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2007年9月29日 (土)

ハイドン観察:交響曲(3)第1番

さて、エステルハージ家奉公前とされる19曲の「初期交響曲」をじっくり(?)見ていこうと思いますが、今回は第1番のみにとどめ、次回から6曲ずつまとめて観察しようかと思っております。
理由としては、
・ハイドン自身が「私は自分が初めての交響曲を作ったときのことを鮮やかに憶えている」と語っており、ガイリンガー(=ロビンズランドン)も、それ以降の研究者もハイドンの言う「最初の交響曲」が<第1番>であることに特段異論を立てていませんから、まずはこの作品をハイドンの交響曲のプロトタイプとしてみておこうかと考えたこと
・より重要な課題として、通奏低音問題があること
の2点を挙げておきます。

後者について少し述べておきます。

遺憾ながら私は直接にその言葉を読みも聴きもしておらず、実演や録音も耳に出来ずにいるのですが、ホグウッドが「ロンドン交響曲(第92番以降)」以外の初期・中期交響曲は通奏低音無しで演奏しているそうで、その理由としては
・エステルハージ家で通奏低音奏者(=チェンバリスト、でしょう)を採用した形跡は無い
・ハイドンはオーケストラをヴァイオリンでリードしていた
・通奏低音無しで充分に美しい
との論点を掲げているのだそうですね。(誤りでしたらご指摘下さい。)

果たして、ホグウッド(またはザスロウ説かとも聞いていますが、これも誤解でしたら教えて下さいね)見解は本当に正しいのか・・・正しい部分が大きいとしても、それを初期・中期の全交響曲(とりわけエステルハージ家以前とされる作品)全体に敷衍することまでが正しいといえるのか
・・・これを、ハイドン自身の音符から確認し得ないだろうか、との素朴な疑問が、私にはあります。

さらには、通奏低音が、(発生にまで遡るのは私にはとても手におえませんから)どんな過程を経て消滅していったのか、について、ホグウッドの見たハイドン像では解せない部分もあります。
ホグウッドは、ロンドン交響曲以降についてはピアノフォルテで通奏低音を弾いてリードしています。これは特にザロモンセットが演奏された当時の記録に基づくもので、間違いではありません。ですが、これも「ロンドン交響曲」全体に敷衍してよいのかどうかとなると、曖昧です。初期・中期交響曲の「通奏低音無し」演奏と同様の「非厳密性」を、そこに感じずにはいられません。

日本のハイドン研究の第1人者、大崎滋生氏が、ご著書「文化としてのシンフォニー 1」の中で指摘されているとおり、(本文どおりではありませんが)エマヌエル・バッハの「全ての演奏に通奏低音が入れられるべきである」との発言は、そうではない場面があったことを反映しているのは間違いなかろう、とは思います。
でしたらいったい、それは具体的にどういう場面で、いつからそうであったのか、という探求も、この際してみたいと思っております。そしてそれは、大崎氏が同書で
「シンフォニー上演の場合には、一般にヴァイオリン奏者の楽師長が演奏をリードするのであるが、演奏の統括者がチェンバロの前にすわるケースがないわけではない。また楽師長がヴァイオリンでない宮廷楽団の場合や、演奏統括者が何らかの理由によりヴァイオリンでの統括を選択しない場合などもあり、それは、地域的な演奏の伝統や、演奏場所の条件などに左右され、変化したのである」(123-124頁)
と仰っていることの、ハイドンという「現象」を通じての、しかも素人の手によるささやかな検証には過ぎませんが、そこはすくない手持ちで室内楽曲などにも手を伸ばしながらでも、きちんと確認したい。
(ちなみに、大崎氏は
「ハイドンのエステルハージ宮廷におけるシンフォニー演奏にチェンバロが加わっていなかったのは確実である」と、そのご研究成果から断言していらっしゃいます。前掲書124頁)

また、モーツァルトの場合とは違い、ハイドンを扱っていくに当たっては、最初から「交響曲」という用語を用いますが、これは、
「ハイドンの念頭には、最初から<序曲>としての「シンフォニア」は念頭にはなかったのではないか」という私の主観的な仮説によります。
観察を進めていくに従って反証が出てくれば、それはそれで面白かろう、と、楽しみに進めていきたいと存じます。


で、第1番を見ていきましょう(1756頃作曲)。今回は通奏低音云々はしません。

ニ長調をベースとし、真ん中の第2楽章を下属調(ト長調)とした3楽章構成です。

全集でも買わないと聴くチャンスが無いと思いますので、今後も最初の部分は出来るだけ音をリンクしたいと思っておりますが、第1番のみについては全曲をお聴きになってみて下さい。
なぜなら、「第1番」は、すべて、とは言いませんが、多くの作曲家にとって大きな記念碑であるからです。
モーツァルト然り、ベートーヴェン然り、シューマン、ブラームス、マーラー、ショスタコーヴィチ・・・みな然りです。

107曲もの交響曲が残っているハイドンにとってもそれが例外ではないことを、是非知って頂きたいのです。
しかも、ハイドンは既に第1番で「大人の作曲家」として現れます。書いた時の年齢が、もう26歳か27歳だったので、当然と言えば当然です。


さわやかに舞い上がる主題が斬新ではありませんか?
これは「マンハイム・ロケット」と呼ばれた技法だそうで、当時最も評価の高かったマンハイムのオーケストラでシュターミッツ(父)が使用し、大好評を受けたことに由来すると言われています。
が、これが本当に「マンハイム・ロケット」なのかどうかについては、シュターミッツの作品を確認していませんので、断言を避けます。(シュターミッツの交響曲は、昔、何曲も弾いたのですが、一つも覚えていないのです、ごめんなさい。)
明確なソナタ形式を最初の交響曲からを示している点で、エマヌエルやクリスチャン・バッハより進んだ・・・「交響曲」の概念が何かの影響で確立した後であった・・・ことを示している一方で、「第2主題」は第1主題の延長で出来ている点では、まだモーツァルトの「第1番」第1楽章ほどには「ソナタ形式」は成熟していなかったことを示しています。
ただし、第1主題自体が大変緻密に出来ていて、「1〜9小節」・「10〜13小節」・「14〜22小節」・「23〜28小節」の4部分で構成されています。主題のこうした「複構造」はモーツァルトにはあまりなく(2部構成が多い)、むしろロマン派以降の作曲家に引き継がれていきます。
かつ、そのあとに現れる短い第二主題はニ短調で現れ、「大人の心の陰・憂い」を<チラッと見>させてくれますが、この手法は続く第2楽章でも用いられている上に、ハイドン初期交響曲中でどんどん発達していく技術でもあり、「短調のモーツァルト」と単純に対峙する、明快なハイドン、という図式は全く成り立たないことが明らかです。・・・ハイドンの「短調」については、いわゆる「シュトルム ウント ドランク」期を待たず、初期交響曲観察中に言及すべき機会がめぐってくると思います。
呈示部は第二主題までの39小節間で、ここで演奏例は反復演奏しています。
そのあとの繰り返しの始まりが、「展開部」です。これが19小節(呈示部の50%)もある、というのは、この時期としては長大だ、といっていいと思います。展開部の締めくくりも「短調による翳り」によってなされ、その後59小節目から再現部です。再現部は第1主題が18小節(呈示部では28小節でした)、第2主題が7小節(同じく11小節でした)と短縮されている点に留意して下さい。最後の3小節は、実に気っぷのいいコーダです。


2つの主題から構成される28小節までの前半部、同じ2つの主題を用いた78小節までの後半部からなり、後半部が長いのは前半部の主題の展開を含むからなのですが、これが実に細やかです。第1楽章で細かく綴りすぎましたので、詳述はしませんが、「翳り」の技法の多用の他に、素朴ながらカノン風に見せかけた2度上ずつの積み重ねの技法(これは遥か後年にモーツァルトが有名な第40番【大ト短調】で活用することになります)を随所に用いているところにご傾聴頂ければ、この楽章が、ただ聴いただけでは分からない「複雑さ」に満ちたものであることをご理解頂けるでしょう。


拍子だけ見るとイタリア系の「シンフォニア」をハイドンも意識していたかも知れない、と思われるのですが、ちょっとトリッキーではあるものの、ハイドンがここで作っているのは「ジーグ(6拍子が普通)」を崩したものであることが、根底にあるリズム(四分音符1+八分音符1)から判明します。ハイドンのいたずら心のなせる技だったのでしょうか。。。「ジーグ崩れである最大の証拠は、この楽章が単一主題からなっているところにあると思います。(イタリア風なら、ロンド形式系で作曲していたはずです。)
この楽章は、お時間があったら、是非、J.S.バッハの「管弦楽組曲第3番」終曲と聞き比べてみて下さい。

以上、音楽はドラティの全集盤によりました。
私のヘタな説明で、お楽しみを妨げているようでしたら、心からお詫び申し上げます。

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コメント

ごぶさたです。もう部活引退したので、パートリーダーじゃなくなりました・・・。
最近モーツァルトのことが書いてあることが多いですね。私は(モーツァルトのかな?)「フィガロの結婚」が好きです。トロンボーン奏者さんにもらったMDに入っていて、好きになりました。
フィガロの結婚は、お芝居(?)のようですが、ぜひ1度見てみたいです!!
最近は「オペラ座の怪人」の本を買って、映画や実際のお芝居や、オペラ座の建物も見てみたいと思うようになりました。
単純なもので、ちょっとしたものからはまってしまいます・・・。

投稿: コントラバスLOVE | 2007年9月29日 (土) 21時37分

コントラバスLOVEさん、お名前変えて心機一転ですね。
「フィガロ」の映像はトロンボーン奏者さん(長いと面倒なのでトロさんと呼びましょう!)に見せたのがありますので、トロさんと話してみて、あのケチンボが「いいよ、貸す!」と言ったら是非借りて見てみて下さい。渋るようだったら、「kenさんが古いのも持ってるっていってたよ」と言って頂ければ、それもトロさんに渡してあるので、そっちをお貸しできると思います(白黒画像ですが)。いい歌ぞろいなのでお勧めです。ただ、話の中身は少し難しいかな? でも、モーツァルトの歌劇(オペラ、とだけ呼ばれるとは限りませんので)なら、一番最初に見るのは「魔笛」がいいと思います。話が童話みたいで面白い上に、歌は「フィガロ」より分かりやすい。楽しく見られるDVDもあるはず。・・・ウチにあるのは、残念ながら日本語の字幕が出ないんだよなあ・・・
トロさんにも「日本語で分かるヤツを」と言われているので、考えときます!
・・・どんなことでも、ちょっとしたものからハマるのが、人の心をジゴク、じゃない!・・・パラダイスに誘ってくれるのであります。
楽しいオペラは、他にもいくつかありますよ!

投稿: ken | 2007年9月30日 (日) 04時25分

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