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2007年10月31日 (水)

夫婦喧嘩と子供の躾け

こればっかりは私と妻の間では「お粗末」な話しかありません。・・・まあ、精一杯、ではあったのですが。

夫婦喧嘩は殆どしませんでしたが、
「喧嘩になりようがなかった」
からですし、共稼ぎですから子供は小学3年生まで人様にお委ね(預け)て面倒を見て頂く以上、ちゃんとした方針で躾けませんでした。

実は、昨日、初めて娘の頬にビンタを食らわせました。
アムロだって「オヤジにも殴られたことがないのに」、うちの娘は、母を亡くして、父にビンタを食らいました。
父の話に対して「うるさい!」と言った、言ってしまったそのとたんに、父の手が、娘を張っていた。
結果を言えば、よくぞ耐えました。・・・が、今日になっても昨日の父の注文をきちんと理解していないので、
「まあ、親としてすべきことをやって来なかったんだから・・・」
少し、長期戦で臨まないといけないなあ、と、覚悟する必要がありそうです。

もちろん、今日はビンタするつもりはありません。・・・出来れば、「もう一度」があってほしくはありません。

「悪いことを<悪い>と言えれば、悪いと言うことが分かっていれば、それでよし」
躾けというと、そんなモラルを分からせればおしまい、と思いがちです。あるいは、親が言った通りやる素直さがあればいいのだ、と。

本当にそうなのだろうか、というのが、この子らにとって「親」は私だけ、になってしまった当初から、どう考えていいのか、さんざん迷ったことでした。

妻には躾けは
「保育室や学童で生活の基本的なことを身につけさせて頂けたし、子供たちは気持ちが優しいし」
だから充分。あとは包み込んでやるだけ、という考えがあり、加えて、成長してから出くわすことは、そのつど対処していけばいいんだ、
「私にはそれが出来る」
という自負が、教員生活経験上強くあって、妻が生きている間は、妻の考えで充分でした。
包み込んでやるだけ、と口では言いながら、叱るとものすごく恐ろしい・・・脇にいる私まで震え上がるくらい勢いで、延々と怒鳴り続け、稲光を走らせるので、ガキどもは、ささあっと言うことを聞き、そのあとはパッパと進むのです。
ただ、子供も幼ければ理屈が通用するわけではないですから、なかなか叱られたことが身に付かない。
それでも、家内が叱ると効果絶大なので、
「任せておけば大丈夫」
と、私はあまり横槍を出しませんでした。ランダムにでも似た内容が繰り返されれば、何回もあるうちに「身に付くんだろう」・・・そんな、甘い読みしかありませんでした。

今になってみると、横槍を出さなかったことが、大変な後悔の種です。
何故か。
子供が生まれる時に妻に言い聞かせた「子供はボクたちとは別の、一個の人格なんだ」という私自身の言葉に、結局は私が責任を持っていなかった、ということを、妻が死んでみて、さんざん思い知らされたからです。

「親にとって、子はいつまでも子供」
と、よく言われます。
ですが、時代はどんどん変わります。
時代が変わると言うのは、何を意味するか?
価値観が変わる、と言うことです。そのとき、ほんとうに、本当の意味で、私は親として親足りえるのか?

私たちの結婚生活について、あるいは趣味生活についてだけを例に挙げても、新婚当時、家内が仕事を続けていることに対し、私は職場の先輩連中にはよく
「なんで奥さんを働かせ続けているんだ」
と、結構冷たく言われたものでした。サラリーマン社会は、共稼ぎは「非常識」でした。・・・たった15年前のことです。
それが、家内の死ぬ数年前から
「奥さんも、いい生き甲斐を持っているねえ」
と言われるようになりました。
趣味で楽器を弾くことについても、
「趣味なんか持つと仕事の質が落ちる。たいがいにしろ」
という人が・・・妻が働いていることに対する意見よりは少なかったとはいえ・・・かなりいました。
今では、
「趣味で楽隊やってるんだ、いいなあ! オレはなんにも出来ないからなあ」
が、普通に言われる言葉になりました。

話は窮屈になりますが、働く環境も、大きく変わりつつあります。
終身奉職からせめて常勤(形態は幾種類もありますが)への移行は目立たぬながら進んでいますし、それは働く側の意志からだけではなく、経営側の発想からも・・・そう、言葉は硬くなりますけれど、労使双方から起こっていることです。
就労時間も「労働基準法」は名ばかりと言っていいものになり、それでも法が何とか体面を保っているのは、極端に言えば、経営が「発注・請負」形式にかなり移行が進んだ結果です。

そんな変化の中で私たち夫婦の世代は生きて来たはずなのに・・・私たちはまだまだ、変化に敏感ではありませんでした。だから、
「子供たちが大きくなったとき、なんとかカバーしてあげられる」
妻にも私にも、そういう油断があったのではないかと思います。

「子供はいずれ自立して、自分のことは自分で裁量しなければならない」

このことは、同居・別居の別を問いません。
同居していても、世代が違えば、「戦場」の有り様が、全く変わってしまっているだろうから。
たった20年ほどしか間の開いていない、第1次世界大戦と第2次世界大戦の内容の違いをイメージすれば、こんなことが如何に自明かは、誰にでも分かるはずなのです。
そして、そのとき戦場に立っているのは「退役」してしまった私ではなく、子供たちの方なのです。戦法の変化が緩やかだった紀元1、2世紀だったらともかく、現代は「退役者」の「助言」は「暴言(妨言)」でしかない可能性の方が、高いのです。とてもむずかしいことですね。

どんな変化が起こるか不透明なこの先、いちばん身につけさせなければならないのは、だから、
「何がどう変わっても、それについていける知恵を身につけさせる」
ことなのであって、受験を乗り切れる、などという「学歴社会」を前提としたものであっては、絶対にならないはずです。
勉強ならば「教科書が理解できる・問題が解ける・塾でも優秀」なんてことが(3つ目を除いては重要だとは思っていますが)、モラルならば「悪いことは悪い」だというお題目の表面だけが身に付いたところで・・・それを教え込んだ大人たちの環境と、子供たちが将来囲まれる環境とは全く違う可能性は、たいへんに高い。そのとき、ヘタに身につけてしまったことが、足枷になることもある(歴史上、とくに戦争で大敗した側の兵隊さんたちがどう育成されてきたかを観察してみると、まさにその育成のされかたが「足枷」になっていたことが、たいへんよく分かります)。

だから、
「いい子に育つ」
ことを望むのが親としてのベストなのか、と自問すると、どうも違うような気がする。
・・・でも、もう、それを一緒になって考える妻が、ここにはいません。

最初の4ヶ月はとくに、家内の死去に伴う手続きや疑問の解明に、
「なんでこんなに時間がかかるんだ!」
とじれるばかりでしたし、とにかく生活が妻の生前とあまり変わらないようにするにはどうしたらいいか皆目見当もつかず、「うつ」も無理やり「治った」ことにしてお医者と職場に認めてもらうことからのスタートでした。つまりは私が私自身を騙しているわけですから、ふと我に帰ると、それまでのあいだ半狂乱状態になっていた、ということも、ままありました。
そうした時期を、子供たちはよく辛抱してくれたと思います。
だからこそ「ただ優しくしていくことだけが、子供たちへの恩返し」だとは、思ってはいけないと感じています。

気負って無理なペースを強いるのは愚の骨頂です。しかも、テキは思春期に差し掛かって、本来なら父親では母親のようには対応できない(私自身が、今の子供たちの年齢の頃から、特に父にはずいぶん反発しました)。
この子たちにどういう問いかけをし続けていくのか・・・

逃げずに試行錯誤しなければいけない、と思う今日この頃です。

「答えは、まだ無い。」

<躾け>の話ばかりでだいぶ長く、かつ堅苦しくなってしまいましたが、<夫婦喧嘩>にしたって、今になって全く同じような後悔をしているのです。
犬でも食わない話であるうえに、回数が五本の指にも満たないので、詳しくは触れません。
ただ、私は家内がヒステリーを起こしそうになったら、「分かった分かった、良いようにやってごらん」とお茶を濁して、家内には良い顔しかしてこなかったのじゃないかな、これって、本当は家内に「優しく」は無かったのではないかな、と、思われて来てならないのです。
昨日綴った、ケーキ屋のおばちゃんの言ってくれた、
「あんたの奥さんくらいだよ、ダンナのことで愚痴をこぼさなかったのは」
というのが、だから、ある意味、ありがたいと同時に、胸に深く突き刺さりもするのです。

結婚した頃に流行ったドラマやトークによくあるパターンは
「あなたって、やさしいのね」
「・・・」
「でも、だからつまらないのよ」
でした。

家内にとって、私はつまらない夫だった、とは、決して思ってはいませんし、思いたくもない。だから、複雑な気持ちにもなる、という次第です。

連日、長話で済みません。
ここまでお読み下さったのでしたら、今日もその方へは心からの感謝を!

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持続性の「鬱」で悩む方に

「リタリン」の処方が受けられなくなる事態となり、お困りの方もいらっしゃると聞いております。
私自身は服用者ではないのですが、処方が受けられないことで、せっかく職場復帰していたのに、先の希望を失う方もいらっしゃるようです。ただし、実態も把握しづらいのが現状かと存じます。

毎日新聞社:毎日JP(ウェブサイト) トップ > ニュースセレクト > サイエンス > 記事
に、本日下記記事が掲載されました。

【引用】
トップ > ニュースセレクト > サイエンス > 記事
(URL~http://mainichi.jp/select/science/news/20071031k0000m040178000c.html
リタリン:東京のクリニック本格捜査へ 無資格医療容疑で
 依存性の高い向精神薬「リタリン」の乱用問題で、「京成江戸川クリニック」(東京都江戸川区)が、医師免許のない職員らに薬剤の処方せんを出させていたことがわかった。警視庁生活環境課は、医師法違反(無資格医業)の疑いで本格捜査に乗り出す方針を固めた。乱用問題が刑事事件に発展する可能性が出てきた。【精神医療取材班】

 京成江戸川クリニックは、旧厚生省薬務局課長補佐や公衆衛生局精神衛生監査官などを務めた経験がある院長(67)が開業。関係者によると、クリニックには院長だけしか医師がいないにもかかわらず、院長が今年8月に体調を崩して入院した後の約1カ月間、医師免許を持っていない病院職員らが薬剤の処方せんを出すなどしていたとされる。職員らは院長の指示か了承を得ていた可能性があるという。

 東京都などは9月、同クリニックと東京都新宿区の「東京クリニック」に対して、医療法違反(不適切な医療の提供)の疑いで立ち入り検査を行っている。職員らによる薬剤の処方は、医師法に違反する疑いが強いという。

 両クリニックは、インターネット上で「患者が要求すればリタリンを大量に出してくれる医療機関」として評判になっており、患者の家族らからは、「リタリンを処方され続け、薬物依存になった」などの相談や苦情が東京都や地元の保健所に多数寄せられていた。

 リタリンは塩酸メチルフェニデートの商品名。依存症や幻覚・妄想などの副作用があり、若者らの乱用が社会問題化していた。製造・販売元の「ノバルティスファーマ」(東京都港区)は今月17日に適応症からうつ病を削除するよう申請、26日に厚生労働省に正式承認された。同省はリタリンを処方できる医師や医療機関を登録制にして流通を制限する方針も決めている。

毎日新聞 2007年10月31日 2時30分

調査そのもので事態が「窮屈な」方向にではなく、少しでも「正しい服用者」への救済の方へ動いてくれれば、と願うばかりです。

ただ掲載のみで、お読みになってくださる方のお役に立つわけではなく、遺憾ですけれど・・・

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2007年10月30日 (火)

「充分じゃん」

妻と私の話続きで、すみません。(今週はお許しくださいね。)

私たちは見合い結婚ではありませんでしたが、恋愛結婚か、と言われると、微妙です。
だいたい、私というヤツが、惚れっぽくて、そのくせ女性との付き合い方が分かっていなくて、ストレートすぎたり、肝心のところで(見栄を張ったり、逆に縮みこみ過ぎたり)でポイントをはずし、で相手に迷惑をかけてばかりなので、結果は良かったためしがありませんし、妻も所属していたオーケストラにいるオバサン方にしょっちゅう、
「だからあなたはダメなのよ」
と説教されていました。
この性格は、今でも変わっていません。なので、軽く「デートしよう」なんてことも、上手に言えません。口にしたとして、そのとき多分自分はガチガチになるでしょうし、「そういう男はふられる」と、物の本にも書いてあります。

そんな不自然な感情で接せずに済んだのは、惜しいことに、過去、亡妻一人だけです。

後で分かったことですが、妻は私の知らない場所で、他の人たちに
「結婚するならKenさんなんかどう? ・・・でも、あのひと、めんどくさそうだもんね」
と、何度か言われていたのだそうです。
「めんどうそう」
とは、良く私の急所を付いた観察を、皆さんなさっていたのですね。(^^;)
いっしょになって少しして、妻に
「ちっとも面倒じゃないのにねえ。アハハ!」
と、この話を聞かされたときには、ただ呆然とするしかありませんでした。

同じアマチュアオーケストラにいて、顔は知っていた、とはいえ、かつ、住まいがクルマでだったら比較的近距離だったので、大きなバッグ一つに合奏用の楽譜を山のように持って合宿にいくのが常だった独身時代、やはり同じ方向のオジサンと一緒に、帰りに彼女のクルマで送ってもらうことがあった、くらいで、特別二人きりで会話したこともなければ、まして恋愛感情なんて持ったこともありませんでした。

なのに、何故、一緒になってしまったのか。妙な話です。

ある演奏会の打ち上げで、たまたま会場に一緒に着き、居合わせた、その演奏会の主催者のお一人に
「ご夫婦ですか?」
と間違われたのが、一番目のきっかけです。
その打ち上げの帰り、真っ先に会場を出た私が階段でこけ、家内が駆けつけてきてくれて、じゃあ助け起こしてくれたのだったらセンチメンタルなんですが、そうではなくて、この女、僕の襟首を掴んだまんま、ずっとケラケラ笑っていやがった。さすがに頭にきたので、起き上がるなり、腕を取って、そのまま一緒に駅まで走って・・・一番目のきっかけになった言葉の魔術に引っかかったのでしょうね、なんでだか、デートに誘ってしまった。これが二番目のきっかけです。
で、翌日の初デートが、そのままプロポーズの日になるというせっかちさでした。
なのに、1週間後には、すんなりOKをくれたのでした。

プロポーズした日付は、奇しくも、15年後に家内が死んだのと同じです。

OKをくれたその日から、家内は特別なことさえなければ毎日、仕事が終わると、私と一緒にいてくれました。今振り返ってみると、ふつうじゃありえませんよね、こんなこと。

入籍だけでいい、結婚式も、新婚旅行もいらない。
初めから、それで二人とも気持ちが決まっていました。
ただ、親たちにしてみれば、さすがに「式」をやらないのは、しめしもつかないし、みっともない。
それはそうだ、ということで、半年後に、おひろめだけはやりました。
当時はまだ珍しかった「人前結婚式」で、レストランを借り切って、わいわいとやりました。
このとき、もう、妻のお腹の中には、上の子がいました。ですので、二次会は無しでした。

2つ年上の姉さん女房でしたが、気が大きそうな外目とは違って、下の子が幼稚園に入る頃までは、案外泣き虫で困りました。なんで泣いたのかはいちいち覚えていませんが、ちょっとしたことでベソをかきました。そんなうちは、子供よりも妻を「よしよし」する方が多かったかもしれません。・・・子供たちの方が、意外と図太かった気がします。
そんな妻が、本当に強くなったなあ、と思ったのは、彼女がノイローゼを踏み越えたあとでした。
それまでは仕事については愚痴が多かったのに、少々のトラブルでも、
「今日、こんな事件があってさあ」
と、漫談調に面白おかしく話すようになりました。
下の子が、血尿が出たことがありました。夜遅くなのに、すぐに診療所を探し出して、一晩中帰ってきませんでした。結局は何らかの菌が原因だったと言うことで数日の入院でことなきを得ました。
上の子は小学校の卒業間際に骨折し、中学入学したての頃はまだ車椅子でしたが、毎朝、娘を車椅子ごと担いで、校舎の階段を昇った(らしい)というので、学校の校長先生から表彰状をいただいたりしました。恐れ入ったバイタリティでした。

教員でしたから、帰宅は、サラリーマンで事務職の私より不規則でした。サラリーマンと夫婦であることは、結構負担だったのではないか、と思います。それでも微妙に私より早いタイミングで帰宅し、食事の準備で子供や私を待たせることがありませんでした。実際には、学校の行事や事件や、残っている事務処理との睨み合わせで、時間調整にはかなり気を配っていたはずですが、おくびにも出したことがありませんでした。

私は、そんな妻には何の助けにもならない、無力な夫だったのではないか・・・

一緒になった時に、少なくとも2つの負い目がありました。
家内とは同じ地方の出身でしたので、どちらもその地方でもたれがちな先入観に関係するものでした。

ひとつめは、その頃の私の勤務先は、ある大きな会社が新設した子会社でした。それだけで「あれま、立派なところにお勤めで」となってしまう。
「でもさ、事務所、ボロいんだよ」
高速道路の下にあって、一日中日の当たらない、2階建てでボロなプレハブだったのです。家内を連れていって、見せました。
「充分じゃん!」
「え?」
「尊敬できる人たちと仕事してるんでしょ?建物なんかどうでもいいじゃん。会社だって、別に小ちゃくたっていいじゃん」

二つ目は、卒業した大学が、その地方では一流校だと言うことになっていたこと。「これまた、すごいことだわ」と、実際言われるのです。
「でも、オレ、この学校好きじゃなかったし、合わなかったし、だからいちばんバカだったんだ」
この話の時も、妻曰く、
「充分じゃん、周りの人がそう思ってるだけだ、って割り切れば、なんてことない。好きじゃなかったんだったらそれでいいじゃん」

どちらも、まだ泣き虫だった頃の妻が、私を「世間様とのしがらみ」から吹っ切らせてくれた文句でした。

これだけは生涯一貫していたのが、
「充分じゃん」
という、家内の決まり文句でした。
「足りなかったら、そのうち足りるようになるんだから」

私は、そんな妻に「充分な」夫だったかどうか・・・

家内が死んで、最初の彼女の誕生日がきたとき、行きつけのケーキ屋のおばさんが言ってくれました。
「あんた、うちにもいろんな奥さん来るけどさ、みんな、ダンナの文句や愚痴ばっかだよ」
「ウチのもそうだったでしょ」
「違うよお、そんなこと言いたいんじゃないんだよ」
「はあ」
「あんたの奥さんだけだよ、ダンナの愚痴行ったこと無いのは」
「まさか」
「ほんとだよ。いつもね、『ウチのは優しいんですよ』って言って帰るんだったよ」

ケーキ屋のおばさんが、私を励ますために思いついてくれた作り話なのかも知れません。
でも、ほんとうに妻がそう思っていてくれたんだったら。

私には、このとき、どう応じたらいいんだか、言葉がありませんでした。

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2007年10月29日 (月)

全ての哀しみは自らが作る

今週は、音楽のことはあまり綴らないかもしれません。
家内の段取りが終わり、TMFのかたにお伝えしたいことも綴り終え、・・・自分の張り合いに課題にして来たものもあるのですが・・・ブログを始めた時の原点に、ちょっと還っておこうかな、と思ったからです。


「全ての哀しみは自らが作る」。
妻を失って、諸手続きに10ヶ月もかかってしまって、やっと先が見えたところで、ふと、どうして「哀しい気持ち」が消えないのだろうかと考え込みました。
それはもしかしたら、こういうことなんではなかろうか、と、綴ってみました。

子供が生まれるとき、私が家内に口を酸っぱくして言ったのは、
「いくらお前のお腹の中から出て来るって言ったって、子供はお前とは<別人格>なんだからな」
ということでした。生まれ落ちた時から、人間は、自分だけにしかない人格の持ち主になります。
「だから、親の思い通りにしよう、なんていう考えは、お互い、絶対にやめよう」
そう約束しました。

私たち夫婦はアマチュアの音楽活動を通じて知り合いましたが、結婚生活の中では、音楽は決していちばん大事な物ではありませんでした。かといって、他に「絵や彫刻」が大事だったわけでも、「行楽」が大事だったわけでもありません。
ただ、家族が一緒にいる。このことだけを、少なくとも妻と私は、いつも最高に幸せなことだと思っていました。妻の葬儀の時にも、
「お宅はいつもみんな一緒でしたものねえ、うらやましかったんですよ」
と、何人ものかたに言って頂けました。

一緒にいることが、では、何故そんなに幸せだったのか。

一緒にいたって、それぞれ、やっていることはいつも別々でした。
妻が雑誌を読んでいる。僕はCD聴いている。娘は家庭用ジャングルジムでヒロインになりきっていたし、息子はゲームに夢中。出掛けた先でも、似たようなもんでした。

ただ、いずれは子供たちには子供たちの夢が出来る。それを応援してあげられるだけは、頑張っておこうね、私たちの先入観で「それはダメだ」とは絶対しないように・・・私たち夫婦の約束事は、それだけだったと言ってもいいかもしれません。

親に出来ることは、子供が辛いとき、哀しいとき、それを吸い取って代わってあげられることだ、と、思い込んでいました。

妻を失ってみて、つくづく思うのは、
「いや、我が子と言えど、哀しみの代わりはしてあげられない」
という、厳しい現実です。いいえ、むしろ、自分たちの哀しみを早くに乗り越えて、私に力をくれたのは、子供たちの方でした。「厳しい」のは、私自身の目の前にある現実の方なのですから、情けないことです。
「我が子に、自分の哀しみの肩代わりはさせられない」
のです。

「この子たちは、哀しみに埋まってしまってはいない」
おととい、そのことを強く味合わされました。
台風の雨にも関わらず、娘がどうしても行きたくて仕方がない、激安の洋服屋さんがあって、電車賃を3人で往復2,500円もかけて出掛けました。
我が家の近所だと、娘の服は1万円で一揃えプラスα買える程度です。
ところが、「こんな雨なのに!」とオヤジがぶつぶつ言いながら行ったその店では、なんと、娘の好みの服を4揃い、だけでなく、息子のポロシャツ2着に、息子と僕のシューズ1足ずつを買って、なんと6,500円!
そのあと、傘を風に煽られながら、やっとこすっとこ入ったラーメン屋さん。これがまた、とんでもなく美味かった。
「面白かったね!」
「ありがとう!」
「楽しかったよ!」
「ホントだね」
子供たちは交互に、こんなふうに私に言ってくれました。
素直に、嬉しい、と思いました。
ただ、わたしの頭にはこのとき、同時に、よぎったことがありました。
(ここに女房もいれば・・・)
子供たちは、違いました。純粋に、豪雨の中の買い物とラーメンを愉快がっていたのでした。
ああ、負けたな、と、思いました。

15年の結婚生活で、小さなことから大きなことまで、哀しいこと、辛いことは、妻と私それぞれにありました。しかもそれは、たいていの場合、「夫婦同時に」ではなくて、「どちらか一方に」降り掛かる辛さ、哀しさでした。

妻がノイローゼ気味になったとき、僕に出来たのは、
「お前、もう辛抱しなくていいから、仕事を辞めろ」
と説得することだけでした。家内はいったんはそれに応じましたし、私は家内の職場などに、しかるべき段取りをしました。
ですが、結果的に、彼女は踏ん張り通しました。その死の瞬間まで、彼女は仕事を、誇りを持って続けたのです。

数年後、私がウツになったときに妻がしてくれたことのほうが、大きかった。
カラッとしたタチなので、
「大丈夫、余計なこと考えないで。あんたがいくら考えたって、何も変わらないんだから」
私が休業している間、毎朝、そう私に言い聞かせて出掛けていきました。
それでもどうしても「ウツ」が長引くことが分かったとき、子供が寝静まったあとで、一度、妻は私をしっかり抱きしめてくれました。私の首筋に、妻の、あったかい涙が、いく雫も落ちました。
「絶対死んじゃダメだよ! 私も頑張って生きるから!」
そう言ってくれました。
「あんたのウツを、代わってあげることは出来ないけれど」
って。

妻が死んだ明け方、発見した時には、妻は「死に顔」をしていませんでした。
子供の頃は貧血気味だった、とは聞いていたものの、一緒になってからはいちどもそれで倒れたこともないし、むしろここ数年は、自分自身の健康に絶対の自信を持っていました。
「気絶している」顔でした。
私も、気絶なのだと信じました。たった2時間前まで、「明日はチャンとした病院に行こう」と話し合っていた妻が、死んでいるはずは、ないではないですか。

でも、更に2時間後には、臨終の宣告をうけました。
このとき、妻の顔は、初めて穏やかな笑顔になりました。

「お前なんか美人だって思ったことはいっぺんもないからな」
新婚早々、そう宣告してもカラカラ笑っていた妻でしたが、これではもう、かぐや姫伝説そのままです。
月の世界に行ってしまえば、この世のことは全て忘れるのです。

妻は、忘れることがきちんとできたのだ、と、私は信じています。
子供たちにも、「忘れる」おまじないを、ちゃんとかけてあげられたのだと、信じています。それは、妻が、こちらの世界にいる間、精一杯の愛情を、きちんと子供たちにふりそそいだからなのです。

私だけがいつまでも哀しみ続けているのは、私が私自身で、自分をそう仕向けてしまっているからなのでしょう。
哀しみは全て、私が、私自身で作っているのです。

妻と子供に、毎朝毎晩、毎日毎夕、教え続けられているのに、何故、あらためられないのか?
育ち柄、いつも「すがりつく」何かを探しては迷っていた私を、初めて救ってくれたのは妻でした。
そのことを、もう一度肝に銘じなければ、私だけが、妻や子供たちから、どんどん置いていかれてしまうような気がします。

長々綴ってしまった割には、収拾のつかない文で、申し訳ございませんでした。

少しのあいだ、私に、こんな「反省」をさせて下さい。

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2007年10月28日 (日)

モーツァルト:1775年の3つのシンフォニア

ここまで読んできたモーツァルト作品の個々へのリンクを作成し直しました。ご利用下さい。



「仕事」について、私たちはどんなふうに考えているでしょう?

・これをやればお金がもらえる=飯が食え、おつりで好きなものが買える
・だからって、やった仕事の出来が良くても誉められるわけじゃない。セールスなんかで成績がよくって、特別ボーナスつくんだったら、話は違うけど
・いつも自分じゃ「最高の内容!」って舞い上がるくらいビッチリ仕上げるんだけど、嫌な上司が「何だこりゃ? こんな余計な中身はいらん! 見栄えさえ良きゃ、中身は薄いほどいいんじゃ!」・・・この禿げオヤジ。。。

欠けていることもありますけれど、単純にはこんなところでしょうか?
(こんなにモラル低くない? ここは話の流れだと思って大目に見て下さいね。)

人間である以上、他の動物と違って、<生>を営むには何らかの「仕事」をしなければなりません。その仕事たるや、たいてい「不自然で当然」でありますが、とにかく「仕事」をするには、どこぞの団体に、社員(正確には従業員)として、パートやアルバイトとして、請負人として、あるいは加盟者加担者として所属しなければなりません。ことき、「仕事」に携わる人は、団体に所属することになるや、どの団体の「職(日本ではその昔「しき」と呼ばれました)」に組み込まれなければなりません。
こうして、社会が「封建制」であろうが「自由主義」であろうが一向に関係なく、<組織>という「職を組み立て、あそこをこう嵌め、ここをこう繋ぎ、どこぞの穴はパテで適当に埋め合わせた」立体が出来上がります。立体ですから、組み込まれてしまえば、当然その上辺や頂点に位置する人あり、底面に置かれる人あり、内側に埋め込まれて、いるのかいないのか自分でも分からない、まして、他様(ほかさま)には絶対に見つけてもらえない・・・もしかしたら「だから、あたしゃ絶対安心」と思い込みかねない存在になる。
それぞれを良しとするかイヤなもんだと感じるかは、最終的には各々の価値観によりますので、一般論でできるのはこの程度の話でしょうかね。

1775年(19歳)のモーツァルトは、「組織」の中では(正しい名称ではありませんが)<ザルツブルク大宮廷付属オーケストラ>の第2(だったかな?)コンサートマスターにあったわけでして、オーケストラの点としては(現代のオーケストラのそれよりも遥かに)高い方の頂点に位置していました。
ですが、当時は「楽師は従僕の職務を兼ねること」という契約が一般的で、これを「ザルツブルク大宮廷」というかたまりの中で見ると、オーケストラ自体が下のほうに位置しているのです。
従って、相対的にモーツァルトの居場所を見ると、せいぜい「高い上半分」と「低い下半分」の接点あたりだった、ということになります。

但し、この宙ぶらりんな「接点」氏、世間からも自覚症状的にも、幸か不幸か「高い名声」というオーラを煌々と放っているのでした。
幼時の「神童」ぶりはもはや伝説に過ぎなくなっていたとしても、演奏家としての技量は進歩し続けていたでしょう。創作面でも、この年の初めにミュンヘンでオペラを上演し大成功したらしい、というニュースが、まだ色あせずに巷間の評判を勝ち得ていたはずです。
思春期はプライドが最も高まっている時期でもあります。19歳のモーツァルトにとっては、この当時のプライドは、自分の全存在をかけても惜しくないほどに大切なよりどころだったのではないか、と推し量りたくなります。

当時のモーツァルトの内面は、しかし、タイムリーに伺える資料は全く存在していません。
ではありますが、外の世界が彼の評判にまだ興味津々だったらしい、という形跡なら、彼の作品のうちに明確に残っています。
ザルツブルクを訪れた賓客が、宮廷の主、コロレド(ヒエロニムス)に、入れ替わり立ち替わり話しかけたかもしれません。
「ミュンヘンでのオペラで大評判だったモーツァルトとかいう若者は、たしか、あなたのところの従僕でございましたなあ」
「そうですが」
「是非、ご当地で、その評判作を、天才従僕君そのものの指揮でお目にかからせて頂きたいものですなあ」
「あいにく、当地ザルツブルクはご覧の通り狭い土地で、ミュンヘンのような大劇場は持てずにいるのですよ」
「でありますれば、ほれ、このあいだ何々伯がこちらへいらしたとき、天才従僕君の作った可愛らしい<牧人の王>とかいうセレナータ(小劇)をお披露目になさったとか。そちらなら、いかがですかな?」
「はあ・・・しかし、今回貴殿が持ち寄った政治的案件を大切に協議するには、それとて上演に時間を取られすぎますし、臨時の出費の用立てもしていませんので」
「なるほど、猊下は節約家であられましたなあ。まあ、そう節約節約ではワシも味も素っ気もございませぬので・・・ではご協議は中止ということで退散させて頂きますかの」
「いや、待たれよ! では、明日の晩餐会の折にでも。・・・なにせ急なお申し出で、準備もできておりませんから、恐れ入るが、何とかダイジェストで許してもらえませんかな。いえ、せめて新曲のサービスもつけますので。なに、あの若造なら、そんなことは朝飯前ですから」
などというやりとりが・・・あったかどうか。

恐らくは、こうした「ダイジェスト」作りの下命が大司教府からあったのでしょう、モーツァルトは評判をとった最新作から3つの「シンフォニア」を仕立て上げています。
これらは当然、既存のオリジナル作の方が値打ち物なわけですから、内容には詳しくは触れません。
ただ、簡単にお付けする説明から、これらのシンフォニアを仕立てた際のモーツァルトの「仕事に対する意識」を推測してみて下さい。これらの「作品」は、ある意味で、彼がいかに、神よりも私たち「凡人」に近かったかを強烈に示唆してくれます。

・ ニ長調K.196+121(207a):「偽の女庭師」序曲の交響曲稿(春、ザルツブルク)
  オリジナルの2楽章に、第3楽章を新作したもの

・ニ長調K.204(セレナードのシンフォニア稿、8.5以降。)

・ハ長調K.208+102(213c):「牧人の王」序曲の交響曲稿(夏、ザルツブルク)
  オリジナルは1楽章。歌劇でその直後に歌われるアリアを第2楽章として編曲し
  (冒頭で聴いて頂いた歌です)、第3楽章は新作した。
  (第2楽章は・・・ブツ切れで済みませんが・・・こんなふうに編曲されています。)

・・・と、ここへ音声のリンクを貼ったのですが、どうしても消えてしまいます。お聞かせできなくてごめんなさい。

編昨年時が75年ですから、この年に上演されたのは間違いなかろうと思います。
実際に明確に上演されたことが、後年、マンハイムでの記録等で分かっているようです。

なお、日本語の作品表(西川氏)では「交響曲」とされていますが、主としてオペラの序曲をもとにした3楽章構成であること、および前に交響曲第29番について考察した際に検討した内容から、「シンフォニア」としておく方が妥当ではないかと考えております。

正規の「交響曲」ではないので、おそらくはホグウッドによるモーツァルトの「交響曲全集」以外では録音を聴くことは出来ないのではないかと思います。そうではないものがありましたら、是非ご紹介下さい。

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2007年10月27日 (土)

隠し子ばなし

モーツァルトの1775年の3つの交響曲(正規の交響曲とはされていないものですが)について述べるつもりでしたが、諸般の事情でまとめきれませんでした。すみませんが、明日とさせて下さい。



というわけで、バカ話。

小さいうちは好きなDVDを繰り返しかけっぱなしか、でなければゲームでテレビを占領していた子供たちですが、最近はもっぱらドラマかお笑いで、私まで「エンタの神様」にはめられてしまっています。
個人的には「にしおかすみこ」と「桜塚やっくん」が大好きです。「にしおかすみこ」はDVDまで買っちゃいました!
・・・が、その話はまた今度。

今日は息子が柔道の日で、帰宅したら娘は「ドリーム・アゲイン」を見ていました。
ストーリーのことは省略します。公式ページでご覧下さいね。
最終場面で、主人公の朝日奈の首から下げている指輪に、 "S to S"と彫ってあるのが判明したのですが、ここで、私が家内に唯一買ってやったといえる結婚指輪のことを思い出しました。私たち夫婦もファーストネームのイニシャルが同じでしたので、"K to K"と彫ってありました。(おしゃれ嫌いの人で、アクセサリ類は、買ってやると言っても「いらない」だし、自分で買うこともありませんでした。化粧もしませんでしたね。)
私の方は金属アレルギーが少しあるので、3年ほどは外しませんでしたが、それ以後はやはりダメでハズしてしまいました。家内はずっと大事にはめていてくれました。骨になった時、奇麗に残りましたので、壷に一緒に入れました。

と・・・感傷的な話で終われば「バカ話」にはならないのですが・・・

最終場面の前のシーンが、
「社長に隠し子がいたなんて!」
「マスコミにバレないようにしなくちゃ!」
という、脇役陣の会話でした。

息子「おとうさん、隠し子ってなに?」
私 「奥さん以外の人との間に出来た子供だよ」
息子「おとうさんは、隠し子いない?」
私 「いないなあ」
息子「はあん。」(あんまり意味が分かっていない)
私 「でもな、今度、おとうさんが、お母さんと違うとひとの間に子供が出来ても、隠し子にはならないんだからな」
息子「どうして?」
私 「だって、おかあさん、もう体がないから、おかあさんとの間には、あんたたち以外に子供は出来ないもん」
息子「???」
そこへ、すかさず、娘のひと言。
娘 「ま、出来るかどうかは、そういう相手が現れるのが望めればだけれどね」
私 「・・・」

この会話、どう捉えていいのか、悩んでしまっております。。。

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2007年10月26日 (金)

祥月命日:十ヶ月

今日は「バカ話の綴り初め」をしようか、と思いつつ帰宅したのですが。

そのバカ話、<満員電車の中の幸せ(仮題)>なるタイトルにでもしようかと思っていたのでした。

練り込めばもう少し面白く出来たかもしれませんが、だいたい、こんな話を考えていました。

母の急死後10ヶ月、とくに4月に私が一度気力が尽きかけた日以降、それを助けてくれることから家事分担を始めたはずの子供たちが、いまや私の帰りなんか待たなくても自立してやっていける一歩手前にまで生活力をつけてくれて。
そうなってくると、今度は母親と違って、父親なんてものは家に帰り着くのも心待ちにしてもらえるわけではないのがハッキリしてきてしまいまして・・・、やっぱり、ポツンと一人、待たれもしていない家に帰るのは寂しいもんなんでございまして。
それが、あるとき突然、幸運が巡って来て、
「ああ、心ときめく人に<一緒に帰りましょう!>って声をかけてもらえた!」
・・・と思ったら、それは自分の「ウツ病」からくる幻影だったりする。
いえ、仮に幻影でなくても、週のうち最低3日、最高は平日は毎日、子供が自分の夢に向かって自分からすすんで続けている習い事の送迎はしなくちゃならず、もしくは息子だけが腹減りで置いてけぼりであるはずの日は飯だけでも食わせなければならない。そんなこんなで、今日はタイミングが悪くて、さよならして帰らないわけにはいかない。・・・洗濯だけは、夜中でも朝でもいいんですけれどね。
いいや、洗濯なんて、どうでもいいんです、こんな幸運は、もう二度と訪れないかも知れないのです。・・・
しかし、私は心を鬼にします。
「残念、今日は、ご一緒できません。」
振り返らずに、背中に冷たささえたたえて、その場を去る。彼女の姿が見えなくなったところで、やおらハンカチを取り出し、涙を拭い、鼻をかむ。

(ああ、オレの人生、子供ら自立支援のお役目が終わり次第、おしまいか・・・ええい、それでもいいや。おまえら、せめて早く高校生・中学生になってくれ! で、天才になって、1年ですぐ大学進学、あと1年でドクタ−終了、そこまで進んでしまってちょうだいな!)

悲観しつつ、抗ウツ剤という薬を、さも飲むのに勇気がいるかのように、おそるおそる口へ持っていく。
これが、強烈に効くのです。眠りの森の美男にならざるを得ないほど効く。
おかげで、満員電車の人の狭間で、それも電車が満員であればあるほど、迷惑がられながらも、あっちの人に倒れかけては押し戻され、こっちの人に寄りかかってはまた押し戻されしながら、ひととき、幸せな夢を見つつ眠ることができる。
見る夢は、さて、どんな夢にしようかな。面白いものにすれば、チャップリンのサイレント映画にでも出てきそうな場面が描けるんじゃないかな。。。

家に着いても、晩飯を食べ終わるまでは、漠然と、そう思っていました。

で、食事が終わったまさにその瞬間に、玄関のベルが鳴りました。

お花を持って来て下さったかたがいらしたのです。
本当は今日が家内の月の命日なのですけれど、仏前の花が心細くなって来たものの、花屋さんに行くゆとりがない。
明日当たり買い足そうか。
そう思っていた矢先でした。

届けて下さったのは、決して安くはない・・・いや、大体私も花の相場は分かってきましたから、結構お金がかかってしまったはずです、それほどに立派なお花を届けて下さった。
「奥様のところへ飾ってあげて下さい」

もちろん、すぐに飾りました。
「かあちゃん、あんたは、いいよなあ。オレと違って、これからもずっと思って下さる方がいるんだもの。葬式にも、二千人以上も来てくれたんだもの。オレにはとっても、そんなことはありそうにないよ」
小言を言いかけながら、
「いや、幸せか不幸せかは、 (0)オレは五条の橋の上にいた (1)落ちているお金を見つけた (2)「やれ、ウレしや」と拾い上げた (3)1円玉だった・・・「なんだ1円か」 (4)「されど1円。100万枚たまれば百万円! (5)そう考えを改めた自分は、以後、五条の橋の上で朝から晩まで人が落としていく1円玉を目ざとく見つける術を身につけ (6)最後の1枚、という日に、ライバルの百円丸が現れて<あの懐かしの五条霊戦記〜落ち金拾い激闘篇>を演じる、なんてので占うのはどうか」
などと、くだらんシナリオを頭に描いて、今のところは幸せを取り戻した気になったところでいます。

気持ちが変わらないうちに綴りました。・・・しかし、あらためて眺め直すと、辛気くさくてカビ臭い、実にお寒いネタですな。

あ、風邪が流行ってますから、読んだらすぐ暖房入れて下さいね! 寝具体策も充分に! 明日の朝も寒いですよ!

・・・いったい、何の話を綴ってるんだ?

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2007年10月25日 (木)

ドヴォルジャーク「交響曲第8番」第4楽章

ドヴォルジャーク「交響曲第8番」につき、
全体像
・第1楽章:構成について練習上の留意点について
・第2楽章:構成について練習上の留意点について
第3楽章についてはまとめて
記して参りました。
また、アーノンクールの述べている、作品理解のうえでの示唆も引用しました。
(リンク先をご覧下さい。)



TMFへの練習に伺えない償いとしての、とりあえず最後の記述です。
・・・練習に行けないことは、寂しくもありますねえ。
・・・それに、こんなもの記して、お役に立っているかどうかも心もとありません。
   お会いできた時にひと言でも頂けたら、嬉しいです。
   もちろん「役に立たなかった」であっても、「言葉」を頂くことが嬉しいのです。
   ご理解頂けるでしょうか?


本題に入る前に。
「え? 昨日は<不幸論>で今日は<幸福論>かい?」

はい。見掛け上は。
(本当は「<幸福・不幸は1円玉>論」をやりたかったのですが。今日は欲求を抑えておきます。)

なんでもいい、「ああ、愛すべきもんだなあ」と、初めてあることを好きになった時のことを思い浮かべて見て下さい。
「好きになる」はじめは、文字通り、初々しいものです。好きになった、その瞬間は、最高に「幸せ」なひとときです。
この「幸せ」というやつは、でも、神様が仕組んだ罠ではないか、と、このごろ、とみに思います。
いったん「幸せ」の味をしめると、人は今度はそれが「瞬間であるから素晴らしい」のだということを、とたんに忘れます。「せっかくだから、いつまでも続けばいい」と思い始めます。
「ああ、あのとき<好き>だと思えたその幸せを、どうやったらずっと手にしていることができるだろうか」
こんな考えが幻影であることに、精神が健康なら、すぐに気が付くこともできるのでしょう。
ところが、人の心というものは、もともとそういうふうには出来ていない。(って、私だけ?)

音楽の演奏を、いつになく素晴らしくやり遂げたとき、私たちアマチュアオーケストラのメンバーは、とっても幸せです(プロではないのでプロの方のことは分かりません。滅多に打ち上げをやらないでしょうしね)。
で、この「幸せ」が永続するはずだ、と信じて、打ち上げでどんちゃん騒ぎをしまくります。
・・・明日にはお互いそっぽを向き合っているかも知れないのに。

本番では第8も最終楽章に至り、クライマックスを乗り切った瞬間には、この「罠」が待っています。
今から手ぐすね引いて待っています。
ですから、いまのうちに、
「幸せとはどういう試みをした結果から得られるのか」
を、各々のかたが客観的に考え続けて下さることを、まず最初に強く祈念致します。
客観的に考えられるようになってさえいれば、「幸せ」は段々に「過去の幻影にあなたを陥れる罠」ではなく、いつかは知れなくても、もしかしたら将来も再現可能な現実の感動への、またとない虹の架け橋に姿を変えてくれるでしょう。

・・・「幻影」ばかり追い続けることから逃れられずにいる私が申し上げても、説得力は全くありません。
・・・ですから、私も、自分がここに記した「精神の姿勢」を自分も守っていけるように努力したい、と願っております。



演奏上の留意事項を第2楽章、第3楽章では第1楽章の半分も数を綴っていなかったことには、お気づきかもしれません。第1楽章での留意事項を忘れなければ、・・・「全体像」で述べました通り、lこの作品には一貫性があるため、後続楽章に応用がきくことが非常に多いのです。
第4楽章も、2、3楽章と同じです。
ですので、昨日に引き続き長文になるのを恐れずに、第3楽章同様、「構成のこと」・「演奏向けに練習すべきこと」を併せて綴っておきます。


<第4楽章の構成について>
これも、スコアや伝記の解説は、私にはどうしてもしっくりきませんでした。
素直に読めば、スコアの解説ほど複雑ではありませんし、変奏曲の応用、といった「自由度の低い」形式でもありません。以下で述べる読み方が、お聴きになっての印象にいちばんしっくり来るものなのではないか、と、私は感じておりますが、いかがでしょうか?

単純に言ってしまえば、この楽章は「ソナタ形式」です。複雑に言っても、「原則的ではないロンド・ソナタ形式」、もしくは「ロンドと変奏を道具に用いたソナタ形式」です。
それ以上のものではありません。学者さんほど一般的な楽式の概念に縛られるのでしょうか、なんだか知らないけれど複雑なことを仰っていますが、演奏するにあたっては、このくらいに割り切ってしまっても何の支障もない。
かつ、「序奏」は後から付け加えられた、という話ばかりが、いろいろなものにことさら書かれていますけれど、その後どのような経緯でこの楽章が完成に至ったかの過程を明らかにする努力を学者さんたちがしていない(公表していない)以上、演奏者は序奏は「付加物だ」などという意識を持つ結果になるばかりで、いいことは何もありません。考える必要はありません。

序奏部:Allegro, ma non troppo (1〜25)
主題A(1):Un poco meno mosso (26〜42)
主題A(2):同上。(1)変奏と言えば変奏ですが、飾りを変えただけ、と言えばそれだけです。
主題A(3):Un poco piu mosso (59〜74)=変奏ではありません。これが「A」の実体です。
主題B:(75〜92)
主題A(3)&codetta1、2:(93〜107、108〜111、112〜122)
主題C:ハ短調(下属調の同主調、123〜145)
主題A(3)の変形(変奏ではありません。146〜157)
主題C’:(158〜188)
以上の部分のcoda:(189〜252)
変ロ短調で始まり、219からは序奏のテーマを主として主調のト長調に回帰します。
※ここまでがロンドであり、かつ「主題Aにとっての呈示部」にあたります。

主題A(1)の変奏1:Temp I , Meno mosso (253〜270)
主題A(1)の変奏2:(271〜294)
主題A(1)の変奏3:(294〜310)
以上のcoda:(311〜338)
※ここまでが「展開部」に当たります。展開の方法が「変奏」だ、というだけです。

主題A(3)の(短いですが)「再現部」:(339〜355)

全体のコーダ:(356〜389)

すなわち、「呈示部」は拡大手段として、あとは二度と使われないB、C主題を用いたロンドをひな形に用い、「展開部」は音楽の明解さを保つために「変奏曲」方式をとり、「再現部」は第1、第2楽章同様、短く分かりやすいものにして、全4楽章の作曲方針の一貫性をあらためて強調しているもの、と受け止めれば、充分なのではないでしょうか?



<練習上の留意点>

01*序奏部のトランペットは、最後のppまで張りを失わず、音質が変わらないよう、充分計算して。ということは、基本的にアンブシュアは音高によって変えてはならないことになります。アパチュアの変更も望ましくないとなると、口腔内の体積をどう変化させるかを考慮して演奏しなければならない、ということになります。

02*序奏でとトランペットを引き継ぐクラリネット、ホルン、ティンパニはボケずにクッキリ。とくに、ティンパニは音域的にボケやすいホルンを上手に補強して下さい(他の楽章にもありましたね、そう言う箇所)。

03*26小節からのファゴットのスタカートは、コントラバスのピチカートと響きの長さを揃えて。

04*34小節以降のヴィオラ、2ndVnは第2楽章の冒頭部と同じ注意が必要です。

以下、先行3楽章から応用すべき箇所を、各自で発見して下さい。

05*146小節からの弦楽器のトレモロは「和音」のチカラが必要なのであって、腕や肩の力は必要ありません。肩の力を抜き、弦がよく振動するように。弦が間違いなく幅広く振動しているかどうかは、目で確かめることが出来ます。(ひいている最中に、弦がチャンと振動しているか、ご覧になったことはありますか?)

06*156〜157小節のヴィオラ、2ndVnのディミヌエンドは、長いサイクルのフォルテピアノだ、と捉えて極端な効果が出るように。フォルテシモの時間を1拍取り、2拍目で音量を落として、157小節に入ったら初めはp、小節の終わりまでにはpppになるくらいの意識で練習しておいてみて下さい。実際にどの程度の効果にするかは、最終的には指揮者に従うにしても、練習では上記のようにしておかなければ指揮者の要求には応えられません。

07*練習記号H(170〜)のヴィオラ、チェロは1本の弦の上でポジション移動して弾くべきです。移弦が入るとリズムが狂います。ヴィオラは3番線で、C音を基準に、低い方は第1ポジションで、高い方は第3ポジションでとれます。チェロは同じくC音を基準にして、指使いはヴィオラとは変わりますが、同じ理屈で取れます。指を幅広くできるのでしたら、なるべく4の指は使わない方が輪郭がしっかりしますが、音程が危うくなるようでしたら4指を使った方が無難です・・・ポジションの移動を、その分きちんと練習しておく必要があります。

08*練習記号Lでのファゴット、ヴィオラ、チェロとバスは、八分休符をしっかり守り、入りを正確にしなければなりません。

09*最後になってしまいましたが、主題A(3)の登場する部分および最終コーダでの金管、打楽器は、原則として木管楽器よりは一段ディナミークを落とすべきです。これらの部分はすべて「クライマックス」を形作りはしますが、木管の音色が消えないことが必須です。トロンボーンのリップスラー(363)は、リズム通り正確に出来ないのでしたら(自信から、ではなくて、メトロノーム等を用いて「自身の客観的な耳」でご確認下さい)、リズムの正確さはトランペットに委ね、拍が性格に出せる音(第1音、第5音)で正しいリズムに合わせるようにしておくべきです。

生意気を重々承知で綴って参りました。
他の楽章とも併せ、意をお汲み頂ければ幸いに存じます。

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2007年10月24日 (水)

Finlandia(フィンランディア)

うつくしくて有名な を含む作品です。(色の変わったところを右クリックすると別ウィンドウで聴けます。)
中学の卒業式で合唱させられて、「つまんねー」と思ったものでした(音楽の先生、嫌いでした)。でも、クラシックから出来るJ-POPは、「ジュピター」から間が空きましたから・・・この曲なんか、どうですかねー。タイトルは工夫がいりそうだけれど。



と、気楽に始めてしまいました。以下は少々固いので、これだけ聴いて「いいなー」と思って頂けただけで、まずは嬉しいです。
TMFのかた、ドヴォルジャークの終楽章は後回しになりました。すみません。
かつ、以下の話も、2段階に分けます。

長いので、「あ、ここまででいいや」というところまでお読み下さいね(除く演奏者)。



屁理屈第1弾。

「自分は間違っていない」と人に譲れない人は不幸ではないかしら。自分という檻から永久に逃れられないからです。「人に譲ってばかり」もまた、不幸ではないかな。毎晩、寝床まで奪われてしまって、休らう場所がないから。
「自分は言い分を変えたことがない」と主張する人、これまた不幸かも知れません。本当はゴムボールより柔らかく自由に弾めるかも知れないアタマの中身を、あなたはみすみす石に変えて、水底に沈みっぱなしにしてしまっていやしないでしょうか。じゃあ、「あたしはいつも臨機応変よ」って人は?・・・たくさんの恋人に恵まれ、たくさんの恋人を幸せにできる素晴らしい人なのかも知れません。が、相手はそれぞれ、じつは「あなただけが恋人なんだ」と思っています。そのなかのAさんとBさんが、もしあなたの「臨機応変」に気づいたら、AさんもBさんも大切なのに、そのいずれかを失うか、どちらをも失うか、然らずんばあなた自身が苦悶の末の「心の死」を迎えなければならない。

でも、ものは考えようで、こうしたものを含めて「不幸」を抱えることも、案外おおいに結構なことなのかもしれません。
自分の「不幸」に、その理由に本当に気づいた時に待っているのは、大きな苦しみです。けれど、真剣に苦しみ抜くことは「幸せ探し」の大切な過程です。結果は、分かりません。でも、「幸せ」とはなんなのか、がしっかりこの目に見える日を願わずにいられなくなってはじめて、わたしたちは生きていることの本当の意味を知る入口に一歩だけでも進むことができる。たとえばカフカがある短編で描いているように、その門が永遠に開かないものだったとしても、その前に座して耐えることが出来るようになる・・・(なんだか、自分のために綴ってしまっているような気がしないでもありませんが)。

ここに、上に一部を引用した作品の演奏を4つ挙げます(聴く方法は最初と一緒です)。
お聴きになるだけで充分、というかたは、私がテキトーにつけた「見出し」から好みに合いそうなものを一つだけお選びになって、「案外いいじゃん」とか、「しょせんこんなもんかいな」とか、自由に感じて頂くだけでも結構です。何せ、同じ曲なのに、1つ聴くだけで8分以上かかります。標準的なポップスの倍ですね。ただ、先の「不幸論もどき」に照らし合わせて、「クラシック」だとかなんだとかいう、いわゆる「ジャンル」などというものは人が勝手につけたものに過ぎない、いいものはいいし、よくないものはよくない、世の中にはそれしかない、判断するのは自分しかない、というところに思いを致して頂ければ、幸いです。
かつ、聴いていて
「まあまあいいんだけど、ちょっとここは気になるなあ」
という個所があったとしたら・・・お聴きになった演奏は、そこに「不幸」を抱えているのです。
(この曲をこれから演奏するんだ、という方にはなおさら、そのことに傾聴頂きたいと存じます。ですので、演奏に臨むかたには4つとも聴いて頂きたいのです。演奏の抱える「不幸」については、そのあとで述べます。)

演奏を目的としない方は、次の4つのうちの「一つだけ」から「四つ全部」までを自由に選んでお聴き下さい。
そこまでなさって下さっただけで、とりあえずではありますが、心から感謝申し上げます。
()の中は、演奏している団体がある国です。(具体的な団体名は、記事の最後に明かします。なお、容量削減のためモノラルにしてありますが、パソコンで聴く分には問題がなさそうですので、ご寛容に願います。)




曲目は、シベリウスという人の作った「フィンランディア」です。
故国では第二の国歌として愛されています。(国歌がシンボルたり得ないどこぞの国とは大違い!)

念のため申し上げますが、皮肉っぽい「見出し」にはしていますけれど、どれも「名演奏」ではあります。アマチュアが悪口を言える類いのものでは、本来はありません。「見出し」は<野次馬的好奇心>をそそって頂くための、仮のものに過ぎません。

では、「聴衆」で充分のかた、ありがとうございました。

「演奏する」かたは、屁理屈第2弾までお付き合い願えれば、と存じます。


屁理屈第2弾

「演奏」には(本来はジャズだろうがロックだろうが民謡だろうがなんだろうが)、たとえアマチュアであろうとも、本当に楽しみたい場合、ましてやお客様を前にする場合には、複雑怪奇なことをいっぱい考え、訓練しなければなりません。
小難しいことを考えずもとも「カラオケなら上手いぜ」という話もあるのですが、これにはまた面白い例がありますので、機会があれば綴ります。
いま、必ずしもそうしなければならないわけではないのですが、まずは、「カラオケが上手い」ケースについては、忘れて下さい。

で、複雑怪奇なことは、きりがないので、後でご自身で試行錯誤なさって下さい。

ここで問題にしたいのは、「響き」についてです。
たったこれだけでも、もっと沢山の要素についていちいち検討するのが筋ではあります。

ですが、<和声>と<タイミング>で、どこまで「響き」が変わるか、についてのみ、例をお聴きになりながら考えて頂くだけで、かなり有益ではないかと思いますので、先の演奏に、それぞれ耳を傾けておくべき最小限の箇所についてコメントを付けて置きます。
お聴きになりながら、是非、ご熟考下さい。

ポイント地点は、次のものに絞ります。(後ろに記した数字は、その場所の小節番号。使用スコアはブライトコップフ&ヘルテル1987年発行版)

ポイント(1):冒頭の金管のコラール(1~23)
ポイント(2):続く木管のコラール(24〜29)
ポイント(3):木管から弦、トロンボーンへのつなぎ(53〜62)
ポイント(4):練習記号D、金管のタイミング(74〜77)
ポイント(5):練習記号F、特に木管とホルンのバランス(99〜106)
ポイント(6):練習記号I、最初に引用した木管と続く弦の旋律(132〜178)

なお、特記しませんが、打楽器の音質が「響き」をいかに劇的に変えるか、にもご傾注頂きたいと思います。ティンパニの音程と(おそらく)鼓面の質、大太鼓の張り、トライアングル、シンバル・・・どれもが重要であることをこれほど雄弁に教えてくれる作品は、なかなかないと思います。

また、2番目の演奏を除き、私には冒頭のホルン1、3番の音程が高すぎて聞こえるのですが、これは私の耳の癖かもしれません。かつ、金管系の楽器は、フォルテ、フォルテシモになると、並の奏者はむしろ音程が下がるので(たとえばワーグナー「リエンチ」序曲冒頭のトランペットでそれを自覚的に経験し、苦労した方にはよくお分かりになるはずです)、音程が高いことは、これらの演奏の奏者たちは、むしろ技量は高いということを物語っています。

では、特徴を列挙していきます。


(1):冒頭から、楽器毎の音色が孤立せず溶け合うよう制御している
(2):金管の音程を(一瞬ふらつくが)引き継ぎ、やはり楽器別の音色を分離させない
(3):オーボエは音が立ちやすいにもかかわらず、(2)同様の配慮を怠っていない
(4):チューバは最初だけであとはトリルに変じる箇所だが、それを含め、竪の線が
  しっかりそろっている
(5):譜面上、木管はスラー付き、ホルンはスラー無しだが、
  ホルンのスラー無しを尊重することで、全体が揃って聞こえるよう配慮している
(6):(2)同様の配慮をしている。
・・・すなわち、全般に、各楽器固有の音色が極力分離して聞こえないよう心がけていると同時に、
   木管、金管、(打楽器、)弦各セクションで音程、和声の聞こえかたが変化しないよう
   かなり強力に統制しています。
   (好みでいえば、テンポに不満な箇所がないわけではありませんが・・・)


(1):冒頭の和音各音の間隔を幅広めにとり、先の演奏より荘重感が出ている
(2):先の演奏よりも確実に、金管の音程を引き継いでいるが、和声がバラけ、音楽が崩れる
(3):2番オーボエが低すぎることが発端で、やはり音楽が集約されない
(4):テンポ設定が急激に変わっているのに、金管のリズムがついていけず、不揃い
(5):木管はスラーを、ホルンはスラー無しを守ろうとし過ぎ、乱れて聞こえる結果を招いた
(6):オーボエの主旋律だけを尊重したのか、和声にふくよかさがない
・・・解釈としては最も面白いし、読みが深いのですけれど、「響き」の点では完全に失敗です。


(1):ディナミークの問題が絡むが、スコア指示をワンランク落とす演出で成功している
(2):・・・が、ここで木管全体が低い音程になり、接続が非常に悪い
(3):これも2番オーボエが低い気がするが・・・かつ、(2)より集中力が落ちている
  もっと困るのは、(2)で低くなった音程を金管と弦がかばって低く受け継いでくれているのに、
  ここへ来るとまたもっと音程が下がってしまう
(4):線はそろっているが・・・揃えることに気を取られすぎて硬くなっていないか?
(5):木管のスラーを基本的に外すことで、全体がそろって聞こえるようにしている。
  これに関しては、むしろ「基準演奏」より木管の存在価値が発揮されている
(6):・・・ねえ、だから、どうして音程が下がって、しかも各楽器バラバラな音色なの?


(1):最初の演奏にいちばん近い。が、全体に必ず、和音構成音としては音程が高すぎるパートが
  入れ替わり立ち代わり存在する
(2):木管の音程が、やはり下がる
(3):金管、弦が「下げて」維持してくれた音程を、今度は何とか死守している(ここが「妥協」)
(4):基準演奏と同様の冷静さがある
(5):基準演奏と同方針だが、テンポは基準演奏よりゆったりとっているので、豊かになっている
(6):残念! また音程が下がる。ただし、木管同士での「バラけ」は無いよう、健闘している

いかがでしょうか? 「ここは違うのでは」という点は、是非ご指摘下さい。私の勉強のためにも。
(打ち明けますと、いちばんけなしたように見える2番目の演奏が、実は、私はいちばん好きなんです。面白いから。)

こんなに長々お付き合いさせて・・・まいど、悪いヤツですね! スミマセンでした。
「どう聞こえる演奏にしたいか」のヒントにして頂ければ、ありがたいのですけれど。。。

最後に、それぞれの演奏の素性を明記しておきます。

・一応基準の演奏〜カラヤン/ベルリンフィル(1967)DEUTSHE GRAMMOPHON UCCG-5021
・気合い勝ち過ぎ?演奏〜バルビローリ/ハレ管(1966)EMI TOCE-59034
・部課対立型演奏〜ベルグルンド/ヘルシンキフィル(1972) EMI 7243 5 74491 2 0
・妥協型演奏〜ザンデルリンク/ベルリン響(1972)BERLIN Classics 0185712BC

※演奏の「記憶」に基づいて記したため、一部「入れ違い」で覚えてしまっている危険性があります。あとで検証して修正する場合がありますので、ご容赦下さい。

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2007年10月23日 (火)

つくば:森麻季さんリサイタル

詳細が決まるまで口止めされていましたので。。。
かつ、美人に飢えている私なのに、この日は既に予定があって(娘の模擬試験の日・・・)、涙をのんで、出掛けるのを我慢しなければなりません。

今からでも別の日になりませんか? (T_T)

詳細はキンキンさんのブログで見て下さい。

仕方ない、今日の記事はこんだけ。

といいつつ、こっちでも著作権法違反でキンキンさんのところから当日のプログラムを貼付けちゃいます!
(あ、今度お会いしたとき、著作権料をお支払い致します・・・三ツ矢サイダー2Lボトルでいかがでしょうか?)

■森麻季ソプラノリサイタル
11月4日午後3時 於ノバホール(つくば市)

《料金》A:4000 B:3000 C:2000
 ・・・はっきりいって、安いです!
《チケット取り扱い》
 ノバホール 029-852-5881
 ヤマハつくば店 029-850-0518
 チケットぴあ 0570-02-9990


R.シュトラウス:「ばらの騎士」より この荘厳な日に
ワーグナー=リスト:イゾルデの愛と死(ピアノ・ソロ)
R.シュトラウス:4つの最後の歌 AV.150(全曲)
ドニゼッティ:歌劇「シャモニーのリンダ」より“この心の光”
山田耕筰作曲(北原白秋作詞):この道
山田耕筰作曲(三木露風作詞):赤とんぼ
山田耕筰作曲(北原白秋作詞):曼珠沙華
山田耕筰作曲(北原白秋作詞):からたちの花
シューベルト:即興曲 変ト長調 作品90-3 (ピアノ・ソロ)
ヴェルディ:歌劇「椿姫」より 花から花へ

ピアノソロは山岸茂人さん演奏

※「ノバホール」はいいホールですよ! 意外や意外、30年の歴史を誇ってもいます!
  秋葉原からあっという間に着けますし!
  (武蔵野線を使っても南流山駅で乗り換えが出来ます。)

今日も、ドヴォルジャークやモーツァルトやシベリウスやハイドンさんのことはサボっちゃった。

さ、息子を柔道場に迎えにいこう!
・・・今日は「投げ」を習うんだそうだから・・・帰り道で投げられるのが怖いけど。

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2007年10月22日 (月)

緊張とけたら目の前真っ白です・・・

今日までの皆様への感謝の気持ちを、昨日、<「影をなくした男」のご紹介を兼ねて>に記しました。心を支えて下さり、本当にありがとうございます。これからも宜しくお願い申し上げます。



前日の記事を綴り終わって、やっと春先以来の「気の張り」が緩んだ気がします。
これからは、週に一度か二度は、音楽に関係なくてもいい、お気楽記事も綴ろうかなと思っています。
カテゴリー名は固いけれど、とりあえず「心と生活」という箱しか準備していません。
「お気楽」関係はそっちへいれていきますので、「クラシック音楽」だとか、硬い話題以外をそちらでお読み頂ければ幸いです。
ただし、今日現在では、まだ過去のガチガチの記事ばかりですけれど。
なので、「ヤモメのウツやん」というカテゴリでも新しく作っておきます。そっちを「お気楽」箱にしましょう。


今日の話題は標題の通りで、まだ決めていません。

・モーツァルトも、ハイドンも進んでいなくてごめんなさい(準備はしています)。
・TMFのかたへ、ドヴォルジャークは第4楽章のメモは揃っています。
 まずパソコンで文を作らなくっちゃ行けないので、明日にでも載せられるようにします。
・同じく「フィンランディア」は記譜は諦めて、比べて頂きやすい題材を揃えました。
 これはなるべく、全部比較して頂けるようにします。

・・・さて、今日はどうしましょうか。。。
今、カレーを煮ている最中で、具が煮えるのを待っている間にここまで綴りました。

そうだ、洗濯物たたんどこう!

・・・
・・・
・・・
時間はしばらく経ちまして。

子供たちと3人の食事もすみました。

今晩、我が家でいちばん寒かった会話。

娘 「スマップの中居君、しばらく見ないうちに、すごくふけちゃったんだもん」
私 「そうか、中居君は仲居さんになっちゃったわけか」
一同「・・・・・・」
私 「で、いつ<おかみさん>になるんだい?」
息子「分かんない。」
一同「・・・・・・」

(失礼しました!)

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2007年10月21日 (日)

「影をなくした男」のご紹介を兼ねて

私事を、綴ります。

いつも読んで下さっているかたには繰り返しになるので恐縮ですが、このブログ、もともと「自分がウツから立ち直る」リハビリのために綴り始め、すぐに目的は自分の所属するアマチュアオーケストラの人と「演奏に対する理解」の勉強を共有して頂けたら、という狙いも加わりましたので、9割9分、「クラシック音楽」の記事ばかりです。しかも、性質上驚異的な数というわけにはいきませんが、思いがけず、むしろ自分の所属オーケストラよりも広い層の方に読んで頂けるようになりました。
始めたのが昨年の5月。1年半経ちました。その間に、家の役にも立たずこんなものを綴り続けている私を黙って支えてくれていた家内が昨年暮に急死し、以後はもっぱら、このブログを綴り続けることだけが「家内との対話」でもあり、「自己の支え」にもなってきました。

こんな次第で、「クラシック音楽」や、他の区分けも案外マニアックな話題ばかりが集まった窮屈なブログではありますけれど、画面右側に出てくるはずの「カテゴリ」にある「心と生活」に区分けしたものだけは、音楽にとらわれずに綴る「箱」として準備しておきました。(読み返すと、どうしても音楽を絡めてしまいがちなので、「音楽の話は結構!」というかたは、そう言う記事は避けて、たまに読んで頂ければ、この上ない幸いです。)

今回の文章も、「心と生活」の箱の中にしまっておきます。
そして、特に家内の死後、日々心配して下さったり、時折でも楽しい気持ちにさせてくれた大事なおともだちに、これを捧げたいと思います。(付記:これだと重い記事ばかりになるので、「ヤモメのウツやん」なる箱を作りました。こいつを、時々覗いてやって下さい。週に1つか2つはバカを綴って入れておきます。)



家内を愛して下さったかたは少なくありませんから、埋葬するにはどんなかたちがベストか、を常に考えて来たつもりでしたけれど、愛し方というものには人それぞれ違いがあります。全てを満足させることは出来ませんでした。このことを悔いながらも、先日ようやく、目標の「一周忌前に」という期間にまにあって、埋葬の手はずも全て整いました。家内に良くして下さった皆様には、亀の歩みだったことを深くお詫び申し上げますとともに、多くの方々のおかげであることに心から感謝を申し上げます。
また、ここまでの期間中、たびたび私が自分の「ウツ」に潰れかけ、都度助けてくれた皆様、とりわけ、毎日明るく「家庭漫才」を繰り返して家を明るくし続け、家事もそれぞれの分担をしっかり続けてくれている我が子たちに、
「これからもなんとか・・・ゆるゆるとだけど・・・頑張って生きるよ」
と、約束させて頂くことで、お許しを賜りたいと存じます。

このことに関連して、一編の物語について、簡単にご紹介させて下さい(ここまででも長ったらしかったですね、ゴメンナサイ)。



「影をなくした男」
という、文庫本で、物語本文は116頁ほどの短編です。

ある(おそらく貧しい)男が、悪魔に影を売って、使っても使っても金貨が無くならずにまた出てくる袋を手に入れたことから、話が始まります。ですが、彼は汲めども尽きぬ大金を得ながらも、「影がない」という、たったその一つのことによって、周りの人から「呪われた存在」として敬遠され、「影がない自分自身」におびえながら暮らさなければならない羽目に陥ります。自分におびえてしまったことが災いしたのでしょう、生涯で最も愛する人を見つけながら、その女性との結婚も、他人のはかりごとのせいで果たすことが出来ず、人生をさまよい歩きます。「影を戻してやろう、お前の魂と引き換えに」と悪魔が誘惑して来ても、しかし、彼は絶対にそれだけは受け入れまい、と、細々ながらこの意志だけは貫き通しました。結果はどうなったか・・・

ハッピーエンドではありませんが、もしご興味があったら、手にとって、立ち読みでもなさってみて下さい。読みようによっては「世をいとう」物語ではありますけれど、私に限って言えば、ひとときの安らぎを与えてくれた物語でもありました。

「ファウスト」を原作の訳か手塚治虫マンガでご存知の方は、ファウストは最後に魂の救いを得る場面を覚えていらっしゃるかもしれませんが、この物語の主人公は、悪魔にとられたままの影を取り戻すことをかえって拒絶しながら、物語が終わっても生き続け、おそらくはそのまま死んだかも知れず、あるいはまだどこかで生きているのかもしれません。
(シャミッソー作、池内紀 訳。岩波文庫 赤417-1 税込483円)

作者が後年、「影をなくした男」の主人公に捧げた詩から、大切な箇所だけを引用しておきます。
年齢の箇所のみ、今の私の年齢に置き換えます。

 それにしてもぼくは問いたい、人がしばしば
 このぼくに問うたように、影とはなにか?
 どうして世間は意地悪く
 これほど影を尊ぶのか
 ぼくがこの世に生をうけて以来
 四十八年の歳月が流れたが
 その間ずっと影がいのちだったとでもいうのだろうか
 命が影として消え失せるのに

 
**********

家内は数字が揃ったり、数字の語呂がいいのが大好きでした。
最初に乗った車のナンバープレートは、偶然なのですが、9981でした。
住まいの部屋番号も、最後に乗った、そして今僕が運転している車のナンバーも、7の段のかけ算になっています。
娘の誕生予定日は11月11日でした。そこからちょっとずれた時の残念がりようは、今思い出しても愉快です。
自分の命日も、惜しいことに、クリスマスからちょっとずれました。12月26日ですから。

私にはちょっと心にかかっている千円のCDがあって、でも遠出をしなければ手に入らない、と思い込んでいました。
それが今日、娘に写真の焼き増しを頼まれて出掛けようとして、何気なくパソコンに出ている時刻表示を見ましたら、15:15でした。
「あ、カアチャン、ついてきてくれるのかな」
とだけ思って、写真屋さんへ行って、出来るまでの間、その近所のCD屋を覗いたら、まさに、その気にかかっていたCDが目の前にありました。

面白いことも、あるものです。

毎度ながら、長々失礼致しました。

影をなくした男 (岩波文庫)Book影をなくした男 (岩波文庫)


著者:シャミッソー

販売元:岩波書店
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2007年10月20日 (土)

忘れ得ぬ音楽家:5)アンドレ・クリュイタンス

先週、上岡敏之/ブッターパール交響楽団の演奏会の余韻に浸りながら、お誘いを受けて数人の方と会食を楽しむことが出来ました(暮らしも変わり、持病の「うつ」には出口が見えず、自分たち演奏会の打ち上げも半分しか参加できませんでしたから、家内の死後初めての、ありがたい、幸せな会でした)。

その席上、「でも、音楽会の感動が、そのまま録音にすっかり残せるものだろうか」という話題になりました。
私はその際、
「アンドレ・クリュイタンスが1964年に来日したときの、東京文化会館での<幻想交響曲>のライヴはいいですよ」
という旨の発言をしました。

この年は私は地方育ちの幼児で、当然、演奏会そのものを聴いてはいません。ですが、<幻想>のライヴは、初めて聴いたとき、次の3点で、私の心をとらえました。
・当時の日本では最先端技術だったステレオ録音だが、ディテールまで捉えた優秀なものである
・たとえばヴァイオリンがミュートをはずすカリカリ、という音まで暢気に入っていて、ふくよかな臨場感がある
・なによりも、60〜70年代のオーケストラはこういう音だった」ということがはっきり記録されている
最後の点については、次のような試みをして頂けると、よくわかります。

67年にはクリュイタンスは亡くなってしまい(従って、残念ながら私は彼の指揮を生で目に出来ることはついにありませんでした)、率いていたコンセルヴァトワールのオーケストラはパリ管へと発展解消してしまいました。ですから、70年代にパリ管がセルジュ・ボドと録音したフォーレやメシアンには、クリュイタンスと蓄えてきた彼らのノウハウがしっかり残っていることが分かります。ですが、80年代に入ると、パリ管の響きは変わってしまっています。

実は、クリュイタンスとコンセルヴァトワールのペアが残した最も素晴らしい録音は、モノラルになりますが、同じ64年来日時のラヴェルシリーズ(私が初めて入手した当時はその一部を1枚ものとして聴くことしか出来ませんでしたが、現在ではAltusから2枚組で発売され、全貌を聴くことが出来ます)だと思っています。
これは実際に聴いた人が、
「ダフニスが始まったとたん、会場全体がふうわりと、音の渦の中に巻き込まれてしまっていた」
と感激の弁を述べていらしたのを伺っています。実際、このときの「ダフニス」は、同じペアがスタジオ録音で残した演奏よりも遥かに優秀で、かの感動の弁の通り、冒頭部の音の広がりには胸を強く打たれます。とりわけスタジオ録音に比べて優れているのは、木管群が模倣する、朝焼けの中を飛翔する鳥のさえずりで、これがこの世の楽器で演奏されたものだとは、とても信じられません。

そもそも私がクリュイタンスという指揮者の素晴らしさを思い知らされたのは、中1の頃EMIが<セラフィム>というレーベルで発売した1,000円盤LPの中に含まれていた、彼の指揮したものを2枚ほど聴いた時でした。
オーケストラは、ベルリンフィル。曲目は、なんと、ベートーヴェンの第4、第7、第8でした。
この3曲ばかりは、いまだに、この演奏を超える美しさを持つものを(生を含め)聴いたことがありません。
残念ながら彼がベルリンフィルと録音したベートーヴェンの交響曲は、現在では全集でしか入手できませんし、この3曲以外は特別な出来というわけではありません。
ですが、この全集、おどろくべきことに、ベルリンフィルにとっては初の「ベートーヴェン交響曲全集」でした。
しかも当時は、ベルリンフィルと言えばカラヤンかベーム、と相場が決まっていました。
そんな中、しかし、ベルリンフィルが
「ベートーヴェンの全集を残すならこの人と!」
と指名した指揮者がクリュイタンスだった、という事実は、注目すべきです。

ベルギー生まれで、フランス音楽のエキスパートと思われがちなクリュイタンスですが、1955年にはバイロイトでワーグナーの堂々たる演奏もしています。

映像も数種入手可能ですが、「ライヴ・イン・モスクワ」だけは、ジャケットにごまかされて買ってしまったものの、正面からの彼の姿は全く映っていませんでしたから、おすすめしません。

上記で触れた以外のディスコグラフィーは、下記リンクの通りです。

80年代には失われてしまったオーケストラの響きを、是非、彼の演奏を通じて、存分に味わって頂ければと思います。それはじつに暖かくて、品位があって、しかも、聞く人誰もが心の中に持っているはずの「もう一つの太陽」を呼び出し、抱擁してくれます。

こうしたオーケストラの音が是非戻って来てほしいと願っております。

HMV
TowerRecords

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2007年10月19日 (金)

ドヴォルジャーク「交響曲第8番」第3楽章

「人生は短く、術は長し」
(セネカ『人生の短さについて』に引用された、ヒポクラテスの言葉)

ドヴォルジャーク:交響曲第8番につき、

全体像
・第1楽章:構成について練習上の留意点について
・第2楽章:構成について練習上の留意点について
記して参りました。
また、アーノンクールの述べている、作品理解のうえでの示唆も引用しました。
(リンク先をご覧下さい。)

今回は、第3楽章について、構成・留意点ともに述べます。
(使用スコアは、音楽之友社OGT238です。)

構造は他の楽章に比べ、異論の余地が全くない明解なものですね。

第1部(緩やかな3拍子のスラヴ舞曲)・第2部(そのトリオ)・第1部・コーダ

特記すべきなにものもありません。

練習にあたっては、美しくセンチメンタルなメロディを持つだけに、メロディ担当者だけが「気が入ってしまい」、伴奏はメロディとどうリンクすべきかを「考えない」ミス(同様の雰囲気の楽章ではよくあることで、プロでもこの過ちは・・・メロディアスなものは軽く考えられがちなのでしょうか・・・かなりの頻度でおかしているのではないかと思います)をしてしまいやすいので、注意しましょう。
ドヴォルジャークが用意した、音色とリズムの巧みな配置こそが、この楽章の「いのち」です。
まずは、この点をご銘記下さいますようお願い致します。

なお、小節番号は使用スコアでは「通し」で付けられていますので、それに従います(パート譜を参照していません。ごめんなさい。)

01*(アウフタクトを除き)ヴィオラは2小節伸ばしの後はスラーが付いていなくても、音の変わり目は常にレガートです。
29小節からのホルンに、全く同じことがいえますので、あらかじめ申し上げておきます。
ドヴォルジャークがここにスラーを書かなかったのは意地悪からではないことは、試しに書き込んでみればどれだけ楽譜が見づらくなるかを試してご覧になれば分かります。legatoという言葉を敢て使わなかった理由は、主旋律と他の伴奏音型の兼ね合いから、オーケストラ団員なら常識的に判断できることですから、わざわざ書く必要がなかったまでのことです。・・・ということは、「legatoと書いてないからごつくても構わん」と考えるヤツは大バカもんだ、と自分から表明しているに等しい、ということでもあります。大バカもんで結構なら、そうなさってみても構いませんけど。(ボクは、やろう!)

02*第1部の主題のフレージングをきちんと読んでおきましょう。基本構造が、最初は[{(2+2)+(2+2)}+{(2+2)+4}]、次が[({(2+2)+(2+2)}+{(2+2)+(1+4)}]で、しかも、2回目は各2+2の最後が次の2+2と切れ目が入らないようにしたい、という作曲者の意向でスラーで繋がっています。ただし、このスラー効果が必要なのは主旋律のみであって、伴奏各音型は、基本のフレージングを崩さないようにしなければなりません。主旋律のスラー効果に「合わせよう」としてしまうと、逆にスラーの意味する「この程度の接着力が欲しい」という狙いを妨げることになります。練習上は、()単位、{}単位、[]単位の順で、小さい単位から音楽作りが上手くいくかどうか思考し、上手くいったらより大きなまとまりへと進め、最後に大きなまとまりで「歌える」ようにすると、この主題の意図が理解できるでしょう。ただし、こうした「まとまり」の掴み方は個人練習(頭の中だけででも出来ます)でやっておき、全体で合奏する場合は「大きなまとまり」で練習すべきでしょう。

03*同部分、コントラバスは音符こそ16分音符ですが、ファゴットと同じラインを「歌っている」ことには充分留意して下さい。

04*「A」からの木管(トランペットを含む。すなわち、ここのトランペットは木管楽器の音色でなければならない)と1stVn.、ファゴット、コントラバスの交代は、たとえにしてしまうと先に出る木管群が女性の踊り手、エコーで答える残りの群が男性の踊り手なのだ、と意識して、踊りの流れが途絶えないようにはお互いにどう手を取り合えばよいのかをしっかり考えて下さい。また、フォルツァートの効果は長め、短めの両方、および鋭め、柔らかめの2X2通りを想定して置いて下さい。どれになるかは指揮者の解釈次第です。

05*ティンパニ、2ndVn、ヴィオラのトレモロは、フォルツァートのタイミングが「04」で述べたことを想定するとともに、それらのパートとタイミングがずれないよう、充分に気をつけて下さい。弦楽器は1拍に4音符入るだけですから、慌てないで、きちんと拍を数えて下さい。練習する際には粒が揃っていた方が望ましいと思います。「いや、そこはむしろ輪郭がボケるようにバラバラにして!」という要求があれば、それに従えばいいのですけれど、チャンと指示に従える、ということは、前提として「臨機応変にできる基本形が出来ている」ことが重要なのを忘れないで下さい。

06*39小節からの弦楽器は、たとえば「アルルの女」組曲第1番のメヌエット(第2曲)の1stVnを思い出して下さい。あれのスラーをハズしたものであって、要求している「軽やかさ」は同じです。あるいは、女性の踊り手が、次はどの男の踊り手を相手にするかを、ヒソヒソ話で決めあっている・・・

07*「B」は、ディナミークはpですが、「色っぽい音」でなければなりませんから、ディナミークよりも音の豊かさに気を配って下さい。ヒステリックに、ではなく、見物人にため息をつかせる美しい飛翔を見せる箇所です。チェロとセカンドのやり取りは、ブラームスの第2交響曲や第4交響曲にある、ひとつながりの音の流れを別の楽器に分割した書法ですので、「仲良くして」下さいね。

08*53小節は、あくまでメゾフォルテです。1stヴァイオリンは最高音のfなので、とくにこの点、気をつけて下さい。ポジションは決して高いわけではありません(ほかの弦でならともかく、1番線での第7ポジションは決してとりにくいものではありません)。d音を1でとればfは3でとれます。それだけでふくよかな音になります。

09*85、86小節のチェロとコントラバスによる第1部の最後は、最後の一音まで大事に弾いて下さい。初めは「ディミヌエンド」がないものとして、音程がしっかりとれていることを確認し、確実になって初めてディミヌエンドを導入するのが望ましいのですが・・・

10*第2部が始まります。敢て記しませんので、フレージングを02と同様に分析し、お互いに話し合って、「合意」に達して置いて下さい。ただし、一つだけご注意申し上げれば、大きな固まりとしては104小節までは切れ目がありません。(あったとしても1ヶ所ですが、第1部に比べたら開きはずっと小さくなければなりません・・・というのは私の「解釈」になってしまうかな?)
チェロの16分音符は、ppでもffでも変わらず弾けるよう練習しておくことが望ましいと思います。

11*105から118までのティンパニとトランペットは、ディナミークの変化にかかわらず、常に広々としていなければなりません。叩き方、吹き方が安定し、かつ窮屈にならないにはどうするかをよくよくお考え下さい。とくに最後のppをどう「美しく」残すか、がポイントですから、そこへどう向かっていくかを、しっかり設計なさって下さい。

12*151小節からの16分音符は、最終的な解釈に関わらず、「テヌート」・「スタカート」・「其の中間」いずれでもアンサンブルが揃うような、メカニックな練習をする時間があるのでしたら、是非それをある程度は徹底してなさってみて下さい。

13*「CODA」はディナミークがpであるなかでアクセントをどう揃えたらいいのか、オーボエとファゴットでよく擦り合わせをして下さい。セカンドヴァイオリンは、1拍4音符です。正しく。右肩に力が入らないように。

14*190小節からのオーボエのスラーは、他のパートのための「残響効果」ですから、ベタ吹きになって響きを台無しにしないよう留意して下さい。8分音符のパートはアインザッツと音の長さとを揃えなければなりません。

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2007年10月17日 (水)

ラウテンバッハーさんをご存知ですか?

直接接した方の思い出も、まだいくつかあります。が、それは徐々に、ということにします。

で、今日は本当は別の「指揮者」のことを綴るつもりでいました。

が、そんな時に、ある2枚組のCDを発見し、そちらに心が揺れてしまいました。
そのCDのこと、演奏している人のことに、少し触れておきたいと思います。



306
スザンネ・ラウテンバッハーというヴァイオリニストをご存知ですか?
(日本語での標記は、なぜかスザーネとなっていますが、私が彼女と顔見知りの恩師の口から聞いている彼女のファースト・ネームは、「スザンネ」です。)

1932年生まれですから、今年はもう75歳のおばあちゃんです。

小5から中3にかけて、諸井三郎さんの書いた「ベートーヴェン」の伝記(当時は旺文社文庫で出ていました)に夢中で、同時に、小遣いが貯まれば、それまで聴いたことのないベートーヴェン作品のLPを買うのを、いつも目標にしていました。
当時はLP1枚2,500円でしたし、お金の価値は今思うと現在のほぼ2.5倍でしたから、小学生中学生ごときにはLPに手を出すのは結構大変でした。
幸いだったのは、ちょうどこの時期(最初に出たのは多分1970年から71年ごろ)、「廉価盤」と称する1枚1,000円のLPが続々出始めたことでした(最も安いものはフォンタナというレーベルを冠したシリーズで、数年間は900円でした)。

ただ、この廉価盤、一部の例外を除いて、初期には、日本ではさほど有名ではないために「売れない」録音をレコードにしたものが多かったように記憶しています。それでも、私が中学生に上がって少し小遣いが増えた頃に現れた「セラフィン」シリーズ(エンジェルレーベルの廉価盤、EMI)が良質な演奏をドーンと発売したことが引き金になり、知名度の高い演奏家の録音へと入れ替わっていくようになりました。(じつは、触れたかった指揮者と言うのは、セラフィンレーベルでベートーヴェンの名録音を聴かせてくれたアンドレ・クリュイタンスなのでした。また近日中に触れます。)

と同時に、知名度の低かった音楽家が認識されるチャンスも減った、ということになり、後で考えると「本当にそれでよかったのかなあ」との思いも、ないわけではありません。

ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲は、なかなか廉価盤が出ず、やっと見つけて手に入れたのが、オーケストラの名前もうろ覚え(南西ドイツ放送交響楽団、ってありましたっけ?)で指揮者の名前も忘れてしまったような、本当に当時としては日本人の全く知らなかった演奏家によるものでした。その録音で独奏を弾いていたのが、ラウテンバッハーさんでした。

オーケストラのことも指揮者のことも忘れたのに、彼女の名前は忘れたことがありませんでした。
なぜなら、それ以前に、
「こんなに素晴らしいヴァイオリンの演奏を聴いたことがなかった」
からです。
カデンツァは、後で分かったことですが、クライスラーのものを弾いていました。
カップリングされていたのが、同じベートーヴェンのロマンスト長調・ヘ長調でした。
ヴァイオリンを習い始めていたくせにヴァイオリンには正直のところあまり興味がなかった(オーケストラに入りたい一心で、オーケストラの中でいちばん人数の多い楽器がヴァイオリンだから選んだまでだった、というお話は前に綴ったことがあったかと思います)・・・そんな私が、即、協奏曲・ロマンスともスコアを手に入れに走ったくらい、夢中になって聴きました。
後年、有名演奏家によるベートーベンの協奏曲の演奏をいくつも聴きましたけれど、後に大好きになったオイストラフの演奏でも、どこかに納得のいかないものが残りました。ずっと
「これしかない」
と思い続けていたのが、ラウテンバッハーさんの演奏でした。

ですが、CDの時代になって、いまのところ、この録音は再発売されていません。有名サイトで探しても、彼女の録音で入手できるものは、ほんのわずかです。

非常に残念なことだと思っていました。

ただ、学生時代からお世話になっている恩師が、たまたま彼女と知り合いでした。
恩師は、自分のヴァイオリンの弟子がドイツに留学する時、ラウテンバッハー女史を教師に推薦したんだったか、推薦状を書いたんだったか、その辺は忘れましたが、実は彼女はとても厳しい人で、弟子の方は彼女のお眼鏡にかなわず、結局はラウテンバッハーさんにモダンヴァイオリンを習うのは断念し、古楽の方へと路線を変更して、現在ではそちらの方面でそこそこの成功を収めています。

ラウテンバッハーという名前を出すと、恩師は
「ああ、あのばあさんねえ・・・」
とニコニコして話してくれるのですが、其の話してくれる内容たるや、ぞっとするようなもので、
「人が休憩していても練習。本番前にみんなが食事していても、練習。練習の鬼」
なんだそうです。
その話を聞いて以来、
「きっと、おっかない顔をしたオバハンなんだろうな。もしかしたら角はえてるかも」
と、ずっと思っていました。

それが、ついおととい、彼女のCDをとうとう発見し、破格値だったので購入し、聴いてまたもや感動してしまいました。しかも、ジャケットに写った彼女の顔・・・キリッとした美人です。1974年の録音だそうですから、42歳のころのもので、写真はもう少しお若い時のものを使ってあるかもしれません・・・角は、生えていないようですね。

曲目は「バッハ:無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ」全曲です。
TowerRecordsの方が若干安く手に入ります。)

これまた、ベートーヴェンの協奏曲と同じ、いや、それ以上の「納得度の高い」演奏内容です。
「無伴奏」はいろんな名手のものを聴いてみましたが、楽譜をイメージすると、どれもバッハの書いた「音」の大切な要素を、ヴァイオリンという楽器の都合で改変しています。自分で弾けるナンバーは数少ないとは言え、やはり、「見本に出来ない」演奏は、如何に名手のものであっても「見本にならない」のです。

ラウテンバッハーさんの演奏は、私にとって、初めて「見本になる」演奏でした。
とくに、過去耳にした演奏(録音だけでなく、実演を含みます)では主題の線が途絶えても平気で力で乗り切るフーガ演奏ばかりだったのに対し、彼女の弾いているフーガは全くそうではありませんでした。
表現、という点では、「これはもっと軽妙でもいいんではないかい?」という印象をお持ちになる楽章もあるかもしれませんが、彼女の演奏は、表面的なニュアンス解釈にとらわれることなく音を大事にした、希少価値の高い「規範」です。

フーガ楽章は残念ながら長いのでご紹介できませんが、たとえば、

をお聴きになってみて下さい。
伴奏部の八分音符をこれだけ丁寧に、きちんと弾いた演奏には、初めて出会いました。

また、「軽妙」さにとらわれてお粗末になりがちな

ですが、これは私自身、人前で弾く時に悩み抜いた作品(弾くというだけなら難易度は低いのですが)なので、彼女がどこを聴かせどころにすべきかをどれだけ考え抜いたかに、非常に共感を覚えます。

既存の「無伴奏ヴァイオリンソナタ・パルティータ」に、どこかしっくりしないものを感じる方には、是非手にとってみて頂きたいと存じ、急遽ご紹介した次第です。

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2007年10月16日 (火)

ドヴォルジャーク「交響曲第8番」第2楽章(2)

記事本文の前に・・・
上岡敏之/ヴッパータール交響楽団、大変によい演奏会でした。お読み頂ければ幸いです。



ドヴォルジャーク:交響曲第8番

全体像
・第1楽章:構成について練習上の留意点について
・第2楽章の構成について
記して参りました。
また、アーノンクールの述べている、作品理解のうえでの示唆も引用しました。
(リンク先をご覧下さい。)

今回は、第2楽章の練習で留意すべき点ついて述べます。
(使用スコアは、音楽之友社OGT238です。)

01*6小節目の内声部(2nd,Vla)、とくにセカンドヴァイオリンの音程が重要です。これは、ネックの上に垂直に指が立つほどに左肘を体の中心まで引いて、楽器に体重を良く乗せて下さい。練習の初期に試してみて頂いた通りです。もう少し詳しく言えば、セカンドの音は一瞬だけ調が変ホから変ニ長調に転調(正しくは変ロ短調なのですが)したとき、その(長調ベースでの)主音に当たる音であるため、核を作るのです。なお、同じ変ニ音はヴィオラ、チェロ、コントラバスによっても強調されています。ところが、ここでセカンドヴァイオリンがしばしば音程が崩れるため、台無しになるケースを、何度も耳にした経験があります。是非ご留意下さい。(ある意味で楽章全体の出来を決めます。)

02*10小節目のホルンの入りは、本来、ボケるとまずいのです。が、音域が音域ですので、ティンパニがくっきり入ってやって下さい。ホルンはティンパニの入りに上手く助けてもらい、音が震えず直線になるように留意して下さい。・・・ただし、ディナミークはppです。ティンパニはpppですが、叩き始めをホルンより強めに、けれどアクセントには聞こえないように、ご工夫下さい。難所です。

03*「A」からは、クラリネットとファゴットは音色を統一して下さい。膨らましのタイミングもぴったり揃えるべきでしょう。また、18小節からは音色を徐々に明るく変化させていくことになりますので、留意して下さい。

04*21小節最後のホルンの16分音符にはスタカートが付いていますが、弦はテヌートです。従って、ホルンのスタカートは「pesante」の効果を狙ったものです。先生の解釈にもよりますが、練習では「押す感じ」の発音を心がけておくべきでしょう。ブルックナーをイメージすると分かりやすいかと思います。

05*「B」の木管は、28小節までの薄暗いクラリネットに対して不安を表明したヴァイオリンに対し、「カツ」を入れる役割を担う経過句です。スタカートのイメージは(こちらは弦楽器を伴っていませんが)04のホルンのニュアンスを記憶しておき、それを更に厳しく明瞭に吹くべきでしょう。

06*37小節からは、「カツ」によって目を開かれた弦に対して「どうだい? 新鮮な静けさが、ここにあるだろう」(こう綴ってしまうと解釈になってしまうので、本当はいけないのですが)と、彼らの目を優しく広げてやる場面となります。これなくして「C」の軽妙さは導き出せませんから、表情を上手く切り替えることは大変重要です。かつ、フルートとオーボエで一つの楽器であり、クラリネットはそれに調和した音色でなければなりません。ですから、可能な限り広いアンブシュアをとる必要があります。

07*「C」からは、ヴィオラとチェロのピチカートは、音程がボケないよう強めにはじいて良いと思います。タイミングはコントラバスと良くアンサンブルして下さい。2つのヴァイオリンもアインザッツ(音の入り)と各音のタイミングを、あたかも一人で引いているように揃えることが望ましい箇所です。弾き方は最終的には先生の指示に従って下さい。練習では、粒が揃えにくければ、まずは「跳弓」で、揃うようにして置いて下さい。先生は最後は「跳ばさないスタカートで」と仰るかもしれません。

08*「D」の管楽器は、07でのヴァイオリンがヘタクソだったら、そのまんまのニュアンスでやって下さい。・・・ソロが下手でも構わなくなるので、非常に助かります! まんざら冗談でもないのですが・・・本来は、「時計のように」機械的であることが望ましいはずです。先生は「拍子のアクセントを意識して」と仰るかもしれませんし、そう仕上げなければなりませんが、仕上げに至るためには、どの音も同じ音量と長さで吹けるようにしておくことが大切です。セカンドクラリネットは付点四分音符のあとにブレスをとってしまって、16部休符の仲間入りをしてごまかしてしまうのが無難かな? 先生にバレたら、また別の道を考えて下さい。

09*同じく「D」のセカンドヴァイオリンは、楽譜通りに数を弾けることが原則です。ご無理な方は、拍の変わり目を(八分音符単位で)きちんと変わって下さい。ずれないように気をつけて。ヴィオラのピチカートはアルペジオになっていますが、一本指で一気に弾けば、ソロにとてテャありがたいスピード感になります。(先生が「ダメ」と仰ったら諦めますが。)

10*65小節から「群舞」になりますが、「C」以降の要素のディナミークがフォルテになるだけですから、ニュアンスが変わらないように注意して下さい。その上で、「表情を変えるんだ!」という支持があれば、奏法は変えず、表情だけ変える「お芝居」をするのです。忘れないで。

11*69小節からのティンパニ、3連符が正しく3連符になっていること。従って、休符を正確にカウントして下さい。

12*「E」のホルンとトランペットは、絶対に力まないで下さいね! 朗々と。とくにトランペットは2オクターヴ吹かなくてはなりませんから、音が上昇するに従って輝かしくなっていく、ということは上野音程ほどアパチュアが狭まらないよう留意しておく心の準備が必要だ、ということです。なお、ホルンがⅠオクターヴ吹いた続きを75小節目で引き継ぐのがオーボエです。ですので、オーボエの音色は(無理難題に思われるか知れませんが)ホルンの音色でなければなりません。これは古典派(モーツァルトかハイドンでいいでしょう)のシンフォニーの事例でよくご研究頂くことをお勧めします。

13*78小節、80小節のトランペットのファンファーレは、フィナーレとの結びつきも強いもので、単なる効果以上に重要な意味を持っています。「大切に」吹くにはどうしたらいいか・・・ご熟考をお願い致します。

14*「F」4小節目(84小節)のセカンドヴァイオリンとチェロの音程は、とりわけ重要です。セカンドは半音下降は指を滑らせたりズラしたりしてとってはいけません。1音1音、別の指でとって下さい。85小節後半のチェロのトリルは、(低い音ですが、それでも)鳥のさえずりのサイクルが必要です。

15*86小節からのティンパニ、休符を正しくカウントして下さい。息を正しいリズムに保って叩くことが重要です。

16*105小節のフルート、オーボエは、4本で一つの楽器です。(これ以上言葉はいりませんね?)

17*「H」のティンパニは八分音符である点に、充分気を配って下さい。それより長くても短くてもいけません。

18*「N」の木管とホルンの32分音符は、アインザッツをきちんと揃え、長さも合わせて下さい。トランペットにffが書いてありますが、ワンランクディナミークを落とした方がいいと思います。ffで本当に欲しいのは163小節の2つ目の八分音符からですが、それは他の管楽器と調和した大きさでなければならず、それを量るためにも、「N」の最初の2つの四分音符は、まだディナミークは控えめにしておいて、指揮者の意向を伺うのがベターでしょう。ただし、輪郭はボケてはいけません。

19*164小節後半からはトランペット次第です。pppまで効果的にディミヌエンド出来るためには、ここから少なくとも167小節まではアンブシュアに変化があってはいけません。168小節目は、ティンパニはトランペットの邪魔をしないように、むしろ手助けするように、正確に叩いて下さい。トランペットはテヌートのニュアンスは最低3種類くらいは工夫できると思いますので、パートで試して置いて下さい。

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2007年10月15日 (月)

すばらしかった:上岡/ヴッパータール

結局、行って来てしまいました。
上岡敏之指揮、ヴッパータール交響楽団演奏会inつくばノバホール。

運営に携わったキンキンさんの、本場物の記事はこちらにリンクしました。是非ご覧下さい。演奏会が裏側からも分かります。

まず、R.シュトラウス「ドン・ファン」。
この曲をお好きな方はご存知の通り、緩急の激しい構造をしています。
その激しい緩急を、更に極端なルバートやアチェランドで強調するのですから、ふつうでしたらハラハラドキドキものです。途中、休符上のフェルマータ(ほんとに休符上についていたかどうか、スコアの記憶が私には定かではないのですが)は、息がとまっちまうのではないかと思うほど長く取られていて、聴衆は危うく窒息死するところ・・・のはずでした。
ところが、これが、そんな演奏デザインにも関わらず、非常に安心して聴ける。同一主題を、弦楽器は下声部から上声部へと、管楽器も楽器間の交代を頻繁に行なうのも「ドン・ファン」の大きな特徴で、通常は声部や楽器が入れ替わると、「あ、入れ替わったな」とモロ、ばればれの演奏が多いのですけれど、ヴッパータール交響楽団の面々は、そこで声部や楽器が入れ替わったのか分からない、自然なつながりで音楽をすすめる巧者ぶりをも私たちに見せて(聴かせて)くれました。

2曲目、モーツァルトのピアノ協奏曲第21番ハ長調(第1楽章の途中に交響曲第40番の冒頭楽章と同じモチーフが現れるので有名)については・・・ひとこと。上岡さんは、正直言って、指揮する必要はなかった。団員が、上岡さんのやりたいことはすっかり読み切り、汲み取ってしまっていました。

最後の「ベートーヴェン第5(運命)」、冒頭の動機のフェルマータをこれだけ短くする解釈は、録音可能になって以後の時代では初めて、だったかもしれません。ただし、呈示部の反復のおりだけは長くしました。このへん、人によって感じ方は様々かもしれませんが、演出の妙、でした。第2楽章の美しさ、第3楽章のおどろおどろしさは、「上岡流」の強烈なデフォルメもありましたが、それでいて安定感を崩すものではありませんでした。第4楽章はピッコロの登場部分、ピッコロがヒステリックにならないための配慮でしょうか、他の楽器をメゾピアノ程度までに落とさせましたので、ピッコロが柔かに、伸びやかに聞こえ、「革命よりは平和にふさわしい」感じでした。

上岡さんと団員との、普段からのコミュニケーションが、いかによくとれているか。
このことを、実に雄弁に物語った演奏会でした。

アンコールは、なんと「こうもり」序曲。

そして、団員退場後も鳴り止まない拍手。聴衆総立ち。
スタンディングオペレーションに呼び戻された上岡さんは、再びステージに登場すると、団員全員をもステージに呼び戻しました。

指揮者、団員、全員揃って、「礼!」

演劇の舞台ならともかく、オーケストラコンサートでは初めて目にした、素晴らしい光景でした。

それにしても、スタープレイヤーなど持っていそうにない、一見地味なこのオーケストラ、言葉では表し難いほどの「アンサンブル巧者」である点には、CDでの印象以上に驚嘆しました。ちょっとしたミスは皆無ではなかったのですが、気づかなかった方が多いと思います。リカバリが迅速且つ冷静で、音楽の流れを絶対に崩さない。
これは、有名オーケストラでもなかなか出来ていないことです。

もっともっと、存在の知られていいオーケストラであると思います。

ちょっとの間、実は、本番前に上岡さんが協奏曲をさらっている音がちょっと聞こえたので、楽屋裏にしばし耳を付けていました。終楽章を、はじめは遅いテンポで、つぎに本番で弾いたのよりは速いテンポで(とは後で分かったことですが)、と工夫しながら、始まる寸前まで気を抜かない上岡さんには頭が下がります。

取り急ぎ、ご報告まで。

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2007年10月14日 (日)

小6息子作:隆盛新聞

先日に引き続き、歴史新聞の宿題を持ち帰って来た息子。

西郷隆盛をやりたい、というので、急遽、マンガの伝記を探して来て。
そこまでで、他の用事もあってくたびれて私は眠ってしまい、夕方、はっと気が付いたら、採り上げていたテーマが、なんと「西南戦争」!

まいった!

せめて「薩長同盟」とか「江戸無血開城」にしてくれていればよかったのに。
日本史にお詳しい方にはよくお分かりの通り、「西南戦争」をめぐる問題は、廃藩置県・廃刀令・その後の諸国の士族の反乱・征韓論問題など、複雑な要因が絡んでいるので、小学生がまとめるには大変な難題です。

なんとか史料を説明してやり、メモも作り、そのうえであとは息子任せにしたら、こんな仕上がりになりました。

Takamorisinbun_2

うーん。。。

それも、下半分は、テレビでたまたまやっていた「踊る大捜査線2」に家族で気を取られている間、1行も進んでいなくて、その前に散々資料を用意して説明もしてやったのに何たることだ、と、私もぶち切れてしまって、徹底的に叱った末にようやく書いたシロモノです。

寝ちまって目をはなしたのが、大失敗だったけど。
まあ、記録にとっておきましょう。

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2007年10月13日 (土)

ドヴォルジャーク「交響曲第8番」第2楽章(1)

本日の記事をお読みになる前に、是非、
「うらやましいなあ、行ける人。(上岡/ヴッパータール)」
にお目通し下さい!
イチオシ! 絶対お勧めのライヴです!
14日当日でも、間に合います!
かつてクララ・シューマンとも共演したという、伝統ある名門オケです!


ドヴォルジャーク:交響曲第8番

全体像
・第1楽章:構成について練習上の留意点について

記して参りました。
また、アーノンクールの述べている、作品理解のうえでの示唆も引用しました。
(リンク先をご覧下さい。)

今回は、第2楽章の構成について述べます。
練習で留意すべき点は別の回と致します。
(使用スコアは、音楽之友社OGT238です。)

この楽章については、解説では「交響詩的な創作手法」がとられていると述べています。
では、交響詩的手法とはなんでしょうか?
ドボルジャークは、本当に、「交響詩的な創作手法」なるものを使っているのでしょうか?

一般に、交響詩は、核となる人物または理念を定型的に動機化し、それを既存の音楽の構成の枠に当てはめず、作曲者が独自に組み上げた「ストーリー」の中で発展的に取り扱っていくものです。
ただし、「ストーリー」には「ストーリー」の定型、とでも呼ぶべきものがあり、結果的には、あまり大規模ではない交響詩は、完全な自由形式であるよりは、既存の二部形式、三部形式、ソナタ形式のようにまとまってしまう場合も皆無ではありません。

リヒャルト・シュトラウスの小規模な方の作例で言うと、「ドン・ファン」はロンド・ソナタ形式に近いものがあります。ただし、それにしては、完全な「再現部」というものは存在しません。また、「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」は、短いが故に、序奏部-呈示部-展開1-展開2----という具合に接続していくことが分かりやすい。でも、既存の音楽形式には当てはめられません。最終部は、序奏部を回想する短い節ではありますが、決して「再現部」ではありません。

これと比較した場合、ドヴォルジャーク第8の第2楽章は、果たして、そこまで自由な形式をとっているでしょうか?

結論を申し上げれば、「ノー」です。

大枠で捉えれば・・・既存の形式とは呼べるものではありませんが、「ソナタ形式に類似した四部形式」とでも言うべきものです。
但し、最終部は「第2部」をほぼ忠実に再現したものにコーダを付けて成り立っており(「再現部」に相当する)、第3部は「展開部」であって第1部の再現部ではないのが特徴です。
この点に留意しておかないと、曲の統一感を見失うことになります。「解説」は、そうした見失いをしているのではないかなあ、と感じております。

・「第1部」は、さらに3つの部分から成っています。
 (1)1〜10小節:宗教的とも言える序奏部で、和声が重要です。
    (練習上の留意点で述べます。)
 (2)11〜31小節:膝をついて祈る人に、木の上から鳥が「外を見てごらん!」と。
    フルート・オーボエのペアの呼びかけにに対し、
    クラリネットが徐々に視線を向け、見上げていく状況がポイントです。
 (3)32〜45小節:見上げた外は、予想に反し、ただ底抜けに明るいものではない。
    それが、のどかだった動機が激しい表情に転じることで示されます。
    人は、自分の内面だけではない、外界もまた「敬虔であるべき」ことを悟ります。

以下、そんな風なストーリーを、ご自身なりに持ってみて下さい。ここまで記したことで充分にイメージできるはずですし、それをご自身の中に組み立てておくことが、聴くだけの場合でも、第2楽章の理解に役立つものと思います。

・「第2部」は5つの部分を持っています。
 (1)46〜56小節:時が踊っているような印象の部分
 (2)57〜64小節:ヴァイオリンソロがゆったりと踊る(ワシには踊れん!)
 (3)65〜80小節:群舞
 (4)81〜88小節:舞いの興奮から、再び静謐へと、人びとは黙想する
 (5)89〜100小節:敬虔な祈りの反復

・「第3部」は「展開部」にも相当します。まとまりとしては、101〜132小節のひとかたまりしか持ちませんので、当時の大きな交響曲から見れば、展開部とは見えづらい。ですが、新しい要素(動機)を用いるのではなく、第1主題の動機を主体としています。その点、第1楽章の「展開部」と「再現部」の関係を、「第4部」との間に持っており、ドヴォルジャークの作曲姿勢に一貫性があることも確認出来ます。

・「第4部」は
 (1)第2部(第2主題)の(短めの)再現
 (2)複構造の長いコーダ
 からなりたっています。
 (1)は、133〜148小節を再現部とし、
    149〜155小節を、その延長としての小結尾(コデッタ)としています。
 (2)155小節から170小節までが、正式なコーダです。

以上、スコア無しではお分かりになりにくいかもしれません。補筆時間が取りたいところですが、とりあえずご容赦下さい。

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2007年10月12日 (金)

モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲(2〜5番)

本日の記事をお読みになる前に、是非、昨日の
「うらやましいなあ、行ける人。(上岡/ヴッパータール)」
にお目通し下さい!
イチオシ! 絶対お勧めのライヴです!



ここまで読んできたモーツァルト作品の個々へのリンクを作成し直しました。ご利用下さい。

音楽に涙する。
どなたにもおありの経験でしょう。
それが歓喜からなのか、深い哀しみなのからか、それらが綯い交ぜになったものか・・・理由は様々かと思います。
いえ、理由の如何に関わらず、あるいは、理由なくして、であっても、「涙する」とき、私たちは間違いなく<音楽そのもの>に魂を揺さぶられている。
耳を貫いていく旋律が、表向き如何に平安を装っていても、鬼神にさえその奔流を留めることが出来ない。
この奔流の持つ力が、脱出できなくなるほどに、私たちを内へ内へと押さえつけるのです。
(ただし、ここで言う「涙する」には、<言葉>の絶叫に共鳴し興奮した結果もたらされる、いわゆるデュオニュソス的なものは一切含めません。この場合、音楽は手段ないし道具に墜しているのであり、演じ手の狙いが「ピュア」であっても、そこから生まれるのは「音楽への感動」ではありません。混同されがちなことですが、分けてみておかなければなりません。)

とはいえ、音楽のみの純粋さから「涙する」経験は、稀にしか得られないかもしれません。この経験が得難いのは人間の本性に由来するのではないかと思われます。
人間は、音楽の生み出し手でありながら、音楽そのものに沈潜するには、あまりにも間断なく、世事に心を煩わせ、思考を休めることがありません。原初の音楽が既に「神のもの」とされているところに、早くも人間の、音楽からの逃避が示されています。それは、聖書の神が人間をエデンの園から追放したことに、また、ギリシャ神話の神々が、「自分の似姿だ」と言っておきながら、それを泥から捏ねたり、骨から作り上げたことに、あまりにも類似している、と言ってしまったら、私はたくさんの方にお叱りを受けるかもしれません。

1775年のモーツァルトのヴァイオリン協奏曲は、その明るい色調とは裏腹に、音楽の創造者は「神か人間か」を戦った彼の、思春期の激しい精神が発露し、凝結さえしています。
この点を考慮すると、第2番以降の1曲1曲を個別に扱うのは適切ではない、と考えざるを得ませんでした。
かつ、あまり長々と述べることも適切ではありません。
概要を通じて、この協奏曲群に対する彼の姿勢を垣間見ておくことにしましょう。
その上で、出来ましたら、お気に入りの全集録音などで、全てを良く比べながら聴いて頂ければ、彼のヴァイオリン協奏曲の真価が本当にその録音に現れているかどうか、を省みて頂きやすいのではないでしょうか?

本筋ではありませんが、彼のヴァイオリン協奏曲の由来がイタリア系だ、と暗に示唆を意図しているNMAの解説から、モーツァルトが少年時代に耳にした(であろう推定も含めた)イタリアのヴァイオリン協奏曲作家を並べてみましょう。
まず、ヴィヴァルディは、そのソロコンチェルトがトゥッティとソロの交錯で成り立っている点でモーツァルトの協奏曲の本質的な先祖ではないか、と見なされているようです。が、裏付けはありません。ただし、この点は、たとえば大バッハのヴァイオリン協奏曲は必ずしもトゥッティとソロの交錯ではないことと比較してみると、妥当性は幾分高いとは言えるでしょう。
次に、記録上明らかな作曲家2名。1763年と70年にはナルディーニの、71年にはプニャーニのヴァイオリン協奏曲をモーツァルトが耳にしていることは判明しているそうです。

では、モーツァルトは本当に、これらイタリアの系列をそのまま受け継いでいるのかどうか。
プニャーニとナルディーニの例はお聴きになった方は少ないかと存じますし、私ももう記憶から薄れました。
ですので、ヴィヴァルディあたりの構成を思い出しながら、モーツァルトの「つくり」と比較してみて下さい。

第2番以降の構成を列挙してみましょう。

第2番K.211(6月14日)ニ長調
I. Allegro moderato,4/4(126小節)
II. Andante,3/4(104小節、ト長調=下属調)
III. RONDEAU Allegro 3/4(178小節)

第3番K.216(7月12日)ト長調
I. Allegro.4/4(226小節、ニ長調=属調)
II.Adagio,4/4(48小節)
III. RONDEAU 1-Allegro,3/8:252-Andante,2/2:265-Allegretto 2/2:292-Allegro,3/8

第4番K.218(10月)ニ長調
I. Allegro,4/4(220小節)
II. Andante cantabile,3/4(90小節、イ長調=属調)
III. RONDEAU 1-Andante grazioso,2/4:15-Allegro ma non toppo,6/8:77-Andante grazioso,2/4:85-Allegro ma non toppo,6/8:124-Andante grazioso,2/2:178-Andante grazioso,2/4:185-Allegro ma non toppo,6/8:210-Andante grazioso,2/4:217-Allegro ma non toppo,6/8(-239)

第5番K.219(12月20日)イ長調
I. Allegro apert.4/4,ただし40-45はAdagio(ソロが初めて登場する場面)
II. Adagio,2/4(128小節、ホ長調=属調)
III. RONDEAU 1-Tempo di Menuet 3/4:132-Allegro,2/4(イ短調、いわゆる「トルコ風」の部分):262-Tempo di Menuet 3/4(-349)

3つの特徴があります。第2番のみが例外的ですが、それは第2番が「孤立している」のではなく、以降の作品の出発点であることを示しているのです。
・第3楽章はRONDEAU(ロンド)である点で一貫しており、しかも、それが単純な「ロンド形式」であるのは第2番のみである。
・第2番以降、最後の第5番を除き、第2楽章が小規模になっていること
・第2楽章は、第2番のみが下属調であり、第3番以降はすべて属調である。

これらを通じ、モーツァルトは私たちに何を示しているのでしょう?

ひとつめ。
イタリア協奏曲の伝統を引き継ぐべきかどうか、という(おそらくは無意識的な)試行錯誤は、第2番で終わっており、かつ、第2番は以降のヴァイオリン協奏曲の出発点にもなっている。

ふたつめ。
第2番での反省を踏まえ、第3番からは第2楽章を「色合いの明るい」属調にし、なるべく簡潔であることを心がけ、「アリア的」であることを目指した。

最も重要な、3つ目。
終楽章のRONDEAUは、それが単一楽章なのではなく、切れ目なく演奏される複数の楽章であるかのように・・・でなければ、リズムの交錯によってわざと流れを断ち切り、聴き手の耳に挑むように・・・複雑化されている。
とくに第4番の交錯の激しさは・・・ただお聴きになっての印象よりも頻度が高いということにご注目頂きたいのですが・・・全体としては愛嬌を保っているために、作曲者がこの音楽にどれだけの「葛藤」を演じさせているのかについて、私たちの耳を巧みに騙しているのだということを、よく示していると思います。

もう一点、記しませんでしたが、各作品は、日付が後になればなるほど、ヴァイオリンの最高音が高まっていきます。
これは第2番から順番に続けて聴いても、多分はっきりとは気が付くことが出来ません。
ですので、同じ調性である第2番と第4番を聴き比べることから始めた方が、「なるほど!」と感じさせてもらえます。
すなわち、モーツァルトは、作品を書き重ねて行くたびに、
「ヴァイオリンがより輝かしく、しかも豊かに響くために」
何をしたらいいか、を、間違いなく前向きに思考していたし、その最初の結晶は第4番であり、(皮肉なことに)最後の結晶となったのは第5番だった、ということも分かります。



モーツァルトが「神か人間か」の戦いをなすにあたって、第2楽章の「アリア化」と第3楽章の「複構造化」を大きな指標としていたことは、テクニカル的な面からのみ「彼のヴァイオリン協奏曲は、出来が単純だ」としてしまう評価眼が間違っていること、「楽器」よりはむしろ「ミューズ」を前面に出す努力に全力を傾けていたこと、の証でもあります。
・・・それだけに、実は、これらの作品群は、決して「気楽に」聴ける音楽ではないのでした。

それぞれの初演に立ち会ったであろうザルツブルクの貴族たちが、こんなことには全く気づきもしなかっただろうことが、以後、モーツァルトが「ヴァイオリン協奏曲」などというジャンルを全く省みなくなってしまった大きな要因ではなかったかと思われてなりません。

旧説ではブルネッティが弾いたとされていましたが、近年は初演時はモーツァルト自身が「コンサートマスター」としてこれらを初演したであろう(でなければ、ミヒャエル・ハイドン)と見なされています。
「コンサートマスター」が演奏したこの協奏曲群に通奏低音が無いのも、実はこの先ハイドンのエステルハージ時代の交響曲に「通奏低音があったかなかったか」を検討する上で興味深いものがあります。
と同時に、繰り返しになりますが、自己の創意工夫が、結局はご当地ザルツブルクで流行した「ヴァイオリンソロ付きセレナーデ」の類似品としてしか享受されずに終わった結果を見て、もはや「コンサートマスター」では無くなってからのモーツァルトには魅力が失せてしまった可能性は大いにあると思います。

内容では「神」に迫りながら、「人間」の姿で作り上げた作品は、所詮は周囲の人間にとっては「人間の域を超えたもの」として敏感にうけとめられることはなかったのです。

モーツァルトは、この意味では、「肉体を持っていた間は、やはり神には勝てなかった」。
すなわち、彼は「生」にある期間においては、最下級の「神霊」であるデーモンにすらなれなかったのです。

75年のヴァイオリン協奏曲は、じつはそんな、悲しい記念碑なのかもしれません。

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2007年10月10日 (水)

うらやましいなあ、行ける人。(上岡/ヴッパータール)

940先月記事にしました上岡敏之/ヴッパータール交響楽団の演奏会ですが・・・

さる筋によりますと、来たる14日につくばで行なわれる演奏は、まだまだいい席があるそうです!
空席があるとは勿体ない!
でも、行けない。
CD屋の宣伝は某評論家氏の「耳のいい人向け」というキャッチフレーズ(だったかな)をデカデカと書いていたけれど・・・こんな文句を読んだせいでチケットを買わない人がいたりしたら、それこそとんでもない話です。
「耳の良くない俺は聴けない。」
・・・沈んでいる貴方(実は自分も)! この組み合わせの演奏は、むしろそんな方のためにある、と、私は本日確信致しました!

いや、これは不適切ないい方です。

「音楽そのものに身を任せる経験を一生に一度でいいからしたいんだ!」
そう思っていらっしゃるなら、私なんぞのように、みすみすそのチャンスを逃す手はありません!

遅くはない!

すぐ、チケット買いに行きましょう!



実は今日、数日狙っていたのに訪れなかったチャンス、仕事の合間にやっと見つけたこのチャンスに、
私はボーナスを前借りして(ホント!)上岡さんのCDを買いに走りました。
でも、貧乏なので躊躇しました。
幸い、試聴コーナーがあり、「悲愴」も「ブルックナー第7」も一部聴けるのでした。
「悲愴」から聴きました。
演奏効果を考えて規模のかなり大きめな編成を用意しているのは明らかです。
が、そんなことは別に、誰でもやることです。
試聴を始めて驚いたのは、
「あれ? 最初の音が聞こえない・・・」
店の中は割と静かな方なのですが、それでもざわざわはしています。
「悲愴」の冒頭部は、ご存知の通り、コントラバスの奏でるコードで始まり、ファゴット、ヴィオラと引き継がれるのですが、ファゴットの最初の部分まで、さほどでもない店の喧噪で聞こえるのが妨げられる。
そして、次第にクレッシェンド。
単に良く訓練された、と言うだけではない、「オケマンすべてが音楽を理解した」のでなければ絶対にあり得ない、ディナミークレンジの広さ。チャイコフスキーがフォルテを5つ書いたところは、チャンとフォルテ5つですが、だからといってフォルテ一つの箇所の迫力を(他の演奏ではよく勢いが失せてしまうのですが)、彼らは喪失することがない。
第2楽章以下の豊かさについても、同様のことがいえます。
第3楽章は聴き手を「興奮」させてくれるくせに、演奏者は「盲滅法の没入」を絶対にしていない。
第4楽章・・・ねえ、なんで、試聴は途中までしか出来ないの? (T_T)

ついで、ブルックナーの試聴を始めました。
これは、第1楽章の冒頭ワンフレーズを聴いて、すぐに試聴をやめました。

なぜなら・・・それで充分だったからです。
どっちか片方しか買えない私は、迷わず、お得な二枚組のブルックナーを手に、レジへ走りました。

今夜、寝床で聴くのが、今からワクワクものです。

あ〜あ、生で聴きたかったなあ。。。

是非、前の記事をお読み頂き、そこに引用した上岡さんの言葉を読んでみて下さい。
そして、彼がその言葉を見事に実践していることを、可能な方は絶対見逃したり聞き逃したりなさってはいけません!

「行けない私」から、行ってほしい「あなた」へ!

CD情報は、こちら

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2007年10月 8日 (月)

アーノンクールの示唆:ドヴォルジャークについて

ドヴォルジャーク第8の全体像
第1楽章の構造練習方法
については、記述しました。

アーノンクール盤が1,050円で出ています。
演奏の好きずきは別として、このCDに付いているリーフレットの中で、彼がドヴォルジャークの演奏史から受け止めたものを述べた発言(第7を含みます)は、私たちがぜひとも心に留めておかなければならないと感じますので、ご紹介しておきます。

「エドウァルト・ハンスリックは、この曲(第7の方)にはトロンボーンが多すぎると考え、手紙でジムロックに『(中略)トロンボーンが曲のラインを食いつぶしてしまっている』と書いています。(中略)さすがのドボルザーク(註:訳文の通りの標記)もこれに対しては腹を立てました。ひと月後、この作品をフランクフルトで演奏することになったドヴォルザークは、ジムロックに宛てて次のように書いています。『フランクフルトでお会いしたら、曲のラインがトロンボーン付きでも失われないことをお見せしたいと思います。肝心なのは、どのように演奏するかなのです。』ドボルザークは正しく作曲していたと確信していたわけですが、私もそう考えます。
・・・ブルックナーにおいて響きは、トロンボーンを中心として作られているのに対し、ドヴォルザークでは、トロンボーンはその補強のために特定の場所で用いられるにすぎません。トロンボーンがオーケストレーションの基盤に鳴ることは無いのです。(後略)」

「ドヴォルザークの作品は、極めて深いものに満たされています。(中略)これらは単なる感傷ではなく、より深い人間の感情表現です。同時にそれは、ちょっと間違えただけで台無しになってしまう種類の音楽でもあります。金管楽器の音量調節に失敗すると、全体はすぐに騒々しい金管コラールの洪水になってしまいます。(後略)」

第8について
ドヴォルザークは、ソナタ形式の規範をよく理解していました。彼は初期の交響曲においてシューマンのソナタ形式を研究し、発展させています。彼はこれをマスターした後、様々な実験を行い、ブラームスとは全く異なるソナタ形式を作り上げました。私は、これが説得力のある彼独自のスタイルだと思います。もちろんそうした点については、オーケストラの団員もきちんと理解している必要があります。もしそうでなければ、演奏は作品の持つ新しい要素を無視した、平板なものになってしまうでしょう。(後略)」

(ここより前の部分に重要な話が含まれているのですが、省略します。)
「私は、ドヴォルザークが第8番で聴衆に具体的な内容を伝えようとしたとは思いません。ここではむしろ、より一般的な、聴き手の一人一人が個人的に感じることの出来る感情やイメージが問題となってるのです。」

1998〜99年談。城所孝吉氏訳

ドヴォルザーク:交響曲第7番&第8番Musicドヴォルザーク:交響曲第7番&第8番


販売元:ワーナーミュージック・ジャパン

発売日:2004/01/21
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2007年10月 7日 (日)

テレマンのソナタから(娘の演奏)

親ばかで毎度すみませんが、娘が、ほかの「修行中」の皆さんに混じってソロの試奏をしました。
伴奏付きで、人の中でソロを吹ける機会は少ない上に、伴奏して下さっているのが娘の楽理の指導を引き受けて下さっている方なのですけれど、素晴らしいピアニストです。独奏をしても素晴らしいだけでなく、アンサンブルも大変良く心得ていらっしゃいます。
で、本来は、このときの先生の素晴らしいリスト(あれだけ情感豊かにリストを弾くピアニストは、なかなかいらっしゃらないと思います)をご紹介した方がいいのです。

が、普通の家庭の、中学で初めてトロンボーンに触れたような我が家の娘でも、3年間(実質は1年半ですが)で、このくらいは成長できるのだ、という一つの記録として、恐縮ですが、娘のほうの演奏を掲載させて頂きます。

第3・第4楽章

吹き損ねもあるし、ブレスの取り方に問題があってフレーズを締める肝心の音が落ちている個所があったり、と、課題がまだまだ残るのですが、この半年の、過去2回掲載した演奏と比較して頂き、娘の成長を、お読み下さっている皆様にとっての何らかのヒントにして頂ければ幸いに存じます。

なお、テレマンのこのソロソナタは、1728年から彼が隔週で定期刊行したことで有名な<忠実な音楽の師>の第14課(1回の出版の単位が日本では「課」と訳されています)に収録されたもので、オリジナルはファゴット用です。収録された時期から、1729年6月以前の作品であると推測されます。
テレマンの音楽が、死後急速に忘れられたことについては、大崎滋生氏「音楽史の形成とメディア」を参照して下さい。



娘が進歩したか退歩したかは、以下をお聴き下さいませ。

〜伴奏者がインフルエンザで倒れ、ピアノの先生(今回とは別の方)が初見状態で助けて下さったものです

ほんとうに、馬鹿な父親ですが、今日はとても嬉しく思っています。。。

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2007年10月 6日 (土)

ドヴォルジャーク「交響曲第8番」第1楽章(2)

前日に引き続き、ドヴォルジャーク「第8」の第1楽章のことを綴ります。

練習(自主練習や、先生のいらっしゃらない時の合奏)のためのメモです。
スコアかパート譜(出来ればスコア)がないと、意味不明でしょう。
TMFのかた向け、に限定されてしまうかもしれません。

なお、演奏技術用語で誤っている点はご斟酌頂ければ幸いです。
(今晩の練習曲ではないかもしれませんが・・・)

団員の方には、出来るだけ、印刷するなり楽譜に書き込んで頂ければ幸いです。
「この練習方法では違うのではないか」という場合にはメール等でご意見下さい。検討します。
ただ・・・オーケストラの団員は「個人プレー」を目的としているわけではない点、充分ご認識を願います。
ですので、ご意見頂けることは、むしろ今の私には心の支えにもなります。
(・・・さびしがりなので、ボクを孤独にしないで下さいね。。。)


01*全般に、16分音符の音型は、少なくともパート内でバラバラにならないよう、あらかじめ心の準備をしておいて下さい。16分音符の音型が全員できちんと揃うことは、この楽章の最大のキーポイントです。

02*冒頭部=前日記事の末尾の「和音」図を再度確認下さい。()内に黒音符が旋律構成音で、大体がその和音(密集型)のソプラノ音です。ということは、特段強く演奏せず、和音に解けこめばよいということです。(ホルンはユニゾンですので、音量に注意して下さい。ただし、チェロは案外弱めになる箇所なので、上手く補強できる計算は必要です)・・・ですので、和音を構成する各楽器(とくにトロンボーンとヴィオラ)は音程(響き)に対する耳の厳しさが必要です。チェロは4小節目のみはどうしても移弦が必要かもしれませんが、他は固定したポジションは基準としてのみ考え、指の感覚を広めに調整してA線のみで弾くべきかと思います。旋律的にはその方が美しく滑らかです。

03*「A」(以降、「」内はスコアの練習記号ないし番号)のクラリネット、ファゴット、とりわけトランペットは、フィナーレ冒頭をここで既に意識して下さい。ただし、ディナミークはppです。また、普段から1拍を4分割(16分音符相当)に分割してカウントする習慣を付けて(楽器をもたずとも、思いついた時に練習できることです)、それぞれの音符・休符の長さを正確に保ち、切り上げるように留意して下さい。ティンパニのクレッシェンドは始まりがスコアの一より前倒しにならないように気をつけて下さい。

04*28小節2拍目は第1主題第2部を決然と終結させる部分ではありますが、弦楽器は弓を押し付けて汚い音にならないよう、必ず気をつけて下さい。音に力をもたらすのは「響き」です。音の力を妨げるのは、「不必要な圧力」です。

05*「B」は、4小節目以降、クラリネットだけが、第1主題第3部を一貫して吹きます(チェロは8小節目でリタイアします)。吹き始めて7小節目(48小節)で音型・音域とも変わるところで態度が変わってしまってはいけないはずで、ここでも前からのつながりで一貫してテーマをとらえ、全体の設計をリードして下さい。後から入ってくるフルート、オーボエ、ヴァイオリンがとくにここで雰囲気を寸断しがちですし、金管楽器は抑制を忘れる危険度が高くもあります。

06*「C」の経過句、クラリネット、ついでファゴットは、スタカートは確かに大切(特に8分音符に付いたものはアクセント代わりです)ですが、練習ではむしろ、スタカートをとって、付点八分音符と16分音符の長さの比が正確になるように考えて置いて下さい。

07*「D」の、2ndVnとVCの三連符、右肩が暴れると弾けません。弓のバネを利用してくっきりと、しかも、揃えて弾いて下さい。

08*「D」のフルートとクラリネット、先生の要求とうまくかみ合うように頭脳プレーが必要ですが、76小節と77小節(81〜82小節も)が「同じものに聞こえる」ようにブレスの取り方に注意して下さい。フレーズ全体でブレスをとることに気を取られると失敗する確率が高いので、この2小節それぞれ(つまり1小節ずつ)で息を確保できるように計算なさった方がよろしいかと思います。同じことは「M」のクラリネットにも言えます。

09*95小節目の2ndVnのfzは弓を当てる瞬間だけが強いのです。バスケットボールを床に投げつける感覚を思い出して下さい。あとの音は、ボールが自然に弾んでいる、というわけです。ですので、弓の、弦という「床」に対する投げつけ方を、良くご考慮下さい。

10*「E」の2ndVnは全員で揃えて弾かなければなりません。リキんだら、揃いません。顔の力を抜きましょう。眉間の皺は肌を早く老化させます! 鏡で、ここを弾く時のご自分の顔をご覧になってみると良いです。

11*同箇所、木管は、菊地先生がこの間仰った、「スロヴァークがCredoと歌詞を当てはめたテーマ」ですね。10小節からは金管、コントラバスとアンサンブルして下さい。オバカサンなファーストヴァイオリンが多少ずれても無視しましょう! そのほうが芯のしっかりした響きになります。ファゴット、トランペット、トロンボーンは、四分音符の長さ、四分休符の長さを、正確に、均等に吹いて下さい。ディナミークはfです。

12*103小節からのオーボエは、スコアを見ればはっきり分かるのですが、他のパートがアクセントスタカートで演奏していることによって失われる懸念の大きい、オーケストラ全体の「響きの効果(残響では期待できない、色彩としての)」を補うためにつけられています。ですので、一音一音の輪郭がスラーのせいでボケることは許されません。そう言う意味で、目立ちませんが非常に難度の高い箇所です。正しい拍で、しかしよく響かせて(それが聴衆に本当に明確に判別されるわけではありませんが)、ということは必ず念頭に置いて下さい。

13*109小節から。くどいようですが、どのパートも、音符休符の長さは正確にとれるように、1小節を16分割(難しければ少なくとも8分割)で拍を考える習慣付けを、普段から心がけて置いて下さい。

14*111小節からの木管のトリルは「吹奏楽的」でもよいでしょうし、面白いかもしれません。・・・が、もし先生に叱られたらやめといて下さいね!

15*111小節からのトランペット・トロンボーンは、アパチュアを広くとって幅広い音で吹けるよう、口腔内の広さの方で「吹きやすさ」を調節して下さい。くれぐれも、アパチュアを狭めないで下さい。音質が固く、狭くなります。

16*115からのホルンはディナミークがもちろん最重要事項ですが、練習ではマルカートでくっきり吹けることを、まず意識しておきましょう。それが出来て初めて「先生の要求」があれば、それに応えられるようになります。今のうちから「ニュアンス」に走った発想になることは避けて下さい。

17*119小節のトランペットは「遠鳴りのファンファーレ」で、やはりフィナーレ冒頭部を予期しておかなければなりません。適切なタンギングに留意下さい。ppはミュートの効果を上手く利用することを考えた方が、ヘタに口元や息で調整しようとするよりは楽なはずです。

18*「F」部は、冒頭部に付いて記したところを再度、明確に認識し直して下さい。

19*「G」は、クラリネットとホルンで一つの楽器です。夫婦仲が試される? あ、人の割り振り、違ってますか?

20*「G」4小節目からの木管は、弦の弾き方が気に食わなくても、そっくりそのまま弦と同じ「ニュアンス」にして下さい。それで曲がつまらなくなれば弦パートの責任。それが聞き取れるかどうか、弦は試されるのだ、という意識で、木管との「口論」を冷静に進めて下さい。

21*またまた、ですが、163小節からの弦は各音符の長さを正しく! 3:1です!(2:1や4:1ではありません。)

22*165小節から4小節間は、ファゴット・ヴィオラ・チェロで一つの楽器です!

23*170小節からのクラリネットは、薄暗い音色に・・・って、どう吹けば出来るでしょうね? 息漏れの音が聞こえてほしくない箇所です。

24*「H」からはクラリネットとヴィオラで一つの楽器です。フルートはノーテンキで・・・先生がOKするかな?

25*「H」のテーマは、「ホルン五度」で書かれていることから、「田園的」であることを作曲者が意図していることが明白です。「ホルン五度」という音程・響きに対する緊張感は保たなければなりません。緊張感がなければ、「田園風」にもならず、酔っぱらったオヤジが狸に化かされて、幻想の宴会で踊って浮かれて・・・目がさめたら草っぱらの真ん中にいた、っていう民話を地でいくことになりますから、気をつけて下さい。

26*181小節からのオーボエに対しては、フルートは一歩後ろに引いて、ほいほいとおだて役の音頭取りに回って下さい(昭和40年代くらいまでの民謡の映像で三味線弾きのおばさんがやっている姿に、この辺の極意があるのですが・・・見られるのでしたら一度見てみて下さい)。

27*同箇所、1stVnは、その前のフルートの「ノーテンキ」が許されるのでしたら、フルートの雰囲気をそのまま受け継いで下さい。ポジションは、あまり上下する必要はないはずです。181冒頭のEsを1でとることからスタートしてフィンガリングを設計してみて下さい。簡単なものが見つかります。

28*「J」は、(本来、「練習方法」に比喩は望ましくないのかもしれませんが、)快晴だった田園の雲行きが怪しくなってくる部分です。ただ、あまり性急に、これより前の雰囲気を豹変させないよう留意して下さい。具体的には、f一つのところはまだ最強音ではない、ゆとりのある「響き」であることを忘れないで下さい。

29*194小節の2ndVnは決然とはいるし、ffなのですが、トップの責任で、パート内に音程とアインザッツのズレが生じないよう、自制心を忘れないように。

30*196小節からのファゴットはスラー付きですが、このスラーの持つ意味は103小節でのオーボエと同じで、響きを補完してやる相手はチェロとコントラバスです。ですので、1音1音のタイミングは正確でなければなりません。

31*207小節からは練習方法上でいえることはありません。ただし、先生の解釈にきちんとしたがって下さい。トランペットのニュアンスと音の長さ、弦楽器のトレモロのスピード感は要注意です。

32*219小節からのトランペットは、やはりアパチュアが狭まらないよう、口腔を上手くコントロールして、ゆとりのある朗々とした響きでなるようご工夫下さい。これは「ファンファーレ」ではなく、「聖歌」です。忘れないで下さい!

33*同箇所、2ndVnとVlaが音程の正しさのキーを握っています。極力、半音階音程は「指をズラ」さず、「指を入れ替えて」輪郭をしっかり取って下さい。

34*220小節からのトロンボーン、チューバは、音の長さは正しく、しかし音程も正しくとらなければなりません。(練習時に考える・・・脳に信号を送る・・・順番は、この逆に入れかえて下さい。)

35*同箇所、ティンパニはなぜsemple pなのかをよく考えて下さい。molto crescについては、個別に先生と打ち合わせをして適切な場所と量をお決めになることをおすすめします。

36*「L」4小節目からのクラリネット・・・Hさんと対話をして下さいね。。。

37*245小節のチェロとヴィオラのピチカートは、強めで良いので、指先の浅い音、爪のかりっとした音が入らず、芯のある、太い音になるように注意して下さい。

38*「M」のフルート・・・難しいですね! まず、1小節ごとに、3拍目の頭の音に頂点がくるように設計して吹けるようにしておいて下さい。大きいフレーズでの設計は、それが出来てからの話です。

39*「M」のティンパニ、正しいタイミングで。ppですが、きちんと聞こえれば大変に印象的なものです。258小節まででワンフレーズですので、それを考えて、毎小節同じ、になってしまう単調さは避けるよう、「メロディ」としてのイメージをきちんと持って下さいl。

40*267小節からのホルンは「Credo」の変形です。音程、アクセントのアインザッツを2本できちんと合わせて下さい。

41*271小節からのフルートは16分音符が均等に吹けるよう、スラーをすっかりはずす、2音ずつつける、4音ずつつける、2拍ずつつける、の基本練習をよくやっておいて臨んで頂ければ・・・僭越ですが。

42*以下、コーダに付いては「雰囲気まかせ」ということで。(本当はそれではいけないのですが、我々はレコーディングを残すプロ、ではありませんから、いいでしょう?)

第1楽章については以上です。

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2007年10月 5日 (金)

ドヴォルジャーク「交響曲第8番」第1楽章(1)

10月練習にまったく参加できないだけでなく、本番前は事情でほとんどお顔を出せなくなる見込です。
TMFの皆様には心からお詫び申し上げます。
責任をまっとう出来ない、せめてもの埋め合わせを。

ドヴォルジャークの「交響曲第8番」を、この前は「作品全体の有機的つながりを意識下さいますよう」という主旨で綴りました

今回は、第1楽章について綴ります。

「構成」の説明と、「練習上の留意点」を、今日明日の2回に分割します。
内容上、重複する点もあるかもしれませんが、視点は別々です。


とくに、明日予定の後半部分は、普段の練習のときの(先生が「解釈を加える」場合は別として)基本的な演奏技術などについてこまごま分割して箇条書きにしておきますので、もし私の言わんとしていることが皆様のお眼鏡にかなうようでしたら、是非印刷したりスコアやパート譜に書き込んでご活用頂ければありがたく存じます。


今回は「構成」について述べます。

大体の解説に、「ソナタ形式を自由に崩している」という説明がなされているようです。ただ、「ソナタ形式」としているにもかかわらず、「展開部」・「再現部」の位置について、解説者によってバラバラな見解を示しています。
本当は、第1楽章も構成は、人によってそんなにバラバラに捉えなければならないほど複雑ではありません。
かつ、「ソナタ形式」が基本とされていることと、「展開部」の開始位置については明確です。
大間違いを犯している説明は別としまして、問題は、この「展開部」が同時に「再現部」の開始でもある、と見なすかどうか、というところに潜んでいます。

聴けば非常に簡単にわかる話が、文字にすると滅茶苦茶難しくなるのがいやらしいですけれど・・・

答えを先に言えば、

・「展開部」の開始位置は、チェロ等の冒頭のテーマが再び「最初と同じに」開始される部分です。「最初と同じ」なので、一見、「再現部の始まり」と融合させているのですが、厳密に言えば違います。
あくまで、「最初の主題だけは展開部の最初で忠実に<再現されている>」・・・なんだかトリッキーでわけ分かりませんが、ここの意味さえ理解していただければ、以降は氷解します。
「冒頭主題の忠実な再現」が何故なされなければなかったか、は、この<構成>の項目の末尾で述べます。

・で、ひとくさり「冒頭主題の忠実な再現」(くどいな!)が終わると、第1主題の展開がなされます。展開部では第1主題の要素しか使われません。演奏に際しては、この点に充分留意する必要があります。

・「展開部」はトランペットが「冒頭主題」を朗々と歌い上げたところで締めくくられます。

・「再現部」では、「冒頭主題」はもう「再現」されません。「展開部」の道具として使ってしまったため、ここで再度用いると音楽的にくどくなるのを回避したものと思われます(ホントのところは最後に述べます)。

・「再現部」は、コルアングレのソロで始まりますが、第1主題の再現は、一見「展開の残滓」と思えるように色付けしなおされていますので、これが、この個所が「再現部」の始点であることをボカしている最大の要因です。かつ、第1主題の全体像も、「展開部」で<もう満腹!>というほどに展開されきっているため、かなり短縮したかたちでしか再現をしていません。第2主題は、副主題を加えたりして、これもカラーリングを変更していますが、流れは「呈示部」での第2主題の、ほぼ忠実な再現です。

・第2主題の再現を終えた延長で、コーダに入ります。この部分のオーケストレーションの参考曲としては、「スラヴ舞曲集」第2集第2曲(有名なホ短調)を参照しておくことをおすすめいたします。

ここで、ちょっと、次のネウマ譜を見て下さい。

Dvneuma_2
読み方はこちらにリンクした記事で分かりますので、これをもとに読んでみて下さい。

これは、チェコに伝わる、古い聖歌です。

・・・というのは、ウソです!

意地悪しないで、これも種を明かすと、チェロ等の奏でる「冒頭主題」です。
ただ、ネウマにした方(やり方は出鱈目なので、ちゃんとした知識をお持ちの方に見られてしまうのは恥ずかしいのですが)の譜面を見て頂くと、この主題、「ト短調」ではなくて、「ミの旋法(デウテルス)」であることが、はっきりと分かります。
ですので、主題を締めくくるD音(これが「ミ」にあたります)は、次の主題要素に繋ぐための「半終止」音ではなくて、主題そのものがいったんここで完結していることを示す「終止音」です
つまり、第1主題は構成要素が多く、この「冒頭主題」もその一部ではあるのですが、実質上は以降の主題要素からは独立しています。
「展開部」の冒頭で、彼は2度目の礼拝を済ませるのです。
「再現部」でもそれをしてしまうのは・・・「展開部」の規模がそこそこあるだけにくどいと考えたかもしれません。その代わり、コルアングレの響きに「敬虔な精神」を集約させたもの、と捉えれば、充分でしょう。
ドヴォルジャークにしてみれば、彼はここで、まず「この交響曲は敬虔な信仰から生み出されたものなのです」という主張をしておきたかったのではないでしょうか?・・・確かに、あらためて眺めると、非常に中世的な、宗教的な旋律です。

ついでながら、それでもこの「聖歌」を調性構造の中に取り込まなければならなかったため、ドヴォルジャークは和声付けには一工夫凝らしています。その最初の2フレーズ分を五線譜にまとめてみましたので、最後に、この図をご覧下さい。

Dvcode_2

練習のポイントではないかと思って拾っておいた事柄をメモしておきましたので、体調が許せば明日にはそれを列挙します。できることなら明日のそちらの方を、より重要だとお考え下さいね。

なお、自然を謳歌していると聞こえる部分については作品91〜93の序曲3連作(「自然の王国で」・「謝肉祭」・「オセロ」)を、宗教的雰囲気については(「スタバート・マーテル」のような大作もありますが)交響詩「フス教徒」を、一度耳にしてみて下さい。「フス教徒」をお聴きになる場合は、スメタナの「ターボル」(『我が祖国』第5曲)も比較対照にしてみると良いでしょう。

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2007年10月 4日 (木)

ハイドン観察:交響曲(4)エステルハージ時代以前の交響曲-2

ハイドン観察:交響曲(0)
ハイドン観察:交響曲(1):交響曲以前(成長過程)
ハイドン観察:交響曲(2)エステルハージ時代以前の交響曲-2
ハイドン観察:交響曲(3)第1番



ガイリンガーの記した、ロビンズ=ランドン推定の順番により、3回ほどで6曲ずつの初期交響曲を眺めていきたいと思いますが、第1番については既に記しましたので、続く6曲から取り掛かりましょう。

ロビンズ=ランドンが検討した結果ならべた順番は次のとおりでした。
・第37番(C)〜I.Presto II.Menuet III.Andante IV.Presto
・第18番(G)〜I.Andante maestoso II.Allegro molto III.Tempo di Menuet
・?第19番(D)〜I.Allegro molto II.Andante III.Presto
・第2番(C)〜I.Allegro II.Andante III.Finale-Presto
・?第108番(交響曲B)(B)?〜I.Allegro molto II.Menuetto Allegretto III.Andante IV.Finale-Presto
・?第16番(B)〜I.Allegro II.Andante III.Finale-Presto
(実際には、「ここに位置付けていいのかどうか」を留保しているものもあります。)

これを、前回プロトタイプと見なした「第1番」と、使用されている技法面、音楽構造面(主観が紛れ込むのが難点ですが)から、本当にこの順番なのかどうか、素人目で見直してみよう、という狙いです。

学者さんが順番を「決める」に当たっては、用紙研究、関連原典(自筆譜がなければ残存する筆写譜やパート譜)の記載内容と所在(現所在というよりはその保管場所の移動の確認)などを含めて総合的に判断をなさっているはずで、基本的に私が綴るような素人観察よりは妥当性が高いとは思うのですが、音楽の内容で確認を取る、ということについては案外なされていないのではなかろうか、という疑問が、常に頭をよぎります。今回の6曲を検討するに当たっても、技法面などで多少の「入れ違い」があるのではないか、と感じる面がありました。

で、私が感じ取った上記6曲の順番は、次のとおりです。
・第2番(C)
・第18番(G)
・第19番(D)
・(第1番(D)は実はここら辺に入る?)
・第16番(B)
・第37番(C)
・第108番(交響曲B)(B)

理由として、各作品の「様式(技法と構造、あるいは楽想や完成・充実度)」を観察したコメントを、なるべく簡単に記します。なお、各楽章の速度記号については冒頭のロビンズ=ランドンのリストを参照して下さい。

その前に、第1番でハイドンが用いていた手法を簡単に省みておきましょう(詳細はリンク先の記事をご参照下さい)。
※マンハイム・ロケット=急速なクレッシェンド
※複構造的主題
※「翳りの手法」〜記事中では用いませんでしたが、部分的な短調への転化をこう呼びましょう。
※「積み重ねの技法」同一動機を、基本的には2度上、さらに2度上へと積み重ねていく
※単一主題による(ジーグないし派生した舞曲をもととした)終楽章

以上を中心に着目すると、各作品の用いている「技法・構造ないし楽想」は次の通りです。
この順番に、ハイドンの技量が上がっていっているように、私の耳には聞こえます。

・第2番(C)
I.前古典風の重めの主題により、動きが少ない。わずかに「翳りの技法」
II.通奏低音無しでは「二重奏」になってしまう。トリオソナタの楽章の応用と見るべき。「翳りの手法」を使用
III.ジーグ風。中間部を短調にし、わずかながら「ロンド」を意識している。

・第18番(G)
I.ゆったり始まるのは<実験>か? 前古典風(バロックに近い)。「積み重ねの手法」を活用。
II.むしろ「冒頭楽章」ではないか、という感じ。行く分定型的で、「翳りの技法」がない。
III.ゆったりしたメヌエットでバランスを図ったか? 中間部は短調

・第19番(D)
I.切れのいいはずの上行三和音で開始する割に地味。展開部の「翳りの技法」は「かたちだけ」。展開部後半に「マンハイム・ロケット」あり。ホルンを意図的に活用
II.短調楽章(モーツァルトの1番の中間楽章よりは動的で、「青年のひそやかな不安感」。シンコペーションが印象的。後半部の上昇型で本領発揮、2番や18番より成熟度が高い。
III.幾分、イタリア風を意識したか、底抜けに明るい。ロンド形式に近づいているが、基本的には単一主題で、「翳りの技法」を活用。

・第16番
I.冒頭、pで高音・低音が違うモチーフを奏するが、fに転じたとき入れ替える。ここに手法的な熟練を印象づけられる。疑似フーガの使用。呈示部終結部にマンハイム・ロケット使用。展開部に短いが印象的な「翳りの技法」の使用。
II.con sordinoによる、本来の意味での「セレナータ(恋の歌)」。チェンバロ無しにはセレナータになり得ない(と思う)。
III.擬似的なロンド(後年、ロンドソナタ形式と呼ばれるものの原型)だが、単一主題。

・第37番
I.大人びて安定した第1主題。第2主題に「翳りの技法」。展開部は極度に短いが、くどさを避けるには効果的だったか。
II.のびのびしたメヌエットだが、個性的ではない。トリオは短調(18番と同じ)
III.短調楽章(19番に同じ)。「積み重ねの技法」。ひそみ足的な主題は、やはり「成人」のもの。
IV.2つの主題を用いた、ロンドソナタ形式。fとpの入れ替わりを効果的に活用。

・第108番(交響曲B)〜これまで見て来た中では、はじめて「高音域ホルン」を用いた作品。
I.初期のハイドンらしからぬ、伸び伸びとした主題だが、前古典的な動きをする。第2主題は存在しないか、明確な区分がない。展開部に「翳りの技法」。終結部は「紋切り型」。
II.高音域ホルンの効果で明るいメヌエットとなっている。管楽器のがこれまでの中で初めて高い独立性を示す。トリオは短調ではなく、転調で雰囲気を変え、独立ファゴットを活躍させる。
III.叙情性が強いシチリアーノ(シシリエンヌ)〜但し、明記せず。
IV.初の2拍子系フィナーレ。簡潔なソナタ形式で、短いが爽やか。


以上、作品に用いる技法が(通常の創作心理であれば、「自作はもう一歩進めてみようか」という発想が自然でしょう?)どのように展開してきたかを改めて見直してみると、まだ37番の位置づけに困ってはいますが(18番と19番の間かもしれない)、私としてはどうしてもロビンズ=ランドンとは別の、上記のような創作順を想定したい衝動に駆られます。楽章が4つに増加する過程も、この方が納得がいく気がします。仮に37番の位置が違っても、18番の実験精神の延長と考える余地がありますし。

また、エステルハージ家時代に突入する前で、まだ三分の一を見ただけですから、通奏低音云々する必要には当面迫られはしないのですが、上記第16番の「セレナータ」的楽章、第2番緩徐楽章(実質的に二重奏であることは「交響曲」というネーミングからは想定不可能でしょうから、少なくともトリオソナタ形態の延長として捉えるのが本筋だとしか考えられません)の存在は、少なくとも、モルツィン家奉公時代までのハイドンは、「交響曲」作曲時には、「通奏低音としてのチェンバロ」の存在をまったく念頭におかなかった、ということがありえないことは、断言してよいと思います。

残り12曲がどうであるか、を見た上でないと「確信犯」はおかしきれませんが、とりあえずはここまでを次回以降の踏み台にしたいと存じます。

なお、2、3曲ないしは6曲セットは「出版を前提としない限り考える必要がなかった」との話もあるようですが・・・これについてはまた別途考察しましょう。
ただし、少なくとも、今回見直した順番では、最初の3曲にはC-G-Dと、属調を上昇する計画性を見て取ることも可能かもしれません。ただし、この期間の交響曲はあと12曲残っていますから、いずれにしても「セット問題」を論ずるのは早すぎますね。

(音をつけるつもりでしたが、ゆとりがありませんでした。後日、もしつけられたらご報告します。お約束違反ですみません。)

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2007年10月 3日 (水)

忘れ得ぬ音楽家:4)ロストロポーヴィチ

アマチュアオーケストラを通じて知り合った家内でしたが、結婚のお披露目の時以外には、娘が大きくなったころに町内会の文化祭で3度ほどピアノ伴奏してもらってヴァイオリンの簡単な曲をいくつか弾いただけで、家で音楽を一緒に楽しむことはありませんでした。

子供がすぐ生まれましたので、二人でコンサートに行く機会も稀でした。
下の子が生まれてからは、家内はオーケストラの練習に一緒に来ることもなくなりました。
年2回の合宿だけは、せめて家族旅行代わりに、と、家族4人で出かけましたが。

そんな、数少ない、二人で楽しんだコンサートは、名前も知らないロシアの合唱団(これは見事でした。団体名を忘れたのが返す返す残念ですが、CDを出すようなメジャーなグループではありませんでした。それでも、バスの独唱は伝説のシャリアーピンの低音のように、口を開いたとたん、声を発する前にはもう、会場の空気が波立つ素晴らしさでした)、ルーマニアの小さなオーケストラ(第1ヴァイオリンが10人しかいないのに、響きのバランスの大変良い「新世界から」を演奏しました)、そして、最も印象的だったのが、新日本フィルハーモニーを指揮したロストロポーヴィチでした。

チェリストとしてのロストロポーヴィチには、残念ながらナマで接したことはありません。
ですが、彼の残した「バッハ:無伴奏チェロ組曲」のDVDは、一作一作に、彼お得意のピアノを使って作品解説をしている親切な映像である上、24歳でこの組曲を演奏し当時のソ連で栄誉ある賞を獲得しただけあって、本番演奏部分も目を見張るほどの緊張感をもって弾ききっています。

彼が1998年にロンドン交響楽団と残したショスタコーヴィチの交響曲第4番のライヴ録音には、ショスタコーヴィチが第4のために書いた初稿を演奏する旨をわかりやすい英語で会場に説明している声が入っていて、その声のには、自身の演奏に対する厳しさとは対照的な、豊かな優しさが漂っています。(このCDの存在は、ふるたこさんのサイトで知りました。)

特段、身近に接したわけではありませんが、家内と二人で「目撃」したロストロポーヴィチは、指揮大に駆け上って客席に向かいお辞儀すると、遠目にもはっきりするほどの笑顔で、すでに会場全体を魅了してしまったのでした。
「徳のある音楽家にはオーラというものがあるのだな」
・・・つくづく、そう思いました。
   隣で、家内も溜息を漏らしていたのを覚えています。

オーラは客席にだけ向けられたものではありませんでした。
この日の新日フィルの演奏したチャイコフスキーの交響曲第1番「冬の日の幻想」は、楽団員ひとりひとりが体から北風と吹雪と、そしてそれだけでなく、厳しい自然の中に優しく微笑んで春を約束する柔らかな太陽の光を発するという、まことに不可思議な、異次元的な世界を作り出しさえしたのでした。

亡くなって既に半年(命日の4月27日は、私の家内の命日の4ヶ月と1日後です)、彼のこの思い出をどう語ったら良いのか分からずにきましたが、良い本も出まして、それを立ち読みしたら、やはり綴りたくなって仕方ありませんでした。

北国には今年もまた、厳しい冬が訪れます。
それでも、太陽は必ず、
「今度は去年より一層素晴らしい春が来るよ」
と約束してくれることでしょう。

栄光のチェリスト ロストロポーヴィチ

ロストロポーヴィチ―チェロを抱えた平和の闘士Bookロストロポーヴィチ―チェロを抱えた平和の闘士


著者:ソフィア ヘントヴァ

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2007年10月 2日 (火)

モーツァルト:「牧人の王」K.208

ここまで読んできたモーツァルト作品の個々へのリンクを作成し直しました。ご利用下さい。



1775年3月7日、「偽の女庭師」上演を一通り終えたモーツァルト父子は、ザルツブルクに帰り着きます。
2幕のセレナータ「牧人の王 Il re pastore」の作曲は、ザルツブルク帰着後間もなく始められたのではないか、と考えられているようです。台本は、後述の通り、既にミュンヘンで選定を終え、持ち帰っていたのではないかと思われています。

音楽劇が何故「セレナータ」と呼ばれたかについては、目を通した限りの日本語文献には記載がありませんでした(類似の作品にはクリスチャン・バッハのセレナータ「エンディミオーネ」があります)。ある事典(原典は欧文献)に「声楽による小規模な敬礼カンタータをさす場合がある」との記述をやっと見いだしただけで、謂れが分かりません(現に、上演時の主賓であるマクシミリアン大公の『旅行日誌』・・・同行者のハルデック伯爵がつけていた・・・では「カンタータ」と呼ばれています)。この点は、もしご存知でしたらご教示頂ければありがたく存じます。ちなみに、新モーツァルト全集(NMA)の注釈(第5分冊)の注釈によれば、アンガーミュラーによる研究があり、それには「伝統的な呼称」であるとの結論が記載されているようです。詳細に目を通したいところです。
なお、マクシミリアン大公は、パリに姉マリ=アントワネットを訪ねた帰路にザルツブルクへ立ち寄った、とされています(検証していません)。

上演自体は4月24日、女帝マリア・テレジアの末子でザルツブルクを来訪していたマクシミリアン・フランツ大公のために行われました。(有名な絵画『大礼服を着たモーツァルト』で幼いモーツァルトが着ている<大礼服>は、このマクシミリアンのものでした。)
台本はメタスタジオが1751年に作曲家ボンノ(映画『アマデウス』の中では凡庸な人物としてちょい役扱いされていますが、ウィーン宮廷音楽家の中では長く高い地位を保った人でしたから、実際には有能な人だったのではないかと思います)のために作った3幕もので、同じ台本にはウッティーニ(?)、ハッセ(1755)、グルック(1756)、サルティ(1751?)、マッツォーニ(1757)、ランプニャーニ(1758)、ガルッピ(1762)、ピッチンニ(ピッチーニ、1765)と、有名無名の多くの作曲家が既に曲を付けています。

モーツァルトは2幕の短縮版を台本に用いましたし、詩句も数ヶ所改変しているとのことですが(NMA第5分冊1185-1187頁に詳述)、短縮版を用いるにあたっては、1769年、皇帝ヨーゼフ2世のためにミュンヘンで上演されたグリエルミの短縮版『牧人の王』によったのではないかと推定されています。また、直接的にモーツァルトに影響を与え、その台本を持ち帰らせることになったのは、やはり前年の74年にミュンヘンで演じられたガルッピによる『牧人の王』だったかと思われます。


今日のこの作品への評価にも、アルフレート・アインシュタインが「コンチェルト的」と決めつけたその言葉が大きく影を落としており、
「いい作品だが器楽的」
との記載が目につきます。事実、3番目のアリアは、冒頭部が同じ年の9月に作曲されたヴァイオリン協奏曲第3番に応用されているのがはっきり聞き取れます。

ですが、こうした評価は決して作品の価値を低く見たものではありません。
ただ、アインシュタインは「交響曲」という器楽を基準に他のモーツァルト作品を観察する方法をとる傾向が強かったことに注意しなければなりません。

現実には、『牧人の王』には、器楽的、ではなく、当然声楽を中心として構成されている面での新工夫に目を向けるべきであり、かつ「コンチェルト的」の言葉を当てはめるなら、アインシュタインの意図するところとは見方を変え、「声楽コンチェルト的」といういい方をしなければならないと思います。

とりわけ見事なのは、序曲が(アインシュタインや海老澤氏は「初の単一楽章序曲」としていますが、私は正しくないと考えます。あくまで「イタリア風序曲」の変形で、前作「偽の女庭師」序曲と同じ系列に属します)第2楽章に入った、と思わせておきながら、そのままアミンタ(=舞台であるフェニキアの町シドンの王の後裔だが、本人はそれと知らず牧童生活を続けている)のさわやかなアリアへと入ってしまう〜しかも、このアリアも完全に終結せぬまま、続くレシタティーヴォへと突入する、という、聴衆に息も継がせない音楽の連続の部分です。モーツァルトは、これにより、開幕からすぐに、人びとの耳を引きつけることに成功したものと思われ、「牧人の王」は後年まで彼の自信作であり続け、一時は恋する人として熱中したアロイジア・ウェーバーにも歌ってもらったほどです。

また、終幕のフィナーレも、「コジ・ファン・トゥッテ」を思わせる豊かな味わいを持っています。


配役は以下のとおり:
・アレッサンドロ(テノール、アレクサンダー大王)
・アミンタ(ソプラノ、初演時はおそらくカストラート。シドンの王の後裔)
・エリザ(ソプラノ、アミンタの恋人、羊飼いの娘)
・タミーリ(ソプラノ、シドンの前僭主の娘)
・アジェーノレ(シドンの貴族でアレッサンドロに服属)

ソプラノ3人、テノール2人、というこの配役、実は前日やはりマクシミリアン大公のために上演された、ザルツブルクの楽長フィシェッティのセレナータ『贖罪の園々』(で、タイトル合ってるかなあ?)の編成と同じであることが判明している・・・のだったと思って記載典拠を探し直したのですが見つけ損ねました。間違っていたらごめんなさい。後で直します。


作品そのものは70分から90分の間で演奏できる、比較的短いもので、ストーリー自体は単純です。
アレクサンダー大王は、シドンの王の末裔を、前僭主に替えてシドンの統治者としようとし、アミンタを見つけ出して会話を交わし、アミンタの清らかな心に打たれてその即位に邁進します。その際、前僭主の娘タミーリの存在を知り、彼女こそ王位にふさわしい、と、アミンタとタミーリを結婚させようとします。が、アミンタにはエリザという、タミーリにはアジェノーレという想い人が、既にそれぞれいました。しかし、アレッサンドロに忠実なアジェノーレは、タミーリと自分の恋についてアレッサンドロに告げることが出来ません。
いざアミンタの戴冠という時、アミンタは「王国よりもエリザを!」と、戴冠を拒みます。アレッサンドロは自分のために尽力して来てくれたアジェノーレがタミーリと恋仲だったことも知り、結局は新王アミンタにエリザを、アジェノーレにはタミーリをめあわせます。

最初のアリア(アミンタ)を、アーノンクール盤からお聴き頂いて、この記事を終えさせて頂きます。

なお、マリナー指揮アカデミーの演奏での映像が出ており(新品はなさそう・・・)、最近の斬新な演出よりは私は好きです。
演出も単純に伝統的ではなく、歌い手が常に従僕を従えて脇に控えており、自分の番が来ると中央の舞台にでる、という、収録された1989年としては楽しいものです。

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2007年10月 1日 (月)

曲解音楽史21:諸聖歌の背景(1)グレゴリオ聖歌

前の回:1)音という手段  2)リズムの成立 3)音程から音階へ
    4)言葉と音楽   5)トランス   6)古代メソポタミア
    7)古代エジプト 8)古代インド   9)古代中国 10)古代ギリシア
    11)古代ローマ  12)初期キリスト教の聖歌について
    13)ササン朝ペルシャ    14)西暦5,6世紀ユーラシア音楽横断
    15)中世前半の西ユーラシア   16)唐朝と朝鮮・日本 17)「声明」の伝来
     18)モンゴルと中央アジア北方 19)「十字軍時代」の西ユーラシア
     20)日本固有(?)の古歌



西ユーラシアについては。これまでまとめてみてきましたので、ここで地域をヨーロッパに絞っておきましょう。
とくに大事な「グレゴリオ聖歌」に触れておかなければならないでしょうから。

「グレゴリオ聖歌」を瞥見しただけでは、ヨーロッパ圏のキリスト教普及の一断面しか見えないのですが、一方で、その後20世紀にいたって世界を席巻することになるヨーッロッパ音楽の「仕組み」が如何に確立されたのか、という、極めて大切なことを考える上では絶対に単純に通り過ぎていい音楽ではありません。

音楽理論は、先に古代中国・インド・ペルシアで非常に細やかに体系づけられましたし、これらの国々、およびその文化圏は、いまでもそれに沿った伝統音楽が活き活きといのちを保っています。

ヨーロッパについては、古代ギリシャでいったん確立された音楽理論は、実質上、西ローマ帝国崩壊までにはその伝統が絶たれてしまいました。

中世ヨーロッパ人は、文献を通じ、それをあらためて体系づけていくことになり、さらにはその理論は音階音響論の垣根を超え、対位法理論や和声理論へ、と、他世界では考えられもしなかった方向へと発展を遂げていきました。

とはいえ、中世ヨーロッパ人が「復興」を試みたギリシャの音楽理論は、本来のものとは全く異なっていることが、今日では分かっています。
しかしながら、結果的にはその間違いが、ヨーロッパ音楽を多様な世界に導く結果をもたらしたと言っていいでしょう。

復興の柱として、まずヨーロッパ世界に普及していた音楽は、極めて単純だったものだったのではないか、という印象が、私にはあります。
それは、「グレゴリオ聖歌」が系統立てた「歌唱のための、あるいは記譜のための約束事」が、極めて分かりやすいことからの類推です。

「グレゴリオ聖歌」そのものについては、日本語で読める、分かりやすい文献も増えました。
ですが、それらの書籍は決して安価ではありませんから、現実には、CDで聞かれる以外には、まだまだ「より突っ込んで」グレゴリオ聖歌を知ってみよう、という人口は少ないのではないかと思います。

私自身、聖歌の変遷史を追いかけることができるほど知識があるわけでもありません。いや、基礎の基礎もろくろく知りません。

そこで、「聖歌」が歌い継がれる中で確立されていった「ミサ」の式次第については前に記した別の記事に譲り、ここでは「グレゴリオ聖歌」を歌う上での約束事である「調」と「楽譜・音符・譜面」をご紹介し、読んで下さる方の今後のご理解に資することをのみ願って綴ることと致します。

前提として、「グレゴリオ聖歌」に使われている4線譜の読み方については、こちらにリンクした記事をお読み下さい。

なお、調・音符の図版は「現代聖歌学に基づくグレゴリオ聖歌の歌唱法」(カルディーヌ著、水谷訳)、譜面の図版は日本におけるグレゴリオ聖歌指導書(?)の嚆矢、水嶋良雄著「グレゴリオ聖歌」によります。


1)調

「調」と呼ぶよりは「旋法」と呼ぶのが正しいでしょう。それは、「聖歌」は固定した音の高さではなく、集まった歌い手が歌いやすい音域に自由に高さを移動して歌ったからで、「調」と呼んでしまっては、後年の長調・短調との混同も懸念されますし、東洋的な「調」絶対音高を前提としていますから、それとの違いも不明確になってしまうからです。
こんにち「教会調」と呼ばれる8旋法が「ドリア・フリギア・リディア・ミクソリディア(以上、正格)、ヒポドリア・ヒポフリギア・ヒポリディア・ヒポミクソドリア(以上、変格)」と呼ばれるようになったのはのちのこと(ただしくいつからか、は私には確認しきれませんでしたが、9〜10世紀ごろのことだそうです(詳しいことをご存知の方のご教示をお待ちしております)。
しかし、本来は下の引用図の通り4旋法であり、正格・変格に区分するよりも、この4区分のままで捉える方が良いと思われる、と、カルディーヌ神父は述べています。
Senpou1_2
Seupou2



2)音符

引用図は「単純ネウマ」と呼ばれるものに限りましたが、これだけで、あとは楽譜の読み方のルールが分かりさえすれば、4線譜は、むしろ今の学校で習う五線譜より読みやすいと思います。また、図版は「音高」を記すことになる以前のネウマがどのようなものであったかも併記してあり、貴重です。
音の高さの読み方については次項を参照して下さい。
Neuma1



3)楽譜(譜面)

読む上での簡単な約束事はここにリンクした記事をご覧下さい。
次にあげるのは、具体的な曲の例です。
各行の末尾に小さな音符が描かれているのにお気づきかと思いますが、これは、次の行がどの音程から歌い始められるかを表す記号で、「ギドン」と呼ばれます。
Quique_2
この楽譜の歌唱例をお聴き下さい。


〜"CANTO GREGORIANO" CD7 ( Documents 222688

話はそれますけれど、この10枚組のCD、かなりのマニアの方には「変な歌い方のものも混じっている」と不評なのですが、この歌唱についてはそうした懸念は不要ですし、かつ、日本の私たちが世界中の「グレゴリオ聖歌の歌い方」を知悉できるわけではありませんから、そうしたマニアックな評価をしてしまっていいのか・・・同じことは、実は日本の民謡のCDにも言えるのです・・・私は疑問に思っております。

・・・というわけで、今回は例示に留めました。

現代聖歌学に基づくグレゴリオ聖歌の歌唱法Book現代聖歌学に基づくグレゴリオ聖歌の歌唱法


著者:ユージェーヌ カルディーヌ

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Bookグレゴリオ聖歌


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