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2007年9月23日 (日)

これでいいの? 音楽書のタイトル

Howtoheartheorchestra子供と散歩がてら、本屋さんに立ち寄りました。
子供はてんでに好きな棚へ走り、私は自然と「音楽」のコーナーへと足が向きました。

で、・・・はなから眼中に無いものは別として・・・
「え? こんなタイトルで、本当にいいの?」
と首をかしげてしまったものに出くわしました。

2つあります。

・青柳 いづみこ「ピアニストは指先で考える」中央公論新社 (2007/05)

実際には、リンク先のレヴューから伺える通り、ピアニストだって「アタマで考える」ことをきちんと書いた本です。
音楽の演奏だって、スポーツと同じように「体で覚える」フォーム、ヒットを放てるための肉体的技術の習得は必須ですが、それは「頭で考えて欠点を矯正する」ことで初めて可能になるわけで、そうした思考無しには「体で覚える」ことだって永久に不可能なのです。本文の記述は、明らかにそれを知悉したかたのものです。・・・著者がなぜ、こんなタイトルで良しとなさったのか、理解に苦しむところです。

・もうひとつはアフィリが貼れたので画像もつけられますから、無精しますけれど・・・



音楽革命論―クラシックの壁をぶち壊せ!!


Book

音楽革命論―クラシックの壁をぶち壊せ!!


著者:玉木 宏樹

販売元:出版芸術社

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帯に永六輔さんの推薦の言葉まで入って、内容も「当然」であるべきことがいかに世の中にまかり通っていないかを力説してやまない「良識の訴え」になっているのですが・・・著者の仰りたい点はアマチュアでも持論にしている方が結構いらっしゃるのです。所詮、「<プロ>は<プロ>の動向にしか目が向いていないのかなあ」と残念に思います。スポーツ界とはえらい違いだなあ。
かつ、いま「当然」という言葉を使いました通り、論点とされていることはむしろ「あるべき常識」であって、「革命」的ではありません。「革命」というからには「常識がひっくり返らなければならない」のであって、おつけになったタイトルでは、このあたり、誤解を招く恐れが多分にあります。
有名人の推薦の言葉付きで、タイトルは出来るだけ大げさな方が、本というものは売れるのでしょう。
ですが、売れたとたん、読者は無反省に「そうね。そうよね!」と記述の表面に安易に共鳴するだけで終わってしまうのでして、著者が本当に訴えたかったことは、せっかくの気合いにも関わらず、思ったほどには訴える力を持たずに終わってしまうのではないでしょうか? せめて「還ろう、音楽の原点へ!」くらいのタイトルだったら、納得がいったのだけれどなあ。。。

タイトルが内容にそぐわない本は、決して「ボロボロになるまで大切に読もう」とは思えないものだと思います。
ずっと昔、近衛秀麿さんが「オーケストラを聞く人へ」という良書を出しましたが、購入当時、私はほんとうに繰り返し繰り返し読みふけり、最後はとうとうとじ目がばらけるほどになってしまいました。最近復刊されました。
紹介されている指揮者やオーケストラに関する情報は古びてしまいましたけれど、近年やたらと「誰でも分かるスコアリーディング」だとか、譜例もなく恣意的に選曲された「名曲案内」ばかりがはびこり、つまらない思いをしてそれらを読むしか、オーケストラの知識が得られないことを考えますと、近衛さんのこの本程度には良心的な「入門書」のでることをも、また切望する昨今です。

そういえば、せっかくの五嶋さんの「アホンダラ、くそくらえ」も、版が新しくなったら帯から言葉が消えてしまって・・・経緯は推測できるものの、かわりに「天才を育てるコツ」みたいな文句に置き換わってしまって・・・五嶋さん、内心、忸怩たるものがおありではないかしら。


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コメント

翻訳書では、編集者が売れそうな書名を編み出してそれを採用するケースがほとんどです。

書き下ろしの場合、たとえば『国家の品格』なんかもそのケースでした。音楽書…はどうなのでしょう? おそらくは似たようなものではないかと察します。

いずれにせよ内容と乖離した書名は困り者です。内容とかけ離れた「オビ」の惹句も困り者ですが…『原典 ユダの福音書』のオビなんかがそうでした(苦笑)。

そういえば、欧州における装飾芸術の歴史から見たケルト論を説く鶴岡真弓女史の著作で、『聖パトリック祭の夜(岩波書店)』という本がありましたが…数年後、平凡社ライブラリー叢書として新装再刊されたときは『ジョイスとケルト世界―アイルランド芸術の系譜』という書名に変わってました。本屋で手に取ったとき、てっきり別物かと思ったらまったくおんなじものでした(笑)。著者にしてみれば不労所得だから、この手の新装再刊は大歓迎なんでしょうけれども。

投稿: Curragh | 2007年9月24日 (月) 01時23分

平凡社ライブラリーに収録される時、書名が変わっている、というのは何例かあった気がします。残念ながら、どの本だったか忘れました。ただし、以前に平凡社から出していた本だけは、絶対それをやっていない。気づいた時、苦笑いした覚えがあります。
ふと思うに、でも、書名が素直だったからずっと大事に読んだ本、って数冊ありまして・・・社会思想社文庫から出ていた「漢文入門」なんて、高校の漢文の教科書で採用してくれたら面白いだろうなあ、と思ったものでした(読んだのは、生意気なことに、私がまだ小学6年生の時だったけれど、小学生でも結構分かりましたから)。
会社が潰れて、これも読めなくなりました。
(いや、どこかで復刊していたのを見つけた気もしますが、確認が取れていません)。
<我、良書の復活を待ち望む>心境です。

投稿: ken | 2007年9月24日 (月) 07時37分

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