« ちょっと酷評:「指揮者列伝」ふくろうの本 | トップページ | 曲解音楽史(16補遺)源博雅 »

2007年8月 1日 (水)

忘れ得ぬ音楽家:3)江藤 俊哉

事情で一連の記事を廃棄した際、削除すべき対象の記事は「下書きしていなかったなあ」と諦めていたのでしたが、これは下書きしていたのでした!残っておりました!あらためて掲載させていただきます。


忘れ得ぬ音楽家:江藤 俊哉

私がヴァイオリンを始めた動機はきわめて不純です。
「オーケストラというものに入ってみたいな」
小学4年のとき、そんな夢をもちました。そこまでは、純粋でした。
あとが、ズルイです。
「いちばん人数の多い楽器を選べば、入れる確率が高いな」
で、図鑑でオーケストラの写真を見て、人数を数えました。数えたら、一番多かったのがヴァイオリンだった。。。それだけ。

それでも、地方都市には「ヴァイオリン担いだ演歌師さん」もいないし、日本なのでジプシー(ロマ)さんたちもいません。楽器は何千万円するかわからないし、習いに行くと月謝も高い。
調べたら、特別なものでなければ、2~3万円で買える事がわかりました。まあ、それでも我が家にとっては高い買い物でした。そこを何とか拝み倒し、
「月謝を自分で稼いだら、習ってもいいよ」
ようやく親の了解を得て、小6から新聞配達をして、3年間だけ習いました。
あんまりうまくなりませんでした。
いいんです、オーケストラに入れさえすれば。

「仕事で入れたら嬉しいな」
と切なく思いつづけたものの、ヴァイオリン以外の習い事は結局許されませんで、ピアノも弾けませんから専門の道は断念しました。
それでも地元に高校生のオーケストラや室内楽団がありましたし、どういうわけかそちらからお誘いもかかりましたので、入ることが出来ました。
その後、やはり地元の大学に、当時は地元のプロよりうまかったオーケストラがありましたので、最終的にはそこへ入り、夢がやっとかなった気持ちになっておりました。

こんな調子ですから、ヴァイオリンそのものについては、弾いていながら無関心、でもありました。

無関心でいた理由の一つが、小学生の頃、AMラジオで何回も聴いた、ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲の演奏でした。
「独奏は、江藤俊哉さんです」
江藤さんだと、とにかく、いつ放送されても、あっちこっちで間違う。
こんなに間違う人が、当時は教育テレビでやっていた「ヴァイオリンのおけいこ」という番組で、長いこと先生をしたりしている。
こんな江藤さんのイメージから、
「ヴァイオリンなんて、所詮一人で弾く楽器じゃないんだ。少なくともピアノ伴奏がないとやっていけないんだからな!」
そう決め付けて、大学時代までを過ごしてきたのでした。

大学オケに入って早々、1年生の後半の演奏会に、その江藤さんが客演して下さることになりました。
曲目は、これがなんと、ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲。
私のヴァイオリン認識が変わったのは、このときからです。

実際に目の前にする江藤さんは、テレビで先生をしているときと全く変わらない、今の言葉で(といいつつ、もう使い古された日常語彙になっていますけれど)「とっちゃん坊や」でした。

「とっちゃん坊や」というのは、坊やだけにデリケートなのでもありました。これは、誤算でした。
たしか、あの年は江藤さんは健康状態が下降線を辿り始めた最初期にあたっていて、体調をお崩しになって、ゲネプロをご一緒できませんでした。神経が過敏になってしまったのが原因だったと記憶しております。
江藤さんの音を本当に「目撃」したのは、ですから、本番前のステリハで、でした。
仰天しました。

音が、カラの客席の一番奥まで、一直線に飛んでいく。
それがそのまま、また弾みのいいスーパーボールよりもずっと凄い勢いで・・・などというのでは、とても適切な喩えとはいえません・・・音が刃物になってこちらを突き刺してくるのです。
信じていただけるかどうか分かりませんが、この音の動きが、この目にはっきりと見えたのです。

「なんで?」

本当に、どうして音が目に見えるなんてことがあるのか、もう理解できませんでした。

ステリハも本番も、江藤さんは私が昔ラジオに耳をつけて聞き入っていたときとは打って変わり、一切ミスをなさいませんでした。音の勢いも、本番はさらに鋭さを増していました。

本番後、やはり倒れられてしまって救急車で運ばれて、打ち上げをご一緒できませんでした。
あとでオーケストラに寄せてくださったコメントが、人づてに伺ったところでは、だいたい
「素晴らしい伴奏をしてくれてありがとう。いつもはオーケストラの伴奏は、手を抜かれたり、なりゆきだったりするんで、つまらないし、かといって弾かなきゃないから無茶はするし、だったので、今日はとても弾き甲斐がありました。その分、身も心も使い果たしてしまいました。感謝」
といった主旨のことだったそうで、大学の連中は、それはもう鼻高々でした。

その後、同じ大学オケで、江藤さんとは2度共演させていただくチャンスに恵まれました。
4年生の時にはブラームスのヴァイオリン協奏曲(指揮:菊地俊一)、卒業してから3、4年後にはモーツァルトの協奏交響曲(江藤さんが指揮とヴィオラ、奥様のアンジェラさんがヴァイオリン)でした。いずれも、私にとって忘れがたい演奏会となりました。

以後、
「江藤さんはなんで、あんなパリッとした鋭い音が出せるのか」
どうしても突き止めたくて、
「多分、右手にいっぱい力を貯めて、弓を強く弦に当てて弾いているんだろう」
そんな、今思うととんでもないあて推量で、何日もゴシゴシ弾く練習をしていて、頭のいいチェロの1年先輩に
「大馬鹿者!」
と叱られたりしました。

江藤さんの発音法(とくにボーイング【運弓】)には、他のヴァイオリニストで言うと、たとえばオイストラフと似たノウハウがある、ということを悟ったのは、だいぶあとになってからのことです。
いいヴァイオリニストは皆そうですが、まず、全身の力が、よく抜けています。
力を抜くべき優先順位は(間違っているかもしれませんが)、まず右の肩から腕全体、次に左の地方から腕全体、で、これでそこそこいい音が出るようになるのですが、さらに大事なのは「顔の力を抜くこと」で、これが出来ているヴァイオリン奏者は、プロを謳っている人でも希少です。
江藤さんご自身は、
「ボクはボーイングが良くなくってネ」
と、お弾きにになっている最中に、わざわざどこがどういけないかを説明してくれたりもなさいました。
・・・悔しいことに、そんな話を伺っても理解力のなかった(今も足りない)私には「馬の耳に念仏」でしたが。そんな補欠的一メンバーの私が江藤さんの記憶に残っているはずは全くありませんが、モーツァルトの回の時には、アンジェラさんが私の隣で弾いていて、練習中さかんに
「ごめんなさいね、ごめんなさいね、私、ヘタで!」
と繰り返していたのが愉快な思い出です。うらやましいくらい、江藤さんにはいい奥さんです!

江藤さんに近い世代の日本の名ヴァイオリニストでは、あのころは海野義雄さん、外山滋さん、豊田耕司さんなどがいらっしゃいましたが、中では外山さんが大学時代の恩師のところへ遊びにいらして演奏なさったお姿以外には接したことがありません。

江藤さんの演奏はLPにブラームスのソナタ(1番と3番)の名録音があり、長いこと愛聴しているうちに磨り減ってしまいました。CD化はされていません。

昨年、海外のオーケストラの伴奏による一連の協奏曲の録音がCDで復活しましたが、私はベートーヴェンの協奏曲のものだけを買いました。ラジオのときのようなミスはないものの、これは日本側がお金の力で無理やり企画した録音ででもあったのでしょうか、大学時代に直に接した江藤さんの音とは程遠い、どこかノリの悪い印象があり、そのまま聴くのをやめてしまいました。

息子さんがまた非常に優れたピアニストで、親子で共演した「シューマン:ヴァイオリンソナタ集」があり、こちらは江藤さんの本領が発揮されていて素晴らしい録音です。今でも手に入るだろうか?

何年前だったか、私たちの住まいの近くで江藤さんが小さいコンサートに出演する、というので、家内を連れて出かけました。
江藤さんはもう往年の江藤さんではなく、病後で技術も覚束ない状態だ、というのを知った上で、家内に江藤さんという「人」を知って欲しくて、連れて行ったのでした。入場料もタダ同然でしたし。

演目の中に、リヒャルト・シュトラウスのソナタもありました。
この曲に限らず、案の定、江藤さんの出す音は、ヨボヨボでヨレヨレでした。
それでも、長年身につけてきたものというのは体がちゃんと覚えているのですね。
音符は、どんな細かいものでも、拾い落としはありませんでした。・・・ただ、小さな会場だったのに、それが音として客席まで届いてこない。往年を思い出しつつ、私はなんだか切なくなりました。

弾き終わって、でも、江藤さんは、こう言ったのですヨ。
「ボク、ヘタんなったでしょ?」
はにかむように笑って、客席にもほのぼのとした笑いが広がって、帰りに家内が
「お父さんの言ってたとおりの人だね」
と感心してくれたのは、忘れがたい幸せな思い出です。

|

« ちょっと酷評:「指揮者列伝」ふくろうの本 | トップページ | 曲解音楽史(16補遺)源博雅 »

コメント

亡くなってしまわれましたね。
ほんとにいい特別な人格の方で、温かい繊細なひとでした。
音楽にはやっぱりすごく厳しかったですけどね。sprinkle
あんな善良でよくあれだけの仕事、大変だったのではと思います。

投稿: ue | 2008年4月20日 (日) 09時50分

ueさん、ありがとうございます。

大変なことを
『別に大変じゃないよ、楽しいよ」
ってお顔で、ニコニコなさり続けた素敵な方でした。

これだけ尊敬できる日本人音楽家が、あとどれくらいいらっしゃるでしょうね。

ほんとうに、素敵な人でした。

投稿: ken | 2008年4月20日 (日) 11時33分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/95716/7370971

この記事へのトラックバック一覧です: 忘れ得ぬ音楽家:3)江藤 俊哉:

« ちょっと酷評:「指揮者列伝」ふくろうの本 | トップページ | 曲解音楽史(16補遺)源博雅 »