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2007年11月24日 (土)

モーツァルト:「オルガン=ソロ・ミサ」K.259

ここまで読んできたモーツァルト作品の個々へのリンクを作成し直しました。ご利用下さい。


前回、K.258について綴った際、その作品がK.259すなわち今回採り上げる「オルガン=ソロ・ミサ」と双子の関係にあるように見える旨、何故そうなのかには全く触れずに述べました。

このことは、2曲ともよくご存知の方には、奇異に思えたのではないでしょうか?

K.259は、K.258に比べて、遥かに「叙情的」な、歌心豊かで美しい音楽です。
かつ、演奏時間も、K.258の半分強程度、という短さです。
「そんなに違う二つが、どうして双子なの?」

大きく2つの点で、K.258とK.259には共通するもの、或いは共有されるものがあるからです。

1)編成は、いずれも同じ、オーボエ2、トランペット2、ティンパニ、ヴァイオリン2、バス、アルト以下の合唱を補強するトロンボーンです。

2)グローリアとクレドの章の冒頭動機は、どちらの曲でも基本的に「同じ」です。グローリアは拍子が違っており、クレドは副次的要素がK.259の方で減らされているので、一見しただけでは分かりませんが、同じものだと見なして支障が無いものだ、と私は思っております。

様式的にも、クレドで 'Et incarnatus est' からテンポを落とす点で共通しています。
また、トランペットが属調で導音を吹く効果を存分に活用している点も2作品に共通しています。で、この技法は「叙情的な」K.259の方で一層多用されています。この面白さが分からなければ、そのトランぺッターは古典派作品のトランペットを吹く資格はない、と言ってもいいんじゃないか、と思います。

編成の中で、2本のオーボエについては、こんな面白い共通点もあります。
K.258、K.259とも、オーボエはオリジナルの自筆譜にはなく、(おそらく1778年の再演用に)あとから付け加えられているのですが、ザルツブルクの写譜師が書いたと思われているオーボエのパート譜は、2作品とも「ニ長調」で書かれているのだそうです。(Calus版のスコアでは、このことはK.259の解説で触れられていますし、写真版はK.258のスコアの方で見ることが出来ます。オリジナルの自筆譜にオーボエが含まれていない様子は、NMA第1分冊に掲載されているそれぞれの作品の第1頁の写真版で確認出来ます。)・・・Calus版の解説では、これは「ザルツブルクではオルガンのピッチが高かったことを表している」とされています。が、そう結論づけるには、
・オーボエが付け加えられたのはザルツブルク以外の場所で再演される時のためで
・その土地(おそらくはオリュミッツ)のオルガンはザルツブルクよりピッチが低かった
という前提が、最低限必要です。
また、本来はピッチに付いても2つの可能性を考えなければなりません。
・ザルツブルクのオルガンのCは、現在のDに相当するほど高かった
・逆に、再演された土地のオルガンのピッチが、現在のBに相当する低いものだった
従って、Calus版が「ザルツブルクのピッチは高かった」とするのであれば、素人向けには「実際にこのくらいのピッチだった」と明示してくれればありがたかったのですが・・・その辺のデータについては、私は資料を見いだしていません。情報をお持ちでしたら、是非ご教示下さいね。
(もしザルツブルクに、18世紀当時のトランペットの「C管」が残っているのなら、それを吹いてみれば分かるでしょう。)


さて、このK.259の愛称のもととなった「オルガンソロ」は、ベネディクトゥスに登場します。従って、ベネディクトゥスについては、オルガンの(おそらく当時好まれたフルート系の)音色を以下差なめればなりませんから、K.258とは異なり、伝統的な田園的曲調のものとして作られています。これはしかし、モーツァルトの独創ではありません。少なくとも、私は子供時代にヨーゼフ・ハイドン作の「オルガン=ソロ・ミサ」(大小2曲あります)とカップリングされたLPでこの作品に接しましたし、Calus版の解説に記載されているところによれば、他にゲオルク・ロイターやディッタースドルフにも作例があるそうです。そして、その最初の例は、1716年生まれで1778年に死去したヨハン・ゲオルク・ツェヒナーが1761年に書いたものだ、とのことだそうです。最初、「モーツァルトはベネディクトゥスをもって書簡ソナタの代替とすることをはかってそうしたのかなあ」とも考えたのですが、これはマルティーニ神父宛の手紙に彼が記したミサ曲の各章の演奏順(書簡ソナタはサンクトゥスの前)にもそぐいませんから、ちょっと断言できる推測にはなり得ません。(可能性はあると思います。)

K.259(オルガン=ソロ・ミサ)は、K.258と「双子」だ、と私が主張しても、実際に聴くと、その旋律の柔らかで暖かい雰囲気が後者の荘厳さとは見事に対照的であるため、「ウソだろう!」と叱られてしまうかもしれません。
かつ、「オルガン=ソロ・ミサ」のほうが、単独で聴くことの出来るCDもあり、K.258より得をしている気がします。

しかし、K.258に比べてずっと短く感じられるのも、全体のテンポを速めにとること、言葉を反復させないこと(フーガセクションを設けなかったことを含め)、の2つの工夫がもたらした効果です。ミサ曲の短縮にはしなしば、オペラの重唱曲のように、違う言葉を違うパートが同時に歌う手法(ポリテクスチュア)が用いられるのですけれど、モーツァルトは「オルガン=ソロ・ミサ」の中では言葉の重ねあわせはグローリアで2ヶ所、クレドで(目だたないかたちで)1ヶ所しか行なっていません。
これは、モーツァルトが「ミサ曲の全文言はきちんと歌われるべきだ」という信念を強く持っていたことの現れではなかろうか、と、何気なくではありますが、私にはその真正な信仰心を、音符の狭間から感じさせられずにはいられずにおります。

作品のスコアに付いては文中に触れた通りです。
CDは、せっかくですから、いつもミサ曲に触れる際に申し上げますとおり、全集でた作品と一緒に味わってみて頂ければと存じます。

次は、先にK.262(ミサ・ロンガ)の方を見ていこうかな、と思っております。

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