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2007年9月 3日 (月)

曲解音楽史補遺:「大唐西域記」〜盛唐期と同時代のインド音楽

子供たちの新学期が始まり、今日まとめようと思っていたことがまとめきれませんでした。

中世の中央アジア・・・と言っても局地的なものの資料しか持ち合わせていないのですが・・・の音楽世界を覗いて置こう、と考えていたのです。
その過程で、文献の中では「大唐西域記」を読んだのですが、これは有名な玄奘(「西遊記」の三蔵法師、ですね。なつかしや、夏目雅子さん!)の大旅行記とは言え、実質は弟子に史料を与えて執筆を委ねた(玄奘としては、当時の唐の帝室に地誌を提出すれば充分だったからでしょう)ものですので、日本の円仁の「入唐求法巡礼記」に比べると、玄奘自身の肉声が伝わって来ない物足りなさを感じました。
そうは言っても、ここまで壮大な「実録」は、希少価値があります。
玄奘の目的が仏典の招来であった以上、取り上げられる話題は宗教的なものが圧倒的に多く、とくに、当時まだインドに息づいていた仏教伝説の数々には強く興味を引かれます。
なんとか、普及版がでないものかな、と思います。

結局は音楽について具体像が見える記述は以下のインドに関する3つだけでしたので、中央アジア音楽の資料として用いることは断念しましたのですが、勿体ないので、ここでは、「曲解音楽史」の補遺として、盛唐時代と同時期のインドの音楽の状況を垣間見るための補遺として掲げておきます。

・(北インド〜タクシラの伝説から)第3巻所載
(事情で乞食に身を落としていた王子が)謀を用いて王の厩舎に入り、夜半に泣きながらそよ風に向かい、声を長く引き悲しく歌をうたい箜篌(ハープ)や鼓で伴奏をした。(これがきっかけで王子は球場を脱する。)

・(中央インド〜カーニャクプジャの史伝。グプタ朝期のもの)第5巻所載
(二人の王の兵卒たちが、仏教の法会の護衛に際し)あるものは舟に乗り、あるものは象に乗り、鼓を打ち螺(ほらがい)を鳴らし、弦をひき管を奏し、九十日を経て曲女城に至った。

・(ガンジス川河口方面の国での釈迦の教え)第10巻所載
「弦が急に過ぎれば調子が正しい楽節に諧和しないことになろう。弦が急ならず緩ならずして始めて音声が諧和するのである。修行をする者もそのとおりである。急であれば身体は疲れ心は働かず、緩であれば気持ちがのんびりして志はそれてしまうことになろう」

(平凡社 中国古典文学大系22 水谷真成訳 1971)

とくに2つ目の「護衛」の奏楽は、「リグ・ヴェ−ダ」に見える戦闘の際の奏楽とさほど違いがない点には、注目しておくべきでしょう。つまり、おそらくは西暦紀元前後から8世紀頃までは、インドの音楽事情には大きな変化がなかったもの、と考えて差支えなさそうです。
ただ、その中で、最初の不遇な王子の歌唱法には、もしかしたらムガール朝以降に栄えることになるインド独特の歌唱法に繋がるものがあるかもしれません。

インドについては、また改めて観察しましょう。

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