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2007年10月21日 (日)

「影をなくした男」のご紹介を兼ねて

私事を、綴ります。

いつも読んで下さっているかたには繰り返しになるので恐縮ですが、このブログ、もともと「自分がウツから立ち直る」リハビリのために綴り始め、すぐに目的は自分の所属するアマチュアオーケストラの人と「演奏に対する理解」の勉強を共有して頂けたら、という狙いも加わりましたので、9割9分、「クラシック音楽」の記事ばかりです。しかも、性質上驚異的な数というわけにはいきませんが、思いがけず、むしろ自分の所属オーケストラよりも広い層の方に読んで頂けるようになりました。
始めたのが昨年の5月。1年半経ちました。その間に、家の役にも立たずこんなものを綴り続けている私を黙って支えてくれていた家内が昨年暮に急死し、以後はもっぱら、このブログを綴り続けることだけが「家内との対話」でもあり、「自己の支え」にもなってきました。

こんな次第で、「クラシック音楽」や、他の区分けも案外マニアックな話題ばかりが集まった窮屈なブログではありますけれど、画面右側に出てくるはずの「カテゴリ」にある「心と生活」に区分けしたものだけは、音楽にとらわれずに綴る「箱」として準備しておきました。(読み返すと、どうしても音楽を絡めてしまいがちなので、「音楽の話は結構!」というかたは、そう言う記事は避けて、たまに読んで頂ければ、この上ない幸いです。)

今回の文章も、「心と生活」の箱の中にしまっておきます。
そして、特に家内の死後、日々心配して下さったり、時折でも楽しい気持ちにさせてくれた大事なおともだちに、これを捧げたいと思います。(付記:これだと重い記事ばかりになるので、「ヤモメのウツやん」なる箱を作りました。こいつを、時々覗いてやって下さい。週に1つか2つはバカを綴って入れておきます。)



家内を愛して下さったかたは少なくありませんから、埋葬するにはどんなかたちがベストか、を常に考えて来たつもりでしたけれど、愛し方というものには人それぞれ違いがあります。全てを満足させることは出来ませんでした。このことを悔いながらも、先日ようやく、目標の「一周忌前に」という期間にまにあって、埋葬の手はずも全て整いました。家内に良くして下さった皆様には、亀の歩みだったことを深くお詫び申し上げますとともに、多くの方々のおかげであることに心から感謝を申し上げます。
また、ここまでの期間中、たびたび私が自分の「ウツ」に潰れかけ、都度助けてくれた皆様、とりわけ、毎日明るく「家庭漫才」を繰り返して家を明るくし続け、家事もそれぞれの分担をしっかり続けてくれている我が子たちに、
「これからもなんとか・・・ゆるゆるとだけど・・・頑張って生きるよ」
と、約束させて頂くことで、お許しを賜りたいと存じます。

このことに関連して、一編の物語について、簡単にご紹介させて下さい(ここまででも長ったらしかったですね、ゴメンナサイ)。



「影をなくした男」
という、文庫本で、物語本文は116頁ほどの短編です。

ある(おそらく貧しい)男が、悪魔に影を売って、使っても使っても金貨が無くならずにまた出てくる袋を手に入れたことから、話が始まります。ですが、彼は汲めども尽きぬ大金を得ながらも、「影がない」という、たったその一つのことによって、周りの人から「呪われた存在」として敬遠され、「影がない自分自身」におびえながら暮らさなければならない羽目に陥ります。自分におびえてしまったことが災いしたのでしょう、生涯で最も愛する人を見つけながら、その女性との結婚も、他人のはかりごとのせいで果たすことが出来ず、人生をさまよい歩きます。「影を戻してやろう、お前の魂と引き換えに」と悪魔が誘惑して来ても、しかし、彼は絶対にそれだけは受け入れまい、と、細々ながらこの意志だけは貫き通しました。結果はどうなったか・・・

ハッピーエンドではありませんが、もしご興味があったら、手にとって、立ち読みでもなさってみて下さい。読みようによっては「世をいとう」物語ではありますけれど、私に限って言えば、ひとときの安らぎを与えてくれた物語でもありました。

「ファウスト」を原作の訳か手塚治虫マンガでご存知の方は、ファウストは最後に魂の救いを得る場面を覚えていらっしゃるかもしれませんが、この物語の主人公は、悪魔にとられたままの影を取り戻すことをかえって拒絶しながら、物語が終わっても生き続け、おそらくはそのまま死んだかも知れず、あるいはまだどこかで生きているのかもしれません。
(シャミッソー作、池内紀 訳。岩波文庫 赤417-1 税込483円)

作者が後年、「影をなくした男」の主人公に捧げた詩から、大切な箇所だけを引用しておきます。
年齢の箇所のみ、今の私の年齢に置き換えます。

 それにしてもぼくは問いたい、人がしばしば
 このぼくに問うたように、影とはなにか?
 どうして世間は意地悪く
 これほど影を尊ぶのか
 ぼくがこの世に生をうけて以来
 四十八年の歳月が流れたが
 その間ずっと影がいのちだったとでもいうのだろうか
 命が影として消え失せるのに

 
**********

家内は数字が揃ったり、数字の語呂がいいのが大好きでした。
最初に乗った車のナンバープレートは、偶然なのですが、9981でした。
住まいの部屋番号も、最後に乗った、そして今僕が運転している車のナンバーも、7の段のかけ算になっています。
娘の誕生予定日は11月11日でした。そこからちょっとずれた時の残念がりようは、今思い出しても愉快です。
自分の命日も、惜しいことに、クリスマスからちょっとずれました。12月26日ですから。

私にはちょっと心にかかっている千円のCDがあって、でも遠出をしなければ手に入らない、と思い込んでいました。
それが今日、娘に写真の焼き増しを頼まれて出掛けようとして、何気なくパソコンに出ている時刻表示を見ましたら、15:15でした。
「あ、カアチャン、ついてきてくれるのかな」
とだけ思って、写真屋さんへ行って、出来るまでの間、その近所のCD屋を覗いたら、まさに、その気にかかっていたCDが目の前にありました。

面白いことも、あるものです。

毎度ながら、長々失礼致しました。

影をなくした男 (岩波文庫)Book影をなくした男 (岩波文庫)


著者:シャミッソー

販売元:岩波書店
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