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2007年11月30日 (金)

表(あらわ)す

モーツァルトになかなか進まなくて、すみません。ですが、も少し考えた上ででないと、まだ「モーツァルトが私に何を教えようとしてくれているのか」に答えが出せません。
そのかわり、最後に、少しは誰でも知っている小さなメロディをアップします。ご容赦下さい。



長くなります。


今日、初めて「カウンセリング」を受けました。

実は、学生時代に専攻したことの関係で、私自身がカウンセラーをすることが出来ます。で、職場がイヤでたまらなかった時、家内が学校カウンセラーの口を見つけてきてくれたことがありました。
「でも、これってろくでもない仕事だよ」
家内が言うので、どうして、と尋ねたら、
「ろくでもない相談ばっかり受けて、あんたの性格だとストレスたまって、もたないよ」

・・・その「ろくでもない」相談相手として、私は生まれて初めて、カウンセラーの先生の元に出掛けたのでした。
「鬱病」は薬で治るものですが、「気うつ」は薬では治りません。よく一緒くたに見られがちなのですが、「気うつ」そのものは、必ずしも「鬱病」の現れではありません。
自分について言うなら、「鬱病」の方は、いろんなかたのおかげで順調に回復に向かっています。
ですが、回復に向かって初めて、それでも消えない、様々な「喪失感・不信感・不安感」には、鬱病治療だけでは太刀打ちできないことを悟りました。それで、1ヶ月前、意を決して、職場のかたを通じて予約をお願いしました。
「家事で食う時間を許してくれる、理解ある職場の皆さん」への負い目もありますし、自分が暗くしていることが子供たちの自立心の成長を妨げることにならないか、と危うくも思い、自分の資格は脇において、謙虚に受けてみよう、と思い立ったのでした。

1ヶ月間、
「その時が来たら、何を喋れば良いのか」
考え続けました。が、一向にまとまりませんでした。
いざその場に向かってみたら・・・大変に良い先生で、(話した中身は省きますが)これまで抱いてきた<悲しみ>を、素直にまとめて話すことが出来ました。
終わった時には安堵のあまり、事務所に戻ったとたん、腰が抜けたようになりました。昼休みを挟んでも回復せず、席に戻ってもダメで、会社の保健室に当たるところで1時間ほど寝かせてもらいました。・・・情けなや。



以下は、今日のカウンセリングでは話さなかったことです。
話したあとで、考え続け、電車に乗ってもメモを取ったりしていたことです。

「表す」ということには、一見しただけでは、二つはレベルがあるのではないかと思います。
(いま、ビジネス的な「表現・伝達」については、度外視しましょう。)
ひとつめの、日常の何気ない会話は、気楽でいいかもしれません。
ですけれど、ふたつめの、人に何とか伝えたい気持ちがあるとき、特別な場を設けてまとめてそれを話す・綴るということには、非常な緊張が伴います。かつ、後者のたちの悪さは、
「どうか、いい反応が返ってきますように」
そんな期待がつきまとってしまうため、結果が一方通行だったら、本来不必要であるはずの失望を伴うことがしばしばあるところにあります。

今でも根っ子はそうなのですが、私は家内と出会うまでは「人に気持ちを伝える」のがかなりヘタで、どうしても緊張からしばしば自らを「失望」に追い込むのが得意技でした。それが少しは解消できるようになったのは、家内のおかげでした。会ったその時にはもう見かけがしっかり者だった家内にも、本当は繊細なところもずいぶんあったし、新婚当時はとくに、家内を宥める方が多くて、
「ああ、オレ、結婚相手を間違ったかなー」
とガックリきた時期もあります。
ですが、それは他様には見せない、私にだけ見せてくれた繊細さなのだ、ということを、とあるきっかけで知って以来、彼女が見せてくれる「弱さ」には応えてあげられるように、と、心がけられるようになりました。ですから、家内が「弱さ」を見せてくれているあいだ、私はなんとか踏ん張って生きることができるようになりましたし、「人に自分の考えを、思いを伝えること」も少しは上手くなれたかな、と、密かに自負する機会も増えていきました。

そうなってみて初めて知ったことは、

「日常のさりげない会話でも、お互いにとってはどんな宝石よりも奇麗な結晶なんだな」

ということでした。
帰宅すれば、家内は私がその日の愚痴を話し出そうかと口を開きかけると、先にどんどん、家内自身にその日あったことを、寝る前までずーっと並べ立てる。結局、私は愚痴を喋れずじまいで寝ることになる。子供が喋り出すようになると、今度は3人同時に話し出して・・・聖徳太子じゃないんだから分かるわけが無いのに、誰か一人分でも話を聞き逃しただけで、今度は3人から一斉に叱られるのです。
「あんたは人の話を聞いていない!」
で、私は毎日うんざり・・・したかというと、その逆でした。その日貯めて帰ったはずの鬱憤が、家族の中の、外から見たら実にくだらない、つまらない会話の中で、いつの間にか清められて消えてしまう。仕事も好調でした。

そんな家内が、私から見ても「強気」に転じたのは、子供がある程度大きくなって、その年齢なりの病気や怪我をするようになってからでした。私の帰りが遅かった時期だったこともあって、その時々に応じて、素早く夜間医療センターを見つけては、私が慌てて家に着いた頃にはもう出掛けていて、特に私に連絡をくれるわけでもなく、自分でどんどん処理を進める。
「母は強し」
そう思って、あきれて眺めていましたけれど、あとで思い返すと、家内の抱えている「心の問題」が、私には見えなくなっていた。
それでも、
「ウチのカアチャン、強いなあ」
勘違いしたまま過ごすうちに、こんどは・・・結局、自分は愚痴を話さない習慣が身に付いてしまいましたので・・・自分の精神にツケが回ってきて、それまで「気うつ」の自覚も無かったのに、結果的に「鬱病」などというものにかかってしまったのでした。それがまた、おそらくは家内の負担になる、という悪循環を生んでしまった。
私たち夫婦は、「信じあっている」ことを一度も疑いませんでしたから、いちばん肝心のときに、いちばん大切なことを共有し得ず、家内は自分の「強さ」に、私は自分の「弱さ」に、それぞれ打ち負かされてしまったのだろう、と、今にして痛いほど思います。

家内の死ぬ1ヶ月と少し前からは、さすがに変な感じがしましたので、
「お前、今日は食事の用意なんかもう考えるな、外食にしよう」
週に2回か3回は無理にでもそうしましたし、病院行きも数回勧めたこともありました。が、気づくのが遅すぎた。家内は仕事を優先し続けました。
「今日は仕事を休め」
と言っても、言うことを聞く家内ではなくなっていました。
「暮れで、みんなが頑張っているから」
自分は休むわけにはいかない、と、仕事に励み続けました。
いま、ここに綴れるのは、ここまでですけれど、これが、私の一生の悔いの一つです。ただし、家内が仕事を頑張り続けたことは、一方で、私の誇りでもあります。矛盾するようですが、どちらも本当の気持ちです。



日常の、気軽で楽しい結晶を得られなくなった代わりに、家内の死の3ヶ月後から、レクイエムを作ってやろう、と企画しかけました。
もともと、よっぽどその気にならなければ、才能があるわけでもありませんから、私は創作はしません。すればしたで、専門家でもありませんから、そんなに理屈っぽいものは作らないのですけれど、自信のあるものほど、仲間に弾いてもらおうと思ってみると、「弾けない」。
「kenちゃん、臨時記号が多すぎるし、フシが独特だから、追いつけないよ」
とくる。じゃあ、弾けそうなものにしよう、とすると、私には旋律作りの才能が無いので、つまらなくなる。で、結局、やめていました。
でも、家内のためには、作ってやりたかった。生きている間には、何も作ってやったことが無いから。

ところが、人が一人死ぬということは思いがけずたくさんの後処理をもたらしますので、残念ながら、作ることに打ち込む時間も持てなければ、やっとノートを開いたかと思うとショックなトラブルが起こったりもして、結局、最初のセクションの下書きをしたところで終わってしまいました。



主にネットを通じて、その後、「うつ」で悩む方達との出会いもあったりし、
「レクイエムは、途中で終わるべくして終わったのかな」
との観を、今は強くしております。いま、あらためて続きを考えてみても、この間も試みましたが、もう、浮かばないのです。
それよりは、どうせなら、凡才なりに、むしろ「生きているいのちのために創作が出来ないか」と、ちらと思うようになりました。
とはいえ、たくさんするつもりはありませんし、人様にお聴かせできるような出来にもならないので、
「僕が生きさせてもらえている」
ことへの感謝が出来るとき、あるいは、「うつ」仲間に少しでも和んでもらいたいと願うときに限って、ときには小さいものを作ってみようか、と思っているだけではあります。
で、作ってみた「子守唄」は、大失敗作でありました。ごめんなさい。
クリスマスまでに、賛美歌を使った変奏曲でも仕立ててみます。
もう少し、「音のひとつひとつに家のような奥行きを」与えられるように。
そうしているうちにまた、このあいだ思いがけずも頂けたような、「言葉」の末尾に綴りましたような、日常のさりげない言葉の結晶の中に、また自分が戻って行ける日が、遠からず来るだろう、そう信じていこう、と思っております。


ヘタクソな創作を再開して感じたのは、腕の無い私のような者でも、やはり、「作る」・「綴る」という行為の中には、時計では計れない「時間」を必死で込めようとすることが出来るのだな、という、ある意味での発見でした。
「子守唄」にわざわざリンクを貼って、また聴いて頂く愚は避けますが、あのつたない旋律も、最初はもう少し違うかたちで考えてメモしたものでした。実際に和音を鳴らしてみたら、そのかたちではどうしてもしっくりいかないので、思い切って単純にしました。2日間(正しくはトータルで3時間)しかかけていないから、なおさらヘタクソなんだろう、と思われるかもしれませんが、失敗の大きな原因は、「和声」にこだわったところ、また、他の時とは違って、実際に楽器で音を鳴らして確かめないまま(創作の時には私は最初に荒いペン書きをして頭の中で和音や動きをつけて、それをたどたどしく弾いては一応響きを確かめます)、パソコンに直打ちしたところにあります。
ですので、クリスマスの変奏曲は、やはり、作ることにかけられる時間はさほどないとは思いますが、ちゃんとスケッチした上で作ってみます。アップした日には、どうぞ、けなしてやって下さい。


何を綴ってるんだか分からない文になってしまい、恐縮です。
・・・自己満足のため、になってしまったかな?
・・・でも、これで、懸案のモーツァルトに取り組めるかな?

音楽は、どんなに素晴らしい作品でも、作っただけで完成、ではなくて、演奏されることで初めて「出来上がる」ものです。
かつ、クラシックの場合には(クラシックファンでない方からは奇妙に見えるでしょうけれど)、同じ作品を違った演奏家がどう弾くのか、で、完成のかたちが多様になるところに、大きな魅力があり、また裏を返せば大きな失望も生みやすい落とし穴があります。

ここに、ある有名なメロディ(かなり前に「みんなの歌」で歌詞付きで歌われたこともあります)の演奏を3例、リンクしておきます。
楽譜は同じなのに、3つとも「出来上がりが違う」ところに、どうか静かに目をつぶって聞き入って頂ければ幸いです。
それぞれに対する私なりの評価もありますし、お聴きになっての評価もあるかと思いますが、敢てそれは述べずにおきましょう。・・・ただし、いずれは演奏というものへの「評価」の問題についても、多分、同じような例を挙げながらお話させて頂くことになると思っております。



いかがですか?



曲は、ヴィヴァルディの「四季」から、<冬>の第2楽章です。
イタリアの冬は、私の里の東北とは違って、雪ではなく、冷たい雨が降ります。でも、冬は冬、寒さは寒さです。
このメロディは、外の大雨のせいで強まったそんな寒さを、人が部屋の中でいろりを囲んで暖まってしのいでいる、安息のひとときを表したものです。

1例目の演奏者は、イ・ムジチ(1969年のもの)、ソリストはロベルト・ミケルッチという人。
2例目はアンネ・ゾフィー・ムターという有名な女流ヴァイオリニストのソロ。1999年録音。
3例目は、東洋系の代表として、チョン・キョンファ(女性)のものを選びました。2000年録音。

今ではこれらよりもまた違うニュアンスの演奏もあるのですが、今回はこの3つをお比べ下さい。
それぞれの演奏者の、「表す」ことに賭ける心の質の違い、深さの違いを、どのようにお感じになるか、ご感想をお聞かせ頂ければ幸いです。

今週最長、だったでしょうか?
お読み下さって、ありがとうございました。

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2007年11月29日 (木)

合わせる

ちょっとは、音楽ネタになります。
・・・が、モーツァルトはまだ考えたいことがあるので、次回とさせて下さいね。
・・・って、誰も待っちゃいまい!



今日は息子の小学校が創立○十周年の記念行事、しかも舞台に息子もカンカン、じゃないや、金管バンドで出演するので、限られた保護者席に座ることが出来ますから、休みを取って行ってきました。
・・・が、正直なところ、ママさんが大勢いる中に男一人で、というのは、さすがに参ります。
似たような催しであっても、ですが、もし独身で恋人同士だったら彼女に夢中で周りが目にも耳にも入らない、なんてこともあるでしょう。既婚でカアチャンに襟首を掴まれて出掛けるのだったら、まあ、カアチャン怖さで緊張しているから、周りがどうの、なんて感じるゆとりもないでしょう。
でも、でも、わたしはヤモメです!
ママさん軍団の
「あら誰々さん、元気だったア?」
「ごめんごめん、ご無沙汰あ」
「最近、あんたんとこの子、成績いいみたいじゃない」
「そんなことないわよぉ。。。ゲームばっかしやってんの。」
なんて会話が飛び交う中には、どうしても入り込めない(主婦の方、ごめんなさい)。
出番の終わった息子のところへ行って、
「とうちゃん、途中だけど、帰ってもいいかな?」
「ああ、いいよ」
あとは友達とワイワイやるのを楽しんでいるその背中を見ながら、侘しく中途退場、だった次第。

夕方には、子供たちをインフルエンザの予防接種に連れて行った帰り、娘が文具屋さんに寄りたい、というので立ち寄ったら、来ていた知らないおばさんに、
「あら、みんなでおとうさんとお出かけなんて、いいわね」
「はー。はい。。。」

いやあ、「合わせる」難しさを、とことん知らされた一日でした。



世の中、人様と「合わせる」のが必ずしも良いわけではありませんで、会社員ですと、使い込みなんかして飲み食いしている先輩に、いつもコバンザメみたいにくっついてゴチになってたら、その先輩の使い込みが会社にバレた時点で、最悪解雇、良くて減給だったりしますね。

とは言っても、少なくとも家族同士が合わない、っていうのはまた最悪でして、
「とうさんがお風呂入ったあとは汚いから先に入る!」
「私の下着に並べてとうさんのパンツ干さないで!」
なんて日常になってしまったら・・・幸い、いまのところ我が家は無事ですが・・・これは悲しい。
家族と「合わせる」には、それぞれの性格を理解しあって、我慢することも必要だったりします。でも、妻が、我が子が、他所様にご迷惑をかけるようだったり、約束を守らなかったりしたら、しっかり叱ることも、また必要ですね。(自分がそうなら、こっちが叱られることも。)疲れていたらいたわってあげることも。・・・自然にそれが出来ることが、家族というものの長所だと思います。

夫婦は元々他人同士、とは、新婚時代いろんな人に口を酸っぱくして説教されたことだけれど、それが「恋人同士」だったところから一歩踏み込んで、(変な意味ではなくて、心を、だと、ここでは是非読んで下さいね)お互いの本当の裸で付き合えるから、家族の中では、いちばん信頼しあえるようにもなる。・・・夫婦である以上、そうなる努力をしなければならない。思い返せば、夢中でしたけれど、かつ、経験して来た社会も全然違っていたけれど、僕たちも頑張って来たのだ、と思っています。いつ、どこに出張していても、帰りがいくら遅くても、信頼していてくれた女房は、本当に、有り難い。そのかわり、女房が仕事で遅ければ、僕も信じて待ちました。悔いが残るとすれば、苦手意識から、料理だけはしたことがなかった。家内の遅い時の晩飯は、店屋物でした。
・・・あ。でも、僕の方も、家内にはしょっちゅうマッサージしてやったけれど、
「わるいねー。今度、あんたにもしたげるからねー」
って・・・結局してもらったことは一度もないや。
悔しいから、化けて出てやるからな!(って、どっちが?)

芸事の「合わせる」には、夫婦と似た努力がいるのだ、とも、また、つくづく思います。
最近はお笑いも「ピン芸人」と呼ばれる単独で芸をする人の方がウケる傾向にありますけれど、全盛期の漫才ブーム時は「合わせる」面白さを、誰にでも味合わせてくれた、貴重な時期だった気がします。裏側では、厳しいコンビは舞台を離れ、稽古を離れれば、一緒には過ごさない、ということで、自分たちの芸が甘くなるのを戒めていたりしたそうですよね。・・・どっかの次官さんご夫婦みたいなのは、芸の世界から見ても、世の中の普通の夫婦から見ても、<論外>なわけですか。



音楽の世界でも、ジャンルを問わず、「合わせる」のが上手なバンド、セッションは、爽やかです。ポピュラー系でデビューしている人は、昔のアイドル時代と違って、だいたいが「合わせる」のが上手いから売れて行くので、愛好者も「合っててあたりまえ」と思っていらっしゃる方が多いでしょう。ですが、あの「美空ひばり」でも、バックと合わない時は悲惨なもんでした。今活躍中の人も、ひとたび自分のセッションと「合わなく」なれば、ギョーカイから消えて行く。熱烈なファンでない限り、消えてしまったことさえ誰も気づかないのだから、結構厳しい世界なのではあります。だから・・・ポピュラー系が嫌いな人は、「おれはもっと高尚な世界に住んでいる」なんて勘違いをなさってはいけません。

伝統芸の世界の見事さに舌を巻いたのは、妹に無理やり連れられて、いやいや出掛けた歌舞伎を見てのことでした。
「あ、これ、オレがやってる(クラシックの)オーケストラと同じ心構えが必要なんだ! しかも、日本のクラシック業界の誰よりも、凄い!」
映像でお見せできないのが残念ですが、映像だけ見ても、じつは分からないことかな。
正面には、舞台があります。
客席から見て舞台の左側には、黒い小屋があって、歌舞伎の伴奏をする連中はそこに入っています。実際に入ってみたことはありませんが、視界はそんなによろしくはないようです。ですから、役者さんの演技が逐一見えるわけではない。
ですが、近代演劇とは違って、歌舞伎の音楽は、演技の仕草に「合わせて」演奏するように出来ています。外を見るのが不自由な黒い小屋(黒御簾といいます)から、伴奏をする人たちは役者さんの仕草にピッタリ合うように音楽を奏で、効果音としての太鼓を叩いたり釣り鐘をついたりなさっているのです。
舞台の右手には、三味線と唄。義太夫みたいなものでしたら2人。華やかな常磐津やしっぽりした清元なら、5、6人から、というところでしょうか。常磐津や清元は、舞台の上でやりますから、まだ役者さんに「合わせ」やすいかも知れません。ただし、大人数で三味線を鳴らし、唄うわけですから、各自が勝手に役者さんの動きを解釈してはならない。唄は微妙なズレを測って効果を上げることもあるのですけれど、三味線は、ぴったり揃っていないと、みっともない。
で、実は、役者さんの方も、名人と言われる人は、また「合わせる」ことをよく知っています。
役者さんは、決して一方的に、鳴り物(黒御簾の中の楽器や三味線)とか唄に「合わせさせている」のではないのです。
これが最もはっきり分かるのは、義太夫系の舞台です。
歌舞伎初体験で見せられたのは、「熊谷陣屋」という出し物でした(DVDが出ています)。
この舞台の中に、女の人が泣き崩れる場面があります。
演じる役者さんから、義太夫の唄も三味線も、たぶん、見えません。仮に見えたとして、「義太夫の方を見ている」なんて視線を、観客には絶対感じさせてはいけない。
だから、これは本当に、演じている最中は、役者さんは義太夫の方を見ません。
義太夫の方も、役者さんの方は見ません。
お互い、目線は一切合わせない。
それなのに、太棹の三味線が「ベーン」と鳴る(これが、女の人が悲しみで体をくずおれさせて行くのを表すのですけれど)・・・それとぴったり一緒に、役者さんの体が、音の強さの分だけ崩れる。
この「ぴったり」には、度肝を抜かれました。

役者さんと奏者は、何を通じて、こんなにぴったり「合わせられる」のか。
目を使って、ではないのだ、というのは先に申し上げた通りです。



行けない生活になってしまったので今どうかは分かりませんが、歌うと得点の出るカラオケがありますね。
あれは、聞いた話では、歌い出しがぴったり伴奏に合ったら得点をプラスしていく、というのも、仕組みの一つに組み込まれているとのことだそうですね(違っていたら教えて下さいね)。なので、高得点の常連さんは、伴奏の流れ・・・リズムの速さ、音の消えていき具合なんかを、しっかり体に叩き込んでいる。
基本的には、歌舞伎の役者さんがなさっていることも、カラオケの得点名人さんと同じです。一方の伴奏者も、役者さんの持っているリズムを知り尽くしている。だから、巧みに次を予測している、という次第です。

もっといろいろな要素はあるものの、まずはこのことを知って、別に歌舞伎に限らず、カラオケの得点を上げることに限らず、お笑いの掛け合いなんかも含めて、いろんなものを見てみれば、
「合う楽しさ・面白さ」
はどんなものにでも共通するのだ、ということにお気づき頂けるでしょう。



で、クラシック音楽からの、これまた私が度肝を抜かれた例を、ひとつここでご紹介しますので、お聴きになってみて下さい。
(右クリックで別ウィンドウで聴くことが出来ます。)


・・・これ、何人で弾いているか、分かりますか?

当てたら、偉い!
(でも、曲を知っている人には分かっちゃいますね。そう言う方は、演奏者の人数を知らない前提で、いったん耳をまっさらにしてみて下さいね。)

相変わらず文章ばっかり長くて、短いサンプルで、ゴメン遊ばせ。
ここまでお読み下さったのでしたら、心からの感謝を申し上げます。

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2007年11月28日 (水)

言葉

材料が揃えきれなかったので(モーツァルトのK.262にたどり着くはずでしたが、読みを終えられませんでした。急遽、別の音ネタ【タイミングの比較〜演奏上のコミュニケーション】も考えたのですが、分かりやすい比較材料を並べられませんので、半端に綴るよりはやめた方が良いとの判断に至りました)、2日連続、音楽ネタでなくてすみません。


こんなブログなんぞで饒舌を繰り返す私が良い例ですが、饒舌は「言葉」、とくに言って下さった方の、その裏側にある優しい心、を信ずることの薄さから生まれてくるのではないかな、と、ま、そんなお話です。(これを音ネタでやりたかった! 無関係ではないのです。)

ですので、趣旨に沿うよう、なるべく饒舌にならないようにします。


多少、いや、多々、抽象的になります。

綴り言葉が饒舌な人間というのは、得てして(仮に外見が口八丁でも)、いちばん大切に思っていることを伝えたい時に、それを口にするのが苦手で、なんとか上手い「安直な代替手段」は無いものか、と、つまらん悩みを抱えるものです。
で、その安直な代替手段を受け止めて下さる方が、幸運にも(これもまた見かけでは分からないものでして)心の奥深いところに、真珠のように素直な光沢を供えていたりしたら・・・
返して下さった言葉に、ただこちらも素直に「ありがとう」を感じるだけで幸福です。

いろんな場面で、私は「代替手段」に失敗し、人間関係が崩壊してしまったことも、ままあります。
ですから、他山の石として頂きたいのは、愛する人同士(あ、ヤマカズさん並にキザかな?)、素直な言葉で、素直にキャッチボールなされるのでしたら、読んで下さるあなたは、是非そうして下さい。
お互いが「お互いに対して」素直でなければ、結局は通じ合わないかもしれません。
でも、その時真剣だったのなら、間違いなく自分が素直であったこと、と同時に、相手もその人自身には素直だったのだ、ということを、是非、心に刻んで下さい。しかも、「言葉」そのものの意味よりも大切なものが、そこにこもっていることを、是非、感じあっていきませんか?


「初めに言葉(ロゴス)ありき」
ヨハネの福音書はそのように始まりますが、たとえ私がキリスト教徒であったとしても(遺憾ながら違うのですが)、これは正しいとは、私は思っておりません。

人として、それ以前に、いのちを持ったものとして生きている私たちに、はじめに生まれてくるものは、「光」なのではないか、と、思っております。

娘も息子も、ある年齢までは、生まれてくる時の記憶がありまして、子供たちが言葉を滞らず喋れるようになったばかりの頃を見計らって、
「どんなだったの?」
そんな質問を、それぞれにしました。
2人とも、同じ答えが返ってきました。
「あのね、小さいけどまぶしい光が見えたの。」

光・・・地球人にとってはとくに、太陽は、心をひろびろと照らしてくれます。
ですが、砂漠を想像すれば分かる通り、これだけでは足りません。
水の潤いがあって初めて、草木が豊かな緑を生い茂らせます。胎内の赤子なら、羊水がその子を守ってくれます。

まだ家内の生前でしたが、3日間まとめて休みが取れたものの、家内の方は休めないというので、仕方なくひとりで、湘南の端っこの、小さな丘に登った夏がありました。
猛暑の日で、海辺の丘とはいえ、昇り切った時には、全身汗まみれで疲労困憊でした。
木の少ない丘で、やっと、頂上近くに一本だけ生えた松を見つけて、その下まで這って行き、タオルで体を拭って、ペットボトルの水を一気に飲み干しました。
あのときほど、ささやかな木漏れ日の下であっても、豊かで涼しい潤いを感じたことはありませんでした。

あとで、撮って来た写真を見せながら家内にその話をしましたけれど・・・言葉では、どうも伝わらなかったようで、
「ホントに物好きなんだから」
と叱られました。
「脱水症状で倒れてたら大変だったじゃないの!」
って。

でも、あの涼しさを、家内にほんとうに伝えたかったなあ、と思っています。
そうしたら、そのあとの家内の「気の持ちよう」も、少しはリラックスしたものでいられたんじゃないかなあ、って、思います。
・・・後の祭り、というやつです。
とはいえ、もう心配はいらないでしょう。夢に出てくるたび、彼女は明るいところで、私の知らないお友達とテーブルを囲んで談笑していますから。・・・で、私は隅っこの薄暗いところで放っておかれるんですけれどね。


こないだ嬉しかったこと。
数日前に、ちょっと失礼なことをしてしまった相手の方が、私の失礼にも関わらず、しかも、他のことに気を取られていて、その人が脇を通り過ぎるのに気づかずにいた私に、精一杯な声で
「おつかれさまです!」
と声をかけてくれたこと。

それで全てが(では言い過ぎですけれど)許された、と・・・「許してあげますよ」という言葉そのものではなかったにもかかわらず・・・そう悟らせてくれた、あの精一杯な声は、言葉そのものを超えて、私を潤してくれました。

感謝しています。


あ、やっぱり、饒舌になってしまいました。

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2007年11月27日 (火)

なみだ

今晩はコンサートを聴きにいっている娘からの、メールでの要望で、カレーを作る羽目に陥りました。
仕方ないので、タマネギをたくさん切っているうちに、涙が出てきました。
何故涙が出たか。
・・・タマネギを切ったいたからです。     失礼。

で、ついでに、頭の中に、「なみだ」のことがいろいろよぎりました。
悲しくて流れることもあるでしょう。
辛くて流れることもあるでしょう。
悔しくて、やるせなくて、怒りが抑えられなくて流れる涙もあるでしょう。

でも、「うれしなみだ」というのもあるのですよね。

科学的にはいろいろ理由も分かっているんでしょうが、いまは別に、そんなことは考えていません。

ただ、ふと、思ったのです。
どの涙にも共通するのは、その時の感情を清めてくれる塩っぱい水だということしかないんじゃないかな、って。

タマネギを切りながら、それを入れるカレーのことを、それを食べる子供たちのことを、特段考えていたわけではありません。
考えていたとすれば、ただ
「早く全部切り終わらないかなあ」
ってことだけでした。

ですから、タマネギを切っていて流れた「なみだ」は、意味もなく流れた涙ではあります。

意味のない「なみだ」が、いちばん爽やかな涙であるかもしれません。

それでもあえて、意味付けするとしたら・・・
いちばん私たちの心を清らかにしてくれるのは
「いとしい」
と、ただ無心に思えた、その時に流れる「なみだ」。

・・・で、自分が過去、聴いて思わず涙した音楽でもつけようか、と考えましたが、今このときには別にそれを聴いても涙がでるわけではありませんので、やめにしました。

あしからず。

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2007年11月26日 (月)

忘れ得ぬ音楽家:6)山田 一雄

最初に・・・私的なことながら。
家内の11ヶ月目の月忌です。
お引っ越しなさったばかりでお忙しいのに、とくに家内関係の事務処理をたいへんご支援下さった方が、わざわざお花をお持ち下さいました。また、今の住まいでずっと懇意にして下さっているクリーニング店のおじさんがお線香を上げて下さいました。心から御礼申し上げます。
ちなみに、クリーニングやのおじさんも、3年前に奥さんを亡くされたばかりで、笑い話で
「残されて、いつまでも泣いてるのはダンナの方みたいね。」
「女の人はドライだからね。」
・・・ホントに、そう思います。
(歌舞伎舞踊に「保名(やすな)」というのがあって、恋人に死なれた男性が狂気に陥る、というものですが、こういう演目は珍しい。踊りや劇の世界で、恋に苦しむのは女性なんですよね。・・・でも、現実は、オトコの方が弱いようですね。極端な話、ストーカー事件を起こす犯人が女性である率が極めて低い・・・おそらく男の方が9割9分犯人でしょう? あ、変な方へ話が逸れました。昨日、ちょっと空き時間が出来て、私はつい、持っていた「保名」のDVDに見入ってしまいましたものですから。)

我が家は、3人暮らしのペースもごく普通になり、子供たちが家事を分担してくれ、私の服薬量も、やっと減り始めました・・・もっとも、今日はちょっと元に戻りました。3連休がずっと、娘の学校見学でしたので、娘に比べて体力不足な私には、 すこし堪えたようであります。夜、ちょっとしたことで短気を起こして、「あ、いつものだ」と思って、慌てて薬を飲みました。これでおさまるんだから変な話でもあり・・・なさけなや、でもあります。

晩飯は
「おとうさんが作ると不味い」
と不評ではありますが、月曜日は娘は習い事ですので、私が作るしかありません。かえって来た娘には悪態をつかれます。
「やっぱり、不味い!」
・・・救いが欲しい。。。(T_T)

すみません、長話しました。


こちらの記事にちょっとフルトヴェングラーCD体験をつづりましたら、コメントを頂けました。
拝読して思い出した、何人かの指揮者がいます。
そのなかで、自分が直接接したことのあるかたについて、ご紹介しておきます。


・・・と言っても、標題で名前を出しただけで、
「あ、この人知ってる!」
ってかたが(年齢層はどこまで広がるか分かりませんけれど)多いに違いありません。

山田一雄さん。通称、「ヤマカズ」さん。

そのたくさんのエピソードについては、いまさら綴るのもヤボでしょう。今でも、日本のクラシック関係の書籍には、頻繁にお顔を出されています。
・・・でも、亡くなってから、もう16年経つのですね。

私が中学生の頃は、とある出版社で出していたクラシックの雑誌(学校を通して購入するものでした)には、必ず17センチ盤のLPが付録についていました。
最近は音楽雑誌にCDやDVDが付いているのが当たり前のようになりましたけれど、当時(1970年代前半)としては、画期的なものだったはずです。ちなみに、その頃私はロックの雑誌も読んだりしていましたけれど、こちらは付いているのはギターのタブ譜ばかりで、レコードが付いたことは、ついぞありませんでした。

この、付録のLPには、当時の日本で最も活躍していた人たちによるクラシック音楽の演奏が収録されていました。
記憶に残っているところでは(間違いもあるかもしれません)、
・豊田耕児ソロ「メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲」(東京交響楽団、名演でした)
・朝比奈隆とどこかのオケによるベートーヴェンの「運命」全曲
・近衛秀麿指揮のベートーヴェン「第九」の終楽章(表裏ひっくり返して聴かなければなりませんでした)
・秋山和慶指揮・日フィルによるチャイコフスキー「くるみ割り人形」
などなど。

そうした中で、際立って面白かったのが、「ヤマカズさん」指揮の次の2つでした。
・「モルダウ」
・ブリテン「青少年のための管弦楽入門」

後者では、ヴィオラの部分にヤマカズさんの「唸り声」まで入っていました。かつ、雑誌本文の解説のオマケにヤマカズさん自身の言い訳があって、
「指揮者は唸るくらいでしか演奏に参加できない、寂しい仕事です」
みたいな意味のことを述べていらしたので、思わず吹き出してしまったものでした。

このヤマカズさんに、まさか、後年、学生オケで指揮して頂けるとは、想像もしていませんでした。

私の入った大学のオーケストラへ、ちょくちょく客演して下さっていたのです。
もちろん、いらっしゃるときは、ビップ待遇でした。

伝説もありました。
私が大学に入る少し前はミニスカートブームだったのですが、その頃客演なさったときには、団員の中に美人チェリストがいて、それも必ず最前列で弾いていたのだそうです。
ヤマカズさんは・・・練習中、しょっちゅう彼女の前に指揮棒を落としては、それを拾いに行くときに彼女を下から見上げるようにした、とか。

「下品なオジサン」

なのか、と思うと、実際練習するときには、言葉遣いは妙に丁寧で、
「あらまあ、どうしてそのようにお吹きなさるの?」
という具合でした。

「キザなオッサン」

なのかなあ、と思いました。

ビップ待遇の指揮者がいらしたときには、学生オケでは昼食をご一緒できるメンツはリーダークラスやOBに限られていて、ヤマカズさんのときも例外ではありませんでした。
・・・私は、当時、平団員でした(今は永久平社員ですが、関係ありません)。

ところが、ヤマカズさん、何をお思いになったのか、ある日、平団員だけを呼び集めて、喫茶店へ連れて行ってくれたのです。
そこで彼の口から出た言葉。

「オレたちゃしがない楽隊屋だがな、君らは立派な総合大学に入ったんだ、いろんなことを、しっかり勉強しなきゃいけねえよ」

うまく表せないのがもどかしいほど、見事な巻き舌べらんめえの江戸弁だったのが、いまでも強烈に胸に刻み込まれています。・・・そのくせ、ちっとも勉強しませんでしたが。

彼が亡くなったあとの何年か前、書店で山田一雄自伝「一音百態」を見つけまして、なつかしくて手にとりましたら、そこでの口ぶりがまた、インテリっぽい、礼儀正しい言葉遣い。なおかつ、内容は破れた初恋の話とか、やたらとセンチメンタルなものなので、

「やっぱりキザなジイサンだったのかなあ・・・」

首を傾げてしまいました。

「日本のカラヤン」と呼ばれていましたが、本人はそんな呼ばれ方をどう思っていらしたんでしょうね。
当時よく読まれたご著書の「指揮法」には、どんな拍子も(斉藤秀雄方式とは違って)流麗な図形がかかれていて、それだけ見れば、なるほどカラヤン的なのかな、と想像してしまいます。
が、実際の指揮ぶりは、カラヤンには程遠いものでした。
およそ、「拍」というものは振りません。この点ではフルトヴェングラーと「方針」は近い。
でも、フルトヴェングラーともまた、振り方が違っていました。
だいたい、肘を直角に曲げたまま、直線的に・・・見方によってはロボットのように・・・カクカク、と振る。
音楽がクライマックスに達するほど、小柄なその前進に渾身の力をこめて、しかし、それを(最近の指揮者が良くやるようには)最後に大きく腕を広げて爆発させる、などということは、まったくなさいませんでした。
ブラームスの第3の終楽章は、静かに音楽が消えていくのですが、ここでは棒をまったく止めてしまうので、オーケストラは自分たちの判断でその先の作りこみをしなければならなかった。

いやあ、たいへんでした。

でも、分かりにくい棒だったか、というと、その逆でした。

音楽の持つ力を、「引き出す」と言うよりは、「より内側に溜め込ませていく」、そういうタイプの音楽家だった気がします。

晩年には團伊玖磨の交響曲全集のうちの1、2番を、ウィーン交響楽団と録音しています。
チャンスがあればご一聴下さい。(残念ながら、今は中古でも品切れですが。)

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2007年11月25日 (日)

「自分」という壁、「ジャンル」という柵

屁理屈ですので、お好みでなければ通り過ぎて下さい。


クラシック音楽を中心に、との方針で綴っているブログですから、今回の標題のようなことも音楽をめぐって綴るしか能がありません。・・・これがまず、私が目の前にしている「自分の壁」であるかもしれません。本当は、絵の話でも、劇の話でも、スポーツでも、釣りや料理の話でも何でもいい。だから、題材を置き換えてご一考頂けるなら、なお有り難いと存じます。


ポップでも演歌でもイケるよ、というかたには信じ難いことかもしれませんが、私は15の歳からアマチュアオーケストラの団員として活動していて、こんな経験をしたことがあります。

まずは、あるオーケストラでは、団員の半分以上が
「クラシックだけが最高の音楽。演歌? あんなもん、許せないよ」
そう明言したのを耳にしています。

あるいは、別のオーケストラで、演奏会の打ち上げにカラオケへ行こうということになったとき、
「え、わたし、カラオケはじめてなの」
と誰よりも喜んで入った女性団員が、ボックスの中に入るなり
「なによ、ここ!」
と、はじけ跳ぶように出ていって、慌ててあとを追いかけた時にはもう姿が見えなかった。

逆に、サラリーマンとしての日常の中では、私が会社生活を始めたばかりの頃は、クラシックやるやつなんて変わりもん、という評価があって、話題を共有できる友人が出来ず、そのうち職場では音楽の話そのものに一切触れないようになったりしました。とくに大学4年間はクラシック漬けの生活を送らざるを得なかった(「ロックバンドに入らないか」という誘いを受けてOKしたのですが、初めてそのバンドにいくことになった直前に、バンドは仲間割れで空中分解してしまったのでした)ので、4年間のギャップが大きく、ポップの最先端がもう分からなくなっていたせいでもあります。
今はクラシックの話題もそれほど変種扱いは受けることが無くなりましたが、それでも、いざ自分の属するオーケストラへ職場の人を招くとなると、どうしても抵抗感が抜けません。また、お招きしたい相手の方の方でも、まだまだ二の足を踏まれることは少なくありません。

常々、私はこういうことが残念だし、悲しく思っております。
「出来ることなら、自分の属するオケで、ロックもジャズもやれたらなあ、合間に演歌ショーみたいな剣劇も入れられたらなあ」
そう切なく思ってしまうこともあります。


ですが、ものごとにはそれぞれの流儀というものがありまして、今のクラシックのコンサートでは、ロックのように会場中が立ち上がって手拍子するとかいうことは(原則として)認められません。曲の名前も、ポップのコンサートのように1曲ごとに紹介されるわけでもなければ、あいだに「思いを語る」などということも、稀な例外を除いては、許されません。

じゃあ、そうしないですむ団体でも作ればいいんじゃないか、と言われるかもしれません。
けれど、それはまた、間違いなのではないか、と思います。
「ジャンル」という柵が、音楽を明確に種類分けしているからです。柵によって種類分けされた音楽には、なおかつ、先述したように、演じられるにふさわしい「流儀」があって、これを一緒くたにすることは、おそらく不可能だろうと感じるのです。

「ポップ(広い意味での)」は、「思いを語ること」を前提とした音楽です。ですから、語りなくしてコンサートが成り立つことはありません。抽象的ないい方で恐縮ですが、語りへの共感が会場に広がってはじめて、「ポップ」は本来の意味を発揮する。

「ジャズ」はどうか? 白人ジャズが生まれて以降は、ポップの要素も混在するようになりましたから、一見、ポップと似たように見えますけれど、ビッグバンドやヴォーカル主体の場合を除けば、ジャズのコンサートはいちいち曲の紹介なんて必要としません。いや、コンサートよりは、パブで、静かに語り合う老夫婦や、物思いに耽る一人のためのバックグラウンドミュージックとして、心の憂愁を演出する方が似合っている。

クラシックは、18世紀までは、劇音楽や宗教作品でさえなければ、今日のジャズに近い享受をされていたはずです。19世紀いっぱいは、それが「ポップ」的なコンサートで演奏されるものへと変じていきます。で、20世紀前後に、とくにオーストリアでマーラーによって、現在のように、ある意味「音楽という閉空間」に浸ることを「強いられる」演奏形式へと変貌して今日に至っている。

世間で一般的に聴かれている音楽は、舞台の上でのあり方は、かように異なっています。

ただ、クラシックのコンサートのあり方が時代と共に変わって来たように、ポップやジャズもまた、この先、どのようにあり方を変えていくのかは、分かりません。
音楽における「ジャンル」という柵は、柵であるだけに破れば通り抜けられる空間があります。


そのひとつが、「録音」という手段の発達だったのではないでしょうか?
「録音」の発達のおかげで、私たちは、「クラシック」を聴きたい気分の時には「クラシック」、そうでないときには「ポップ」あるいは「ジャズ」と、自分の耳に直接触れる音空間を自在に変更する方便を手にしました。

これは、ですが、私たちが「ジャンル」を超え得るようになった、ということを意味することは絶対にありません。
先に述べたところに戻りますが、「ジャンル」は仮に一時的な、長い時間の中では臨時の境界でしかないにしても、・・・音楽に関して言えば・・・耳を傾ける際に聞き手に要求する「静粛」の質に違いがあるのです。
「録音」は、往々にして、この「静粛の質の違い」を忘れさせ、結果的にそれぞれの音楽が伝えたい本当のメッセージから、むしろ私たちを遠ざけてしまう。

とはいえ、聴くにあたって、あらかじめ「ジャンル」を問う必要はありません。
いや、出来るだけ、違った「ジャンル」の音楽を、それぞれの要求する本質的な「場」に自ら出向いて耳にしてみるべきなのです。

「語り」への共感がないポップなど、すなわち、個人によって録音を通して聴かれ、閉空間化されたポップやロックは、例えばジョン・レノンを殺した男のような狂人を、これからも生み出すでしょう。

「哀愁」を忘れたジャズは、表面的な音の遊びに過ぎなくなり、存在意義自体が問い直されるでしょう。

そして、「静粛」という「間(ま)」のないクラシックは、精神の浄化を、もはや私たちにもたらしてくれることは無いでしょう。


境界すれすれにある作品や演奏が、このことを明らかにしてくれるでしょう。

イギリスンロックミュージシャン、スティングが、5百年前の作曲家ダウランドの歌をうたったものも、すばらしい。(最近、映像も出ました。)

山本直純フォーエヴァー」というCDでは、<ピーターと狼>の語りを名落語家、古今亭志ん朝がつとめている(これ以上楽しい<ピーターと狼>は、その後生み出されていません)。

本田美奈子と言う人は、存在そのものが「ジャンルという柵を超えるための人生」でした。デヴュー当時は流行だった「アイドル歌手」という路線で売り出されたものの、反発してロックに走り、やがてミュージカルに目覚めて「ミス・サイゴン」日本語版で名演を残し、死の直前にはクラシックとされる歌を中心に歌いました・・・純正クラシックマニアにとっては、彼女の歌唱は決してクラシックではありませんが、そのことがまた、大事な何かを示しているのではないでしょうか?

なお、「ジャズ界」ではバロック作品を中心にジャズ的に演奏したものがいくつもでていますが、本音を言えば、私には違和感がありますし、拒絶したい気持ちもあります・・・これは、私のもっている「壁」のせいでしょうか?


どうしても軸がクラシック中心になってしまいますが、お許し下さい。

いずれにせよ、様々なあり方を見せている音楽を、その柵の内側にいる素直な羊のままで受け入れるためには、私たちは私たち自身の中にある
「音楽はこうじゃなくっちゃ私には聴けない」
という壁を取り払わなければなりません。
(「音楽はこうあらねばならぬ」という本質論とは、また別のものであることには、留意が必要です。)

壁を取り払ってみて初めて気づくことのなかに、音楽ならでは、の「素晴らしい」コミュニケーション技術が共通してあることにまで話題を広げたかったのですが、毎度ながらあまりに長文となりましたので、次を期すことと致します。

さわりだけ述べておきます。
「音と音、音と仕草がピッタリ合う」
技術、もっと一般的に言えば
「阿吽の呼吸」
というものだけは、「ジャンル」を問わず共通した方法によって得られます。
それを、歌舞伎や民族音楽なども交えて比較して例示できれば嬉しいのだけれど。

ずっと昔、片思いしていた音大生がドイツに留学する前に、上で述べたことを知らせたくて、その子を歌舞伎に誘ったことがあります。
彼女はさすがに、本質を見抜いて、感動して帰ってくれました。
いま、彼女はドイツでばりばりに活躍しています。

家内ともこんなやりとりをしていました。
「歌舞伎に連れて行ってやる」
「子供が大きくなってからでないとねえ」
「そうかあ・・・」

残念ながら、永久に、一緒に行けなくなりましたけれど。

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2007年11月24日 (土)

モーツァルト:「オルガン=ソロ・ミサ」K.259

ここまで読んできたモーツァルト作品の個々へのリンクを作成し直しました。ご利用下さい。


前回、K.258について綴った際、その作品がK.259すなわち今回採り上げる「オルガン=ソロ・ミサ」と双子の関係にあるように見える旨、何故そうなのかには全く触れずに述べました。

このことは、2曲ともよくご存知の方には、奇異に思えたのではないでしょうか?

K.259は、K.258に比べて、遥かに「叙情的」な、歌心豊かで美しい音楽です。
かつ、演奏時間も、K.258の半分強程度、という短さです。
「そんなに違う二つが、どうして双子なの?」

大きく2つの点で、K.258とK.259には共通するもの、或いは共有されるものがあるからです。

1)編成は、いずれも同じ、オーボエ2、トランペット2、ティンパニ、ヴァイオリン2、バス、アルト以下の合唱を補強するトロンボーンです。

2)グローリアとクレドの章の冒頭動機は、どちらの曲でも基本的に「同じ」です。グローリアは拍子が違っており、クレドは副次的要素がK.259の方で減らされているので、一見しただけでは分かりませんが、同じものだと見なして支障が無いものだ、と私は思っております。

様式的にも、クレドで 'Et incarnatus est' からテンポを落とす点で共通しています。
また、トランペットが属調で導音を吹く効果を存分に活用している点も2作品に共通しています。で、この技法は「叙情的な」K.259の方で一層多用されています。この面白さが分からなければ、そのトランぺッターは古典派作品のトランペットを吹く資格はない、と言ってもいいんじゃないか、と思います。

編成の中で、2本のオーボエについては、こんな面白い共通点もあります。
K.258、K.259とも、オーボエはオリジナルの自筆譜にはなく、(おそらく1778年の再演用に)あとから付け加えられているのですが、ザルツブルクの写譜師が書いたと思われているオーボエのパート譜は、2作品とも「ニ長調」で書かれているのだそうです。(Calus版のスコアでは、このことはK.259の解説で触れられていますし、写真版はK.258のスコアの方で見ることが出来ます。オリジナルの自筆譜にオーボエが含まれていない様子は、NMA第1分冊に掲載されているそれぞれの作品の第1頁の写真版で確認出来ます。)・・・Calus版の解説では、これは「ザルツブルクではオルガンのピッチが高かったことを表している」とされています。が、そう結論づけるには、
・オーボエが付け加えられたのはザルツブルク以外の場所で再演される時のためで
・その土地(おそらくはオリュミッツ)のオルガンはザルツブルクよりピッチが低かった
という前提が、最低限必要です。
また、本来はピッチに付いても2つの可能性を考えなければなりません。
・ザルツブルクのオルガンのCは、現在のDに相当するほど高かった
・逆に、再演された土地のオルガンのピッチが、現在のBに相当する低いものだった
従って、Calus版が「ザルツブルクのピッチは高かった」とするのであれば、素人向けには「実際にこのくらいのピッチだった」と明示してくれればありがたかったのですが・・・その辺のデータについては、私は資料を見いだしていません。情報をお持ちでしたら、是非ご教示下さいね。
(もしザルツブルクに、18世紀当時のトランペットの「C管」が残っているのなら、それを吹いてみれば分かるでしょう。)


さて、このK.259の愛称のもととなった「オルガンソロ」は、ベネディクトゥスに登場します。従って、ベネディクトゥスについては、オルガンの(おそらく当時好まれたフルート系の)音色を以下差なめればなりませんから、K.258とは異なり、伝統的な田園的曲調のものとして作られています。これはしかし、モーツァルトの独創ではありません。少なくとも、私は子供時代にヨーゼフ・ハイドン作の「オルガン=ソロ・ミサ」(大小2曲あります)とカップリングされたLPでこの作品に接しましたし、Calus版の解説に記載されているところによれば、他にゲオルク・ロイターやディッタースドルフにも作例があるそうです。そして、その最初の例は、1716年生まれで1778年に死去したヨハン・ゲオルク・ツェヒナーが1761年に書いたものだ、とのことだそうです。最初、「モーツァルトはベネディクトゥスをもって書簡ソナタの代替とすることをはかってそうしたのかなあ」とも考えたのですが、これはマルティーニ神父宛の手紙に彼が記したミサ曲の各章の演奏順(書簡ソナタはサンクトゥスの前)にもそぐいませんから、ちょっと断言できる推測にはなり得ません。(可能性はあると思います。)

K.259(オルガン=ソロ・ミサ)は、K.258と「双子」だ、と私が主張しても、実際に聴くと、その旋律の柔らかで暖かい雰囲気が後者の荘厳さとは見事に対照的であるため、「ウソだろう!」と叱られてしまうかもしれません。
かつ、「オルガン=ソロ・ミサ」のほうが、単独で聴くことの出来るCDもあり、K.258より得をしている気がします。

しかし、K.258に比べてずっと短く感じられるのも、全体のテンポを速めにとること、言葉を反復させないこと(フーガセクションを設けなかったことを含め)、の2つの工夫がもたらした効果です。ミサ曲の短縮にはしなしば、オペラの重唱曲のように、違う言葉を違うパートが同時に歌う手法(ポリテクスチュア)が用いられるのですけれど、モーツァルトは「オルガン=ソロ・ミサ」の中では言葉の重ねあわせはグローリアで2ヶ所、クレドで(目だたないかたちで)1ヶ所しか行なっていません。
これは、モーツァルトが「ミサ曲の全文言はきちんと歌われるべきだ」という信念を強く持っていたことの現れではなかろうか、と、何気なくではありますが、私にはその真正な信仰心を、音符の狭間から感じさせられずにはいられずにおります。

作品のスコアに付いては文中に触れた通りです。
CDは、せっかくですから、いつもミサ曲に触れる際に申し上げますとおり、全集でた作品と一緒に味わってみて頂ければと存じます。

次は、先にK.262(ミサ・ロンガ)の方を見ていこうかな、と思っております。

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2007年11月23日 (金)

「ピエ・イエス~祈りを込めて」森麻季さんCD第3弾

ピエ・イエス~祈りを込めて

心のこもったご評価は、御大JIROさんにお任せ(リンク先参照)。

金聖響指揮、オーケストラアンサンブル金沢の伴奏で聴けるのが、嬉しいですね。

こちらでは、あまり細かいことは述べずにおきましょう。

この前の「あなたがそばにいたら」では、たとえば一連のヘンデルの歌唱でとくに聞こえたのが、
・音域の違いによって声の色が変わっている場合がある
・高音へ上昇していく時にチカラでもっていっている場合がある

この2点が、今回のアルバムでは払拭されています。
すなわち、彼女の研鑽が、良いかたちで「現在進行形」にあることを示しています。
いま、「オン・ブラ・マイ・フ」や「涙の流れるままに」をお歌いになったら、きっと前回の録音とは違ったものになるでしょう。

次回は是非、オペラのフルの舞台の中で、或いはオラトリオやカンタータやミサ曲の中で、他の人と絡み合って演奏している時の彼女の「素晴らしさ」をアピールするような録音が出てくれることを期待したいですね。

今回の収録曲
・モーツァルト
 エクスルターテ・ユビラーテ
 「ハ短調ミサ」から2曲
・ハイドン
 「天地創造」から4曲(売れっ子の方によるこの収録は嬉しい!)
・バッハ
 「マタイ受難曲」からのレシタティーヴォとアリア
 「ヨハネ受難曲」からのアリア
・フォーレ
 「レクイエム」からピエ・イエズ
・フランク
 天使の糧


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2007年11月22日 (木)

「音符の一つ一つには、家のように奥行きがある」(ブラームスの言葉)

もう3年前ですが、激しい緊迫感の漂う二種類のCDを聴きました。

ひとつはムラヴィンスキー・レニングラードフィルのイギリス公演(1960)。ショスタコーヴィチの第8イギリス初演の録音と同時に、モーツァルトの交響曲第33番が収録されています。ステレオで音質が鮮明に伝わってきますけれど、癪にさわるのは咳払いが多いこと。イギリスの聴衆はこんなにマナーが悪いのか?と疑ってしまいます。そんな無神経な咳払いをよそに、演奏は淡々と進められます。楽員が完全に音楽に集中している。ショスタコーヴィチの第8も名曲ですし、質的に鬼気迫る演奏がふさわしいのは当然で、そちらは期待通り、というところです。一方のモーツァルトは、演奏者にとって、集中の甘さが露呈しやすい難物です。それが、まさに一糸乱れぬアンサンブルを成立させている。しかも、演奏は決して淡白ではない。第1楽章にジュピターのフーガと同じテーマが現れる愛らしい曲のはずなのですが、起伏の鮮やかさはむしろ厳しさを強烈に印象づけてきます。「愛らしい」対象に向かうにも、彼らの態度は「甘くない」のです。
それは果たして・・・プロだから、なのでしょうか?

もう一つは、フルトヴェングラーのブラームス交響曲全集。
戦後の録音を集めたもので、第1だけがウィーンフィル、他はベルリンフィルです。戦後活動を再開したフルトヴェングラーの指揮については、時代遅れになって楽員がついていけなくなっていた、という定説がありました。しかし、今回聴いた1949年から52年にかけての演奏は、戦前の演奏に比べてもテンポの変動が激しいにも関わらず、オーケストラは何の戸惑いもみせず生き生きと従っています。かつ、楽員すべてが音一つ一つに向かってひたむきに突進している。定説が誤りなのは一聴瞭然です。モノラルでザラザラした録音であるにも関わらず、あまりに強烈な音の厚みに、寝床で聴いていた僕は跳ね上がってぶっ飛んでしまいました。第1の第3楽章では、オーボエのトップが集中を高めようとするあまり出遅れてしまう、そんな瞬間もありました。それでもハマっている。どうして、ハマれたのでしょうか。
・・・プロだから?

結論のかわりに、ブラームスの言葉を揚げるのが、この際適切かも知れません。

 もっと演奏を楽しまなくっちゃ。
 音符の一つ一つには、家のように奥行きがあるからこそ、
 音楽に詳しくない人でも参加できるんだ。
 聴衆を前にすると音楽を楽しめないって、いったいどういうことなんだい?
 (「ブラームス回想録集2 ブラームスは語る」天崎・関根訳 音楽之友社)

ここで、ブラームスの言葉だけでは分からない問題をお出しします。
プロの対極にあると考えられがちな"amateur"、これは日本語では果たして何を意味することばでしょう? お分かりになります?
そのまんま「アマチュア」でいいんじゃないか、と言われれば、まあ、そうなんです。でも、この語意は本当は
「愛好家」
を示すのです。
英語の、語源の説明までついた辞典によれば、この単語"amateur"はラテン語で愛好を示す"am-"という語根に由来します。この語根によるラテン語の動詞の三人称単数が、"amato"([彼・彼女は]愛する)です。
ところが、それを語源にする"amateur"は、英語でもドイツ語でも、綴りはフランス語と同じでありながら、「素人」という意味を持ってしまっています。日本語の「アマチュア」に「素人」の意味が付加されたのは、この語彙がゲルマン系経由で輸入されたことを伺わせます。
和仏辞典のほうだと、「素人」にあたるフランス語に"amateur"が出てくるのですけれど、本来は使い方によるのでしょう。"amateurisme"なる語彙があって、こちらは日本で言うと京都弁風の皮肉のようです。「素人芸どすなあ」って言う感じ。"amateur"に戻ると、幾つかの仏和辞典を覗いてみましたが、こちらに「素人」の日本語が充てられている例は皆無でした。それどころか、「目利き」などとう、もっと優れたイメージの訳語が割り当てられていたりするのです。
ちなみに、より直接にラテン語の子孫であるイタリア語ではどうか、を調べてみますと、"amatore"というのが"amateur"に合致する語で、やはり「愛好家、目利き」という日本語が充てられています。(その他に「女たらし」なんていう意味まで持っています!)イタリア語で「素人」に当たるのは、"dilettante"です。

くどくどと"amateur"の意味ばかり綴ってしまいましたけれど、果たして私は何が言いたいのか!?

そう、「アマチュア」って、本来は「素人」じゃないんです!
ラテン語直系のイタリア語、やはり古代ローマの影響が強かったフランス(ガリア地方ですね。カエサルの「ガリア戦記」も、読みにくいですけれど面白い本ですヨ)の語が、そもそも「素人」の語義を含んでいないのが、何よりの証拠です。

物事を愛する人、それが「アマチュア」の本義なのでしょう。
すると、その中にはもちろん素人も含まれることになりますけれど、日本にも「玄人はだし」という言葉があります。広辞苑では「素人が技芸に優れていること」と解いていますが、元来は「玄人(すなわち日本では今、プロと呼ばれる人種)がはだしで逃げる」を短縮した語彙ですから、「素人が〜」という言い方がどの程度適切なのか難しいところです。

モーツァルトのピアノソナタの大半も、いわゆる「アマチュアのために」作られたものです。古典派の時代、シンフォニーといえば職業音楽家達によって公の場で演奏される編成の大きめな曲種の代表格だったということですが、ソナタはそれとは対照的に、サロンで活躍したり家庭で音楽を楽しむ「玄人はだし」のアマチュアの為の曲種だった、と、音楽史関係の本には書かれています。
それを裏付けるかのように・・・モーツァルトについては残念ながらほんの一部しか判明しないので・・・ベートーヴェンを例にとりますと、彼が交響曲を献呈した相手はことごとく彼のパトロン(しかも自らは演奏しなかった人も含まれます)のに対し、習作を除く32曲のピアノソナタのうちほぼ半数に当たる15曲がアマチュア演奏者に捧げられています(パトロンでもありましたがピアノの弟子でもあったルドルフ大公をも含みます)。

私の加入しているオーケストラは、アマチュアです。
残念ながら、今は家庭の事情で練習を休みがちです。
でも、あと少しして、家庭での課題に一通りメドが立った暁には、「素人集団」としての「アマチュア」という発想はやめて、またみんなといっしょに、「アマチュア」の本義である「愛好者」の集団、音楽を心から堪能する人たちの集まりとして、この先も歩んでいければいいなあ、との想いに耽っているところです。

お粗末。

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2007年11月21日 (水)

娘の作文、娘の夢

弟の密告で、姉の作文が今年度の市の文集に載っていることが判明。
えらいぞ、息子よ!

で、娘には内緒で、その作文を掲載させて頂きます。
娘と面識のある方は・・・「ブログに載ってる!」とは、くれぐれも密告なさらないで下さい。

家内の生前に書いたもので、娘は私には見せてくれませんでしたが、こっそり盗み見した記憶があります。内容は、もう2年前のものです。


<夢>

 私の夢は、プロのトロンボーン奏者になることだ。
 トロンボーンと出会ったのは、中学1年生のときである。私は、音楽の教師をしていた母への憧れから、吹奏楽部に入った。いろいろな楽器の体験をした後、希望調査が行なわれた。第1希望はユーフォニアムだった。トロンボーンは、将来続けるのなら、クラシックにもジャズにも入れる、という母の勧めで第2希望に入れていた。そして、楽器発表のときがきた。緊張しながら、自分の名前が呼ばれるのを待つ。
「トロンボーン、Hさん。」
あんなにやりたかった、ユーフォニアムではない。少しがっかりしたが、第二希望の楽器であったということで、頑張ってみることにした。
 スライドで音程を調節するのは、考えていたよりも難しかった。やってみるまでは、スライドに何か印でもあるのかと思っていたが、実際は感覚等でポジションを覚えなければならず、苦労した。
 それでも、何とか演奏できるようになってきた頃、管楽器ソロコンテストがあるという知らせがきた。「これは勉強になりそうだ。」と思い、参加することにした。しかし、どのような曲をやればいいのかがわからなかった。
 何を演奏しようか迷っていたある日、父が一枚のCDを買ってきた。クリスチャン・リンドベルイというトロンボニストのCDだった。最初はその人のすばらしさがなかなかわからなかったが、二回、三回と聞くうちに、
「トロンボーンでもこんなにやさしい音が出せるのか。」
と、感動した。
曲は、そのCDの中にあった「愛の挨拶」に決めた。
 それからは、必死で練習をした。トロンボーンの先生や、部活の顧問の先生に、何回も聴いていただき、上手く出来ないところを直していった。伴奏者とも、ぎりぎりまで合わせる練習をした。
 そして本番。ステージに立った瞬間、体が動かなくなってしまった。しかし、不思議なことに、演奏が始まると、とても楽しい気分になれた。今までで一番良い演奏が出来た。このソロコンテストがきっかけで、トロンボニストになりたいと思うようになった。
 私の次の目標は、トロンボーンだけのソロコンテストで一位になることだ。そのために、もう一度、基礎から見直していきたい。
 これからも、小さな目標を一つ一つ達成していき、夢に少しずつ近づいていこうと思う。


ここで触れられているソロコンテストは、地域の小さなコンテストではありますが、生きている家内に見せられなかったのが惜しかったものの、1年後(3月)、娘は作文の中の「小さな目標」の最初である「一位」を、何とか獲得できました。前前日に伴奏予定者がインフルエンザに倒れ、本人も病み上がりの中、ピアノでお世話になっている音楽教室の先生が臨時に伴奏を引き受けてくれての出場でした。

次の「小さな目標」は、専門の道に進むための学校に入れることですが・・・どうなることか。
(ちなみに、母は音楽担当の教員、父はアマチュアでオーケストラをやっていますが、子供が音楽の道に進むことを望んだこともなければ、本人の希望があるまで専門の先生につけたこともありません。)

人生、夢があれば、それを達成するコースはいくつでもあるはずです。
娘の奮闘を信じて行きたいと思っております。

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2007年11月19日 (月)

モーツァルト:ミサ(・ブレヴィス)K.258

ここまで読んできたモーツァルト作品の個々へのリンクを作成し直しました。ご利用下さい。


1775-76年の作と位置づけられている一連のミサ曲は、その頂点となるのはアインシュタインの記述のとおりK.257の「クレド・ミサ」ではありますが、
「K.258(シュパウル=ミサ、と呼ばれるミサ曲に比定されているが、K.262の方がそうではないか、との異説あり)やK.259はその高みには達していない」
といった見解は、アインシュタインのようにモーツァルトを調べ尽くし味わい尽くした人に初めて許されるものです。
実際には、主観的な評価にも関わらず、K.262(ミサ・ロンガ)を含む4作には作曲技法上にも創作精神上にも、これらより前のミサ曲とは一線を画する「自立志向」が反映されている・・・これはとくにBenedictusの表現に反映されている・・・、そのように見なすべきかと思います。

西田尚生さんのまとめられた日本語の作品表上では、K.258が最も早い時期の作品として位置づけられていますから(音楽之友社 作曲家○人と作品「モーツァルト」)、上記の点をこのK.258から1曲1曲観察していこうと思いますが、実はNMAの前書きを見ても、K.258の作曲時期はK.259(オルガン=ソロ・ミサ)と共に、1776年暮れではないか、との異説があり、元来はこの異説の方が通用していたようです。アインシュタインはK.258、259とも76年12月に位置づけています。
たしかに、作品そのものは、雰囲気が異なるにも関わらず、双生児のようです。K.258が男の子だとすると、K.259は女の子・・・そういう双子です。

が、K.259のほうについては、とりあえず措きましょう。

時期が明確でない以上、作品上演の背景についての推測は避けておくべきかと思います。
他の3曲も観察して後、「もしかしたら」と感じられる何かが見つかったら、その時に述べましょう。

なお、K.258もしくはK.262に「シュパウル・ミサ」のニックネームを与える試みがされている背景には、レオポルドの書簡に、おそらくこのいずれかのミサ曲の「キリエ」を巡って
「ヴォルフガングのオルガン=ソロ・ミサを演奏したが、キリエだけはシュパウル・ミサのものにした」(1778.5.28)
という記述があります。76年には、のちにザルツブルクの主任司祭となるシュパウルのためにミサ曲を作曲したことが分かっているのですが、それがどのミサかが不分明なので、混乱しているのです。
ですから、これ以上、このことに触れる必要は、いまのところなさそうです。

かいつまんで、K.258の特徴を記します。

編成はオーボエ2、トランペト2、ティンパニ、ヴァイオリン2、バス、それにアルト以下の声部を補強するトロンボーン。
全ての章がハ長調で統一されており、かつ、フォルテの主和音の非転回型(つまり、Cを根音とした基本形)で開始されています。
各章とも同じ和音で、同じディナミークで始まる、という点だけ見ますと、
「なんだ、平板な作品ではないのか?」
と思われてしまうかもしれませんが、そうは問屋が卸していない、というのがK.258の素晴らしいところです。
また、トランペットはこの時期の通例通り倍音だけを演奏するのですが、随所で非常に効果的な使われかたをしており、とくに「グローリア」では属調(ト長調)に転調した箇所でも最高音とその導音を高らかにならすことで、輝かしさを強烈にアピールしています。・・・従来のモーツァルトにはなかった用いかたです。
トランペットとティンパニの効果、および多用されている弦楽器のユニゾン(和音を構成せず、ヴァイオリンからバスまで同じ音型を同じ音程で奏でる箇所が非常に多い)により、弦楽器の方が、ユニゾンの合間に対位法的な絡み合いをみせることと巧みに組み合わさって、バロック期的特徴さえ付与されている点は、傾聴されるべきです。

で、各章が基本形の主和音で始まりながら、それが「グローリア」ならば輝かしく活発な器楽伴奏により、「クレド」ならば伴奏は一転して荘重となることにより、「サンクトゥス」は器楽が声楽の裏方に巧みに回ることにより、そして「アニュス・デイ」では和声そのものが低く沈み込むことにより、各章にふさわしい装いを見せる。
ですから、どの章も同じ「ドミソド」の和音で始まっているとは、ヘタをすると聴き手は気が付きません。(上手く言葉に出来なくてすみません。)

また、各章とも、言葉の意味を尊重し、たとえば"eleison"や"miserere"には訴えかけるような、かそけき短調を割り当てています。

特筆すべきなのは2点。

まずは、通常は田園的雰囲気をもって、あるいは歌手の美しく伸びやかな見せ場として作曲されることの多い"Benedictus"が、この作品では、先行する"Hosanna"の雰囲気をそのまま受け継いで、決然とした音楽となっていることです。(これはこの期の彼のミサ曲にわりあい共通する特徴にもなっています。念のため、75年より前に作曲されたミサを再確認しましたが、こちらではモーツァルトは伝統的な「田園的音楽」をつけていますから、K.258での"Benedictus"の作曲法は新機軸だったことが確認出来ます。)

もうひとつ、より重要なのは、"Credo"中間部(三部構成で作曲されています)、Et incarnatus est以下のAdagioで、テノールソロで歌い出されたあと、Crucifixus(十字架にかけられ)をバスの合唱が歌い、独唱がその上に不安げな表情で乗っかっているところ・・・K.258の最大の聴きどころです・・・が、「ドン・ジョヴァンニ」を予見させる響きをもっている点です。ただし、後年の名作歌劇は結果として主人公は地獄に引きずり込まれる冷徹なものですが、K.258のこの箇所は深い哀悼の雰囲気をたたえ、かつ、このあとには輝かしい「救い主の復活」が待ち受けているのです。

小節数等記しませんで、本当に概略ですみませんが、少なくとも「雀のミサ(SpatsenMesse)」などよりはこちらの方が一聴の価値があるミサ曲であるように、私には感じられます。

他の3曲も順次見た上で、ミサ曲はあらためて総括しなければならないかもしれません。

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2007年11月18日 (日)

波と光と色と音と

すみません、今日も以前メーリングリスト時代に綴ったものの再掲です。



突飛ですが、
「波といえば、光も音も波だよな・・・
 で、光は、プリズムを使うといろんな色に分かれるんだっけな」
高校の物理の授業を思い出してしまいました。

一方は電磁波、一方は物質の振動・・・だから、科学がご専門の方には同一視は出来ないものなのかもしれませんが、まあ、「波」とつくからには共通点があるのだろう、そんな単純な発想です。

で、光=それによってもたらされる色、と、音の間に何か関係があるのかどうか野次馬をしてみようと思い立ちました。

かのスクリャービンは「音を聴くと色が見えた」ので有名ですね。いわゆる「音色」ではありません。ある音程と色が結びついて感じられる現象。リムスキーも、メシアンも、同じような感覚の持ち主だったようです。他にも有名人がいたはずだな。。。

音に色を感じる、などという現象は科学用語(心理学なのか生理学なのか分かりませんが)では「共感覚」と呼ばれるものの一種で、人間には原始から備わっていたものだという話です。しかし、「共感覚」が人によって一致するのかしないのか、そもそもどんな原因で起こるのか、は、関連した資料を読んでも、あまり研究が進展していないようです。音の場合、音に色を感じることを「色聴」といいます。

世間の「色聴」実験・研究例がどれほどあるのか知りませんが、複合音については、一つの、どちらかというと心理学的手法による実験例を見つけました。
学生の被険者(18歳から22歳くらいでしょう)27人に、6つの基音(音高はオクターブ上げたものも使用)で長調の主和音、短調の主和音を聞かせ、それによって感じた色を色見本から選ばせるものです(実験1)。この場合、オクターヴ上がると色彩は一様に黄色がかった明色系となる結果が出ました。

さらに、「この音を何色に感じるか」を投票してもらうサイトがあり、単音に関して投票者が随意に感じる色を選ぶようになっています(実験2)。やっている方は意識していないかもしれませんが、これも心理学のひとつの手法ではあります。

いずれもWeb上のどこに掲載されているかは、「付録」に記します。

今、音程の波長の比、色の波長の比について、比べて見たいと思います。色は、可視光線の波長が(正確には違いますが)3500オングストロームから大体7000オングストロームですので、ちょうどオクターヴに当てはまる比に分割できるので、仮にその手段によって比を表します。(色は西欧音楽の「絶対音高ないし音程」にあたる「絶対色」というのはありませんので、大雑把な比較になります。)

同時に、上記実験1、実験2の結果で普通人が感じた色を併記します。併せて、スクリャービンとリムスキー=コルサコフが各単音に「感じた」とされる色も横並びにしてみます。
結果は、次の表のとおりです(Scr.がスクリャービン、Rims.がリムスキー)。

(音は長調はCを1・短調はAを1と見た場合。色彩は赤を1と見た場合の周波数比)
なお、比較を簡単にするために、音の数比は平均率をもととし、なるべくきりのいい数字になるよう修正を加えました。(複合音を考える場合にもこんなことをしていいのかどうかは考慮していません。)


                         ( 長  音  階 )
 長調 短調 数比 対応色 実験1(長) (短)  実験2 Scr.  Rims.
---------------------------------------------------------------------------
 C  A  1.00  赤      茶(青)黒(青) 赤  赤   白
 C# B  0.95  朱                 (紫)
 D  H  0.90  橙               黄  黄   黄
 D# C  0.85  黄橙                (肌色)
 E  C# 0.80  黄      青(橙)紫(青) 橙  白   青
 F  D  0.75  黄緑              緑  赤黒  緑
 F# D# 0.70  緑                 (青菫)
 G  E  0.67  青緑              青  赤紫  茶緑
 G# F  0.63  青                 (菫)
 a  F# 0.60  藍      緑(橙)青(灰) 紫  緑   バラ色
 b  G  0.56  濃紫                (灰色)
 h  G# 0.53  紫               白  白青  暗青
 c  a  0.50  赤紫
*実験1の( )内の色はオクターヴ上の和音により被険者が感じたもの(優位度の高いもの)
*実験2は、選択した人数が最も多い色

この結果を見て、どうお思いになりますか?
「色聴」があると称していた音楽家の例が一見バラバラなのに対し、一般の人たちの投票(実験2)はD・Eの音色感が逆転している以外は自然光のスペクトルとほぼ一致、かつhに至ると白、すなわち独自の色彩は感じていないらしい点に注目されますね。
また、実験1は複合音(3の調の主和音)を元にしており、単音の場合と違う流れになっているものの、ある程度「基音の波長」と「感じる色の波長」の相関関係がありそうに見受けられます。しかも、和音を使ったことで、感じる色波長の間隔が、単音のオクターヴに比べ拡がっているようです。かつ、和音の音高から感じ取る「色」は単音で感じるものと逆さまの関係になっているとの印象も受けます。さらに、長調・短調では短調のほうが暗い色からスタートし、暖色系が無いのも注目されます。

色には「色相」・「明度」・「彩度」の要素があり、ここまでの実験はそのうち「色相」しか問題にしていませんから、実験1の長調・短調が「明度」をあらわすものだと受け止めれば、まとめ方はもっと違ったかもしれません。その点、不満が残りますけれど、ここまでの実験例は他には皆無ですから、貴重な例ではあります。

さて、一見バラバラ、デタラメに見える音楽家達の「色聴」ですが、一般の人より狭い音域に限って観察すると、自然光のスペクトル色の順番との相関関係が皆無ではないと思われます。しかも、スクリャービンは「長調」を、リムスキーは「短調」を基本にした「色聴」をしていた可能性があり、専門家としての音楽家の「色聴」には、単音ではない、複合的な要素が絡んでいるものという推測も可能です。作風との兼ね合いを考える参考にもなりそうです。(リムスキーの「色聴」がいつの時点のものか分かりませんけれど、彼の若い時代の作品は後年のものとは違って暗色系です。)

ともあれ、「実験1」・「実験2」とも、「色聴」は特別なことではなく、自然の摂理にも適っていることを感じさせてくれます。また、この先どういう実験を進めればよいか、結構いいヒントも与えてくれます。
・単音の強度と「色聴」の関係
・単音の遠近と「色聴」の関係
・複合音(とりあえず和声)と「色聴」の関係のより詳細な実験
これくらいまでは、すぐにでも方法を考えて実施できそうです。
・・・どなたか、やってみませんか?(付録の2)参照)

で、作曲家スクリャービンの音楽に、果たしてスクリャービンが見たのと同じ色を、聴衆は感じることが出来るのでしょうか?
楽譜は見ていませんが、「プロメテウス」には「色彩(色光)ピアノ」という、鍵盤を押すと色のついた光を発するピアノを指定しているそうですね。
ロックだったらそういう映像もありそうだけれど、残念ながらクラシックのDVDで「プロメテウス」の実演を映像化したものは見当たらず、視覚的な確認は出来ません。
かつ、僕自身は「プロメテウス」に特定の色を感じることが出来ない、という点を、正直に告白しておきます。「法悦の詩」にしても、官能性を過剰期待すると、あまり面白くありません。管弦楽そのものにけっこう余分なほど「音色付け」をしている感じがします。このあたりが、長調的人間性を示しているんじゃないかな、と思うことは可能でしょうが、まあ、主観の域は出ませんね。

むしろ、スクリャービンの作品では一連のピアノソナタの方が「色彩的」だと思います。
5番以降、全て単一楽章になるのがミソで、後半ものほどお勧めです。
でも、やっぱり、僕には上の実験のような意味での「色聴」は、ないようです。
今年グリークの協奏曲でご一緒したノルウェーのピアニスト、ブローテンさんも、前回(サン=サーンスの協奏曲で共演した際)
「僕は、感じないな」
とおっしゃっていました。
その辺、皆さんはいかがですか?

スクリャービンはアシュケナージが管弦楽曲/ピアノソナタとも精力的に録音しており、いずれも輸入版・日本版で複数種類出ている模様です。最安値のものを買っても最高値のものを買っても、演奏時期に差があってもまあ、解釈に大きな違いはありませんから、見つけて手が出たら「運命だ」と思って、それをお聴き下さい。英語版のほうが、解説が適切で締まりがある気がします(僕のダラダラ綴りとは大違いなわけです)。

・Complete Symphonies,Piano Concerto,Prometheus,Le Poeme de l'extase
Ashkenazy/Deutsches Symphonie Orchester Berlin DECCA 473 971-2

・The Piano Sonatas Ashkenazy DECCA 452 961-2

管弦楽曲・交響曲はスヴェトラーノフ最晩年の全集も出ています(若干高価です)。

はじめてスクリャービンをお聴きになるなら、管弦楽曲よりは、特に単一楽章化してからのピアノソナタ(第5番以降)をお奨めします。

「色聴」を持っていない、と思っている人にも「色聴」を感じさせやすい音楽作品が、いくつも存在するのは間違いありません。
すぐ思いつくのは
・ラヴェル「ダフニスとクロエ」第二組曲の第1曲
で、冒頭の低音が夜明けの水平線の深い赤色、鳥の声とともにすぐ上昇していく音列が、晴天の、より上空の青色を見事に感じさせてくれる・・・そうは思いませんか?

今回はこんな話でした。これを参考に、ご自分の「色聴」傾向をテストなさってみてはいかがでしょうか? 案外面白いかも知れませんヨ。

==付録==

1)色聴に関する実験/情報のサイト例

  実験1:
  http://www.lit.osaka-cu.ac.jp/UCRC/data/pdf_0503fiction/05_sakai.pdf

  実験2:http://www.lacrime.net/item_238.html

  共感覚についての説明(「同意できるもの」ばかりではないですが・・・):
  http://www.isop.co.jp/main/sikicho.htm
  http://czx1.fc2web.com/color_sinri02.htm#

  スクリャービンについて(ちょっと激しい・・・):
  http://www.ictnet.ne.jp/~yoshijun/bomb/bombScriabin.html


2)実験データを見る上での注意および「音」そのものの入門書

実は、とりあえず楽器や声に固有のスペクトル(いわゆる「音色」)の問題は取り上げた実験例では触れられていません。ピアノの音色が前提だと思って下さい。
「音色」に突っ込むには、かなりの工夫が必要だと思います。
また、ある音高からは人間は独自の色彩ではなく「白色光」ないしは光の無い状態を感じる傾向があるようです(「実験1」のレポート本文参照)。これは人間の可聴域や可視光線の周波数範囲と何か関係していないかどうか・・・これも研究に値する項目だと思います。
あるいは、光の色の場合、その強弱によらず、赤い光は電子を通さず、紫の光は電子を透過させる、などという電磁波的実験の結果も出ていますから、科学者にとっては光と色だけでなく、音をも関連させた実験ネタは、案外豊富に残されているんじゃないでしょうか? (手法が心理学的で、そのくせ偏差や母数の問題が上の実験では不明確なのが難点です。考える余地がたくさんあります。)
このテーマがイメージ論で主観的に放置されていてはもったいない・・・

音そのものに興味を持つうえで、比較的安価な入門書は次の2冊です。

・「図解雑学 音のしくみ」中村健太郎 ナツメ社 1999 税抜1,300円
・「音のなんでも小事典」日本音響学会編 講談社ブルーバックス 1996
                           税抜1,100円
最初のものの方が分かりやすいですが、「・・・小事典」の方が話題が豊富です。
「図解」の著者は「・・・小事典」の執筆にも関与しています。

「音」の本ではありませんが、
・「光と電気のからくり」山田克哉 講談社ブルーバックス 1999 税抜860円
もお勧め。

音の本1冊と光の本1冊を読むだけで、イメージがいろいろ膨らみます。
・・・「音楽」って、なんて深い謎を持っているんだろう、って。

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2007年11月17日 (土)

笑えた「火事」〜6年前の記録から

昨晩、睡魔に勝てず、10時には布団に倒れ臥しました。
で、2時半頃目が覚めて、なんとはなしに、昔綴った文章を眺めていました。
そしたら、家族で面白いことがあった時に綴ったなかから、こんな文章を見つけました。


火事(2001年6月22日)

 今晩、家の近所で火事があった。
 夜8時40分ごろ帰宅し、晩飯を食っていたら、サイレンが二重三重けたたましく家の前の道に押し寄せて、駆け去った。
 僕が飯を食っている脇で、宿題の「学校新聞」に絵を描いていた娘が、サイレンを聞いたとたん、まるでテーブルに付いた透明なバネにでも弾かれるように、ベランダの方へふっ飛んで行った。
 我が家は中古マンションの7階、目の前は空き地で、見晴らしがいい。天気が良ければ、夜は東京タワーや新宿高層ビル街の明かりが見える。今晩はあいにく、どんより曇っていて、遠くはモヤに霞んでいたが、1キロ先の国道周りのネオンを眺めるぶんには、こんな天気でも一向に支障はない。その、ちょうど1キロも先ほどのところに煙が上がっているのを、ベランダに出た娘がすぐに見つけて、大声を出した。
「ほら、あそこ、すごい煙だよ」
 なになに、と、女房もベランダへ駆け出して行った。
「あらら、ほんと、真っ黒、すごい」
 すごい、という言葉の連発に刺激されたのか、それまで恐竜画集に夢中だった息子も、ベランダに突進して行った。
「ホントダ、スゴイナー」
 舌足らずに、息子も叫んだ。本当に分かっているのか分かっていないのか。
 僕もベランダへ出た。ベランダからまっすぐむこうのところに、黒煙が大型の竜巻のように渦を巻いて、東風に煽られているのが見えた。
「これは随分大きな火事みたいだな。」
「ほら、下の方、火が見えるよ」
 女房が言うので、目を凝らしたが、はじめ僕には分からなかった。が、眺めているうちに、火がだんだん燃え広がったのだろう、めらめら大きくなって行く舌のような炎が、はっきりと見えて来た。
「焼肉屋さんのネオンの裏だな。焼肉屋さんが燃えてるのかなあ。」
「ちがうな、もっと裏の方みたい。」
 女房は部屋に戻って、近所の地図を開いた。
「焼肉屋さんのうらのほうに、化学工場とか倉庫とかがあるな。そこじゃないかな。」
「それじゃ、大きな火事になっちゃうかな。延焼しちゃうかな」
息子は、焼肉屋、という言葉だけが印象に強いらしく、煙を眺めて、
「焼肉屋さん、火事だねえ」
と、何度も繰り返す。
「焼肉屋さんじゃないってば」
と、娘が息子を怒鳴る。
「ふーん。・・・だけど、焼肉屋さん、火事なんだよねえ」
「だから、焼肉屋さんじゃないんだってば」
「火事だねえ、焼肉屋さん」
 まあ、距離があるのであまり心配はしていなかったものの、一抹の不安感は残っていた。
 そのうちにも、他に何台もの消防車が出動して行くらしいサイレンの音が、夜空いっぱいに反響していた。救急車も1台、脇の道をすり抜けて行くのが見えた。
「怪我とかしたりした人も居るのかなあ」
と、娘が、別にどうでもいいような平べったい調子で言った。
 息子は息子で、
「たいへんだねえ。事件だねえ」
と、さも嬉しそうに繰り返している。
 うーん、事件、ねぇ・・・
 我が家が騒いでいるうちに、右隣のTさんの家族も、ベランダに出て来たようだ。
 しばらく、うちと同じような会話をしているのが聞こえたが、そのうち、Tさんちのベランダで、白い光が2、3度瞬いた。
「あれ、今の光は何だ」
と娘が聞く。
「写真撮ったんだよ」
「写真なんか撮ってる場合かあ」
娘が大声で言うものだから、Tさんに聞こえてしまったかも知れない。
 僕は僕で、望遠鏡をベランダに持ち出した。
 しばらく使っていなかったので、どう頑張っても、なかなかピントがあわせられない。やっとピントが合った頃には、鎮火し始めたようで、煙の下のほうは白くなってきていた。
「ほら、のぞいてみな」
 娘にのぞかせた。
「なんだ、逆さまじゃん」
「天体望遠鏡だからな。」
 それでも、遠目にはおさまったように見えていた火が、まだしぶとく燃えていて、火の粉がちかちかと明滅するのが、レンズの中で手に取れるようだった。
火は、消防車のサイレンを最初に聞いてから15分ほどした頃には、おおかた消えたようだ。しかし、残りの白煙がすっかり見えなくなるまでには、1時間はかかったと思う。
 あとで風呂に入ってからも、息子は、洗い場でしつこく、
「きょう、事件だったねえ。事件だなあ」
と繰り返した。
「あした、幼稚園でミキ先生にお話すればいいんじゃない」
と、一緒に風呂に入っていた娘が、息子をあおるように、言った。
「事件だもんねえ」
 息子が、分かったような相槌を打っている。
娘も、
「『となりの人が火事の写真を撮ってた』って、学校でみんなに話そうかなあ」
「事件だねえ。焼肉屋さん、火事だったもんねえ」
「だから、焼肉屋さんじゃないっつーの」
 風呂で子供二人はカラカラ笑った。
 火事が近所だったら、こいつら、こう呑気では居られなかったろうに。
 かくいう自分も、
「この程度の火事じゃあ、ニュースにはならないかな」
と、テレビのチャンネルをしつこく変えながら、この火事がちっともブラウン管にうつらないことに、実はがっかりしていたのであるが。
 風呂上がりの後、子供らは、なかなか眠らなかった。笑い声が急に寝息にかわったので、ふと時計を見ると、まもなく夜中の12時だった。



この「火事」のころはまだ空き地だった我が家の前も、今はすっかり家が建てこみました。

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2007年11月15日 (木)

「オルフェオ」は死んだのか?

(昨日、「北とぴあ」での「オルフェオ」の印象をつづりました(本日と17日に上演)。その関連で、2年前にメーリングリストに記載した、「オルフェオ」を巡る文章を再掲します【一部修正】。かなりの長文ですが、お読み頂ければ幸いです。)


矢代秋雄、という作曲家をご存知でしょうか?
大学時代の同級生に、彼の甥がいました。
「知ってるか?」
と聞かれたとき、私はうかつにも、知りませんでした。
それからちょっと興味がでて、本屋を覗いたら、矢代秋雄の著作がありました。
とても学生が買える値段ではなく、内容も難しかったので、購入を諦め、関心はそこで止まってしまいました。
・・・今思うと、甥っ子の同級生に、もっといろいろ話を聞いておくべきだった。
音楽をやっているのに、当時の私は無知といえばあまりに無知でした。

黛敏郎と共にフランスへ留学した彼は、衒学的な学業に嫌気がさした黛とは対照的に、かの地できっちりと、和声や対位法の伝統を学びました。そのためでしょうか、彼の作品は、野心的であると同時に、折り目正しさも兼ね併せた香りを、きらきらと放ちます。
パーティで会った中村紘子の陽気さが気に入り、作曲中だったピアノ協奏曲を数年後彼女に初演させたのですが、弾いた彼女の方は練習に四苦八苦し、初演時は手が絆創膏だらけで、テレビではとても手元のアップが映せる状態ではなかった、とは、この協奏曲のポケットスコアの前書きに記されているエピソードです。
矢代唯一のピアノ協奏曲は、なかなかの優れ物だと思います。もっと海外に紹介されてもいいし、演奏会で採り上げられてもいい。濃淡のくっきりしたピアノソロで聴きたい曲ですが、そこまでの録音が出ていないのが寂しいかぎりです。

矢代秋雄は、1976年4月、46歳で急逝しました。
彼の残したエッセイ集があり、入手したかったのですが、見つけたとき主目的としていた本を買うと財布のお金が足りなくなるので、とりあえず断念し、一部を立ち読みしました。
エッセイの中で、彼は
「オルフェオの死」
という標題の文章を載せていました(書籍の題名でもあります)。
どういうことだ、と思って頁をめくると、次のような意味のことが綴られていました。

「音楽は、神の如き、すなわち、琴を奏でれば獣も引き寄せたというオルフェオの響きのごとき呪縛や祝福の力を、もはや失ってしまった。」

悲痛ですが、矢代が高く評価していたブーレーズも「オペラの死」ということを盛んに語っていましたし、その影響もあったのかも知れません。しかしながら、どうしてここまで切ない言葉を吐いたのか、真実はもう知りようがありません。
先のピアノ協奏曲の完成は1967年。それからなお9年間、彼は生きていたのですが、矢代の実質上の主要作は、このピアノ協奏曲が最後です。
彼の中で、彼の肉体に先立って、本当にオルフェオは死んでしまっていたのでしょうか?


ギリシャ神話中の「オルフェウスとエウリディケー」の物語を、ご存知でない方はいらっしゃらないでしょう。

アポロンの子で音楽の聖オルフェウス(オルフェオ)は、新妻エウリディケー(エウリディーチェ)が毒蛇に噛まれて死んだため、自分は生きたままで冥府に赴き、地獄の大神ハデスとその妻ペルセポネを竪琴の調べと哀切に満ちた歌で口説き落とし、エウリディケーの奪還に成功します。ところが、後をついて来る新妻の霊を冥府を出るまで振り返って見てはならない、というハデスの言い付けを守りきれず、途中でエウリディケーを見てしまったために、結局彼女を現世に連れ戻すことに失敗します。絶望に打ちひしがれたオルフェウスは、バッコスの信女達に言い寄られますが、無視しました。信女たちは怒ってオルフェウスを八つ裂きにして殺してしまいます。その死を悲しんだアポロンの請願で、ゼウスはオルフェオの竪琴を星にしました。これが今、私たちの知っている星座のひとつ、日本では七夕で馴染み深い織女星(ベガ)を1等星に持つ「こと座」となったのです。

・・・だいたい、こんな話です。

この物語の原初をたどることは出来ませんでした。はじめて体系立てられた「ギリシャ神話」はヘシオドスの手になる「神統記」という、個人に帰せられる叙事詩でしたし、国家的事業として編纂された神話集などというものは、ギリシャにはそもそも存在しませんでした。したがって、神話各々の物語が何らかの宗教行事に由来するのか、娯楽的説話に源を持つのかは、民族学者や歴史学者でも容易に結論付けられません。ただし、オルフェウスの物語は宗教起因らしいことは、後述するような事情から伺われます。

ところで、国家事業として、歴史の起源としての「神話」をまとめたのは奈良期の日本くらいでしょう。中国でも「史記」以前にそうした試みがあったようですが目にしていませんし、いずれにせよ日本ほど「神話」に重きをおいているわけではありません。ロシアに至っては、キリスト教の浸透とともに、それまではおそらくアイヌのように口伝されていたであろう「神話」は民話の中へと雲散霧消してしまいました。北欧も、ワーグナーの「指輪四部作」の元となった叙事詩は様々あるものの、決して体系付けられた神話ではありません。西アジアの神話に至っては、聖書に吸収され、キリスト教が他の宗教を滅ぼしてしまったあとには、19世紀の楔形文字解読までその独自の神話は忘れられてしまったままでした。

西欧諸国では、やはりキリスト教化後、旧教の神々は或いは「天使」に変貌、或いは聖人として「人間化」し、あるいは「悪魔」や「魔女」へと墜落していきました。
そうした中を、ラテン語で書かれた文献だけが、キリスト教に関係ないものまでも生き残っていきます。
キリスト教会(カトリック)は、既に滅び去った西ローマを「神聖ローマ帝国」という名目で存続させることにより、古代ローマ・コンスタンチヌス帝時代に勝ち得た「公認宗教」の権威を保つ必要がありました。その権威で自分達も生存可能となっていたため、ローマの文芸的伝統は聖書と共に絶対に失ってはならない貴重な財産だったのです。
(余談ですが、東方教会には15世紀まで東ローマ帝国のバックアップがありました。東ローマ崩壊後は、18世紀にピヨートル大帝が意識的に教会と分離を謀るまで、ロシア皇帝が「第3のローマ」の権威者を自任し、東方教会の保護にあたりました。ロシア革命は東方教会にはマイナスに作用し、騒ぎを避けて亡命した教団・信者は未だに辺地で信仰活動を続けています。いっぽう、神聖ローマ皇帝位は結構早く名目だけのものになってしまったようですが、完全な消失は20世紀初頭、ハプスブルク帝国断絶の際のことです。)

ギリシャ・ローマ神話をまとめた著作として、中世期によく読まれたのは、1世紀の詩人オイディウスが紀元8年にラテン語で書いた「変身物語」(岩波文庫に翻訳収録)だったそうです。多くの中世ヨーロッパ人は、この書を通じ、ギリシャ神話とキリスト教を融合させていったのかも知れません。

音楽の面では、「聖歌」の世界とは別に、中世には活き活きとした世俗の歌も発達していたはずですし、十字軍の遠征が盛んになった12世紀以後は、騎士身分だった吟遊詩人の作品に限られるとはいうものの、そうした音楽の楽譜も残り始めます。なおかつ、器楽の楽譜も現れだします。
(ついでながら、吟遊詩人の作品は、宗教音楽に先立ち、早くから作者の個人名が明らかになっている点、騎士の活動が日本の武士のそれとあまり変わらなかった・・・すなわち、個人名において賞を受けなければ生きていけなかった事情を示しており、活躍時期も日本の平安後期から鎌倉期とダブっているのが面白く感じられます。)

極めつけは「典礼劇」と呼ばれる音楽劇が公衆の前で演じられるようになったことで、旧約・新約両聖書に題材を持ったものに限られるとはいえ、バロック初期に確立するオペラやオラトリオの原型が、これによって芽生えました。
(音源例:「ダニエル劇」=付録=参照)

「典礼劇」は「聖歌」とは異なり、庶民に分かりやすくするため、旋律やリズムも俗謡を取り入れ、器楽の伴奏まで付けたものでした。
当初は聖書の物語を普及させる目的で作られましたが、次第次第に目的の枠が外れ、ギリシャ神話やキリスト教以外の歴史物語などを筋立てとする亜流が発生しだします。それらはのちに「田園劇」等、典礼劇以外のジャンルとして括られるようになりました。
この中に、1480年頃作の「オルフェオ寓話劇」も含まれています。

もはや、あとは1世紀のちにオペラが誕生するのを待つだけでした。


以上のような前史を経て、1598年、イタリアで初めてのオペラと言われている「ダフネ」が上演されました。この「ダフネ」の楽譜は残っていません。
続いて1600年に上演されたペーリ・カッチーニ合作の「エウリディーチェ」が、今でも音符を見ることの出来る最古のオペラとされています。

さらに、最初の傑作オペラと認められているモンテヴェルディの「オルフェオ」が、1607年に上演され、当時としては異例なことに、まもなく(1609年)総譜も出版されます。百年後になってもなお上演されたことが確認できる、評判の高い作品でした。

それからだいぶ時間が経ち、マンネリ化したオペラ界に革新をもたらす、という意気込みで1762年にグルックが発表した作品がまた、「オルフェオとエウリディーチェ」でした。こちらも随分と人気を博したようです。

楽譜の残る最古のオペラは、ペーリらの「エウリディーチェ」。
最初の傑作オペラとされているのは、モンテヴェルディの「オルフェオ」。
オペラ改革に大きな足跡を残したのは、グルックの「オルフェオとエウリディーチェ」。

時代の転機となったオペラは、なぜ、「オルフェオ」に関わる物語だったのでしょう?
それが必然だったとしたら、なぜ「オルフェオ」でなければならなかったのでしょう?

明確な理由は、事実のみを綴った歴史上の記録には何も見いだすことができません。
そのとき、オルフェオは生きていたのでしょうか?死者として奉られたのでしょうか?
それとも、死者の中から復活を遂げ、人々の前に姿を現わしたのでしょうか?

復活したオルフェオのその後は、どういう運命をたどっているのでしょうか?


オルフェオそのものの話に入る前に、中世によく読まれた神話集「変身物語」の、オペラへの影響度を見ておきます。
書籍「オペラの誕生」(東京書籍、現在は講談社学術文庫に収録)は、完全網羅ではありませんが、1800年ごろまでの作品のリストを掲載していますので、それを参考に割合を出してみました。
19世紀までの傾向はこれでおおよそ掴めると思います。

リスト掲載作品数:436
うちギリシャ神話・叙事詩題材のもの:100作品(約4分の1)
上項で「変身物語」中に共通話が有るもの:59作品(全体の14%、神話劇の60%)

多少の数え違いがあるかもしれませんが、こんな具合です。
現存作品で見る限り、4分の3は歴史劇や笑劇、ゴシップ劇の類いでした。
時期別の区分は面倒なのでやっていませんが、次のようなことはいえます。
オペラは当初限られた人々を集め非公開で上演されていました。
それが1640年ごろになると、イタリアの街に次々と劇場が出来、一般公開で上演されるようになります。
それ以後、ギリシャ神話題材のオペラは、ほぼ平均して4分の1という割合を保って創作されていたようです。

そのかたわら、「変身物語」全15巻163話中採り上げられている題材は22話(約14%)に過ぎないことには着目しておかなければなりません。ギリシャ語原典およびその翻訳が既に普及していたためかと思われます。
それでも、「変身物語」の影響下にあった神話劇の割合が6割あることは、オイディウスのこの著作がバロック以前までどれだけ知れ渡っていたかを示して余りあると言えるでしょう。
ただし、22話(物語自体は複数の節にまたがっており、もう少し多めに数えるべきだったとはいえ)しか取り上げられていないのは、劇化されるだけの魅力に満ちた物語が世の中にはいかに少ないか(それは現代にも言えることでしょう)をあらわしてもいるに違いありません。
さらに、22話の採り上げられ方にも差があり、1人の作曲家のみがオペラ化したものが8話、2人~3人がオペラ化しているものが8話、これだけで16話を占めています。

例外的に8人がオペラ化している神話が、2つだけあります。
ひとつは、「ダフネ」。アポロンに追いかけられたニンフが逃げるうちに月桂樹に変わってしまった、という、月桂冠の由来話です。記録に残る最初のオペラの題材になっているもので、興味深くはありますが、考察はまたの機会に譲りましょう。
もう一つが(「オペラの誕生」でリストに載せられていない1作を含む)、「オルフェウス」の物語です。
「ダフネ」と並び、「オルフェウス」が一番人気だったわけです。

次いで数の多いオデュッセウス関連の物語は5作と差が開きますし、その上、題材としてはむしろホメロス系の資料によっていると思われますので、実質上「変身物語」の影響はもっと少ないと見なければならないでしょう。


ギリシャ神話だけで全オペラ作品の2割5分を占めたのは、ある意味では驚異的だったかも知れません。しかも、ギリシャ・ローマの叙事詩を題材にとったものも含めれば、
近世西欧にとって異教世界だった古代南欧を背景に持つオペラの割合はさらに高まるのです。西欧人は、キリスト教徒の顔をしながら、観劇にでかける最低でも4回に1回は、異教の世界に身を委ねていたことになります。

18世紀末のフランス革命を発端に拡がった市民革命運動が、しかし、オペラ世界の曼荼羅を書き換えてしまいました。
ベルリオーズの長大な「トロイアの人々」をほぼ最後に、古代ギリシャ・ローマに舞台を求めるオペラは急速に姿を消していきます。一覧できる作品表を入手できなかったので、確言までは憚られますが、試しにマイヤーベア、ドニゼッティ、ヴェルディといった大物作家の作品表を一瞥しても、こうした状況はひと目で納得して頂けるでしょう。
19世紀から20世紀に作られた最大の神話劇はワーグナーの「指輪四部作」ですが、これとて素材は北欧神話であり、もうギリシャの神々の出番はありません。なおかつ、ニーチェが「ツァラトゥストラ」で
<神は死んだ>
と宣言して以後、ギリシャ神話が神話そのものとして歌劇に登場した例があるとは、私は寡聞にして知りません。R.シュトラウスの「アリアドネ」にしても、劇中劇として計画されたもので、登場するアリアドネもバッコスも、もはや神話世界の住人ではなく、俳優が演じる役柄に過ぎないのです。・・・
一方で、メシアンから現代作曲家ペルトに至るまで、キリスト教的宗教音楽は作り続けられています。
<神は>全て<死んだ>のではなかったのでしょうか?

とにかく、少なくとも、ギリシャ神話の神々は、ヨーロッパ人が近代的自由を獲得した途端、姿を消してしまったのです。・・・ゼウスは、アフロディテは、バッカスは、死んでしまったのでしょうか? そうだとしたら・・・例外的に時々音楽作品に顔を顕すアポロンやミューズたちは、かろうじて生き続けているようですが、何が神々の生死を分けたのでしょうか?


あらためてオルフェオを追跡し、その行方を確認することで、答を探してみましょう。
17世紀から二百年の長きにわたって一番人気だった彼は、その二百年をどう過ごし、今はどこにいるのでしょうか?

一番人気時代にオルフェオが採り上げられたオペラは、先述のように8つはあります。
それぞれの作品の作曲年と上演形態を、まず眺めることから始めましょう。
()内にアルファベットを入れたのは、あとで筋書きを比較するときに使う作曲者名の略号です。()を付けていないものは、その際はとりあげません。

 作曲者/標題、作曲または初演年、 上演形態の順です。
       
・ペーリ/カッチーニ 「エウリディーチェ」:1600年~非公開(フランス国王アンリ4世とメディチ家のマリアの結婚祝)

・モンテヴェルディ(Mo) 「オルフェオ」:1607年~当初非公開(会員制のアカデミアにて上演)

・ランディ(La) 「オルフェオの死」:1619年~非公開? ローマ?

・ロッシ、ルイージ 「オルフェオ(悲喜劇)」:1647年~非公開(パリ王宮)

・シャルパンティエ(CH) 「オルフェオ冥界への下向」:1687年~当初非公開(前身作は室内歌劇)王宮にて。未完の可能性あり

・テレマン 「オルフェオ 驚くほどの愛の堅固さ」:1726年~公開(ハンブルク ゲンゼマルクト劇場)

・グルック(G) 「オルフェオとエウリディーチェ」:1762年~公開(ウィーン、ブルク劇場)

・ハイドン、ヨーゼフ(Hy)「哲学者の魂 オルフェオとエウリディーチェ」:1791年~劇場と興業主の対立で上演されず(20世紀に復活)

平均でおよそ20年に一度主役に祭り上げられていたオルフェオですが、19世紀になると、突然オペラから姿を消します。
かろうじて彼の登場する作品を探しました。もっとあるのかも知れませんが、私が発見できたのは2作のみ。
まずは大オペラ作曲家ロッシーニが、なんと、オペラではなく小規模なカンタータに、オルフェオを登場させています。
もう1作はリストの交響詩「オルフェオ」。
舞台の袖にかろうじて小さく顔を出していたオルフェオが、再び主役に躍り出るのは、ミヨー(Ml)の3分たらずのオペラ「オルフェの不幸」(1926年初演)と、ストラヴィンスキーの3場だけのバレエ音楽「オルフェウス」(1948初演)。
以後、現代作曲家もあたって見ていますが、彼は私にとって再び行方不明のままです。
(捜索願を出しています。見かけたかたはお知らせ下さい。切にお願い致します!)


さて、次にこれらの作品のストーリーを比較してみましょう。
一番人気だった栄光の過去を持つせいか、神話の骨組みに対し、各人各様の色づけがさ
れていて、一筋縄では行きません。
ストーリーの概要を列挙、その部分を各作品が取り上げていれば丸印をつけて、違い具合を一目でご覧頂けるようにします。ストーリー概要の()で括った部分は、神話の骨組みに各台本作者が付加した要素です。
    作曲者        Mo  La  CH  G   Hy  Ml 

なんとかまとめて24項目、そのうち神話の骨組通りのエピソードは11項目だけです。
それぞれの台本が、それらに対し如何に癖の強いものであるかは、各列の○の位置で充分推測できることと思いますが、いかがですか?

ミヨーはあとまわしにして、ハイドンまでを比較してみると(神話骨組項数/全体項数)
・神話に最も忠実度が高いのはモンテヴェルディ(6/7)。本来の台本はオルフェオが八つ裂きの死を迎えることになっていたそうですし、アポロンに天上へ連れていかれるのは星座神話としては正当な結末でもあり、実質100%神話に沿っていると言えます。
・シャルパンティエは6/6ですが、途中で話が終わっており、未完との推定もあります。
・次いで、グルック(7/9)。率に変えればモンテヴェルディより高いのですが、エウリディケーが生還するハッピーエンドが忠実度のポイントを下げるでしょう。(なお、とりあげなかった別の作曲家達の3作は、ハッピーエンド型です。)
・ランディ、ハイドンの作品は、それぞれに特殊です。ランディもハイドンも、まずオルフェオを八つ裂きの死に追いやっています。この点は神話通りです。
しかし、ランディの作品の本質は、オルフェオの死後にある点、他のどれにも勝って独自の世界観を打ち出しています。死による安息、それも地獄も煉獄もない単一の冥界で全てを忘れることによって得られる異教的な安息をもって劇をしめくくった台本作者はランディ自身だったのではないかとも考えられており、ちょうどこの頃ガリレイが「天文対話」で天動説的世界観を徹底的に打ち砕いたことの影響も、この作品の個性的な死生観に反映されているような感じを受けます。なによりも、半神半人的キャラクターを有していたはずのオルフェオは、ストーリー上ではそうした性質は保持していることにはなっているものの、冥界での彼の振る舞いは、もはや人間そのものです。
ハイドン作品の台本は、神話通りオルフェオの死をもって結末を迎える点ではランディほどの独自性はありませんが、前半部、エウリディケーが死を迎える複線作りに力を入れている点に、バロックからの決別が示されてると見てよいかと思われます。
そもそも、「オルフェオ」ものは「変身物語」記載の恋愛面を強調するという歪曲を経て成り立っている、ギリシャ本来のものに比べ過多に叙情的な脚色を加えられた神話群のひとつです。本来のギリシャ神話には、アポロドーロスの記述によると5人のエウリディケーが現れますが、その中には同一女性が重複しているかも知れません。
しかしながら、オルフェウスの妻とされるエウリディケーだけは、その出自(親や出身地)が記載されていないのです。
ハイドンの台本作者は、複数のエウリディケーの伝承を承知していたのかも知れません。ただし、台本内で設定している彼女の両親名は、いずれも神話には全く登場しないものです。かつ、エウリディケーの死の原因に合理性を持たせようという台本作者の発想は、ランディの頃に芽生えながらもなかなか浸透しなかった合理主義的発想が18世紀末には定着したことを私たちに見せてくれているとも考えられます。・・・この点では、グルックの「愛の勝利」的結末も、同様な発想の元に創作されたと見なすべきでしょう。道徳的な筋が通る行為は勝利をもたらす、との発想は、モンテスキューやヴォルテール、ルソーによって芽を出し始め、1780年代にはカントによって大成されることになります。


では、「合理主義」の浸透にせっかく乗り遅れず生き残ってきたオルフェオは、ハイドンの作品での「死」を最後に、どうして死んでしまったのでしょう?・・・あるいは、姿を消したのでしょう?

それは「合理主義」の初期には開明的だった君主達が、「合理主義」によって発展した社会革命運動で窮地に立たされ、結局は反動的抑圧政治を行なうようになったことと大いに関係しているのでは、といったあたりに原因があるのではないかと思われます。
「死者をよみがえらせる力」を持つオルフェウス、その他、その神意によっては人々の自由を君主の権威より上に立たせることを辞さないオリュンポスの神々は、唯一神しか認めないキリスト教に比べる権力者達には邪魔で仕方のない存在に転じてしまったのではないでしょうか。・・・そして、邪魔者は消された・・・
(発想がとび過ぎていやしませんか? 綴っていながら心配ですけれど。一応、こういう結論にしておきましょう。)


後述する、とはじめのほうで言っておきながら、
「オルフェオ神話は宗教的な起源を持つ」
ことについて、ずっと説明をしていませんでした。

ルネサンス前期の思想家に、フィチーノという人物がいました。
敬虔なカトリック者でありながら、この人物は、オルフェオにかなり傾倒していたことで、研究者の間では知られています(D.P.ウォーカー「ルネサンスの魔術思想」=付録=参照)。

カトリックの偉大な教父アウグスチヌスが口を酸っぱく「占星術にとらわれてはいけない」と強調していたにもかかわらず、フィチーノやこの頃の聖職者は占星術を信奉していました。これは教父たちの説いた道徳律とは別に、神学者達がプラトンの宇宙観を通じて「宇宙~惑星の配置の数的調和」に魅せられていたためです。
プラトンの宇宙観は、もとはといえば謎の哲学者ピュタゴラスに根ざすもので、音程の整数比を発見したのもピュタゴラス(実はその弟子らしい)でした。
この、「宇宙の調和と音の調和」を神の示現と捉えたフィチーノは、古代のピュタゴラスらが崇めていたオルフェウスに傾倒し、朝昼となく夜となく、リラを手にオルフェオ賛歌を歌うのを常としていました。

フィチーノのオルフェウス賛美思想は賛否両論を巻き起こしましたが、一見迷信的なこの思想は、「ルネサンス」以降の合理的発想に前向きな方向性を与える結果となりました。
最初期の「オルフェオ」ないし「エウリディーチェ」オペラが発表される少し前、コペルニクスが死と同時に地動説を発表する著作「天体の回転について」を出版しました。
ペーリらの「エウリディーチェ」が演じられた1600年には、その地動説を熱烈に支持したジョルダーノ・ブルーノが火刑に処せられました。しかし、彼らはこの時点でガリレイのように「科学的観測結果」に基づいた客観的事実を確認して地動説を唱えたわけではなく(コペルニクスの考察自体には科学の論理がありましたけれど)、
「太陽を中心に惑星が回っているほうが、神の存在の証としてはふさわしい」
という面から地動説にこだわったのです。
ですから、コペルニクスもブルーノも、「占星術」には執着していました。さらに驚くべきことは、のちにニュートンの「万有引力の法則」発見に繋がる「惑星楕円軌道(それまでは真円だと思われていた)」を証明する膨大な観測データを残したチコ・ブラーエ、チコのデータを整理して法則性を発見したヨハネス・ケプラーは、もとはといえば占星術師として貴族に雇われていたのであり、彼らの占いはよく的中することで有名でもあったのです。肝心のニュートンも、占星術の大ファンでした。
ローマの教皇庁も表向きは禁止しておきながら、法皇自身が占星術好きで近臣のホロスコープを描きまくっていた、などということもありました。

中世期から引き続いて人々の間に蔓延していた占星術、すなわち「宇宙の調和」が人間を支配する、という発想は、自覚されていたにせよされていなかったにせよ、その原点である、ピュタゴラスらが信奉した「オルフェウス」を必然的に「調和のシンボル」に仕立て上げたのでしょう。ローマ時代の壁画に、イエス・キリスト、あるいはダビデがオルフェウスの姿をしている図像が存在してさえいます。
しかしそれは、決して公認されている「シンボル」ではありませんでした。初期の「オルフェオ」系オペラが非公開で初演されたことも、オルフェウスが古代異教の半神でありながら内実はキリスト教の「神の調和」世界を象徴しており、その威力に祝賀を受けたい人々の間で極秘裏に享受されなければならなかったという事情が介在していたに違いありません。

但し、オルフェウス神話は、おそらくは数千年前から起源1世紀の「変身物語」の成立まで長い年月をかけてロマン化された物語です。古代のオルフェウス教(オルペウス教)は、バッコス(デュオニソス)の宗教と混同しており、むしろ調和とは程遠い、狂信的な宗教だったようで、その片鱗が
「オルフェオはバッコスを信じる女達に八つ裂きにされた」
という、その肉体の死に関する伝承に残っていることを見逃してはなりません。
オルペウス教のこうした特徴は、やはり残っているギリシャ悲劇「バッコスの信女たち」で王が女達に八つ裂きにされる、という結末を迎えるところからもはっきり分かります。
そのため、モンテヴェルディ作品の場合、台本は「オルフェオが八つ裂きにされて死ぬ」という結末を当初は持っていましたが、何らかの理由で、現在聴けるように「アポロンによって天上に迎えられる」という結末に差し替えられたことが判明しています。
八つ裂きなどという、およそキリスト教の神にふさわしくない残虐な結末は・・・如何に西欧人が「十字軍」という残虐行為を行なった経験を済ませていたからといって・・・やはり「占星術信奉派の調和を重んずる熱心なキリスト教徒」には受け入れがたかったのでしょう。

(参考:ヘシオドス「神統記」にはオルフェウスは登場しません。デュオニュソスそのものが最も古いギリシャの神であると同時に外来の神だったとも言われており、同時にオルフェウスと関係が深い様子がいろいろな著述から伺われますが、デュオニュソスとオルフェウスの関連性は呉茂一「ギリシア神話」(日本で最もよくまとまったギリシャ神話の本です)からは判明せず、アポロドーロスの記述ではオルフェウスはむしろアポロンと結びついています。オルフェウスとデュオニュソスがどこでどうつながったのかは、文庫クセジュ「オルフェウス教」をご参照下さい)。デュオニュソスのほうは「神統記」に登場するので、「神統記」が著わされた紀元前8世紀後半には、まだ二者の混同はなされておらず、その後オルフェウスはイアソンのアルゴー遠征の叙事詩(100~200年後)には英雄の一人として現れますから、オルフェウスとデュオニュソスの混同はそれからあまり遠くない時代になされたのかもしれません。なお、ヘロドトス「歴史」には、エジプトのある慣習について「いわゆるオルフェウス教及びバッコス教(これらは本来エジプト起源である)、さらにはピュタゴラス派の戒律と一致するものがある」との記述があることから、この本の成立した紀元前430年以前にはオルフェウスとデュオニュソスの混同は起こっており、それはおそらく紀元前6世紀頃だったと推測されます。)


ここまででも冗長になったので、あと少しにとどめますが、オルフェオが上述のような受け止められ方をしていたことを知ってからランディ以降の作品の筋書きを見直すと、人の信仰心などというものがいかに簡単に変貌し、崩壊していくかが、あらためて俯瞰出来るように感じます。

ランディの時代、ガリレイが人類の宇宙像を大きく変えたことは前述した通りです。
結果的に教皇庁から「異端」とされた彼を強烈に支持したのは、カンパネルラという思想家でした。が、彼は科学的見地からガリレイを支持したわけではなく、むしろフィチーノ的な思想をカンパネルラなりに突き詰めていったとき、既存の価値観よりも一層、ガリレイの示した事実は「神の調和」を完全に示してくれると考え得るからこそ、ガリレイを弁護したのです。その意味で、ランディやカンパネルラの時代からグルック、ニュートンの時代までは、現代人が享受している科学的技術に繋がる発見や発想が次々と広まっていくにもかかわらず、なお「調和のシンボル」としてのオルフェオには居場所が残っていた、といえます。
それでも一方で、オルフェオの居場所は徐々に、いや、むしろ急激に狭まっていくことも、ランディ~グルック~ハイドンと、それぞれの筋立てを探っていくと明瞭です。

・ランディにおいては、オルフェオの安息の地は天上ではなく、冥府にあります。

・グルック作品では、それまで自己主張をしたことのなかったエウリディーチェの霊が、冥府から現世へ帰る道で一度も自分を振返ってくれないオルフェオの冷たさを激しく責め立て、苦しめます。あたかも、
「だってもう、あなたのいるべき場所は冥界だと、ランディさんが教えてくれたじゃないの!」
と言わんばかりです。

・ハイドン作品では、それでも現世に執着を示していたらしいオルフェオが、とうとう八つ裂きにされ、古代同様、決定的に冥府送りを受けるのです。

オルフェオの現世での「死」が、仮のものだとしても、見掛け上の現実としてハイドンの頃には確定してしまった。
これは同時に、人間が「宇宙の調和」の束縛から自由を獲得したことをも決定付けたのです。


それでも、音楽を「信じる」人々はオルフェオに対する憧憬を捨てることが出来なかったのでしょうか?
若干とは言っても19世紀以降「オルフェオ」の名を冠している作品がポツリポツリと作られ続けたのは、オルフェオを捨てられない音楽家の偏屈がなせる業だったのでしょうか?
音楽はまだ、「占星術」を信奉しているのでしょうか?

いえ、先に例示したリストの交響詩にせよ、ミヨーの短いオペラにせよ、以前の活き活きした半神オルフェオなど、描きはしていません。

ロッシーニのカンタータはオルフェオへの挽歌ですし、リストの交響詩も、静かな「レクイエム」とでもいうべき、哀しい中世への回顧です。
ミヨーのオペラの場合、エウリディーチェは「ジプシー娘」であり、オルフェオは歌の上手い「牧人」に過ぎず、彼を八つ裂きにする女達は古代異教の信徒ではなく、エウリディーチェの姉妹なのです。神話の世界にそれぞれの固有名詞を借りているだけの人間劇、それがミヨー作品の実態です。ランディ以降の「オルフェオの人間化」、というより、経緯をよく見ていくとオルフェオの「人としての側面」の抹殺が、ここで全面的に打ち出されてしまったわけです。半神オルフェウスは、もはや完全に「冥界の一員」に過ぎないものになってしまったようです。


オルフェオは、やっぱり死んだのか・・・

ここまで綴ったところで、衝撃的な噂を耳にしました。

オルフェオはヨーロッパのどこかで、その肉体はやはり死骸として発見され、ある画家がそれをもとに遺影を描いたそうです。。。カメラを持ち合わせなかったからでしょう。
カメラなんか売っていないような辺地で、彼は死んだのだそうです。

お弔いは、なぜか日本で、武満徹という、これも数年前に冥界入りしたオルフェオ的人格の手でなされたそうです。葬儀のバックグランドミュージックとして彼が作った曲は
「閉じた眼」
という、ほんの8分ほどのピアノ曲だったそうです。

今まで秘されていたなんて、こんな噂、信じるに足るのでしょうか?

なお捜索願を取り下げずに置くかどうか、私としては今、非常に迷っている次第です。


長々恐縮です。
読んで下さってありがとうございました。


=付録=

1)「オルフェオ」関係曲(比較に用いたもの)のCD・DVD・スコア
 ※ モンテヴェルディだけは是非お聴きに、もしくはご覧になって下さい。
   素直で素晴らしい作品です。

 ・モンテヴェルディ(CD・DVD・スコア)
  C D:国内盤 ARCHIV UCCA-3110/1 モンテヴェルディ合唱団
      ガーディナー/イングリッシュ・バロック・ソロイスツ
  DVD:BBC OA 0843 D(日本語字幕なし)初演当時の雰囲気に似せた現代演出
  スコア:Universaledition(高価です)他2、3種が日本で入手可能

 ・ランディ(CD)
  C D:輸入盤 ACCENT ACC30046 Instrumental Ensemble <Tragicomedia>

 ・シャルパンティエ(CD)
  C D:輸入盤 4枚組の曲集の1枚 Warner Classics 2564 61758-2の1枚

 ・グルック(DVD・スコア)
  DVD:ART HAUS MUSIK 100 417 日本語字幕あり 現代風演出
      初演時風演出のものでもっと安い物、ベルリオーズ編曲盤映像もあります。
      映像で見ないと分かりにくい作品かも。
  スコア:Riccordiのヴォーカルスコアを買ってしまいましたが、大失敗。
      DOVER版のフルスコアの方がずっと廉価です。
  
 ・ハイドン(CD)
  C D:輸入盤 MYTO Records 2MCD 905.29(2枚組)

 ・ロッシーニ(CD)
  C D:国内盤 ロッシーニ カンタータ全集第2巻 デッカUCCD1034所収、
      「オルフェーオの死に涙するアルモーニア」シャイー/スカラフィル

 ・リスト(CD)
  C D:輸入盤5枚組 Capriccio 49 950 フェレンチーク指揮

 ・ミヨー(CD)
  C D:輸入盤 ACOCORD 476 159 1 ジャック・ブルーメ他

 ・武満徹(CD)
  C D:国内盤 武満 徹・ピアノ作品集 ピータ・ゼルキン RCA BVCC1508

2)ギリシャ神話および伝説に関し参照した書籍
 ※ 西欧音楽に現れるギリシアの神々や英雄について「おや?」と思ったとき、
   最初に挙げる呉さんの著書は必携です。呉さんの著書でも不明な点は
   アポロドーロスでほぼ決着がつきます。他は、ご興味に応じて・・・

 ・「ギリシア神話」呉 茂一著 新潮文庫S54初版 上・下(現在もあるはず)

 ・「ギリシア神話」アポロドーロス(高津春繁訳)岩波文庫 1953初版

 ・「神統記」ヘシオドス(広川洋一訳)岩波文庫 1984年第1刷 現在絶版

 ・「歴史」ヘロドトス(松平千秋訳) 岩波文庫 1971年第1刷 上・中・下
   現在も発刊中であることは確認しました。

 ・「変身物語」オイディウス(中村善也訳)岩波文庫 1984年第1刷 
   上735円、下735円

 ・「ホメーロスの諸神賛歌」沓掛良彦訳 ちくま学芸文庫 2004年第1刷
   税別1,500円(オルフェウスは登場しませんがディオニュソス賛歌を所載。)

 ・「ギリシア・ローマ古典文学案内」高津春繁・斎藤忍随著 岩波文庫1963年第1刷

 ・「ギリシア悲劇IV エウリピデス(下)」所収「バッコスの信女」
   ちくま文庫 1886年第1刷

 ・「ギルガメシュ叙事詩」矢島文男訳 ちくま学芸文庫 1998年第1刷
   税別900円
   ※ 人類最古の叙事詩とみられる標題作の他、併集の「イシュタルの冥界下り」
     に、古代メソポタミア人の「冥界」観が打ち出されており、ギリシャの冥界
     観への強い影響が見なされます。
     「ギルガメシュ叙事詩」に含まれる大洪水説話は旧約聖書創世記中の「ノア
     の箱船」説話の原点として解読当初からヨーロッパ人にセンセーションを巻
     き起こしました。
     また、「イシュタルの冥界下り」はギリシャ神話の「アフロディテとアドニ
     ス」物語直系の祖話であると考えられています。この「アドニス」の出生話
     には「ダフネ」説話の結末に近いものがありますし、また、オイディウスの
     「変身物語」では奇しくもアドニスの話の後にオルフェオとエウリディーチ
     ェの物語を置いている点、興味深いものがあります。

3)参照した思想関係書

 ・「謎の哲学者ピュタゴラス」左近司祥子 講談社選書メチエ280 2003年第1刷
   税別1,500円
   ※ ピュタゴラスの入門としては、知りたい点が抜けていて、少し不満。

 ・「西洋古代・中世哲学史」リーゼンフーバー 平凡社ライブラリー 初版2000年
   税別1,400円
   ※ 元々放送大学のテキストだったので、中世の思想までを概観するには便利。
     著者がさすが上智大の先生だけあって、古代ギリシャ思想にも一神教的発想
     を見ようという姿勢で貫かれています。
     各章の章末に哲学者達の主要な発言が引用されているのもありがたい本です。
     中世末期の神学者エックハルトの、次の引用句に、私は胸を打たれました。
     「あなたがたが、もしわたしと同じ心をもって認識することができるならば、
      わたしの言うことがよく理解できるであろう。というのも、このことは真
      実であり、真理みずからがそれを語り出しているからである。」
     ・・・私は、こういう境地から何と遠いことでしょう。。。

 ・「ルネサンス書簡集」ペトラルカ 岩波文庫 1989年第1刷 税別520円
   ※ ルネサンスの本当の意味での口火を切った詩人ペトラルカの自薦書簡抜粋。
     いわゆる「教皇のバビロン捕囚」の生きた証言が豊富で、西欧史がお好きな
     かたにはお薦めです。

 ・「ルネサンスの神秘思想」ウォーカー ちくま学芸文庫 2004年第1刷(原著1958)
   税別1,400円
   ※ フィチーノに始まりカンパネルラに終わる、ルネサンス期神秘思想の詳説。

 ・「ガリレオの弁明」カンパネルラ ちくま学芸文庫 2002年第1刷(原著1616)
   税別1,000円
   ※ 前述書を締めくくる、隠れた大思想家カンパネルラの、素人が唯一入手可能
     な著作(もちろん日本語訳)です。

 ・「占星術の世界」山内雅夫 中公文庫 昭和58年・・・もう売ってないかな?
   ※ これを読んでもホロスコープを書けるようにはなりません。念のため。

 その他、完読していませんが、中世フランスに関して面白いエピソードを集めた
 ・「フランス中世史夜話」渡邊昌美 白水Uブックス 2003年第1刷 税別950円
 は、上記各書より気軽に読めるし、値段も千円以内で、良いかも知れません。
 ヨーロッパ中世の世相に関しては、ちくま学芸文庫所収の何冊かに、なお興味があり
 ますが、いまのところそこまで読んではおりません。

4)その他

オペラの前身として重要な典礼劇はいくつかあるようですが、最も有名なダニエル劇はCDが出ています。

 ・Daniel and the Lions New York's Ensemble for Early Music (fone016SACD)

また、従来オラトリオの嚆矢と捉えられていた下記作品も1600年作です。(CDあり)
最近ではオペラ、オラトリオ共通の先祖と見なされています。
(人間と類人猿の先祖みたいなもんですか・・・そういえば最近、ゴリラと人間の共通の祖先と思われる脊椎の化石が、南アフリカで見つかったそうですね!)

 ・カヴァリエーリ『魂と肉体の劇』:alpha 065 3,990円
  (日本語解説付きですが、日本語訳はありません。)

 文頭に触れた矢代秋雄の随筆集は
 ・「オルフェオの死」音楽之友社1996年第一刷 税込1,900円
 自作についても語っている、日本の音楽家の重要な著作の一つだと思います。

 彼のピアノ協奏曲のスコアも音楽之友社から出ています。税別2,200円
 CDは日本人演奏のもの、とくに初演者中村紘子の独奏によるものもありますが、
 手軽にお聴きになる場合はナクソス盤がオススメです(8.555351J)。
 海外のオーケストラで意欲的に日本人作品を録音している湯浅卓雄氏指揮です。
 ピアノ独奏は岡田博美さん(男性です)。
 1984年に東京、バルセロナ、プレトリアの3国際コンクールで優勝。その後
 ロンドンで勉強しヨーロッパで活躍しているかたのようです。
 イスラエルの作曲家アリ・ベン=シャベタイという人のピアノ協奏曲の初演者です。
 
 湯浅卓雄氏については
  http://www.yuasa-takuo.com/
 岡田博美氏については
  http://www8.plala.or.jp/hokada/

 と、それぞれ後援会のページがあります。


ゆっくりお過ごしになれる時間が少しでもあったら、「ダフネ」や「アリアドネ」のような物語とヨーロッパ音楽との歴史的関係をご自分の手でお調べになってみるのも楽しいと思います。
西欧社会の変遷について概観的な知識(がなければ薄手の年表)、インターネットの他に上記の呉さん著「ギリシア神話」またはアポロドーロスの薄い1冊を用意すれば、それだけでかなりのことが見えてきます。
いろいろなアプローチの仕方はありますが、西欧音楽は「物語」から入りやすいのが最大のメリットです。神話やキリスト教に限らなくてもテーマを見つけやすいので、楽しんで見て下さい(突っ込んだ結果が出なくてもいいじゃないですか!)

お好み次第で、どうぞマニアックな研究のひとときをお過ごし下さいね。

    作曲年        1607  1619  1687  1762  1791  1926

    初演形態       非公開 非公開 非公開 公開  非上演 公開

====作品骨子====          

(父の定めた不当な婚約に反
 発し逃げたエウリディケー):                 ○

オルフェオとエウリディケー
 婚礼           : ○       ○       ○   ○

(エウリディケー、前婚約者
 から逃走)        :                 ○

エウリディケー毒蛇に噛まれ 
死ぬ            : ○       ○       ○   ○

オルフェオ、冥界行きを決意 : ○       ○   ○   ○   

(オルフェオ、地獄の川の渡
 守カロンを音楽で眠らす) : ○

ハデス・ペルセポネと面会  :         ○   ○   ○ 

冥府の王夫妻を音楽で魅了  :(○)      ○   ○   ○

ハデスの許し        : ○       ○   ○   ○

(冥界からの帰途、エウリデ
 ィケは振返らないオルフェ
 オをなじる)       :             ○

オルフェオ、振返ってしまう
エウリディケーは冥界へ戻る : ○           ○   ○

オルフェオ、自分の非に泣く : ○           ○   ○

以下、話にヴァリエーションが多い。
1(ハデス、再度の許し)  :             ○

1(夫妻で現世へ帰還叶う) :             ○

2(アポロの迎えで天界へ) : ○

3(オルフェオ、苦悩を忘れ
  自分の誕生日を祝う)  :     ○

3 バッコスの信女言い寄る :     ○           ○

(神話にあります)
3V(エウリディケーの姉妹
  がオルフェオをなじる) :                     ○

3 女達に冷たいオルフェオ :     ○               ○

(神話にあります)
3 オルフェオ、女達に八つ裂
きにされて殺される     :     ○           ○   ○

(神話にあります)
4(死者として冥界入りする
  オルフェオ)      :     ○

4(エウリディケーの霊、オ
  ルフェオを既に忘却)  :     ○

4(オルフェオ、忘却の泉の
  水を飲む)       :     ○

4(オルフェオ、冥界で安息
  を得る)        :     ○

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2007年11月14日 (水)

「オルフェオ」〜北とぴあにて

日本の代表的なバロックヴァイオリン奏者、寺門亮さんが指揮(リトルネロではヴァイオリンも弾く)で、モンテヴェルディ「オルフェオ」が上演されます。

明日11月15日と、そのあとの土曜日、11月17日。
場所は東京都北区「北とぴあ」さくらホール(JRまたは地下鉄の王子駅から歩5分)。

演奏者の方の関係で、今日、公開ゲネプロを聴かせて頂くことが出来ました。
「能」を取り入れた演出が、とても自然に作品にマッチして、美しい舞台でした。
独唱もする人を含めた17人の合唱もまた、大変に良質でした(アルトパートは、なんと、男性、すなわちカウンターテナーの方が2人で歌っています!)。

オーケストラが古楽器(レプリカのようですが)だというのも目玉で、ツィンク(冒頭のトッカータで活躍)やレガール(冥界のシーンに素晴らしい効果を発揮)、キタローネトリプルハープを目に出来るのも嬉しい!
しかも、大変上質の演奏です。

独唱陣は主役(オルフェオ)のジュリアン・ポッシャーさんを除いて全員日本人ですが、これまた、頭が下がるほど上手い方ばかりです。
とくに、「ミューズ/プロセルピーナ」二役の野々下由香里さんの声の美しさには、すっかり惚れ込んでしまいました。

詳しくはこちら。

http://www.kitabunka.or.jp/php-bin/event/event.php?code=20070719001&yy=2007&mm=11


モンテヴェルディの「オルフェオ」は、現在一般的に聴くことの出来るオペラ作品の中では最古のもの(たしか1607年初演でしたね、出版は1609年)で、後年のようにレシタティーヴォとアリアが明確に分離しておらず、そのことが却って作品を魅力的にしています。 「オルフェオとエウリヂーチェ(エウリディケー)」の物語は、ギリシャ神話の本ならたいてい載っていると思いますので、ご存じなかったらこの機会に是非、本屋さんで立ち読みなさってみて下さい。 ・・・私には身につまされる物語です。

スコアは輸入盤しかありませんし、高価ですが、ご興味のある方はご一見をお勧めします。
彼の別のオペラの筆者譜を写真版で見たことしかありませんが、だいたいモンテヴェルディの時代から、西欧音楽の記譜法はこんにちのものとかなり似たものに定着した様が伺えました。
それでも、印刷版のスコアから伺う限り、18世紀以降とは違って、声楽(合唱)部分はパートは音部記号で、器楽部分は特別な場合以外は明示しないでいることが分かります。
そのなかで、しかしモンテヴェルディは主要な箇所では「使用楽器を明示している」のが大きな特徴でもあり、「オルフェオ」が現代でもなお、オリジナルの色彩を失わずに上演できることに貢献しています。
「冥界」の場面でのレガールの明示がなかったら、この部分は「つまらないもの」になってしまって誤伝された可能性も大いにあります。
なお、楽器の指定されていないシンフォニアやリトルネロの部分は、指揮する方によって使う楽器構成が違うようで、どうやってお決めになるのかには非常に興味をそそられますけれど、どなたも結局は「きれいにまとまる」構成を選択なさるので、興味を持つだけ無駄なのかもしれません。

残席があるかどうか分かりませんが、ご都合が付くようでしたら、絶好の機会ですし、内容も見事です、どうぞお出掛けになってみて下さい。

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2007年11月13日 (火)

子守歌(恥ずかしいけど自作)

何とか今日中に間に合いましたので、アップします。

私と同じ病気と、大なり小なり日々戦っているお友達、
今日も応援して下さるお友達、
毎日忙しくしているお友達、みなさんに捧げます。

・・・一昨日、あるメッセージを頂いたことから思い立ち、最近巡り会ったいろいろなことどもに、俄かに心が動きました。
そんな次第で、昨日と今日の2日でにわか作りしたもので、聴き直すと手直しが随分必要なのですが、取り急ぎ、この出来でご容赦下さい。

(Ken自作、4分38秒ほどです)
右クリックで別ウィンドウで聴けます。。。

赤面ものですが。

※手軽なソフトを使ったのですが、不慣れで、
 パソコン内臓のソフトシンセの音なんですが、
 実際にピアノで弾くようには響きが柔らかくもならず広がりもせず、それも悩みの種です。
 とくに、音が伸びない、ペダル効果がでない、高音が鳴らないのには辟易しています。
 アドヴァイスいただければ幸いです。

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2007年11月12日 (月)

曲解音楽史:22)平曲と能楽:付)発声法について

前の回:1)音という手段  2)リズムの成立 3)音程から音階へ
    4)言葉と音楽   5)トランス   6)古代メソポタミア
    7)古代エジプト 8)古代インド   9)古代中国 10)古代ギリシア
    11)古代ローマ  12)初期キリスト教の聖歌について
    13)ササン朝ペルシャ    14)西暦5,6世紀ユーラシア音楽横断
    15)中世前半の西ユーラシア   16)唐朝と朝鮮・日本 17)「声明」の伝来
     18)モンゴルと中央アジア北方 19)「十字軍時代」の西ユーラシア
     20)日本固有(?)の古歌


キリスト教の聖歌をフォローしていくはずでしたが、ちょっと、それます。

母が老いの遊(すさ)びで「謡(うたい)」を習っているのですが、今度上京して「杜若(かきつばた)」という演目のシテをやるので、
「練習するからちょっと聴いてくれ」
「いや、オレは素人だから分からん」
「いいから」
・・・無理やり聴かされました。

聴いていて、ひとつは「謡」の特徴のこと、もうひとつはその唱法について、実は大変新鮮な勉強をさせてもらう結果となりました。

先に「唱法」の話をします。

「謡」には、西洋音楽とは感じが違いますけれど、「謡本(うたいぼん)」というものが譜面として量産されてきました。歴史的には世阿弥自筆のもの(15世紀)が残っているほど古くまで遡り、江戸期から明治にかけて量産され、いまも神田の古書店街には「謡本」が山積みされている店もあるくらい、流行したものです。
それはともかく、普通は、これを「見台(けんだい)」(時代劇で武家の子供が漢籍を読むときに本を載せている場面で良く出てくる、あの台です)に載せて、それを見ながら練習するのですが、母が練習した時には、本を床に置いていました。
謡い終えて、母曰く、
「歳をとって、声が出なくなったんだよね」
「いや、それはちがうよ」
観察していて、気が付いたことがあったのでした。
床に置いた本を見ながら発声すると、必然的に喉が閉まります。すると、声帯に力を入れないと、高い声がでません。ところが、これは確かに年齢に関係するのですが、年をとれば声帯は伸びてしまっています。声帯に力を入れると、逆効果で、ますます高い声を出すのが苦しくなる。姿勢も、肩がこころもち上がってしまいます。
「やっぱり、本を見台に置いて練習すべきだ」
ということを、まず言いました。
もうひとつは、喉を絞めないためにどうするか。
1)肩が、力が抜けて自然に下がった状態でなければならない。
2)高い音になるほど、顔を上に上げなければならない。ただし、首はまっすぐに保ち、喉まで上に上がることのないように気をつけなければならない。
3)一全音(たとえばドからレに)上がるのが苦しいときには、目線(視線)を下の音の時の位置から、心持ち上に(角度で2、3度でしょうか)上げると、発声に必要な分だけ喉が広がるので、今まで苦しげだった発声がウソのように楽になる。
この3つに気をつけてみたらどうだ、ということで、難所をもう一度やってみてもらったら,
「あ、ラクになった」

要するに、西洋のベルカントだろうが日本の謡だろうが、発声の原則は「喉がリラックスして開いていること」であって、これができれば、七十代でもわりと伸びる声が出るのですね。
これは、自分でも発見でした。

「高音になるほどリラックス」
は、楽器や洋の東西を問わず、音楽を伸びやかに聴かせるための要諦ではないか、と思っております。


で、「謡」の内容の方。表題では「能楽」としてしまいましたけれど、いわゆる「能楽囃子」については、また別に考えなければならないと思っております。また、仕舞については特段触れません。「能」の歌を聴いていて、「あれ? これって、平曲(平家物語を琵琶をかき鳴らしながら語る、あの「耳無し芳一」の演じた音楽です)に似た節回しだな」という風に感じました。

能楽の方は、囃子の方がなお一層激しいのですが、謡にしても、素人耳には旋律(音程)が聞き取りにくい、不可思議な響きをもっています。
ですが、囃子を抜いて謡の部分だけ聴くと、その旋律・旋法は、平曲に大変良く似ています。

まだ一般化するほど聴き込んでいないので、実際どうお感じ頂けるか分かりませんが、最後にサンプルをお聴かせします。・・・これが、日本の「歌謡」の原点である、と、私は信じて疑えなくなってしまいました。

1)
  活字にすると4行8節しかない、平家物語の最初の部分ですが、6分かけてうたわれます。

2)
  時代劇で「祝言(結婚式)」の場面で謡われますが、全曲演奏すると50分ほどかかります。
  もし歌舞伎の「勧進帳」をCDで聴いても平気、というかたでしたら、
  「高砂」も是非、通しでお聴きになってみて下さい。
  ・・・雰囲気、構成の類似性には胸を打たれるものがあるはずです。

とりあえず、今回は聴いてみて頂ければ、というところまで。

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2007年11月11日 (日)

たしざん

小学一年生の姪は、「たしざん」が苦手なんだそうです。
親(私の妹)が、やきもきしていました。

なので、姪っ子に話しかけて、試してみることにしました。
(M=姪、K=私)

K:ねえ、1たす1は?
M:2だよー。
K:2たす2は?
M:4だよー。
K:ほー、やるなあ。じゃあ、4たす4は?
M:8だよ、かんたんじゃん!
K:8たす8は?
M:ん? 8たす8? えっとねー、
K:ハハ。
M:あ、8たす8は13だよ。
K:えー? ちがうんじゃないの?
M:ちがわないよーだ。13だよ。13。

姪っ子はそう言って逃げていきました。

しばらくすると、でも、復讐に戻ってきました。

M:ねえ、Kenちゃん、1たす1は?
K:んー。2。
M:あたりー。じゃあ、2たす2は?
K:あー、2。
M:そうじゃないでしょ、4だよ、4。
K:2だよ。だって、2が2個じゃないか。
M:そんなのへんだよー。じゃあ、4たす4は?
K:2。
M:はずれー。8だよ、わかってないなあ。じゃあ、こんど、かけざんね。
K:かけざんか。
M:1たす1は?
K:2。
M:1だよー。Kenちゃん、ばかだなー。
K:だって、いま「たす」って言ったじゃないか!
M:かける、って言ったんだよー。
(ここで姉と母から、あんた今、確かに「たす」って言った、とよこやり。)
M:かける、だからね。かける、だから、1なんだよ。Kenちゃんのバーカ。

「バーカ」と言われてしまいました。言われてみれば、まあ、たしかに、あたしゃ「バーカ」なんですけどね。

こんだけ。

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2007年11月10日 (土)

モーツァルト:1776年作品概観

とりあえず、作品リストのみ掲げます。
抜け落ち等、あとで補正しますのでご了承下さい。

<ミサ曲・宗教曲>
ミサ(・ロンガ)ハ長調 K.262(トランペットは翌年に付加) 
「クレドミサ」 ハ長調 K.257(11月)
ミサ・ブレヴィス「オルガンソロミサ」 ハ長調 K.259(12月、または前年)
聖体の祝日のためのリタニア 変ホ長調 K.243(3月、キリエは1774年)
聖体の祝日のためのオッフェルトリウム「来れ諸々の民」ニ長調 K.260
オルガンソナタ ト長調K.241(1月)、ヘ長調K.244(4月)
         ニ長調K.245(4月)、ハ長調K.263(年末)
         
<声楽曲>
レシタティーヴォとアリア(カストラート)「幸せの影よ/私はお前を残していく」K.255(9月)
アリア(テノール)「クラリーチェは私の愛しい妻になるはず」K.256(9月)

<セレナード・ディヴェルティメント>
「セレナータ・ノットゥルナ」ニ長調 K.239(1月)
「ハフナー・セレナード」ニ長調 K.250 &行進曲K.249(7月、交響曲稿あり、行進曲は20日)
管弦楽ディヴェルティメント(第1ロドロン)ヘ長調 K.247 &行進曲K.248(6月)
管弦楽ディヴェルティメント ニ長調 K.251(7月)
管楽ディヴェルティメント 変ロ長調 K.240(1月)
管楽ディヴェルティメント 変ホ長調 K.252(6月1-8日)
管楽ディヴェルティメント ヘ長調 K.253(8月)

<協奏曲等>
クラヴィア協奏曲第6番 変ロ長調 K.238(1月)
クラヴィア協奏曲第7番(3台)ヘ長調 K.242(2月)
クラヴィア協奏曲第8番「リュツオウ」ハ長調 K.246(4月)
ヴァイオリンのための協奏曲楽章 ホ長調(アダージョ)K.261

なんといってもセレナード・ディヴェルティメントの多さが目につきますね。
また、クラヴィア協奏曲作家としての実質的な出発の年であることも伺われます。
ただし、これらは(まだこの頃は協奏曲も含め)機会音楽的な要素が強いものです。
現代ならさしずめ、有名になって印税で悠悠自適になる前に、注文注文で稼いだ、という感じですが、
当時の作家(小説家さんだけが作家ではないでしょう)には印税なんてありませんから、
共通点は
「また注文仕事かヨー」
と思いながら仕事をしていたのではなかろうか、という心理くらいかな?
ただし、前年に引き続き、もちろん、手抜きはありません。

11月13日付記)
一番大切なことを記し忘れていました。
「ミサ曲」について言えば、この年はモーツァルトにとって、山場を迎えた年でもあります。
前年末の作かとも推定されているK.258を含め、1曲1曲が、じっくり観察するに値します。
まだまだ払拭されていない、
「ザルツブルク時代のミサ曲は軽い」
という先入観は、取り払われなければなりません。
ド・ニやアインシュタインの著作があってなお、この時期のミサは軽んじられているように思われます。
ですが、オペラや交響曲に自分の意思を盛り込める、と味をしめてしまったモーツァルトにとって、せっかく「自己」を埋め込めるようになったこれらの作品に取り掛かるには、この年は条件が揃っていなかったのではないか、と、上の作品群から推測されます。
そんな彼が、76年、最も「心血を注いだ」のは、じつは「ミサ曲」だったのではないでしょうか?

  

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2007年11月 9日 (金)

モーツァルト:1775年の3つのアリア

ここまで読んできたモーツァルト作品の個々へのリンクを作成し直しました。ご利用下さい。



やっと、1775年の作品「観察」に一区切り、です。
世俗的声楽曲が最後になりました。


このジャンル、とくに独立したアリアは、当時の流行に沿って作られているためでしょうか、後世がよっぽど「傑作!」と認めていない限りは、耳にされる機会は非常に少ないのではないかと思います(作例も少ないでしょう)。
まして、オリジナルが管弦楽伴奏のアリアではコンサートでは取り上げにくくもあるでしょうから、歌手は、もし好きなアリアがあれば、個人のリサイタルでピアノ伴奏版で歌うのが常態であるように見受けます。当然、そうしたリサイタルの会場は収容人数が少ない(大ホールの、最大でも半分以下)のがふつうで、独立作品としてのアリアを聞く機会を持てる聴衆の人数は、必然的に、オーケストラやブラスバンド、ロックやポップなど大会場でコンサートができる種類の音楽よりもかなり限られます。

先日はつくばノバホールで森麻季さんがピアノ伴奏でのリサイタルをなさいましたが、人数をたくさん動員できるホールでこのようなリサイタルができるには、

・大ホールでありながら、声がソロでも行き渡るだけの音響の良さ
・かつ、観客動員が確実に見込める有名歌手
   (仮にヘタクソでも・・・森さんのことではないですヨ)

という条件がそろっていなければなりませんね。。。それにしたって、森さんもピアノ伴奏だったんですものね。しかも、演目の中にあったアリア(もし当日変更がなかったのでしたら)は、有名なオペラ(「薔薇の騎士」・「椿姫」)から抜き出したものでした。・・・いずれも、そちらへ話が脱線したいくらい、いい歌なんですけれどね・・・脱線はしません!

アリアも歌劇類(オペラ、ジングシュピール、あるいはオラトリオなど)に組み込まれていない限りは、歌手が貴人の前で力量を披露するときのみに歌われるのが通常のあり方だったと思われます。
日本なら、江戸〜明治期に歌舞伎を見物に行けない貴族・大名やその奥方のリクエストで、人気の芸人さんが出張して特別に単独作品の舞踊を披露する(そういうことがあったのかどうかは知りませんが)のに似ている。
で、こんにち、単独作品としての日本舞踊は、やはり「歌舞伎座」や「国立劇場」なんてところでは滅多に一般人が見ることはできないのでありまして、いちばん手軽に見るためには、NHK教育テレビで放映されるチャンスを逃さないしかない。次に手軽なのは、自分が日本舞踊を習って、あるいは習っている人と縁を繋いで、その発表会を見に行く。

あ、日本舞踊へも、脱線しません。
私なんぞの印象にも残ったいい演目があるのですけれど、題名を忘れるほど、私はこちらの世界のことには無知ですから。
(「じゃあ、他に何か詳しいものがあるの?」
 「いいえ、ホントは、モーツァルトのことだって、ちゃんとは知りません」)



モーツァルトが1775年に作曲した「単独アリア」は3つあります。
ただし、作曲された理由については、素人である私には全ては把握が出来ません。
言えるのは、上記のような事情を鑑み、これらは、おそらくは有名歌手がザルツブルクを訪れた際に(あるいはザルツブルク在住の有名歌手が特別に指名されて)宮廷で技芸を披露することを求められたことに伴って、宮廷からの下命、もしくは歌手からの注文により、手を染めることになったのではないか、という推測のみです。

作曲時期は、それぞれ明らかになっています。但し、誰が歌ったのか、までは明確には分かっていません。

まず
アリア(ソプラノ)「あなたは情熱的な恋人のように律儀な心の持ち主」K.217(10.26ザルツブルク)〜ガルッピ作のオペラ「ドリーナの結婚」への挿入歌
は、演奏時間7分程度の、基本はダ・カーポアリアながら実際には形式をやや複雑にして見せ場(聞かせどころ)を設けた作品です。
構成は
A-A'-B-A-A'-C-A(縮小)-Coda
といった感じでしょうか。ロンド形式に近くなっています。
面白いのは、A、A'部は「牧人の王」の、その他の部分は「偽の女庭師」の持っていた雰囲気を引き継いでいる点でしょう。
なお、「ドリーナの結婚」は1755年以降ヒットを続けたロングランオペラだった旨、アインシュタインの記述から分かります。上演は、この頃ザルツブルクを訪れていた、イタリアからの旅の一座によって行なわれており、冒頭に述べたような「宮廷に招聘された名歌手」が歌ったものではありません。

そして、
アリア(テノール)「運命は恋する者に」K.209(5.19ザルツブルク)
アリア(テノール)「従いかしこみて」K.210(5月ザルツブルク)
  〜ピッチーニ作のオペラ「うかつな男」(喜劇作品)への挿入歌と推測されているが、不明
は、いずれも3分程度の短い作品。
K.209はA-B-Aの典型的(雛形的)なダ・カーポアリアです。
K.210は、短いながら若干変化に富んでいます。序奏-A・B-間奏-C-B'-A-Codaというつくりで、とくにCoda部はかなり後年の「ドン・ジョヴァンニ」の登場人物であるレポレロのキャラクターを先取りしている点が興味深く思われます。
テノールのアリアのほうの歌い手は分かっていません。春に作られた「牧人の王」のアレッサンドロを歌う予定だった(もしくは歌い終えた)歌手が、大司教のお眼鏡にかなって、急遽御前演奏でも企画されたのでしょうか?
2作とも5月のもので、K.210のほうの作曲日付の詳細までは判明してはいないものの、そんな企画の中で同時に歌われた、と考えても差し支えないのではないかと考えます。
どんなもんでしょう?
ただし、近作の「牧人の王」や「偽の女庭師」のムードは、この2作には感じられない気がします。(ソプラノのアリアより先に作られているのですけれど。もっとも、「牧人の王」の上演者が歌ったのであれば、同じ雰囲気ではつまらないですから、そこまで配慮した、というのでしたら納得できます。かつ、モーツァルトの徹底したプロ意識を、そこに見るのも良いでしょう。)
機会がおありでしたら、耳でお確かめ下さい。
・・・これらも、もしかしたらK.217と同じ一座が歌ったのではないか、と、アインシュタインは推測していますけれど。

ひとことしておくならば、この年の他のジャンルに比べると、新味が少ないと思います。

私はずっと前に安物買いしたCDしか持っておらず、ここではとても推薦できません。
質の良いものをご存知の方、是非ご紹介下さい。
K.217については、グルベローヴァ盤、カークビー盤があります。

楽譜は3曲とも、NMAでは第10分冊に含まれています。

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2007年11月 7日 (水)

モーツァルト:独立した(?)行進曲と、ヴァイオリン独奏付きロンド

ここまで読んできたモーツァルト作品の個々へのリンクを作成し直しました。ご利用下さい。



なかなか聴けない、珍しい曲ですから、最初にそれをお耳になさってみて下さい。

結構、素敵な曲だとは思いませんか?(クラシックがお好きなら、かも知れませんけれど。)
ビゼーを彷彿とさせるような箇所もありますが、お感じになられませんか?



モーツァルト19歳の年に生み出された器楽曲の中で、創作の背景をどう推定したらいいか迷うものが2曲残っていました。

一つ目が、上に掲げたハ長調の行進曲K.214(1775.8.20作)です。

ふつう、モーツァルトはセレナーデに先立って演奏されるように、明るい雰囲気の行進曲(マーチ)を作っています。
この曲も、そうしたものの一つと考えていいのかな、と思うのですが、どのセレナーデに先立って演奏されたのかが分かっていません。
かつ、他のセレナーデに先行して演奏される行進曲に比べると、(私の主観ですが)、内容がウィットに富んでいて、表情が豊かです。
このマーチのウィットのうち、最もはっきり分かるのは、それが、小さな音で、かわいらしく終わるところです。
他のマーチをもきちんと確認を取らなければいけないのですが、多分、これは当時の「モーツァルトとしては「特別な」手法です。
・・・となると、ただ宴会を華やかにするために注文されたセレナーデのための行進曲だ、とは、どうも考えられない。
誰か、親しい、ユーモアの通じる相手のために書かれたのではなかろうか、と想像したい衝動にかられます。
いかがなところでしょうか?
簡単な記述にも行き当たることが出来ませんでした。
(意地張らないで、全作品解説辞典を入手しようかなあ・・・)

もう一つは、

・「ヴァイオリンと管弦楽のためのロンド」変ロ長調 K,269(77年作説あり)
です。

前に見ましたとおり、この年モーツァルトは第2番から第5番までの、4曲のヴァイオリン協奏曲を書きました。
で、第1番だけが、前々年に書かれている。
4曲もヴァイオリン協奏曲が生み出された年ですから、前々年に作った第1番が再演された可能性も、充分あるでしょう。
では、このロンドは、その際、
「前に作った第1ヴァイオリン協奏曲のフィナーレでは未熟だ!」
モーツァルトがそう感じて、その代替品としてこのロンドを作った可能性は、確かにあります。
ですが、オリジナルのフィナーレに代えてこのロンドを演奏したとすると・・・実際、そういう順番で聴き比べてみて頂きたいのですが・・・、新作のロンドは、確かに作曲技術が成熟したのを感じさせてくれますから、協奏曲全体が却ってアンバランスになってしまう。
ただし、音楽の特徴は、第2ヴァイオリン協奏曲に近いか、そこから半歩程度は踏み出している感じがします。
ウィットもありますが、第3ヴァイオリン協奏曲までの「面白さ」には到っていない。
ですので、作曲された時期は、第2ヴァイオリン協奏曲と第3ヴァイオリン協奏曲の中間に位置するのかなあ、と、これまた独断で想像したくなります。

あるいは、第2ヴァイオリン協奏曲初演の際に、併せて第1ヴァイオリン協奏曲の再演が行なわれ、その際、終楽章だけこのロンドに差し替えられたのか?

そうでなければ、やはり、第2ヴァイオリン協奏曲初演のとき、アンコールか何かで、、このロンドだけが単独で演奏されたのか?

ソロパートで始められることから、意図はやはり「協奏曲の終楽章」なのであって、ロンドだけが単独で演奏されたとは考えにくいのですが・・・どうも、分かりません。

通説とのズレなど、ご教示いただければ幸いです。

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2007年11月 6日 (火)

うちの街の「音楽」祭

・・・なるものがあったわけではありません。

が、この前の土曜日には小学校のバザーで、息子が金管バンドでトランペットを吹いて参加しました。

今日は、「市民合唱祭」で、娘のクラスが選んで頂いて、やはり歌いました。

ささやかな家族の記録です。
したがいまして、音楽に厳しい方にとって出来は宜しくはございませんでしょうが、またも親バカで、お聴きいただければと存じます。

子供たちが元気でやっていて、どんどん「羽ばたき」に向けて自分なりに頑張っていることを、大変幸せにも感じ、・・・一方では「とうちゃん、そのうち見捨てられるな」という寂しさも覚える、今日この頃です。
(叱るネタを見つけるのが私の道楽になっちゃってますから。。。)


1)息子たちのバンドの、バザーでの演目



2)娘たちのクラスの合唱

お世話になった先生方、ご父兄の皆様、本当にありがとうございました。
(って、皆様には、ブログのこと、お知らせしていないんですよね・・・もしお読みになったら、ということで、御礼はこの場でさせて頂きます。申し訳ございません。)


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2007年11月 5日 (月)

モーツァルト:K.213〜手抜きの無い「お仕事」

ここまで読んできたモーツァルト作品の個々へのリンクを作成し直しました。ご利用下さい。

あるひとりの人が、他の人のために何かをするには、段取り・下準備・作業(製作)・仕上げ、と、いくつもの過程(プロセス)を経なければなりません。
ですが、他の人に見てもらえ、評価してもらえるのは、あくまで「結果」だけです。
プロセスのひとつに、たとえどれだけの手間と時間がかかろうとも、「結果」が他さまからご覧になって<よろしく無い>のであれば、叱責や非難を受けるしかありません。
「こんなに頑張った、こんなに苦労した」
を大事にしましょうよ、という掛け声論は何度も聞かされましたが、今になっても、
「結果は悪かったがプロセスは良かった」
などという評価が世の中でなされたのは、少なくとも私は見たことも経験したこともありません。

「あなたは、いったいどんな理由でそういう<理屈>でものを進めたのか。私には納得できない」
「こんなに時間がかかってしまって、連絡も一度もないのはどうしたものか」
等々。
そうした叱責を受けるのは、仕方がない、他の人が望む結果に到れなかった自分の「プロセス」のありかたが問題なのであって・・・それが自分にとって不可避だったとしても、やはり責めは「受ける」しかない。

やがて実質的にはザルツブルクから「蹴り出」されることになるモーツァルトが、1775年、19歳当時、どの程度こうしたことに思いを致していたか、は分かりません。
ただ、
「僕はこんなに一生懸命やっているのに・・・」
という、青春にありがちな(そして人生では往々にしてその終わりまで避け得ない)制限された視野の中で悶々としていたのではなかろうか、という推測は、前にヴァイオリン協奏曲について触れた際に、ちょっとだけしてみました。

この年モーツァルトが創作した作品で、まだ触れていないのはアリア3曲とヴァイオリン独奏を伴う管弦楽のロンド、そして、行進曲K.214と「管楽のためのディヴェルティメントK.213」です。

今回は、この中の、

・管楽のためのディヴェルティメント ヘ長調 K.213

について、かいつまんで見ておきましょう。

作品を実際にお聴きになっても、この年の「牧人の王」ヴァイオリン協奏曲4曲K.222の荘厳な響きに比べると、きっと「あまりに軽すぎる」としか聞こえないかもしれません。

ただ、申し上げたいのは、オーボエ、ファゴット、ホルン各2本の編成で4楽章からなる、この小規模なディヴェルティメントも、上にあげた大規模な作品に比べて、決して「手を抜いた」仕上がりにはなっていない、という点です。編成も小さいながら、響きは既に「十三管楽器のためのセレナーデ」を髣髴とさせる部分もあります。
ですから、お聴きになるには魅力は薄いかもしれませんが、アマチュア演奏家にとっては、楽譜を手にとってみる価値が充分にあるのではないかと、私は感じております。
「小規模」なのは、注文主がそうであることを要求したからでしょう。ここでたとえばK.203やK.204、K.250のような大規模な「セレナーデ」に近い作品を作ってしまったら・・・モ−ツァルトは、おそらく散々に叱られ、けなされたことでしょう。
「こんなものを頼んだ覚えは無い!大仰過ぎる!金は、払わんぞ!」
という具合。

かつ、管楽器だけの作品ですから、「屋外での演奏用」だった、と見なしてよいと思います。
名称こそディヴェルティメントとなっていますけれど、これはハイドンの伝記に出てくる、ハイドンがその独立したての頃に道端で演奏していた「セレナータ」そのものです。(こちらの記事に記したことがあります。・・・ハイドンの作品表には、しかし、管楽のための「セレナーデ」という作品はやはり見当たらず、管楽器だけによる作品は、モーツァルト同様、「ディヴェルティメント」と称されています。サリエリ作品には、「木管合奏のためのセレナータ」が現存しています。)
K.213は7月の作品ですが、私の目に出来る資料では、どういう場で演奏されたのかは分かりません。ただ、何らかの屋外での催しで吹き鳴らされたのではないか、という徴証らしく感じられるのは、終楽章がコントルダンスである点です。宴会の最中、この楽章になったところで、その場にいた人びとは、もしかしたら賑やかに踊り出したのではないでしょうか? そして、そんな踊りに似合うのは、芝生の上。

なお、この作品の自筆譜は幸いにして、クラカウで再発見された一群の楽譜に混じって現存しています。NMA第17分冊に冒頭部(1-15小節)の写真版が掲載されています。

I. Allegro spiritoso 4/4, 72小節
II. Andante 2/4, 28小節
III. MENUETO(24小節)& Trio(24小節)
IV. CONTREDANSE EN RONDEAU Molto allegro 2/4(79小節)

小節数から見ても、この作品が如何に小規模であるかが分かります。
が、これは実際にお聴きになって見て頂かないと分からない「手抜きのない作品」です。
「手抜きがない」ことが如何に特別か、ということは、演奏された場に居合わせた人には別段評価されることは無かったでしょう。むしろ、「手抜きがない」ことによってもたらされる自然な音楽の流れが、人びとには「空気をちょっと新鮮にしてくれる芳香剤」程度にしか認識されなかったはずです。

作者自身の自負がどのようなものであれ、作品そのものの価値と言うのは、得てしてそんなものなのではなかろうか、と思います。・・・感じようによっては切ないですけれど。みんな、そうやって自分の「なすべきこと」をなしているのですよね。

この他の器楽作品2つについては、「手抜きなし」という点ではK.213にひけをとらないのですが、創作や演奏の経緯がK.213よりも伺いづらいので、その推定を含め、また改めて触れましょう。

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2007年11月 4日 (日)

何も出来なかった日に

結局、今日はブログネタまで考えをまとめられずに終わりました。

心が枯れてしまったとき、悲しかったり寂しかったりして仕方なかった時、慰められるようで、大好きでよく聴いていた曲があり、DTMでも勉強しようか、と思った頃にそれをアレンジしたものがあります。4年半前のものです。・・・この曲をアレンジした時期は、「うつ」の引き金になった要因を抱えるのが目の前に迫っているのを自覚した頃でした。力が欲しくて、やりました。・・・ですが、8ヶ月後に、敗北してしまいました。

それを聴いて頂くことで、今宵はお茶を濁させて下さい。
(ちなみに、その後DTMはサボってしまったので、これでも真っ当な方のアレンジです。最近はここまで出来ません。お恥ずかしい。)


(曲名を右クリックすれば別ウィンドウで聴けます。クリックすればそのまま画面が切り替わって曲が始まります。)

・・・なんとしても、「うつ」に勝ちたい。今、切に、思っております。

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2007年11月 3日 (土)

目が回ってるのか、ボケてるのか

もう「死人」宣言しましたから、浮遊霊の身で「目が回る」なんてことはありえないはずなんですが・・・

やっぱり目が回ります。

・・・ここ2、3日、楽譜にちゃんと取り組んでいないので、音楽のことはまだ綴れません。
明日あたりはモーツァルトの1775年の残りにかかれるかしら。
ハイドンは当面お手上げです。

昨日は帰宅したその足で娘の習い事へ。
今日は、昼間は娘の志望校の文化祭へ。
「いろいろ見通しがつくまで」と我慢させていたこともたくさんあるので、そのあとは思い切り好きなもんの買い物をさせて(といっても、もともと手持ちが少ないですから、たいしたもんは買えないんですけれどね)。

帰宅したらすぐ、息子が1ヶ月前から習い始めた柔道。
・・・ただし、これは行きは一人で行けるので、帰りを迎えにいけば良い。

家事は子供たちが分担してくれるので楽になりましたが、
「あれ? 今日はどんなスケジュールが入っていたっけ?」
・・・こいつが、分からなくなります。脳ミソ、パンク状態。

それでもどうしてもブログは出来るだけ毎日綴る、ってのは、一体どういう「妄念」なんですかね。
読んで下さる方も、開いたら毎日話題が違うし、中身はたいしたことないし・・・飽きちゃいますね。
まあ、秋ですから。(どーもすいません。。。)

外は寒風が厳しくなって参りました。。。

とにかく娘とも
「おまえ、明日は友達とコンサートに行くんだったよな」
「何言ってんだよー。明日は模擬試験だよ」
「ああ、そうかい。せいぜい頑張ってくれ」
「頑張らないよ」
「はあん。じゃあ、全部零点で帰ってくるんか?」
「そうだよ、何にも書かないでで帰ってくるよ、だ」
「なんで?」
「零点取ったことあるおとうさんの娘だから」
(私は高校時代、数学で正真正銘の零点を取り、数学教官室に呼ばれました。
 入るなり、
 「Kenが来ました!」
 「では、全員起立。Ken、零点おめでとう、万歳、万歳、万歳!」
 「・・・」
 「かえってよーし」、
という経験をしました。実話です。)
「だから、もう、試験では何にも書かない。」
「まあ、せいぜい頑張ってくれ」
「お父さん、このごろ、ボケひどいんじゃない?」
会話になっていない。ほんとに、ボケたかも知れない。

終了40分前に、様子を見ておきたいので柔道場に行ってみると、息子は、柔道を習って一ヶ月目で、やっと「乱取り(他の人と組み合う)」にちょっとだけ・・・2回だけでしたが・・・入れてもらえていました。これはちょっと嬉しかった。
自分より小さい相手に、奇麗にくるり、と投げ飛ばされている。
それでも、腰を引かずに踏ん張っていたのと、投げられたら受け身を基本通りきっちりとっていたのには、ちとばかりホロリと来てしまいました。誉めてやりました。
「おまえ、今日は気持ちよかったろう」
「そうだねえ。」
「投げ飛ばされて、見事な回転ぶりだったもんなあ」
「回転、ねえ」
「そういえば、昨日、近くにセブンイレブンが開店したよな」
「???」
「回転記念で開店セールに行ってみようか!」

外は寒風がますます厳しくなって参りました。。。

今晩の「エンタ」は終わっちゃって、ガキどもは「大人が選ぶ映画ヒロインベスト30」なんぞと言うものを見ています。

わたしゃ、案外、「天使にラブソングを」のゴールドバークなんか好きなんですけどね。
実体は、結構ギャラにうるさかったり、と、愉快な人ではなかったようなんですが。

やっぱり、「にしおかすみこ」がいいや。

いや、「プリティ・ウーマン」でのジュリア・ロバーツみたいなタイプがいいかなあ。きついかなあ。
境遇は、「ゴースト」のデミ・ムーアみたいなのがいいかな。。。。いや、霊のお世話になるのは、どんなもんだかなあ。・・・自分が浮遊霊の分際で、そんなこというのは生意気か!
それ以前に!立場が逆だな!・・・気付けよなあ。

なんで、女優さんの方に話が逸れていくんだ?

さ、おさえておさえて。おじさん、今日はおとなしく寝ましょうね。

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2007年11月 2日 (金)

ミュージカル「明日への扉」

とりあえず、私の「原点返り」は昨日で一段落とします。大変失礼しました。明日から「ふつう」に戻そうと思いますが、今日は、ちょっとまた別の「例外」をさせて頂きます。


私自身は医療問題とか福祉問題に自ら積極的に加わる、などということはしたためしがありません。
ですから、そう言うことに前向きに取り組むかたには、心から敬意を表したいと、日頃から思っております。(思っている、ばっかりなんですけれどね・・・)

で、たまたまミュージカルの話題でもあり、「音楽」中心のこのブログに乗っかってても印象深く感じていただけるかなあ、と思って、ご本人に許可を頂き、引用させて頂きました。



お会いしたことは無いのですが、とてもがんばり屋さんの若者がいます。
まずはそのMさんの自己紹介の一部(少し改変)。

慢性骨髄性白血病(CML)でした(過去形)。 7歳のとき、だるさとお腹が異常なまでにでかくなって発覚。途中までずっと風邪だと言われ続けてた・・・。 (中略)兄より骨髄移植♪ ファンギゾン一気飲みの毎日♪ 慢性GVHDで手首が曲がらなくなったり、体の成長もなんか怪しい。26歳になろうとしてるのに結局声変わりは来なかった・・・。 でも生きてることに感謝 おかげで現在は元気に会社員してます 。」
「目標は全国の患者会とボランティアに参加すること 、1人でも多くの患者や家族に僕が元気になった姿を見せて、移植や治療、将来への不安を少しでも和らげることができれば」

彼が見て来たミュージカル「明日への扉」の、感激のレポートを、OKを頂けましたので、後半を抜粋して引用します。(本当は全文載せたかったのですが。)



以下、引用。一部の文言は、「そのほうが印象を強めて頂けるかな」と判断した場合は省略しています。勝手に加工してすみません。

ミュージカルは骨髄バンクをテーマにした内容です。
ストーリー:
主役の遙がオーディション練習中に倒れ慢性骨髄性白血病と診断されました。
奇しくも僕と同じ病気(⊃д`)告知されてるシーンで思わずぼろぼろと泣き始めて隣のおばさんを驚かせてしまった 。
このミュージカルがはじまったのが94年(間違ってたらすみません)。当時から骨髄バンクを応援してくれてるとは知らなかったです。すごくありがたいです。
慢性骨髄性白血病は現在は新薬が開発されたため、移植する人の数も少なくなりましたが、当時では他の白血病のように化学療法や自家移植という方法では治療ができないため、完全に選択肢は骨髄移植しかありませんでした。
兄弟間で白血球の型が合う確率は25%、稀に母親と合致するケースもありますが、本当に稀です。
遙は残念ながら親とも適合しませんでした・・・。
ドナーが見つからず、しかも見つかっても治療中に髪の毛が抜ける。女の人にとっては何より精神的にも辛い治療となります。
ミュージカルでもこの事を演じており、しかも「ひまわり基金」のことまで説明してくれていました。(ひまわり基金で集まったお金は、病気や治療で髪の毛が抜けてしまった方へ無料でかつらをレンタルできるよう使われます)
他にもこのミュージカルではドナー登録の難しさ、もし適合したら、何度か病院へ足を運ぶ上に、骨髄提供の際は3~5日間の入院が必要。なにより全身麻酔で腸骨より骨髄摘出をするためリスクがあります。2万分の1の確率で死亡事故も起きます。

全く見ず知らずの人に、ここまでの危険を考えた上でドナー登録はできるかなど、ドナー登録をするということの深刻さをわかりやすく表現してくれていました。
家族や医師、コーディネーター第三者を交えての最終同意。ここで骨髄提供の同意すると患者さんは移植に向けて前処置に入ります。もう自分の体では血液を作れない体になるので、同意したのにキャンセルするなんて事になると当然患者さんは死んでしまいます。本当にドナーになるということは責任感のいることなんで、軽いノリでの登録はやめて頂きたいですね。骨髄提供直前にお酒の飲み過ぎで肝機能上がって提供できなくなりましたとかマジ勘弁(><)

このミュージカルを見ていて思い出したのが、日曜日一緒にバンク活動をしたぽんぽこさん。
ぽんぽこさんは健康な女性の方で、生粋の市民ランナーです
10㌔とか1時間しないで走るアスリート♪
健康な体なのでドナー登録もしてくれていました。記憶にも新しい今年の2月におこなわれた第一回東京マラソン。運良くぽんぽこさんも難関の抽選を突破し走れることに・・・・。
しかしその後バンクから適合通知が、もちろん提供意志があるので最終同意もして骨髄提供日を待つ。しかしその骨髄提供日が東京マラソンの後0ヶ月~3ヶ月。場所もどこでしょうかね?(´З`)~♪(※骨髄提供日にちとか提供場所は明らかにしてはいけないんです)
当然長距離を走ることは何かしらアクシデントが起こるとも限らない。患者さんに最良の骨髄を提供するためには当然走らない方が賢明。
市民ランナーにとって東京マラソンは夢の舞台。しかも第一回の記念となる。
でもぽんぽこさんは何度も考え走ることをあきらめた・・・。
そして患者さんに最良の骨髄を提供することができた。

ただ残念なことにぽんぽこさん来年の東京マラソンに落選しちゃったのだ・・・。特別枠とかで走らせてあげたい(⊃Д`)

本文はまだ続いていますが、ここまでとさせて頂きました。Mさん、引用させて下さって有り難うございます。

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2007年11月 1日 (木)

あまねくひろがるように

字そのものを記せば何てこともないのですが、記しません。ご斟酌下さい。

家内の名前の一字は、中国に何千年も前からある楽器の名前を元にしたものなのだそうです。石の板で出来たその楽器は、石であるにも関わらず、叩くと
「かーん。。。」
と、非常に澄んだ音がします。

で、この楽器を表す字は上と下のふたつの部分に分けられます。
もともとの字は、下半分には楽器の作りそのままに、「石」が割り当てられています。
ですが、時代とともに、良質な石も採取されすぎて少なくなったのでしょう、楽器は金属で作られるようになりました。ですので、それ以後は文字も、「石」に代えて「金」が割り当てられるようになりました。

いろいろな経緯で、この字は、楽器の名前を表す本来の意味のほかに、「音が遠く限りなく、世界にあまねく響きわたる」ことをもあらわすようになりました。

家内の名前に使われていたものの下半分には、でも、楽器の名前や音ではなく、「かおり」を表す字が割り当てられています。ですから、
「かおりが遠く限りなく、世界にあまねくゆきわたる」
という意味になります。

戒名を頂くとき、和尚さんが悩みに悩んだ末、
「こんないい字なんだから」
組み込んでおかなくちゃならん、と、1ヶ月かけて考えぬいて下さいました。
ですから、家内の生前の名前は、霊となってもその中に「生かされて」います。

俗世では「澄み切った」人間なんてものは稀にしかいないでしょうし(マザー=テレサはそうした稀有な例のお一人だったかもしれません)、家内だって普通の「濁りもある」人間でした。ですから、こんなにいい字をこの世でも名前に頂いていて、霊になってもなお頂けているということは、「生身の家内よりも一層濁っていた・・・今も濁っている」私から見れば、妬ましいことでもあります。
妬んでいるくらいだから、どうやら私は「極楽」やら「天国」やらに行ける見込みは無いようです。

家内のことで伝え聞いている子供時代から独身時代にかけてのエピソードにも愉快なものがいっぱいあるし、ましてや、一緒になった前後となると、本当に、忘れられないことは様々、尽きることなく、私の思いの中にあります。

ただ、それも、私が死んでしまえば、一緒に消えてしまうことでしょう。

臨終の時には、側に子供たちも、義妹一家もいてくれましたから、何も考えられませんでした。
しばらくすると、しかし、「子供たち」と生きるべきだ、という理性と、「私も死んでしまおう」という感情が、ない交ぜになるようになりました。
でも、子供たちを成人させるまでは、という思いを優先させるべきなのは当然ですから、ここは自分が「お前は既に死んでいる!」と思い定めなければならないのだ、と今日、なんとか思い立った次第です。

変な表現かもしれません。綴り手である私は、肉体を持っているからこそ、こうしてこんなつまらんこともダラダラ綴り続けられているんですから。・・・「死んでも死にきらん」半端な浮遊霊でいるのでしょうか?
そうかもしれません。

でも、ここいらで一旦、後がどうなるかは考えず、「自分は死んだ」と、しっかり認めておきたいと思います。足元はまだまだふらつくにしても、それは「死人」である私の振る舞いです。ふらつく私を、私は「生きている私」だとは思っていたくない。

絶望に溺れて沈んでしまう為に、そうするのではありません。
「死んだ」と自覚しておかなければ、生き返れない。生き返れなければ・・・それがたとえ忘れ去られ、消え去って然るべきものであったとしても、たとえつかの間の「人間というかたちでの夫婦」という仮の姿で神仏に「ふたりの約束」にさせられたのだったとしても・・・、大事にしてきたはずの、いちばん尊い「命の本当の大切さ」という宝石を見失ったままで、私は丸山応挙の幽霊絵の中に閉じ込められてしまいそうだから。

当分の間、私は仏教で言う「中陰」とか、キリスト教で言う「煉獄」とか、そういうあたりをふらつくかも知れません。そうしている間の私は、今日からは「死人」です。

*****

話が、したいことから逸れてしまいました。

「かおりが遠く限りなく、世界にあまねくゆきわたる」

意味を始めて知ったとき、
「これは、すごすぎるなあ。耳が聞こえなくても、目が見えなくても、関係ないもんなあ」
なにせ、「かおり」ですから。嗅覚障害のかたにだけはご迷惑をおかけするのですが、他の感覚が少しでもはたらいているなら、「心を救ってあげられるかおり」を発しようと願えば、家内は世界を救える、ということになる。
「いやあ、とんでもないカアチャンになっちまったなあ」
ぶったまげてしまいました。
これはもう、私一人の、いえ、子供たちを含め、親族を含め、私たち家族の独占できる「ほとけさん」ではない。

いちおう仏式の供養ですから、仏教にのっとりますと、俗説では「成仏までには霊魂は何日修行しなければならない」とかいう話がいっぱいあり、種類によって日数も違います。短くて数十日から数百日、長くて数十年からほぼ無限に近い時間。
ですが、私は、そうした俗説は、全部「うそっぱち」だと思っています。

鎌倉時代に、
「一念すれば即座に<ほとけ>になる」
そう言い切ったお坊さんがいます。
勝手な解釈で、この「一念」を軽く考えて、「死ぬ間際に<なむあみだ>って一言となえればいいのさ」と触れまわった弟子も出来てしまい、そのおかげでこのお坊さんも八十歳になって島流しの目にあったりしているのですが、それでもいちど断言した信念は変えませんでした。
いや、個人の信念だから変えなかったのではなくて、真実なんだから変えようったって変えられっこ無かった、それだけのことだったのでしょう。

私が最後に目にした「生身」の家内は、家に置いてあった鎌倉の大仏さんのミニチュア(私が小4のときお土産に買って帰っていらい、何故だか身近に持ちつづけていたものでした)に向かって、懸命な顔で手を合わせていました。
あの懸命さが、通じていないはずはありません。文字通り、「命を懸けて」念じたのだから。

悔しいけれど、私には永遠に「勝てない」どころか「かなわない、頭が上がらない」カアチャンになってしまいました。それでも、
「そうだよ、こんどはあんたは世の中みんなを、いいかおりで幸せにしたげなヨ」
こんなことくらいは、言ってあげて置けたらなあ、と思います。

でもって、自分はまだしばらく、宙ぶらりんの幽霊です。

さてさて、この幽霊、どのようにして「起死回生」を果たせるのでしょうかね。

・・・って、べつに、誰にもそんなこと、楽しみでもなんでもないですね。

失礼しました。

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