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2007年10月 5日 (金)

ドヴォルジャーク「交響曲第8番」第1楽章(1)

10月練習にまったく参加できないだけでなく、本番前は事情でほとんどお顔を出せなくなる見込です。
TMFの皆様には心からお詫び申し上げます。
責任をまっとう出来ない、せめてもの埋め合わせを。

ドヴォルジャークの「交響曲第8番」を、この前は「作品全体の有機的つながりを意識下さいますよう」という主旨で綴りました

今回は、第1楽章について綴ります。

「構成」の説明と、「練習上の留意点」を、今日明日の2回に分割します。
内容上、重複する点もあるかもしれませんが、視点は別々です。


とくに、明日予定の後半部分は、普段の練習のときの(先生が「解釈を加える」場合は別として)基本的な演奏技術などについてこまごま分割して箇条書きにしておきますので、もし私の言わんとしていることが皆様のお眼鏡にかなうようでしたら、是非印刷したりスコアやパート譜に書き込んでご活用頂ければありがたく存じます。


今回は「構成」について述べます。

大体の解説に、「ソナタ形式を自由に崩している」という説明がなされているようです。ただ、「ソナタ形式」としているにもかかわらず、「展開部」・「再現部」の位置について、解説者によってバラバラな見解を示しています。
本当は、第1楽章も構成は、人によってそんなにバラバラに捉えなければならないほど複雑ではありません。
かつ、「ソナタ形式」が基本とされていることと、「展開部」の開始位置については明確です。
大間違いを犯している説明は別としまして、問題は、この「展開部」が同時に「再現部」の開始でもある、と見なすかどうか、というところに潜んでいます。

聴けば非常に簡単にわかる話が、文字にすると滅茶苦茶難しくなるのがいやらしいですけれど・・・

答えを先に言えば、

・「展開部」の開始位置は、チェロ等の冒頭のテーマが再び「最初と同じに」開始される部分です。「最初と同じ」なので、一見、「再現部の始まり」と融合させているのですが、厳密に言えば違います。
あくまで、「最初の主題だけは展開部の最初で忠実に<再現されている>」・・・なんだかトリッキーでわけ分かりませんが、ここの意味さえ理解していただければ、以降は氷解します。
「冒頭主題の忠実な再現」が何故なされなければなかったか、は、この<構成>の項目の末尾で述べます。

・で、ひとくさり「冒頭主題の忠実な再現」(くどいな!)が終わると、第1主題の展開がなされます。展開部では第1主題の要素しか使われません。演奏に際しては、この点に充分留意する必要があります。

・「展開部」はトランペットが「冒頭主題」を朗々と歌い上げたところで締めくくられます。

・「再現部」では、「冒頭主題」はもう「再現」されません。「展開部」の道具として使ってしまったため、ここで再度用いると音楽的にくどくなるのを回避したものと思われます(ホントのところは最後に述べます)。

・「再現部」は、コルアングレのソロで始まりますが、第1主題の再現は、一見「展開の残滓」と思えるように色付けしなおされていますので、これが、この個所が「再現部」の始点であることをボカしている最大の要因です。かつ、第1主題の全体像も、「展開部」で<もう満腹!>というほどに展開されきっているため、かなり短縮したかたちでしか再現をしていません。第2主題は、副主題を加えたりして、これもカラーリングを変更していますが、流れは「呈示部」での第2主題の、ほぼ忠実な再現です。

・第2主題の再現を終えた延長で、コーダに入ります。この部分のオーケストレーションの参考曲としては、「スラヴ舞曲集」第2集第2曲(有名なホ短調)を参照しておくことをおすすめいたします。

ここで、ちょっと、次のネウマ譜を見て下さい。

Dvneuma_2
読み方はこちらにリンクした記事で分かりますので、これをもとに読んでみて下さい。

これは、チェコに伝わる、古い聖歌です。

・・・というのは、ウソです!

意地悪しないで、これも種を明かすと、チェロ等の奏でる「冒頭主題」です。
ただ、ネウマにした方(やり方は出鱈目なので、ちゃんとした知識をお持ちの方に見られてしまうのは恥ずかしいのですが)の譜面を見て頂くと、この主題、「ト短調」ではなくて、「ミの旋法(デウテルス)」であることが、はっきりと分かります。
ですので、主題を締めくくるD音(これが「ミ」にあたります)は、次の主題要素に繋ぐための「半終止」音ではなくて、主題そのものがいったんここで完結していることを示す「終止音」です
つまり、第1主題は構成要素が多く、この「冒頭主題」もその一部ではあるのですが、実質上は以降の主題要素からは独立しています。
「展開部」の冒頭で、彼は2度目の礼拝を済ませるのです。
「再現部」でもそれをしてしまうのは・・・「展開部」の規模がそこそこあるだけにくどいと考えたかもしれません。その代わり、コルアングレの響きに「敬虔な精神」を集約させたもの、と捉えれば、充分でしょう。
ドヴォルジャークにしてみれば、彼はここで、まず「この交響曲は敬虔な信仰から生み出されたものなのです」という主張をしておきたかったのではないでしょうか?・・・確かに、あらためて眺めると、非常に中世的な、宗教的な旋律です。

ついでながら、それでもこの「聖歌」を調性構造の中に取り込まなければならなかったため、ドヴォルジャークは和声付けには一工夫凝らしています。その最初の2フレーズ分を五線譜にまとめてみましたので、最後に、この図をご覧下さい。

Dvcode_2

練習のポイントではないかと思って拾っておいた事柄をメモしておきましたので、体調が許せば明日にはそれを列挙します。できることなら明日のそちらの方を、より重要だとお考え下さいね。

なお、自然を謳歌していると聞こえる部分については作品91〜93の序曲3連作(「自然の王国で」・「謝肉祭」・「オセロ」)を、宗教的雰囲気については(「スタバート・マーテル」のような大作もありますが)交響詩「フス教徒」を、一度耳にしてみて下さい。「フス教徒」をお聴きになる場合は、スメタナの「ターボル」(『我が祖国』第5曲)も比較対照にしてみると良いでしょう。

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