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2008年1月10日 (木)

曲解音楽史23:諸聖歌の背景(2)アンブロジアン聖歌・ローマ聖歌

前の回:1)音という手段  2)リズムの成立 3)音程から音階へ
    4)言葉と音楽   5)トランス   6)古代メソポタミア
    7)古代エジプト 8)古代インド   9)古代中国 10)古代ギリシア
    11)古代ローマ  12)初期キリスト教の聖歌について
    13)ササン朝ペルシャ    14)西暦5,6世紀ユーラシア音楽横断
    15)中世前半の西ユーラシア   16)唐朝と朝鮮・日本 17)「声明」の伝来
     18)モンゴルと中央アジア北方 19)「十字軍時代」の西ユーラシア
     20)日本固有(?)の古歌   21)諸聖歌の背景(1)グレゴリオ聖歌
     22)平曲と能楽:付)発声法について


グレゴリオ聖歌の概略を綴ってからだいぶ開いてしまいました。

「昔は良かった」は、老人の口癖。
「今はとんでもない」は若者の認識?

話がいきなり逸れますが、日本では、明治から最近まで「江戸時代は悪い時代だった、だからこそ明治は良かった」という歴史意識が、暗黙のうちにあったような気がします。
ビジネスマンに大変人気があり、私も中学時代から夢中になって読んだ小説家、司馬遼太郎さんの作品のメインは、あくまで「明治礼賛」でした。・・・今にして思うと(別に左翼的発想とか言うのではありません、念のため)、明治がそんなに礼賛に値した時代なのかどうか、多少疑問です。司馬さん自身の小説の中でも、必ずしも「明治の元勲」すべてが誉められているわけではないのですけれど、全体的にその色彩は濃いですし、晩年の講演の原点は、やはり「明治の革新の精神」にあったのではないか、と、私なぞは受け止めております。

持ち出しておきながら、しかし、司馬作品への評価や「明治礼賛」の良し悪し論は、やめておきましょう。

司馬さんの作品群には、また、戦国期以外には混乱の時代を描いたものはありません。戦国期を舞台にしていても、それは「最後にはすばらしい結論に至る革新」でなければなりませんでした。太平記の時代については、司馬さん自身が
「小説にならん」
と言っています。

ですが、人間が、明確に良かったと評価できる「改革」を行なった例というのが、果たして本当に歴史の上であったのでしょうか?(これも別に右翼的発想とか言うのではありません、念のため)

そのときそのときを生きている私たちは、常に「今」に夢中です。
「今の状態のままでいいのか?」
と、疑問を抱かずに過ごす日は、ありません(って、そこまで深刻に考えなくてもいいのですが)。
私たちより以前に生きてきた人たちだって、事情は変わらなかった。
歴史は、ある意味で偶然の積み重ねに過ぎないのではないかなあ、とさえ感じます。

ですから、人間の遺産として本当に「面白い」、「私たちの羅針盤となりうる」のは、本当は混乱期に営まれた精神や築かれ紡がれた作品なのではないでしょうか?



西ヨーロッパについて、に限ったことではないのですが、ここで「面白い」混乱期の様相を綴るには、私は知識も力量も不足しています。

ですので、グレゴリオ聖歌が形成され得る前提となった、2種の聖歌を聴いて頂きながら、
「中世西ヨーロッパが如何に自分たちの混乱に収拾を付けようとしていたか」
を、耳でご想像頂ければと願っております。

西ローマ帝国の衰退・滅亡期に聖歌を整理したアンブロジウスと、それを強力に支持し、かつ後世のカトリック会に多大の影響を残した教父アウグスティヌスのおかげで、キリスト教は、信仰する人々が「俗世」から救われる美しい「うた」を、今日に至るまで手中にし得たのでした。

(イタリア、マントゥヴァでの録音)Naxos 8.553502

まるで、日本のわらべ歌のように素朴です。かつ、今日的な意味での明確な「拍子」を指向している点を、一応申し添えておきます。(掲載した録音は女性の修道院に伝わって来た来たものであることも注目すべきですが、詳細をお知りになりたい場合はCDの解説をご覧下さい。)

西ローマ帝国崩壊後、征服者のゴート人も結局はフランクに制圧されましたが、その際、ビザンチンとも影響しあった「聖歌」の遺産がフランクの王国に引き継がれます(8世紀中葉)。


  Ensemble Organum harmoniamundi HMA 1951604

ローマ聖歌もまた、いや、アンブロジアン聖歌より一層、拍節感が明確であることにも耳を傾けておいて下さい。なお、ローマ聖歌については、「曲解音楽史12:初期キリスト教の聖歌について(3)」でも既に触れましたので、ご参照頂ければ幸いです。

こうした拍節感が「あまりに世俗的だ」とでも感じられたのでしょうか、その経緯は私には分かりませんが、これらの聖歌は、結果的に、より拍節感が「不明確」で、むしろ朗詠の美しさに重点を置いた、現行のグレゴリオ聖歌の陰に隠れてしまったのは、おそらくはカール大帝によるフランク地方の完全な統一が絶好の機会となり、教会が新たな権威を獲得すると同時に、皮肉なことですが、民衆から遠ざかって「聖別された特殊な空間」になってしまったことなどが影響しているのではなかろうか、というのは勝手な推測です。
「正当な」グレゴリオ聖歌は、付点リズム(タンタ、タンタ、といったような、そうですねえ、ダンスが踊れてしまうような躍動的なリズムです)を拒絶することを良しとしていたことは、文庫クセジュの「グレゴリオ聖歌」などの記述から伺われることです。
付点リズムは、しかし、カール大帝の没後の再混乱と軌を一にするラテン語のロマンス語化(現在のフランス語などに近くなっていく)の過程で復活していったそうで、権威ある研究者は、これを「聖歌の衰退」と嘆くまでに至っています。
とはいえ、聖歌に付点リズムが戻って来たことで、以後、デュファイなどの名作が生まれていくことになるのです。
かつ、20世紀に至るまで「埋もれた」存在になってしまった、上で聞いて頂いたような古いローマ聖歌は、主旋律の下で低音を引き延ばす特徴を持った歌が多いのですが、これは、今日私たちが目に出来る範囲の一般的な西洋音楽史の本にこそ述べられていないものの、ノートルダム楽派の音楽(レオニヌスペロティヌスの作品)に、グレゴリオ聖歌よりもむしろ密接に関わっていたのではないか、と言う気がしてなりません。

急に「ノートルダム楽派」だのデュファイという人名などを出してしまいましたが、これらについては、後日あらためて触れることにしましょう。

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