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2007年9月22日 (土)

曲解音楽史:(補遺)新しい「中世」を生きる

中世の西ユーラシアについて考えていく中で、上手く組み込めなかった題材が残りました。

「カルミナ・ブラーナ」

です。

20世紀の作曲家、カール・オルフの作品のタイトルとして有名ですが、オルフ作品をご存知の方は、「カルミナ・ブラーナ」はもともと1803年にミュンヘン近郊で発見された、中世の詩歌集につけられたタイトルであることは、ご承知のことと思います。

で、19世紀に発見された本来の「カルミナ・ブラーナ」については、音を聞いて頂いた後で、ごく簡単に触れます。

今手軽に手に入る、オリジナルの方の「カルミナ・ブラーナ」のCDは、ピケット/ニュー・ロンドン・コンソートの出した、元々4集からなっていた録音をダイジェストしたものです。
この中に、1曲だけ、オルフが曲を付けたのと同じ詩の音楽があります。これを、オルフの作品と聞き比べて見て下さい。

同じ詩の、オルフ作曲のもの

タイトルから判明するとおり、歌詞はラテン語です。
・・・ということは、この歌、9~13世紀の俗謡でありながら、そこそこ正当な教育を受けた人物の手で作詞されたのだな、ということになります。

「カルミナ・ブラーナ」原書は、研究の結果、ゴリアールと呼ばれた人々の手によるものだということが分かっています。Wikipediaでは彼らを吟遊詩人に含めていますが、詳述していません。ピケット盤記載の、今谷和徳氏の説明では、ゴリアールは
「将来聖職に就こうとしたり、あるいは学校の教師になろうとして、大学などに学び始めたものの、将来の社会的地位に疑問を抱き、自ら出世ルートを外れて、自由な生活をして行ったものたちのことである。」
とされています。ところが、このゴリアール、いくつかの啓蒙書を見ましたが、トルバドゥールやミンネゼンガーと異なり、一般の史書にも音楽史の本にも登場しない。なんとか見つけたのはWeb上にあった「媒介者の系譜」というPDF文書で、これを読むと、彼らについては、そこそこ専門的な、高価な書籍を手にするしかなさそうなので、それはあきらめました。
このPDFを掲載しているかたは、ヨーロッパ中世史の文献の紹介に努めてメールマガジンも発行していらっしゃるようで、私も早速トップページから登録させていただきました。

また、「酒場にいる時は」の歌詞は大変愉快なのですが、結構長いので、ここでのご紹介は断念しました。代わりに、せめて訳詩の掲載されたサイトを、と探しましたが、発見できませんでした。

原書関係のご紹介はともかく、上の、中世そのものの歌とオルフが作曲した歌を聞き比べて、どんな印象をお受けになりますか?
私は、最終的には「案外似ているなあ」という結論に至っております。
何故か。
それぞれの音響を生み出した精神に、共通するものを感じ取れるからです。

中世ヨーロッパは、ローマ帝国などの大きな政治的動きを除けば言葉の記録不要な「均質な時間」が人々に許された古代が、十字軍運動やモンゴル侵攻によってかき乱され、バランスを失ってはじめて「誕生」した世界です。そこに、ゴリアールを含め、既存の価値に拘束されない、ある意味では疎外された流動的な階層が登場する。
これは(細かくは言いませんが)日本でも同じでした。

オルフの20世紀に目を移しましょう。
彼が「カルミナ・ブラーナ」に作曲した1934年は、ナチスが台頭し始めた年でもあり、背景には、第1次世界大戦をいちおうのピリオドとする、「帝政の完全崩壊」がありました。時がたち、とくに民間の動向を見ますと、海外には疎いのでよくわかりませんが、日本では「終身雇用」にこだわらない若者が続出し、発想・価値観の転換は着実に進行してるように思われます。
成人してある程度たってしまった人は、旧い価値観の中にとどまっている。そこに現れてきた、「拘束に疑問を感じる」新思潮には、完全についていけていない。かといって、学生時代には新思潮の先端にいたはずの若い世代も、結局は「就職」という過程を経て、自分がどういう「信念」のもとに生きていかなければならないのかを迷い続けることは極力忌避しようと努める。忌避の決断に至れなければフリーター、という図式は、もう騒ぎはじめられてから15年以上たつのですけれど、どうも変わって行っているようには見えない。

・・・なんとなく、中世の人々と状況が似ている気がするのは、私のアタマがどっか変だからでしょうかね。。。

ともあれ、私たちは、いま、「新しい中世」の入り口に立っている。
「中世」とは実は社会が揺らいだ状態を表す代名詞なのかもしれません。
次世代の子供たちは、その入り口から一歩中へ進んでしまったところから人生をはじめていかなければならない。

そのことに充分意を用いながら、既存の価値観に凝り固まった「ご年配」連中は、隠居を考えている場合ではなく、また従来の「経営学」などというものもきっぱりと捨て去って、臨機応変だったはずの自らの処世術をよく見直し、そのなかから若者にも使ってもらえそうな術をよく協議し選別していかなければならない。

私たちはみな、「新しい中世」を生き始めているのに違いないのです。

・・・この見方が、一ウツ患者の妄想でないことを、いま、私は祈るばかりですが。

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冷やかしたい方限定7:久々に、サボっていた課題をやりました。人物スケッチ、というやつなんですが、なるべく知らない人を、という制約があります。「難しいもんだ」と、二人ばかり軽いスケッチをしてみて、次に誰を・・・と見回しても、イメージをとらえる頭脳が貧弱で、あてを見附損ねていました。それが、ふとしたきっかけで眼科に行くはめになり、それが面白い経験でしたので、その眼科医さんをターゲットにさせてもらいました。例によって読む方法が分かるかたにだけ読めます! ・・・まあ、読んでも面白くも何ともないかもしれませんけれど。
でも、「ものをどう見るか」という訓練は、やはり大切だなあ、とつくづく思わされた課題でした。
ここにひっそりとリンクしておきます。

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