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2007年10月24日 (水)

Finlandia(フィンランディア)

うつくしくて有名な を含む作品です。(色の変わったところを右クリックすると別ウィンドウで聴けます。)
中学の卒業式で合唱させられて、「つまんねー」と思ったものでした(音楽の先生、嫌いでした)。でも、クラシックから出来るJ-POPは、「ジュピター」から間が空きましたから・・・この曲なんか、どうですかねー。タイトルは工夫がいりそうだけれど。



と、気楽に始めてしまいました。以下は少々固いので、これだけ聴いて「いいなー」と思って頂けただけで、まずは嬉しいです。
TMFのかた、ドヴォルジャークの終楽章は後回しになりました。すみません。
かつ、以下の話も、2段階に分けます。

長いので、「あ、ここまででいいや」というところまでお読み下さいね(除く演奏者)。



屁理屈第1弾。

「自分は間違っていない」と人に譲れない人は不幸ではないかしら。自分という檻から永久に逃れられないからです。「人に譲ってばかり」もまた、不幸ではないかな。毎晩、寝床まで奪われてしまって、休らう場所がないから。
「自分は言い分を変えたことがない」と主張する人、これまた不幸かも知れません。本当はゴムボールより柔らかく自由に弾めるかも知れないアタマの中身を、あなたはみすみす石に変えて、水底に沈みっぱなしにしてしまっていやしないでしょうか。じゃあ、「あたしはいつも臨機応変よ」って人は?・・・たくさんの恋人に恵まれ、たくさんの恋人を幸せにできる素晴らしい人なのかも知れません。が、相手はそれぞれ、じつは「あなただけが恋人なんだ」と思っています。そのなかのAさんとBさんが、もしあなたの「臨機応変」に気づいたら、AさんもBさんも大切なのに、そのいずれかを失うか、どちらをも失うか、然らずんばあなた自身が苦悶の末の「心の死」を迎えなければならない。

でも、ものは考えようで、こうしたものを含めて「不幸」を抱えることも、案外おおいに結構なことなのかもしれません。
自分の「不幸」に、その理由に本当に気づいた時に待っているのは、大きな苦しみです。けれど、真剣に苦しみ抜くことは「幸せ探し」の大切な過程です。結果は、分かりません。でも、「幸せ」とはなんなのか、がしっかりこの目に見える日を願わずにいられなくなってはじめて、わたしたちは生きていることの本当の意味を知る入口に一歩だけでも進むことができる。たとえばカフカがある短編で描いているように、その門が永遠に開かないものだったとしても、その前に座して耐えることが出来るようになる・・・(なんだか、自分のために綴ってしまっているような気がしないでもありませんが)。

ここに、上に一部を引用した作品の演奏を4つ挙げます(聴く方法は最初と一緒です)。
お聴きになるだけで充分、というかたは、私がテキトーにつけた「見出し」から好みに合いそうなものを一つだけお選びになって、「案外いいじゃん」とか、「しょせんこんなもんかいな」とか、自由に感じて頂くだけでも結構です。何せ、同じ曲なのに、1つ聴くだけで8分以上かかります。標準的なポップスの倍ですね。ただ、先の「不幸論もどき」に照らし合わせて、「クラシック」だとかなんだとかいう、いわゆる「ジャンル」などというものは人が勝手につけたものに過ぎない、いいものはいいし、よくないものはよくない、世の中にはそれしかない、判断するのは自分しかない、というところに思いを致して頂ければ、幸いです。
かつ、聴いていて
「まあまあいいんだけど、ちょっとここは気になるなあ」
という個所があったとしたら・・・お聴きになった演奏は、そこに「不幸」を抱えているのです。
(この曲をこれから演奏するんだ、という方にはなおさら、そのことに傾聴頂きたいと存じます。ですので、演奏に臨むかたには4つとも聴いて頂きたいのです。演奏の抱える「不幸」については、そのあとで述べます。)

演奏を目的としない方は、次の4つのうちの「一つだけ」から「四つ全部」までを自由に選んでお聴き下さい。
そこまでなさって下さっただけで、とりあえずではありますが、心から感謝申し上げます。
()の中は、演奏している団体がある国です。(具体的な団体名は、記事の最後に明かします。なお、容量削減のためモノラルにしてありますが、パソコンで聴く分には問題がなさそうですので、ご寛容に願います。)




曲目は、シベリウスという人の作った「フィンランディア」です。
故国では第二の国歌として愛されています。(国歌がシンボルたり得ないどこぞの国とは大違い!)

念のため申し上げますが、皮肉っぽい「見出し」にはしていますけれど、どれも「名演奏」ではあります。アマチュアが悪口を言える類いのものでは、本来はありません。「見出し」は<野次馬的好奇心>をそそって頂くための、仮のものに過ぎません。

では、「聴衆」で充分のかた、ありがとうございました。

「演奏する」かたは、屁理屈第2弾までお付き合い願えれば、と存じます。


屁理屈第2弾

「演奏」には(本来はジャズだろうがロックだろうが民謡だろうがなんだろうが)、たとえアマチュアであろうとも、本当に楽しみたい場合、ましてやお客様を前にする場合には、複雑怪奇なことをいっぱい考え、訓練しなければなりません。
小難しいことを考えずもとも「カラオケなら上手いぜ」という話もあるのですが、これにはまた面白い例がありますので、機会があれば綴ります。
いま、必ずしもそうしなければならないわけではないのですが、まずは、「カラオケが上手い」ケースについては、忘れて下さい。

で、複雑怪奇なことは、きりがないので、後でご自身で試行錯誤なさって下さい。

ここで問題にしたいのは、「響き」についてです。
たったこれだけでも、もっと沢山の要素についていちいち検討するのが筋ではあります。

ですが、<和声>と<タイミング>で、どこまで「響き」が変わるか、についてのみ、例をお聴きになりながら考えて頂くだけで、かなり有益ではないかと思いますので、先の演奏に、それぞれ耳を傾けておくべき最小限の箇所についてコメントを付けて置きます。
お聴きになりながら、是非、ご熟考下さい。

ポイント地点は、次のものに絞ります。(後ろに記した数字は、その場所の小節番号。使用スコアはブライトコップフ&ヘルテル1987年発行版)

ポイント(1):冒頭の金管のコラール(1~23)
ポイント(2):続く木管のコラール(24〜29)
ポイント(3):木管から弦、トロンボーンへのつなぎ(53〜62)
ポイント(4):練習記号D、金管のタイミング(74〜77)
ポイント(5):練習記号F、特に木管とホルンのバランス(99〜106)
ポイント(6):練習記号I、最初に引用した木管と続く弦の旋律(132〜178)

なお、特記しませんが、打楽器の音質が「響き」をいかに劇的に変えるか、にもご傾注頂きたいと思います。ティンパニの音程と(おそらく)鼓面の質、大太鼓の張り、トライアングル、シンバル・・・どれもが重要であることをこれほど雄弁に教えてくれる作品は、なかなかないと思います。

また、2番目の演奏を除き、私には冒頭のホルン1、3番の音程が高すぎて聞こえるのですが、これは私の耳の癖かもしれません。かつ、金管系の楽器は、フォルテ、フォルテシモになると、並の奏者はむしろ音程が下がるので(たとえばワーグナー「リエンチ」序曲冒頭のトランペットでそれを自覚的に経験し、苦労した方にはよくお分かりになるはずです)、音程が高いことは、これらの演奏の奏者たちは、むしろ技量は高いということを物語っています。

では、特徴を列挙していきます。


(1):冒頭から、楽器毎の音色が孤立せず溶け合うよう制御している
(2):金管の音程を(一瞬ふらつくが)引き継ぎ、やはり楽器別の音色を分離させない
(3):オーボエは音が立ちやすいにもかかわらず、(2)同様の配慮を怠っていない
(4):チューバは最初だけであとはトリルに変じる箇所だが、それを含め、竪の線が
  しっかりそろっている
(5):譜面上、木管はスラー付き、ホルンはスラー無しだが、
  ホルンのスラー無しを尊重することで、全体が揃って聞こえるよう配慮している
(6):(2)同様の配慮をしている。
・・・すなわち、全般に、各楽器固有の音色が極力分離して聞こえないよう心がけていると同時に、
   木管、金管、(打楽器、)弦各セクションで音程、和声の聞こえかたが変化しないよう
   かなり強力に統制しています。
   (好みでいえば、テンポに不満な箇所がないわけではありませんが・・・)


(1):冒頭の和音各音の間隔を幅広めにとり、先の演奏より荘重感が出ている
(2):先の演奏よりも確実に、金管の音程を引き継いでいるが、和声がバラけ、音楽が崩れる
(3):2番オーボエが低すぎることが発端で、やはり音楽が集約されない
(4):テンポ設定が急激に変わっているのに、金管のリズムがついていけず、不揃い
(5):木管はスラーを、ホルンはスラー無しを守ろうとし過ぎ、乱れて聞こえる結果を招いた
(6):オーボエの主旋律だけを尊重したのか、和声にふくよかさがない
・・・解釈としては最も面白いし、読みが深いのですけれど、「響き」の点では完全に失敗です。


(1):ディナミークの問題が絡むが、スコア指示をワンランク落とす演出で成功している
(2):・・・が、ここで木管全体が低い音程になり、接続が非常に悪い
(3):これも2番オーボエが低い気がするが・・・かつ、(2)より集中力が落ちている
  もっと困るのは、(2)で低くなった音程を金管と弦がかばって低く受け継いでくれているのに、
  ここへ来るとまたもっと音程が下がってしまう
(4):線はそろっているが・・・揃えることに気を取られすぎて硬くなっていないか?
(5):木管のスラーを基本的に外すことで、全体がそろって聞こえるようにしている。
  これに関しては、むしろ「基準演奏」より木管の存在価値が発揮されている
(6):・・・ねえ、だから、どうして音程が下がって、しかも各楽器バラバラな音色なの?


(1):最初の演奏にいちばん近い。が、全体に必ず、和音構成音としては音程が高すぎるパートが
  入れ替わり立ち代わり存在する
(2):木管の音程が、やはり下がる
(3):金管、弦が「下げて」維持してくれた音程を、今度は何とか死守している(ここが「妥協」)
(4):基準演奏と同様の冷静さがある
(5):基準演奏と同方針だが、テンポは基準演奏よりゆったりとっているので、豊かになっている
(6):残念! また音程が下がる。ただし、木管同士での「バラけ」は無いよう、健闘している

いかがでしょうか? 「ここは違うのでは」という点は、是非ご指摘下さい。私の勉強のためにも。
(打ち明けますと、いちばんけなしたように見える2番目の演奏が、実は、私はいちばん好きなんです。面白いから。)

こんなに長々お付き合いさせて・・・まいど、悪いヤツですね! スミマセンでした。
「どう聞こえる演奏にしたいか」のヒントにして頂ければ、ありがたいのですけれど。。。

最後に、それぞれの演奏の素性を明記しておきます。

・一応基準の演奏〜カラヤン/ベルリンフィル(1967)DEUTSHE GRAMMOPHON UCCG-5021
・気合い勝ち過ぎ?演奏〜バルビローリ/ハレ管(1966)EMI TOCE-59034
・部課対立型演奏〜ベルグルンド/ヘルシンキフィル(1972) EMI 7243 5 74491 2 0
・妥協型演奏〜ザンデルリンク/ベルリン響(1972)BERLIN Classics 0185712BC

※演奏の「記憶」に基づいて記したため、一部「入れ違い」で覚えてしまっている危険性があります。あとで検証して修正する場合がありますので、ご容赦下さい。

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受信: 2007年10月25日 (木) 09時57分

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