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2008年1月28日 (月)

モーツァルト:誰のために?(1776年のピアノ協奏曲群)

    生きていたければ出口を見つけなければならず、
    その出口は逃亡によってはひらけない。

       ----カフカ「ある学会報告」から----



ここまで読んできたモーツァルト作品の個々へのリンクを作成し直しました。ご利用下さい。

音楽を作る。・・・作品を作る。
「誰のために?」という問いは、職業人として創作する場合には、意味がないのかもしれません。
モーツァルト以前の代表的な例(各人物が、必ずしもあげた例だけに限って創作したわけではありませんが)。
バッハを始め、多くの場合は、仕える君主、個別の注文主、あるいは教会のために。または、自分の弟子の訓練のために。
テレマンは、雑誌を発行するようになりましたから、その読者のために。
ヘンデルは、自らオペラをプロデュースしましたから、そのプロジェクトのために。
いずれにしても、注文主のためか劇場のため、と特定された作品であることが原則でした。
愛する人のために、愛の証しとして、という創作は、職業である限り報酬が前提ですから皆無に等しいでしょうし、まして、自分自身のために、などということは、習作以外には、ありえなかったのではないかと思います。

今日採り上げる、モーツァルトの1776年の3つのピアノ協奏曲のうち、2作品は、やはり、お金持ちの貴族の為にかかれたものであることがハッキリしています。
1作だけが、分かりません。
・・・で、この1作、わずかに分かるその後の演奏歴から見ると、もしかしたら「モーツァルト自身の為に」・・・ただし、もちろん、無報酬などと言うことは前提にはなく、「彼自身を不特定多数の人に売り込むために」書かれた可能性も、ゼロではないんじゃなかろうか、と、勝手に勘ぐってみたくなる、ある意味では他の2曲よりも突出した創造物になっています。

なお、「愛する人のために」という作品も、モーツァルトはマンハイムに旅行して以後つくることになるのですが、それはまだ先の話です。

「愛する人のために」、あるいは勝手な勘ぐりからとはいえ、もしかしたら「自分自身のために」創作する精神が芽生えたのだとしたら、これは音楽の歴史の上で特筆すべき出来事です。
繰返しになりますが、「職業として」創作している以上は、無報酬という前提はありえません。だから、<このような精神の芽生え=見返りを求めない奉仕の精神の芽生え>、と受け止めることは出来ません。いや、見返りを求めることの方が、人間として自然でもあります。
ただ、「報酬をもたらしてくれる相手のために」ではなく、

・「自分の心を満たしてくれる人のために」

・「自分だけの技量で自分を試してみるために」

創作する、というのは、著作権も、ステージマネジメントも曖昧にしか認識されていなかった(意識が皆無だった、という見解は誤解に基づくものだと思いますが、詳しくは述べません)当時としては、報酬を得られるという保証を度外視した、大冒険になるわけで、翌年マンハイムから「愛する人のために」作品を書いた、とほのめかしたモーツァルトの手紙に、父であるレオポルトや姉ナンネルが仰天した(のですよね?)のも、もっともなことです。
こんな冒険をした作曲家は、過去には存在しませんでした。常識ハズレもいいところだった。
「愛の詩人」であった中世の吟遊詩人でさえ、その詩から得られる報酬を必ず期待していたことでしょう。
モーツァルトの始めたことは、有史以来初めての、仰天すべき精神の発露だった、と言ってしまったら、大袈裟でしょうか?

・・・ただし、76年のこの時点では、モーツァルトが「不特定の人から報酬を得るんだ!」と意気込んだかどうかは、明確なわけではありません。あくまで、私の憶測です。
検証、などという大それたことまでは手が回らなかったので、不確かなことを申し上げているわけでして、それはあらかじめお詫び申し上げます。



で、「憶測」の作品を取り上げる前に、次の2例を聴いてみて下さい。

1)

2)

最初の作品、決して悪い作品じゃない。歌の豊富な、素敵な曲だと思います。作曲時期も、モーツァルトの第8番より数年前に過ぎません。
誰のものだか、お分かりになりますか?

そうは言っても、モーツァルトの作品に比べると、何かが違います。
・・・先日「落語」の事例で取り上げた、「間」の違いと同種の違いです。

作曲者の年齢差・・・5年5ヶ月。
2つとも、出だしの動機は、そっくりです。ですが、1番目の方は、音の長さがモーツァルトの倍ですね。主題の動きは、モーツァルトの作品の方が活発です。1番目の作品は「歌謡的」だと言えますが、モーツァルトの方は、「器楽的」、とでも言うべきでしょうか?
オーケストラだけによる序奏の長さも、上の2作は殆ど同じです。・・・ということは、ピアノの独奏が出てくるまでの「マクラ」の部分は主題の動機のもつ「間(ま)」の多少で雰囲気が違っている、ということになるでしょう。
独奏が入りだしてからが、より特徴的に違ってきます。
1番目の作品は、オーケストラと受け答えするときには、オーケストラの奏でた通りを「こだま」として返す頻度が高いのに対し、モーツァルトの作品は、「こだま」ではなく、別の形でのお返し、になっています。かつ、オーケストラとソロが交代するまでの、時間間隔が1番目の作品より短くて、回数も多い。
これが、世代の違いというものなのかなあ、と思わされます。

1番目の作品は、サリエリのものです。
決して凡庸ではない。美しいですし、当時の感覚としては、貴人を前にしたときにはむしろ、モーツァルトの作品よりも
「落ち着いた、いい音楽だな!」
と受け止めてもらえた可能性が高いでしょう。
・・・後年、モーツァルトがジングシュピール(ドイツ語オペラ)「後宮よりの誘拐(脱出)」を皇帝の前で上演した際、皇帝から
「音が多すぎる」
と評価されたエピソード(単なる噂だとの説もありますが)を、ここで思い起こしておくと良いでしょう。

同時に、サリエリが、映画「アマデウス」以来定着してしまった凡庸な音楽家だった、という印象も、拭い去っておくべきであることは、ここで強調しておきたいと思います。



寄り道をしました。

上例で、サリエリと対比してしまいましたが、モーツァルトのピアノ協奏曲が、当時のものとしては斬新な構造であるとの印象は、持って頂けたかと思います。

けれども、聴いて頂いた「第8番」は、実は、私が「憶測」の対象にした「第6番」に比べると、まだまだ「凡庸」な仕上がりなのです。
出来上がったのは第8番の方が後なのに、オーケストレーションは第8番の方が第6番より保守的です。
第6番ではヴィオラの独立性が高まっているのに対し、第8番ではヴィオラは、ほぼチェロやバスと同じ動きしかしていません。
1776年にモーツァルトが創作したピアノ協奏曲は3曲(1月に第6番変ロ長調、2月に第7番「3台のピアノのための協奏曲」、4月に第8番ハ長調)で、すべて3楽章構成、オーケストラで用いている管楽器は2本のオーボエ、2本のホルンです・・・
が、第6番だけは、他の2曲に比べ、次の大きな違いがあります。

・中間楽章でオーボエをフルートに入れ替えている
・フィナーレがメヌエットのテンポではなく、2拍子である

第7番は、おそらくセレナーデで触れることになるだろうロドロン伯爵一家のために作られた作品で、1番をロドロン伯爵夫人、2番をその長女アロイジア、3番を(ピアノがあまり得意ではなかったといわれている)次女ヨゼファが演奏した、とのことです。
第8番は、リュツオウ伯爵夫人が演奏しました。彼女は父、レオポルトの弟子でした。
この2曲は、終楽章(第3楽章)がメヌエットのテンポのロンドです。
ちなみに、サリエリの前掲協奏曲の終楽章も、メヌエットのテンポのロンドです。
こちらが、どうやら標準形だったと思われます。

第6番だけが、この点、ルール違反をしています。
中間楽章にフルートを置く、というのは、2年前のヴァイオリン協奏曲第3番で試みていることですから、
「それを再び試みた(に過ぎない)」
と評価されていますが、ヴァイオリン協奏曲と聞き比べていただければ分かりますとおり、(楽器の性質の違いもあるのでしょうが)、ピアノ協奏曲のほうが、はるかに「器楽的な」響きを持っています。
・・・この、ルール違反の作品だけは、誰のために作曲されたのか、分からない。
(もし「分かっている、だからお前の憶測は間違い」、というときには、どうぞ、ご教示下さい。頭ん中を整理しなおさなくちゃなりませんから、是非おねがいします。)

NMAの緒言によりますと、モーツァルトは第6番から第8番までの3作品をワンセットとして考えていた、とのことです。

翌年からのミュンヘン、アウグスブルク、マンハイム(、パリ)旅行に際しては、たしかに、だいたいこの3作のピアノ協奏曲から選曲されて演奏されています。ですが、モーツァルト自身の認識としては、7番は必ずしもセットとして認識されているわけではなく、翌年1月に作曲した第9番「ジェナミ(ジュノーム)」がそれと入れ替わっています。

演奏履歴は、実際には以下のとおりとのことです。

・77年10月4日、ミュンヘンで6番のみ単独で自演
・10月6日付ミュンヘンからの父宛書簡では、6、8、9番をセットとして考えている様子がうかがわれます(書簡全集【原典】第2巻345番、40ページ)

・同22日、アウグスブルクで6番自演、7番をデムス(オルガニスト)、アンドレアス・シュタイン(ピアノ製作者)と共演。モーツァルトは2番を担当〜シュタインの登場は興味深いものですが、ここでは深入りしません。

・78年2月13日、マンハイムで、6番をローザ・カンナビヒがモーツァルトに敬意を表して演奏

・同3月23日、同地で7番が、1番をローザ・カンナビヒ、2番をアロイジア・ウェーバー(モーツァルトが熱を上げることになった女性で、ソプラノ歌手であったことは有名ですね)、3番をテレーゼ・ピュエロンが担当して演奏される

・同年6月11日のレオポルト書簡に、8番を自演した事実が記されている由(原文【長くて読み切れなくて】未確認)。パリでの演奏を指すか? モーツァルトのパリからの父宛の9月11日付書簡(原文を確認しました)からも、モーツァルト自身は6番、8番、9番(「ジェナミ(ジェノーム)」をセットとして考えている様子がうかがわれます。(書簡全集【原典】第2巻487番、476ページ)

・1779年(時期未確認)、第7番の2台編曲版が演奏されたらしい(3番がない分、低音部が薄くなっていたはずです。スコア参照。)

・1782年(時期未確認)、ウィーンにて6番、8番を自演

8番の位置づけが、若干弱い気がしますが、どうでしょうか?
長くなりました。

以下に、各曲の構成を記して終わりとします。

第6番変ロ長調 K.238
・第1楽章 Allegro apert 4/4 202小節、ソナタ形式
・第2楽章 Andante un poco adagio 3/4 変ホ長調 85小節、三部形式
・第3楽章 RONDEAU, Allegro 2/2 291小節

第7番ヘ長調(三台のピアノのための----ロドロン----) K.242
・第1楽章 Allegro apert 4/4 265小節、ソナタ形式
・第2楽章 Adagio 4/4 変ロ長調 65小節、三部形式
・第3楽章 RONDEAU, Tempo di Minuetto、232小節

第8番ハ長調「リュツオウ」 K.246
・第1楽章 Allegro apert 4/4 203小節、ソナタ形式
・第2楽章Andante 3/4 変ホ長調 133小節、三部形式
・第3楽章 RONDEAU, Tempo di Menuetto、303小節

*Minuetto 、Menuettoの表示の違いは、NMA(第15分冊)のスコア通り。

サリエリのコンチェルト〜SALIERI The 2 Piano Concertos(P.PSADA) ASV CD DCA 955
モーツァルトの協奏曲はBRILIANTの出している全集)(Derek Han)によりました。

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コメント

6番K238はウォルフガング自身か、あるいはナンネルの
ために書かれたのであろうというのが「通説」みたいですね。
個人的には「自分自身のため」に作ったんだろうと思っています。
8番と比較してソロパートが素人目にも明らかに
難しそうですし、
何よりオケパートに漲る創意が凄い。
とても「豊か」ですよね。
これは学者風に言うなら、
「ヴァイオリン協奏曲第3~5番でモーツァルトが
 試みたことの重要な継続である。」
といったところでしょうか。
これほど力の入ったクラヴィーア協奏曲を
彼が自分以外のために書いたとは
とても思えないです!

一方、6番には及ばないとはいえ、
8番にも捨てがたい魅力が随所にありますね。
特に第二楽章で、ヴァイオリンと低弦が呼び交わしている中を
クラヴィーアが一人語りする中間部は気に入ってます。

投稿: Bunchou | 2008年7月31日 (木) 01時55分

6番は、そうですか、そういう説があるのですか。
ご教示ありがとうございました。

8番にも捨て難い魅力が、というのは、同感です。
3作並べると比較論になってしまうのが難点ですね。
1曲1曲の美点こそが、本来は人を引きつけますから。
今後も「まとめて」観察、が多くはなるのでしょうが、Bunchouさんの、純粋に1作1作の魅力を聞き取る姿勢は、私もきちんと見習って、大切にしなければ、と、気を引き締めて参ります。

今後とも宜しくお願い致します!

投稿: ken | 2008年8月 2日 (土) 14時15分

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