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2007年9月12日 (水)

「笑いの場」の日本史断片

地域を日本に限ります。
「堤中納言物語」・「宇治拾遺物語」・「古今著聞集」興言利口巻十六・・・笑いの文学は、私なぞのような素人の知る限りでは、このあたりが早い存在で、平安末期から鎌倉初期のものです。
「笑い」を文学によって知る、というのは、「笑い」を演ずるよりも、おそらくは幾分高度であって、それが「笑いの文学」を独立して生み出す時期をある程度は「実演」よりも遅くしているのではないかな、と、勝手に推測しております。
ですが、これらを読んでみても、「笑い」が展開される<場>は、貴賤を問わず日常生活の中での<構図のズレ>(Wikipediaにあった、笑いを生み出すものの定義でしたね)であって、どこか特別な場所ではありません。何故そうなのか、は、いずれは考えなくてはいけないのでしょうが、今は深入りしません。とにかく、「書かれた」笑いの<場>は、日常生活の描写である、という点で、「演ずる」笑いとは世界を異にしていることだけを、肝に銘じておきましょう。

では、笑いを演ずる<場>はどうか?

現在では、ビルの中にあるか独立した建物である「演芸場」の舞台。・・・大道で演じていることはあっても、東京でさえ滅多に目撃できません。「建物の中の、舞台」という場所が普通ですね。
江戸時代には、臨時に小屋を作るのが普通だったかと記憶しております。で、小屋掛けで演芸をやる、というのは江戸時代になるまで一般的ではなかったはずです。・・・すみません、参照資料が乏しいので、このあたり、「違うよ」という場合には、どうぞご教示下さい。
では、江戸時代以前はどうだったか?
豊臣秀吉も、それ以前には足利義満も大いに保護した能楽、この能の幕間劇として演じられた能狂言が、一体どんな場所で演じられたのか、能舞台の起源を突き止めておりませんので、私にははっきり分かりません。いずれ「能狂言」を観察する日が来ますから、その際に確認してみようと思います。・・・こちらも、いい資料があったら、是非ご紹介下さい。

もっと古くはどうだったか?

これは、絵画史料として「年中行事絵巻」があります。模本で非着色ではあり、錯簡もあるのですが、巻十三の最後に、どこかは明らかではありませんが山城国のとある明神社らしい場所が現れ、その境内で、法師(目は見えている人たちのようですから、おそらくは私度僧か聖の類いだったのでしょう)達が面白おかしな舞を群衆の面前で披露しているところが描かれています。失われた原本は後白河院時代のものだったことがほぼ間違いないとされていますから、信用すれば、平安時代から鎌倉時代への移行期の風俗だったことになります。

(クリックで拡大し、見やすくなります)
Nengyoudengaku

田楽や散楽(猿楽)が「笑い」の演芸と密接に関わっていたことには、証言があります。
藤原明衡『新猿楽記』(しんさるがくき、しんさるごうき/1064年頃成立)の冒頭部です。

「予廿余年以還。歴観東西二京。今夜猿楽見物許之見事者。於古今未有。」
(よ、にじゅうよねんよりこのかた、とうざいのにきょうをへみるに、こよいさるがくけんぶつばかりみごとなるは、こきん【ここん】においていまだあらず。)

と、歯切れの良い文で始まるこの名古典には、次から猿楽の際に演じられる芸能がカタログのように掲載されています。
これは実は、江戸期の見せ物についてまとめた朝倉無声「見世物研究」(昭和三年。現在は、ちくま学芸文庫で読めます)と対比していくと非常に興味深い芸能ばかりなのですが、今は独断で
「これは笑いをとっただろう」
というものを選別し、現代思潮社刊のものの注釈によって説明を加えておき、朝倉「見世物研究」に対応する演目があれば、併記してみましょう。
順番は『新猿楽記』に登場する通りとします。

・侏儒舞(ひきひとまい):こびとが身振りおかしく舞う芸〜朝倉=「畸人」に含む
・独相撲(ひとりすまひ):(現在も神事となって残っている)〜朝倉=そのものはないが、「珍相撲」というのがある。
・独双六(ひとりすごろく):平安期の双六は賭け事でした。ですから叩き売りよりあやういけれど、結局は「寅さん」みたいな稼業
・骨無骨有延動(ほねなしほねありえんだう):間接外し、ですかね。
以下3つは「モノマネ」のようです。
・大領の腰支(たいりやうのこしはせ):お偉いさんのマネをして、ふんぞりかえってみせたものでしょうか
・エビ漉舎人之足仕(えびすきとねりなしつかひ):小間使いの人がエビを掬う時の滑稽な足付きを真似したものだ、と推測されています。
・氷上の専当の取袴(ひかみのせんだうのとりばかま):同じ小間使いでも、社寺の小間使い。たとえば、ずり下がってしまた袴を上に引っ張る仕草でもしてみせたんでしょうか? おデブさんなら思い当たるフシがあるはず。
・蟷螂舞(いぼじりまひ):カマキリの仕草で踊ったんでしょう。
他にも該当があるような気もしますが、これくらいに限ってみましょうか。

前回は、話題にしたコント55号のネタに「暴力」的な要素がある点を上げておいたのですが、一見したところではこれらの演目の中に「暴力」の陰は落ちてはいないように見えます。・・・「暴力」という言葉の持つイメージは陰惨ですし、コントの中では和らげられている点は見ておきました。
「暴力」という言葉で区切ってしまうと不透明になる、見物人の、世の中に対する「どこか冷たい目」というものは、しかし、これらの演目にも充分内在しているのではないかと思いますが、これまた次回以降の課題と致しましょう。
・・・今回「新猿楽記」の演目をリストアップしたのは、「年中行事絵巻」の描写が「笑い」の場面であることのウラをとることが主目的なので。。。

それにしても、神社の境内は、映画では古くは『無法松の一生』、新しいところでは北野武『菊次郎の夏』でも喧嘩の場所として描かれていますね。これにも示唆的な何かが含まれている気がしてなりません。

「笑い」のカテゴリなのに、固い話ばっかりで恐縮です。こんな調子で参ります。
・・・ウケなくても、所詮、マイナーな独善ブログでございますから。
・・・いえ、すねているのではなくて、そうではなくて。

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