 *どんなディナミークや表情記号で
 *動機の「原形」からどのように変化して
 用いられているかを観察し、
・そのうえでシュトラウスがイメージした「物語」を再構築する
という3段階の分析を経なければなりません。
1)に記した「筋書き」に、私の読み取った「動機」を、「動機」の性格に沿って名前を付けて併記しました。仮のものではありますが、もし「ティル」をお聴きになる時に、スコアをご覧になる参考になれば幸いです。



比較素材〜「R.シュトラウス直接体験」のある指揮者の演奏ばかりを選びました。
DVD:アート・オブ・コンダクティング
      作曲者自身の演奏の一部映像(ウィーン・フィル、1944年)
   :アート・オブ・コンダクティング2
      フルトヴェングラーの全曲演奏(ベルリン・フィル、1950年)
C D:Richart Strauss CONDUCTS Ein Heldenleben (DUTTON CDBP9737 自作自演集)
     ティルの演奏は1929年録音、ベルリン国立歌劇場管弦楽団(14分28秒)
    :L'Heritage de Richart Strauss LYS LYS291(自作自演集)
      ティルの演奏は1944年録音、ウィーンフィル(15分20秒)
    :Wilhelm Furtwaengler/Berliner Philharmoniker DeutshGramophon5枚組471 294-2
     ティルの演奏は1943年録音(14分57秒)
      [フルトヴェングラーとシュトラウスの接点については後述]
    :Clemens Krauss/Viennna Philharmonic TESTAMENT SBT1185
     (1951年、15分06秒) 併集〜ドン・キホーテ、ドン・ファン
     [クラウスはシュトラウスのオペラ「平和の日」の初演者、親交も深かった]
    :GREAT CONDUCTORS OF THE 20TH CENTURY:ERIHCH KLEIBER
      (EMI & DECCA 7423 5 75115 2 0)
    ティルの演奏は1953年録音、北ドイツ放送管弦楽団(13分34秒)
     [明確な記録を見いだしていないが、接点が何度もあったはず。]
    :Karl Boehm/Berliner Philharmoniker DeutshGramophon 459 243-2
      (1963年、15分12秒) 併集〜ツァラトゥストラ、ドン・ファン
    [ベームはシュトラウスのオペラ「ダフネ」の初演者、親交も深かった]
    :Herbert von Karajan/Berliner Philharmoniker DeutshGramophon 447 441-2
     (1973年、15分30秒) 併集〜ツァラトゥストラ、ドン・ファン他
     [カラヤンは「影のない女」上演でシュトラウスに絶賛を受けた
    :Rudlf Kempe/Staatskapelle Dresden (Richart Straus Orchestral Works Disc3)
      EMI 5 73614 2(9CD Box Set) (1975年、14分40秒)
      [ケンペはゲヴァントハウス首席オーボエ奏者としてシュトラウスの指揮に何度も接した]
    :Georg Solti/Berliner Philharmoniker デッカ ベスト100 UCCD-5042
     (1996年ライヴ、15分11秒)
      併集〜ツァラトゥストラ、7つのヴェールの踊り
     [ショルティはシュトラウス家に招待され「バラの騎士」解釈について教えを受けた]
         
参考素材:スコア〜音楽之友社OGT 228 2004年 第3刷 税抜1,100円
    :阿部謹也訳「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」
      岩波文庫1990年、絶版)
    :「リヒャルト・シュトラウスの『実像』」音楽之友社 税抜2,500円
      日本リヒャルト・シュトラウス協会編 2003年のうち
      「シュトラウスの音楽の調性について」W.サヴァリッシュ
      「台詞のない芝居・・・シュトラウスの交響詩をめぐって」諸井誠

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2008年1月 2日 (水)

「のだめ」登場曲〜4,5日放映

今日、街の初売で、息子が4,5日放映の「のだめ」のムックを買いました。
娘の陰謀で原作から久しく遠ざけられている私には、話の展開は分かりません。
が、取り上げられる音楽作品に、二つ、嬉しい曲を見つけました。
明日には自宅に戻りますので、ひとつは、帰宅後、過去に綴った駄文を探してから、触れられれば触れます。

最も嬉しいのは、ハイドンの「ロンドン」が演奏されることです。
誰の作品なのかを知らずに初めて「ロンドン」が耳に入ってきたとき、私はてっきり思い込んでしまってました。
「これって、シューベルトか、その世代の人の音楽だよね」
・・・作曲当時、もう63歳になっていた人が作ったのだ、とは未だに信じられません。
上野樹里さんのインタビュー記事中に
「音楽の力はすごいですね。何百年も残っている音楽って本当にすばらしい。自分たちが一生懸命芝居しても、この音楽のすごさとか良さって伝えられるのかな。ちょっとでも伝えられたらいいな」
というのがあって、アマチュアのオーケストラをやっている自分も大いに反省させられているのですが・・・「ロンドン」という作品も、それを63歳で仕上げたハイドンという人の強い精神も、今回の「のだめ」から、少しでも視聴者のかたたちに認めて頂けることを、切に祈っています。

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2008年1月 1日 (火)

はつひ はつゆめ

去年の今日の初日の出は、鮮やかな金色でした。
でも、そのとき夢中で綴った記事は、削除してしまいました。
今年、里で迎えた元旦は、予報が雪だったので、はなから「初日の出は見られない」と諦めていました。
ふと気がついたら、閉めていた障子の向こうは、燦々と陽が降っているようでした。
心の狭い私に祈れることは、ただ、私の子供たちが、母は無くても、それを埋め合わせて余りある沢山の愛情に包まれて、健康に育ってくれることだけです。

「男やもめに蛆がわく」
という慣用句がありまして、ふと自分の服装や振る舞いをかえりみると、情けないですが、当たっています。
せめて、我が子たちに蛆をうつさないように・・・
この子たちが私の手を離れるときには、
「父は汚らしくても、子は清らかです」
そう、胸を張って送り出せますように。

あまりに偏狭な「はつゆめ」ですが。

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