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2007年9月 5日 (水)

ある失望:「指揮したい」?

尊敬していた某氏の掲示板を久々に拝見したのですが、お綴りになっていることが
「モーツァルト初期の交響曲も某名著のおかげでよく分かった。新鮮な発見をした」
それは、よろしい。
ハイドンを積極的に「指揮者として」(元々このかたの「本業」ではない)取り上げてこられた功績も素晴らしかったし、御著書の中でも初期のものは「健全な競争心」で仲間とワイワイやってきたり、感傷的な思い出が綴られていたり、で、最近の本も「ちょっとこのかた、精神のあり方が変わってこられたのかなあ」とは感じつつ、本来このかたが持っていらっしゃるであろう純真さを信じて、ずっと読み続けてきたのでした。

日曜日、久々にこのかたの演奏姿をテレビで見ることが出来、思いが溢れて掲示板に実につまらぬ書き込みをしてしまい、それっきりにしてしまったので反省して、今朝もう一度覗いたら、私の投稿はしっかり削られている。
まずは、それが寂しかった。
「不適当なコメントだからお答えしませんね、すまん!」
くらいの愛想はくれてもいい、というのは、とはいえこちらの勝手なワガママですから、この際良しとしましょう。
(「思い込み」でこのかたにコメントを削られたことは、数度ありますし、自分の中に出来上がってしまった価値観以外には案外不寛容なかただと承知の上でファンをしてきたのですから。)

ただ、その後、ご自分の様々な「野望」をお綴りになっているのには、かなりガッカリしました。

「是非、この新鮮な発見を元にして、自分で指揮をしてみたい。が、楽隊もない、時間もない」という主旨。
・・・充分、指揮活動をなさっていらっしゃるではありませんか。

で、本職は指揮者さまでいらっしゃるのですか?
そんなに「指揮」がなさりたいですか?
「指揮」が、あなたの音楽の全てなのですか?
いまではある話題作の音楽監修を長く為さった努力が報いられて有名でもいらっしゃるし、お仲間もいらっしゃるのだから、いつでもどうぞ。指揮のお師匠も素敵な方ばかりですし。結構なことです。
金策さえすればなんとかなるでしょう?

そういう環境を既にご自身で築き上げていらっしゃることに「謙虚に」お気づきにならず、
「ああ、仕事欲しや」
みたいに見える記述をなさっている「権威志望」のあなたには、とことん失望しました。
先日伺うことの出来たあなたのコンサートでは、去っていく裏方さんを会場中に紹介して褒め称える快挙をなさったことに、いまでも感動しています。でも、あなたの「人への感謝の気持ち」というのは、結局それだけ、そんな程度、なんですね。
「音楽に新鮮な発見をした」ことに素直に感動なさったのだったら、そのことだけを仰れば事足りる。
そういう心をお持ちの音楽家の方だ、と私が、過去のどんなあなたの言葉を目にしても信じようとし続けたのは、錯覚に基づいただったようです。

そんなに素晴らしいものに気づき、本気で何らかの形で音にしたいのなら(その方法が「指揮」であるとは限らないでしょう?)、あなたくらいの環境があるのだったら、ご自身の築いてきた環境を大事に、ご自身の折衝努力で、こっそりなさったらいい。どうして、あなたが「棒を持つ」ことに、そんなにこだわるのですか? そして、それを掲示板にあらわにお綴りになったりするのですか?

失礼ですが、一部引用。

チャンスが少ない。時間と、オケと、目を輝かせる聴衆を、おれにくださる人はいないものか。

こんなことを平気でおもてに綴るのは、あなたが、あなたと関係してきた人たちを、心から信じようとしていないから。
あるいは、「商売にならなければ音楽などやる必要はない」と思っていらっしゃるから。
あなたは、「カラヤン」ですか? いや、カラヤンは、下積み時代でもこんなことは顔色に出しませんでした。
彼は指揮者としては、「楽団員に優し」かったかもしれませんが、うまく「叱る」ことも出来ました。
あなたは「叱らない」ご信条だったように、記憶しております。であれば、そもそも指揮者に向きません。

(筆者が)モーツアルトの人生半分を来て、音楽家の誰もがこれを読んでいるわけではないという寒さや孤独を思う。学者たちの心はいかに豊かなのだろうか。

何をかいわんや。

ハイドンとの比較も適切であるとは思えません。

ハイドンの、同じ年号を持つ交響曲と、どうしてここまで違っているのかも、ようやくすこしづつ、体感でわかるようになった。並べて演奏するのもよいだろうし、モーツアルト初中期交響曲シリーズとして、ハイドンの奇抜な実験や大人っぽい落ち着き、深い短調の感情やその洗練を扱ったのとは全く違う、あくまでも定型と共通理解と劇場や旅の日常のなかで、静かに頭をもたげ始める天才の息吹が、あのト短調交響曲に向けてやがて突進を始めること、多くのオペラに響くあのイタリアの空気が、すこしづつ冷凍された小さな缶詰めを明けて楽しむように、少年モーツアルトの交響曲を選び、話し、書き、上演しなくてはならない。

あなたは、ハイドンがモーツァルトと同年齢の頃、どんな苦学を、どんな環境のもとでしていたか、それがどのように後年の彼のベースになったのか、本当に理解してハイドンを採り上げたのですか? いまは、私は「理解なさっていなかったのではないか」と、とても疑わしく思っております。

<注目すべき音楽家>の項目からも削らせて頂きました。(社会的には何の影響もないことですから、構いませんでしょう。)

参考までに、ソプラノ歌手ルネ・フレミングが体験した「ファンとして味わった失望と喜び」の経験談を付記しておきます。彼女はそれを忘れずに、自分がファンをどう大切にするかを考えつづけてきている。

あのころは、アメリングが好きだった。・・・しかしアメリングはまた、何年かのちのことだが、楽屋を訪ねてくる人との交流は大切にしなくてはと痛感させてもくれた。まだ若くて、思ったことをそのまま口に出してしまうような学生だった私は、私にはあなたが歌の世界のすべてですという一言を言おうとした。なのに彼女は全く興味を示さず、私を素通りして次に並んでいる人に目をやった、ショックだった、もちろん、アーティストにファン全員の求めに応じろとは言わない。しかし、あの経験から私は、ジャン・ガエターニのやり方を見習うようになった。彼女の手にかかると、列に並んだ全員が、自分こそ今晩の演奏を捧げられた、自分は感謝されているという気になってしまう。ジャンは、こんなふうだった。「ああ、送ってくださいましたレシピすばらしかったわ」「まあ、すてきなネックレス! どこで見つけたの?」 みんな嬉しさのあまり口ごもってしまう。あんな素晴らしい演奏のあとで、どうしたらそんな些細なことまで気づかうことができるのか、想像もつかない。
(「ルネ・フレミング  魂の声」春秋社 45〜46頁:本書の慷概は以前記事にしました。)

ファンはどんなことに「裏切られる」思いを感じるか・・・それが如何に些細なことであるか、を、馬鹿にしないで頂きたいと存じます。(そういう意味では、アマチュアの中にでも素敵な方がいらっしゃることを、最近知りました。)

なお、過去、ファンとして綴ってきた記事につきましては、そのときの「受け手」として私が感じた想いには変わりがありませんので、そのまま残しておきます。

・・・このような記事、お目にも届かないと思います。

まあ、ワーグナーが嫌になったニーチェほどのスケールのある話でもありませんし。
いいでしょう。

さようなら。

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コメント

ううむ・・・
誰のことか、やつとわかりました。
世間の注目を集めたことで、少しこのかたの音樂への思ひが變質してしまつたのかも・・・

投稿: 仙丈 | 2007年9月 5日 (水) 22時24分

仙丈さん、コメントありがとうございます。
・・・本文の上だけ、ということにしておきましょう。。。

投稿: ken | 2007年9月 5日 (水) 22時35分

う~ん、あれだけモーツァルトの交響曲を過小評価されていたくらいですから、某名著は既に読んだ上での言動なのだろうと思っていましたが、そうではなかったんですね…。その点はちょっと残念です。
今は人気を得てちょっと舞い上がっておられるだけなのでしょう。というかそう信じたいですね。くれぐれも音楽に対する謙虚さだけは失わないでいただきたいものです。

投稿: Bunchou | 2007年9月 6日 (木) 00時25分

Bunchouさん、
過去、メール等では丁寧にやり取りして下さったこともあり、それをありがたく思っていたりしたのですけれどね(BBS等でのご意見表明には少々辟易する部分もありましたが)・・・
ガッカリ、残念、無念ですが、こういう鞍替えを知らん顔でする人でもあった、というのも嫌悪を感じた大きい理由であることは確かです。
「本は書いても本文は無し」
の感が強くしています。
・・・あ、本文だけでよすつもりだったのに。。。私も「小さい」人間ですから。

投稿: ken | 2007年9月 6日 (木) 07時23分

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