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2007年12月31日 (月)

年忘れ

実家の父用のパソコンをセットアップしてやったのに、相変わらずケータイで記事を綴っています。

忘年会にも仕事納めにも全く参加することなく、大晦日を迎えました。

ふるさとは、雪がふわふわ降りはじめました。元旦はつもる、との予報です。
雪が降りだすと、空気がしんとしずまります。
降って来る雪を眺めていると
「みんな忘れなさい」
・・・そう言ってくれているようです。
私の心は無垢には程遠いけれど、気持ちだけは、ひととき洗われます。

どなたも、よい新年をお迎え下さい。

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2007年12月30日 (日)

「汝らを害(そこな)ったことがあったら許してほしい」

一年がかりで家内の埋葬も良いかたちで済みましたので、今日は、その間たくさん相談にのって下さったお寺さんに、ふらりと御礼に伺いました。
家内が死ぬ前の年に、夫婦でその開眼に立ち会わせて頂いた、白木の大きな阿弥陀さんがご本尊です。
その阿弥陀さんの脇にささやかな雑誌が置いてあり、開いて見て、標題の言葉が目に入りました。

釈迦第一の弟子、舎利佛(シャーリープトラ)という人が、自らの死期を悟った際、自分の周りの人たちに言ったものです。

こういうふうに言って、私は死んでいけるでしょうか?
自分に厳しく他者に優しい生を懸命に生きた人でなければ、絶対に言えない。

このさりげない、そのくせ、とてもふところの深い言葉を舎利佛が口にしている様子が目に浮かんで、私は今、まだ茫然としています。

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2007年12月29日 (土)

CHARLIE THE LIFE & ART

家族の気分転換に、私の実家へ来ています。
おかげで、2003年にアメリカで制作された、チャップリンのドキュメントをDVDで見ることが出来ました。
「チャーリー・チャップリン ライフ アンド アート」(角川映画株式会社)という邦題が付けられています。二時間の映像の中に、彼の生涯にきざまれた心の溝が、友人や評論家、ジョニー・デップなどの俳優、彼の子供たちへのインタビューを通じ、巧みにたどられています。
内容は、文字で綴られた伝記を視覚で明確に裏付けてくれる、充実したものです。アメリカは、この手のドキュメント作りが実にうまい。そうした中でも出色の仕上がりになっている作品ではないかと思います。
まだじっくり見たことのない「ライムライト」を見たくなりました。が、息子が他に持って来たのは「モダンタイムス」なんです。。。
ちょっと残念。

チャーリー・チャップリン ライフ・アンド・アート DVD チャーリー・チャップリン ライフ・アンド・アート

販売元:ジェネオン エンタテインメント
発売日:2007/12/21
Amazon.co.jpで詳細を確認する

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2007年12月28日 (金)

音楽と話す:なぜ、あなたは私の心を動かすのですか?

年明け1月5日にTMFの演奏会を致します(無料)。上野や浅草から近いので、お気軽にお越し下さい。
くわしくはこちらをご覧下さい。



モーツァルト音楽史藤原定家、の続きは、昨日記しました理由により、年明けと致します。ご容赦下さい(カテゴリで開いて下さった方のために、念のため)。

・・・「私の<心>を」と言ってしまうと、音楽さんに対して、はじめて突っ込むには難しすぎ、失礼過ぎですかね。
あなたによって私が「生理的に、反射的に、体が振わされる」、と言った方が「問い」としては答えてもらいやすいでしょうか。
いや・・・あんまり問いをこねくり回さないで、そういう反射的なものをも「心の動き」、さらに「動き」であることを省略して、「心」と呼んでしまいましょう。


「なぜ、あなたは私の【心】を動かすのですか?」

音楽さん、あなたの答えは?

「そりゃあんた、私たちゃお互い、<動くもの>だからじゃありませんか?」

いやあ、あっさりしたものですねえ。
でも、本当にそれだけのこと、なのかもしれません。



聴覚障害の方が音楽に無縁、ということがないのは、もうだいぶ前になりますが、経験させて頂きました。
ひとつは聴覚障害の方のためのコンサートを訪ねてみて、もうひとつは音楽とは全く関係のない場面で、
「音は<聴覚>で聞き取られる」
なんて決めつけては行けないことを思い知りました。

ダメなセールスマンだった私のお客様に、耳の全く聞こえない方がいらっしゃいました。で、
「自宅まで商談に来てくれ」
と(メモで)仰るので、お邪魔しました。
ご家族には耳の聞こえる方もいるのだろうな、と決めつけて、深く考えないでお訪ねしたら、なんだか部屋の中から、大きな音が聞こえてくるのです。よく聞くと、音の中身なプロレス中継なのです。
「なんで、こんなに大ボリュームで!?」
・・・中に招き入れられて、初めて分かりました。このお宅には、「耳の聞こえる」人は、一人もいないのでした。奥さんも、二人のお子さんも、耳が聞こえない。
でも、大音量にすることで、音は聞こえるのです。考えてみれば当たり前で、「音」と呼んでしまうと特別なもののようで、それは鼓膜にしか伝わらないように思い込みがちですが、「音=振動」です。体というものは、耳だけが「振動」を感じるわけではありません。体全体に「振動を察する」能力が欠けてさえいなければ、「音を聴く」ことは出来るのです。・・・これは、目から鱗でした。
しかも、プロレス中継にこのご家族が一体となって興奮している様子は、私にとってはビックリでした。客席の歓声が盛り上がると、ぴったり同時に、家族みんなが目付きを変える。明らかに、その目は色まで変わる・・・私なども怒ると瞳の色が薄くなるのですけれど(家内に指摘されました。祖父もそうだったので、遺伝でしょう)、感情が変化すると目の中の色素が動くんでしょうね・・・、テレビに釘付けされた顔の表情が、真剣そのものになる。
音の振動の起伏、振幅の大きさに、心の振幅の大きさもぴったりと合っているさまが、これ以上はっきり分かる例に出会ったことは、それまでありませんでした。商談そっちのけで、私も一緒に興奮していました。・・・いったい、何しに行ったんだろう???

聴覚障害の方のためのコンサート、というのも、多分今でも地道に活動が続けられているのでしょうけれど、私も一度、客席で体験させて頂いたことがあります。
振動を大きく伝えるために、会場には大きいスピ−カーがロックのコンサートの倍くらい(?)用意されて、それがフルに近い音量でなるようにしてありました。
もう一つの工夫がありまして、なるほど、と思わされました。
客席の一人一人が、お腹に一抱えほどある大きな風船を持たされるのです。振動は、これで、より身近に、一人一人に伝わるわけです。ステージの明るい歌に併せて、楽しそうに体を揺すっていた隣の席のお嬢ちゃんは、あの日、ピンクの服で目一杯おしゃれをして来ていました。お顔は覚えていませんが、ほっぺまで幸せなピンク色になったのが、ずっと忘れられません。
(そんな中に耳栓を付けて潜入した自分が、とても罪深く思われました・・・ですので、耳栓はハズしました。)



以上の話では、「音楽」と「音の盛り上がりや尻すぼみ」を混同したままなのは、もうお気づきの通りかと思います。ですが、
「音楽さん、そもそもあなたは、何なのですか?」
ということは、まだ当分先まで、問うのを我慢しましょう。

「触れ合う」ということが、人間にとってはいちばん、お互いの心を「動かす」感覚であることは、恋する人、愛する人を持ち、かつ、その人と「触れ合う」ことを大事になさっているなら、よくお分かりになると思います。

音楽(荒っぽいですけれど、プロレスの観客のざわめきのような激しい音の振幅も、いまは広義に「音楽」に含めてしまいましょう)、は、そう言う点では<次善の感覚>として捉えられるものかもしれません。
ですが、上の、聴覚障害の方達との経験の話を通して、
「音楽は、私たちの肌に直接触れてくる」
・・・そのことによって、私たちに直接、語りかけようと試みてくる「ある<動く>もの」だということは、言えるのではないでしょうか。
それが、最初に、音楽さんがシンプルに答えてくれた

「そりゃあんた、私たちゃお互い、<動くもの>だからじゃありませんか?」

の意味なのではなかろうか、と、今回は推測するところまでにしておきましょう。

では、私が音楽さんと「お互いに動ける」のか・・・は、ケースバイケースですので、音楽さんも答えるにはたいへん苦労するだろうと思います。そのあたりは少しずつ話し合って行きましょう。

余計な話の方が多くなってしまいました。



繰り返し、まとめておきましょう。今日の会話は、これだけです。

私 :「音楽さん、なぜ、あなたは私の【心】を動かすこともあるのですか?」
音楽:「そりゃあんた、私たちゃお互い、<動くもの>だからじゃありませんか?」
私 :「でも、あなたが動いても、私が動かないこともある」
音楽:「私の動きとあなたの動きが合わなくっちゃ、そんなのあたりまえですよ」
私 :「じゃあ、どんなとき、私たちは一緒に動けるのでしょうね?」
音楽:「そんなの、その時々で違うから、おいらにも分かりませんや」
私 :「はあ・・・」

どなたの心も動く音楽かどうか、分かりませんが、つまらん会話を開陳したお詫びに、


 Elly Amering(S.)/J.Demus(Pf.) EMI CC30-9018

をお聴きになって下さい。



明日から数日間、ネット環境が制限されますので、年内のくどい長文記事は今回までです。
思いがけず日々数十人から百人くらいの方までにお読み頂けたことに、深く感謝申し上げます。
短文そのものは毎日綴るはずですので、まだちょっと気が早いのですが・・・
無事に年末を乗り越えられ、ゆったりしたお正月をお迎え下さいますよう。
明くる年が、私の大切な皆さんに、幸せいっぱいの年でありますよう、心から祈っております。

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2007年12月27日 (木)

音楽と話す:いりぐちのおはなし

年明け1月5日にTMFの演奏会を致します(無料)。上野や浅草から近いので、お気軽にお越し下さい。
くわしくはこちらをご覧下さい。



モーツァルトは1776年を宗教曲を手始めに読んでいるところで、あと2作読めば一段落です。そこまでやって年を越すべきか、とも思いましたが、むしろこの素晴らしい2作で年明けを迎えた方が気持ちがいいかな、ということで・・・すみません、そのようにしました。
「曲解音楽史」は、次に扱いたいヨーロッパのキリスト教聖歌に付いては音源資料が胡散臭いものが多く、やっと「これならいいかな」というものを見つけたところで、文献と照合中です。クリスマス中に綴った記事をご参照頂ければ幸いです。
藤原定家は、「千五百番歌合」を読む時間が足りず、前進していません。正月休み中にめどを立てたいのですが・・・

去年の今日、今では私と息子が夜寝ている部屋で、家内はまだ肉体(からだ)を持っていて、朝っぱらから真ん中に陣取って堂々と寝そべっていました。昼から晩まで家内に会うための来客が絶えないにもかかわらず、起き上がりもせずに、極上の笑顔で眠ったままでした。

中学で音楽の教員をしていた家内ですが、家では音楽の話は、よっぽどでないとしませんでした。
でも、私と音楽の話をする時には、
「音楽って、どうやったら子供たちは楽しめるんだろうね」
授業を進める時の教材から段取りまで、面白く工夫するために問いかけてくるのでした。

「歌う、奏でる、そのことそのものが楽しければいいんじゃないの?」
「そのことそのもの、っていうのが、難しいんだよね」
「じゃあ、この映画のこの場面の話をしたら? ちょうどこの曲が出てくるじゃん」
「やってみよっか!」

・・・たとえば、こんなかんじでした。

そんな会話も直接出来なくなった今、これまで通り、私はブログで、私の好きな、あるいは私の興味に触れる音楽だけを綴り続けて、果たしてどれだけの意味があるのだろうか・・・ここ数日、ふと、疑問がわいてきました。
で、
「音楽という、そのことそのもの、って何だろうか」
これに答えてくれる良書を少し探してみましたが、残念なことに、見当たりませんでした。
・・・ああ、そうか、家内と会話していたから、当たり前だと思っていたけれど、普通には考えられていることではないんだなあ、と、気が付きました。

かつまた、私は、一介のアマチュアに過ぎないながら、音楽について以外を話題に出来るほど世界が広くありません。

ですので、音楽「そのことそのもの」を、あらためて見つめ直すことをしてみようか、それを私の、なんとかあと十年は生きなければならない命の糧にしようか、と思い立ちました。うまくいけば、それが音楽以外の話に繋がって行くかも知れず、そのおかげでお友達も増えるかも知れず、寂しがりの私には一石二鳥・・・ただし、うまくいけば、ですが・・・だという、小猾い企みです。

素人である私がどれほどのことができるかは分かりません。
かつ、別に、「音楽入門」だなんて大それたものを綴って行くつもりもありません。
既に好きな音楽をもっているだろう、たくさんの人にとって、音楽のもたらしてくれる喜び、悲しみ、楽しさ、寂しさ、厳かさは、誰かが綴るまでもなく、分かりきったことです。
ブログを通じてお友達になって下さった皆さんも(最後にリンクを列挙しておきますが)、音楽から得るさまざまな思いをさまざまに綴っていらして、私のブログもそんな数多くの方のもののささやかな一つに過ぎません。

ただ、音楽「そのことそのもの」には、もう死んでしまった人とも、これから生まれてくるいのちとも、そしてなにより、いま、同じ時を生きている人同士とも、「言葉」いらずに会話できる、素晴らしいチカラがあります。
会話の深さがどこまでか、は、言葉でのそれと同じく、話し合うお互い同士がお互いをどの程度理解しているか、あるいは、話す時にどれだけの距離を置き、あるいは壁を挟んでいるかいないか、によって決まります。
幸い、私は素人ではありますが、本職さんに混じって(お金を頂いて)演奏する経験もさせて頂けたり、小さな曲作りでバイトをした時期もあり、素人と本職の違いは、ちょっとは理解できるかなあ、と思い上がってもおります。
かつ、ヘタな自作曲をあこがれの女性に「献呈」しては失恋する、という、典型的な「会話不成立」場面も、懲りずに何度も経験しております。
経験を経て、自分は音楽「そのことそのもの」について(本当は音楽に限らずなのですが)、如何に<無知>であることか、他のどんなかたよりも思い知っていると自負しております。

「そのことそのもの」を<無知>の立場からみつめていけば、霊魂になった家内が私に問いかけてくれた
「見えるよ。見える? 外、見えるよ。」
の意味を悟ることもでき、世界も広げられるのではなかろうか、と、以後、そのことに生きる望みを託して行きたいと考えた次第です。(家内のこの言葉を耳にした経緯はこちらに綴りました。)

妙な前置きになりましたが、
「音楽と話す」と銘打った時には、私が以上のようなことをひとつひとつ、足りない脳みそで、可能な限りギリギリまで、順番に考えてみようと試みているのだ、とお察し頂ければ幸いに存じます。

長いのは今回くらいにしたいのですが、考えなければならない順番は、だいたい次のようなものかな、と思っております。

・「音楽」はなぜ心を動かすのか、の一番分かりやすい理由
・「音楽」を聴くだけの人は聴くのに必要な耳だけがあればいいということ
・「音楽」を歌ったり奏でたりするには「楽譜」がいるということ
・(ただし、カラオケのテロップでも立派な「楽譜」なのだということ)
・「楽譜」は読み物だ、ということ。では、どう読むのか、ということ

以下、段々に話が大風呂敷に広がって行くことでしょう!



以下、家内の死の前後からお友達になって下さったり、私を支えて下さったかたのブログへのリンクです。

JIROさん〜ものすごい分析力で時事を論じつつ(・・・私にはとてもできない!)、楽しい音楽、良質の音楽を豊富に聞かせて下さるサービス精神にあふれたブログで、たくさんの読者がいらっしゃいます。

仙丈さん〜・・・も、こちらは熱烈な阪神ファンで、たくさんの読者の支持を得ていらっしゃいますが、愛犬穂高君とのお話も愉快だし、すてきなお写真もお撮りになる。

ランスロットさん〜モーツァルト大好き。単身赴任満喫中。でも、大変な日々のご様子で。。。モーツァルトの音楽は良質な演奏をアップして下さっていますので、必聴です。ご出身(ご先祖様?)が長州人なので、吉田松陰・高杉晋作にもお詳しくていらっしゃいます。

YASUさん〜舞台・映画を語らせたら右に出るもの無し、だと、私は尊敬しております。自然を愛し、平和を愛する、素晴らしいおじさん(あ、叱られる!、もとい、)おにいさま、です。

ふるたこさん〜ブログではないのですが、ショスタコーヴィチの熱烈な、しかし、単純ではなく、精神的に深いところまで汲み取るファンでいらっしゃいます。いままで「ショスタコーヴィチって誰?何?」というかたも、ぜひふるたこさんのお話には耳を傾けてみて下さい。

キンキン@ダイコク堂さん〜文学ご研究が専門でいらっしゃるのですが、コンサートのマネジメントにも携わったり、いろいろ精力的にご活躍です。ブログには旅行記なども淡々と綴ったりなさるのですが、さりげなく添えてあるお写真がまた、構図が素晴らしいので感嘆させられるばかりです。ユーモアのセンスも抜群です!

イワンさん〜教育のご研究を専門になさり、教育を実践し、かつ、いつも深い自省を秘めながら、学生さん相手にはどうやら「おちょくり」を良くおやりでいらっしゃるような・・・すてきな先生。お好きな音楽はジャンルを問わず。私の知る、最も敬虔な魂の持ち主でもいらっしゃいます。

以上、本来は順番づけ出来ないほど、私にとっては恩義の深い方々です。

・・・あ。
・・・女性が、一人もいない。。。
(「そんなの関係ねー」は、いつまで寿命を保てるでしょうねぇ。)

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2007年12月26日 (水)

家内、一周忌

年明け1月5日にTMFの演奏会を致します(無料)。上野や浅草から近いので、お気軽にお越し下さい。
くわしくはこちらをご覧下さい。



さきおとといの「クリスマスプレゼント」は、こちら。
一昨日の分は、こちら
昨日の分は、こちら

2時に、家内が、
「疲れたでしょ、もうやすみな」
そう言ってくれて、あんたもな、とこちらが言ったのが、最後の会話になりました。
今思えば、それからが、私の一生でもいちばん長い一年でした。

4時ちょうどに、ふと時計を見、隣に家内がいないのに気づき、飛び起きたら、家内は気絶して倒れていました。
臨終を告げられた時には夜がようやく明けかけるところでした。
それからは雨がぽつぽつ降り始め、叔父叔母が駆けつけて来てくれたあとからは、一日中、台風並みの豪雨でした。

たくさんの人の怒りを買い、たくさんの人に疑われ、自分も人に怒り、人を疑い続けました。
たくさんの人が傍観していました。

ですが・・・それ以上に、たくさんの人に励まされ、たくさんの人の暖かさを感じ、たくさんの人の助けを受けました。それに必死ですがる日々でした。・・・まだまだ、すがっています。

どれくらいのことに関わり、どれくらいのことを調べ、どれくらいのことが分かり、どれくらいのことが分からなくなったか、数えきれません。
この長さを、私は私が死ぬまで忘れないでしょう。

ありがとうございました。とりあえず1年、過ぎました。私も子供たちも、元気です。

今日は、関東は柔らかな晴天です。

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2007年12月25日 (火)

まっすぐにみつめる

年明け1月5日にTMFの演奏会を致します(無料)。上野や浅草から近いので、お時間がおありでしたら是非どうぞ。こちらをご覧下さい。



おとといの「クリスマスプレゼント」は、こちら。

昨日の分は、こちら

クリスマスパーティは、もうお済みでしょうけれど、今日(12月25日)が本当のクリスマスですね。
音楽の、3つ目のプレゼントをさせて頂きます。

調べもので適当な資料に巡り会えず、やっと昨日見つけた「アンブロジウス聖歌」の中からのものですが、難しい話は今日はしません。
思いのほか、日本の「わらべうた」に似た素朴な味わいであることに、驚きました。
敬虔な「祈り」とは、本当は、大変に素朴で、素朴だからこそ厳かなのですね。
少年合唱のように聞こえるかもしれませんが、歌っているのは成人女性たちです。
(NAXOS 8.553502)



私は、「人を直視できない」性格でした。
子供の頃から、親の目をまっすぐに見られませんでした。妹が二人いますが、その目をまっすぐ見ることが出来ませんでした。恋する人の目を、まっすぐに見られませんでした。
また家内の話になって恐縮ですが、家内には「恋した」という思いを抱いたことがありませんでした。その分、すぐに彼女の目を、最初からまっすぐに見ることが出来ました。
以来、親の目をも、妹たちの目をも、まっすぐ見られるようになりました。
まっすぐ見られる、ということが、「心が爽やかに開ける」ことなのだ、とは、それで初めて知りました。

でも、その「まっすぐ」が、1年前の明日、家内が天に召されてから、どうも、思っているのとは違う方向にばかり向いてしまっている気がします。
先日の埋葬完了までは、迷う自分に振り回されつつ、それでも「まっすぐ」見なければ、という思いを捨てずに来たつもりでいました。
・・・でも、何かが、私の目の前のプリズムになってしまっていて、私の目の光は、そこから「屈折」してしまっているようなのです。

素直に発したつもりの言葉が、素直に通じません。
素直な言葉を受け取ったとき、そのときに限って、言葉は曲がってしか私の耳に届きません。

死だとか、埋葬だとか、法要だとか、生活のリズムの回復だとか・・・いろんなことに振り回されて、それはそれでたいへん貴重な経験でしたし、家内の去り際があまりに急だったことで一層迷いも深かったのですから、今となっては人間として感謝すべき日々を送らせて頂いて来たのだ、と信じています。

ですが、ひととおり表向きの形式的なことが終わってしまってみると、体験を充分に昇華させられない自分には、ただもどかしさを感じ、愚かしいと自虐の念を抱くばかりです。
「自ずと変わって行くものですよ」
尊敬するカウンセラーの先生が、この間仰って下さった言葉です。
だのに、「自ずと」の訪れが待てない短慮な自分に、毎朝毎夕直面する。



このところ「宗教書」からの引用が多かったかと思いますが、本当の意味での宗教書は<人に優しく>ありません。
たてまえは、昨日あげた歌の通り
「主(神・仏)は甘い慰めを与えて下さいます」
であることは、ごく一般的な、心の救いを求める人向けの分かりやすい新書の類いが「優しさ」にばかり触れていることから、「まあ、そうなのかな」と思わされがちです。
ですが、例えば聖書中のイエスの言葉にせよ、シャカの言葉にせよ、それそのものにストレートに対峙すると、「優しい」どころか、目にするのも耳にするのもイヤだと思いたくなるほど、厳しい。もちろん、一般の人に向けたときの言葉には、優しさに満ちあふれたものもないわけではありません。しかし、彼らが一度大衆の前を離れ、個人とのみ向かい合った時には、言葉の表情は一変します。

いくつかあげましょう。



まず、イエスの言葉から。「マタイによる福音書」からに限っておきましょう(講談社版)。

「私に従え。死人は死人に葬らせておけ」(8-22)

「医者が要るのは健康な人ではなく病人である。<私が望むのはあわれみであって、いけにえではない>とはどんな意味かを学びに行け。私が来たのは、義人を招くためではなく罪人を招くためである」(9-12-13)・・・前半は一見「優しく」見えますが、そうではありません。

「私よりも父や母を愛する者は私にふさわしくなく、私よりも息子や娘を愛するものも私にふさわしくない。自分の十字架をとって私に従おうとせぬ者も私にふさわしくない。自分の命を保とうと努める者は命を失い、私のために命を失う者は命を見いだす」(10-37-39)

「人は自分の言葉によって義とされ、また自分の言葉によって罪とされる」(12-37-38)

「あなたたちは空のけしきを見分けられながら、時のしるしを見分けられぬ」(16-3)

・・・これらは、理にかなわぬ、主観的な言葉でしょうか?



では、シャカ(ブッダ)の言葉の方は、どうでしょうか?
中村元訳「真理のことば・感興のことば」(岩波文庫)の前者(ダンマ・パダ)から、いくつか。

「ものごとは心にもとづき、心を主とし、心によって作り出される。もしも汚れた心で話したり行なったりするならば、苦しみはその人につき従う。・・・車を引く牛の足跡に車輪がついて行くように」

「ああ、この身はまもなく地上に横たわるであろう・・・意識を失い、無用の木片のように、投げ捨てられて。」

「憎む人が憎む人にたいし、怨む人が怨む人にたいして、どのようなことをしようとも、邪(よこしま)なことをめざしている心はそれよりもひどいことをする。」

「<私には子がある。私には財がある>と思って愚かな者は苦しむ。しかしすでに自己が自分のものでない。ましてどうして子が自分のものであろうか。どうして財が自分のものであろうか。」

「悪事をしても、その業(カルマ)は、しぼりたての牛乳のように、すぐに固まることはない。(徐々に固まって熟する。)その業は、灰に覆われた火のように、(徐々に)燃えて悩ましながら、愚者につきまとう」

「物事が興りまた消え失せることわりを見ないで百年生きるよりも、物事が興りまた消え失せることわりを見て一日生きることのほうがすぐれている。」

「<その報いはわたしには来ないだろう>とおもって、悪を軽んずるな。水が一滴ずつ滴り落ちるならば、水瓶でも満たされるのである。」

「物惜しみする人は天の神々の世界におもむかない。愚かな人は分かち合うことをたたえない。」

・・・これくらいにしましょうか。。。

二人とも、違うことを言っていない点に、ご着目頂ければ幸いですし、これらの言葉が決して「道徳」から導かれたものではなく、背後に強烈な論理を芯としてもっているらしい気配をも感じて頂ければ幸いです。



家内が夢に出てくるときのパターンが決まっていまして(前にも綴ったかな?)、家内の方は明るい光の当たったテーブルのところで、私のお会いしたことのない大勢のお友達と楽しそうに大笑いしているのです。私はそのとき、必ず、左の隅っこの、真っ暗な場所にポツンとすわらされています。
それは、家内を霊安室に預けた翌朝、多分家内の声だと思うのですが・・・でも人間の声ではなくて、まるでガラスかなにかが喋っているような透明な響きでした・・・
「見えるよ。見える? 外、見えるよ。」
私の耳にはっきりそう聞かせてくれた意味を、まだまだ私が悟れずにいるからなのでしょう。
本当に不思議な体験で、夢ではなかった、と断言出来るのですが・・・いまだにこの言葉の意図が分かりません。それを、もう一度考え直して行こうと思っております。


今年のクリスマスは、以上をもちましてお祝いしたいと存じます。
長々失礼しました。

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2007年12月24日 (月)

クリスマス:優しい歌〜「メサイア」の思い出

年明け1月5日にTMFの演奏会を致します(無料)。上野や浅草から近いので、お時間がおありでしたら是非どうぞ。ただし、正規団員のみの演奏で・・・出来は不安。自分も全く練習できていませんし・・・こちらをご覧下さい。



きのうの「クリスマスプレゼント」は、こちら。


今日は、少し、まっとうなものを。


 カール・リヒター指揮/ミュンヘン・バッハ管弦楽団(1964年録音)
 アルト〜マルガ・ヘフゲン、ソプラノ〜グンドゥラ・ヤノヴィッツ
  Archiv POCA-2058

新しい演奏を、と思って探しましたが、いまいちピンと来るものがなかったので。

歌詞の日本語訳は以下のとおりです。

 (アルト)
 主は羊飼いのように、主の羊たちを養い、
 小羊たちをそっと腕に抱きます。
 そして、あわれみをもって小羊たちをふところに入れ、
 助けを求めている者をやさしく導いて行って下さいます。

 (イザヤ書 第40章11)

 (ソプラノ)
 重荷に苦しんでいる人は主のもとへいらっしゃい。
 悲しみにうちひしがれている者も主のもとへいらっしゃい。
 主は甘い慰めを与えて下さいます。
 主のくびきを身に負って、上から学ぶべきことを学びなさい。
 主はやさしくて、高ぶることのない方なのですから、
 そうすれば安らぎと魂の救いが見いだせることでしょう。

 (マタイ伝 第11章30)

 訳:石井不二雄


去年の今日も、「メサイア」の思い出を綴ったと記憶しています。 その翌日に家内は倒れ、その体の重さを感じられるのが最後になるとは思いもせず、 「明日はいい病院に連れて行ってやる」 といい聞かせながら家で休ませて・・・ 翌早朝、たった2時間目を放した隙に、彼女は帰らぬ人になっていました。

採り上げた演奏は、中学生だった私が初めて、小遣いを溜め込んで買った「メサイア」の演奏です。布の箱に、詳しい解説書と一緒に、3枚組のLPで売られていて、ずっと憧れていました。それを手にしたときの喜びは、今でもうまく言葉に出来ません。
そうして出会った「メサイア」の中でも、今回の歌は最も優しさに満ちていて、美しく、「ハレルヤ」コーラスよりも、私はこの歌で何遍も涙を流してきました。

去年も簡単に触れたのですが、娘が生まれた日は、私が「メサイア」の演奏会に出演した日でもありました。ほぼ全曲を演奏しました。
前の晩、もうすぐ日付が変わろうという時に、向かい合って横になって雑談していた家内が
「あ、水が出たみたい」
と言いました。あわてて産婦人科さんに電話をし、すぐに車で突っ走りましたが、すぐには生まれない、とのことで、私はいったん家に帰されました。
演奏会の練習に間に合うには、8時半には住まいを出なければなりません。
(練習中に生まれちゃったら、どうしよう)
なにせ、携帯電話なんか、まだありませんでした。横になっても、ウトウトするくらいで、眠れない。
6時半に、電話が入りました。産婦人科さんからのものでした。
「ご主人、そろそろいらして下さい」
すっ飛ばして行ったら、前もってそんな約束ではなかったのに、分娩室に入れられました。
娘が生まれてくる瞬間を、この目にしなければならない羽目に陥りました。
「はい、頭ね。肩は? おお、無事に出た、それ!」
お医者がいちいち口にするのももどかしいのですが、私には何にも出来ません。
家内の産道からスポン、と出て来た娘が、息をしていないような気がして、心臓が止まる思いでした。
お医者さんが、出て来たばかりの娘の背中をポン、と叩きました。
とたんに、ギャア、という、娘の第一声。
嬉しい、と思うゆとりはなく、今目の前に起こったことに、ただ呆然としました。

「メサイア」を演奏する、まさにその日に娘が生まれた。
この子が神様に守って頂いている証だ、と私は信じました。

・・・いえ、この世界の、全ての子供たちが神様に守られていますように、と、その日はそう祈りながら演奏に加えさせて頂きました。

演奏が終わって、初めて、娘が生まれた喜びが、じわっと押し寄せてきました。

家内の産道が、もとのように奇麗に塞がるまでにはひと月かかりました。
「生むことの大変さ」・「生まれてくることの大変さ」を、男の私も目にすることが出来たのは、今になってみると有り難かったと、感謝しています。

与えられた命を、どう生きて行くのか、は、娘の決めることです。
私に出来ることは、それがくじけそうになった時に支えてあげることくらいしかないのですが・・・家内だったら苦もなく出来ただろうそのことが、私に出来るのか?

家内の分まで、なるべく長く、充実した生を営んで行ってくれることを、今は祈るばかりです。

息子に付いても、またしかり、です。

個人的な話で、視野が狭くて、すみません。


 

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2007年12月23日 (日)

I wish your merry X'mas

いつもつまらん、わけわからん、かようなブログを読んで下さる私の大切なお友達に、ちょっと気が早いですが、1曲プレゼントさせて下さい。

今日、娘に付き添わなければならない用事があり、その合間に、例によって「テキトー」なアレンジを思いついたもので、相変わらず
・アイディアに1時間
・肉付けに1時間
などという無謀な仕上げ方をしたものです。(楽器3つで演奏できるようにしてあります。)
でも、Mozartさんとは違いますから、当然、たいした出来じゃない、というのはご承知の上でお聴き頂ければと思います。
・・・手回しオルガンのような音にしたかったのですが、ソフトシンセでの音色選びは難しい。。。
しかも、パソコンに打ち込み直すのに2時間半くらいかかっちゃってるていたらくです(他のことをやりながらなので、正確な時間は分かりませんが)。



今日、付き添いを終えて娘を置き去りにしたあと、会場近くが雑司ヶ谷の鬼子母神さんなので、行って
「娘をよろしく」
とお祈りしてきました。
それで思い出したのが・・・こんなこと綴ると家内はいやがるかもしれませんが、家内の頭にあった「角(つの)」のことです。

「角」と描くと大袈裟なのですが、初めて髪を撫でてやったとき、家内の頭に2つほど、とがった、でも柔らかい突起があるのに気が付きました。なにかの理由で脂肪が固まったものだったのではないかと思います。
「取れよ」
私は言いました。
家内は泣いていやがりました。
「病院に切りに行って、頭に変なことが起こったら困っちゃうから」
と言って泣きました。
でも、このまんまほっといて、皮膚がんのもとになったらどうするんだ、というのが、私の心配でした。そんなことで死なれたらイヤだったから。
だから、泣かれても泣かれてもしつこく、
「取れよ」
と言い続けました。
それで、あるとき家内は思い切って、皮膚科に行き、切除してもらいました。
「なんともなかった」
「あたりまえだよ」
・・・まあ、ちょっとの間は、取った痕のところが十円ハゲでしたが。

家内には、眉間にもニキビ大のおでき(といったらおおげさなのですが)がありました。
でも、こちらは私は全然気にしていませんでした。

それが、「角」を取って数ヶ月後、今度はその眉間に、でっかいガーゼを貼っている。
「どうしたんだ」
「眉の間のも、取っちゃった。」
「!」

私のために・・・今思えば、私だけのために、少しでも奇麗な顔でいたい、と思ってくれたのかなあ、という気がします。

オトコっぽかった彼女の、私にとっては、いじらしかった思い出の一つです。

こんなつまらんオトコのために「奇麗でいてくれよう」なんて思ってもらえたのは、あとにも先にもこれっきり・・・なのかなあ。

夕方、埋葬から1週間経った家内の墓の掃除もしてきました。
豪勢に飾った百合でしたが、冷気が厳しく、残ったつぼみはかわいそうに萎れていましたから、会いに来て下さる方の前でも家内を奇麗でいさせてあげるために、抜き取ってきました。黒くなってしまった菊の葉っぱもむしっておきました。

夜は子供たちと、1日早くクリスマスケーキを食べました。

明日は娘の研修も続いているし、自分も練習なので、息子も連れ出して、ちょっとしたパーティでもしてあげよう。。。

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2007年12月22日 (土)

モーツァルト:1776年の教会ソナタ

ここまで読んできたモーツァルト作品の個々へのリンクを作成し直しました。ご利用下さい。



さて、モーツァルトには、1776年、ザルツブルク期の集大成ともいえる宗教作品の最高傑作が、ミサ以外に残されています。ですが、それについてはまた別途、詳しく読みたいと思っております。

ミサの式次第の中には、新約聖書中の書簡を朗読するセクションがあるのはご存知の通り(あるいは前に触れた記事をご参照頂ければお分かり頂ける通り)です。
ですから、これまで見て来た1775-76年作の4つのミサ曲も、一貫して演奏されたわけではなく、間にやはり「書簡の朗読」を挟んでいたわけです。
この書簡の朗読の間にはオルガンが伴奏するのが通例だったようで、ミサ曲とは別に、モーツァルトはこの種の曲も作っていたことは、過去の記事でも触れた通りです。

1775-1776年中のものであることが明らかになっているものが最も多いので、その構成に付いてのみ、今回は列挙してお茶を濁させて頂きます。

編成はK.263を除き、ヴァイオリン2部および通奏低音で、この通奏低音がオルガンは明確に(ある意味、簡単な協奏曲的に)和声も旋律も書き込まれているのが「教会ソナタ」の特徴です。
とはいえ、モ−ツァルトのオリジナル通りに演奏/録音されている例は、普通は無いような気がします。

・変ロ長調K.212(1775.7):Allegro 4/4 70小節
・ト長調 K.241(1776.1):Allegro 3/4 81小節
・ヘ長調 K.244(1776.4):Allegro con spirito 4/4 101小節
・ニ長調 K.245(1776.4):Allegro 4/4 85小節
・ハ長調 K.263(1776末):Allegro 4/4 81小節
     この作品のみ、2本のトランペットを伴います。
(※K.225は1776年作か、とされていましたが、新しい作品表では1780年作です)

並べてみて直感的にもつイメージと内容はそのままピッタリ合う、と思って頂いて結構で、それぞれに際立った個性がある、というわけではありません。テンポ設定もK.244が(小節数が多いことから考えて)やや速めであろうことの他には、むしろモーツァルトは「前と同じ雰囲気を、今度はどうやって築こうか」ということ以外には関心を払っていないように思われます。

また、このころモーツァルト自身が作曲していたミサ曲は全てハ長調であったのに対し、「教会ソナタ」はK.263だけがハ長調です。かつ、K.263のみはトランペットを伴っている点、もしかしたらクリスマス用のミサだったかも知れないK.257(クレド・ミサ)の華やかさの延長線上で発想されたのかも知れませんが、だからといって他の「教会ソナタ」に比べて楽想が際立って違う、といった気配はまったくありません。

K.263以外は、モーツァルトではない作曲者のミサ曲を用いた際に使用する目的で作られた、と考える方が、モーツァルトの過去のミサ曲の再使用時に使われた、とみなすよりも自然である気もします。・・・こんにち私達が聴くチャンスは無いのですけれど、ザルツブルクで雇われていた「作曲家」は、モーツァルトだけではなかったのですから。

ごく簡単ですが、こんなところで、すみません。

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2007年12月21日 (金)

超え得るか、カフカを。(狂人のたわごとです)

文面が複雑怪奇に抽象的になります。ご容赦下さい。

家内の死から1年のこの時期に・・・というのは世間的にはあまりふさわしくない言い方ですね。

クリスマスのこの時期に、であっても、しかし、次のカフカのメシア観を
「彼は何故このように?」
と問うことの重さには、全く差がありません。(原文どおりではありません)

メシアは、くるだろう・・・最後の日から一日遅れで。とどのつまり、いまわのきわに
(岩波文庫、池内紀訳「カフカ寓話集」収録の超短編より)

「いまわのきわ」が、何故、最後の審判より1日遅れなのか。
生の尽き果てる日が、何故、最後の審判より1日遅れなのか。

ちょうどモーツァルトのミサ曲を集中的に読んできたこともあり、一段落してみたら、ふと、記憶の中から、カフカのこうした表現が胸に浮かび上がってきた次第です。(今日はカウンセリングも受けました。カウンセリングの後は、反動でしょうか、ショック状態のような、やや苦しい気分に自分がとらわれますけれど、それがむしろ明日への回復には良いのです。)


難解ですので目を通したことはおありではないかもしれませんが、キルケゴール(19世紀のデンマークの神学者)の著作の、次のタイトルだけはご存知かもしれません。

<死に至る病>

この書でキルケゴールが執拗に言っていることは、
・「死に至る病」とは絶望である
・「絶望」が、死にいたる病なのである(=逆もまた真)
・而して、この病は普遍的である
に尽きるかと思います。


カフカの「メシア」観は、果たして、彼が「死に至る病」に罹患していたことを物語っているのでしょうか?
というのも、文字通りにカフカの言葉を捉えれば、キルケゴールがしつこく追求した命題に照らし合わせますと、カフカのいう「最後の日」が<いまわのきわの1日前>・・・すなわち、死の前日とされていること、すなわち、「絶望」と同一、もしくは近似した意味を与えられているものと読み取れるからです。
そう読んでしまうと、カフカの書きつづけた小説もまた、キルケゴールに負けず劣らず、「絶望」への飽くなき追及だった、としか思えなくなります。

キルケゴールも、カフカも、恋人がいながら、自己の「良心」なるものから結婚に躊躇してしまった人なのではないか、と、私は思っています。
この点では、愛する対象を側に置かぬまま生を送った彼らの方が、結局は私より幸せだったのかもしれない、と考えたい衝動に、どうしても駆られてしまいます。

「死に至る病」に罹患して初めて、カフカは「いまわのきわ」を迎えられるのだから。

・・・そのような「生き方」が、しかし、ほんとうに彼のような純な人の選択すべき生き方だったのかどうか。
カフカには逡巡があったのではないでしょうか?
彼の短編が、他のものも極めてぶっきらぼうで、長編は(「変身」は中編だと見なして除外するならば)ことごとく未完だったところに、彼の手首のためらい傷を、私はどうしても見てしまいます。


たとえ「最後の日」から1日遅れであったとしても、
「メシアは来る」
カフカは、そう言わざるを得ませんでした。

問題は、カフカが自覚的に「メシアの到来」を否定しえずにいたのか、それとも無意識的に「メシアは来る」と待望していたのか、いずれなのか、というところにあるのではないでしょうか。

クリスマスは
「メシアが来た」
ことを喜び祝う祭典です。
今年以後、私はその意味を真摯に考えること抜きにはクリスマスを考えられない、見られない、というくびきを、天から与えられてしまいました。

もしカフカが無意識的に「メシアは来る」と言ったのだとしたら、私は意識して「メシアは来る」と言うでしょう。
もしカフカが、自覚の上でそう言っていたとするならば、
「メシアが来るのは<絶望>よりも前である」
と断言できるように・・・そのように私は生きられるでしょうか? そこは、私とカフカの静かな「戦い」になっていくのかもしれません。

家内の臨終のベッドの脇で、それまでサンタを信じていた息子にはじめて、
「サンタはお父さんだったんだよ」
と打ち明けました。前日、息子は「今年もサンタさんが来てくれたよ!」と夢中で喜んでいた。
私は息子の喜びを打ち砕いてしまったのでしょうか?


今年は子供たちがプレゼントを欲しがりません。・・・そのくせ、ケーキは絶対食うそうです!

いくらそれがまだ薄いものであろうと、子供たちの辞書に絶望の文字がない限り、私も子供たちと同じ辞書に手を伸ばさなければなりません。

我が子たちにも、変わらず「メリー・クリスマス」を言ってあげましょう。
私の大好きな人にも、変わらず「メリー・クリスマス」を申し上げましょう。

家内が職務を全うして天に召されたことを・・・本来は仏教での供養でしたのでよろしくない、と叱られるかもしれませんけれど・・・神が彼女に与えた最高のプレゼントであったと信じましょう。

どうか、私の「生」も、家庭のささやかな照明器具でいい、せめて小さなリビングの小さな蛍光灯で、夜は照らし続けて頂けますように。

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2007年12月20日 (木)

モーツァルト:捨てて、得たもの~「クレド・ミサ」K.257

ここまで読んできたモーツァルト作品の個々へのリンクを作成し直しました。ご利用下さい。


「自分」を失ったら、失いっぱなしの人が多い。
かくいう私自身も、そんなひとり、です。だらしないけど、それだけの器なのですから、仕方ありません。
見かけはそうではなかったにせよ(あ、怒るなヨ・・・)家内という有形の天使が側を離れてしまった後、「きっとまた自分を支えてくれる天使が、もうそこにいるはずだ」・・・可視不可視を問わずその存在を信じることでかろうじて命を支えている。
が、モーツァルトは違った。19歳の彼は、まだ見えてなかったとしても、天使の存在を疑うことはなかっただろう・・・と感じます。
今日採り上げるのは、その証拠となる作品です。
・・・今回の作品は、伝記では明確ではありませんが、モーツァルトが苦悶の上に「捨てるべきものは捨て」て、新しく獲得した世界を繰り広げたものだ、と、今、私はそのように感じています。もっとも、この先まだ十数年を生きなければならない彼には、新たな苦悶が、よりあらわな姿で待ち受けているのですけれど。。。


上記の結論に到るのに、私用で立て込んだり、気分がパニックだったり、ということに甘えてしまったことを抜きにしても、ずいぶんと難儀してしまいました。(Bunchouさんに、とくにお詫びします。)
K.258K.259K.262と、一連のミサ曲を先に読んでから「クレド・ミサ」を読み始めて、頭を抱えてしまわざるを得ない特徴に突き当たったのが、最大の理由です。
楽譜を読む前も、読んだ後も、聴くと他の三作に比べて華麗かつ荘厳、という表現が最も当てはまることに変わりはないのですが、楽譜の特徴は、見ようによっては他三作よりも、あまりに単純です。
メモをとった段階では、各章の特徴につき、「単純な要因」をうだうだと綴ってみたのですが、どうも、それを記事にしても、あまり意味がないようです。「単純な要因」は、細目を見るまでもなく、次の二点に集約されてしまうからです。

<あまりにも器楽的・・・合唱も独唱も、楽器と一体化している>

<対位法の使用は実質的に皆無・・・一見それと見える個所も実質は和声の転回>

・・・読みの名人、アインシュタインは「対位法を放棄したわけではないが」云々していますが、私の目はその点節穴かもしれません。それでも、カノン、フーガはK.258259には若干痕跡がある気がしていましたけれど、この「クレド・ミサ」には、そうした陰がまったくないのは(アインシュタインも暗黙には認めている)事実です。 すなわち、K.262を例外としてK.258、259とだけ比較してみても、K.257は純度の高い「ホモフォニックで管弦楽組曲的」な作品なのです。

これは・・・モーツァルトの「後退」なのか?

考えあぐねてしまいました。


Gloria、Sanctus(いわゆるモーツァルトの「クレド」主題【ドレファミ】は、この作品ではこちらに出てきます)については、特記すべき事項はありません。割り切って、突っ込まずにおきましょう。
他の章には、見るべきものがあります。たとえば、Agnus Deiは主部はゆっくりの三拍子、終結部は速い4拍子ですけれど、基本となる主題(メロディ)は同じです。
詳細に触れすぎると煩雑度がましますので、以下、KyrieとCredoについてのみ、<屁理屈>をこねさせていただきます(初歩的な楽典をご承知でないと意味不明かもしれません。また、曲を実際にお聞きになるか、スコアを実際に目の前にしていただかないと、同じくイメージが湧かない話かもしれません。そこはお許しください)。・・・面倒な場合は、次の下線のところまでは飛ばして読んで下さい。以下の主旨は、
・Kyrieではベートーヴェンの第1交響曲の先駆けとなるような、当時としては革新的な工夫をしている
・Credoは一見自由な形式、とみなされていますが、複雑な言葉に、実に上手く統一感を持たせるような仕上がりにしている
・・・また、副次的なことですが、このミサ曲はクリスマス用だったかもしれない、という話を、少しだけしています。


Kyrieの冒頭部~8小節という小規模なものでありながら、革新的なのです。これが「クレド・ミサ」に一気に聴衆を引き込む最大の要素となっています。全曲の基調であるハ長調の主和音で始まるように見せかけながら、じつはこれがト長調の下属和音(移動ド読みで「ファラド」にあたる和音)であるのがミソです。コードで言うとCですが、次の小節の和音もコードネームでAm、ト長調のⅡの和音に相当し、これも下属和音です。三小節目で属和音へ持っていき、6小節目で初めてト長調の主和音が現れる。残り2小節は、最後をト長調の主和音(G)で終えます。で、この序奏の最後がまた、ハ長調の属和音であるところが、二番目のミソです。序奏を聞いているうち「あれ、このKyrie、どうなるんだろう?」と戸惑う聴衆を、主部に入ってCのコード(ハ長調の主和音)で本編に突入することで安心させる。
・・・わけわかんない説明でスミマセンが、この仕掛けは、当時においても極めて斬新であると思います。
似た雰囲気のKyrie序奏で有名な例は大バッハのロ短調ミサですが、こちらはモーツァルトのような転調は行なっていません。
かつ、私が知っている(まだ狭い範囲の)序奏付きモーツァルト作品の中でも、これは初めての試みであるはずですし、使用する技法は違いますが、そのもたらす荘厳な雰囲気には、ずっとあとの「プラハ」交響曲まで、再び会うことが出来ません。(交響曲なら「リンツ」の序奏も思い出してみて下さい。このKyrieの序奏に比べると、「厳かさ」よりも「情緒的」であることが主眼になっていて、別の線上にあるものだということが明確になるはずです。)
技法的にベートーヴェンの第1交響曲の序奏(こちらの方が最初の転調の仕組みは複雑ですが、結果的にはモーツァルトより単純に仕上げています)の先駆けとなっていることを、重視しておくべきかとも思います。

Credoについては、カルル・ド・ニは「自由なロンド形式」と言っていますが、これは決して「自由」に作られた章ではありません。
このミサ曲が「クレド・ミサ」と呼ばれる理由が、この章で「ソミ・|ラソ・」という動機("Credo, credo"という言葉が充てられています)が反復して与えられ、聴く人に強い印象を与えているところにあるのはご存知のかたはご存知のとおりです。その強烈さに耳を奪われると、あいだに挟まれた全ての「主題部」の意味がみうしなわれてしまいます。
先に中間部について見ておきましょう。
"Et incarnatus est(【主の御子が】うまれたもうた)"の言葉の部分からはシチリア-ノ(8分の6拍子の舞曲ですが、イエス・キリストの生誕を表す手段として常套的に用いられます)になっており・・・このミサ曲は、もしかしたらクリスマス用だったかもしれないことをうかがわせます・・・、しかも、「生まれたことが苦難の始まりであった」ことを象徴するような短調になっているところも見事です。かつ、このシチリアーノは、そのまま自然に「シチリアーノではない」重々しい6拍子に転じ、"Crucifixus(十字架に懸けられ)"へと一気に突入する。この"Crucifixus"が、また、これまでの彼の常識から言えば劇的に作られるべきところなのですが、ドラマ性よりも、「半音階的下降」モチーフによって「厳かな」雰囲気で一貫させることで、むしろゴルゴタの丘へのイエスの重い足取りを聴衆に明確に想起させるようになっています。
・・・このように作られた中間部の中に、"Credo"の動機が一切現れない。・・・ここが重要です。
実は、中間部を挟んで、前後は基本的に同一の構造をしています。
第1、第2、第3の主題群がそれぞれ"Credo"動機を登場させた後に現れる構造です。ついている言葉が違うために、ただ聴いていると違っているような感じを受けるのですが、終結部の処理法を除けば、中間部の前、中間部の後は、どちらも同じ造りです。
すなわち、クレド楽章全体は、中間部をBとすると、大きく見てA-B-Aという形式になっている。決して、「自由なロンド形式」ではないのです。モーツァルトは、章全体の統一感を保つために、以上のような工夫を凝らしている。


「カノン」や「フーガ」といった、職人芸的な要素は一切捨てた思い切りの良さは、「クレド・ミサ」を、メロディラインで出来上がった音楽、ではなく、「陰影に富んだ響きを持つ」傑作に仕上げたのです。この点は、あらためて私なんぞが言うまでもなく、アインシュタインもド・ニも認めているところです。

「技術の披露」を放棄して、彼ははじめて「平易な力強さ」を獲得したのです。
人間、こういう思い切りは、なかなか出来ることではありません。しかも、ちゃんと成果を上げている。あらためて、頭の下がる思いがします。

ただ、背景には、良く知られている「(ヒエロニムス【コロレド】大司教は45分以内でミサを終わらせることを要求していた」ことに沿って作曲しなければならなかった苦悶は、このサイクルで見てきた4曲の作曲順を次のように想定してみると、浮き彫りになるのではないでしょうか?(ベートーヴェンの「ミサ・ソレムニス」は、式典の分を省いても2時間かかります。モーツァルトの要求された条件がいかに厳しいかを類推するには、ちょっと不適切な比較対象かもしれませんが・・・)

K.262(ミサ・ロンガ)K.258K.259(オルガンソロミサ)~K.257

K.257はK.258,259より後に作られたであろう、との推測は、Carus版スコアの解説でも述べられています。 新しい、かつ、これ以後のモーツァルトの作品に特徴的になっていく、それゆえに彼の音楽が誤解される元ともなった「整ったホモフォニー」は、K.257「クレド・ミサ」を嚆矢とする、と見てもいいのかな、と、今のところそういう感触を持っております。 ただ、「整ったホモフォニー」はモーツァルトが心から望んでいた「音楽の姿・あり方ではない」ということもまた同時に、いたましく感じられます。晩年、最後の年(1791年)に残した代表的な宗教曲が、
・整ったホモフォニー=「アヴェ・ヴェルム・コルプス」
・対位法との最後の葛藤=「レクイエム」
と捉えれば、モーツァルトの「ゆらぎ」もまた、この「クレド・ミサ」に端を発するものとみてもよいのではないでしょうか? ・・・うがちすぎですかね。

CD: アーノンクール盤(中古)
  :クヌッペン盤

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2007年12月19日 (水)

自分をここまで捨てていい?

私のこの一年の、最大の命の恩人であるかたが、某所にて「禅問答(と言ってしまっては叱られるかな)」の公案を出していらしたので、私も学生として参加させて頂き、しっかり「カツ!」を食らわせて頂きました。実に爽快でした。

で、公案に答えかね、苦悶していたら、今朝方、夢のお告げで、とある箴言に出会いました。
・・・有名な格言家サンのパクリのようですが。。。
こんな、です。

 きのうは だれを けったっけ
 きょうは だれを ぶったかな
 あしたは だれに さされるのか

 いたくない いたくない

 みんな じぶんのしたこと されること

             (相太 みずを)

・・・うーむ。
・・・本記事のタイトルにそって、どうぞ、時事問題なども考慮したければ考慮しつつ、あるいは時事なんぞ全く考慮せず、この箴言をご評価下さい。

じつは、これをもとにモーツァルトの「クレド・ミサ」まで話を引っ張るつもりだったのですが・・・時間がありませんでした。
ご容赦を。


 

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2007年12月18日 (火)

JIROさんがわざわざ

家内の一周忌のために、音楽をアップした記事を綴って下さいました。
あまりにもオドロキで・・・
ご好意ですので、こちらを覗いて下さった方にもお聴き頂けますよう、リンクをしておきます。
http://jiro-dokudan.cocolog-nifty.com/jiro/2007/12/ken_db70.html
演奏者まで、私たち一家が好きな方を選んで下さっています。
御礼を申し上げるのに、適切なことばが見つかりません。
夜にでも、この記事内に、家内の好きな歌をご紹介でもして載っけようかと思います。



・・・と、朝、綴って出掛けました。

家内の鼻歌の定番は「私のおとうさん」でして、これはプッチーニさんが作曲した歌です。プッチーニさんと言えば、荒川静香さんが金メダルをとった時に使った音楽「誰も寝てはならぬ(トゥーランドット)」の作者でもありますが、プッチーニのオペラ自体は家内はそんなに好きではなかったように思います。
・・・で、それでも好きだった「私のおとうさん」ですが、これは、私が気に入る歌い方のものをまだ見つけていません。ですので、代わりに、いくつか好きだったものから

を聴いてやって下さいませ。

我が家は家内の生前も、今も、「お笑い第一家庭」でして、屁理屈は私の専門分野、かつ、家族はだれ一人耳を傾けません。
ですので、クラシックの録音の中では珍しく、かつ、この作品の録音の中でもとびきり珍しい、落語による

をも載っけてきます。

「恋とはどんなものかしら」を歌っているのはルチア・ポップ。可愛らしい名歌手でしたが、恋人を作る間もないほどの売れっ子で、
「私もそろそろ恋人が欲しいな」
と親友に漏らした矢先、癌で早世した(と言っても家内よりちょっと長く生きました)人です。家内の歌う声には、知っている限り、いちばん似ているので・・・

「ピーターと狼」で軽妙な語りを聞かせているのは、通なら声だけでお分かりでしょう、古今亭志ん朝師匠です。父、志ん生とはまた違う持ち味の、素晴らしい落語家さんでしたが、64歳で亡くなってしまいました。

でも、お二人とも
「良く死ぬことは良く生きることだ」
(どなたが仰ったか存じ上げませんが)を実践した、「生き方の鑑」だと、今、私は感じています。

歌は親しみやすく、語りの面白さは保証します(本編の方がずっと面白いのですが、長いので断念)。
お気軽に、お耳を傾けて頂ければ幸いに存じます。

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2007年12月17日 (月)

アンサンブル・ゼフィロのCD

モーツァルトのミサ曲は「クレド・ミサ」を残しておりますが、あと少しお時間下さい。



Bunchouさんから興味深いCDをご紹介頂き、それそのものも、ですが、もう一つをもさっそく聴いてみて、たいへん興味深く感じましたので、簡単にご報告します。

ご紹介頂いたものそのものはモーツァルトの作品で、こちらの記事にBunchouさんがお寄せ下さったコメントをご覧下さい。いわゆる「古楽」がお好きでしたら、文句無しに楽しめます。
・・・ただ、私は、弦楽器の「古楽」奏法には・・・主にタルティーニが残している練習曲の書き方などから類推して・・・モーツァルト時代もバロックと同じでいいのかどうか、バロックの奏法も、たとえば早い時期にはアルス・アンティクァ・ケルンが採用していた弾き方でいいのか、ということには少々疑問を持っています。
とはいえ、そんなことにとらわれる必要なく(というより、あんまり深く考えないで聴くべきでして、そうして頂ければ)存分に楽しめるのは、保証します。

886971261127同じ団体「アンサンブル・ゼフィロ」が、ベートーヴェン作品もアルバム化していて、こちらは管楽器(曲によっては打楽器を含む)アンサンブルでもあり、なかなか聴けない曲ばかりですので、こちらにもつい手が出ました。

収録曲:(日本語統一表記でなくてごめんなさい)
・Parthita for 2 Oboes, 2 Clarinets, 2 Horns, 2 Bassoons in Es Op.103(1792-93)
・「ドン・ジョヴァンニ」の主題による変奏曲 for 2 Oboes & Col Anglais WoO28 in C (1796-97)
・軍楽のための行進曲 WoO20 (1806?) 古い作品表では「1810?」となっている
・オーボエ、3本のホルンとファゴットのための五重奏曲 変ホ長調(1796)
・三重奏曲 for 2 Oboes & Col Anglais Op.87(1794)
・エコセーズとトリオ in D WoO22(1810)
・ポロネーズ 二長調 WoO21 (1810)
・ロンド(ロンディーノ)変ホ長調 WoO25 (1792)

WoOと付いたものは作品番号無しのもの、すなわち、未出版であったか、非公式(廉価な曲集など向け)出版だったものです。ひとつだけ、最近用いられるようになったHess番号のものも含まれます。

作曲された目的に付いては、もしご興味があればCDをお求めになり、解説をご覧下さい(英語とドイツ語)。

興味深いのは、集められた作品の作曲時期です。
3グループに分けられますね。
・1792-94
・1796-97
・1810

最初の1792-94年グループは、ベートーヴェンがボンからウィ−ンに出た時期に当たります。この時期を前にして、ベートーヴェンはボン大学の学生達に混じり、啓蒙思想に熱を上げたことが分かっています。この時期の作品は、自由なウィットに満ちていますが、品格が備わるには至っていません。

96-97年グループの時期は・・・そんなに隔たってはいませんが、ベートーヴェンが貴族の保護を獲得した時期、かつ、ナポレオンが台頭し始めた時期に当たります。この時期を代表するのは「ドン・ジョヴァンニ」の主題による変奏曲、でしょうが、貴族趣味への迎合を聞き取ってしまうのは私の耳の錯覚でしょうか?

1810年・・・前年の09年に、ウィーンはナポレオン率いるフランス軍に占領されています。ベートーヴェンの作風には、行進曲のみならず、明らかに、軍楽的要素を濃くもっています。

こうした、ベートーヴェンを巡る時代背景、ベートーヴェン自身がそこから受けたであろう精神的影響を、比べながら聞き取ることの出来るアルバムは、知る限り、過去に存在しませんでした。

モーツァルトのほうも、ですが、このベートーヴェンのアルバムも、是非おすすめしたいと感じた次第です。
ベートーヴェンについては最近「第九」の本がまた流行で大量に出始めていますが、資料として読む場合には、ロングセラーであるフリーダ・ナイト「ベートーヴェンと変革の時代」よりも信頼できるものはないと見ています。他の著作は資料の選択が「まず主題を満たす目的ありき」でなされている点、むしろベートーヴェンを(極端にいえばナチ時代にドイツでなされていたのと同じような)色眼鏡で見てしまう危険性をはらんでいる気がします。
・・・読んでお気にいられてしまうのでしたら、これ以上は何も申し上げられませんが。。。

ベートーヴェンと変革の時代 (教養選書 32)

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2007年12月16日 (日)

御礼:家内埋葬・一周忌終了

本日をもちまして、家内の埋葬、併せて一周忌関係の法要を全て終了致しました。
心の支えになって下さった皆様すべてに、深く御礼申し上げます。

大事な人をどう弔うか、というのはたいへん難しいことです。
一年もかかってしまったことで、周りの皆様に大変ご心配をおかけし、面目次第もございません。
ですが、結果的に、家内を囲んできた親族が、それぞれの思いに「こだわる」ことを通じ、どうすべきかを私に考え抜かせてくれたことが、結果的には・・・ベストとはいえないかもしれませんが・・・いいかたちで結実できたのではないか、と感じております。
本日に至りました経緯につきましては、改めては述べませんが、ネットを通じてご助言下さった方々にも、併せて深く感謝申し上げたく存じます。

なお、家内の墓所につき詳しい情報をお知りになりたい場合は、本ブログのプロフィール頁から私宛メールを下さいませ。
その際、
・ご本名
・生前の家内とのご関係
は、恐縮ですが、必ずご明記下さいますようお願い申し上げます。
世情が世情でございますから、失礼ながらご確認をさせて頂かなければなりません。
ご了承、ご容赦下さいますようお願い申し上げます。

以上、取り急ぎ、御礼まで。

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2007年12月15日 (土)

「励まし」はむずかしい・・・

今朝、子供たちの2回目のインフルエンザ予防接種を受けてきました。
娘はそのあと、友達と連れ立って、部活動の後輩を冷やかしに。午後からは一人で志望校のコンサートに行くのですが、
「どこの駅で降りてどう行けばいいの?」
「一緒に行けば分かる」
「やだ、一緒には行かない」
で、地図と経路を印刷して渡したら、
「この電車の乗換駅、○○駅だよね」
「ばーか、こないだ行った時どう乗り換えた?」
「あ、そうだった」
「だから一緒に行こう、って言ってるんだ」
「だから、一緒に行くのはイヤなんだよ」
・・・なんだか「オー・マイキー」の一場面のような。。。

どっちにしたって、一緒には行けないのです。
午後には、私は明日の、家内の法要の準備でかけずり回らなければなりませんから。
それでも、(出来はよくはありませんが)自立心が確実に芽生えている10代半ばは、まだ心強い。

昼食はカップヌードルで済ませることにしていましたが、それを買いに行って帰って来てみると、息子の方は、だらだらとゲーム三昧。
4週間前に捻挫をして、せっかく1ヶ月習って身に付き始めた柔道を休むようになってからは、この調子です。
まわりも、散らかしっぱなし。

ほんとうは、私はこの子を叱れるような立派な父親でも何でもありません。
私自身が散らかしっぱなしですから。
そこは、でも、親の特権とばかりに怒鳴りつけました。

「ゲームばっかりやって、どう言うつもりなんだ!」
「・・・」
「ゲームのプロになるつもりなら、別に何にもいわない」
「ボクは、柔道を一生懸命やって、あとは映画でお笑いを・・・」
「なら、なんでゲームのことばっかり一生懸命なんだ。柔道を休んでいるあいだ、三船十段のDVDも研究するって言うから買ったし、<姿三四郎>も買った。でも、ちっとも研究してなかったよな」
「・・・うん」
「お笑いを本気で研究するって言うけど、いつも見て笑ってばっかりで、見終わるとDVDはその辺にぶん投げっ放し。で、お笑いの何が分かるの?」
「・・・何にも」
「大事に思うんだったら、まず片付けろ。研究するものは本気で見ろ。」
「ごめんなさい」
涙、ぽろぽろ。
「あんたが末は大博士になりたいって言うんだったら一生懸命勉強してT大行かなきゃないかも知れないから、それだったらそう言うふうに応援をする。でも、映画を、って言うんだったら、映画が出来るように応援する。おとうさんは好きじゃないけど、もしボクサーとかプロレスラーになるって言うんなら、仕方ないからそれでもそのための応援を一生懸命する(ファンの方、ごめんなさい)。泥棒するとか人をけがさせたり殺したりするって言うんじゃなければ何でも応援する。お金はないから出来る応援はそんなにないかも知れない。でも、反対、ってだけは絶対に言わない。夢中で目指せることを見つけてくれることのほうが、おとうさんには、いま<ごめんなさい>って言ってもらえるよりずっと嬉しい」

・・・こうやって綴ってみると、よくもこんなに偉そうなことがいえたものだと思います。

あまりに偉そうだから、これは<自戒>になると思いましたので、記しておきます。

息子はこのあと、何を思ったか、和室と居間に丁寧に掃除機をかけてくれました。

自分がこの年齢になっても出来ていない無茶を、ずっと年少の息子にさんざん言って、可哀想なことをしたかな。

言った中身も、中島義道あたりがみたら「嫌いなヤツ」の一人に入れてもらえそうな内容です。

でも・・・私が今出会いたいのは、表がいくら埃や泥にまみれていても、中身が掛け値無しに無垢で一途な、「愛する心」です。
せめて子供たちが自分の中にそう言うものを見いだしてくれるように・・・とは思っても、どう励ませばいいのかは、とても難しいな、と実感しました。

私自身が私をどう励ましたらいいのかも、よく分かりません。
明日が過ぎて、せめて私が「腑抜け」になりませんように。

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2007年12月14日 (金)

これがだめならあれがある

恥ずかしながら、今日も体調復帰ならず、早退でした。
ただむなしい思いのまんまで早退するのも、子供に心配をかけやしないかと思うとイヤでしたから、なにか用事は作れないか、と考えたら、ありました。
明後日が家内の「最後の」埋葬なのですが、当日は外での供養になりますので、取り仕切って下さるお坊さんの住持するお寺さんにご挨拶に行くことにしました。

・・・これがだめならあれがある。

で、おかげさまで、なんとか満ち足りた気持ちで、夕飯をとることが出来ました。

夕食のあいだ、子供たちとくつろいだ空気の中でテレビを見られる、というのは、むしろ、
「一昨日も早退、昨日は欠勤、今日も早退」
だったから、逆に<意地をはることへの諦め>もついたおかげだったかもしれません。



見た番組は、フジテレビの
「 売れなきゃよかった…金曜日の告白SP!大ヒット曲に狂わされた壮絶人生」
でした。
いろんな歌手のかたが、苦労した人生を・・・再現ドラマはシリアスなのに・・・今は笑顔で語れるのが、大変に素晴らしく思われました。
私もそうなれるでしょうか?

自分が密かにファンだった石川ひとみさんも出演。
彼女は、活躍の真っ最中、B型肝炎に倒れました。そのことは知っていました。
ですが、後のことは知りませんでした。
当時、「B型肝炎」は非常に怖がられたウィルス性の病気で、それゆえ、闘病生活ののちに活動を再開した石川さんは、「近寄ると病気が移るぞ」という誤解から周囲に冷たい目で見られ、ことばには尽くせないほどの悲しみを味わったそうでした。
今のご主人は、そんな彼女に変わらない空気で接し続けて下さったかただ、ということで、これはすばらしいことだなあ、とも感じました。夫婦互いに、「B型肝炎」が重荷にならなかった、というのは、私には尊敬すべき姿に見えます。
自分が「うつ」になったのは結婚して何年も後ですし、信頼していた家内でしたけれど、家内の私に対する空気が変わらなかったか、といえば変わったのでして・・・負担をかけているのが何となく分かるのが、私なりに辛かったから。それが家内の命を縮めたのではないか、と思うと、これもまた辛いのです。
それがまた未だに自分の中で悪循環を続けていて、どこかで
「どうせオレはウツだから・・・」
と、捻れた気持ちになっているのかも知れないなあ、と、ついつい反省させられました。

明後日が出来るだけ素晴らしい埋葬の式になるように・・・そのための準備に明日を精一杯充てることで、少しでも自分の中のねじれが解消できればいいな、と思っております。

ちなみに、B型肝炎は「血液」から感染するものですから、風邪やインフルエンザのように空気感染もしないし、接触したから感染する、というものでもありません。これは、現在では常識化しています。ワクチンも開発されています。

「ウツ」は、感染する病気ではありません。単純に「気うつ」に陥るもの、でもありません。正しい表現ではないかもしれませんが、私自身の実感で表現するなら、たとえば「場の空気が読めないことが常識を超えて耐えられなくなる」、心の金属疲労のようなものです。「ウツ」と一括して呼ばれているものが、みな同じ病気なのかどうかも、正直言って分かりません。ケースによってお医者さんの処方も違います。どのくらい続くかも、人さまざまです。
私の中で何がへし折れたのか、は、まずは家内も知っていた、あるプライベートな事件がありましたし、そのために家内が悔し泣きさえしてくれたこともあり、おかげで初めは「発症」を免れることが出来ました。次が仕事上の理由ですが、これになると要素が5つ6つと込み入って来て、このあたりからは家内には見えませんし、私も表現しきれませんでしたし、家内を混乱させ始めていたかもしれません。
いまは、もう、
「あんたがいない、そのことで起こるいろんなトラブルが耐えられない」
だけに理由が限られています。だから、明後日、
「いや、もう、そんなもんは吹っ飛んだよ、大丈夫だよ」
そう、墓前で言ってあげられるように・・・
それがどんな結末であっても、それで決着がついたものとして、すっきりと割り切れるよう、心の準備をしておきたいと思います。



自分のことはともかく。

以前(11月2日)、<ミュージカル「明日への扉」>という記事を綴りました。
このミュージカルの情報を提供なさっていたMさんが、「骨髄移植」の人たちを励ます歌が出来たことについて、また紹介なさっていました。
下記リンクにて歌を聴くことが出来ます。

私は骨髄バンクに登録している者ではありませんので、おこがましいのですが、歌は骨髄を必要とする病気の患者さんばかりでなく、私のような者にとっても、たいへんに心を明るくしてもらえる歌で、是非たくさんの方に聴いて頂ければと思っております。

「YELL(エール)」 by Sirene
  URL http://medicina-nova.com/yell.htm

なお、ミュージカルの記事の方は、恐縮にも、
「【 骨髄移植 】についての最新のブログのリンク集」
でリンクを貼っていることを、本日知りました。

この記事は私にとってはMさんやそのお友達の思いの一端をご紹介する程度の意味しかありませんでしたので、この場でMさんたちにお伝えし、あらためてMさんの元情報に感謝をさせて頂きたいと存じます。

「エール」、是非、お聴きになってみて下さい。

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2007年12月13日 (木)

「愚か者」であってはならない

体調もすぐれず、前々日から「顔色が悪い」と職場で気づかっても頂いておりましたので、今日は仕事を休みました。

寝ていようと思いましたが、いろいろな愛憎・苦楽が頭の中を横切って行き、「愚かしい」と思いつつも、仕方が無いのでそれに身を任せ、過去に自分がブログに綴ったことを読み返し、付けた音楽に聴き入り、今年の前半までに娘の進路を思って方便に綴ったつもりだったとおぼしき「おべっか」記事をいくつか削除し、最近選んだ音楽のいくつかに自分なりにもう一度耳を傾け、恥ずかしながら涙も流し、それからようやく、なんとか眠ることが出来ました。

昼をだいぶ過ぎてから目が覚め、遅い昼食に立ち食いそば屋へ行き、それからコーヒーショップで、昨日から<よりどころ>と思いつつ読み続けていた本の続きを夢中で読み、さっき帰宅しました。子供たちが先に帰って来ていて、楽しそうに過ごしているので、安堵しているところです。

標題は、<よりどころ>と思って読んでいた本の、あとで引用する言葉が出てくる箇所の章の副題の一部です。

その他に、まだ独身の頃、悲しい時にはいつも繰り返して読んでいた「ヨブ記」にも目を通しました。
これは、その中でも、特段、核心となる部分の言葉ではありません。

 なぜ、私は胎内で死ななかったのか 
 腹を出てすぐ息絶えなかったのか
 なぜ、二つのひざがあって私を受け
 なぜ、二つの乳房があって私に乳を飲ませたのか
 それがなかったらいま私は
 静かに横たわり
 安らかに眠っていただろう(第3章11-13)

 もし私の激しい思いをはかり、
 同時に他のはかりのもう一つの皿に私の不幸を置くなら
 それは海の砂よりも重い
 だから、私はうわごとを言ったのだ(第6章2-3)

 私自身は正しいと思っても
 私の口は自分の罪を告げ
 申し分のない者だと思っても
 口は自分が悪いと述べる
 私は罪なき者か。もう自分では分からない(第9章20-21)

 私に慰めを与えてくれ
 私が一言いうのをゆるしてくれ
 話して後ならからかってもよい
 私が嘆くのは人に向かってだろうか
 いら立つには理由がないと思うのか
 あなたたちは私の方を向くとぎょっとして
 口に手を当てる
 私自身もそれを思うと恐れ
 この体はおののく(第20章2-6)

こうしたヨブに、神は(読みようによるでしょうが)実に謙虚に、こう口を切るのです。いつ読んでも、私はこの部分には驚愕を覚えざるを得ません。

 そのとき、主は、嵐の中からヨブに話しかけられた。
 「思慮のないことばで
  私のはかりごとをかきまぜるのはだれか。
  おまえは、勇士のように帯せよ
  私が尋ねるから、教えてくれ」(第38章1-3)

一見強いことばに見えますが、神が神自身に、「ヨブの答えによってははかりごとを見直さなければならぬ」、と、強烈に自問をしてさえいるのです。

さて、これに対するまっすぐな答えではありませんが、原始仏典のシャカのことばの中に、次のようなものがあります。この言葉を「倫理=道徳」からではなく、「論理」の側面から把握に努めている本があって、引用文にはその書物で出会いました。で、今日の標題はその本がこの言葉を扱った章の副題から抜き取ったものです。

 心があらゆる方角にさまよいいくとも、
 自己より愛しい者にたどり着くことは決してない。
 同じように他の人々にとっても自己は非常に愛しい。
 それだから自己を愛しく求める者は他を害してはならない。

聖書の引用は講談社版を用いました。

シャカのことばは、「ブッダ論理学 五つの難問」石飛道子著 講談社選書メチエ335 130頁にあります。

以上について、私なりにどう受け止めたかを記すべきでしょうが、それに代えて、音楽を一つ、お聴き頂くに留めようと存じます。


演奏:ヘルムート・ヴァルヒャ Deutshe Grammnophone UCCG-5036

ついでながら、今日12月13日はキリスト教会暦では「聖女ルシアの日」です。ルシアは目に障害のある人を守護する聖人です。伝説にもよるのですが、何よりも、彼女の名がラテン語で「光」を表すLuxに由来するから、でしょう。


ブッダ論理学五つの難問 (講談社選書メチエ)Bookブッダ論理学五つの難問 (講談社選書メチエ)

著者:石飛 道子
販売元:講談社
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バッハ:オルガン名曲集Musicバッハ:オルガン名曲集

アーティスト:ヴァルヒャ(ヘルムート)
販売元:ユニバーサル ミュージック クラシック
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2007年12月12日 (水)

「であるべき」はずは、ない。

昼間の今、まだ一生懸命働いている人、ごめんなさい。
夜になって読んで下さるだろう方、ごめんなさい。

夕べは9時に寝ました。今日を早引けしないで済ませられるように。

でも、あーあ、今日で5日連続早退です。
体が言うことを聞きません。
「無理しちゃいかんよ」
「はい・・・じゃ、帰ります。」 (T_T)

帰宅の電車で、寝過ごしました。
立ち食いそば屋で、テンプラそばを食いました。

なんでもいい、よりどころがないか、とふらついて、本屋で一冊の本を買いました。
家にたどり着いて、屋内に干してあった洗濯物をベランダに干し直しました。
布団を敷いて、横になろうとして、時代劇でバッサリ斬られる敵役と同じ気分になって、胸の内で叫びました。

「無念!」

つい、胸の内でそう言ってみて、
あれ? でも、これって、変だよな、と思いました。

「無念!」
と言って死ぬ、敵役の侍は、この世に未練があるんでしょう?
なのに、どうして「無念」なの?

「無念」というのは、文字通りだったら、「念ずること、無し」でしょう。
つまりは、未練なんてあったらおかしい。

つい、国語辞典を見ちゃいました。
一つ目の説明には、「ひどくくやしくおもうこと」とあります。
これは、文字に即していません。
「無念」に「念」があるべきはずがない。
「無念」が「未練」であるべきはずは、ない。

二つ目の説明のほうが、正しいと思いました。
「心に浮かぶさまざまな思いを捨て、何も思わないこと」

そうだよな。
他に今かかえている、どんなことだって、どんなものだって、
あるひととおりのこれ「であるべき」はずなんか、ない。

なのに、なんでこだわるのか。
「こだわり」が、私をかえって、健康から遠ざけているのではないのか。
夕べ早寝しようがしまいが、今日は結局こういう結果だっただけなので、未練に思う方がおかしい!
・・・と、割り切ろう。

「無念」で眠れるのは、子供が学校から帰ってくるまでのあいだだけだし。
何も思わないで、寝させて頂きます。

・・・家内の最後の埋葬まで、今日を含めてあと5日です。それをのりきれば。
・・・寝る前に思いが残るとすれば、このことだけかな。

かしこ。

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2007年12月11日 (火)

苦しみの時は幸福のとき

さて、脇道に気をとられず、ほんとうに、「生」の方を向いて行かなければなりません。
亡妻の骨を埋めてやり終える前に。

だらしのないことに、私は先週末以来、「ウツ」ぶり返し状態です。御者(=家内)不在になってから抑制が利かなくなった、いろんなつまらんこだわりや感情で、折にふれ自分で自分をそういう方向に追い込んでいるのですから、大馬鹿者です。今日も午前でダウンしました。
でも、後ろ向きに、そのことをウダウダ考えるのはやめておきましょう。もう4年、引きずっていることです。そのときそのときの引き金が違っているように見えても、根っ子は同じ。一度陥った「心のバランス崩壊」から回復できないでいるだけです。

「頑張らないでいいんだよ」
家内は毎朝そう言って出掛けてくれたのでした。今は、それを自分で自分に言わなければなりません、もとい、「なければならぬ」はマイナス思考ですから、自分で自分に言えばいいし、言いたくない日は言わないまんま出掛けたっていい、ということにしておきましょう。

家内曰く、
「人間万事、塞翁が丙馬(ひのうえうま)だからさ、ハハハ」
「それを言うなら、<塞翁が馬>だろうが! 丙午じゃ、向田邦子だよ」
「あれ、そうだっけ」
「そうだったような気がするけどなあ」
・・・掛け合う相手のいない今、これを一人漫才でやるのは、さすがにちょっと恥ずかしいですけれど。
家内は向田邦子の『父の詫び状』が大好きなのですが、なにせ散らかし魔なので、買って来てやったはずなのに
「あのさあ、無くしちゃった」
「しゃあないなあ」
って、買って帰ってやると、
「ごめん、またどっかいっちゃった」
最低、3冊は買ってやったかなあ。でも、いまだに、1冊も見つからない。持って行っちゃったのかな。



信仰の話を、というのではなく、純粋に、今日、心に響いた言葉を記しておきます。

仏典や旧約聖書が有象無象なのに対して、新約聖書は大変に良く編纂された書物だと思います(※)。
叔母が修道女だった話を、前にチラとしましたが、私自身はキリスト教徒でもないのに、叔母の面影をみるようで(残っている写真は写りが悪いのですが、私の家系には珍しい、大変な美人でした)、子供の頃から福音書や使徒行伝を読むのは好きでした。
ですが、パウロの手紙となると、難しくて手が出ず、少し大きくなってから、かじる程度に眺めただけでした。
ですので、この言葉を知りませんでした。

どんな文脈で出てくるか、については省略します。
ですが、「弱っている<生>」に向けて、これほど強く正面から呼びかけてくれる言葉があったとは。

「私は弱い時に強い」・・・(コリント人への第2の手紙、12-10)

・・・私は、というと、
「弱い時には弱い。強い時は、あるのかなあ・・・ありゃせんなあ」
なのであります。

ですから、せめて、パウロのこの言葉を糧にしましょう。

さて、明日こそ早退しないですむように、ZARDでも聴きながら早寝しよう!
彼女の残した歌の言葉も、素晴らしいものばかりですものね。



(※ 外典の問題は旧約聖書同様に存在しますが、そんな話は野暮なのでよしました。)

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2007年12月10日 (月)

感じあえる?(共に聴くということ)

まず、奏でること。
ついで、音楽を「読む」こと。
※最後に、評価すること。

それらを考え直すことで、自分を慰めようとして見たのかもしれませんが、最初の二つを綴っての後味は・・・「ああ、オレってやっぱり分かってないなあ」という嘆かわしい気分の方が大きいかもしれません。「最後に」することは、「評価」ではない。発想の最初から、ストーリーを間違っていたことになります。心からお詫び申し上げまして、いちおう、今回考えた3項目を締めくくりたいと思います。



またまたヤマカズさん流の大袈裟な表現になりますが、
「愛し合える」
ということは、補いあえる、ということだったのかな、と、いまは痛感させられる日々を送っております。
家内を亡くして、結婚前に周りの人が私のことを
「だけど、あの人、面倒そうだから」
と言っていたのを一笑に付していた彼女の、私にとっての大事さが、日々、胸に突き刺さってきます。
独身時代に舞い戻ってしまって、直情径行への抑制が利かなくなっている自分に気が付き、愕然としています。


ここに悲しみを綴り続けた日々もありましたが、それで精一杯で、正直言って「悲しみ」に浸る時間はそれしか許されませんでした。今月に入るまで、子供たちのことは別にしても、これほどかかるとは思っていなかったのですが、一年間、家内の死をめぐっての事務処理や折衝に追われる日々でした。で、夜にようやくブログを綴ると、あとはポツンとした気持ちで位牌に手を合わせ、朝はまた、一応は心を新たにするつもりで位牌に手を合わせ、尊敬する人物の一人である法然という人が遺書として残した文句(意訳しますが)
「権威者が示したものでもなく、学問で得た知識からでもなく、ただバカになりきって祈りなさい」
を、朝晩欠かさず唱えるのが唯一の慰めでした。慰めの短い時間が終われば、明日のために充分眠らなければならないし、今日のために(「ウツ」で情けない状態にはありながら)立ち上がって出掛けなければなりませんでした。

事務も、供養も、あと数日で一段落します。
そうなってみると、ところが、上のたいへん素晴らしい言葉も、慰めにならなくなってきてしまいました。「信じる」心の薄さゆえ、だと思っております。・・・所詮、自分はそれだけの「コップ」なのです。

「信じる心の薄いのは、むしろよいことだ、いつか濃くなれるのだから」
法然さんは、他のところでそんな言葉も残しています。・・・ですが、それすら頼りにして良いのかどうか、今の私には、まだまだ見えません。

人と「思い」を共有する・・・ある部分は大人になって割り切って・・・という能力が、如何に自分には欠けているか、を思い知らされるばかりです。
家内が、どれだけ見事に、そんな私の欠点を補ってくれていたかを、痛いほど感じます。
・・・家内のために、私は何が出来たでしょう? 出来ていなかったとしたら、「愛し合っていた」などと言う資格は、私には無いのかもしれません。

自分が自分の欠点に直面せざるを得なくなってみて・・・仮に家内の魂が「かばってやろう」と手を出そうとしても、それは神様が、仏様が、お止めになるでしょう。
芥川の「蜘蛛の糸」を、思い浮かべて頂ければ、この辺の機微はお分かり頂けると思います。
奇しくも、女流作家ラーゲルレーブ(「ニルスの不思議な旅」の作者)が残した<キリスト伝説集>に、「蜘蛛の糸」と実によく似た物語が描かれています。聖者ペテロが、地獄の母を救おうとして、やはり1本の細い糸を垂れたのだったかな・・・その糸を見たとたん、けれど、ペテロの母は、あとから一緒によじ上って来ようとする亡者を押しのけ押しのけし、悪態をつきまくるのです。その結果どうなったか、は、「蜘蛛の糸」と全く同じです。

家内の魂に向かって、神仏はこう言っていることでしょう。
「あいつを、おまえから卒業させなければならないんだよ」



「卒業」というのは、学校で形式的に成されるものであっても、大変に貴重です。
ここ2回挙げてきた、ヴァイオリンの演奏は、それぞれの奏者にとって、「録音をし、発売する」という、卒業の一つの形態でもあります。
ですが、中には
「え? これで本当に卒業したの?」
というものもありましたし、
「いったん卒業したのにやり直してみました」
「あのー、前の方がお人としては素直かと存じますが・・・」
というのもありました。
「今時点での私はここまでです。次のステップのためにも」
・・・それが、最も良心的な演奏だった、と私は感じるのですが、どうでしょうか?


最初の件を綴った時、ヒラリー・ハーンの弾いたバッハの例を挙げました。
それが「オイストラフの音に最も近い」という綴り方もしました。
ですが、実際には、ヒラリーの演奏は23歳としての「卒業」の音であり、演奏です。
もう一度挙げます。

オイストラフ自身が同じ曲の演奏を残していまして、これが私にはたいへん衝撃的だった、ということをも、簡単に述べました。ヒラリーの音には、彼の演奏姿勢に共通する要素が豊富にあります。
ですが、作り上げた音楽は、全く違っています。ここに、それを併せて挙げてみます。

これを弾いているオイストラフは60歳です。
今の音楽観から言えば古くさい、という評価が十数年前にはされていた演奏ではありますけれど、古くさいと評価する尺度がどこにあるのか、と、私はむしろ言いたいところです。
「聴かせる」工夫に、今なお新しい感性、それを充分に実現できるだけの年輪を感じさせられます。
テンポの取り方ももちろんですが、現行出回っているこの作品の楽譜は、実際にはヒラリーの弾いているポジションでフィンガリングが(指使い)施されているのが一般的でして、前にヒラリーの演奏を挙げた時の他の2例も、ヒラリーと同じポジションで弾いています。
オイストラフの音色がヒラリーと違って聞こえる秘密は、フィンガリングの違いにもひそんでいます。彼は、音楽に陰影を・・・とくに、翳りを深めるために、たとえばわざと高いポジションを用いています。ヴァイオリンの1番細い線(E線)で弾ける音域を、2番目の線(A線)で弾くなどしているのでして、これはオイストラフの校訂譜に施された運指の通り弾いてみると、オイストラフが作り上げたのに近い効果が私のような素人でも得られることから確認出来ます(残念ながら、ここに掲げた、CD化された録音では、LPで聴くほどに明確には分かりません。音がクリアに加工された分、かえって効果が不明瞭になりました)。

いずれにせよ、20代前半の「卒業」と60歳の「卒業」を同じに捉えることはできません。

ではありますが、私たちが本当に耳を傾けるべきは、ヒラリーはヒラリーが築いた世界、オイストラフはオイストラフの達した境地、どちらをも「素晴らしい」と感じられるかどうか・・・おのれに備わった「鼓膜の感性」がいかほどのものなのか、という自己の内面なのではないでしょうか? 自己が、感性をどの程度持ち合わせているかによって、私たちは、ヒラリー・ハーンやダヴィッド・オイストラフと、初めて「共に」音楽を聴くことができる。



最後に、日本人ヴァイオリニストとして(いえ、世界中のヴァイオリニストの中で)私が最も尊敬する一人である、五嶋みどりさんの演奏で、
<エルガー「愛の挨拶」>
をお聴き下さい。

この曲は、私が家内と最後に一緒に弾いた曲です。・・・もっとも、それから2年経ちました。
町内会の文化祭に出演を頼まれて、恥じ入りながら弾きました。
家内は音楽の教師のくせにピアノは苦手で、選べるレパートリーが狭いのです。この曲は、ピアノがそう難しくありません。それでも家内は腱鞘炎を起こすほど練習して・・・でも、私にとってはアンサンブルにならない。家内の方が伴奏のはずなのですが、私が家内のピアノに合わせてメロディを弾く、という具合でした。
それでも、別に、私は家内の音楽が好きで家内と一緒になったわけではありませんでしたから、まあ、こんなもんだよな、と、それなりに仕上げてお茶を濁しました。
このときを併せて、家内と二人で演奏した機会は、全部で3回しかありません。
家内は歌は贔屓目ではなく、掛け値なく上手かったと思っていますが、こちらは僕がピアノを弾けないので、とうとう伴奏をしてやることが出来ませんでした。・・・まあ、学校の授業で、生徒さん相手に、存分に歌っていたようですから、諦めもつきました。

音楽教師の妻を持つ、アマチュアオーケストラの団員ではありましたが、家庭に音楽があったわけではありませんでした。
・・・ただ日々の生活だけがありました。
・・・それで充分でした。

だからかえって、この1曲が、寂しさと楽しさの入り交じった思い出の中で、大切に感じられます。

みどりさんの演奏は、暖かさに満ちたものです。

 伴奏:ロバート・マクドナルド 1992年演奏
 SONY SICC 340

私の側に、天使が現実の姿で接していてくれた時間は、15年に過ぎませんでした。
弱い私には、あまりに短かった。

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2007年12月 9日 (日)

「読めば」分かるか?(楽譜のこと)

昨日は、言ってみれば、楽器を「どう奏でるか」について考えてみました。そう言う意味では、音楽そのものに突っ込んだ話にはなっていません。・・・読み直すと、再整理も必要な気がします。
ですが、今日考えたいことの前提ではありますので、ご一読頂ければありがたく存じます。



今日も、私にとって身近な楽器であるヴァイオリンを通じて考えてみます。曲も、やはり、過去自分が悩まされたものを素材にします。


その前に。

いつも屁理屈ばかり綴っている、こういうヒネクレ人間は、およそマンガなんて読まないんだろうな、という印象をお与えになると思います。
その印象は、当たり、です。
でも、何故読まないか、という理由は、奇妙に思われるかもしれませんが、
「マンガを読む方が難しいから」
です。
活字だけ並んだ、標題の小難しい本を読むのは、専門になさっている方は必要があってのことですから、それなりの困難さを伴うはずです。その本が、本当に「価値ある」ものかどうかを見極めなければなりませんから。
ところが、私のような「アホな」一般人にとりましては、活字だけの本のほうが、惰性で読める分、マンガという、作者が違えば個性も変わるのが絵にはっきり現れるものを「読む」より、遥かにラクです。本に書いてある内容をどうイメージするかは、絵が無い以上、私の自由です。分からない個所があれば、読み飛ばしも効きます。で、百頁の本のうち1頁にでも印象深い箇所に巡り会えれば、「ああ、読んで、分かった」と言い切ってしまうことも、素人ゆえに許されます。「分かった」と思った一つの言葉さえ覚えておけば、それをもとに、私が誤解した内容を、(いつもここでやっているように)百行以上の屁理屈に仕立て上げることも、簡単に出来ます。

マンガの方が、むずかしい。

伝える道具としてのマンガは、とても優れていると思います。
今日、用事で出掛けたら、息子が本屋に行っています。
何を手にしているのかな、と思って覗いたら、
<続・ツレがウツになりまして>
というマンガでした。
家内が生前、私の「ウツ」への心配を息子にはずいぶん話していて、たぶん「おとうさんを助けてあげてね」って(ホントにそうだったかどうかは分かりませんが)言っていたせいなんでしょう、まだ家内の生前にも、息子がこの本の正編を買って帰ってきたことがありました。
「続」のほうは、ウツである夫が回復して、家庭を拠点に仕事が出来るようになった、というハッピーエンドです。息子にすれば、そこに、まだ起伏の収まりきっているとは言えない私(父)の姿を重ねあわせるのでしょう。真剣に見入ってくれていました。で、
「おとうさん、大丈夫だよ。君も姉ちゃんも応援してくれてるし。おかあさんもずっと応援してくれてるから」
安心した顔で振り返ってくれた息子に、せめて正面から笑顔を見せてやることが、この子への恩返しだと思って、そうしました。

すみません、話が逸れました。
伝えたい内容・目的が明確なマンガは、子供が小学生でも、内容が誤解なく伝わる。
でも一方で、「ウツ」である私自身には、息子が手にしていたマンガの意味するところはストレートに突き刺さってくるだけに、活字だけで書いてある「ウツ」の本よりも、むしろ入り組んだ思いを抱かせてしまう。絵がほんのりした雰囲気なところにも、作者の単なる画風ではない、「祈り」のようなものさえ感じてしまう。たくさんのことが、いっぺんに、どっと押し寄せてきて、圧迫を感じてしまうほどです。
・・・マンガの持つ「難しさ」とは、そういうものではないか、と思っております。

ついでながら、幕末期の日本人の文盲率が非常に低いことに西洋人は大変驚いたそうですが、当時の文盲率の低さに貢献したのは、「絵双紙」という、マンガのご先祖様のおかげです。
・・・ついで話は、これだけにしましょう。



楽譜というのは、読むための基本知識さえ身につければ、「活字だけの本」にもまして「読みやすい」(20世紀中盤以降となると一筋縄ではいかないものが増えるとはいえ)ものです。
約束事を覚えるのが面倒と言えば面倒ですし、いい演奏を聴けば、聴く人にとっては楽譜なるものの存在そのものが不要ですから、普通には「抽象的で難しい」というイメージの方が強いかとは思います。
このことを、裏側からご覧になってみて下さい。
・約束事さえ覚えれば、漢字や単語・熟語を知らなくても、言葉を知らなくても読める
・「抽象的」というのは、世の中の三角形を全て正三角形で描いてるのと同じ
  =つまり、いろいろな「かたち」が単純なひとつにまとめられているから、
   図柄の違いにとらわれる必要も無い
・・・という理由で、「へんな結論!」と叱られるかもしれませんが、世の中、楽譜ほど読みやすい「読み物」はないのであります。

音楽の種類によって、楽譜のルールに違いがありますので、世界の全ての楽譜(いちばんよく知られている五線譜と、雅楽の楽譜など)を同列に眺めようとするなら、やはり各国語を覚えるような努力は必要ですが・・・そういうことは無視しましょう。どんな種類の楽譜にしたって、それが読めるようになるためのルールは、数学の公式よりも少ない。まして、言葉を覚えることに比べたら、ずっと簡単です。
脱線ですが、「音譜が読めなくてもカラオケは歌える」というのも、ある意味では「カラオケのテロップ」を「メロディ」というルールと一致させるルールを身につけているから出来ることで、これも「楽譜が読める」ことの、一つの変形に過ぎません。・・・このことを語り出すと饒舌がますます止まらなくなるので、やめておきますけれど。



今日挙げるサンプルは、モーツァルトのヴァイオリン協奏曲第3番の第3楽章です。
スコア(楽譜)をお手持ちの方もいらっしゃるでしょうし、ヴァイオリンを弾くかたなら実際お弾きになった経験をお持ちかと存じます。
学生時代、私は偶然に、この協奏曲の、オイストラフの校訂譜を、練習場で拾いました。誰の落としたものなのか、勿体ない、と思って、聞いて回りましたが、持ち主が見つからない。で、しばらく自分で大切に持っていましたが、お粗末なことに、就職してたびたび転居するうちに(結婚前の9年間に6回は転居しました)見当たらなくしてしまい、悔しがっているところです。

モーツァルトの協奏曲の楽譜は3番以降が圧倒的に多く出回っていますが、アマチュアが最も弾きやすいと感じるのは、おそらくこの第3番でしょう。
「読みやすい」楽譜の中でも、とりわけシンプルで(それは例に掲げる音を聞いて頂ければ想像をつけて頂けるでしょう)、つい、「弾いてみよっかナ!」と誘い込まれる作品でもあり、その中でも終楽章がいちばん、楽譜の顔付き(模様)もシンプルです。

それが、弾く人によって、次の3例のように変化します。・・・実は、1例目と2例目は、同じヴァイオリニストが15歳の時に弾いたものと、42歳の時に弾いたものです。






第1例が、楽譜そのものを素直に「読んだ」、素朴な演奏だと思って下さい。
第2例になると、ところが、弾いているテンポ自体が一定でなくなるだけでなく、第1例では単純に弾かれていたメロディが、つやっぽく色付けされている。
ちなみに、この2例の奏者は、アンネ=ゾフィー・ムターです。いまや大変に色っぽい「おばさま」、いえ、「おねえさま」ですが、15歳当時は純朴なお顔のお嬢ちゃんでした。

果たして、もともとが非常にシンプルな楽譜に対して、第2例のように「色目を使って私のようなスケベオトコを誘惑する」演出を施すことが許されるのかどうか、が、今回の<悩みのタネ>です。

結論から言えば、やはり
「シンプルなものはシンプルに」
でなければ、楽譜を「正しく」読んだことにはならないだろう、と私は思っています。
・・・お聴きになってどうか、は、お任せします。ですが、第2例の、作品のシンプルさに似合わないカデンツァ(途中でソロだけが華やかに技巧を凝らしてみせるところ)の存在だけで、ムターはちょっと調子に乗りすぎてるんじゃないの、と言いたい気がします。・・・ヴァイオリンはどう弾けばどう鳴るものか、を知り尽くし、それを高価な宝石の数々に変えて、ティアラやネックレス、ブレスレットに仕立て上げているのですが・・・うーん、私はやっぱり貧乏人なせいなのか、素顔の美しさを損ねてまで身を飾り、化粧する女性には抵抗を感じます。(但し、この第3楽章ではあまり極端には走っていません。本来、第1楽章で比較して頂くべきだったのですが、容量の関係で・・・すみません。ちなみに、ここでの私の見解は、ムター自身が明言しているモーツァルト観とは全く逆のものです。プレヴィンと離婚したのとは何の関係もないことだけれど・・・)

第3例も、テンポに変化があります。ですが、カデンツァでは曲本来の素朴さと釣り合わせていますし、テンポを変える部分も「ここにモーツァルトの歌の区切りがあるはずだ」という計算のもとでなされていることは理解できます。奏者がクレメル、伴奏がアーノンクール/ウィーンフィルだ、と明かしてしまえば、クラシックをお好きな方には「むべなるかな」と言って頂けるでしょう。
全集版の楽譜では、モーツァルトのスタカートを「・」と「'」に明確に区分していますが、クレメルらの演奏はそれに9割方忠実に従ってもいます。「大人の・妖艶な」ムターの方は、無視しています。これも、一つの尺度にはなろうかと思います。クレメルらの演奏が、許されるギリギリの線上にある、と、私には思えますが、いかがでしょうか?

昨日に引き続き、なかなかうまく言い尽くせず恐縮なのですが、
「楽譜を読む簡単さ」
「それ故に陥りやすい危険」
という二句をキーワードにして、何度かお聴き比べいただく時間をお取り頂ければ幸いに存じます。

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2007年12月 8日 (土)

伝わる? 受けとめられる?(演奏とは)

私たち人間は、「言葉」でものを理解しあいあいます。でも、「言葉」で伝えられないものもあります。「言葉」では強すぎるものもあります。「言葉」では偽りになってしまうものもあります。

「伝わる」ことはまた、一方通行でもあります。伝えたい「私」は、私の体でしか伝えられない。「受けとめる」相手の心を知った上でやることではない。ですから、基本的に、思いやりに欠けます。

受けとめる「私」も、私の体でしか受けとめられない。昨日の話題に即して言えば、受けとめるべきこと、相手が、私という「コップ」に収まるだけの大きさかどうか・・・それは、自分の内側からは見えない。あるいは、私は「高級ワイングラスだ」・「いや、ビール用のコップだよ」・「形はコップだけどワンカップ日本酒の空き瓶さ」・・・そう、決めつけている自意識が、どこかにある。



私が音楽好きになった理由は、本当はいろいろあります。
まあ、いちいち綴ったら自伝になって「偉人」になってしまいますから、よします。
ただ、ひとつだけ、どちらかというと言葉のない音楽(というと特別なロックを除けば、ジャズかクラシックしか選択肢がないのですが)が好きになった理由は、
「言葉が付かない方が感情表現に不自由しないから」
です。
就職して少しのあいだ営業を経験してからは、表向きたいそう「口が達者」で「口ばっかり」になりましたけれど、ホンネを上手に伝えることには今でもたいへん苦手意識があります。窮地に追い込まれないと、言えません。言ってしまうと、相手を傷つける気がします。悲しくなります。
言葉のない音楽なら、そんな思いをしないですむだろう、という甘い観測から、つい楽器に手を出した、というのが、真相でしょう。


ですが、続けてきてみると・・・ここから話は音楽に絞って行きます・・・、私が「好きになった理由」では音楽にはとても太刀打ちできないことが、徐々に分かってきました。

コミュニケーションというものについて、クラシックの、器楽の演奏を素材にして見て行くことで、なぜ「太刀打ちできないか」を浮き彫りにしてみたいと考えているのですが、さて、どこまで出来ますことか。。。

演奏でコミュニケーションが成り立つには、演奏者と聴衆(一人以上の他人格)が演奏を通じて相互関係を築けることが必要です。そのためには最低、奏者は3つの、聴衆は2つの過程を乗り越えなければなりません。

 ※まず、奏でること(奏者)。
 ※ついで、音楽を「読む」こと(奏者・聴衆)。
 ※最後に、評価すること(奏者・聴衆)。
 
・・・こうしてあげてみれば、企業がもう数十年掲げているPlan-Do-Seeと、どこにも違いがないことが分かります。つまり、音楽だけに特別なことは何もない。
ところが、Planの部分には基本的に「奏者」しか関与できないところに、音楽を往々にして「特別なもの」と感じさせてしまう最大の原因があります。
このことについては、いろいろな側面から考えなければならないのですが、今日はあまり思考の迷路に陥るのは避けることとして、奏でずしてもPlanの部分を把握することができるのか、というところに着目するに留めようと思います。

奏でずしてPlanに参画するには、「奏でる」とはどういういことか、を知らなければならない、という制限があります。スポーツ観戦もルールを知らなければ試合のPlanが見えず、それゆえに面白くも何ともないのと、何の違いもありはしません。
ただ、スポーツのようには一般人用のルールブックのようなガイドがないし、それらしい本でも当てになるものは滅多に存在しませんから、入り込むには少しハードルが高いのは避けられません。

今回は、3つあるプロセスのうちの最初の部分に立ち入ることの出来るサンプルをあげてみます。
私はヘタクソなヴァイオリンをひきますので、私自身がかつて悩まされた素材を用いて、簡単な例を「耳にして」頂きながら、少しでも「クラシックの器楽」のポイントをお伝えできれば、と思います。ただし、あげる例は、私が「評価」を述べるのは本来おこがましい、私よりは「腕きき」のものばかりですから、そこは「批評のため」のサンプルではないことは、あらかじめご了承下さい。

同じ曲の演奏を3例あげます。曲はバッハのヴァイオリン協奏曲第1番の第1楽章です。
・・・じつは大学3年の最後の時期に、はじめて真面目に「ヴァイオリンってこういう音がするのか!」と衝撃を受けた(オイストラフの演奏でした)思い出深い曲なのですが、思い出話はまたにします。(オイストラフ、という名前は、是非ご記憶下さい)。






演奏を聴いただけで、それぞれの人がどういう弾き方をしているか、イメージできますか?
「できます」
というのが、正解です。
もし他にお好きなジャンルの音楽や楽器があれば、同じ曲を別の演奏者がやったときの違い、というのは、映像を見るまでもなく想像できるはずです。。。が、残念ながら、ジャズは同じ曲でも違う展開になりますし、ポップス系は基本は同じ曲を別人が演奏したものは存在しませんから、比較のチャンスがありません。
クラシックが、この点ではいちばん分かりやすい。
実際の映像を見てはいませんが、私のイメージできることを述べてみましょう。

たまたまですが、3例とも女性です。で、最初の2例は日本人で、弾いている楽器もストラディバリ(製作年も3年しか違いません)、第3例のみアメリカのかたで、楽器はヴィヨームです。

・最初の2例が、おなじストラディバリという楽器の音だと思えますか?
 思えないとすれば、何故でしょう?

答え。

の奏者は、まず左手は指の「筋力」で弾いているはずです。指の力が追いつかないと、右手に力を入れて補おうとしています。その結果、演奏のフォームが、全般にアンバランスです(音が所々かすれるのは、右手が左手をどうかばったらいいのかを決められずにいるため、弓が弦にあたる角度が一定していないためです。このかたは、弓の一番先端で弾かなければならない時、右手首が逆への字に曲がっているはずです。(皮肉を言えば、ストラディヴァリで30万円分の値段の音しか引き出せないなら、是非、もっとヴァイオリンお弾き方をちゃんと知っている<アマチュア>に30万円で譲って差し上げるのが、このかたの<社会に対する良心>というものでしょう。このかたがそんな天使のような<良心>を持っているかどうかは存じ上げませんが。・・・アマチュアには、残念ながら私のように筋が悪くてはダメですが、隠れ名人が意外にいらっしゃるものです。ただし、既にそこそこお気に入りの銘器はお手に出来るだけの財力もあり、暮らしにゆとりがあるから、精神のゆとりもあるのでして・・・こればかりは仕方ないんだなあ。。。)

ヴァイオリンは、左手に自分の体重が上手く乗っかり、右手は弓が基本的には一定の角度を保っていることで、初めて弦が最大限の振動をします。したがって、大きい音を出すためには、逆説的ですが、左手・右手とも、力が必要十分なだけ抜けていることが必要です。
のかたは、左手にまだクリアしなければならない課題があることを、おそらくご自身では良く承知をなさっています。それをあえて右手でかばうことをしていません。そのため、右手とのバランスが崩れることがありませんから、全般に音に歪みがありません(ほんとは少しだけありますけれど、問題視すべきものではありません)。姿勢も、基本は体を揺すらず、まっすぐに、けれどごく自然に(りきむことなく)立った姿から、左手は、そのまま何も持たずに運べば、掌がご自分の顔に当たる位置にある(はず)。

第1例と第2例には「この曲を<どう読むべきか>」に対する姿勢の違いも反映されていますが、それについては触れません。次回、別の例で触れます。

が、ヴァイオリンの出すことの出来る最高の音の、一つの典型です。

第2例を「美しい」とお思いの方には、第3例は「冷徹」と思われるかもしれません。ですが、ヴァイオリンという楽器は、その音が柔らかいことが身上ではありません。歴史的に、ヴィオールの音では軟弱で「張りが欲しい」が故に生まれた楽器であることを・・・お詳しい方には・・・ご想起頂きたいと存じます。
オイストラフの音は、第3例にいちばん近いものでした。
また、第3例は、曲が始まった瞬間から、音楽を最後に至るまでの全体として一気果敢に演奏している点でも、最も優れた演奏であるということになります。
表現云々、からではなく、音の質を聞き通すことで、この点をご確認下さい。
終始一貫して音質に変化が無く(音色には当然工夫を凝らしています。音色と音質は同じことを表した言葉ではありません)、左手にはどの指にもムラなく体重が乗っていて音程によるゆるみがありませんし、右手がかなり正確な「等速運動」をしています。そのため、弓の「バネ」が最大限に活かされ、張りと弾みのある音作りが実現されています。姿勢は、第2例よりは、ややバレリーナに近い緊張が体を貫いているように想像されます。

・・・表現がヘタですみませんが、どうでしょう、演奏している姿が、音からだけでも、少しは見えましたか?

第1例、第2例の演奏者が誰かは当ててみて下さい。
第3例は、ヒラリー・ハーンです。今年27歳かな? 4年前の演奏ですが、妬ましいほど、年齢相応以上に完成しています。

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2007年12月 7日 (金)

コップはコップ

「あんたは、まっすぐ前しか見えないんだから!」
子供のとき、よく、親からも先生からも説教されました。
<猪突猛進>、というやつです。
が、「三つ子の魂百まで」で、この性格が、なおりません。だから、しょっちゅう事故は起こすし、モノもこわす。いろんなかたに<急がば回れ>・<深呼吸!>、とお教えを乞うのですが、身につかない。
ダメなもんは、ダメなようです。

<猪突猛進>野郎は、人様にとっては大変迷惑な存在です。でも、治せるだけ「賢く」ない。
説教されるときは、決まってこんな会話でした。
「このコップを御覧なさい」
「はあん・・・」
「どんな形、してる?」
「コップの形じゃん」
「良く見なさい。上から見れば丸、横から見れば四角」
「斜めから見たら、丸でも四角でもないじゃんか」
バカ一筋の私は、いつもそう反発し、とうとう、親にも先生にも匙を投げられました。

けれど、私が欲しかった答えは、

「コップはコップでしかないんだよ」

だったのかもしれないなあ、と、今にしてつらつら思います。
それが私にとって嬉しかろうと悲しかろうと、つまらなかろうと楽しかろうと、
「コップはコップ」
ただ、それだけ。

それでも、大きさで限りはあるかもしれないけれど、中に入れられるものは何でも入れていい。コップはコップでしかない代わり、そういうことが、許されている。

そんな「コップ」で奏でられる音楽です。
Bruno Hoffmann VOX ACD8174

高級なグラスに水を張って、グラスの縁と奏者の指を濡らし、縁を撫でるとこういう音が出ます。

高級なグラスじゃないと出来ないのでは? と思われるかもしれませんが、ある程度ガラスが均質な厚みであれば、その辺の安物のビール用の「コップ」でも音が出ます。
・・・澄み切った音です。 忘年会で「KY」に陥ったら、一人で楽しめます! お試しあれ。

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2007年12月 6日 (木)

祈り〜美しいものとそうでないものと

人が人のために「祈る」姿を見ると、美しいと思います。母親と家族が神社に赤ちゃんを連れて行き、みんなでその健やかな成長を祈るのも。
でも今、自分自身が、自分自身を満たしたいが故に祈っているのだったら「私は、醜い」。

私は、醜い。

教会歴では、クリスマスの前に必ず4回の日曜日が来るように、降臨節(アドベント)第1日曜日の祈りを設けています(正教系以外)。その日のための歌です。バッハの編曲したオルガン小品と併せてお聴きになってみて下さい。・・・もう4日遅れなのですが。

DECCA UCCD-3230

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2007年12月 5日 (水)

KYオヤジ、フィドルに酔う

2日前の記事に、キンキンさんから素晴らしいコメントも頂けましたし・・・
今日は、能書きは、ヤメ。



きのう、ドラマを見ていたら、その中でさかんに「KY」って言葉が出てくる。
で、子供らに聞いた。
「KYって、なに?」
「えー、知らないの? 見てりゃ分かるでしょ!」
「わかんねーよ」
「・・・おとうさん、KY!」

朝の出がけにも、
「KYとうさん、行ってきます!」

で、職場でわけの分からんことを口走っている自分も、やっぱりその「KY」ってやつなのか。
なんだか熱っぽいみたいだから、新手の病気の名前なのか。

いつものように五百円玉一つ握って、松屋で「豚丼」を食っていたら、なんだか自分の脂身を店の人がさばいてくれて、それをお客さんが喜んで食べているような気がしてきた。で、同じものを喜んで食っている自分の、この症状が「KY」なのか?

でも、病院で治療が出来る、とは聞いたことがない。
とりあえず、これもいつものように、豚丼のおつりを握ってドトールへ行き、コーヒー飲みながら考えた。
「KYって、どこ行きゃ薬があるんだ?」
薬局にはなさそうである。

とりあえず、銀行へ行く、と言い訳の用事を作って、駅の方へ行ってみた。
駅の方へ行けば何かわかるかな。駅で分からなければ、電車に乗ってどこかへ行ってみれば分かるかな。

そうしたら、駅前に、フィドル(バイオリン、なのだが、クラシックじゃなければフィドルと呼ぶ)とアコースティックギターと電子ドラムの3人バンドがいた。
フィドル弾きとギター弾きは外人さんで、顔つきが似ているから、兄弟なのだろう。
ドラムは20歳になったかならないかの日本人の女の子だった。

上手かった。

お客も周りにいなかったし、最初は、一人で食い入るようにバンドの3人に見入り、聞き入っていた。
坊主頭のフィドル弾きは、太くてごつい指をしているのに、腕の位置をぴったり動かさないまんま、千変万化のアイリッシュなメロディを繊細に奏でる。それに合わせるドラムは、実に威勢がいい。髭面のポニーテールのギターは、そんな二人に静かに寄り添っている。

上手かった。

気が付いたら、後ろに黒山の人だかりが出来ていた。

手作りのCDを売っていた。思わず1枚、買ってしまった。

演奏が終わって、人がいなくなってから、フィドルの彼氏と少し喋った。
「あなたの左手は、見事だなあ。どっかで勉強したんですか?」
「いえ、自分で」
「歌も歌ってらしたけど、Traditional Song?」
「そう」
「いつもこのへんでやってるんですね」
「ハイな。また聞き来てクダサイ」
「仕事サボって、来るね」

熱が下がった気がしたけれど、事務所に戻ってもなんだか「KY」。
フィドルの見事さに酔ったのか? それともこれは風邪の一種か? あるいはハシカかなんかか?
周りの人にウツしてはいけませんな。
仕方ないから、仕事の区切りのいいところで早退。
風邪薬を買って帰ったら、娘が夕食の準備を終わらせてくれていた。
食卓に乗っていたのは、またしても豚肉。
・・・ああ、KY。なんなんなんなんだ!!

風邪薬飲んで、寝ます。
明日はガス屋さんが点検に来るし、そのあと娘の進路面談だし。
その場で「KY」でいるわけには、さすがに行かないでしょうから。

何綴ってるんだか、自分自身にKY。

早めですがおやすみなさい。

読んで下さった方も、何も気にせず、心配せず、ゆっくり寝て下さい。
今日、忘れたいことがあったんだったら、忘れてしまいなされ。

買ったCDを聞いてみたら、今日の演奏とはなんだか違っていたけれど、いちばん雰囲気の近かったものをアップしておきます。


※色の違うとこをクリックして聞いて下さいまし。

※(中年以上の方への註:「KY」=「空気読めねー」です。「危険予知」ではございません。)

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2007年12月 4日 (火)

今を生きる命へ(半端)

昨日は、なんだか死んだ人の話ばっかりになりました。

でも、精一杯生きても「不幸」な死もあったとして、死の表面だけで「不幸」と決めつけられないのは、私の近所のお嬢さんや、叔母のことからも察せられることです。

で、目を「生きているいのち」の方へ転じなければいけません。

それをまた、ダラダラ綴るつもりだったのですが、ふと、とある恩人のお嬢さんが新婚さんで、そのかたへ、私の属するオーケストラの録音のCDを送ろうとして止まったまんまなのを思い出しました。

恩人の方にはお送り済みなのですが、なにせ、この前の演奏会は、私の家内、大切な団員だったHさんの死を踏まえての演奏会だっただけに、ちょっと新婚さんにそれだけ送るのはどうもなあ、と思っておりました。

で、にわかに、祝婚歌を作ることを思い立ち、9時頃それを始め、今までかかってしまいました。

駄弁を並べずにすんだだけ良かったのかな。
いや、多分、明日は駄弁を綴ります。

出来が良くはないし、本当は気に入ってはいないながら、この音色でないと、パソコンのソフトシンセでは、出したい音が全部でないので、お耳ケガシですが、お聴き下さい。

こんなものを作ってしまっただいたいの経緯は、上に述べた通りです。

明日、その気になれば、少し突っ込んでお話しします。

「其の気になんない方がいいヨ」、って?
・・・そのとおりかもしれません。

3人いれば演奏できるように作りました。(なので、どの個所も、3つ以上の音は使っていません。)

お粗末。

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2007年12月 3日 (月)

つくれない「レクイエム」に代えて

「夕暮れ時はさびしそう」って歌があったな、と思って、ちょっと調べたら、もう32年も前の歌なんですね。・・・私は16歳だったはずです。

最近、朝は、だいぶ元気になったかな。
仕事嫌いの人、雰囲気険悪な職場へ出掛けるかたから見ればヘンでしょうが、しかも、家事の都合で人様より30分も遅刻しての職場着なのですが、それでも、日々ただ呆然と出掛けるのがやっとだった頃に比べると、職場に着いて、そこのみんなの顔を見られることが・・・かつ、まだまだ全うとは言えませんが、事務作業ならなんとか人並みにできるところまで自分が戻れたことが、まずは幸せなのです。

それが、一日過ごすうちに、やはりまだ、心のどこかの何かが回復していないのでしょう、時々なんとか目だたないように、と一応は思いつつ、でもたぶん、気づいている人もいるんだろうな、と申し訳なく思いつつ、廊下の端っこの窓の外をボンヤリ眺めていたい衝動に駆られ始めます。
仕事が少しまっとうになってきたら、健康だった時には思ったことも無いほど「面白い」。それがたとえデータの集計や単純なマニュアル作りであっても。
ですが、一日そんな作業をやったあとは、自分でも「みっともねえなあ」と感じるくらい、ヘロヘロになっています。

まだ残業して頑張っているみんなを尻目に、私は夕暮れ時に、定時で帰ります。
娘が遠出でレッスンしている日なら食事の準備をするのは決まりきっていますが、もし「疲れて寝てる」なんていうのでしたら、冷蔵庫の中身はともかく、家に着いてすぐ食べられる食材を調達してから帰宅しなければなりません。でないと、娘はともかく、腹減り息子が我慢できずにいます。そんなですから、事務所を出て間もなく、家に携帯電話を入れるまでは、まだなんとか、気の張りを保てます。

そこからあとが、でも、何とも言えず寂しい。

電車に乗るのは、ひとりぼっち。
そんなの、誰にとっても当たり前のことなのに、寂しい。
ひとりぼっちで乗っているそのことが寂しいのか?
・・・そうではない気がします。

寂しいのは、なにか、自分だけが、まわりの空気からぽつんときりはなされたような、その感触。

そうやって過ごしてきた日々の中で、今日、職場関係のかたのお嬢さんの、あまりに早い死を知りました。ただし、そのかたとは簡単な面識しかないし、亡くなったお嬢さんのことも存じ上げません。
他にもお子さんがいらっしゃるとはいえ、今はまだ悲しみの直中でしょうが、いずれは亡くなったお嬢さんの分だけ、ご両親のそばの空気が、ふっつりと途切れる。そのときのお寂しさはどんなだろう、と、ふと思いました。

同時に、私の側であった、いくつかの寂しい「死」を、思い出しました。
家内以外の「死」に、もっぱら思いを巡らしたのは、この一年では初めてのことでした。

全部はあげきれません。思い出すと、女の人ばかりなのも妙ですが。

死そのものが寂しかった例。

・美人だった娘さんが殺され、息子さんは事故にあって長い間植物人間になったあとに死に、ご自分は癌で亡くなったおばさん。私が子供の頃、ずいぶん可愛がってくれたおばさんでしたし、事故死した息子さんは、上に兄弟のいない私にとってお兄ちゃんのようでしたが。おばさんを看取った人は、身内ではなかったのではないかな。
 
・「女郎」上がりで荒っぽくて、戦争の後の食糧難では子供に畑泥棒をさせ、盗みに失敗して帰れば折檻した婆さん。・・・死んでも子供さんは葬儀にもやってきませんでしたし、遺体も引き取りませんでした。

・私自身の母方の祖母。とはいえ、母にとっては継母で、しかも、関係が上手くいっていませんでした。死後に分かったことですが、何も知らない母を、自分と同じ戸籍に入れていませんでした。で、私の両親は相続手続きでだいぶ苦労をしました。そのくせ、倒れて入院中には、同室の「わたし、子供がいなくってねえ」という別の患者さんに向かって、「あたしゃ娘がいて良かった」と言った祖母でした。私の夢に出てくる時は、いつも一人で、暗がりにポツンと立っているのでしたが、もう「寂しさ」からは抜け出せたのかな、夢に出て来なくなって十年以上経ちます。


残された周りが寂しかっただろう例

・中学3年のとき転校してきて同級になった女の子。私の本当の意味での初恋の子で、一緒の高校に入る約束までしたのですが、彼女の方は優秀だったので、おそらく学校の先生に勧められたのでしょう、有名校へ入ってしまい、裏切られたと思って私はそれから口もききませんでした。3年後、この子は首つり自殺しました。もう、私のことなんて関係なかっただろうけれど。夕方5時頃死んだのですが、まだ帰宅していないのを承知で、母親に「ねえ、お父さんは?」と訊いたそうです。
しばらく前に、その子の家のあたりに行ってみましたが、アパートに変わっていました。ご両親と妹さんがいらしたけれど、どうおすごしでしょうか。

・以前の職場の、とてもまじめな男の子の婚約者だった人・・・そちら側の人は、知りません。私がその職場を離れる直前だったか、と記憶しています。もうすぐ結婚だ、というので、彼を訪ねて上京し、そのとき歳の近い同僚連中が祝福をしたそうです。雪深い里に帰郷して間もなく、彼女は自動車事故で即死しました。・・・それでも仕事に対する気力を衰えさせることのなかった彼は、私のだらしなさから見れば尊敬に値します。今ではあまり機会がありませんが、電話で話せるチャンスがあると、彼の明るい声に、むしろ私の方が、涙がこぼれる思いがします。

いずれは誰にでも訪れる死です。
「人は生まれる時と死ぬ時はひとりぼっちだ」
と言いますけれど、生まれる時は違います。側に必ず、母親がいます。
死は・・・ほんとうに、自分だけで迎えなければなりません。

それが分かっていても、「死すべき」二人が愛し合って恋人や夫婦になったり、憎みあって別れたり、肉欲のみに溺れてみたり、かと思うと禁欲を良しとしたり・・・「死」を一人で迎えることを、どこかで「寂しい」と思い続けている。

うちの家内の葬儀は12月30日でしたが、町内会で仲良しだった方が、そのときわざわざお香典をお持ちになりました。でも、その後何故か、お会いできません。お礼も出来ずにいました。

春先、私の半狂乱が一段落したころ、雨で子供たちをバスに乗せて帰宅した時、数ヶ月ぶりに奥様にばったり会って、そのとき初めて知らされたこと。
「じつは、次の日の大晦日に、うちの娘が25歳で癌で死にましてね」
こちらは驚きで口がきけませんでしたが、奥様は淡々と教えて下さいました。
「看護士だったんですよ。で、宣告された時には、あと3ヶ月でした。本人も職業柄、余命がよく分かったようです。それからは、毎日、あのこは笑顔で過ごしたんですよ。<お母さん、私、やりたいことがやれて、本当に幸せだった>って。そう言って、最後もにっこりしていました。」

最後の例は、また身内になります。私にとっては大叔母にあたるのですが、母とそんなに歳が離れていなかったので、あえて叔母と呼びます。曾祖父が新興宗教に凝ってお金を持ち出してばかりだったりした、などの理由に反発を感じて、曾祖父としょっちゅう喧嘩をしているところへ、私の母が子供心に喧嘩する姿を見るのがイヤで、一緒に教会へ行こう、と誘ったのだそうです。叔母は、教会に入るなり、そのまま憑かれたように、修道女になってしまいました。修道院で労務中に結核で倒れ、28歳で死にましたが、最後の言葉が「幸せでした」だったと聞いております。
私は中学に入った頃に、祖母と母に血のつながりのないことを知らされてショックを受けましたが、以来、郷里を離れるまで、天気のいい日はこの叔母の墓の脇にちょこんと座っていると、不思議と気が休まったものでした。

寂しさのうちに命を終えた人も、愛する人の「死」のぶんだけ世間の空気から隔てられてしまった人も、どうか、ついには、あなたの心にぽっかり開いてしまった穴を、まばゆくもやさしい光で満たして下さいますように。

・モーツァルトの という歌をお聴き下さい。3分強と、短いです。
(Colin Davis/London Symphony Orchestra & Chorus PHILIPS 464-870-2 no.3)

私が、初恋の彼女をなくしてしまった時に初めて知り、その年の暮、彼女のこととは全く関係のない機会に、私がリクエストしたわけでもなく、ただこの曲を選んだ指導者がいたというだけで、18歳の私もオーケストラの一員として弾いた曲です。

あなたの、悼みたいすべての人のために、お聴き下さい。
同時に、あなたご自身の「いのち」をも満たすために、これは大変に良い歌だと思います。
・・・歌詞なんか分からなくても。

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2007年12月 2日 (日)

12月2日練習記録

大好きなTMFの皆様へ

参加できたのが3ヶ月ぶりとなりましたか・・・たいへんすみませんでした。
この3ヶ月、かつ、自分自身、楽器を手に出来る時間がありませんでした。ヨレヨレでお恥ずかしゅうございました。

そんな私が綴るのは僭越ですが、残念に感じたことを、数点あげさせて頂きます。

1)まず、ご自身のパートを「楽しんで」いらっしゃらないのでは?
  数日前の記事のタイトルにもしましたが、ブラームスの言う通り、
  「音符の一つ一つには、家のように奥行きがある」のです。
  ・・・心を込めて奏でていらっしゃいますか?
  「自分の音はただの部品」
  としか、お考えになっていないのではありませんか?

2)他パートとの連携に傾注していますか?
  仮に自分が譜面から目をはなしたが故に、出すべき音程を間違ってしまったとしても、
  他のパート(こちらが伴奏か、相手が伴奏かを問いません)に耳を傾ける。
  音楽ではなくても、「聞き上手」こそコミュニケーションの最初歩です。
  もう何ヶ月、今回の曲を練習なさいましたか?
  それでも曲のイメージが、まだ、あなたの中に固まりきれていないのでしょうか?
  どうぞ、後1ヶ月の間で、「聞き上手」になることのほうに注意を向け直して下さいませんか?

3)アイコンタクトが少なくて寂しかったです
  アイコンタクトできる相手が少なくなったので、ちょっと悲しくなりました。
  わざわざ「ここはあえて<動きますから>」
  と、見て頂くことを前提に申し上げた後になっても、やはり見て頂けませんでした。
  ・・・別に、この不味い顔を見て頂こうと思ってはおりません。
     ただ、たとえば弦セクションを木管の「音楽の流れ」を揃えたい時に、
     それがうまくいっていないな、と思った時にアクションするのが私の「役割」です。
     本人は「役割だから、せにゃならんよなあ」と思って、意を決してやっています。
     そこでコンタクトを頂けないことは、私の「役割」は不必要と思われているのかなあ、
     失職せざるを得ないなあ、と考えた方が、ほんとうは正しかったのかも知れない。
  明日、職安に行こうかな。。。

4)同セクションのなかでのスタンドプレーは禁物です
  たとえばフィンランディアの冒頭・・・
  「自分のほうが腕が上だ」
  「自分の音の出し方のほうがあいつより正しい」
  無意識にでもそんな(あえて言わせて頂きますが)<尊大な>思いを
  潜在させている方の集まりでは、
  あの冒頭部は絶対に整いません。
  (各自の意識がバラバラなのは聴く人にはバレバレです。)
  どうやったら揃うか、を、お互いがもっと謙虚にお考え頂き、
  ご自身を見つめ直して頂けないものか。
  たいへん憂慮しております。
  これは、弦のようにひとかたまりの集団の中のお一人お一人にも言えることです。
  肝に銘じて、お互い「謙虚に」なりませんか?

5)「音楽」だけが特別なのではありません
  日常の延長の中で、生活の延長の中で、音を奏で、歌をうたっていらっしゃいますか?
  オーケストラとして集まって演奏するのは、確かに「場」としては特別なものです。
  ですが、その「特別さ」は、勤務先の「事務所」が私的空間でないのと同じ程度の、
  その程度の特別さでしかありません。(演奏会本番等のセレモニーの際だけは<特殊>ですが。)
  台所で包丁でリズムを刻むのと同じように・・・
  お風呂場でつい鼻歌が出てしまうのと同じように・・・
  天気のいい日、洗濯物を干しながら、通り過ぎる車の音さえ活き活きと感じるように・・・
  ごく「あたりまえ」に音を心の中に持って、楽器を手にしていらっしゃるのでしたら、
  おのずと「あたりまえ」の音楽が出来上がる。

以上の条件が揃わない限り、真面目に練習するほど「へろへろに疲れ」ます。
「疲れない」ですか? そうでいらっしゃるのなら、私は「疲れない」かたの感性を疑います。

どうぞ、ご一考下さい。

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2007年12月 1日 (土)

信じる:モーツァルト:「ミサ(・ロンガ)」K.262

ここまで読んできたモーツァルト作品の個々へのリンクを作成し直しました。ご利用下さい。


思考に決着がついたわけではありませんが・・・もともと知恵の無い頭でいくら考えても、理解が深まることではありません。いい加減諦めて、作品そのものに首を突っ込みます。抽象的な屁理屈が先行しますが、お読みになってどうお感じ頂けるかは、お委ね致します。


簡単なようで簡単でないのは、「信じる」ということです。 自分自身の内側でだけでも、「自分を信じる」心を保つのは容易ではありません。 まして、「他人」相手であれば、相手の頭の中、心の内には、「私」は絶対に入り込めません。ですから、その人の自分に対する「そぶり」やら「ことば」から、信じて良いかどうかを常に疑いつつ眺めるのが常であります。 では、仮に「自分が」「自分を信じてくれる相手を」間違いなく信じられるようになったとして、「心底信じているよ」と示すことはまた、至難の技です。 「こんなそぶりを見せたら、疑われるのではないか」 「あんなことを言ってしまったけれど、せっかく持ってもらった信頼を崩すのではないか」 内気を自負する人なら、心配につきまとわれることでしょうし、 「もう信じてるんだから、これ以上やりようがないがないじゃない」 と決めつけられる割り切り型の人は、果たして「信じること」が本当に継続できているのかどうか・・・ふとある瞬間におのれを省みると、実は、もう「信じていようがいまいが」関係なくなっている、などということが、ままあります。 果たして、「信じる」心を持たないで、私たちは自己の充実を、生涯の最後まで保つことができるのでしょうか?

「狂信」・「妄信」という危険も、「信じる」ということの中に含まれる危うさです。
「信じる」べき対象は姿もかたちも絶対に変わらないものなのだ、という錯覚が、そこにはつきまとっています。世間に出回る小説や劇の類いは、どれをとっても、この「錯覚」のある側面を捉えたものばかりで、それを巧みに表現しきったものがロングセラーになっている、と受け止めて差支えないか、と思います。
本来なら、この間まで「冗談まじり」でやったように、日常に即した表現で、このことを突っ込みたいのですが、まだそこまですることが私には出来ません。自分自身が「迷える子羊」であり、「煩悩の申し子」だからです。で、小難しくなりますから、以下、適当に読み流して下さい。



「信じる」ということを対象にして綴りながら、宗教や信仰に限定して話したくはないのですが、たとえとしてやむを得ずあげるとするならば、一神教・多神教を問わず、「神は永遠不変のものである」という断言は、かなり特別なケースに初めて言葉にされることでして、ここで言われる「永遠不変」は、実はその「神」が姿かたちを「変えないまま」存在することを意味しているわけではありません。字面でなく、聖典の類いを少しでも深読み(あるいは「捻れ根性」読み)してみれば、そのことは明々白々です。日本人にも分かりやすい「聖書」の例をとっても、「唯一にして絶対の神」が、旧約の世界で様々な姿形で<奇跡>を顕現しながら、その姿は「見えざるもの」である、と主張し続けている点には注意しておくべきです。また、原始仏典の中では、釈尊は「永遠不変」とはいかなるものか、といった類いの門弟の問いに対しては沈黙を保つのが常であったことも、「信じる」とはなにかを示す上で重要な事実です。
以前にも綴ったことですが、新仏教と呼ばれる、今日に繋がる宗派を創始したとされる鎌倉時代の坊さん連中は、ある意味、実際には宗派を超えて同じことを言っています。
「信じることの要諦は、唯、信じる、ということにある。そこには姿も形もない」


そうは言いながらも、「表現者」は、何らかの形で「信じる」・「信じている」ことを「表現」しなければなりません。「表現」には、(私のような小者の例を、ここ数回綴ってきたわけですが)その「表現者」のもつ器の大小に合わせて、ではありますが、小さい器の者は小さいなりに、大きい器の者は(うらやましいことに)大きなスケールで、「信じている」表現の一字一句、一音一画に心血を注ぎます。「信じる」心が間違いなくおのれに根差している限り、出来上がったものがたとえどんなにいびつであっても、完成した暁には、「表現者」自身はその仕上がりに付いて大いに満足もし、また、満足の喜びを経験して少し経った後には、
「ああ、もう少し・・・まだまだ自分は浅い」
真摯に反省もするでしょう。


モーツァルトの一作品を採り上げるのに、なんでこんなに長々と前置きしなければならなかったか。
K.262は、3年前(後で述べますように、実は2年前だったことが判明しました)のK.167のミサ曲以来、久しぶりに彼が書くことの出来た「荘厳ミサ」、つまり、「短く切り詰める必要がなく、伸び伸びと、存分に信仰告白を書き留めることが出来たミサ曲」です。
この時期(1775-6年)の他のミサ曲はみんな短いのに、なんでこんな作品を作り得たのかも不思議だし、それを把握するのも課題ではあるのですが、何より考え込まされたのは、この作品をじっくり観察し、聴いてみた後、私の中に、こんな感想が芽生えたからです。それは、モーツァルトファンからご覧になったら、とてもピンぼけな感想かも知れません。かつ、一見、K.262には何の関わりもない感想です。
「後年の未完の<ハ短調ミサ>は、やはり、モーツァルトにはもはや<作り上げられなかった>のだろうな・・・」

<ハ短調ミサ>というのは、モーツァルトファンには知れ渡っている有名作で、ザルツブルクを飛び出してしまったあとの彼が、父の反対を押し切って妻コンスタンツェと結婚したときに書かれ、父になんとか妻を認めさせるためにザルツブルクへ帰郷した際に(未完のまま)披露されたものです。
書かれた経緯には諸説ありますが、事情はともかく、彼は、このミサ曲をもって、自己の「人間としての」真実の信仰を、父にも兄弟にも郷里の人びとにも何とか示そうと苦悩したのではないか、と思われてなりません。そのとき、しかし、彼はそれまではすらすらと書けていたミサ曲が、じつは条件反射的に作れる技術が身に付いたおかげで完成し得ていたことに、あるときはた、と気づいたのではないのかなあ、と、K.262を聴くうちに、ふと私には思えたのです。いわば、技と才能では、本当に自分の内側にある「人間性」は表しきれない・・・そういう壁に、モーツァルトは結婚して初めて、創作面でもぶつかることになったのではないか。

いまはK.262(長い、かつ下記のように入り組んだ構造をしているために「長いミサMissa Longa」と呼ばれています)を採り上げるべく綴っているのですから、<ハ短調ミサ>についてふと抱いた感慨に付いて記すのはここまでとします。



といいつつ、前置きばかり長くしてしまったのは恐縮なのですが、K.262そのものの、本当はもっと触れるべきであるところまでの深入りは、しません。際立った特徴がないから、というのではなく、この作品でのモーツァルトの姿勢には、言葉にし難いほどの一貫性があるからです。ここに、迷うことのない彼の「信じる」心が表現されていることが、逆に先程述べたような<ハ短調ミサ>への感慨を私に及ぼした次第です。

まず、作品の成立年月ですが、従来(NMA【新モーツァルト全集】)の解説でもアインシュタインやド・ニの記述でも)1776年5月、とされています。
ですが、第二次大戦の際にベルリンからチェコのクラカウに避難していた大量の文化財が1980年に再発見され、その中にモーツァルトの自筆譜も数多く含まれていて(その中から「エクスルターテ・ユビラーテ」や「ジュピター」の自筆譜も見つかっているのですが)、このK.262のミサ曲の自筆譜も姿を現わしました。新全集の校訂譜が1775年に出版された5年後です。
自筆譜の鑑定の結果、実はこのミサ曲は前年1775年の6月から7月にかけて既に作曲されていたのではないか、との見解が有力説として出されており、コンラートの作品表(および西川「モーツァルト」【音楽之友社】)にはその年月を記し、「もしくは1776年?」と注記をしています。
1775年に作曲されたとなると、アインシュタインが本作について述べている次の記述は、アインシュタインの発言とは異なり、<確実>とは言えないことになります。
「(1776年5月という作曲の)日付は外的ならびに内的理由から推して、かなり確実なものである・・・(中略)長さと楽器編成は、このミサ曲が本寺(註:ザルツブルク宮廷カテドラル)での使用に予定されたものではなく、おそらく聖ペーター教会のためであったことを立証しているのである。当時出来上がったばかりの豊かなロココ建築は、この曲にふさわしいものであった。(白水社訳書p456)」

自筆譜に基づき、2005年に出版されたCarus版では、新全集には加えられていたトロンボーンパートが削られ(但し、演奏上はトロンボーンが合唱を補強した点は否定していません)、アーティキュレーションや通奏低音標記に変更が施されていますが、比較してみると、自筆譜未発見のまま作成された新全集版に本質的な影響がある部分は皆無と言ってもいいほどで、むしろ新全集版の校訂作業の確かさに感心させられます。(Hosanaの語のみは、Osannaと、表記が変わっています。)

各章の構成は以下のとおりです。明示しない限りハ長調です。

Kyrie:Allegro(4/4)、呈示部1-42、展開部43-56、再現部57-81、コーダ82-83のソナタ形式
    冒頭が器楽だけの序奏である点は74年のK.192(小クレドミサ)の手法を踏襲しています。
    合唱は序奏部のテーマの短縮型を基本として作られているのは新手法です。
    かつ、合唱は二重フーガ(密集フーガですが)として開始されます。
    
Gloria:以下のセクションが「切れ目なく」演奏されます。
(Gloria):Allegro con spirito(4/4)1-39(独唱部分は二度上、二度下開始のカノンを含みます)
(Qui tollis peccata):Andante(3/4)40-69ト短調-ニ短調
=主題は全曲を締めくくる"dona nobis"のもの
(Quoniam tu solus Sanctus):Primo tempo(4/4)70-130=Cum sanctum以下はフーガです。

Credo:以下のセクションが、「各箇所独立して」演奏されます。
(Credo):Allegro(3/4)1-84(主題の異なる3部の構成)
(Et incarnatus est):Adagio ma non troppo(4/4)85-108
ヘ長調のカノン的手法をとった四重唱に始まり、
「十字架につけられ」からハ短調のフーガによる劇的な合唱となる
(Et resurexit):Molto allegro(4/4)=キリストの復活を輝かしいホモフォニーで歌い上げる
(Et in Spiritumu Sanctum):allegro(3/4)109-281、
=ソプラノのソロと合唱の掛け合い。田園的な雰囲気
ただし254小節からはハ長調、最後の2小節間は4/4でAdagip、ハ短調をほのめかす。
(Et vitam):(テンポ不明記ですが、アラブレーヴェの速い、長大なフーガです。)282-405

Sanctus-Osanna:Andantino(3/4)1-40
Benedictus(Osanna):Andantino(3/4)41-60へ長調
=ベネディクトゥスとホザンナが合体している、珍しい作りですが、そのことにより
 伝統的な素朴な「田園的雰囲気」に留まることを回避している点に注目しなければなりません。

Agnus Dei:以下のセクションが、「各箇所独立して」演奏されます。
(Agnus Dei):Andante(4/4)1-29
(dona nobis pacem):Allegro(4/4)、
呈示部30-49、展開部50-64、再現部65-84、コーダ85-106のソナタ形式
驚くべきことに、単一主題ですが見事なソナタ形式になっています。

以上、機械的に記すと何の変哲もないようですが、Gloria第2部の主題が全曲の最後を締めくくるのと同じ動機を用いている点や、Kyrieおよびdona nobisでソナタ形式を用いるということによっても、音の表面だけには現れない「統一の試み」があるのに注目しておきたいと思います。

また、Sanctus楽章は極端に言えば「交響詩」の先駆的な試みとみなせないこともありません。
Credoに至っては、独立した5部で構成されていることにより、この章のみ耳にしますと、一種のカンタータ、あるいは小規模なオラトリオを味わっているような感触があります。

再びアインシュタインの記述に戻りますと、
「この作品は、その規模にもかかわらず、荘厳ミサ曲(ミサ・ソレムニス)の種類に入るものではない。それはやはり略式ミサ曲(ミサ・ブレヴィス)であり、独唱部によって活気を与えられた合唱ミサ曲なのであって、アリアを持っていない。(前掲訳書p456)」
・・・これは、上のような構成を見、かつ、「荘厳ミサ曲」と認識されているK.167と比較したとき、正当な評価ではありません。私はやはり、この作品は「荘厳ミサ曲」である、と感じております。
アインシュタインに重ねて反駁するならば・・・彼はこう述べています。
「このミサ曲は(中略)心のこもらぬ、冷たい、非個性的な曲でもある。(前掲訳書p456)」
これは、全く当を得ていない評価で、この作品に単独で触れる機会が私たちに恵まれないことを、非常に残念に思います。

アインシュタイン(初めてお読みになってくださある方のために申し上げておくならば、このアインシュタインは「相対性理論」を打ち立てた人物とは別の人です)のように、モーツァルトを深く愛した人でさえ、モーツァルトの「信じた」ものを汲み取りきってはいなかったのではなかろうか、と思うと、私たち凡俗はなおさら、「信じる」ことが如何に難しいかを思い知らさざるを得ない気さえしてきます。


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