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2007年10月30日 (火)

「充分じゃん」

妻と私の話続きで、すみません。(今週はお許しくださいね。)

私たちは見合い結婚ではありませんでしたが、恋愛結婚か、と言われると、微妙です。
だいたい、私というヤツが、惚れっぽくて、そのくせ女性との付き合い方が分かっていなくて、ストレートすぎたり、肝心のところで(見栄を張ったり、逆に縮みこみ過ぎたり)でポイントをはずし、で相手に迷惑をかけてばかりなので、結果は良かったためしがありませんし、妻も所属していたオーケストラにいるオバサン方にしょっちゅう、
「だからあなたはダメなのよ」
と説教されていました。
この性格は、今でも変わっていません。なので、軽く「デートしよう」なんてことも、上手に言えません。口にしたとして、そのとき多分自分はガチガチになるでしょうし、「そういう男はふられる」と、物の本にも書いてあります。

そんな不自然な感情で接せずに済んだのは、惜しいことに、過去、亡妻一人だけです。

後で分かったことですが、妻は私の知らない場所で、他の人たちに
「結婚するならKenさんなんかどう? ・・・でも、あのひと、めんどくさそうだもんね」
と、何度か言われていたのだそうです。
「めんどうそう」
とは、良く私の急所を付いた観察を、皆さんなさっていたのですね。(^^;)
いっしょになって少しして、妻に
「ちっとも面倒じゃないのにねえ。アハハ!」
と、この話を聞かされたときには、ただ呆然とするしかありませんでした。

同じアマチュアオーケストラにいて、顔は知っていた、とはいえ、かつ、住まいがクルマでだったら比較的近距離だったので、大きなバッグ一つに合奏用の楽譜を山のように持って合宿にいくのが常だった独身時代、やはり同じ方向のオジサンと一緒に、帰りに彼女のクルマで送ってもらうことがあった、くらいで、特別二人きりで会話したこともなければ、まして恋愛感情なんて持ったこともありませんでした。

なのに、何故、一緒になってしまったのか。妙な話です。

ある演奏会の打ち上げで、たまたま会場に一緒に着き、居合わせた、その演奏会の主催者のお一人に
「ご夫婦ですか?」
と間違われたのが、一番目のきっかけです。
その打ち上げの帰り、真っ先に会場を出た私が階段でこけ、家内が駆けつけてきてくれて、じゃあ助け起こしてくれたのだったらセンチメンタルなんですが、そうではなくて、この女、僕の襟首を掴んだまんま、ずっとケラケラ笑っていやがった。さすがに頭にきたので、起き上がるなり、腕を取って、そのまま一緒に駅まで走って・・・一番目のきっかけになった言葉の魔術に引っかかったのでしょうね、なんでだか、デートに誘ってしまった。これが二番目のきっかけです。
で、翌日の初デートが、そのままプロポーズの日になるというせっかちさでした。
なのに、1週間後には、すんなりOKをくれたのでした。

プロポーズした日付は、奇しくも、15年後に家内が死んだのと同じです。

OKをくれたその日から、家内は特別なことさえなければ毎日、仕事が終わると、私と一緒にいてくれました。今振り返ってみると、ふつうじゃありえませんよね、こんなこと。

入籍だけでいい、結婚式も、新婚旅行もいらない。
初めから、それで二人とも気持ちが決まっていました。
ただ、親たちにしてみれば、さすがに「式」をやらないのは、しめしもつかないし、みっともない。
それはそうだ、ということで、半年後に、おひろめだけはやりました。
当時はまだ珍しかった「人前結婚式」で、レストランを借り切って、わいわいとやりました。
このとき、もう、妻のお腹の中には、上の子がいました。ですので、二次会は無しでした。

2つ年上の姉さん女房でしたが、気が大きそうな外目とは違って、下の子が幼稚園に入る頃までは、案外泣き虫で困りました。なんで泣いたのかはいちいち覚えていませんが、ちょっとしたことでベソをかきました。そんなうちは、子供よりも妻を「よしよし」する方が多かったかもしれません。・・・子供たちの方が、意外と図太かった気がします。
そんな妻が、本当に強くなったなあ、と思ったのは、彼女がノイローゼを踏み越えたあとでした。
それまでは仕事については愚痴が多かったのに、少々のトラブルでも、
「今日、こんな事件があってさあ」
と、漫談調に面白おかしく話すようになりました。
下の子が、血尿が出たことがありました。夜遅くなのに、すぐに診療所を探し出して、一晩中帰ってきませんでした。結局は何らかの菌が原因だったと言うことで数日の入院でことなきを得ました。
上の子は小学校の卒業間際に骨折し、中学入学したての頃はまだ車椅子でしたが、毎朝、娘を車椅子ごと担いで、校舎の階段を昇った(らしい)というので、学校の校長先生から表彰状をいただいたりしました。恐れ入ったバイタリティでした。

教員でしたから、帰宅は、サラリーマンで事務職の私より不規則でした。サラリーマンと夫婦であることは、結構負担だったのではないか、と思います。それでも微妙に私より早いタイミングで帰宅し、食事の準備で子供や私を待たせることがありませんでした。実際には、学校の行事や事件や、残っている事務処理との睨み合わせで、時間調整にはかなり気を配っていたはずですが、おくびにも出したことがありませんでした。

私は、そんな妻には何の助けにもならない、無力な夫だったのではないか・・・

一緒になった時に、少なくとも2つの負い目がありました。
家内とは同じ地方の出身でしたので、どちらもその地方でもたれがちな先入観に関係するものでした。

ひとつめは、その頃の私の勤務先は、ある大きな会社が新設した子会社でした。それだけで「あれま、立派なところにお勤めで」となってしまう。
「でもさ、事務所、ボロいんだよ」
高速道路の下にあって、一日中日の当たらない、2階建てでボロなプレハブだったのです。家内を連れていって、見せました。
「充分じゃん!」
「え?」
「尊敬できる人たちと仕事してるんでしょ?建物なんかどうでもいいじゃん。会社だって、別に小ちゃくたっていいじゃん」

二つ目は、卒業した大学が、その地方では一流校だと言うことになっていたこと。「これまた、すごいことだわ」と、実際言われるのです。
「でも、オレ、この学校好きじゃなかったし、合わなかったし、だからいちばんバカだったんだ」
この話の時も、妻曰く、
「充分じゃん、周りの人がそう思ってるだけだ、って割り切れば、なんてことない。好きじゃなかったんだったらそれでいいじゃん」

どちらも、まだ泣き虫だった頃の妻が、私を「世間様とのしがらみ」から吹っ切らせてくれた文句でした。

これだけは生涯一貫していたのが、
「充分じゃん」
という、家内の決まり文句でした。
「足りなかったら、そのうち足りるようになるんだから」

私は、そんな妻に「充分な」夫だったかどうか・・・

家内が死んで、最初の彼女の誕生日がきたとき、行きつけのケーキ屋のおばさんが言ってくれました。
「あんた、うちにもいろんな奥さん来るけどさ、みんな、ダンナの文句や愚痴ばっかだよ」
「ウチのもそうだったでしょ」
「違うよお、そんなこと言いたいんじゃないんだよ」
「はあ」
「あんたの奥さんだけだよ、ダンナの愚痴行ったこと無いのは」
「まさか」
「ほんとだよ。いつもね、『ウチのは優しいんですよ』って言って帰るんだったよ」

ケーキ屋のおばさんが、私を励ますために思いついてくれた作り話なのかも知れません。
でも、ほんとうに妻がそう思っていてくれたんだったら。

私には、このとき、どう応じたらいいんだか、言葉がありませんでした。

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