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2007年12月 3日 (月)

つくれない「レクイエム」に代えて

「夕暮れ時はさびしそう」って歌があったな、と思って、ちょっと調べたら、もう32年も前の歌なんですね。・・・私は16歳だったはずです。

最近、朝は、だいぶ元気になったかな。
仕事嫌いの人、雰囲気険悪な職場へ出掛けるかたから見ればヘンでしょうが、しかも、家事の都合で人様より30分も遅刻しての職場着なのですが、それでも、日々ただ呆然と出掛けるのがやっとだった頃に比べると、職場に着いて、そこのみんなの顔を見られることが・・・かつ、まだまだ全うとは言えませんが、事務作業ならなんとか人並みにできるところまで自分が戻れたことが、まずは幸せなのです。

それが、一日過ごすうちに、やはりまだ、心のどこかの何かが回復していないのでしょう、時々なんとか目だたないように、と一応は思いつつ、でもたぶん、気づいている人もいるんだろうな、と申し訳なく思いつつ、廊下の端っこの窓の外をボンヤリ眺めていたい衝動に駆られ始めます。
仕事が少しまっとうになってきたら、健康だった時には思ったことも無いほど「面白い」。それがたとえデータの集計や単純なマニュアル作りであっても。
ですが、一日そんな作業をやったあとは、自分でも「みっともねえなあ」と感じるくらい、ヘロヘロになっています。

まだ残業して頑張っているみんなを尻目に、私は夕暮れ時に、定時で帰ります。
娘が遠出でレッスンしている日なら食事の準備をするのは決まりきっていますが、もし「疲れて寝てる」なんていうのでしたら、冷蔵庫の中身はともかく、家に着いてすぐ食べられる食材を調達してから帰宅しなければなりません。でないと、娘はともかく、腹減り息子が我慢できずにいます。そんなですから、事務所を出て間もなく、家に携帯電話を入れるまでは、まだなんとか、気の張りを保てます。

そこからあとが、でも、何とも言えず寂しい。

電車に乗るのは、ひとりぼっち。
そんなの、誰にとっても当たり前のことなのに、寂しい。
ひとりぼっちで乗っているそのことが寂しいのか?
・・・そうではない気がします。

寂しいのは、なにか、自分だけが、まわりの空気からぽつんときりはなされたような、その感触。

そうやって過ごしてきた日々の中で、今日、職場関係のかたのお嬢さんの、あまりに早い死を知りました。ただし、そのかたとは簡単な面識しかないし、亡くなったお嬢さんのことも存じ上げません。
他にもお子さんがいらっしゃるとはいえ、今はまだ悲しみの直中でしょうが、いずれは亡くなったお嬢さんの分だけ、ご両親のそばの空気が、ふっつりと途切れる。そのときのお寂しさはどんなだろう、と、ふと思いました。

同時に、私の側であった、いくつかの寂しい「死」を、思い出しました。
家内以外の「死」に、もっぱら思いを巡らしたのは、この一年では初めてのことでした。

全部はあげきれません。思い出すと、女の人ばかりなのも妙ですが。

死そのものが寂しかった例。

・美人だった娘さんが殺され、息子さんは事故にあって長い間植物人間になったあとに死に、ご自分は癌で亡くなったおばさん。私が子供の頃、ずいぶん可愛がってくれたおばさんでしたし、事故死した息子さんは、上に兄弟のいない私にとってお兄ちゃんのようでしたが。おばさんを看取った人は、身内ではなかったのではないかな。
 
・「女郎」上がりで荒っぽくて、戦争の後の食糧難では子供に畑泥棒をさせ、盗みに失敗して帰れば折檻した婆さん。・・・死んでも子供さんは葬儀にもやってきませんでしたし、遺体も引き取りませんでした。

・私自身の母方の祖母。とはいえ、母にとっては継母で、しかも、関係が上手くいっていませんでした。死後に分かったことですが、何も知らない母を、自分と同じ戸籍に入れていませんでした。で、私の両親は相続手続きでだいぶ苦労をしました。そのくせ、倒れて入院中には、同室の「わたし、子供がいなくってねえ」という別の患者さんに向かって、「あたしゃ娘がいて良かった」と言った祖母でした。私の夢に出てくる時は、いつも一人で、暗がりにポツンと立っているのでしたが、もう「寂しさ」からは抜け出せたのかな、夢に出て来なくなって十年以上経ちます。


残された周りが寂しかっただろう例

・中学3年のとき転校してきて同級になった女の子。私の本当の意味での初恋の子で、一緒の高校に入る約束までしたのですが、彼女の方は優秀だったので、おそらく学校の先生に勧められたのでしょう、有名校へ入ってしまい、裏切られたと思って私はそれから口もききませんでした。3年後、この子は首つり自殺しました。もう、私のことなんて関係なかっただろうけれど。夕方5時頃死んだのですが、まだ帰宅していないのを承知で、母親に「ねえ、お父さんは?」と訊いたそうです。
しばらく前に、その子の家のあたりに行ってみましたが、アパートに変わっていました。ご両親と妹さんがいらしたけれど、どうおすごしでしょうか。

・以前の職場の、とてもまじめな男の子の婚約者だった人・・・そちら側の人は、知りません。私がその職場を離れる直前だったか、と記憶しています。もうすぐ結婚だ、というので、彼を訪ねて上京し、そのとき歳の近い同僚連中が祝福をしたそうです。雪深い里に帰郷して間もなく、彼女は自動車事故で即死しました。・・・それでも仕事に対する気力を衰えさせることのなかった彼は、私のだらしなさから見れば尊敬に値します。今ではあまり機会がありませんが、電話で話せるチャンスがあると、彼の明るい声に、むしろ私の方が、涙がこぼれる思いがします。

いずれは誰にでも訪れる死です。
「人は生まれる時と死ぬ時はひとりぼっちだ」
と言いますけれど、生まれる時は違います。側に必ず、母親がいます。
死は・・・ほんとうに、自分だけで迎えなければなりません。

それが分かっていても、「死すべき」二人が愛し合って恋人や夫婦になったり、憎みあって別れたり、肉欲のみに溺れてみたり、かと思うと禁欲を良しとしたり・・・「死」を一人で迎えることを、どこかで「寂しい」と思い続けている。

うちの家内の葬儀は12月30日でしたが、町内会で仲良しだった方が、そのときわざわざお香典をお持ちになりました。でも、その後何故か、お会いできません。お礼も出来ずにいました。

春先、私の半狂乱が一段落したころ、雨で子供たちをバスに乗せて帰宅した時、数ヶ月ぶりに奥様にばったり会って、そのとき初めて知らされたこと。
「じつは、次の日の大晦日に、うちの娘が25歳で癌で死にましてね」
こちらは驚きで口がきけませんでしたが、奥様は淡々と教えて下さいました。
「看護士だったんですよ。で、宣告された時には、あと3ヶ月でした。本人も職業柄、余命がよく分かったようです。それからは、毎日、あのこは笑顔で過ごしたんですよ。<お母さん、私、やりたいことがやれて、本当に幸せだった>って。そう言って、最後もにっこりしていました。」

最後の例は、また身内になります。私にとっては大叔母にあたるのですが、母とそんなに歳が離れていなかったので、あえて叔母と呼びます。曾祖父が新興宗教に凝ってお金を持ち出してばかりだったりした、などの理由に反発を感じて、曾祖父としょっちゅう喧嘩をしているところへ、私の母が子供心に喧嘩する姿を見るのがイヤで、一緒に教会へ行こう、と誘ったのだそうです。叔母は、教会に入るなり、そのまま憑かれたように、修道女になってしまいました。修道院で労務中に結核で倒れ、28歳で死にましたが、最後の言葉が「幸せでした」だったと聞いております。
私は中学に入った頃に、祖母と母に血のつながりのないことを知らされてショックを受けましたが、以来、郷里を離れるまで、天気のいい日はこの叔母の墓の脇にちょこんと座っていると、不思議と気が休まったものでした。

寂しさのうちに命を終えた人も、愛する人の「死」のぶんだけ世間の空気から隔てられてしまった人も、どうか、ついには、あなたの心にぽっかり開いてしまった穴を、まばゆくもやさしい光で満たして下さいますように。

・モーツァルトの という歌をお聴き下さい。3分強と、短いです。
(Colin Davis/London Symphony Orchestra & Chorus PHILIPS 464-870-2 no.3)

私が、初恋の彼女をなくしてしまった時に初めて知り、その年の暮、彼女のこととは全く関係のない機会に、私がリクエストしたわけでもなく、ただこの曲を選んだ指導者がいたというだけで、18歳の私もオーケストラの一員として弾いた曲です。

あなたの、悼みたいすべての人のために、お聴き下さい。
同時に、あなたご自身の「いのち」をも満たすために、これは大変に良い歌だと思います。
・・・歌詞なんか分からなくても。

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コメント

「アヴェ・ヴェルム・コルプス」。
モーツァルトのいちばん美しい「うた」だと思います。

kenさんの記事を読んで、思うところがありました。たしかに死は寂しいものであるかもしれませんが、しかしkenさんの語る、先立たれた方々にはその寂しさを塞いであまりある「豊かな生」が、たしかにあったように思います。

私の将来のために骨を折ってくださった方がおりまして、それは私の力不足からそのお骨折りは無駄になってしまったのですが、その方から本日いただいた手紙に、「求道、すでに道である」という宮沢賢治の言葉がありました。道を求め、たゆまぬ努力を続けることが即ち道であるとするならば、kenさんの叔母様や看護師の方は豊かな生を歩まれ、そして幸福な死を迎えられたのだと思います。

投稿: キンキン@ダイコク堂 | 2007年12月 5日 (水) 16時33分

キンキンさん。
お返しできる言葉が、みつかりません。

すくなくとも、おしまいの二人は「豊かな生」を生きたからこそ「幸せだ」と言えたのだと思います。
「豊かな生」に出来たのは、しかも、上の方に上げたどんな人とも全く異なるところのない「生」だったはずです。
何が、「豊か」と感じられるかどうかを分けるのかは、自分の今歩いている「道」に「迷っている」という恐れを抱き続けているか、信じきっているか、なのでしょうか?
であれば、私はまだ「迷っている」。

投稿: ken | 2007年12月 5日 (水) 19時48分

道を求めて「迷う」のなら、それもまた道そのもの、なのかもしれませんね。もっとも、それを「道」と理解することができるのは迷い続けている自分ではないというところが辛いっちゃあ辛い。昨日の私は、お世話になった方が手紙を下さったことで、大げさに言えば救われました。

投稿: キンキン@ダイコク堂 | 2007年12月 6日 (木) 20時50分

コメント遅くてすみません(風邪より復帰)。

>「道」と理解することができるのは迷い続けている自分ではない

「道」が見えない人は迷わないから。。。まだいいのかもしれません。
あとは判断が付けられるかどうか、かな。難しいですね。

投稿: ken | 2007年12月 7日 (金) 07時16分

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