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2007年10月28日 (日)

モーツァルト:1775年の3つのシンフォニア

ここまで読んできたモーツァルト作品の個々へのリンクを作成し直しました。ご利用下さい。



「仕事」について、私たちはどんなふうに考えているでしょう?

・これをやればお金がもらえる=飯が食え、おつりで好きなものが買える
・だからって、やった仕事の出来が良くても誉められるわけじゃない。セールスなんかで成績がよくって、特別ボーナスつくんだったら、話は違うけど
・いつも自分じゃ「最高の内容!」って舞い上がるくらいビッチリ仕上げるんだけど、嫌な上司が「何だこりゃ? こんな余計な中身はいらん! 見栄えさえ良きゃ、中身は薄いほどいいんじゃ!」・・・この禿げオヤジ。。。

欠けていることもありますけれど、単純にはこんなところでしょうか?
(こんなにモラル低くない? ここは話の流れだと思って大目に見て下さいね。)

人間である以上、他の動物と違って、<生>を営むには何らかの「仕事」をしなければなりません。その仕事たるや、たいてい「不自然で当然」でありますが、とにかく「仕事」をするには、どこぞの団体に、社員(正確には従業員)として、パートやアルバイトとして、請負人として、あるいは加盟者加担者として所属しなければなりません。ことき、「仕事」に携わる人は、団体に所属することになるや、どの団体の「職(日本ではその昔「しき」と呼ばれました)」に組み込まれなければなりません。
こうして、社会が「封建制」であろうが「自由主義」であろうが一向に関係なく、<組織>という「職を組み立て、あそこをこう嵌め、ここをこう繋ぎ、どこぞの穴はパテで適当に埋め合わせた」立体が出来上がります。立体ですから、組み込まれてしまえば、当然その上辺や頂点に位置する人あり、底面に置かれる人あり、内側に埋め込まれて、いるのかいないのか自分でも分からない、まして、他様(ほかさま)には絶対に見つけてもらえない・・・もしかしたら「だから、あたしゃ絶対安心」と思い込みかねない存在になる。
それぞれを良しとするかイヤなもんだと感じるかは、最終的には各々の価値観によりますので、一般論でできるのはこの程度の話でしょうかね。

1775年(19歳)のモーツァルトは、「組織」の中では(正しい名称ではありませんが)<ザルツブルク大宮廷付属オーケストラ>の第2(だったかな?)コンサートマスターにあったわけでして、オーケストラの点としては(現代のオーケストラのそれよりも遥かに)高い方の頂点に位置していました。
ですが、当時は「楽師は従僕の職務を兼ねること」という契約が一般的で、これを「ザルツブルク大宮廷」というかたまりの中で見ると、オーケストラ自体が下のほうに位置しているのです。
従って、相対的にモーツァルトの居場所を見ると、せいぜい「高い上半分」と「低い下半分」の接点あたりだった、ということになります。

但し、この宙ぶらりんな「接点」氏、世間からも自覚症状的にも、幸か不幸か「高い名声」というオーラを煌々と放っているのでした。
幼時の「神童」ぶりはもはや伝説に過ぎなくなっていたとしても、演奏家としての技量は進歩し続けていたでしょう。創作面でも、この年の初めにミュンヘンでオペラを上演し大成功したらしい、というニュースが、まだ色あせずに巷間の評判を勝ち得ていたはずです。
思春期はプライドが最も高まっている時期でもあります。19歳のモーツァルトにとっては、この当時のプライドは、自分の全存在をかけても惜しくないほどに大切なよりどころだったのではないか、と推し量りたくなります。

当時のモーツァルトの内面は、しかし、タイムリーに伺える資料は全く存在していません。
ではありますが、外の世界が彼の評判にまだ興味津々だったらしい、という形跡なら、彼の作品のうちに明確に残っています。
ザルツブルクを訪れた賓客が、宮廷の主、コロレド(ヒエロニムス)に、入れ替わり立ち替わり話しかけたかもしれません。
「ミュンヘンでのオペラで大評判だったモーツァルトとかいう若者は、たしか、あなたのところの従僕でございましたなあ」
「そうですが」
「是非、ご当地で、その評判作を、天才従僕君そのものの指揮でお目にかからせて頂きたいものですなあ」
「あいにく、当地ザルツブルクはご覧の通り狭い土地で、ミュンヘンのような大劇場は持てずにいるのですよ」
「でありますれば、ほれ、このあいだ何々伯がこちらへいらしたとき、天才従僕君の作った可愛らしい<牧人の王>とかいうセレナータ(小劇)をお披露目になさったとか。そちらなら、いかがですかな?」
「はあ・・・しかし、今回貴殿が持ち寄った政治的案件を大切に協議するには、それとて上演に時間を取られすぎますし、臨時の出費の用立てもしていませんので」
「なるほど、猊下は節約家であられましたなあ。まあ、そう節約節約ではワシも味も素っ気もございませぬので・・・ではご協議は中止ということで退散させて頂きますかの」
「いや、待たれよ! では、明日の晩餐会の折にでも。・・・なにせ急なお申し出で、準備もできておりませんから、恐れ入るが、何とかダイジェストで許してもらえませんかな。いえ、せめて新曲のサービスもつけますので。なに、あの若造なら、そんなことは朝飯前ですから」
などというやりとりが・・・あったかどうか。

恐らくは、こうした「ダイジェスト」作りの下命が大司教府からあったのでしょう、モーツァルトは評判をとった最新作から3つの「シンフォニア」を仕立て上げています。
これらは当然、既存のオリジナル作の方が値打ち物なわけですから、内容には詳しくは触れません。
ただ、簡単にお付けする説明から、これらのシンフォニアを仕立てた際のモーツァルトの「仕事に対する意識」を推測してみて下さい。これらの「作品」は、ある意味で、彼がいかに、神よりも私たち「凡人」に近かったかを強烈に示唆してくれます。

・ ニ長調K.196+121(207a):「偽の女庭師」序曲の交響曲稿(春、ザルツブルク)
  オリジナルの2楽章に、第3楽章を新作したもの

・ニ長調K.204(セレナードのシンフォニア稿、8.5以降。)

・ハ長調K.208+102(213c):「牧人の王」序曲の交響曲稿(夏、ザルツブルク)
  オリジナルは1楽章。歌劇でその直後に歌われるアリアを第2楽章として編曲し
  (冒頭で聴いて頂いた歌です)、第3楽章は新作した。
  (第2楽章は・・・ブツ切れで済みませんが・・・こんなふうに編曲されています。)

・・・と、ここへ音声のリンクを貼ったのですが、どうしても消えてしまいます。お聞かせできなくてごめんなさい。

編昨年時が75年ですから、この年に上演されたのは間違いなかろうと思います。
実際に明確に上演されたことが、後年、マンハイムでの記録等で分かっているようです。

なお、日本語の作品表(西川氏)では「交響曲」とされていますが、主としてオペラの序曲をもとにした3楽章構成であること、および前に交響曲第29番について考察した際に検討した内容から、「シンフォニア」としておく方が妥当ではないかと考えております。

正規の「交響曲」ではないので、おそらくはホグウッドによるモーツァルトの「交響曲全集」以外では録音を聴くことは出来ないのではないかと思います。そうではないものがありましたら、是非ご紹介下さい。

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