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2007年9月16日 (日)

注目!上岡敏之・ヴッパータール交響楽団

キンキンさんがこのところ大々的に(!)宣伝なさっているので興味津々だったのですが、これほどまでに注目される指揮者:上岡(かみおか)さんというのはどんな方か、を実に良く教えて下さるサイトを見つけました。(・・・いや、キンキンさんの記事からたどったんだっけ?)

http://homepage3.nifty.com/tnomura/kamioka/top.html

その中から、一番印象深かった言葉(高校生との会話)を引用させて頂きます。

(以下、引用)
--(高)今、指揮法の勉強をしているのですが、ドイツの大学との違いはありますか。

 ドイツでは、指揮の形についてのメソッドは一般的ではないかもしれません。基本的には、曲の理解についての教育がなされます。教育といっても、何か「正解」を教えるというのではなくて、曲を作って行くプロセスをだいじにします
  たとえばそうですね。試験でもそうですしレッスンでもそうですが、オペラをやる場合、モーツァルトでもプッチーニでもヴェルディでもワーグナーでもリヒャルト・シュトラウスでもいいんですが、どれか一つあるいは全部勉強してもらってきて、まず歌いながらながらそれをピアノで弾いてもらいます。コンチェルトであれば、ソロパートを歌いながらです。これを聴けば、その曲を学生がどのように捉えているかが分かります。そのうえで、この箇所はなぜそう弾いたのか?このアリアはどのように作るか?なぜそのテンポか?この和音の意味は?ここの16分音符とこの16分音符は同じ長さのものか?この休符は数える休符かそうでない休符か?そしてそれはなぜか?等というやり取りが次々となされます。
  指揮者はこうした作業を一人でやらなければならないのですが、教育の場では、それをこういう形で取り上げ、曲へのアプローチを手助けしていくわけです。そして、曲への理解を深め、近づき、曲の隅々まで神経の行き渡らせた曲づくりを学んでいくわけです。繰り返しになりますが、そこには正解はありません。もちろん、テンポの設定などに技術的な意味での問題があるような場合は、オーケストラの楽器を実際に弾いてみて、そのテンポ設定が実際的かどうかを確かめたりもします。
  形の問題としては、最後の段階で、ここはこのパートが間違えやすいとか、ずれやすい、演出はこうしがちであるがそこは話し合ったほうがいいなどと、経験を伝えそこで指示の出し方を伝えたりします。

--(WM、高)指揮者を目指す学生へのメッセージはありますか。

 あなたは高校生だから、まだ10代ですね。ドイツの場合、音楽家のプロフィールを見て気付くこともあるかもしれませんが、弁護士で歌手だとか、医師で歌手などという人が結構います。つまり、いったん働いてから、大学に入ってくるというのはごく普通のことです。日本の大学は年齢が均質で若くないと出遅れた感を持ちますが、ドイツでは、年齢層もさまざまです。
 特に指揮者を目指す若い人に言いたいのは、「遊びなさい」ということです。10代から、20代、何でもできる年齢なんだから、そんなにはやく音楽に追いつめられて身をすり減らすのではなく、やりたいことをやり残すことがないように何でもやりなさいということです。
  指揮者にとって音楽性は大事ですが、指揮者のやることは実は音楽だけではなく、実は9割以上が、人間関係、コミュニケーションです。コミュニケーションというのはいいことばかりではありません。それに潰されそうになることもあるのです。そうしたとき、そうした経験が、必ず役に立ちます。そうではなくて、あまり早くに指揮者を決め込み、のめり込むことは、その部分での人間的な強さや耐性を失わせます。壁にぶち当たったときに越えられず消えていった人を見ています。その意味で、人生経験を踏むことです。自分も、もしあの時のあいいう経験がなければ・・・と思うことがしばしばあります。
(引用、以上。)

素敵なことを仰る方ですね。打たれました。
上記サイトを、どうぞじっくりご覧下さい。(※サイト管理者の野村様より、引用をご快諾頂きました。心から御礼申し上げます。)

同サイトに公演情報もあります。

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コメント

記事ご紹介ありがとうございます。

このサイトは私も知っているのですが、この記事はまだみてませんでした。上岡さんにはいまいい風が吹いてきている感じがしますね。

上岡さん自身が、コンクール優勝のエリートコースというわけでは決してない、若い頃から渡欧して歌劇場で下積みを積んだタイプの指揮者だけに、いうことに重みがあるのでしょうね。大野和士さんといい、日本にもそういうタイプのたたき上げ指揮者が出る時代になったのだなあと思います。

投稿: キンキン@ダイコク堂 | 2007年9月17日 (月) 00時06分

ドイツ圏はもともとコンクール至上主義ではないそうですが(音楽の世界も徒弟制度がいい意味で残っているんだそうですね)、そう言う中で叩き上げられた方に、きちんとスポットが当たり出す、というのは、大変喜ばしいことだと思っております。

日本は、少なくとも「職人精神」を取り戻さなくっちゃ。
家内のときの担当医を相手にしていて、あるいはもう20年も前に祖父の死の時の担当医を思い出しては、(別にお医者のことだけ思い出しても仕方がないのですけれど。かつ、すべてのお医者が僧ではないのでもあるけれど)・・・機械のデータばかりを頼りにしていて、これでいのかなあ、と感じたことを、つくづく思い出します。

話、それちゃった。。。

投稿: ken | 2007年9月17日 (月) 00時56分

でも、その職人気質のようなものの生み出す含蓄が、プレーヤーや聴衆を惹きつけ、有機的な音楽の場を生み出す源泉になるのでしょうね。結局は、コンクール上がりの日本人演奏家が伸びないように(私には)見えるのは、早くに日の当たるところに出てしまった為にそのへんの含蓄が涵養されていないんじゃないかと思ったりします。

まあそう思わないとやってられませんけどね私も(苦笑)

投稿: キンキン@ダイコク堂 | 2007年9月17日 (月) 12時25分

>コンクール上がりの日本人演奏家が伸びない

のは、ごく少数の例外を除いて、間違いないところだと思います。
「コンクール入賞、あわよくば優勝」だけを目指して必死でレッスンして来た。 結果が良かったら「幸い」どころか最悪で、世間知らずのまま檜舞台に立たされてしまう。ある日突然「あれ、あたしのしてきたこたなんだったんだろ?」と、脳みその中が点々になる。。。可哀想です。

場数を踏む訓練(職を体で覚えるとはそう言うことだと思うのですが)は辛いせいもあったでしょうから明治以降は「効率的に仕組まれた」工業だけが重視されましたし、音楽に限っても、維新期の明治政府が教育にどう取り入れるかを伊沢修二という人にさんざん考えさせておいて、伊沢氏は「洋楽を単に取り入れるのではなく、伝統音楽と並行して身につけさせていくのが良い」という提言を苦労の末にまとめたのに、結局は伝統の方を切り捨てたり・・・他の分野でもにたようなもんでした。その結果が、キンキンさんがご専門方面でも憂えている、「財産ならぬものを財産だ、と信じ込むご権威様たち、結果(企業で言えば赤字か黒字か)から遡ってしか物事を見られない、鯉の滝登り的評価眼」を日本に定着させてしまったきらいもないでなないのか、と・・・あれまあ、またまた大風呂敷に!

投稿: ken | 2007年9月17日 (月) 12時48分

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