« 曲解音楽史21:諸聖歌の背景(1)グレゴリオ聖歌 | トップページ | 忘れ得ぬ音楽家:4)ロストロポーヴィチ »

2007年10月 2日 (火)

モーツァルト:「牧人の王」K.208

ここまで読んできたモーツァルト作品の個々へのリンクを作成し直しました。ご利用下さい。



1775年3月7日、「偽の女庭師」上演を一通り終えたモーツァルト父子は、ザルツブルクに帰り着きます。
2幕のセレナータ「牧人の王 Il re pastore」の作曲は、ザルツブルク帰着後間もなく始められたのではないか、と考えられているようです。台本は、後述の通り、既にミュンヘンで選定を終え、持ち帰っていたのではないかと思われています。

音楽劇が何故「セレナータ」と呼ばれたかについては、目を通した限りの日本語文献には記載がありませんでした(類似の作品にはクリスチャン・バッハのセレナータ「エンディミオーネ」があります)。ある事典(原典は欧文献)に「声楽による小規模な敬礼カンタータをさす場合がある」との記述をやっと見いだしただけで、謂れが分かりません(現に、上演時の主賓であるマクシミリアン大公の『旅行日誌』・・・同行者のハルデック伯爵がつけていた・・・では「カンタータ」と呼ばれています)。この点は、もしご存知でしたらご教示頂ければありがたく存じます。ちなみに、新モーツァルト全集(NMA)の注釈(第5分冊)の注釈によれば、アンガーミュラーによる研究があり、それには「伝統的な呼称」であるとの結論が記載されているようです。詳細に目を通したいところです。
なお、マクシミリアン大公は、パリに姉マリ=アントワネットを訪ねた帰路にザルツブルクへ立ち寄った、とされています(検証していません)。

上演自体は4月24日、女帝マリア・テレジアの末子でザルツブルクを来訪していたマクシミリアン・フランツ大公のために行われました。(有名な絵画『大礼服を着たモーツァルト』で幼いモーツァルトが着ている<大礼服>は、このマクシミリアンのものでした。)
台本はメタスタジオが1751年に作曲家ボンノ(映画『アマデウス』の中では凡庸な人物としてちょい役扱いされていますが、ウィーン宮廷音楽家の中では長く高い地位を保った人でしたから、実際には有能な人だったのではないかと思います)のために作った3幕もので、同じ台本にはウッティーニ(?)、ハッセ(1755)、グルック(1756)、サルティ(1751?)、マッツォーニ(1757)、ランプニャーニ(1758)、ガルッピ(1762)、ピッチンニ(ピッチーニ、1765)と、有名無名の多くの作曲家が既に曲を付けています。

モーツァルトは2幕の短縮版を台本に用いましたし、詩句も数ヶ所改変しているとのことですが(NMA第5分冊1185-1187頁に詳述)、短縮版を用いるにあたっては、1769年、皇帝ヨーゼフ2世のためにミュンヘンで上演されたグリエルミの短縮版『牧人の王』によったのではないかと推定されています。また、直接的にモーツァルトに影響を与え、その台本を持ち帰らせることになったのは、やはり前年の74年にミュンヘンで演じられたガルッピによる『牧人の王』だったかと思われます。


今日のこの作品への評価にも、アルフレート・アインシュタインが「コンチェルト的」と決めつけたその言葉が大きく影を落としており、
「いい作品だが器楽的」
との記載が目につきます。事実、3番目のアリアは、冒頭部が同じ年の9月に作曲されたヴァイオリン協奏曲第3番に応用されているのがはっきり聞き取れます。

ですが、こうした評価は決して作品の価値を低く見たものではありません。
ただ、アインシュタインは「交響曲」という器楽を基準に他のモーツァルト作品を観察する方法をとる傾向が強かったことに注意しなければなりません。

現実には、『牧人の王』には、器楽的、ではなく、当然声楽を中心として構成されている面での新工夫に目を向けるべきであり、かつ「コンチェルト的」の言葉を当てはめるなら、アインシュタインの意図するところとは見方を変え、「声楽コンチェルト的」といういい方をしなければならないと思います。

とりわけ見事なのは、序曲が(アインシュタインや海老澤氏は「初の単一楽章序曲」としていますが、私は正しくないと考えます。あくまで「イタリア風序曲」の変形で、前作「偽の女庭師」序曲と同じ系列に属します)第2楽章に入った、と思わせておきながら、そのままアミンタ(=舞台であるフェニキアの町シドンの王の後裔だが、本人はそれと知らず牧童生活を続けている)のさわやかなアリアへと入ってしまう〜しかも、このアリアも完全に終結せぬまま、続くレシタティーヴォへと突入する、という、聴衆に息も継がせない音楽の連続の部分です。モーツァルトは、これにより、開幕からすぐに、人びとの耳を引きつけることに成功したものと思われ、「牧人の王」は後年まで彼の自信作であり続け、一時は恋する人として熱中したアロイジア・ウェーバーにも歌ってもらったほどです。

また、終幕のフィナーレも、「コジ・ファン・トゥッテ」を思わせる豊かな味わいを持っています。


配役は以下のとおり:
・アレッサンドロ(テノール、アレクサンダー大王)
・アミンタ(ソプラノ、初演時はおそらくカストラート。シドンの王の後裔)
・エリザ(ソプラノ、アミンタの恋人、羊飼いの娘)
・タミーリ(ソプラノ、シドンの前僭主の娘)
・アジェーノレ(シドンの貴族でアレッサンドロに服属)

ソプラノ3人、テノール2人、というこの配役、実は前日やはりマクシミリアン大公のために上演された、ザルツブルクの楽長フィシェッティのセレナータ『贖罪の園々』(で、タイトル合ってるかなあ?)の編成と同じであることが判明している・・・のだったと思って記載典拠を探し直したのですが見つけ損ねました。間違っていたらごめんなさい。後で直します。


作品そのものは70分から90分の間で演奏できる、比較的短いもので、ストーリー自体は単純です。
アレクサンダー大王は、シドンの王の末裔を、前僭主に替えてシドンの統治者としようとし、アミンタを見つけ出して会話を交わし、アミンタの清らかな心に打たれてその即位に邁進します。その際、前僭主の娘タミーリの存在を知り、彼女こそ王位にふさわしい、と、アミンタとタミーリを結婚させようとします。が、アミンタにはエリザという、タミーリにはアジェノーレという想い人が、既にそれぞれいました。しかし、アレッサンドロに忠実なアジェノーレは、タミーリと自分の恋についてアレッサンドロに告げることが出来ません。
いざアミンタの戴冠という時、アミンタは「王国よりもエリザを!」と、戴冠を拒みます。アレッサンドロは自分のために尽力して来てくれたアジェノーレがタミーリと恋仲だったことも知り、結局は新王アミンタにエリザを、アジェノーレにはタミーリをめあわせます。

最初のアリア(アミンタ)を、アーノンクール盤からお聴き頂いて、この記事を終えさせて頂きます。

なお、マリナー指揮アカデミーの演奏での映像が出ており(新品はなさそう・・・)、最近の斬新な演出よりは私は好きです。
演出も単純に伝統的ではなく、歌い手が常に従僕を従えて脇に控えており、自分の番が来ると中央の舞台にでる、という、収録された1989年としては楽しいものです。

|

« 曲解音楽史21:諸聖歌の背景(1)グレゴリオ聖歌 | トップページ | 忘れ得ぬ音楽家:4)ロストロポーヴィチ »

コメント

序曲から第一アリアへの移行は、「ドン」を思わせますよね。勿論、3曲目が有名ですが、10曲目が好きです。しかし、演奏会形式は、やはり勿体ない話です。ザルツブルグに良いオペラ劇場があればよかったですね。

投稿: ランスロット | 2007年10月 4日 (木) 17時58分

ランスロットさん、序曲からの移行の件、「ああ、そっか〜」と、気づかされました。鋭い!

10曲目(第9曲)はアリアとして最も有名かつ名曲でしたね。ランスロットさんのブログで、是非、紹介して下さい!・・・いまさら「忘れてました〜」というのは恥ずかしいし、単独で紹介するにもふさわしい曲でもあるし。楽しみにして下さる方も多いと思いますよ〜
ご紹介頂いた場合には、リンクさせて頂きます!
(・・・厚顔無恥、というのは私のための言葉だったのか・・・)

投稿: ken | 2007年10月 4日 (木) 19時38分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/95716/8211343

この記事へのトラックバック一覧です: モーツァルト:「牧人の王」K.208:

« 曲解音楽史21:諸聖歌の背景(1)グレゴリオ聖歌 | トップページ | 忘れ得ぬ音楽家:4)ロストロポーヴィチ »