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2007年9月18日 (火)

曲解音楽史19:「十字軍」時代の西ユーラシア

前の回:1)音という手段  2)リズムの成立 3)音程から音階へ
    4)言葉と音楽   5)トランス   6)古代メソポタミア
    7)古代エジプト 8)古代インド   9)古代中国 10)古代ギリシア
    11)古代ローマ  12)初期キリスト教の聖歌について
    13)ササン朝ペルシャ    14)西暦5,6世紀ユーラシア音楽横断
    15)中世前半の西ユーラシア   16)唐朝と朝鮮・日本 17)「声明」の伝来
     18)モンゴルと中央アジア北方 19)「十字軍時代」の西ユーラシア



東洋(モンゴル・中央アジア)から日本へ、と、続けて進みたかったところですが、時期的にこの後、中国には宋・元・明と王朝が続き、日本の音楽は中国の王朝の遷移に連動して変わっていきますので、また後回しにします。



洋の東西を問わず、「宗教戦争」と名づけられた戦争、あるいは宗教がもたらした事件、というものに、純粋に「宗教」を要因にした例は、あまり無いのではないかと思います。本当のところは、浅学なので分かりませんが、九割九分は「政治」が絡む。
事件の方で言えば、日本の「地下鉄サリン事件」、あるいはアメリカで頻発した「カルト信者集団自殺事件」などは、そうした少数の、しかも狂信的な心理から引き起こされたもので(「サリン事件」については、義妹の知人で今でも後遺症に悩む方がいらっしゃいます)、例外的なのではないでしょうか。


歴史上「例外的に」大きいのは、モハメット(ムハンマド)を中心としたイスラムの創始者たちが、自分たちの位置付けを確立するために、旧勢力に向かって立ち上がった最初のジハードだったかもしれません。・・・ただし、これも「純粋な信教から」と見すぎてしまうと誤りを起こしてしまいます。当時のアラブの有力部族が如何に経済的特権を独占していたか、等々、社会的背景を充分考慮しなければなりません。イスラムというと、地理的にも精神的にもそこから遠い私たちは、即「ジハード(聖戦)」を連想してしまいますし、現代の一連のテロにも実行者が「ジハード」の言葉を冠する事があたりまえであるため、イスラムそのものに好戦的な信条があるのだ、と思い込みやすいのですけれど、そこはイスラム成立時から現代に到る彼ら信者たちのたどった歴史をよく顧みる必要があります。
で・・・それを始めるときりが無い上に、じゃあ私自身が十分理解しているか、というと、そうでもありませんので、「ものを見る目」が固定的になりがちな一つの比喩として、以上を捉えて頂ければ結構です。


「曲解音楽史15:中世前半の西ユーラシア」とくに(2)で述べましたとおり、「十字軍」時代以前には、アラブ、アフリカ北岸、イベリア半島にかけては、イスラム教徒が支配的だったという説明が従来一般的だったにも関わらず、イスラム・ユダヤ教・キリスト教の信徒かどうか、あるいはどんな民族であるかを問わず、人々はこれらの地域でも平和に共存していたことは、私の目に出来た少ない史料から察する限り、ほぼ間違いないように思われます。


事態を急変させたのが、西ローマ帝国滅亡後最初のカトリックの危機・・・法皇庁は、力を増してくるヨーロッパ各地の君主たちの「俗権」に対し抑制力を失っていきました・・・に端を発する、一連の「十字軍」戦争です。広義の「十字軍」はイベリア半島の「レコンキスタ(国土回復運動)」の終結まで続き、途中の経緯も複雑で、それを追いかけることはとても私ごときの手に負えることではありませんので、詳細は最後にご紹介する、比較的読みやすい本でご確認下さいますようお願い致します。(この時代の事情は、途中にモンゴルの西アジア・スラヴ侵攻が起こったことで、いっそう錯綜したものになります。)

今は、「モンゴル・中央アジア」でも同時進行していたこの戦乱の時代に、西ユーラシア側は、いったいどんな音楽世界を築いていたのか、だけを垣間見ておくことにしましょう。



掲げる例だけではあまりに少ないのですが、それでも、前に見た「平和共存時代」までの、ある意味で素朴な味わいのある民族混合的な調べから、アラブはアラブ、ヨーロッパはヨーロッパの独特な(悪い言葉で言えばローカルな)調べを獲得していったのだな、という点は、認めていただけるでしょう。
※音源は数年前に入手したものです。今も市販されているかどうか確認しておりません。

アラブ側については、十字軍時代に特定できる音楽というのは、調べた限りでは見つけておりません。見つけて下さっている方のご教示をお待ちするとして、その後現代にまで引き継がれているであろうはずの、コーラン(クルアーン)の朗誦の例を、一つお聴きいただくことにします。(・・・これを「音楽」と呼んでしまっては神罰が下るかしら・・・。)トルコ(イスタンブールにて収録)のものです。(Victor VICG-60312)

ヨーロッパは、吟遊詩人が十字軍に同行する機会が増えたこともあり、身分も騎士に格上げされ、多彩な活躍をするようになり、ついには自由に各地の君主の宮廷に出入りするようになります。
当時の有名な歌をお聴き下さい。ほとんどの音楽史の教材に楽譜が掲載されていますが、実際に歌われるのを聴いた方は少ないのではないかと思います。

悲劇的な夭逝を遂げたデヴィット・マンロウが編んだ『十字軍の音楽』(DECCA UCCD3257)というアルバムに収録された演奏です。
このアルバムに収められた歌や器楽で、明記されている作者(=吟遊詩人)の名前は以下のとおりです。

*マカブリュ(11世紀末〜12世紀のトルバドゥール)
*ギオ・ド・ディジョン(12世紀末のトルヴェール)
*ギィ・ド・クゥーシー(1203年没のトルヴェール)
*ゴーセルム・フェディット(1185-1220 トルバドゥール)
*シャンパーニュ伯チボー4世(1201-53)

この他、この時期に「ホケトゥス(しゃっくり)」と呼ばれた面白い様式が発展していたことも分かっています。同じマンロウのまとめた『ゴシック期の音楽』には豊富な録音例があるのですが、ここでは上と同じ『十字軍の音楽』から聴いて頂いておきましょう。

「ホケトゥス」は、以後の長いヨーロッパ音楽の歴史の中で、直接的には「イソリズム」に繋がっていくのですが、「音色旋律」なる発想にまで繋がっていくことになったのではないか(発想のおおもとは、リンク先のWikipedia記事から分かりますようにまったく逆なのですが)、というのは、私のうがちすぎかもしれません。

「ホケトゥス」はさておき。

「パレスチナの歌」は、以前の音楽(歌)に比べて音域が広がっている点にご傾聴下さい。
これより以前は、たとえば「ド」を起点にすると、上は「ソ」までの5度、下は「低いソ」までの4度でした。
以前挙げたアイヌのユーカラの例が典型的ですが、いつ出来たのかは分かりません。とはいえ、ヨーロッパでも11世紀まではこの音域が、とくに歌に関しては守られているのは、再度確かめて頂ければ興味深く思っていただけることと考えております。)

なお、この「世界的戦乱」を締めくくった、イベリア半島の「レコンキスタ」の結末は、グラナダ王国の王がヨーロッパ側の君主と平和的に挨拶を交わし、それまでの領地を静かに離れ、北アフリカ(ベルベル人の世界、と当時はみなされていましたが、ベルベル人が具体的にどんな人種・民族を表すのかは、いまもって不明確なのだそうです。これもご教示頂ければありがたいことです)へ去っていく、というものだったそうです。
教科書だけからでは勝利者側の華々しさや血にまみれた敗者をイメージしてしまいがちですが・・・こうしたイメージは往々にして史実とは異なる好例かと感じさせられます。

<参考書籍>
十字軍―ヨーロッパとイスラム・対立の原点 (「知の再発見」双書 (30))
十字軍騎士団 (講談社学術文庫 (1129))
中世ヨーロッパの歴史 (学術文庫)
イスラム教入門 (岩波新書)
イスラームの世界地図 (文春新書)

<付記>
私には素材の持ち合わせがなかったし、知識も浅薄なので、この程度までしか綴れません。
ケルトの中世を扱った大変素晴らしいサイトがあります(Curraghさんの「聖ブレンダンの航海」)。サイト内にリンクのあるブログも、大変魅力的です。ぜひごらんください。

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