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2007年9月14日 (金)

ハイドン観察:交響曲(1):交響曲以前(成長過程)

別に気を持たせるつもりではありません。
能力がないので、すぐには「交響曲」にたどり着けない。
「交響曲」にいきなり突っ込んでしまう前に、
「知らねばならぬ!」
ことがあるんじゃないか、と、思ってしまったのでした。
で、ちょっと古め(1982年刊)ですが、ガイリンガーの著したハイドンの伝記を読み始めました(家内の生前に注文、死の直後に届いたものです)。・・・が、英語です。
日本語も満足に読めない。まして英語は。それ以上にドイツ語は。またそれ以上にイタリア語なんて!
でも、これ以前に日本語で出た伝記は、どうも読んでいてつまらないんです。その点、ガイリンガーは学者さんとしてもすごかったけれど、伝記筆者としても面白いエピソード選びが実にうまい(同じ話が、大宮真琴著「ハイドン」を読み直すと出ているんですが、表現の豊かさが、どこか違う)。
「面白いじゃん」
と、そこまでは感じるのですが、なにせ、読むスピードは、辞書無し意味不明個所すっ飛ばし走行でも、私に可能なのはせいぜい人力車並。。。

というわけで、浅草で乗った人力車なら「花やしき」一周だけの最短コースをとる、という具合に、ハイドンの幼少時代から、ステファン大聖堂の聖歌隊を追い出されたところまでは通らずにすっ飛ばして、1749年、ハイドンが18歳でウィーンの路頭に迷うところから、その青春時代を少しばかり眺めておこうと思います。
この時期が、交響曲創作を始めとする、以後のハイドンのインスピレーションを形成する上で、決定的なものを豊富にもたらしているからです。

私の子供時代、図鑑などでお目にかかって、いちばん愉快だった作曲家はハイドンでした。
中でも面白かったのが、声変わりしてもお情けで残してもらっていた聖歌隊で、いたずらをして前の列の子の髪を切ってしまい、それが先生の怒りに触れて、とうとう聖歌隊を追い出されてしまった、という話でした。

この話の真偽は別として、聖歌隊から除籍されたハイドンにとっては、しかし、世界は「面白い」なんていうものではありませんでした。

すぐに対比されるモーツァルトとは違い、ハイドンは20歳になるまで、シュテファン大聖堂聖歌隊、という閉鎖空間にいた「籠の鳥」だった、という事実は、まず念頭に置かなければなりません。
聖歌隊がどの程度の音楽教育をしてくれたのか、というと、これはよく分かりません。
ですが、「籠の鳥」ハイドン・・・そういえば、とある肖像画に見る彼の顔は、心なしか、水木しげるの描いた鳥の妖怪に似ていなくも無いなあ・・・は、籠から解き放たれたとき、すぐ「金になる」ほどの仕事を得るだけの専門能力は、まだ持っていなかったフシがあります
まずは食い扶持探しから、だったのですが、先取りしておきますと、その日その日を食い繋ぎながら、ハイドンはカール・フィリップ・エマヌエル・バッハのクラヴィアソナタを練習し、マッデソンの当時有名な教科書を読み漁り、フックスの「グラドゥス・アド・パルナッスム」で必死に対位法の自習をしていた、とのことです。

さて、では、どうやって飯を食っていたか。

当時のウィーンでは、「セレナータ」あるいは「カッサシオン」というものを奏でる楽隊が流行していました。
これはモーツァルトの「セレナーデ」問題にも繋がるので、ガイリンガーの引用している当時のこうした流行と楽隊の様子を、そのまま訳しておきます。

さわやかな夏の宵には、セレナーデの響く道にたたずんで時を忘れられるはずだ。セレナーデは、イタリア式にギターと歌だけ、というのとは違っている。ここ(=ヴィーン)ではセレナーデは愛の告白などではない。愛の告白なんて、ヴィーンにはもっといい機会がある。ヴィーンのこのナイトミュージックは管楽器の三重奏もしくは四重奏で、もう少し規模を大きくして演奏されたりもする。とある可愛いお嬢さんの命名祝日(注:クリスチャンにとっては誕生日代わりですね)の前夜には、こんな類いのエンターティメントが山ほど企画されるものだ。いくら遅れてセレナーデが始まっても、あっという間にご婦人方がそこに群がり、わずかばかりの時間のあいだに、音楽家たちは拍手の嵐につつまれる。(「ウィーン劇場年鑑」1794年の記述)

ちょっと脇道になりますが、上の文から分かることは、「セレナータ」はウィーンの人々にとっては恋を打ち明ける歌ではなく、むしろ「愛する人へのプレゼントとして」、管楽器バンドを雇って(おそらくは館の窓下で)演奏させる音楽になっていたことです。音楽の題材は、主に民謡や当時の流行歌だったと想像されています。これが、ハイドンの音楽の源泉になっていくわけです。・・・ちなみに、ハイドンの場合は三重奏だった、と、スタンダール(実はカルパーニ)はその「ハイドン伝」で述べています。

モーツァルトの「洗練」とは終始対照的だった、ハイドンの「素朴感」のあるメロディ作りは、青春時代がどれだけ深く彼の精神を支配したかを物語っているのでして、彼らの音楽の差異を単純に「持って生まれたセンスの差」としてしまうことが多い世の中には、まず、考えを改めてもらう必要があると思います。

今日残っているモーツァルトの「セレナーデ」は、それを弦楽主体にし、規模も大きくし、時に打楽器までを含めた大掛かりなものばかり。かつザルツブルク時代に限られた作品です。やはり、ザルツブルクにはウィーンとは違った風俗が成り立っていた、と考えた方が自然なようです。ハイドンの奏でていたような、管楽器による「セレナータ」は、モーツァルトにおいては楽隊登場・退場部分は「カッサシオン」、本体部分は「ディヴェルティメント」と呼ばれていたことになります(多少極論ではありますが)。

もひとつ、ついで話をすれば、ハイドンがモーツァルトととかく比較されるのは、スタンダールが「ハイドン伝」と「モーツァルト伝」を一緒に書いた(というより、盗作した)ためではなかろうか、と思っておりますが、どんなもんでしょうか。(「モーツァルト伝」の方は、盗作じゃなかったんだけかな?)

本筋に戻りましょう。

こうした仕事をしている間、ハイドンは、彼のひどい境遇に同情してくれた歌手のアパートの一室に同居させてもらっていました。が、この歌手さんは新婚で、赤ん坊が一人いて、奥さんは
「もう一人赤ちゃんが欲しいの」
と言い出す始末。居場所が無くなることになったハイドンは、別の安アパートを見つけます。
この安アパートの住人の中には、豪邸に放火するのが趣味の泥棒さんもいたそうです。

なにはともあれ、金銭的には厳しい生活を余儀なくされる毎日が続いていました。
「あの頃は本当に、世間の王様方みんなを妬んじゃったくらい幸せだったよ」
・・・ハイドンのユーモアセンスは、この貧乏時代に養われたものだったようです。

そんなハイドンにも僥倖が訪れます。
ひとつめは、こうでした。
セレナータを耳にしたある興行師が、その出来に感心し表に飛び出してきて、
「この曲、誰が作ったんだ?」
「オレです」
「それじゃあ、わっちの台本に曲をつけてくんねえか!」
という次第で、劇音楽作曲の仕事にありつけたこと。
「せむしの悪魔」
という、1752年作と推定されているその作品は、残念ながらこんにちでは散逸してしまったのですが、出来上がりにはハイドンはかなりの自信があったようです。後年、彼は伝記作者に、この作品を作った時の思い出を聞かせました。
「想像してごらんよ」
・・・回想の中で、ハイドンはクラヴィアを弾き始めます。
「山は盛り上がり、谷は沈み込み、そしてまた別の山、別の谷。」
しばらくその音楽をクラヴィアで弾くと、突然曲調が激しくなって、稲光。
「嵐だ!」
こんな具合だったのさ。

決定的だったのは2つ目です。
当時のウィーンの町は、狭かったのでしょうか?
おそらくは少し収入が良くなってハイドン移り住んだのと同じアパートの3階に、たまたま、既に高い名声を誇っていたオペラ台本作家メタスタジオも住んでいたのでした。当時は「不朽の劇作家の一人」とまで絶賛されていたこの大作家が、なんと、ハイドンの部屋から聞こえてくるクラヴィアの演奏に、すっかり魅せられてしまったのです。
弾き手であったこの無名の青年を、メタスタジオは、自分のお気に入りの女弟子のクラヴィア教師に採用します。
この弟子が、またさらに、声楽の名教師ポルポラ(映画『カストラート』で知る人ぞ知る、知らない人は知らない、優れたカストラート歌手ファリネッリを育てた人)のお気に入りで、ハイドンはこうした縁で、有力音楽家たちに顔を知られていきます。ついには縁が縁を呼び、お金持ちのモルツィン伯爵が、自前のオーケストラのお抱え作曲家としてハイドンを採用するに至ったのでした。ここに至るまで9年の歳月が流れていました。

おそらくこうした過程を経て、ハイドンは最初の交響曲群を創作することになったのですが、惜しいことに、苦労時代のハイドンの作品と思われるものはクラヴィアソナタを除いて残存していないに等しく、彼が交響曲以前に示していた作曲能力を知る手がかりは、あまりありません。ですので、交響曲においては、彼はモーツァルトとは異なり、最初から「大人の作曲家」として私たちの前に姿をあらわします。ですが、そこに至った過程が判明しないわけです。

このころに得た友人たちと演奏するために弦楽四重奏曲を数曲(第0番、1-4番、6-8番、10番、12番)作っていることは分かっているものの、はじめて作曲年代が判明する作品は、モルツィン伯家に採用される2年前、1756年に作った"Salve Regina"とハ長調のオルガン協奏曲です。・・・この2曲は、当時ハイドンが恋していた相手が修道院に入るのを「祝って」作られたものらしいとのことです。で、ハイドンが伝説的とも言えるほど悲劇的な結婚をした相手は、その姉でした。。。

創作事情が不明確な中でも、ハイドンの音楽的成長過程を示すと思われるサンプルをいくつかお聴き頂きましょう。




順番にお聴き頂ければありがたいのですが・・・いかがですか? 
勉学し切磋琢磨して急激に変化していく彼の世界が聞こえてきませんか? 聞こえて来なければ、選曲者である私の落ち度でございます。ご容赦下さい。

さて、ハイドンがその音楽の面倒をみることになったモルツィン伯爵の夫人は大変魅力的な女性だったそうで(美人だった、ということか?)、ある日、ハイドンの伴奏で歌っているとき、熱中したあまりでしょうか、クラヴィアを弾くハイドンの脇ににじり寄り、ネッカチーフでふうわり、と彼に触れてしまったそうです。
これが、ハイドンの、それまではわりとドライだったらしい異性への感覚を、強く刺激してしまい、ハイドンは大きく悩みます。
折り良く、というべきだったのか、モルツィン家はまもなく財政難に陥り、ハイドンは奉公先をエステルハージ家に変えることとなるのですが、それは「交響曲」本題に入ってからゆっくりお話できそうですので、今回はこれまでと致します。

長々失礼致しました。・・・毎度、ですね。

※なお、クラヴィアソナタについては、サンプルはピアノの演奏ですが、ハイドン自身は終生、これらはクラヴサンないしクラヴィコードで演奏されていることを想定した、と、ガイリンガーは(記録類を根拠に)述べています。("Haydn a creative life in music" p208 UNIVERSITY OF CALIFORNIA PRESS ISBN 0-520-04317-0)
また、クラヴィアソナタの番号は(詳しい事情は存じませんので教えて頂けるとあり難いのですが)、引用した演奏では「第10番」・「第4番」となっているのですけれど、大宮「ハイドン」所載の作品表では前者が「第3番」となっています。「第10番」以降は大宮著書の作品表上でのクラヴィアソナタは通し番号ではないせいなのですが。。。だとすると第12番となるべき位置に掲載されているのです。なぜに?

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コメント

kenさん、
今の私のPC環境ではファイルを聞けないのですが、英語で書かれたハイドンの本には興味があります。上記の本も含めて、お薦めの本の具体的な情報をいただければ幸いです。

投稿: イワン | 2007年9月19日 (水) 19時13分

イワンさん、音がお聴かせできないのは残念。

私がずっと以前に入手したものは、弦楽四重奏曲を主要な素材にハイドンおユーモアセンスを語ったものですが、同じ本は古書ではみつかりませんでした。署名だけ記しておきます(楽譜を使っての説明ですが、CDがあるから、「あ、楽譜の模様とこのあたりの音が似てる!」って言うんで見当がつきます)。

Gretchen A.Wheelock "Haydn's Ingenious Jesting with Art:Contexts of Musical Wit and Humor" SHIRMER BOOKS 1992 ISBN 0-02-872855-6

昨年末、AMAZONで4点見つけて購入しようとしたら、結果的に版元絶版で2点しか手に入りませんでしたので、AMAZONではダメかも。。。

確実に入手できるのは古本屋さんにあるもので、検索結果へのリンクを載せておきます。

http://www.kosho.or.jp/servlet/bookselect.Kihon_result

上手く出なかったら、トップ頁から「古書検索」に"Haydn"と打ち込んでみて下さい。13点の結果が出てくると思いますが、楽譜1点、CD1点を含み、弟ミヒャエルの方のドイツ語文献も1点出てきますので、ご用心下さい。

楽譜屋さんのサイトの「書籍」で検索すると111点出てきましたが、在庫があるとは限りません・・・取り寄せだと2ヶ月かかります。この中でご興味をお持ちになったものがあれば、もしかしたらご存知の洋書店をお使いになった方がよろしいかと存じます。・・・そういういい本屋さんがあったら教えて下さい!

その、楽譜屋さんでの検索結果のURL

https://www.academia-music.com/academia/search2.php

投稿: ken | 2007年9月19日 (水) 19時54分

kenさん、情報に感謝!
ちなみに最新記事(バイオリンが弾けなくて泣いた話、よかったですよ)。

投稿: イワン | 2007年9月20日 (木) 22時24分

イワンさん、検索結果、上手く出なかったでしょう?
今日試してみたらみんな打ち込み直しが必要でした・・・ごめんなさい。

それに、最新記事早速読んで頂いたようで・・・
今手直しを終わったばっかりなんです(変な変換や、綴り忘れたことの書き足しをしたので)。ビックリ。
ひょっとして、まだ職場?

晩飯ちゃんと食べて下さいね!

投稿: ken | 2007年9月20日 (木) 22時35分

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