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2007年10月29日 (月)

全ての哀しみは自らが作る

今週は、音楽のことはあまり綴らないかもしれません。
家内の段取りが終わり、TMFのかたにお伝えしたいことも綴り終え、・・・自分の張り合いに課題にして来たものもあるのですが・・・ブログを始めた時の原点に、ちょっと還っておこうかな、と思ったからです。


「全ての哀しみは自らが作る」。
妻を失って、諸手続きに10ヶ月もかかってしまって、やっと先が見えたところで、ふと、どうして「哀しい気持ち」が消えないのだろうかと考え込みました。
それはもしかしたら、こういうことなんではなかろうか、と、綴ってみました。

子供が生まれるとき、私が家内に口を酸っぱくして言ったのは、
「いくらお前のお腹の中から出て来るって言ったって、子供はお前とは<別人格>なんだからな」
ということでした。生まれ落ちた時から、人間は、自分だけにしかない人格の持ち主になります。
「だから、親の思い通りにしよう、なんていう考えは、お互い、絶対にやめよう」
そう約束しました。

私たち夫婦はアマチュアの音楽活動を通じて知り合いましたが、結婚生活の中では、音楽は決していちばん大事な物ではありませんでした。かといって、他に「絵や彫刻」が大事だったわけでも、「行楽」が大事だったわけでもありません。
ただ、家族が一緒にいる。このことだけを、少なくとも妻と私は、いつも最高に幸せなことだと思っていました。妻の葬儀の時にも、
「お宅はいつもみんな一緒でしたものねえ、うらやましかったんですよ」
と、何人ものかたに言って頂けました。

一緒にいることが、では、何故そんなに幸せだったのか。

一緒にいたって、それぞれ、やっていることはいつも別々でした。
妻が雑誌を読んでいる。僕はCD聴いている。娘は家庭用ジャングルジムでヒロインになりきっていたし、息子はゲームに夢中。出掛けた先でも、似たようなもんでした。

ただ、いずれは子供たちには子供たちの夢が出来る。それを応援してあげられるだけは、頑張っておこうね、私たちの先入観で「それはダメだ」とは絶対しないように・・・私たち夫婦の約束事は、それだけだったと言ってもいいかもしれません。

親に出来ることは、子供が辛いとき、哀しいとき、それを吸い取って代わってあげられることだ、と、思い込んでいました。

妻を失ってみて、つくづく思うのは、
「いや、我が子と言えど、哀しみの代わりはしてあげられない」
という、厳しい現実です。いいえ、むしろ、自分たちの哀しみを早くに乗り越えて、私に力をくれたのは、子供たちの方でした。「厳しい」のは、私自身の目の前にある現実の方なのですから、情けないことです。
「我が子に、自分の哀しみの肩代わりはさせられない」
のです。

「この子たちは、哀しみに埋まってしまってはいない」
おととい、そのことを強く味合わされました。
台風の雨にも関わらず、娘がどうしても行きたくて仕方がない、激安の洋服屋さんがあって、電車賃を3人で往復2,500円もかけて出掛けました。
我が家の近所だと、娘の服は1万円で一揃えプラスα買える程度です。
ところが、「こんな雨なのに!」とオヤジがぶつぶつ言いながら行ったその店では、なんと、娘の好みの服を4揃い、だけでなく、息子のポロシャツ2着に、息子と僕のシューズ1足ずつを買って、なんと6,500円!
そのあと、傘を風に煽られながら、やっとこすっとこ入ったラーメン屋さん。これがまた、とんでもなく美味かった。
「面白かったね!」
「ありがとう!」
「楽しかったよ!」
「ホントだね」
子供たちは交互に、こんなふうに私に言ってくれました。
素直に、嬉しい、と思いました。
ただ、わたしの頭にはこのとき、同時に、よぎったことがありました。
(ここに女房もいれば・・・)
子供たちは、違いました。純粋に、豪雨の中の買い物とラーメンを愉快がっていたのでした。
ああ、負けたな、と、思いました。

15年の結婚生活で、小さなことから大きなことまで、哀しいこと、辛いことは、妻と私それぞれにありました。しかもそれは、たいていの場合、「夫婦同時に」ではなくて、「どちらか一方に」降り掛かる辛さ、哀しさでした。

妻がノイローゼ気味になったとき、僕に出来たのは、
「お前、もう辛抱しなくていいから、仕事を辞めろ」
と説得することだけでした。家内はいったんはそれに応じましたし、私は家内の職場などに、しかるべき段取りをしました。
ですが、結果的に、彼女は踏ん張り通しました。その死の瞬間まで、彼女は仕事を、誇りを持って続けたのです。

数年後、私がウツになったときに妻がしてくれたことのほうが、大きかった。
カラッとしたタチなので、
「大丈夫、余計なこと考えないで。あんたがいくら考えたって、何も変わらないんだから」
私が休業している間、毎朝、そう私に言い聞かせて出掛けていきました。
それでもどうしても「ウツ」が長引くことが分かったとき、子供が寝静まったあとで、一度、妻は私をしっかり抱きしめてくれました。私の首筋に、妻の、あったかい涙が、いく雫も落ちました。
「絶対死んじゃダメだよ! 私も頑張って生きるから!」
そう言ってくれました。
「あんたのウツを、代わってあげることは出来ないけれど」
って。

妻が死んだ明け方、発見した時には、妻は「死に顔」をしていませんでした。
子供の頃は貧血気味だった、とは聞いていたものの、一緒になってからはいちどもそれで倒れたこともないし、むしろここ数年は、自分自身の健康に絶対の自信を持っていました。
「気絶している」顔でした。
私も、気絶なのだと信じました。たった2時間前まで、「明日はチャンとした病院に行こう」と話し合っていた妻が、死んでいるはずは、ないではないですか。

でも、更に2時間後には、臨終の宣告をうけました。
このとき、妻の顔は、初めて穏やかな笑顔になりました。

「お前なんか美人だって思ったことはいっぺんもないからな」
新婚早々、そう宣告してもカラカラ笑っていた妻でしたが、これではもう、かぐや姫伝説そのままです。
月の世界に行ってしまえば、この世のことは全て忘れるのです。

妻は、忘れることがきちんとできたのだ、と、私は信じています。
子供たちにも、「忘れる」おまじないを、ちゃんとかけてあげられたのだと、信じています。それは、妻が、こちらの世界にいる間、精一杯の愛情を、きちんと子供たちにふりそそいだからなのです。

私だけがいつまでも哀しみ続けているのは、私が私自身で、自分をそう仕向けてしまっているからなのでしょう。
哀しみは全て、私が、私自身で作っているのです。

妻と子供に、毎朝毎晩、毎日毎夕、教え続けられているのに、何故、あらためられないのか?
育ち柄、いつも「すがりつく」何かを探しては迷っていた私を、初めて救ってくれたのは妻でした。
そのことを、もう一度肝に銘じなければ、私だけが、妻や子供たちから、どんどん置いていかれてしまうような気がします。

長々綴ってしまった割には、収拾のつかない文で、申し訳ございませんでした。

少しのあいだ、私に、こんな「反省」をさせて下さい。

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